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キリシタンすり抜け主④伯仲編〜長義と国広〜

2025-01-28 20:14:58

長義が赴任する経緯
③→https://privatter.net/p/11275650

1〜2pこぼれ話②まんば修行後
3p こぼれ話③長船の祖と監査官
4p こぼれ話④長義と国広〜写し談義〜
5p こぼれ話⑤本科と稽古
6p こぼれ話⑥長義せんせーと主
7p 〜11p 長義と国広〜感動が繋ぐ物たち〜
12p 足利めぐり、その後
13p〜16p 願えば星すら撃ち落とす〜山姥切国広〜
17p 政府にて〜鶴と長義〜(鶴丸、主、長義)

修行を終えて帰ってきた山姥切国広は、初の現世警護の任を果たして本丸に戻ってすぐ
「目が覚めた。俺が間違っていた」
と慌てて道場に駆け込んできた。

「なんだあの警備の心許なさは。写しがどうのと言ってる場合じゃない。オレ一人しかいない中、以前のような襲撃に遭ったらどうするんだ。加州清光、すまないが今すぐ稽古をつけるか戦場への出撃許可を出してくれ。じっとしてなどいられない」
…………気合いはいい事だよ………朝の三時だけどね………
「すまない、どうしてもじっとしていられなくて」
…………いや…………あんたに限った話じゃないから……結構いるよ現世警護終わってすぐ駆け込んで来る刀…………朝三時だけど………
「すまない」

「それはそうと、加州、急いで聞いて欲しい話が」
「今度は何……顔洗って目ぇ覚まして来るからちょっと待って……
「本科が主に現世での手入れを教えている」
「はあ!?」
今度こそ加州清光は飛び起きた。
「ちょっっと待てよ、嘘だろ!? 手入れ部屋以外での手入れは厳禁だろうが!! 霊的に充分整えた手入れ部屋以外で行う手入れは、通常の何百倍も霊力を要求して命を縮めることもある! それでも失敗する確率の方が高いから禁止なんだろうが!!」
「それが、オレたちの主は一般的な審神者の数百、下手をすると数万倍の霊力を潜在的に有している可能性があるらしい。だから、丁寧に訓練すれば安全に行える可能性があるとかで」
「ふっっっざけんなよあの政府の犬!! 主みたいなタイプにそんな選択肢与えたら身を削るまでやるに決まってんだろうが!! あ゛っ、ちょっ、待て、やば、こんなこと鶴丸の奴に聞かれたら」
「────そうだなぁ、ブチ切れるなぁ」

サァァァと青くなった加州清光と山姥切国広が振り返ると、そこには音もなく現れた白い幽鬼が笑顔を貼り付けて立っていた。

「なるほど、なるほど? 帰るなりゲートを飛び出して妙に青い顔ですっ飛んでったと思えば、それでか。主にそんな真似をさせないためには、迂闊に現世で怪我などできない。なら自分が強くなるしかない。シンプルで殊勝な心掛けじゃないか、なぁ? 山姥切長義を本歌に持つ国広の傑作、山姥切国広よ」
「あ、の、鶴、丸国永、その」
「きみの本歌は随分勝手をしてくれるんだな? ……あのなまくら野郎、首の骨ブチ折られないと懲りねえのか」
「ちょっっっっっっっと待て待て待て待て待て鶴丸!!!! 気持ちは分かるけど落ち着けマジでお前殺し屋の目してんぞ!!!!!」
「ははは、安心しろって、証拠は残さねえよ」
「安心できる要素がねえよ!!!! ちょ、山姥切ッ!! こいつ止めろ死ぬ気で止めろ!!! お前の本歌死ぬぞ!!!! ちょ、みんな起き、みんな起きろおおおおおおお!!!!」




「落ち着いて鶴さん!?」
「鶴丸しゃん待つばい!!」
「鶴丸さん、冷静になってください!!」
「そうですよ! 暗殺闇討ちはいつでもできます、まずは冷静に作戦を立てましょう!」
「作戦立てましょうじゃねえんだよ堀川国広!! 一緒になって焚き付けてどうすんだ!!!」
「そうだ鶴丸国永!! 総務番長の俺に断りもなく勝手に突っ走って一人で暴走するな!! 俺たちは仲間だろうが!」
「長谷部!」
「闇討ちなら当然俺にも噛ませろ!!!」
「長谷部ぇぇぇえええ!! この馬鹿野郎ども!!!」





政府と本丸を繋ぐゲートが開き、長義が足を踏み入れるや否や、一閃、鶴丸は刃を抜いた。

長義はじろりと見遣ったその剣閃を確かに見切った上で、抵抗せずに受けた。鶴丸の刃が、長義の首を刎ね飛ばす寸前で、頸動脈にぴたりと当てられる。長義は軽く両手を上げたまま、澄ました顔でいる。
「そろそろ来る頃だと思っていたよ」
「確かに言ったな、彼女に天寿を全うさせろと。だが、彼女の『天寿』を意図的に縮めようってんなら──……
「誤解だよ。あくまで彼女の申し出に応えたまでだ。何の訓練もなく我流でやる方が余程危ない」

長義は平然とした声で「本当はきみも分かっている、だろう? だから俺の首はこうして繋がっている」と告げて肩をすくめたが、鶴丸は氷のように冷たい目をするだけだった。

「いいかい。大事に大事に籠の中に仕舞っておいて、中で卵を潰して後悔するのはきみたちだ」

きみたちを慮って忠告しようじゃないか、と前置いて、長義は傲慢にそう告げた。

「彼女は無知だが愚かではない。自身の特異性を切り札として理解している」

「きみたちが主に力を尽くすように、彼女もまた本丸の主として力を尽くしている。その意思に応えたまでだ。学ぶ意思があるなら与えよう。求められれば応えようじゃないか。持てるものほど与えなければね」

ピリピリと空気が帯電するほどに長義を睨みつけたままの鶴丸に対して、長義は鼻を鳴らすと、余裕ある態度を改め、いささか冷たい視線を返した。

「きみは理解しているだろうからあえて念押しするが、きみとの盟約が破棄されれば、政府はすぐにでも彼女を罷免し中央に送り込む腹積りだ。そして盟約が破棄されるタイミングとは、きみが折れた瞬間に他ならない」

「きみたちの主は賢い。どれだけ事実を伏せても、感覚で感じ取っている。彼女は自らを守るため、それが必要だと理解しているんだ」

「ならばきみがすべきことは、俺を無意味に脅しつけることじゃない。俺から限界まで益を搾り取ることだ。違うかな?」
……
「彼女がもう一段力をコントロールできるようになれば、御神刀たちでも訓練に付き合えるだろうが……それまでは外部を頼る必要がある。そうだろう? 御神刀はそもそも甚大な神威に耐えられる身を持っている。脆弱な人の肉体に合わせて制御するのもさせるのも骨が折れるだろう。迂闊に弄れば暴走させるかもしれない、そう思ったから今まで彼女の自由にさせていたんだろう?」

「無意識に蓋がされている莫大な力を、暴走させずに扱えるところまで持っていく。そこまでが俺の仕事だ。後はきみたちで好きにすればいい」

「彼女の才覚は本物だ。迂闊に極限まで追い込まれれば、重傷の刀剣男士を前に無意識に力を暴走させて治癒を行おうとするかもしれないな。それこそ寿命を縮める行為だ。意識して訓練しなければ防げない」

「鶴丸国永という刀は、どれほど激情に駆られているように見えてもどこかで計算している。他の連中を下がらせて一人で来ているのが何よりの証拠だ。そろそろ無益なポーズはやめて、建設的な話し合いと行こうじゃないか?」
「意外や意外、随分とオレを買ってるんだな? 驚かせてくれるじゃないか」
「きみに負けず劣らず厄介な鶴丸国永と、業腹ながら長い付き合いでね」

鶴丸の冷たい声に、長義は肩をすくめた。

「今、きみたちの本丸の全ての統括は俺だ。だが、今後の政府の意向によっては、首がすげ変わる可能性があることを理解しておくといい」

「俺は彼女が自らコントロールできるところまで持っていくつもりだが、すげ代わった他の連中がどんな方針を立てるかまでは保証できないね。いつまでも制御が未熟なら、彼女自身が危険指定を受けて強制封蝋処置を受ける可能性もある。彼女への負担はその方が大きい。俺の指導は間接的に、彼女のリスクと負担を軽減している。ご理解いただけたかな?」
「気に入らねえなぁ? 半端なところで中断させればかえって暴走事故のリスクが上がる。そのつもりでオレたちに伏せて、先に彼女に教え始めただろう」
「否定はしないよ。こっちも任務なのでね」

火花の散る睨み合いに、最終的に刃を引いたのは鶴丸の方だった。
血振りし、ぴたりと納刀した鶴丸に、長義が半歩踏み出した瞬間、鶴丸は光速で抜刀した。

長義の足元の大地が、鶴丸の一太刀で真っ二つに割れる。
長義の前髪がわずかに散った。
「今回は引いてやるがな、次は無いと思った方がいいぜ?」

「きみの知り合いとやらは教えてくれなかったみたいだからなぁ、極上の驚きってやつを。瞬きする間も無く立ったまま地面と接吻させてやるぜ?」
……これだから」



《長船の祖と監査官》

政府派遣の監査官として訪れた山姥切長義へ
来客を迎え入れた燭台切光忠は、完璧な微笑みを浮かべた。

「長船の祖として、光忠ぼくらに限らず長船の系譜を継いだ子たちは、所属を問わず大事にもてなしたい所だけど……


きみが属する派閥が
主に仇なすなら話は別だ。


体感温度が五度は下がった。
蝉の鳴く外の暑さがひどく遠ざかる。

怒気混じりの殺気じみた激しい剣気が、ビリビリと長義の肌を舐めていく。
長義は笑みを維持したまま、ひく、と頬を引き攣らせた。

「ごめんね、きみたち山姥切長義に怨みは無いけれど、ちょっと歓迎できないかな」

穏やかすぎるほどの声音で、燭台切は表面上こそにっこりと微笑んだまま、黄金の瞳を仄暗く発光させ、明らかに限界まで瞳孔を開いていた。


この後、政府から派遣された教育係として、長義は審神者に教えを授ける手筈となっている。
故にこれは、明確な警告で釘刺しだった。彼女へ与えるあらゆる全てに、いかなる毒も含ませるな。さもなければ容赦はしないと。


極寒の空気が、鋭利に張り詰める中、あまりに不釣り合いに、燭台切光忠は「ふふ」と艶っぽく笑った。

燭台切光忠。
この本丸では、初鍛刀に次いで顕現された、最古参が一振り。


「時に歴史を護る任の成否より主人の安全を重く扱う要人警護本丸として、僕らをここに招いたのはきみたち政府だろう?」

だから、僕ら、この在り方こそが正しいよね
そう思わないかい?


じっとりと、粘つくような湿気を纏って、光忠の低い声音が長義へ同意を強要する。

賢明な沈黙を選んだ長義に対し、燭台切はまるでさも今思い付いたように首を傾げた。

「ああ、きみたち山姥切長義は、時の政府の黎明期に近い頃から彼らに手を貸してるんだっけ。顕現してまもない僕じゃ、まるで歯が立たないかもしれないね」

けど、鼠をあまり追い詰めない方が良いって

きみたち山姥切長義は賢い子たちだから、わかるよね?

鼠って本当に厄介でさ
鼠のせいで国が滅ぶ、なんて話もあるしね。

罪を犯した者が堕ちる灼熱地獄の炎は、何もかも飲み込むというけれど
はばき溶ける業火の中であろうとも、最後は主の元へ参じる
僕たち燭台切光忠は、元来そういう刀だからね


湯呑みに茶を一杯、無言で淹れて置いて立ち去った燭台切光忠を見送り、ピリピリと鳥肌が立った二の腕をさすり、長義は苦虫を噛み締めた顔をした。

「ブチギレじゃないか」

まあ、狂った鶴よりは万倍マシだが。

燭台切が居なくなった部屋で深々と嘆息し
置かれた茶に口を付けた長義は、苦そうに舌を出した。
「薄っ




《山姥切国広と山姥切長義について〜写し談義〜》

「自分に写しがいるって、どんな感覚なんだろ」
「さあな、人それぞれ、刀それぞれってやつじゃないか」
「わたし、写しってどういうものなのか、全然知らないんだ。長義せんせーやまんばちゃんに聞いていいことか分からないし、けど、少しでも理解したいんだ。あのね、鶴るん、少し教えてもらってもいーい?」
「いいぜ。写しは一般に、刀工が腕を磨く目的で打たれる場合もあるが、本科の所蔵元から正式な依頼を受けて、本科が持ち出せない場合などに身代わりとして打たれることもある」
「身代わり?」
「実践刀としての価値と美術品としての価値は、時に相反するからな。たとえば脂を落として展示を頻繁に繰り返すと鉄は消耗する。それを防ぐために写しを打ち、写しを展示する。そういった場合もあるな。実践刀としては言わずもがな、使用するということは折れる可能性もあるということだ。だから写しを戦に出す。身代わりというのは、そういった目的で作る写しのことだな」

「そっか。……
「どうした? 浮かない顔だな」
「もし、自分に双子の兄弟がいたとして」
「うん?」
「自分が安全なところにいて、双子の片割れだけが自分の代わりに危険な場所に連れ出されたら、それは、……とても苦しいことだと思う」
彼女はスッと顔を上げた。
「そんな状況が、どんなに泣いても叫んでも決して変わらないのなら。……考えて考えて、私は、きっとこう言う。あれは、自分の写しなんかじゃない、出来の悪い偽物だ。だから、あんな出来損ないを身代わりにするのはやめて、自分を戦場に出せ、って」

鶴丸国永は少し目を細めて穏やかな目をした。相手の立場に立って寄り添おうとする主の善性と、どんな態度にも純粋な善と優しさを見出そうとするお人よしさに対してだ。彼女は続けた。

「刀にとって、……いや、その人、その刀、それぞれにとって。感じることは違う。刀として実践で振るわれたければ、武功を取られて写しばかりが重宝されると苛立ちを感じることもあるかもしれないし、全く別の思いがあるかもしれない。心の内はその人その刀のもので、誰にもわからない」

「でも、私だったら、どうだろうって、考えることはできる。考え続けないと、わからないことはたくさんあるから」
「そうだな。きみのその姿勢は尊いと思うぜ。失わないようにな」
「うん、ありがとう」

「聞いていいことなのか、わからないけど」
「なんだい?」
「他のみんなにも、写しっているのかな」
「刀剣男士って意味じゃなく、刀そのものを指すなら、いるぜ。何を隠そうこのオレだな」
「! 鶴るんにも?」
「ああ。とはいえ、実を言えば、オレは見たことがないんだけどな。オレよりきみの方が余程歳が近いぐらい若い刀なんだ。世代があまりにも離れすぎてて正直ピンと来ないぐらいでな」
「聞きたい、鶴るんの話。もっと聞きたい。だめかな」
「構わないぜ。といっても、本当にオレから語れることは少ないんだ。オレは所蔵元が所蔵元だからな、脂を落として宮の外で展示されることは稀で、人生で一度見れれば幸運といったところだった。だが、打たれて千年の時を超えても、やっぱりオレは相当の人気物でな。一目みたいという声が後を絶たなかった。その声が特に大きかった時代の一つが、平成の終わりから令和の初期にかけて。この時期に写しが打たれ、京都のとある神社に奉納された」

滑らかにそう語った鶴丸は、パッと両手を開いた。

「ということを情報として知ってはいるが、オレは実物を見たことがないんでな。ま、世代を考慮すれば、兄弟どころかひ孫か玄孫みたいなもんさ、いくらなんでも張り合うほど大人げなくないぜ?」

鶴丸は投げ出した片脚でとんとんと地面を叩きつつ、軽やかに自身の太刀を肩に負った。

「いいじゃないか。墓が暴かれるでもない、神社から取り出されたって話も聞かない。そんな健全な形で、多くの人間に望まれて姿をみせる。オレの代わりにそうやって、オレを語り継いでくれる人々の前に出る役目を果たしてくれてるんだ。感謝こそすれ、厭う気持ちはないさ」

穏やかに笑った鶴丸は、けれど、次いで肩をすくめた。

「だが、それはオレと写しの立場がはっきりしているから言えることだろうな」
「立場?」
「そう、逸話の混同。本歌と写しの間には、語り継がれるべき逸話の混乱が生じることがある。語り継ぐ中で、どちらが本物でどちらが写しか分からなくなったり、写しの逸話が本歌に誤って逆輸入したりすることだな」

「付喪神にとって、逸話の侵食は存在の侵食だ。直結して命に関わる。とてもじゃないが看過できない。そういう問題を孕むこともあるのさ」

それを聞いてから、単に「仲良くして欲しい」では済まない問題を孕んでいるのだな、と主は理解し、「長義になぜ偽物と呼ぶのか聞く」ではなく
「偽物と呼ばれてまんばちゃんは苦しくないか、わたしにできることはあるか訊ねる」
「写しと共に過ごすのはたくさんの問題を孕んでいると聞いたが、自分にできることはあるか長義に訊ねる」
というスタンスを選んだ。

まんばは既に極めていて「写しであることはオレの物語の一側面、だから本科を含めて、周囲がオレをどう呼称するかもオレの物語の一側面でしかない。オレはあんたの刀だから、あんたがわかってくれていればいい。全てオレだ」と答えた。
一方、長義せんせーは「きみの持ち物に対してそういった呼称をきみの前で使ったことは謝罪しよう。だが、理解して欲しいが、人間というものは時の流れの中ですぐに伝承を曖昧にしてしまう。このオレこそが山姥を切った刀、奴はあくまでその写しだが、こうしていつの間にか山姥を切った刀は最初から奴であったかのように伝承は歪みつつある。立場をはっきりさせることは、オレたちの存亡に関わる重大な問題なんだ。オレ以外の全ての山姥切長義のためにも妥協は許されないし、本歌が揺らげば写しもまた揺らぐということを理解して欲しいね。きみが写しを思うなら、近視的な視野であってはいけない、わかるかい?」
と講師らしく理路整然と答えた。

「まあ、きみへの謝罪代わりに一つだけ俺の口から言えることがあるとすれば、仮に刀工国広が打った刀が下手な出来であれば、誰も奴を山姥を斬るほどの刀だと呼ぶことは無かっただろう、ということぐらいかな。それが幸か不幸かは分からないがね」

なお、写しを持つ刀は数あれど、本科と写しが両方とも重要文化財に指定される実例は他に皆無だそう。
その事実を知ったのは後々のことだ。

山姥切長義は生来打刀ではなく、擦り上げられて短くなり打刀となった本来長大な刀である。刀工長義の作風は元々長大な刀が多いことからも明らかであり、擦り上げ前の豪快な作風は打刀となった現在も残っている。

その一方で、山姥切国広は最初から打刀として打たれた写し刀である。
極限まで本科に姿を寄せることを目的とした現代的な写しと違い、山姥切長義とはあまり似ていない刀と評されることも多い。
山姥切国広が長義の写しとして打たれた刀であることは揺るぎないが、そもそも現代的な写しの技法ではなく、刀工国広の目指すところは、純粋な模倣では無かったと思われる。

なお、擦り上げ後の山姥切長義に銘を刻んだのは、なんと刀工堀川国広その人であるという事実も見逃せない。
打刀としての山姥切長義は刀工国広に銘を刻まれ、長義を元に山姥切国広は刀工国広の手で打たれた。
この二振りを巡る物語は、刀工堀川国広という男を挟んで、切っても切り離せないものなのだ。



ところで、山姥切長義は自身を『本歌』、山姥切国広は自身を『本科の写し』と表現する。
本歌と本科は、同様に『写しが元とした刀』を指す用語だが、含む意味合いは異なる。

本歌という言葉は和歌に由来する。
本歌取りとは、典拠のしっかりした古歌の一部を取り入れ、その背景を前提にして新たな作風で新しく和歌を読む技法のこと。模倣ではなく、教養を背景とした発展系の表現技法だ。

つまり、山姥切長義は、自身こそが典拠の明らかな古歌であり、山姥切国広はその一部を取り入れて新たな作風として膨らませて打たれた刀である、という事実を端的に表現する言葉として本歌を名乗っている。
一方、同じ意味で使われる『本科』という言葉にはそういった含みが無い。純然たる事実、本科と写しという関係性のみを示す言葉である。山姥切国広はこの言葉を使っている。

元来、山姥切長義という刀は、いささか回りくどい嫌味や含みのある示唆といった言動を上品に表現する気性の人物であり、頑なに『本科』を使わず『本歌』という言葉に徹する、そんな彼の含みは明らかだ。
一方、山姥切国広は不器用なほどに実直な表現をする人物として知られており、含みを持たない事実たる『本科』を使うことは彼の気性と合致している。

つまり長義は『自身の典拠こそが明らか』と『国広は自身の純粋な模倣とは異なる』ことを、本歌を名乗ることで同時に主張していると見ることができる。
それは、山姥切国広という刀が、長義の純然たる模倣ではなく、長義の要素を取り入れて打たれた国広の揺るぎない傑作である事実と照らし合わせれば。
見方によっては、長義の主張は、山姥切国広という刀が単なる模倣を超えた新たな作風、新たに打たれた傑作であるという事実までも、併せて示唆しているとも読めるだろう。

だが、それに実際にどんな意味合いを含んでいるかを自ら述べることはほとんどない。
その胸の内について長義自身が語らない以上、理解は周囲の判断に委ねられていると言っていいだろう。

ただ、この本丸に講師として来訪した、政府所属の山姥切長義に関してのみ述べれば、彼の言はこうだ。
「少なくとも俺は、奴を『山姥切の偽物』と呼称したことは多々あるが、『長義の偽物』と呼称したことは一度もない。俺こそが本歌、俺の主張はそれだけだ」



「本科、オレに稽古を付けてくれないか」
……ずいぶん突拍子も無いが、一応、その心を聞いてやろうか」
「知っての通り、この本丸は主が月に一度しか帰還できない。ゲートを通って一度に出陣できる刀数には限りがあって、本丸を挙げて極める前の新刃を集中的に鍛える体制を取っている。オレは見ての通り既に極め、その体制から外れているが、このままでは足りないと常々思っていた。教育番長の加州清光も多忙だ。オレにばかり付くわけにはいかない。通常なら演練で他本丸の強い刀と打ち合えるが、この本丸ではそれができないのが致命的だ」
「それで?」
「出入りのある他刀は、本科、あんただけだ。顕現してまだまだ日が浅いオレと違い、あんたの強さは申し分ない。だからあんたに胸を借りたい」
「はっ、まったく、何を言い出すかと思えば……そんな義理が俺にあると思うかい? この本丸に出入りしているのは、あくまで監査に彼女の教育係を兼ねているからだ。確かに俺は政府に属しているが、ひよっこの面倒まで見ている暇は無いね。それとも偽物くんは、俺に相応の対価が払えるとでも?」
「いいや、確かにオレが払えるものは何も無い。オレにできるのは、『写しがその程度なら本科もたかが知れている』などと侮られないように強くなることだけだ」
…………上手く煽ってくれるじゃないか、可愛げの無い」

苦虫を噛み締めたような顔で舌打ちした山姥切長義は、苛立たしげに国広に背を向けると心底苦々しく「茶」と一言告げた。
「いい加減、あからさまな出涸らしではなくそれなりの茶ぐらい用意してくれと、この本丸の初期刀に言っておけ。玉露を用意しておく気があるのなら、茶の一杯分程度の時間ならたまに割いてやってもいい。偽物くん相手なのは業腹だが、まあ持てるものほど与えなくてはね」
「! 感謝する、本科」
「どうせ監査の名目な以上、ある程度の時間は滞在する必要があるんだ、ついでだ。手入れ部屋から出れなくなっても文句を言うなよ」

※その後、マジで手入れ部屋から出れなくなるまで打ちのめされることとなるが、まんばは毎回きっちり食らいついた。故にまんばの成長は、新参の中でも著しく目を見張るものとなった。
※これは、この先、大事件を経て否応なく共闘することとなる二人の関係性の変化の前日譚となる

※現在この本丸では、監査の名目で、教育係でもある長義を受け入れているが、恩義を強く感じている山姥切国広を除いた他の刀は、すべからく長義を激しく警戒しており、はよ帰れの意味であからさまな出涸らしを出している。

※「国広に対する指導」と引き換えに「玉露への変更を要求」したのは、つまり『表面上は友好的にやっていく』という関係を、この本丸の代表刀たる初期刀に強いることを意味している。
※初期刀の態度が軟化すれば他の刀はそれに倣う。つまり、任務遂行が楽になるため、長義としては益あると判断したのであって、国広のためではない、断じて無い、と本人は主張している。

まんばを教える+初期刀が雑に扱いにくくなる
=他刀も表面上は受け入れざるをえなくなる
=任務がスムーズになる
=益はある
という計算に基づいているということ。
ただし、まんば以外からの申し出だった場合、彼は「特定の本丸に対する助力は公平性を欠く」という理由をつけて断った、ということは追記しておく。

※教育番長を兼ねている初期刀たる加州は、この提案に頭を悩ませたが、実際、この本丸に演練が欠けていることは非常に致命的な問題なので
「主を護るために強くなることは最優先」
という判断と引き換えに、最終的にはプライドを折って長義の指導を迎え入れる、と決断する。
政治的には不利なことだが、「使えるものは全て使うべきってのはそうなんだよね……」という加州のハングリー根性が最終的に方向性を決めた。
※この判断は、まんばの実力を相当底上げし、後にこの本丸を救うこととなる。



《こぼれ話〜長義せんせーと主〜》

「ところで、この本丸は事実上の指名制を取っているわけだが、『山姥切長義』を呼ぼう、という気は?」
「? うんん、よほど強く呼びたいって要望が出ない限り呼ばないと決めてるけど、どうして?」
「いやなに、仕事上で関わりのある審神者の多くは、俺を見て手に入れたいと願う者が多くてね。後を絶たないと言ってもいい。俺という刀の優秀さを踏まえれば無理もないことだが、レディ、差し支えなければ、呼ばない理由を聞いても?」
「どれほど気を付けても『無意識』というものが人間にはあるよね」
彼女は姿勢を正して、長義にまっすぐ向き直った。
「私が初めて出会った山姥切長義は長義せんせーで、私の初期刀が簡単に刃を届かせることができないほど高い練度だった。そんな長義せんせーと顕現したての私の刀を無意識に比較するのはとても良くないことだし、恐らくその行動は、山姥切長義という美しい刀の矜持を深く傷付けて溝を生む。つまり、今の私の未熟さでは、山姥切長義という良い刀を適切に扱えない。少なくとも長義せんせーがここを離れるか、私に相応の力量が備わってからでなければ呼んではいけないと考えてる。私のまんばちゃんにもその意向は伝えてる。身の丈に合わないことを求めるのは良くないからね」
「なるほど、非常によく分かったよ。どうやら野暮を言ったようだね」

長義はさりげなく自分の唇に指を置いて考え込んだ。

(ふむ、教育係を担当しているからと言って、この俺を『所有している』などと無意識に思い上がられては困るが、なるほど杞憂のようだ。俺の派遣終了の時期も見越しているし、俺と自分の山姥切長義の混合もなく、自分を正確に測れている。意向の根回しも終わっている。これは少なく見積もっても『可』以上だな)

「だからね、長義せんせー、これを機にひとつ伝えておきたいことがあるんだ」
「なんだい、レディ?」
「もし長義せんせー以外の山姥切長義の『派遣』でなく『赴任』の可能性があるなら、私の評定はまだ『不可』にしておいて欲しい。もちろん、長義せんせーの判断と裁量の範囲で構わないから」

(ふむ、質問の裏の意図も拾えている。彼女が赴任する遥か昔、政府から山姥切長義オレの配布があったことも予習済みか。なおかつ俺にこの提言をするということは)

「仮に、配布があったとしたら、どう対処するつもりだい?」
「長義せんせーのお墨付きを貰ったと考えて精一杯励むよ。長義せんせーは自分の仕事に誇りを持ってるから、きっと中途半端なことはしないでしょう?」

(トラブルを未然に防止、根回しと同時に釘も刺す、か。なるほど、これは実に)

彼女は凛とした表情をふにゃりと緩めて、照れくさげに頬を掻いた。

「どうかな、長義せんせー。期待に添える返答はできたかな」
「ああ。優をあげてもいいぐらいにはね」


これは正しく現時点で 『優』だな。
痛快だな。まったく、野放しにしておくには実に惜しいね。



《長義と国広〜感動が繋ぐ物たち〜》

「よく頑張ったね。さて、今日の練習はこのぐらいにしておこうか。何か質問は?」
……その、えっと」

長義から見ても優秀な教え子である彼女は、いつもの闊達な弁舌をどこかに置いてきたように、歯切れ悪く言い淀んだ。
長義はそれを見て取ると、スマートな振る舞いで
「どうしたんだい? レディ、何か言いにくいことでも?」
と穏やかに上品に聞き返した。
「その、授業とは少し違うけど、勉強のことで、長義せんせーに、……頼みごとが、あって」
「頼みごと?」
「その、私、他の審神者関係者と接することを固く禁止されてるでしょう」

躊躇いがちに彼女は口にした。

「審神者関係者の会はもちろんだけど、一般の人も出入りしていい美術館の刀剣展示の催し物にも迂闊に参加できなくて、……許可の申請をするには、私が『恣意的に審神者関係者と接点を持とうとした』という事実が無いことを証明できる人の同伴が必要だから……
「ああ、なるほど」

長義は顎に手を当てながら「ふむ」と思索を巡らせた。
本来なら、政府に正しい手順で申請を行えば、学習および技能向上の一環として出張諸経費も下りる公的な制度だが、彼女の場合は事情が特殊だ。

本来なら優良本丸として優先的に許可も予算も下りるはずの彼女だが、事情によりこの本丸は可ギリギリとして評価、運営されている。
そして、本来なら担当役人が間に入って受理、人員を手配するはずの彼女には、担当役人が居ない。それらの手続きは、全てこの山姥切長義を通して受理することとなっている。

「なるほど、学びの一環として刀剣展示会への出張許可が欲しいというわけかな」
「経費は、本丸運営と関係無い自分の私費から補填するつもりだから、評価額は『可』で問題ないけど、その
「身銭を切って勉強とは、実に感心だね。それで、本題はそこではないだろう?」
……私が申請したら、着いてきてくれる監査人は」
「状況によるが、当然、俺になるね」
…………そうだよね。長義先生、着いてきてくれる?」
「きちんと申請さえ出せば、もちろん構わないが、何か問題でも?」

彼女は控えめに長義の様子を伺ったまま、ぎゅっと目を瞑って
腹を括ったように潔く、引き出しからパンフレットをバッと出して掲げた。

そこには、美しい二振りの刀が並んだ写真に
『名匠の軌跡、名刀の誕生〜国広、本作長義と出逢う〜』と書かれている。
数十年ぶりに行われる同時展示だ。

「山姥切長義と山姥切国広、同時展示に、行きたくて。近侍はまんばちゃん」

意表を突かれた長義は、目を瞬かせた。

「私の時代に在る二振りに会いに行きたい。いつか私が、この本丸に『山姥切長義』を迎える日が来る前に、少しでも多く勉強して二人のことを知っておきたいから」

彼女はまっすぐに長義に向き直って、そう迷わず告げた。

「自分の眼で見たいの。決して誰の意図にも惑わされないように」

が、すぐに、へにょりと眉を落として、ためらいを表情に浮かべた。

「でも、長義先生には、迷惑かも……他の人員が手配できないなら、諦めるから……
…………ふむ」

自らの唇に指を置いて考え込んだ長義に、彼女はまるで叱られるのを待つようにギュッと固く目をつぶっている。

長義と国広を比較展示する催しだ。個人的に思うところがないわけではないが、優秀で勤勉な彼女の学習意欲を削ぐのは指導役として本意ではない。

長義の任務は、この本丸を政府の意向に沿って慎重に維持すること。
他の教育者から指導を受けることが叶わない彼女を、より良い方向に導くことも仕事に含まれている。
そしてそれは、長義の個人的な嗜好によって邪魔をして良い類いのものではない。

「良いだろう。手配しよう。俺が同伴する」

パッと彼女は顔を上げて嬉しげに表情を明るくした。
が、すぐに、へにょりと眉を落としてしまった。

「ごめんね長義先生、迷惑かけて」
「そう卑下する必要は無いよ。学習意欲が高いのは良いことだ。せっかくだ、この俺が直々に解説してあげようじゃないか。きみの近侍くんに任せるより、ずっと身になる指導になると思うがね。どうだい?」

彼女はパッと顔を上げ、今度こそ本当に表情を明るくして、花のように破顔した。

「わぁ! ほんと!? 教えてくれるの!?」
「ああ」
「嬉しい! 嬉しい! ありがとう長義せんせー!!」

やっと彼女らしい、学びにまっすぐで誠実な明るい表情が見れたところで
「ところで」と長義は前置きした。

山姥切長義オレの展示はいつも非常に人気でね。チケットの類いはいつも争奪戦だったと思うが」
「長義せんせーに許可貰えたから、今から抽選に応募するよ」
「ずいぶん悠長だな、倍率が凄いはずだが」
「あ、わたし、抽選に外れたことなくて……
……きみはそうだったね」



そうして、見事に自分と近侍の二名のチケットを手にした彼女は、新幹線で会場に向かっていた。

貸切のグリーン車で隣に座る山姥切国広は、現代に溶け込む目的で周囲の目を欺く術式を受けている。
目深にキャップを被り、眼鏡を掛けた国広は、髪も瞳も黒く染まり、顔立ちも凡庸なものとなるように印象が操作されている。
長義の指示で入念に変装させられた国広は、それに異を唱えることは無かった。

「手間を掛けさせてすまない、本科」
「さっそく不可だ。なんと呼べと教えた?」
…………義兄にいさん」
「言っておくが、俺だって非常に不本意で業腹なんだ。きみたちの顔立ちの印象は似るように操作してあるから、そこに俺が並んで自然にするならこうするしかないだろう」
「お手数をおかけします。一緒に来てくれて、本当にありがとう」

彼女がとても穏やかに微笑んだ。嬉しげに広げたパンフレットに夢中だ。

彼女は驚くほど恋愛に関心のない人で、長義のような見目麗しい者が仮初とは言え恋人役として同伴しているというのに、乗じて距離を詰めようなどという素振りは一切見られない。
長義はそういった視線の対象になることが非常に多いので、本当に一切、まったく気が無いのが逆にハッキリわかる。任務としては気楽な範囲だ。

アナウンスが告げる。次が到着駅だ。

国広は自然に手を取って、ヒールの高い主をエスコートした。
「行こうか、姉さん」
「ありがと、まーちゃん」
ふふ、と悪戯めいた笑顔を見せた主に、国広は少し照れくさそうだった。

「ヒール高くてごめんね」
「構わないが、歩きにくくないか」
「少しね。でも、きっと展示は人混みだから、少し高くしておかないと自分の目で見えないの」
「ああ、そういうことか」
「ちゃんと観賞用の単眼鏡は用意してきたけど、自分の目で直接確かめたいから。まん、まーちゃん、エスコートお願いね」
「わかった。任せろ」

穏やかで自然なやり取りは、外見も相まって仲睦まじい兄弟にしか見えない。
これで彼女が少しでも女性的な色合いを見せれば話は別だが、纏う空気は外見に反して無邪気な子供そのものだから、自然と家族らしい空気にまとまっている。姉弟にさせた長義の見立ては正しかったと言えよう。

「さて、入場は朝一だったな。向かおうか」



「なに? 入れない?」
「それが……

政府の監査役として事前に長義が申請していたにも関わらず、本来フリーパスで入れるはずの長義が止められた。
彼女たちを後ろに下がらせ、長義が事情を聞き取る。
彼女より階位の高い政府関係者と審神者関係者が今、視察の予定を繰り上げて中に居るというのだ。

……なるほど、彼女を中に入れるわけにはいかないな」

長義がここにいるのは、彼女がおかしな動きをしていないことを政治的に証明するためだ。長義がここで中に入れる許可を出せば、その長義の公平性に疑いが付く。

「さて、どうしたものか」
「申し訳ありません」
「視察の予定時間は?」
「開館時間いっぱいです」
「参ったな、明日以降では俺の仕事に支障がある。かといって、このまま彼女たちを帰すというのも、さすがに……



中から戻って来た長義に、人混みから離れた木陰で腰掛けて待っていた彼女がパッと顔を上げて、満面の笑みでぶんぶんと手を振る。
彼女は素だろうが、客観的に見れば、うまく恋人役として擬態できていると言えるだろう。これもまた長義の見立てが正しい証と言える。
国広のぎこちなさすら、姉の婚約者に対する態度として自然に馴染む。

「ほ、……義兄にいさん、どうだったんだ」
「すまないが予定変更だ。時間を潰して夕方に再来する」
「夕方?」
「閉館時間が過ぎた後、全ての客を外に出して、関係者入り口から十五分ほどだけ特別展示の部屋を開けてもらうことになった」
「!」
「すまないが、特別展示以外の場所は回らせてあげられない。時間も厳守だ。それでも構わないかい」
「わあっ!」

彼女は嬉しげに両手を合わせて、座ったまま跳ねるみたいに全身で喜びを表現した。

「いいの!? 嬉しい! 嬉しい! ありがとう!!」
……そうだね、きみにとっては、かえって好都合だったかもしれない。時間こそ限られるが、最前列の間近で存分に対面できるわけだから」
「ありがとう、本当にありがとう!! 嬉しい!!」
彼女が急いで立ち上がって、高いヒールで少しだけよろけながら、長義の手を取って嬉しげに微笑んだ。
「嬉しい、わたしたちのために、本当にありがとう」
……礼は不要だよ、レディ。これも仕事の内だ」

彼女の心からの礼をありがたく受け取って、長義は優雅に身を引いた。

「さて、どこからどこまでが、きみの加護によるものかな。何とも見極めに苦慮するね」

つい助けてやりたくなるのは、幸運をはるかに越えた彼女の資質だ。






「さて、会いに行くとするか。我らの本霊の源に」

関係者通路から密かに入った長義と彼女と国広は、人払いされた美術館の、閉じられた扉の前に居た。
先程まで嬉しげにはしゃぎ倒していた彼女は、扉の前に立った途端、まるで気圧されるみたいにぷっつりと黙り込んで、手を引く国広に恐々と身を寄せた。
「あの、ね、なんだか……
「ああ、この距離でも感じるかい、レディ」

この先にいる
今この時は眠っているはずの二振りから
途方も無い力の濁流が、限りなく漏れ出している

それはまるで、晴空の太陽の光を直視しているような
広大な熱を伴う畏怖だった。

「そう、これが本霊の源が纏う力。これを感じ取れる者にこそ審神者は務まる」

黙って控えた国広が、主の指先の震えを感じ、表情をぐっと厳しいものにした。
国広は、決断するように前を見ると、素早く自らの眼鏡を取り外した。術を掛けられた道具が外され、国広の髪が黒から鮮やかな金色に移り変わっていく。
……まんばちゃん?」
「本科、許可を」
「いいだろう」

ぶわり、と現代服が塗り替えられ、金の髪に靡く見目鮮やかな珊瑚朱色の鉢巻がはためく。
両肩に甲冑の大袖が現れ、凛と張った襟に濃青のタイが締められ、見目鮮やかな戦装束が足元まで鮮やかに現れる。
隠されていた青空のように鮮やかな碧眼が、優しく細まった。

「安心しろ。あんたは、俺の主だ。誰の前でもそれは変わらない」

国広が、主の両手をすくい上げるように取った。
すると、まるで濁流のようになだれ込んできていた圧倒的な気配が、国広の穏やかな神気と混ざり合って、優しく肌を撫でていく。

「あ……

ふわっと軽くなった空気に、安心したように彼女は表情をほっと和らげた。
国広は、主人に向かって微笑んだ。
「俺がついてる。大丈夫だ、俺を国広の傑作だと掛け値なしに認めてくれたあんたなら」
「わずか十五分の逢瀬だ。恐れることなく、目に焼き付けてくるといい」

長義が胸に手を当て、一礼してエスコートするように、扉を開けた。

その瞬間、目に飛び込んだ美しい刀に、彼女は心を奪われた。

…………

ふら、と足を前に出す。国広が彼女を導くように手を引いた。
そこには、凛と張り詰めた清らかな空気の中
美しい二振りの日本刀が、ただ黙って鎮座していた。



磨き抜かれた鋼の宝石、幾百の刻を超えて現存する白銀の芸術
名刀、山姥切長義と、山姥切国広

鮮やかに光を弾く二振りの刀
明るい美術館の強い照明の中で、なお内側から光り輝くような迫力とその力強さ

山姥切長義の刃には大乱れの刃文が美しく浮かび上がり、優美な星空のような銀の沸が煌く
山姥切国広の刃には荒々しくも綺麗な刃文が鮮やかで、繊細な匂と砂流しが陽光の破片の如く輝く


立ち尽くす彼女の背中を、長義はただ黙って眺めていた。
彼女は、ショーケースの間近までふらふらと近付くと、言葉を失ったように
せっかく用意した単眼鏡を取り出すこともせず、ただただ、二振りの刀を、その眼で見つめ続けた。瞬きすら惜しみ、目と心に、焼き付けるように。



「時間だ」
長義が彼女に並び、視界を遮るように自らの銀の外套の裾を、彼女の視界いっぱいに広げた。
その瞬間、彼女は、はたと自分を取り戻したみたいに、ぼんやりしたまま長義を見上げた。
「あ……
「行こう、主」
国広が手を引く。彼女ははっとして、「あ、待って」と振り返った。そうして片手を国広と繋いだまま、右手でゆっくりと十字を切って、胸に手を当てて深々と頭を下げた。彼女の宗派の祈りの証だった。
「とても美しい姿を見せてくれて、ありがとうございました。山姥切長義、山姥切国広」

長義が目を柔らかに細めた。隣で国広もまた、微笑んだ。
後は、国広に黙って手を引かれるまま、その場所を後にした。

バ、タン。と扉が閉じた途端、彼女はへなへなと床に座り込んだ。
「主?」
「こ、腰抜けちゃった、あはは」
国広に支えられながら、何とか立ち上がった彼女だが、足が震えてまっすぐ歩けそうになかった。

苦笑した長義は、彼女の震えがおさまるまで、繋ぎにこう問いを投げ掛けた。
「さて、ご感想は?」
「感動した……すごかった……感動した……
熱に浮かされたみたいな真っ赤な顔で、幼い子供みたいに舌足らずに彼女がそう繰り返した。

「すっごく、すっごく感動した……あのね、あのね、まんばちゃん」
「なんだ」
「わたしね、わかったよ。どうしてまんばちゃんが生まれたのか」

まだ歩けなさそうな彼女の腕を肩に回そうか、うろうろと迷っている素振りだった国広が、ぴたりと動きを止めて、穴が開くほど主を見つめ返した。
「俺が、生まれた、理由?」
「感動、だ。山姥切長義に感銘を受けた刀工が、モチーフにして傑作、山姥切国広を打った。つまり、まんばちゃんは『山姥切長義が与えた感動』から生まれたんだ」
「!!」
「感動を与えた存在が美しくないわけない。そして、感動から生まれた存在が美しくないわけない。だから長義せんせーの刀とまんばちゃんの刀は、それぞれ違って美しいんだ。そういうことなんだ。やっとわかった!」

彼女はあどけなく、本当に嬉しそうに破顔した。

「まんばちゃんが美しいのは、山姥切長義が与えた感動が美しかったから。長義せんせーが美しいのは、山姥切国広を生み出さずにいられないほど素晴らしい刀だから。二人は真贋や正否じゃなく、人の感動で繋がった二振りなんだね」

思わぬことに言葉を忘れた国広の横で、長義もまた大きく目を見開きながら言葉を忘れている。
彼女はとても、とても幸せそうに、大輪の花が綻ぶように微笑んだ。

「それが、この目で見て私が感じた、山姥切長義と山姥切国広の物語。ね、まんばちゃん、長義せんせー、わたしは、わたしだけは。自分が感じたその物語を、信じていてもいいかな」
…………それが、あんたの、信じる物語なら。好きに、するといい」

国広がぐっと俯いて、支えた彼女の両手を強く握った。
震えるほどに。

「俺は…………あんたが望み、あんたが願った刀だ!」


震えた国広の声に、彼女があどけなく両腕を伸ばした。
唇を噛んで俯いた国広を背伸びして抱きしめて、「大好きだよ、まんばちゃん」と嬉しげに繰り返す。

彼女は「来て良かったぁ」と心から嬉しそうに喜んで、やがて国広の裾を引いた。
「帰ろ、まんばちゃん。大事なみんなが待ってる」
……ああ、そうだな」

展示ケースが置かれた部屋から遠のき、彼女は一度だけ振り返ると、閉ざされた扉の向こうの、ショーケースの中で美しく並んだ二振りに向けて、笑顔で手を振った。

「遠い未来でまた会おうね、山姥切長義、山姥切国広」





「あれっ? どうしたの? 兄弟」

洗濯物を抱えた堀川国広は、慌てて荷を置いて駆け寄った。
自分たち国広の相部屋にまっすぐ帰還した山姥切国広は、まるで途方に暮れた迷子のように立ち尽くしている。

「主さんと現世だったよね。なにか嫌なことでもあった?」
…………ちがう、違うんだ。その逆だ」

青空色の瞳が、今にも雨を降らせそうに歪んだ。

「あいつが、」
「うん」
「あいつが言ったんだ。展示された山姥切長義と山姥切国広に感動したと。だからわかったんだと。オレはきっと、山姥切長義の与えた感動から生まれたに違いないと」

堀川は大きく瞠目した。

「感動を与えたものが美しくないわけがない、感動から生まれた存在が美しくないわけないと、だから本科とオレの刀はそれぞれ美しいのだとやっとわかったと、そう笑って」

山姥切国広は、額に当てた鉢巻ごと、前髪をぐしゃっと握り潰した。
まるで、泣き出しそうなのを耐えるみたいに。

「オレと本科を繋いでいるのは、真贋じゃなく人の感動なんだと気付いたと。オレ、オレは、それを聞いて、」
……うん」

堀川国広は、両腕を広げて、兄弟を抱きしめた。

その仕草は不思議と主と似通っていて。
堀川が主に似たのか、主が堀川に似ているのか、山姥切は、彼女の前では何とか耐えた涙腺が決壊するのを感じた。

「兄弟、オレは」
「うん」
「強くなりたい。あいつのために、もっと」
「うん、うん」
「あいつが紡ぐ物語は、温かくて優しい。誰も置いていかない、俺たちの過去も未来も幸福であって欲しいと無謀なほど願ってる」
「うん、わかる、わかるよ」
「オレは、あいつの物語になりたい」

山姥切は、涙流れるまま、噛み締めるようにそうしゃくりあげた。

「無謀なあいつの理想ものがたりを、全て本物にできるくらい。強く強く、途方もなく強く、優しくなりたい。なりたいんだ、兄弟……!」




感動から生まれた存在が美しくないわけない
彼女はそう言って、本科とオレを共に肯定した

写しとしてこそ、打たれた事実を
生まれた全てを鮮やかな誇りに思えるような
そんな言葉を、まるで美しい物語のように
与えられる日が来るなんて

オレは、あいつの物語になりたい
あいつが片時も手放さず佩刀する人生の一部になりたい。

オレの何もかもを、あいつのそばに置いて欲しい。どうかそれを許して欲しい。

それだけが叶うなら
望む全てを切り拓いてみせるから




「本科、先日の件、改めて礼を言う。オレたちの主のために、あの時間を作ってくれて、心から感謝する」

国広は深々と長義に頭を下げた。

長義は傲慢に「ふん」と鼻を鳴らすと、たっぷりと嫌味を含んだ口調で、こう言った。
「悲しいかな、こっちは仕事でね。形だけでもお前に義兄あにと呼ばれる機会など金輪際ごめんだが、まあ、礼ぐらいは受け取ってやろうかな」

はーやれやれとばかりに大仰に肩をすくめると、長義は皮肉めいた表情をスッと改め、国広に視線を流すと「励めよ」と低い声で告げた。

…………彼女の言葉に、恥じることのないように」

国広はまっすぐ顔を上げ、長義を真摯に見つめ返した。

「ああ。誓って」

長義は鼻を鳴らし、後はもう、国広が立てた誓いに、嫌味を何も言うことなく立ち去っていった。

国広は、そんな本科の背中を見送ると、彼女の元へと踵を返した。



対象的な金と銀の二つの背中の
その間に流れる、目に見えない繋がりの正体を

自分たちがどう定義するかは、自らの胸中にだけあるものだ。



だからこそ、国広は強く願った。

数ある山姥切国広、その中で。
他ならぬ彼女の愛刀である自分は。

自分だけは。


──── 感動から生まれた存在が美しくないわけない
──── だから長義せんせーの刀とまんばちゃんの刀は、それぞれ違って美しいんだ


彼女の手でこの胸に、掛け値なく与えられた

この、どうしようもなく
途方もなく心鉄に荒れ狂う『熱』と同じ

人の感動から生まれた
彼女の信じる希望ものがたりそのものでありたい、と。


《長義と国広〜感動が繋ぐ物たち〜》



《足利めぐり、その後〜国広の歴史の表と裏》

「足利巡り、楽しかったねえ。案内してくれてありがとう、まんばちゃん」

アルバムの写真を整理しながら、彼女は、あそこが面白かった、あれが興味深かった、と楽しそうに口にした。
こうも嬉しそうにしてくれれば、事前にあれこれ調べて準備した甲斐もあったというものだった。

美術館だけでなく、足利長尾氏にゆかりある神社仏閣、史跡足利学校を巡り、最後に、四百年以上経つ今も変わらない渡瀬川の美しい夕陽を見た。
足利の多くの物語に触れて欲しい。その思いで至るところを案内したが、どの場所でもとても楽しそうに過ごしてくれた。
ただ、付き添い役の本科には「少しペースを落とせ。誰も彼もお前みたいな体力自慢じゃないんだ」と苦言を呈されてしまったが。

合間に足利銘泉などの名産品を見て回ったり、名物として有名な団子など和菓子、特産の苺を使った甘味や、地元の牛や野菜をふんだんに使ったカレー、ポテト入り焼きそばや足利シュウマイなどB級グルメも嬉しそうに楽しんでいた。
大事な主人が自分のゆかり深い場所を気に入ってくれた、というのは嬉しいことだった。

「あのねあのね、まんばちゃん、そういえば、足利を離れた後はどこにいたの? なに県の辺りで過ごしたの?」

無邪気に彼女がふと疑問を口にした。

「足利の名物も美味しかったけど、わたし、まんばちゃんがいた他の場所の美味しい物も食べてみたいなぁ。地酒好きだよねまんばちゃん、里帰りがてら、他の場所も旅行行ってみよっか?」

嬉しそうにはしゃいだ旅行好きの主に尋ねられて、国広は困った顔をした。

「すまない、主。答えられない」
「あれ、あんま憶えてない? それとも、良くない記憶だった?」
「いや、違うんだ。憶えているし、嫌な記憶だったわけでもない。そうか、あんたは政府の研修を受けてないんだったな

国広はすっと顔を上げた。

「少し話をしよう、主。オレたち刀剣にとっては大事な話だ。いいか?」
「うん」

ちょこんと座る主人に向き直り、国広もまた膝を突き合わせた。

「足利を離れた後、確かにオレは、表向きこそ彦根藩主の井伊家に伝わっていたことになっている。オレが一時焼失扱いとされて歴史から姿を消していたのは、その家の蔵が震災で燃えたからだ」

「だが、実際はそちらに伝来することなく、とある別の家に数十年に渡って保管されていた。こうして表舞台から一時身を隠していたオレが、書物を通して大々的に取り上げられ、同時に国の重要文化財に指定を受ける形で表舞台に復帰したのはずっと後、昭和37年、つまり1900年代も後半に入ってからだ」

「足利を離れてから、オレは長らく、いろんな家や、刀剣愛好家の手に渡りながら、転々としてきた。そして令和の初期、足利市や寄付の支援を受けた公益財団法人の手で足利に買い戻され、そこで管理されながら時折美術館で展示されるようになったんだ。だが、その間の持ち主や所在地については、公には伏せられ、できるだけ脚光を浴びないよう配慮されている」
「配慮?」
「オレは長らく個人蔵だったからな。将軍家だの名家だの、古くから確立された規模のでかい家ならともかく、一般的な家はそこまで防犯設備がしっかりしていないだろう。そういう家に名刀があると迂闊に噂になると危険なんだ」
「危険?」
「どうしても見せて欲しいと赤の他人が押し掛けて家人に迷惑をかけることもあるし、窃盗はもちろんだが悪いと押し入ってその刀で家人を斬られる、なんてこともある。オレたちからすれば悪夢この上ない」
「わわわ、そんなことあるの!?」
「あるんだ。幸いオレはそんな目に遭ったことはないが美術館や博物館ではなく、個人蔵の場合、歴史に広く知られた名前以外、あまりそこの家人の情報を他に漏らしたくない。加えて、下手に話が広まると、そこが歴史改変に狙われる危険性が高まる」
「あっ、そういう!? ごめんまんばちゃん、わたし無神経なこと聞いたね!? ごめんね、ほんとごめんね、怒ってる?」
「いや、怒ってない。あんたに悪気が無いのは分かっているから」
慌てる主に、国広は目を細めて控えめに微笑んだ。

「歴史に残るのも良し悪しなんだ。何もかも詳細に残すのが正しいとは限らない。こうして闇に葬っておいた方がいいこともある。少なくとも、オレはかつて世話になった家をひとつひとつ覚えているが、金食い虫のオレたち刀剣を丁寧に未来に繋いでくれた恩は片時も忘れたことはない。だから山姥切国広オレたちは皆、口を噤むんだ。その意味をどうか、主も理解してくれると嬉しい」
「うん、わかった。もう詮索しないし聞かない。まんばちゃんやみんなが自分から進んで教えてくれたことだけ、ちゃんと憶えておくよ」
「ああ。オレの来歴を詳しく知りたいという気持ちそのものは嬉しく思っている。答えることはできないが、気持ちだけ有り難く受け取っておく」

穏やかな微笑みを返して、国広は大切そうに言葉を継いだ。

「だから、あんたを足利に案内できたことは嬉しかった。オレにとって足利は、今の主と気兼ねなく共有できる数少ない来歴の一つだ。あんたと足利に行けて良かった」
「うん、わたしも、まんばちゃんと一緒に足利に行けて良かった」
「機会があれば、また共に連れて行ってくれ。たとえ他の来歴を共に巡れなくても、オレにとっては、それだけで充分すぎるんだ、主」





《願えば星すら撃ち落とす〜山姥切国広〜》

「こりゃたまげたなあ」
道場の打ち合い稽古にて。古参刀を軒並み見事に下してみせた山姥切国広に、竹刀を両肩に渡しながら、そう声を上げたのは鶴丸だった。

古参の極薙刀、静形と巴形を突破し、粟田口の極短刀たちの舞うような動きを見切って捉え、極大太刀の石切丸を押し切ったのに加えて、戦場生え抜きの次郎太刀、太郎太刀の兄弟をも下してみせた。実力の水準は既に第一部隊の最精鋭に迫る勢いだ。

「まさか、顕現していちばん日の浅いきみが、訓練とはいえ誉を総取りとはなあ」
「いやはや、天晴れと言わざるを得ないね」

山姥切の快進撃に、同じ打刀で初期刀組でもある歌仙が、思わずと言った調子で唸った。

この本丸には、初期刀、加州清光を頂点に、亀甲貞宗、千子村正と、絶大な練度を誇る最古参の打刀がいる。
彼らに比べて圧倒的に遅く顕現した山姥切が、彼らに次ぐ実力に迫りつつあるのは、驚嘆を通り越して異例と言っても良いほどだった。

「まだ足りない」
山姥切が、顎に流れる汗を腕で拭いながら、遥か頂を見据えるように前を睨んだ。
「強く、強く、もっと強くならなくては。あいつのために」



山姥切の存在は、戦の最前線から離れたこの平穏な本丸で、強い刺激になっているようだ。
このところ、山姥切に感化された刀たちが皆、揃って練度を上げようと、あの手この手で工夫を凝らしている姿が至る所で目に付く。

「山姥切がここまで頭角を表してくるとはなぁ。嬉しい驚きだ」
「本人の意志の強さももちろんだけど、彼の本科の特訓も大きいだろうね」
「いささか癪だが、その点だけは感謝せんとならんだろうな。やっぱり外部の刀との打ち合いが欠けているのは痛い」

燭台切に夜食を出された鶴丸が、出汁の効いた旨いうどんを食べ終え、さっと紙の資料をテーブルに広げた。

「遠征中心の隊から抜けて、今後は第一部隊の交代要員に入ってもらうことを考えてる」
「凄いね、こんなに早く精鋭の仲間入りなんて」

これまで遠征を派遣する燭台切の指揮下に入っていたが、加州と鶴丸が牽引する精鋭部隊に所属を移動するということだった。

「恐らく、山姥切国広は、この先まだまだ強くなる」
「鶴さんもそう思う?」
「ああ。やっぱり、腹を括った初期刀連中は違うな」

訓練で使う手伝い札の消費量もぶっち切りだ。
寝る間も惜しんで鍛錬に明け暮れる山姥切国広は、途方もないほどの早さで成長しようとしている。にも関わらず、その代償となるような歪みがまるで感じられない。
脇目も振らぬその猛進が、本丸を良い方向へ引っ張っている。

「瞬くような短い刻で主と共に変化する。初期刀のあの鮮やかさは、目に眩しくて敵わんな」
「うん、僕も少し分かるよ」

平安に打たれた古刀たる鶴丸からみれば、打刀連中は皆一概に若い。
特に初期刀連中は実に若い。初々しくも青い、そんな刀たちだ。若葉のような未熟さ、力強さは、実に人と共に歩むに適している。
陽射しを受けて天に伸びる向日葵のように、鋼の身でありながら瞬きする間に主人と共に成長する彼ら初期刀の鮮やかな変化は、古刀からすれば目を見張るような強烈さがある。
さすがにそんな青さは忘れて久しい。刻の永い自分たちでも、もう思い出しようがないほど遠い昔に置いてきたものだ。あれに希望を託す気持ちはよく分かる。

「あいつはいずれ、加州の実力に迫るかもしれん」
鶴丸がそう口にしたので、燭台切は息を呑んだ。
「そこまで? そっか、鶴さんが言うならそうなんだろうね」
「ああ」

神妙に頷いた鶴丸が、ふっと柔らかく目を細めた。

「山姥切は、主からよほど良い物語を貰ったらしいな」

まるで視線の先に彼女がいるように、愛情深く鶴丸が微笑した。
燭台切はそれに、穏やかな気持ちで微笑み返した。

山姥切と彼の本科を供に連れ、主が現世へ向かったあの日を境に。
この本丸の山姥切国広は、目覚ましいほどに変わった。

「僕らにとって、物語ほど存在を奮い立たせるものは無いからね」
「いつだったか、物吉がささやかな逸話を贈られたこともあったなあ。ありゃ傑作だった。物吉の嬉しそうな顔を見たか?」
ハハッと鶴丸は手を叩いて機嫌良く笑った。光忠もまた微笑した。
「ふふ、妬けちゃうよね」
「刀の付喪神であるオレたちは、時にそれ以上に『物語』の付喪神だからな。彼女からしたら他愛無いことだろうが、これ以上熱烈な贈り物も無いさ」
鶴丸がカウンターに頬杖をついて、銀のまつ毛を穏やかに伏せる。
「与えられた逸話にもがき苦しむ者も少なくない中、主が語る自分を誇りに思えるのは本当に幸運なことだ」
「うん、ほんとにね」
「物が語る故、物語。彼女はその真髄を、無意識に嗅ぎ取ってるのかもしれんな」

厳かにそう口にすると、鶴丸は真面目な顔を引っ込めて、茶目っ気のある笑みでウインクした。

「そうそう、知ってるか? 山姥切、あいつ最近、短刀たちに『妖怪・辻手合わせ男』と呼ばれてるらしいぜ?」
「待って、初耳だけど、なにそれ??」
「うっかり目が合うと見境なく『手合わせに付き合ってくれ』と誰彼構わずついて回って、捕まると数刻は離してもらえないらしくてな。この前は伽羅坊がついに妖怪の餌食になったらしい」
「だいぶ面白いな……
「ははは、傑作だな! 伽羅坊を根負けさせるたぁ、大したもんだ!」




「はい、兄弟! 歌仙さんにお夜食貰ってきたよ! 少し休憩して食べて! 疲れてない? お団子もあるよ!」
「すまない、世話を掛ける」
「主さんにお願いして、兼さんの部屋と堀川派の部屋、寄せてもらえて助かったなあ。だいぶ行き来しやすいや」
「手間を掛けてすまん、お前は本丸の世話に加えて和泉守の世話もあるだろうに」
「気にしないで。脇差のさがもあるけど、何より応援したいんだ、兄弟と主さんのこと」

山姥切へ向き直って、堀川がまっすぐ告げた。

「『主に貰った物語を果たすため、もっともっと強くなりたい』だよね。他ならぬ僕自身が応援したいんだ。兄弟の物語も、兄弟を大事にしてくれる主さんの物語のことも」

堀川は柔和に微笑んで、芯のある声を出した。
「だから、僕は自分が強くなることより、兄弟が強くなる手伝いをするって決めたんだ。その判断が間違ってないって信じてるから」
堀川は目を見ながら懸命に山姥切へそう告げると、少しだけ茶目っ気を含んだ笑みを浮かべた。
「それに、あるじさんに頼まれてるしね。まんばちゃんが無理してたら堀ちゃんが止めてあげてって」
「主は心配性だな」
「ふふ、そんな主さんだから大好きなんでしょう?」
……わかってるなら皆まで言わせないでくれ」
堀川はにっこりと中々食えない笑みを浮かべた。山姥切が既に早朝から一昼夜訓練に明け暮れていることを堀川は知っている。
「さて、兄弟。無理してる?」
「まったく」
「だよね。さ、一分一秒惜しいんでしょ。雑事は僕に任せて」
「恩に着る」


……それに、この本丸はきっと、もっともっと強くなるから」
既にこちらの声が聞こえないほど、修練に集中する山姥切を見遣りながら、堀川は静かにそう言の葉を紡いだ。
ただ献身的なようでいて、その実、抜け駆けで利を取っている。堀川国広はそういう強かな刀だった。
「その物語を最前列で見届けられる特等席はココだって、僕の勘が言ってるからね」



まもなく主の帰還の頃合いだった。

主人が戻るのは月に一度。遠征隊もこの日ばかりは揃って帰城し、未明から厨もフル稼働で豪勢な馳走をこさえる。月の大半を、審神者不在とするこの本丸では、油断してぼんやりしていると本当にあっという間に時が流れ去ってしまうが、月一の帰城とこの宴があることで、時計の感覚が合わせやすい、という利点もある。
これが無いと、本当に瞬きする間に軽く十年は経ってしまう。有限な刻を持つ人間と歩調を合わせるなら、日々を刻んで感覚を調整するのは非常に大事なことだった。

修練に精を出す山姥切国広も、この日ばかりは朝からソワソワと落ち着きなく主の帰城を今か今かと待っていた。

この本丸では、同じように時を惜しんで訓練に勤しむ点で似通う山姥切と伽羅坊だが、出迎えと見送りにいつも顔を出さない伽羅坊と違い、山姥切は最前列で今か今かと待っているタイプだった。

ゲートの前にずらりと並んだ刀たちが、主人の帰還を待つ。
ゆっくりと開門するゲートが光をあふれさせ、その中から弾けるような明るい声がした。

「みんなぁ! ただいまぁ!」
主人の帰還は、まるで、春が息を吹き返すようだった。

ぶわっと金色の霊力が、春風のようなぬくもりと共に、本丸の隅々にまで満ちていく。
ひと月前に満ちた霊力は新しく上書きされ、あふれんほどに生き生きと自分たちを満たす。

「おかえりなさい!」
ずらりと並んだ本丸の全員が声を合わせる中、人懐っこい短刀を中心にわっと主の周囲に刀が集まる。

彼女はそんな大歓迎を嬉しげに受け止め、もみくちゃにされ、突進してくる短刀を抱き留めたり、逆に大太刀や薙刀に捕まってぐるんと子供のように笑いながら振り回されたりしている。

そんな騒がしい歓待の中で、列の後方で腕を組み、鶴丸は微笑んだ。

自分たちはどこまで行っても物であり、道具だ。
だから、どれほど人の身を得ようが、やることに追われていようが、主が不在の間は、蔵で寝ているのと本質的には変わらない。
だから主人の不在とは、本来、冷たく炉の火の消えたようなものであるのに、けれども彼女が残す満ち満ちた霊力と愛情が、日々この本丸に絶えず巡って、刀たちの存在を冷たい鋼に返さない。

鶴丸自身も、彼女が不在の間は、死んでいるのと変わらないと感じた時期もあったが、今はそうは思わない。
彼女が居るのがたとえ自分の側でなくとも、代打の刀が彼女を守り、彼女もまたその刀を通して皆に守られていることを常に感じ取っていると知っている。
心からの感謝が、絶えずゲートを通じて流れ込んで、彼女の祈りが絶えず自分たちへ向けられているのを感じるから。

春風満ちたる本丸へ、望まれた主人が帰還する。
何度繰り返しても実に喜ばしい、月に一度の宴の朝だった。


騒がしい歓待に、総務番長の長谷部が「おい、道を空けろ!」と蜘蛛の子を散らすように追い払おうとする姿も常態化して久しい。

そんな中、山姥切は、落ち着きなく人混みの周りをぐるぐるとウロウロしては、主人の側に寄って行きたそうにしているが、短刀を押し退けて近くに寄りずらいのか、しょげたような顔をしている。

鶴丸は少し考え、ちょいと驚かせて彼女の気でも引き、子犬のようにしょぼくれた山姥切に気付かせてやろうかと老婆心ならぬ老鶴心を思い巡らせたが、鶴丸が手を貸してやるまでもなく、彼女はすぐに振り向いて山姥切を見つけ、短刀の手を引く傍ら、花のように微笑んで山姥切にも手を伸ばした。
見つけてもらえた山姥切は、しょぼくれたかんばせをパッと明るいものに変え、彼女の指先に少しだけ触れてこの上なく幸せそうに微笑んだ。

鶴丸は、出番の無かったお節介に満足して、彼女が愛される理由の一端を微笑ましく見守った。



燭台切がニコニコと盆に料理を乗せて、宴に混ざらず静かな場所に身を置いている大倶利伽羅の元に寄って来た。
「かーらちゃん。いつもご苦労さま。助かってるよ」
「何の話だ」
「またまたぁ、とぼけちゃって。みんなが主を出迎えてる時間、裏門の方をいつも見回ってくれてるでしょ。本丸の護りが手薄な中、他の刀が歓迎に集中できるように」
…………馬鹿騒ぎが肌に合わないだけだ」
「じゃ、そういうことにしとこっか」
「おい光忠」
「ふふ」

ちっ、と舌打ちが落ちたが、光忠は機嫌良く笑うばかりで意に介さない。

遠くでどっと賑やかな笑い声が響いて、幸せな祝宴の気配が、夜の向こうから優しく漂ってくる。光忠は膝を折り、縁側で目を閉じて密やかな鈴虫の音に耳を澄ませた。
「本当にここは穏やかで、良い本丸だなあ」
光忠がしみじみと口にした言の葉は虫の音と調和し、月夜に緩やかに溶けていった。




ととと、と素足の軽い足音が、渡り廊下の木板を控えめに鳴らす。廊下の向こう側から歩いて来た主を、堀川が見つけてニッコリと微笑み、盆を手に来た方向を指差す。彼女は堀川へ嬉しげに手を振り、入れ替わりに奥へと向かう。
「まーんばちゃん」
ひょこ、と彼女が縁側に顔を出せば、月光にキラキラと照らされた山姥切の綺麗な金色が夜の中で煌めいていた。

深い濃藍こあいの着流しに身を包み、片膝を立てて無防備に素足を晒したまま、手酌で徳利を揺らし、傾いだ盃に酒を満たす。
軽くゆあみした後なのか、美しい金糸の髪は夜露にしっとりと水気を含み、晴れ空の青い瞳が酒気を含んで蕩ける。
髪をかき上げた耳は赤く染まって、アルコールで上気した赤い頬を笑みで綻ばせて、山姥切は主に幸せそうに微笑みかけた。
「あるじ」

彼女は山姥切の隣にすとんと並んで腰を下ろして、ニコニコと彼を見上げた。
「まんばちゃん、嬉しそうだね」
「お前が帰って来たからな」
とっぷりと酒に浸かった瞳を細めて、酔った山姥切がまるで子犬が擦り寄るように、頭を主人の肩に乗せた。
「いつでもお前はオレを見つけてくれるから」

すっかり気を抜いた山姥切に彼女は微笑んで、よしよしと子供を褒めるみたいに、肩口に乗せられた金髪をくしゃくしゃと優しく撫でた。

「強くなった」
「うん」
「オレは強くなったぞ」
「うんうん」
「お前のために強くなったんだ」
「ありがとう。大好きだよ、まんばちゃん」
「もっと強くなるから」
「うん」
「ずっとオレを側に置いて欲しい」

酒気に溺れて眠そうに船を漕いでいた山姥切が、いつしかすっかり彼女の膝で寝こけるまで。
嬉しげに彼女は、愛おしそうに山姥切の頭を撫で続けた。







一泊の後、まだ早朝の内に主は現世へと発つ。
それを見送るまでが、この本丸の主を巡る一日の締めくくりだった。

「いってきまーす!」
皆に声を掛けながら笑顔で手を振る主の背後で、現世行きのゲートが開いていく。光があふれ、次元が拗れ、彼女の在るべき時代へと。

本丸にずっと滞在してくれれば、と考えたことが無いと言えばもちろん嘘になるが、ああして嬉しげに現世へ戻っていく彼女の物語を護るのが自分たちの役目だ。
そう思えば、誇らしいのも事実だった。

彼女の出立を見送り、皆がまばらに散っていく。寝直す者も居れば、すぐに仕事や鍛錬に回る者も居る。
そんな中、山姥切国広は、ゲート前に立ったままじっと無言で佇んでいた。
ひょこ、と横から堀川が顔を出す。
「なーに考えてるの、兄弟?」
「打刀に生まれて良かったと考えていた。昼夜や場所を問わずあいつを護れる」
「うわあ、ぞっこんだぁ」
「願えば星だって取ってくるさ」

強く強く、どこまでも強く。
どんな道だって切り拓いてやれるように。

あいつが何を望んでも叶うように。
どんな途方もない願いも叶えてやれるように。

そのためにオレが。
あいつの、誰よりも強い物語になってみせる。

目を見張るような成長を
目を疑うような強い変化を

求める先は遥か空高く
途方も無い頂きへ

たとえそこが、どれほど荒涼な高みでも
あいつは必ずオレを見つけて、隣で嬉しそうに笑うだろう

揺るぎない誓いを一層深く胸に刻んで、山姥切国広は踵を返した。
「兄弟、手合わせに付き合ってくれないか」
「いいよ、陽が高くなるまでで良ければ」
「助かる。……次にあいつに会うオレは、もっと強いオレでいたいからな」

強くなれば自然と警護を任される機会も増える。だからもっともっと強くなって
あいつの側で、あいつの物語を見届けたい

他の刀ではなく、他ならぬ自分が
あいつの未来を切り拓く一振りとなりたいから


《願えば星すら撃ち落とす〜山姥切国広〜》



《政府にて〜鶴と長義〜》

「さ、レディ。見送りを」
「うん? うん、鶴るん、行ってらっしゃい〜」
政府直轄の役所の廊下の真ん中にて。
長義に促された主が、あどけない笑顔で手を振るので、鶴丸国永は長々とため息を吐き出した。
「仕方ない。行くかあ」
いかにも嫌々といった風情で、深く嘆息した鶴丸は、彼女のまろい両肩をしっかと持って、大事な幼子にするようにこんこんと言い聞かせた。
近侍オレが居ない間、よくよく気を付けてな。ちょっかいをかけて来る連中に注意して、決してはぐれないように」
「うん、気をつけるね」
……おい山姥切長義、わかってるだろうが、もし彼女に何かしようもんなら」

険のある声音に、鋭く光る金色の瞳。
鶴丸の脅しに対して、それを受け止める長義は、あーわかったわかった、とでも言わんばかりに、あきれ混じりに片手をひらひらと振ってみせた。

「さっさと行きたまえ。責任持って俺が見ている」

しぶしぶと扉の向こうへと消えていった鶴丸国永を見送って、長義は「さて」と踵を返した。
「小一時間は帰って来ないだろう。レディ、きみはこちらへ」
応接室に案内された彼女は、柔らかいソファにふわりと腰を下ろした。行儀良く座ってにこにこと微笑む様子は、まるで陽だまりに佇む小鳥のようだ。
「気楽にしていてくれたまえ」
カチャ、と紅茶の入ったカップを彼女の前に置く。湯気がゆらりと立ち上り、品の良い茶葉の香りがゆったりと広がる。
「わ、いい香り。ありがとう」
そう微笑みこそしたが、いつまで経っても温かい飲み物には手が付かない。それに目を止めた長義は、片眉を跳ね上げた。
「おや、紅茶より珈琲の方が良かったかな?」
「うんん、紅茶好きだよ、ありがとう長義せんせー。でも、ごめんね、鶴るんに近侍が居ない時は飲食物に手を付けちゃダメって言われてて」
「ああ。……そうか、これは失礼。俺としたことが、気が利かなかったらしい」
「ごめんね」
「いや、きみの近侍が正しい」
「良い匂い。香りだけ楽しませてもらうね」

穏やかに微笑んで、嬉しげに紅茶の香りを楽しむ彼女を見て、長義は密やかに苦笑した。

いくら表面的に警戒してみせても、こんな隙の多い態度では、彼女らしい無警戒な善良さが滲み出すぎている。
こちらの善意を疑わず、幸せそうに笑う彼女の有り様は、あまりに無防備だった。


彼女が政府に出向したのは、鶴丸国永の定例検査のためだった。
穢れが溜まってないか、祟りが侵食してないか。それらを徹底的に調べ上げ、既に結ばれた約定を強固に結び直す。
鶴丸国永が政府と例の約定を交わした以上、この手続きは定期的に必要だった。

彼は、表面上こそ穏やかに接してみせているが、その実、先の一連の出来事を引き起こした政府のことを殊の外嫌っている。
そんな中、単に呼び出すのでは『主からまた無理に引き剥がされた』と、神罰すら引き起こしかねないような根深い怒りが政府へと真っ向から向かってしまう。それを避けるための一手がこれだった。

刀剣男士とはいえ神を相手取る時は、こういった『祀り上げの形式』が極めて重要だった。だからこうして、彼女を検査室の前まで引っ張ってきて『見送り』させることで妥協させた、というわけだ。

故に、彼女のすべきことはもう終わっている。
長義の役目は、鶴丸が戻るまで、ささやかな世間話をしながら待つことだけだった。
「で、こういうやり方で代用できないかな」
「着眼点は悪くない。ただ、安定性の面から見るといくつか課題が残るかな」
勉強熱心な彼女の質問に答えていれば、時間はあっという間に過ぎていく。彼女の目覚ましいほどの成長ぶりは、まったく実に講師冥利に尽きるというものだった。

さて、そろそろ時間だと、彼女に声をかけようとした矢先、長義はピクッと肩を張った。
この気配、闖入者だった。

黙り込んだ長義を見て、不思議そうに彼女が顔を上げた。同時に、白いものが天井からぷらりと逆さに降ってくる。
「わっ!!!」
「きゃっ」
「わはは、驚いたかい?」
軽やかに宙返りしながらスタッと降りてきたのは、鶴丸国永その人だった。白絹を美しく靡かせ、政府所属である証のピンバッチを付けている。
彼女はかんばせをパッと上気させた。
「わぁっ! 鶴るんじゃない鶴丸国永に会ったの初めて!」
そういって彼女は、ひどく嬉しげに微笑んだ。
「こんにちは! 初めまして!」
ぱぁっと花のように笑った彼女に、歴戦の空気を纏わせたその鶴丸国永は、ふーん、とにんまり笑った。


「やれやれ、やっと終わったか。これをしょっちゅうやらされると思うと気が滅入るぜ」
検査室から戻って来た鶴丸は、うんざりした顔を隠そうともせず、肩を鳴らして彼女が待つはずの場所へ向かった。

背後に音もなく気配が降り立つ。
鶴丸が瞠目し素早く刀に手をやると同時に、柄頭をぐっと押さえられ、そこで『鶴丸国永』が笑っていた。
「ようオレ」
……政府の」
「そう警戒するなって。同じ鶴丸国永じゃないか」
そいつはガチャ、とドアを開け、ソファに座って待っていた彼女がパッと表情を明るくして「おかえりなさい!」と席を立つ前に、こちらの肩を持ってにんまりした。
「さて、きみの鶴はどっちだい?」
と笑った。
おい、と無言で振り払おうとした鶴丸だが、押さえ付けられた柄頭はびくともしない。

きょとんと目を丸くした主は、ふわっと両腕を広げて笑った。
「大丈夫だよ鶴るん。ちゃんと分かるよ」

微笑んでまっすぐに歩み寄り、腕にぎゅっと抱きついた方が正解だった。隣で政府の鶴丸国永が「へえ」という顔をした。
「なあ、後の驚きのためにぜひ聞きたいんだが、見分け方はどこだい?」
「鶴るんは愛情を試すの嫌がるから」

その言葉に目を見張った。
思わず二の句を忘れた自らの鶴の頭をぽふぽふと優しく撫でて
「大丈夫、信じてるよ。心配しないで」
と彼女は笑った。

政府の鶴丸国永は破顔すると、裾に両手を入れて「よっ、愛されてるねえ、オレ」と茶化した。
顔を顰めた鶴丸は、主をぐいっと抱き寄せると、他者の目から隠すようにその体を引き寄せ、政府の鶴丸に向けて「しっし」と手で追い払う仕草をした。
立ち去っていった彼らの背中を見送って、政府の鶴丸国永は口角を釣り上げた。

「あれが噂の鶴の子か。なるほど、確かにオレが好きそうだ」
ぺろりと唇を舐める。
「美味そうだ。あんな子よく審神者にしたなぁ。明らかに贄向きだろう。その割に食ってないみたいだし、我ながら鶴丸国永ってやつはどいつも酔狂だなあ」
「遊び半分で刺激するのはやめてくれないかい……あれでも二級指定危険物なんだ。全く、鶴丸国永と来たらどこもかしこも問題ばかり」
「はは、性分だな。無理無理、とっとと諦めてくれ」
「はぁ頭が痛い
「オレからすりゃあ、そっちの方が物好きだがなあ。なあ長義せんせーとやら?」
嫌がる長義の肩に腕を回して、鶴丸はいかにも無害そうに笑った。
「せっせと通って大人しく先生してやってるって? 贄に知恵与えて何がしたいんだか」
「贄じゃない。制度上は彼女は審神者だ。彼女の体質がどうでも、政府がそう扱うと決めた以上は審神者なんだ」
「それが物好きってことだろ」
ひらりと白裾を翻して長義から離れると、政府所属の鶴丸は顎を高く上げて、肩越しにじろりと振り返った。
「知らないぜ。呼ぶべきじゃない奴らを呼んじまっても」
…………はあ、これだから嫌なんだ、きみの警告は! うんざりするほど! 当たるから!」
「ははは」


帰り道、鶴丸は彼女の肩を抱き、片時も離さず周囲の視線から護るようにしながら、足早に政府の施設から離れた。
「なあきみ、ちょっかい出して来る連中には気を付けろと言ったじゃないか」
「だめだった? ごめんね。長義せんせーが止めなかったから、怖いことはされないと思って。鶴るん以外の鶴丸国永に会ったの初めてだから嬉しくて油断しちゃった。次からもっと気を付ける。ごめんなさい」
「分かってくれればいいんだ。……あの手の鶴丸国永は、面白半分で友好的につついて回るが、下手に関心を持つときみに何をするかわからない。あまり信用しないでくれ。オレと同じ顔をしてるから尚更」
「ん、そっか、鶴るんとは違うんだもんね。もっと気を付ける。鶴るんが特別、信じられるのは鶴るんだけ、ちゃんとそう振る舞うよ」
「そうしてくれ。……オレだって最初は、きみに何をするか分からない鶴丸国永だったんだがな」
「? 鶴るんは最初からずっと優しい優しいひとだったよ」
「決してそんなことは無かったさ」



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