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a song here

全体公開 小説(pixiv公開済) 17302文字
2023-04-15 19:23:35

Re:vale記念日に寄せて、Re:valeの曲を愛し曲に愛された人たちの話を書きました。
掌編×4本。すべて独立したオリジナルキャラ視点のお話で、千も百も直接は出てきません。
時間軸はさまざま。ふんわり雰囲気で読んでいただけますと幸いです。

各話、下記ご注意ください。
1. If you 映画『星巡りの観測者』の公開から十数年後、夜勤の夜。
 ※イベストのネタバレがあります。
2. get lost, 鳴かず飛ばずの漫画家による新ブラホワ意趣返し。
 ※新ブラホワの結果への言及があります。
3. there's ゼロアリーナこけら落とし公演での父と娘。
 ※この話のみアニナナ(セカビ)準拠の世界線です。
4. a song here ずっと、かたわらにあった歌。
 ※曲クレジット表記は完全妄想(捏造)です。

1. If you

 宇宙飛行士になりたかった。

 私がその夢を抱くきっかけとなったのは、小さい頃、父に連れていってもらった一本の映画だ。
 とりどりの美しい星を巡り、大切なひとを探す少年の物語。
 あんなふうに星の海を渡っていけたなら。見知らぬ星に降り立つことができたなら。きらめく宝石にまつわる冒険、そしてひたむきな少年の瞳に惹かれて、いつか宇宙へと旅立ってみたい、と思うようになったのだ。

「日勤から夜勤へ、本日の申し送りです。北病棟三〇二号室、術後バイタル安定ながら疼痛有り、眠前薬を確認してください。同じく北病棟の三〇七号室、午睡長めです。看護記録参照、夜間の歩き回り注意願います……
 けれど、これが現実だ。

 ☆     ☆     ☆

 夜の病棟がいちばん静かなのは、真夜中より少し前の時間帯だ。
 零時からは二時間おきに巡回と各種処置があって、できるだけ静かには動くけれど、どうしても忙しない作業の気配が強くなる。ナースコールの頻度は昼間とさほど変わらないわりに、スタッフが少ない時間帯なので、出たり入ったり、ばたばたしがちになる。

 今は、消灯時間から二時間を経た二十三時。病棟は最もしんとしている。夜勤の看護師として、唯一と言っていい息のつける時間だ。
 つかのまの静けさのなか、ナースステーションのパーテーション壁の奥で、パソコンに向かって座り、淡々と看護記録の入力をする。
 同僚は休憩と処置で出払っていて、ステーション内には私ひとりだけ。室内には、ごく低く、音楽が流れている。最近流行りのストリーミング型BGMシステムだ。昼は病棟にも流されていて、その時は無難なクラシックが多いけれど、夜の時間帯は職員のいるエリアにしか流さないから、夜勤の者が好きなものをかけて良いことになっていている。
 私に選択権があるときに、依頼を出すプレイリストは、決まっていた。
 Re:valeのオールタイム・ベスト。
 星を巡る物語の主題歌は、五曲目に収録されている。


 イントロが流れ出した。ひととき手を休めて、美しく響くアコースティックギターの音色に耳を澄ます。
 宇宙飛行士は幼く淡い夢だった。中学生になって、身体的にも成績的にも遠すぎる憧れだと自覚し、まあ宇宙飛行士は難しいとしても、なにか天文か、宇宙関係の仕事に就けたらいいな、とうっすらと思っていた。

 中学二年生の秋、映画好きだった父が死んだ。

 突然の余命宣告から看取りまで、八か月。働きながら病院に通う母を手伝い、ふたりの妹の面倒を見て、家のことを引き受けた。本当なら、高校受験の準備に本腰を入れるべき時期だった。
 家計も半ば預かるようになって、分かってしまった。父がいなくなった後、姉妹全員が大学まで行ける経済的余裕は、うちにはない。
 とりあえず手に職をつける。なるべく早めに。そう考えたとき、思いついたのが看護師の道だった。中学から五年一貫校に進学して学び、国家試験に受かれば、二十歳での卒業と同時に働ける。就職に困る可能性も低い。
 父の終末期、担当の看護師さんは、本当によくしてくれた。看取りの時にも、父へ、私たち家族へ、真心と敬意を持って接してくれた。
 あんなふうに、誰かの人生という物語の最期に、光を掲げることができたなら。
 それが星の光でなくても。


 ――働き出してみれば、現実はそんなに美しいものではない。
 慢性的な人手不足、長時間労働、交代制勤務のハードさ。意地悪な先輩、看護師長の厳しい言葉。五年一貫校卒ゆえのキャリアの壁。
 それでもなんとかかんとか、働き続けてきた。そろそろ若手扱いも卒業、どころか、離職率の高い看護師においては、中堅に片足を突っ込んでいる。
 今年の春、上の妹が大学を卒業して就職した。入れ替わりで、下の妹が大学に入学した。初年度納付金を払い終えて、肩の荷が下りるとともに、なにかぽっかりと穴の開いたような、がらんとした気持ちになることが増えた。
 そんなときは、この曲を聴く。
 映画館の暗闇が少し怖くて、父にしがみついて、けれど瞬きもせずに、スクリーンに広がる星空を眺めた日を思い出しながら。

 ☆     ☆     ☆

 トントントン、と控えめに、カウンターを叩く音がした。ごく小さいけれど、夜の病院では、音が通ってとても大きく聞こえる。
 あわてて席を立ち、パーテーションのドアを開けて、カウンターに出る。
「こんばんは。こちらのお宅に、うちのひと、お邪魔していないかしら?」
 かすれて、やさしい声。真っ白い髪をふんわりと束ね、肩に巻いたショールの合わせを手で押さえて、老婦人が立っていた。
 日勤からの申し送りを思い出す。三〇七号室の患者さんだ。昼間はずっと、うつらうつらと眠っていて、夜になると起き出して歩き回りをしてしまう。

 少し前までは、この病院でも徘徊と呼ばれていた行動。今は歩き回りと呼ぶ。
 徘徊という言葉は、あてどもなくうろうろと歩き回ることを意味している。けれど、彼ら彼女らは、そうではない。
 目的があり、行きたい場所、やりたいことがあって、自然と足が動いてしまう。だから、徘徊という言葉は使わないように、と先輩に教えてもらった。
 このひとの歩き回りは、一度や二度ではない。ほとんど毎晩、ベッドを脱け出しては、ナースステーションを訪ねてくる。
 いつも、探している。
 先に旅立ってしまった夫を。


 こちらにはいらしていないようです、と言うと、彼女はとても淋しげな顔をした。
「そう……いったい、どこに行っちゃったのかしら」
 頼りなげに呟いた声のかぼそさに、胸を衝かれる。なんとか笑顔を作って、ゆっくりと答えた。
「きっともうすぐ帰ってきますよ。そのとき、お部屋にいらっしゃらなかったら、心配させてしまうかもしれません。ベッドに戻りませんか?」
「でもねえ、迎えに行ってあげたいの」
「すれちがいになっちゃったら困ると思いますよ。ね、戻りましょう」
 口先で言いくるめるような言葉に、いくらかの自己嫌悪を抱く。
 開かれたドアから、かすかに歌が漏れ聞こえてきた。サビにさしかかっている。
 こんなに美しいハーモニーを聴きながら、私は、嘘をつく。
……あら、この歌、知ってるわ」
 ショールの端を握りしめていた手を離し、耳もとにあてて、彼女が呟いた。
 思わず目を見張る。彼女が、探し人のこと以外を口にするのは、初めてだ。
「あのね、この歌が主題歌になっていた映画を見に行ったの。孫にせがまれて連れていったんだけど、あの、白い龍さん? が出てきたところで、孫がわんわん泣いちゃってね。きっと怖かったのね。あわてて映画館の外に連れ出して、最後まで見られなかったのよ」
 整然として滑らかな語り口に圧倒される。堰を切ったように、記憶が溢れだしたようだった。
「あのふたり、どうなってしまったのかしら。ねえ、あなた、知ってる? あの男の子は故郷に帰れたの? 探していたひとに会えたの?」
 熱のこもった言葉から一転、ふっと表情が翳る。
 目を伏せて、ちいさな声で、彼女は言った。
「私も、帰りたい。あのひとに、会いたい」
 夜のしじま、雫のようにぽつりと落ちた声。
 もういちど会いたい。
 毎夜、その気持ちだけを抱いて、暗いベッドを脱け出し、光のほうへと歩いてくる彼女。二度と会えない人を探して。愛おしんだ時間に帰りたくて。
 脆い細枝のように華奢な手を取り、柔らかく握りしめる。声が震えてしまわないように、そっと、囁くように言った。
「男の子と龍は、会えました。会えたんです。男の子は、故郷の星で、立派な王様になりました。白い龍は人間になって、男の子と、ふたり一緒に幸せに暮らしました」
「ふたり一緒に、幸せに暮らしました」
 うたうように繰り返す。
 そして、にっこりと笑った。
「すてきねぇ」

 ☆     ☆     ☆

 病室に送り届けて、ベッドに入るまで見守る。
 ずっと繋いでいた手を名残り惜しそうに離して、だけど頬には嬉しそうな微笑みを浮かべたまま、彼女は目を瞑った。
 しばしの後、呼吸音は低く落ち着き、胸が穏やかに上下し始めた。巡回用のライトでそっと照らし、眠りに落ちたことを確認する。ライトの光がリノリウムの床に反射して、ちかちかと瞬いた。
 星の光みたいだな、と思った。

 宇宙飛行士には、なれなかった。
 けれど、この地上で、このちっぽけな光を灯して、生きていく。
 誰かの為に、生きていく。

 それは、そんなに悪いことではないような気がした。


(feat.『星屑マジック』)

2. get lost,

 編集部の打ち合わせブースで、俺は担当編集者と差し向かいに座っていた。
 前作の連載終了を機に変わった新担当は、若い男性だ。入社五年、マンガ編集者歴二年。
 一方の俺、アラフォーのおっさん。マンガ家歴十五年。月刊誌の真ん中から少し後ろを定位置とし、だいたい五巻以内に打ち切……もとい完結する作品を何本か描いて、地味な作風ながら細々と生き残ってきた、のだが。
「こちらが前作のデータですが、消化率があまりよくないんですよね。返品率が如実に上がっています。発売日には数字が出るので、固定ファンはちゃんといますが」
 市中在庫、返品率、初動売上。紙にプリントされた細かい数字をひとつずつ指差しながら、編集者が言う。
「読者の裾野を広げることを考える時期だと思うんですよ。そこで、僕からの提案なんですが――
 続けて口にされたのは、覚悟はしつつも、そうでなければいいと願っていたものだった。
「本誌じゃなく、アプリでの連載……っすか」
 紙よりもバズりやすいし、広く読まれますよ、と編集者は言うが、どうしたって二軍落ちの感覚は免れない。しかも、ぽんと載せてくれるわけではなく、連載コンペ企画に参加しろという。
 企画の内容を聞いて、また顔が引き攣った。
 お題はふたつ。ひとつ、異世界ファンタジーであること。ふたつ、チート能力による爽快なバトルを盛り込むこと。
「異世界の描写に長けた先生なら、きっとイケるんじゃないかと。新しい路線に挑戦してみませんか?」
 三巻で早期終了となった前作は、確かに異世界ものではあった。しかし、バトルやら転生やらではなく、現実とは異なる世界観で生きる人々の日常描写に焦点を当てた、人情噺ふうの連作シリーズだった。
 それを、異世界チートバトルだって?


 コンペの要項を手に、出版社を後にする。
 断るという選択肢はなかった。ここで蹴れば、次の連載のハードルはさらに高くなってしまうことだろう。連載の切れ目が縁の切れ目。マンガ家人生の切れ目にもなりかねない。
 しかし異世界バトルなんて、今までの作風とはかけ離れていて、使えるストックが皆無だ。プロットの前にアイデア出しから始めなきゃならない。主人公、世界観、バトルの法則、そしてチート能力の設定。どこから固めていこうか。
 つらつらと考えながら歩いているうち、不意にアップテンポのメロディが耳に飛び込んできて、顔をあげる。
 駅前のデジタルサイネージにPVが流れていた。タイトルが表示される。Re:valeで『Fly! More Liberty』。
 威勢のいい曲調と、街の喧騒のなかで断片的に聞こえた単語がいちいち刺激的で、興味をそそられた。なんだ絶頂の空って。神が操るファントムって。
 手もとのスマホで検索し、詞の全体を眺める。
「はあぁ?」
 街中で、思いきり顔をしかめてしまった。
 歌詞は呼びかけから始まっていた。ここに来てみろ。ここへ立ってみろ。高みから見下ろし、この場所まで昇っておいで、とライバルたちを鼓舞している。
 冗談じゃない。
 後発のマンガ家がデビューするたび、俺の掲載順はどんどん下がっていった。彼らの作品には勢いと若さがあり、物語も作者も読者も一緒にどんどん成長していく。そりゃ巻頭カラーは持っていくし、映像化の話も降るように来るだろう。納得だし、リスペクトもしている。
 だが、わざわざ煽ることはないだろ。放っといても台頭してくる奴らを。俺の心が狭いのはまあ自覚しているが、それにしてもどんだけ余裕なんだ。心が広いんだ。この歌のやつ。これを歌う絶対王者。

 ――いや、違うか。

 あらためてストリーミングで聴き、スマホの画面で歌詞を眺めて。耳と脳とで曲を転がすうちに気がついた。
 余裕じゃない。ただ、遊んでいる。楽しい場所で、一等賞の場所で。光と闇が交錯し、爪先さえ見えない崖っぷちで踊っている。
 未熟な支配者。王の盃。
 座る場所。
 ふっと閃きがあった。

 □     □     □

 コンペで連載を勝ち取った。
 あとになって知ったが、新人から中堅まで、けっこうな人数が参加していたらしい。よくまあ取れたものだ。
 俺の勝因はおそらく、キャラクター配置で意表を突いたことだ。
 異世界チートバトルと聞いたら、普通は主人公をそのポジションに立たせるだろう。そのうえで、どんな能力を持たせるか、どのように活用させるかの部分で、趣向を凝らす。
 俺は、主人公はあえて凡人にした。そして、チートキャラクターを横に置いた。
 圧倒的な能力を持つ英傑でありながら、ユーモアも忘れない。未熟な主人公をからかい、おだて、挑発しながらも、いざとなれば凄まじい戦闘力を発揮し、助けてくれる。
 人柄も実力も、まさにチート。そんな先輩キャラクターを。

 モデルにしたわけじゃない。ビジュアルも口調も、なにひとつ寄せてはいない。だいいち二人組ではなく、ひとりのキャラクターに集約した。だから、百人中百人にも、千人中千人にも、バレない自信がある。
 ひとつだけ、自分がニヤつくためのフックを作った。
 髪には、銀白のメッシュが入っている。


 連載は、予想以上のアクセス数と高評価を叩き出した。
 テンプレな異世界で入り口を広く取りつつ、俺の得意とする細かい設定や描写を要所に散りばめたのが、読者にひと味の違いを感じさせて、うまいことハマったらしい。
 物語はバトルロイヤルのフォーマットを取った。小国が割拠する大陸で、世界を統べるたったひとつの宝冠を求めて、王たちが競いあう。シンプルな構図に、各国の特徴や歴史、王たちの生きてきた過去を丹念に描き込むことで、読み手の情緒をかき立て、思い入れさせていく。
 主人公はとある弱小国の後継者だ。先輩キャラは大陸でもっとも広く強大な国の王で、宝冠争奪戦を盛り上げるために、主人公をはじめとする小国の王たちを煽り奮い立たせている、という設定だ。
 物語の発端で主人公の出逢う人物が、憧れの対象となり、いつか越えるべき相手となる。王道だが、異世界チート+バトロワの枠でやると、わりと新鮮に見えたらしい。コメントに、オレツエーならぬパイセンツエーじゃん、などと書き込まれていた。うまいこと言いやがって。
 閲覧数はどんどん増えて、電子と紙で発売したコミックスの売上も上々。アニメの企画が走りうるラインに達した、と担当に言われて、テンションが上がりまくった。そりゃもう。
「この波を逃さないように、連続更新しましょう! 年末年始の休載は無しで行きませんか?」
 なんて鬼畜の提案に、即座に頷くくらいに。


 そんなわけで、年の瀬の十二月三十一日も、俺はひとりペンタブに向かい、黙々と作業をしていた。
 テレビでは年末恒例の音楽番組「ブラック・オア・ホワイト」が、佳境の結果発表へと差し掛かっていた。目は上げない。結果なんて、見なくてもわかる。去年も一昨年もその前も、総合優勝はRe:valeだった。今年のRe:valeもすごく良かった。トリに相応しく、ヒット曲の数々に清新な新曲を添えて、歌もパフォーマンスもそりゃもう最高だった。ちょいと形式が変わったからって、揺らぐわけはない。
 ミスター下岡が気合いの入った巻き舌で発するRe:valeの「r」を聞いて笑い、年を越す。それが俺の年末だ。

 けれど、今年の大晦日、コールされたのは。

 手から力が抜けて、スタイラスペンが落ちた。かつん、と小さい音を立ててペンタブの上に着地し、そのままデスクの上を転がっていく。
「嘘だろ……
 お前ら、お前、なあ。
 あんな挑発の歌を歌っておいて、負けて泣いてんじゃねえよ。
 あんな綺麗な歌を歌っておいて、泣いて謝ってんじゃねえよ。
「ごめん。ごめんなぁ……
 気がつけば、泣いてるのも、謝ってるのも、俺だった。
 なんで泣いてるのか、謝ってるのか、なにがこんなにしんどいのか、わからない。わからないけれど、ただ、悲しかった。
 壊れちゃいけないものが壊れた。そんな気がしたんだ。

 □     □     □

 正月の三が日、不眠不休で、すべてのプロットを練り直した。
 担当にメールで送信する。返信はすぐに届いた。そこから何度かやりとりをして、結局は通話になった。難色を示された、わけではない。俺の提案に対して、きちんと話がしたいと、向こうが電話をかけてきたのだ。
『やりましょう。その展開。多少、冒険にはなりますが……
 言質を取った。思わずふうっと息を吐いた俺の耳に、担当の声が届く。
『描きたいように描いてください。きっと今じゃなきゃ描けない、今だけ描けるものになると信じています』
 入社そろそろ六年、マンガ編集者歴そろそろ三年、俺の担当歴半年の編集者は、実に頼もしい。


 先輩の王は、負けた。
 導いてきた主人公に――ではない。そんな展開、俺も、俺の読者も望んでいない。
 宝冠争奪戦の最中に現れた脅威、世界の間隙に巣食う存在にひとり立ち向かい、そして、破れた。

 死に瀕し、初めての涙を見せて、彼は謝った。己の敗北を。期待に応えられなかったことを。
 主人公は、それに答えた。

 貴方がいたから、俺は、俺たちは、ここに居る。
 貴方が守ってくれたこの世界に、立っている。

 □     □     □

 台詞、作画、仕上げに至るまで。この回だけはアシスタントを入れず、ひとりで一心不乱に、魂を込めて描いた。
 自己満足の極み、低評価爆撃も覚悟していたが、反響は大きかった。幾人かの読者が熱いコメントとともに拡散し、それがマンガ読みインフルエンサーの目に止まってさらに広がり、うまいタイミングで担当編集が出した全話無料開放の施策がみごとにハマって、ものすごくバズった。
 作品に込めたものは、当然、誰にもバレてはいない。……はずだ。
 俺はプロだよ。プロだから、わかりやすく影響なんて受けちゃいけない。いや受けまくってるけど、少なくとも読者にそうとわかるかたちで作品に出しちゃいけない。
『えー。パイセン負けると思わねぇじゃん敗北フラグなかったじゃん? もしかして全滅エンド?』
『チート先輩まじで退場? 復活フラグもないし。やっぱ主人公を食い過ぎたからか』
『いや急展開すぎだろ。何のフラグもなしにこんな敵を出してさ。異世界ものって迷走しがちだよな。打ち切りか、テコ入れか?』
 読者の勝手な予想を流し読む。
 壊れたらもういちど作り直せ。死んだらもういちど生き返れ。
 すべてのフラグを折り、すべてのフラグを立てろ。


 盛り上がりの中、アニメ化の企画が走り出した。深夜アニメ、とりあえず1クール。
 映像化は諸刃の剣でもある。コケてしまったら放映終了後に原作ともども「終わったコンテンツ」扱いされる危険性が高いからだ。
 だが、俺にとってこれは、一生に一度のチャンスかもしれない。だったら、ひとつだけ、わがままを言ってみたい。

 無謀もリスクも承知の上で、担当編集に言ってみた。『Fly! More Liberty』をオープニング主題歌に使うことはできないだろうか、と。

 制作会社やレーベルの問題がありますし、難しいと思います。そう言いつつも、頼りになる担当氏は、交渉と問い合わせに駆け回ってくれた。
 数日後。メールもメッセージもすっ飛ばして、電話があった。
「岡崎事務所から連絡がありました。オープニング使用、OKです! 制作委員会の了承も得られました。ただ、ひとつ条件があって」
「条件? 制作委員会から?」
「いえ、岡崎事務所のほうです」
 芸能事務所からの条件ってなんだ。しかし本当にFMLが使えるなら、どんな無理難題だって受けてやる。と奮い立ったが、担当編集の声は、妙にニヤついていた。なんだなんだ。
「オープニングとは別に、新曲を書き下ろすので、エンディングテーマとして使ってほしいそうです。おふたりとも作品を読んでくれて、気に入ったので、ぜひ曲を書かせて欲しいと。Re:valeの新譜として、両A面で発売します。レーベルの折衝は向こうがやってくれるそうです」
 担当の言葉が、耳からざぶんと入ってざぶんと抜けていく。
 読んだ、だって? 誰が? 何を?
 曲を書く、だと?
 アニメ化っつっても深夜1クールだぞ。WEBコミック発、凡百の異世界ファンタジーだぞ。トップアイドル様が自ら書き下ろした新曲を提供するような企画じゃない。
 俺のマンガが気に入ったので、曲を書かせて欲しい?
 イカレてやがる。

 だが、そんな奴らだから、Re:valeなんだよな。あんな挑発の歌も、あんな綺麗な歌も、書いちまうんだよな。
 いつだって自由に、高く、飛んでいく。
 ふたつの翼で。

 ――俺の、絶対王者先輩。


(feat.『Fly! More Liberty』)

3. there's

 サプライズの豪華な前座が終わり、ゼロアリーナは、さらなる期待と興奮のざわめきに満ちていた。
 二階スタンド席から見下ろすペンライトの海は、ゆるやかに波打っている。ふたつの色は偏ることなく、きれいに点在していた。まるでふたつでひとつ、ひとつでふたつのように。

「はい、お父さん。これ貸してあげる」
 隣の席からぽんとリレーバトンのように手渡されたのは、そのペンライトだ。可愛らしい色あいの、ペールグリーンとビビッドピンク、二本でワンセット。ペールグリーンにはYUKI、ビビッドピンクにはMOMO、と白文字のロゴが入っている。
「お父さん、最近は肩がしんどそうだし、ペンラ振るのはつらいかなって思ったけど、やっぱりないと手持ち無沙汰っぽかったから」
 ここのところ四十肩で腕を上げるのがつらいことも、前座でなんとなく居心地が悪かったことも、すべて見抜かれている。さすがわが娘。
 口惜しいような、頼もしいような、くすぐったい気分をごまかすために、ひとつ咳払いをしてから、ありがとうと礼を言った。それから、ふと気になって聞いてみる。
「お前これどうしたんだ。自分のぶんは?」
「もちろんあるよ!」
 娘の膝の上には、もうひと揃い、同じペンライトセットがあった。
「ソロ曲では色を揃えたいなって思って、二セット買っておいたんだ。でも、普通の色変えできるやつは持ってこなかったから、シャッフルユニットに対応できなかったのは残念だなあ」
 そう言いながら、手首にストラップを通し、カチカチとスイッチを押す。テスト点灯をしているらしい。
 真似をして、ストラップに手をくぐらせて握り、カチン、カチンと一本ずつスイッチを押してみた。思ったよりもずっと眩しく、鮮やかに、ネオンめいたグリーンとピンクの光が灯る。

 ペンライトがライブ必携アイテムになったのは、いつ頃からなのだろう。
 なにしろライブ鑑賞が久々すぎる。記憶を辿れば、結婚前、妻とのデートで、ゼロのライブに行ったのが最後だ。奇しくもその時と同じゼロアリーナの、リニューアル記念のこけら落とし公演に来ている。
 ペンライトのスイッチを切って、隣の娘を横目で窺う。ステージを見つめるわくわくとした横顔は、いつもより少し幼く見えて、微笑ましい。

 デートの日の妻も、一心にゼロへと声援を送り続け、ライブのあいだじゅうほぼずっと横顔しか見せてくれなかった。隣の恋人を差し置いて、ゼロだけに向ける熱い眼差しに、ちょっぴり嫉妬めいた気持ちを抱いてしまったが。
『楽しかったあ。今日はありがとう。ゼロのライブに、ふたりで一緒に来ることができて、本当に嬉しい!』
 終演後、まだ冷めやらぬ興奮に頬を紅潮させたまま、きらきらと輝く瞳でそんなことを言われたら、降参するしかない。アンコールで歌われたメロディを、ふたりで交互に口ずさみながら、ゼロアリーナを後にした。

 その夜、プロポーズした。

 ♪     ♪     ♪

 ふたりで行ったライブ。ふたりで作った暮らし。そして授かった、たったひとりの娘。
 三人で過ごした日々は短かったけれど、娘はいまもこうして手もとにいる。思春期ど真ん中の中学生、難しい時期に差し掛かっているが、ライブに保護者として同行を頼まれるくらいには仲が良い。多分。おそらく。
 ――たとえ、そこに至った経緯が、ケンカすれすれのものだったとしても。

 正直に言って、Re:valeに特段の思い入れはない。どころか、今回のゼロの曲のカバーについては、あまり好意的な印象は抱けなかった。
 あの日のゼロライブでのアンコール曲。妻との思い出に繋がっているゼロの代表曲『Dis one.』を、バラエティやドラマで人気のアイドルグループが歌う。しかも原曲とはかなり印象の違った、アレンジの施されたカバーだという。
 ゼロアリーナで、ゼロの曲を、自分たちが歌いやすいように歌うなんて、少しばかり傲慢じゃないか。第一、ゼロへのリスペクトを謳うなら、原曲のイメージを大切にするべきだろう。結局はゼロにあやかりたいだけではないのか。
 そんな考えをうっかり漏らしてしまい、娘とちょっとした言い合いになった。
「ゼロ党みたいなこと言わないでよ。Re:valeは作詞も作曲もぜんぶ自分たちでしてるんだよ。きっとすっごくいい曲になってるよ」
「まあ原曲がいいからな。どうアレンジしたってそこそこ格好はつくだろう」
 アイドルの小手先アレンジでも、うまく仕上がるだろう。というフォローのつもりだったが、完全に逆撫でしてしまった。
 娘はまなじりをきっと上げて、叩きつけるようにスマートフォンをテーブルに置いた。画面には、チケット先行申し込みの入力フォームが表示されている。
「申し込んで! ライブで聴いてよ! ぜったいぜったい、かっこいいんだから!」


 レーザーグラフィックで描かれたRe:valeのロゴが観客席を照らし、交差して走り抜けた。ひときわ歓声が高まる。いよいよだ。
 ステージに、豪奢な椅子に身を預けたRe:valeが姿を現す。絶対王者の名に相応しい、威風堂々とした登場だった。
 そこから一転、親しみやすい笑顔となり、楽しいやりとりをまじえながら過ごした年月への愛と感謝が語られるMCは、これまでの彼らを知らずとも、ぐっと来るものがあった。
 まわりのファンたちは、ある者は笑顔となり、ある者は鼻をすすり、いずれもみな瞳を潤ませている。
「大好き……Re:vale、大好き……
 横の娘が口を押さえて、嗚咽のような囁きを漏らした。隣の父親のことなど完全に忘れて、食い入るようにステージを眺めている。こっそりと苦笑した。血は争えない、というやつだろうか。
 五年分の感謝を込めて、と冠され――曲名がコールされる。
 モニタに映し出された銀色のRe:valeのロゴが閃き、その曲の名へと姿を変じた。
 Re:valeで、『Dis one.』。


 イントロが流れ出す。レーザーの乱舞とともにかき鳴らされるエレキギター、のっけから威勢よく叩かれるドラムに、度肝を抜かれた。予想だにしなかった激しい曲調に、口がぽかんと開く。原曲とのギャップが凄まじい。いきなり横っ面を引っぱたかれたような気がした。
 でも、決して嫌な気分ではない。
 白のジャケットにグリーンを差し込んだ衣装の方が、確か、千。長い髪をひるがえして踊る姿は、ステージによく映えている。
 歌い出しは千から。轟音のオケに負けない、深みを湛えつつ伸びやかなボーカルが真っ直ぐに耳朶を打つ。
 数小節を歌い終えて、わずかに下がる。てのひらを広げ、誘うように、願うように、もうひとりへと場を譲る。
 黒のブルゾンをピンクで縁どった衣装の方が、百。メッシュを入れた短髪が、ステージで跳ねる。
 ふっ、と息を吸い込む音がした。気持ちごと吸い込むような、美しいブレスだった。
 流れ出した歌声は、少年のように明るく伸びやかで、それでいて繊細な響きを帯びていた。バラエティで幾度となく聞き流していたはずの声なのに、いま聴いているこれは、どうしようもなく歌だった。歌声だった。
 ソロパートを過ぎ、サビに入る。声がクロスし、ひとつになった。異質な声のふたりなのに、重なりあえば輪郭がなくなるほどに溶けて、熱く揺れるゼロアリーナを満たしていく。
 切々と歌い上げるゼロの『Dis one.』とはまるで違う。しかしこれは、これこそが『Dis one.』の解き放たれた姿なのかもしれない。往年のファンですらそう思わせられる、魂に訴えかける強い強いロックチューンだった。
 ステージ上のふたりは、とても楽しそうだ。弾むように響きわたる歌声、身体のすべてを使い切って踊るダンス。ふたりで歌い踊る幸せが、たくさん伝わってくる。
 千が歌う。百が歌う。ふたり、声をあわせて歌う。
 ――あの日の帰り道、妻と、かわるがわる口ずさんだように。
「ああ……そうか……
 ペンライトを振りながら、声が出た。
 ふたりで歌うために、歌詞がひとりずつに割り振られている。けれど、分かたれてしまったわけではない。追いかけあい、重なりあう歌声。重なりあうダンス。
 生まれ変わった『Dis one.』は、ふたりで歌う、ふたりのための歌になっている。
 ひとりきりのゼロでは、歌えなかった歌だ。

 四十肩の痛みも、いまは忘れたふりだ。
 力いっぱい、勢いをつけてペンライトを振る。この光の飛沫が彼らに見えるように、少しでも届くように。
 会場はペールグリーンとビビッドピンクの海だ。みんな右手と左手に一本ずつ持っている。ふたつでひとつ。ひとつがふたつ。
 2コーラス目、タイミングは覚えた。
 娘と並んで、小さくジャンプした。

 ♪     ♪     ♪

 会場先行発売のCDは、二枚買った。自分の分と、娘の分と。
 先日の言い合いの完敗を認めて、というよりは、Re:valeの『Dis one.』を教えてくれてありがとう、の気持ちを込めて贈る。
 帰り道の車の中、助手席の娘が、さっそく開封したCDをカーオーディオにセットした。ボリュームをめいっぱい上げて、ライブの音が、熱が、いつまでも胸に留まるように、Re:valeの『Dis one.』を聴く。
「次、インスト。私は百ちゃんのパートを歌うから、お父さんは千さんのパートね」
 有無を言わさず千パートの担当にされた。千担。悪くないな。
 インストゥルメンタルにのせて歌いながら、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。足がだるい。明後日あたり、酷い筋肉痛になるだろう。それもまた愉快だ。
 運転に気を取られて、歌い出しはミスるし、コーラスは音程を外すしで、歌うより笑い転げてしまう時間の方が長かったけれど。
 ふたりで分けあい、重ねあって歌った。

 信号待ちに、間奏で息を整えながら、かたわらの娘を見る。
 愛する家族と、好きなものを教えあって、時にはすれ違ったり、些細なケンカもしつつ、一緒に暮らしている。
 ふたりで同じ歌を歌いながら、同じ場所で暮らしている。

 それはなんて、幸せなことだろう。


(feat.『Dis one.』)

4. a song here

 ずっと、側にいてくれた曲がある。

 ◆     ◆     ◆

 初めて聴いたのは、大晦日。ブラック・オア・ホワイト ミュージックファンタジアのステージの中継だった。

 私が小学生の頃、わが家の年越しは、ブラホワを見ながらの一家団欒が恒例になっていた。
 その年のブラホワは、男性アイドル部門がとにかく熱くて、興奮してずっと母や弟と語り合っていたら、父がリモコンを手に取った。
「総合部門が始まってるぞ。ちょっとお前たち、静かにしてくれ」
 そう言ってテレビの音量を上げる。挑戦者のひとり、女性歌手の歌が流れていた。
「総合優勝を見ておかないと、年明け、会社で話が合わなくてなあ」
「ごめんごめん。まあ、優勝はきっとRe:valeでしょ」
「いやいや、分からんよ。なにしろ今年はスキャンダルで荒れてたし」
「スキャンダルって。音楽には関係なくない?」
「でもなあ、歌は、人が歌うものだから。一般投票がどうなることか……お?」
 父親の声がちょっと変わった。つられてテレビのほうを見る。
 ゆったりとした純白の衣装に身を包んで、Re:valeが出てきた。
 ブラホワ用の新曲は、今日が初披露だ。画面の下に光の帯が流れてきて、テロップに変わる。

『t(w)o』 Re:vale
 作詞:春原百瀬
 作曲:折笠千斗

「え?」
 え、え? と思っているあいだに、曲が始まった。
 ステンドグラスからこぼれた陽射しのような、きらきらの前奏にのせて、ふたりが瞳を交わす。互いに手を差し伸べあい、指を絡ませた。
 百がすうと息を吸って、歌い出す。
 爽やかで、どこか懐かしい旋律。信じる気持ちを、繰り返す誓いを、真っ直ぐに伝える歌。

 クレジットは本名なのか、ペンネームなのか、そもそも彼らのことなのかどうかも分からないけれど。
 ふたりの歌声から、曲と詞に込められた想いが伝わってきた。
 この綺麗な曲の前では、ひどい噂なんて関係なかった。むしろ噂がひどかったぶん、見つめあう表情、甘く優しい歌声から、彼らのあいだに流れる絆と信頼の強さ、未来へとつなげていく決意の固さが、ストレートに響いてくる。

 そしてRe:valeは、総合優勝を勝ち取った。

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 二番目の思い出は、冬の終わり、春の始め。別れの季節。

『t(w)o』は、発売当初はいつものRe:valeの新譜らしい売れ方だったけれど、いちど圏外に落ちて少し経ってからなぜかまたランキングに返り咲いて、そこからどんどん、耳にすることが増えていった。
 理由は、近づく春。卒業ソングの新定番として、すごい勢いで広がっていったのだ。
 その年だけの現象ではなかった。毎年、春になるたびに、学校で、街中で、またテレビのなかで、卒業式の象徴として歌われ、使われ、流れるようになった。
 優しく希望に溢れる旋律と、過去から未来へと向けた前向きな歌詞。なるほど卒業式にぴったりの歌だろう。

 うちの中学も、ご多分に漏れず。
 三月。咲きほころんだ桜も身を竦めるような、花冷えの日。卒業式での全校合唱曲として歌われた。
 百のパートを在校生が、千のパートを卒業生が歌う。
 私は二年生なので、百のパートを歌った。先輩たちは、千のパートを歌う。
 先輩。先輩のことを考えながら、歌った。
 部活の、大好きだった先輩。初めて惹かれた人。
 卒業式だから。最後だから。ひとつだけ、お願いをしてもいいだろうか。
 ほんとうの名前みたいに、ほんとうの気持ちで。

「先輩!」
 顧問への最後の挨拶に、部室にきていた先輩を見つけた。
「ご卒業、おめでとうございます」
 頭を下げると、先輩は軽く笑って、ありがと、と言った。いつもと変わらない、明るくて気さくな声。
「あの、ひとつ、お願いがあるんです」
「お願い? なに、あらたまって」
 なけなしの勇気を振り絞って、言った。
「リボンタイ、貰えませんか?」
 女子の制服の胸もとを飾るリボンタイ。うちの中学校では、第二ボタンと同じ意味を持っている。
 先輩は、大きな目をさらに丸く大きくした。黒めがちの瞳が揺らめいて、ゆっくりと瞬きをする。
 戸惑いは、すぐに笑顔に変わった。
「いいよ」
 その場でしゅるりと外して、私のてのひらに落としてくれた。使い込まれた光沢のある、えんじ色のリボン。
――お元気で。がんばってください」
 それしか言えなかった。

 好きです。好きでした。
 言葉は溶けて、舞い散る花びらとともに、空へと上がっていった。

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 みっつめの記憶は、がやがやと騒がしい人の渦。学部合同の新入生歓迎会。

 壁を抜いて広く取ったパーティールームには、カラオケが備えつけられていた。
 主催の用意したアトラクションが終わった後は、新しい友人との距離を縮めるべく、飲んで食べて、談笑をする人が多かった。少し古ぼけたカラオケセットは、ごく控えめな音量で伴奏を務めて、歌いたい人がのんびりと歌っている。
「あれ、これ入れたの誰? デュエットじゃん、やるねえ」
「いや待て男同士のデュエット曲じゃねーの。なーんだ」
 そんなやりとりが聞こえて、壁掛けのディスプレイを見る。

 映し出されているタイトルは『t(w)o』だった。
 どきん、と心臓が鳴る。

「私! 春はやっぱりこれを歌わないとね」
 もう一回、どきん、とした。明るくて気さくな声。何年経っても変わっていない。何年経っても忘れられない。
 先輩だった。

 追いかけてきた、わけではない。この大学に進学したらしいとは聞いていたけれど、あえて確認したり、探し出そうとはしなかった。
 想い出には鍵をかけておく。それがいいと思ったのだ。
「ハモり、誰かよろしく!」
 その言葉に、思わず立ち上がった。こちらを見た先輩が、あれっと驚いた顔になって、それからぱっと破顔した。ぎこちない笑顔で返し、差し出されたマイクを手に取る。歌詞はぜんぶ諳んじている。あの日から、どれだけ聴き込んだことだろう。
 きらきらの前奏は、カラオケのぼやけた音源でも、やっぱりきらきらしていた。
 先輩は、マイクを胸もとに下げて、じっとこちらを見ている。
 歌い出しは私から。百のパート、在校生が歌うパートだから。
 続けて先輩が千のパートを歌う。卒業生が歌うパートだから。

 もう、在校生と卒業生じゃない。これからまた同じ時間を分けあえる。
 声を合わせたユニゾンで、先輩がこちらを見て、笑った。あの頃と同じ笑顔。
 鍵が、カチリと開く音がした。

 駅までの帰り道、先輩とふたり、並んで歩いた。
「卒業式の日、リボンタイが欲しいって言ってくれて、少しびっくりしたけど。すごく嬉しかった」
 私も、先輩も、酔ってはいなかった。ふたりとも未成年だし、飲むよりも、話をするほうがぜんぜん楽しかった。
「ずっと、いや、ずっとは言い過ぎかな。ときどき思い出して、ときどきドキドキしてたよ」
 ときどき、ドキドキ。
 耳に残るピアノの響きが、先輩の声にかわる。胸をノックする。


 春は、これを歌わないと。
 そう言った先輩だけど、だいたいどの季節にも歌っていた。

 夏合宿をふたりで抜け出した夜、海辺を歩きながら口ずさんでいた。
 金色の葉が舞い散る道で、銀杏を拾う指先に合わせてちいさくハミング。
 ストリートピアノでたどたどしく前奏を連弾した日は、初雪が降っていた。

「刷り込み、しようと思って」
 どうしていつもこの歌ばかり、と聞いたら、そんな答えが返ってきた。
「刷り込み?」
「そう、刷り込み。このへんに」
 私の額に指をあて、ぐりぐりと捏ねる。ちょっぴりいたい。
 なんだかよく分からないけれど、先輩はすごく楽しそうで、どこか悪そうな顔をしていた。

 ◆     ◆     ◆

 思い出は星の数ほど生まれた。ふたりで何度でも歌い、何度でも聴く。

 式、という名のつく場に、とてもよく似合う歌なのだと、いつしか気がついた。
 歓びと信頼を未来に結ぶ、はなむけの歌だからだろうか。
 卒業式。入学式。
 そして。

「家族と、共通の友人を招いて……職場で打ち明けているひとも、何人か。これで、三十人ちょっとです」
「いいくらいじゃない? あまり大がかりになりすぎなくて、でもしっかりと祝ってもらえそうで。このへんのプランでどうかな」
 式場はふたりで探した。キーワードは虹。花嫁ふたりの式を、快く受け入れてくれるところ。
「あと、入場曲のリクエストを聞いてくれるところじゃないと!」
「先輩、そればっかり」
「入場も出棺も、曲だけはもう決まってるからね」
「またそれ~……
 最近の先輩の口癖だ。何かにつけて、人生さいごの式にも、この曲をかけてほしいと言う。気持ちは分かるけれど、人生で最高の式の前にする話じゃないと思う。
「縁起の良い話も、縁起の悪い話も、一緒にできるようになりたかったんだ」
 そんなふうに言われると、あまり強い文句は言えなくなってしまうけれど、もっと一般的で、分かりやすい成句があるのに。
 やめるときも、すこやかなるときも。


 招待状に手書きのサインを入れていく。白いカードに並んだふたりの名前を眺めて、ふと、初めてあの曲を聴いた時のことを思い出した。

 作詞:春原百瀬。
 作曲:折笠千斗。

 本名だったと、後になって知った。ほんとうの名前で、ほんとうの気持ちを奏でていたのだと。
 私たちも、名前を並べる。
 ほんとうの気持ちを重ね合わせて、永い歳月を、寄り添って生きていく。

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 ずっと、側にいてくれた曲がある。
 その旋律は、心に光を降り込めるように、きらきらと輝いていた。

 懐かしい家族団欒の夜。桜散る花冷えの日。賑やかな人混みの中で。ふたりで過ごした沢山の瞬間。
 人生で最高の日、ふたりで未来を誓うときにも。
 人生で最後の日、あなたが空へと還るときにも。


 ずっとずっと、側にいてくれた。


(feat. 『t(w)o』)


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