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キリシタンすり抜け主と山姥切国広〜夢と現の狭間におぼれて〜

2025-09-20 14:52:10

葬送、二代目、祭囃子前提。
錆びた鶴丸がついに目覚めた大団円の後、もう一振りだけ取り残されていたまんばの話。
必ず全員で、未来へ。

・葬送→https://privatter.net/p/11396429
・山姥切国広身上調査書→https://privatter.net/p/11443254
・祭囃子→https://privatter.net/p/11545257
あたりが前提です。1.2pはおさらい、3pが新作です。4pはこぼれ話

※葬送→https://privatter.net/p/11396429

《プロローグ:かつて春の時代の終わり》

主の生前、床に伏せた彼女の元にも、本科は幾度も訪れていた。
政府の仕事や任務で多忙を極めているはずと知っている彼女はしきりに長義を気遣っていたが、そんな彼女に本科は澄ました顔で
「その程度、とっくに終わらせてきたよ。女性とのわずかな逢瀬の時間も作れない甲斐性無しのように俺が見えるのかな、レディ?」
とクールに笑っていた。

微笑む長義の瞳の奥にあった確かな慈愛の色を、彼女もオレも知っていた。
今、彼女がここにいたら。きっと頷いて笑ってくれたと思う。

彼女の葬儀には、本科も参列していた。
葬儀の夜まで、いや、火葬の朝までは。長義は、この本丸に受け入れられていた。

事が起きたのは、彼女の火葬が終わり、彼女を見送った朝のこと。
鶴丸の封印を告げ、長義が本丸中から目の敵にされてしまったのは、その後。


どうして、こんなことになってしまったのだろう。

本科には、本当に感謝していた。
彼女の望みのために強くなってみせる。国広の決意に実行力を与えた、長義の尽力はとても大きかった。

山姥切長義という刀の在り方を、彼女は心から美しいと信じていたし
そんな彼の写しであるということを、引け目でなく揺るがぬ誇りに彼女が変えてくれた。

そう。写しであることにすら、彼女が誇りをくれたから。
幾度となく自分を鍛え上げてくれた本科に、感謝ことすれ、含むところなど何も無かった。

この本丸が歴史修正主義者の罠に掛かった時も、鶴丸国永が呪符で暴走した時にも助けてくれた。幾度となくこの本丸を助け、自分が絶えず彼女の物語でいられるくらいの実力をつけさせ、彼女の笑顔の一端を担ってくれた。

その全てが偽りだったなんて思えない。だから。

そうだ、今思えば、鶴丸国永が呪符で暴走した時、長義の立場なら折ってしまった方が都合が良かったはずだ。だから。

国広は、唇を震わせ、声にならない空気だけ吐き出した。

…………言えない)

国広は、自分の喉を掻きむしって両膝をついた。
言えるはずがない。長義は悪くないと擁護して、気が楽になるのは自分だけだ。
鶴丸の犠牲を、やり場の無い怒りを、苦しみを、ただでさえ追い詰められた加州清光を、仲間たちを。
本科は悪くない、悪いのは何も出来なかった自分たちの方だと、どの面下げて言えるのか。

ああそうか。恐らく本科は、何もかも理解して、憎まれ役を買って出てくれたのだ。
なら、オレにできることなど何も無い。何も無いのだ。


鶴丸を失った本丸が、長義を憎んだことが。
こんなにも耐え難く、苦しい。


苦しかった。彼女を見送っても、歩いていける。でも。
彼女と長義のあの時間が、偽りだと断じられてしまったことは。

彼女が愛した物語を、仲間に否定されることだ。

「すまない」

お前の物語を護り続けると、確かに誓ったのに。

奥歯を割れるほどに噛み締めて、固く瞼を閉じる。
すると、国広の瞼の裏に広がったのは、泣きそうなほど平和な春の刻だった。

桜が散る縁側で、主と長義が笑っている。

暖かな春の陽射しが降り注ぎ
きらきらと彼女と本科を照らして
嬉しそうな主の笑顔と、澄ました顔で笑う長義の

あの穏やかで綺麗な時間が
国広の希望だった。

ああ、オレは
あの時間がこんなにも好きだったのかと
自分が愛していた光景の美しい輪郭を、今さらになって、思い知る。

もう二度と戻れない。

心から嬉しげに笑った彼女が、微笑んだ長義と時を重ねる
あの穏やかで綺麗な時間が
ここにいる山姥切国広という刀の希望を形作る、かけがえのない無二だった。


思えば自分は長義に貰うばかりだったが、代わりに自分は何をしただろう。
思い返せば返すほど、ただ与えられてばかりだった。

大事な物語を嘘にされることが、こんなにも苦しいなんて知らなかった。
どうして、もっと早く気付かなかったんだろう。本科には、オレを憎んでもいい理由があったんだと。
でも、あいつは、嫌味こそ口にすれど、自分の功罪に無頓着すぎたオレを、本気で厭ったことは一度も無かった。
それどころか、何度も何度も助けてもらった。彼女と一緒に。

それは、それは。
どれほど難しいことだっただろう。

「あんたは、哀しい物語は、好きではなかったよな」
国広は、泣き崩れたまま、今はいない彼女に語りかけた。
「あんたなら、どんな哀しい物語にも、優しい意味を見出しただろうが、……すまない、オレにはわからない。どうすれば、あんたが笑ってくれるような結末にできるのか」
額の鉢巻ごとぐしゃりと握るみたいに、国広は泣いた。
「わからない、わからないんだ、すまない、すまない」



《次代の春》

「あの、あのね、その、視たの」
ある春の日、とたとたと、素足で廊下を渡ってやってきた二代目に、山姥切は片膝を折って、安心させてやれるよう、できるだけ優しい声音で訊ねた。
「どうした、何か怖いものを視たか」
「うんん、あの、あのね」

過去視をしたのだと。
未来と過去の大河を否応なく覗き見てしまう、そんな特別な眼を持つ次代は、そう拙く口にした。

そこの縁側で、先代の女性と一緒に穏やかに笑っていた
夜空の星のように美しい銀色の髪で、宝石のように美しい蒼の眼をした男の人を、見たのだと。

微笑む時の国広にどこか似た空気があるような気がした
だから、そのひとのことを、山姥切に尋ねたのだと
先代の女性を、優しい眼で見ていたそのひとのことを

「桜の下のひと以外、この本丸に折れた刀は居ないって、でも、あのひと、」
顔を上げた次代は、大きな眼をまんまるくする。

山姥切は、限界まで見開いた眼を
泣きそうに、ぐしゃっと歪めたから

顔を覆って、崩れるように泣き出してしまった山姥切に
聞いてはいけないことだったのだと悟って、次代は
「ごめ、ごめんなさい、聞いちゃだめだったんだ、ごめんなさい」
「ちが、違うんだ、あるじ」

唇を震わせ、掠れ声で山姥切は尋ねた。
「なあ、あるじ。そいつは、笑ってたか。オレがお前に微笑む時みたいに?」
「うん、優しい眼、してた。おばあちゃんのこと、大好きだったのかなって、思って」
「そうか、そうか

次代は、一生懸命に拙く頭を撫でて、慰めようとするが、山姥切は決壊したみたいにボロボロと泣き続けた。
……折れちゃったの……?」
「違う、折れてはいない、いない、と思う。あいつは強かったから、本当に強かったから、今もどこかで、きっと誰かを助けてる。オレと主を助けてくれたみたいに」
「会えなくなっちゃったの?」
「そうだな、もう会えなくなってしまった。あの頃のあいつには。だが、それ以上に、……辛かったんだ。本当だった全部が嘘にされてしまったことが」

「笑っていたんだ。あいつにできる最善で、きっと彼女を助けてくれていたと、オレは今でも信じている。彼女は本当にあいつを信じていて、きっとオレたちと同じくらい愛していて、きっと、あいつも、…………だが」

「だが、オレの大事な仲間が、あいつと主の絆を嘘だと断じてしまった。あの笑顔を知っているのはもうオレだけで、確かに本当だったはずのことが、何より大切だった物語が嘘にされてしまう、それを知っているのがオレしかいない、それが、それが、…………こんなに辛いことなんだと、オレは、知らなくて、」

山姥切は泣き崩れたまま、ひぐ、と喉を鳴らした。

「山姥を斬ったのはオレじゃない。あいつの物語を嘘にしたのはオレなんだ。なのに、あいつはオレを、嫌味一つで何度も助けてくれた。それが、どれほど難しいことだったか、……今なら、少しは理解できるのに」

「だが、お前は言ってくれた。あいつは優しい眼をしていたと、きっと彼女を大好きでいてくれたと。……ありがとう、主。オレはきっと、もうそれだけで歩いていける」

涙声で山姥切は、何度も何度も、ありがとう、ありがとうと繰り返した。

「だから、主、頼みがある」
「うん」
「お前が見たことは、本丸の誰にも内緒にしておいてくれないか。お前が、お前だけが知っていてくれ」

「お願いだ、どうか、どうか、お前だけは、あいつと彼女の物語を嘘にしないでくれ……っ」

山姥切は、小さな二人目の主を固く抱きしめた。

「オレは、きっと、それだけで歩いていけるから」
「うん、うん、……わかった」



オレにとって二代目あいつは、訪れた真っ暗な絶望の中の、たった一つの光で、希望だった。
長い長いオレの絶望を、八十年の長きに渡って繋ぎ止めてくれた。あいつがいなければ、オレはとっくに擦り切れて、心折れて立ち上がれなくなっていただろう。

お前が、お前だけが知っていてくれれば
それだけでオレは、立っていける、歩いていける

誰がそしろうと、誰が責め立てようと
仲間ですら本科とあの日を否定したのに
お前だけは知っていてくれた。彼女と本科あいつの春の日を。

お前が焼けるのを見送った冬の夜、二度と春が来なくても構わないと思った。オレの春はとうに枯れ果てて、二度と咲くことはないと分かっていたから。
それでいい、お前がオレの願いを汲んで墓まで持っていってくれた、彼女とあいつの優しい物語を知るのが真実オレだけになったとしても。
オレは、お前の埋葬を見送った極寒の中から、お前が蒔いた種が芽吹くのをただ力の限り見守ろうと。

『だいじょうぶ、ですよ。くにひろ』

あいつは床に伏せったまま、老いた手でオレの頬を繰り返し撫でて言い聞かせた。

『春は来ます。ぜったいに。くにひろもきっと、もう一度笑えるかけがえのない春が』

あいつの優しい慰めを、深い諦観の中で微笑して見送った。
人の身には余るほど多くを視てしまう異能の眼で、あいつが遠い未来の何を見定めたのか分からない。
けれど、あいつが託した未来だ。どれほど苦しくとも、オレはただ刀を振おうと。


だから、オレは未だに信じられないでいる。
再び咲いた黄金の桜吹雪を。本丸中にあふれた金色の光を。

あいつが託した、春が。わらう。

『ただいま、まんばちゃんっ!!』

そう笑ったオレの春が
穏やかに笑った本科に手を引かれながら本丸の敷居を再び跨いだ。


そんな、あまりに都合の良すぎる幻を
オレの願望が見せた都合の良い夢ではないかと

未だオレは、現実と夢の境界が分からない



《山姥切国広〜夢と現の狭間におぼれて〜》



鶴丸国永が、目覚めた。
三代目が赴任して墓土から掘り返されても長く、微睡みの中で死んだように生きていた鶴丸が。

耳元で鳴り響く、助けを求める彼女の叫び。
それを聞き付け、泡沫の眠りを切り裂いて再び戦場に降り立ち、勝ち鬨の叫びを上げた。

オレはそれを、戦場でつぶさに見ていた。
桜吹雪が舞い、視界を覆う桃色の中で
白の一閃が彼女のために駆け付けたのを

彼女が己が鶴の名を呼び、泣き崩れながら抱き締められたのを。
錆を洗い流した鶴の太刀が、傷一つ無い剣で彼女を護ったのを。

あの瞬間、この本丸は
百年以上も喪っていた全てを取り戻し


そしてオレは、あの瞬間
夢と現実の境界が、完全に分からなくなった。




夏の明るい陽射しの中、鶴丸国永が悪戯めいた目で笑っている。
彼女も共に幸せそうに笑っている。
これは、過去の夢か、それとも現か幻か。

鶴丸が消えない錆を抱えてふらふらと微睡んでいた間はまだ辛うじて見分けが付いたが、あれからずっと見分けが付かない。
寝ても覚めても幸福すぎる夢の中にいる。それが、次の瞬間にもシャボン玉のようにあっけなく弾けてしまうのではないかと恐れながら、オレは昨夜もまともに眠れなかった。
寝なくとも夢は続いている。今日もまだ目は覚めない。

どこかから紛れ込んだ桜の花びらが
まるで美しい夢のように、ひとひら、床の上に落ちている。

「あっ、まんばちゃんまんばちゃん、見て見て、トマトいっぱい採れたよ!」

ぱっとこちらを見た彼女が、鶴丸の側を離れて走り寄ってきて、泥だらけの手で籠を掲げて嬉しげに笑う。
オレはどこか呆然と、口から勝手に出る言葉をぼうっと見送っていた。

「主?」
「みっちゃんに美味しいスープ作ってもらおうね。ほら、あのまんばちゃんも好きなやつ」

宿る器は違うはずなのに、のほほんと幸せそうな笑顔は変わらなくて
だからますます、夢と現の境が分からない

瞬きする間に、主の顔貌が変わる。今と過去の顔立ちが視界の中で入り乱れて

……まんばちゃん?」

これは、都合の良い夢か。
あるいは、オレの願望が見せた幻か。

足元が揺れる音がする。
まずい、と思い、なんとか立て直そうとしたが、膝の力は容易く抜けてしまった。

体が言うことを聞かない。
ぐらり、と眩暈を起こして、セカイが回った。

「まんばちゃん!?」

土気色の顔色で、まるで今にも吐きそうに口許を押さえた山姥切国広が、ぐらん、と回った視界のまま、ふっと意識を途切れさせた。
瞳から光が消え、急激に体が傾いていく。

自分でも気付かない内に陥っていた疲労困憊に、いつの間にか完全に主人の霊力を受け付けなくなっていたことを、倒れる寸前でようやく知覚する。

傾いだ頭を床に強く打ち付けて、バタン、と昏倒した国広に、周囲は騒然となった。

「どうした!?」
「まんばちゃん、どうしたの!? まんばちゃん!?」

ああ、寝たくない
もし、この夢が、醒めて、しまっ、たら──

青ざめて駆け寄った主の腕を、痕が付くほど強く掴んだ。
その強さに、彼女は反射的に顔をしかめた。

「痛っ
「すまない、主、すま、な」

いかないでくれ

茫洋としたそのうわ言を最後に、国広は気を失った。




「心労祟る、ってやつだな。何につけても、まずはゆっくり休むことだ」
そう診断を残していった医務室預かりの薬研が部屋を退出すると、入れ替わりに盆を持って堀川が襖を開けた。
「兄弟、お粥持ってきたけど、食べれそう?」

襤褸布を固く抱いて包まったまま、床に伏せて出てこない。
極めて以来、布で顔を隠すことは無くなっていたのに。
そんな兄弟の傍らに、そっと黙って付いた堀川へ、山姥切は布の中で首を緩慢に左右に振るだけだけだった。

「すまない……兄弟……
「気にしないで、ゆっくり休んで」

ぐしゃ、と前髪を布ごと握り潰して、山姥切は蚊の鳴くような小さな声を絞り出した。

「目が醒めるたびに、夢なんじゃないかと思うんだ」

今があまりに、あまりにも、オレが望んだ光景とそっくりで、と。
舌は回らず、か細く震えている。

「こんな日は二度と来ないと思っていた。主とあいつが寄り添いながら帰って来る、それを仲間ももう一度受け入れて、……そんな」

夜の冷たさに滲む声は、あえぐような深い絶望に溺れていた。

「そんな、都合の良い話があるわけない。だから」

曖昧な微睡みの中で常にぼうっと過ごしていた鶴丸国永が目を醒ました。
それで、ますます夢と現実の見分けが付かなくなって、眠れなくなって。

「すまない」
「大丈夫だよ、兄弟、気にしないで」
「すまない」

山姥切はうわごとのように繰り返した。
眉根を寄せた堀川は、やがて気付いた。謝罪を繰り返すその瞳には、堀川の姿が映っていない。

「すまない、…………すまない」
擦り切れて力尽きたように浅い眠りに落ちるまで、山姥切は、記憶の中の幻へ向けてひたすら謝り続けていた。
「すまない、……すまない、……約束、を」

果たせなかった。
すまない、と。




「俺のせいだ、俺が」
薬研や堀川達から状況を聞いた加州清光は、ずるずると座り込むように、両手で顔を覆って項垂れた。
「俺がもっとしっかりしなきゃいけなかったんだ。山姥切に、あんなふうに重荷を負わせるべきじゃなかった」

倒れた日から、山姥切はずっと、うわごとのように、虚空に向かって謝り続けるばかりだった。
夢と現実の区別を付けられないまま、彼女と鶴丸を喪った、山姥切長義とこの本丸が決定的に決裂した火葬の朝の中にいる。

その深い深い絶望を、百年に渡って抱えて完璧に隠してきた。
堰き止められたそれがついに決壊し、噴出した、ということのようだった。

むしろ、今まで崩れなかったことの方が不自然だったのだろう。
少なくとも、二代目が居た八十年余り、ただの一度も山姥切は、その苦悩を周囲にぶつけたことがなかった。

「あんなに苦しんでたなんて知らなかった。俺が、俺が仲間を、彼女と次代あのこに託されたみんなをちゃんと支えなきゃいけなかったのに」

清光が唇を噛み締めた。

「そうだ、あいつが、仲間達おれたちに主と自分の本科の在り方を否定され続けて、平気なはずがなかったのに、俺、自分のことばっかで」

俺が、自分の無力さから逃げたから
鶴丸が居ない中で、俺があいつの大事なものを憎んだから
だからあいつ、どこにも吐き出せないまま、百年もずっと
本当に恨むべきは山姥切長義でも政府でもない。何も出来なかった俺の方だったのに。

「ごめん、ごめんあるじ。俺が間違ってた。俺のせいだ」
「かしゅー
「ごめん、ごめん、今さら都合が良いって分かってる。けど、あいつを、山姥切を、」

お願いだ。助けてやって。

俺にはきっと無理だ。今のあいつにとって俺は
あいつを苦しめる針の筵にしかならないから



「はあ?」
来訪した長義は、国広の現状を知るや否や、物凄く不快そうな声を出した。
周囲が止めるのも聞かず、部屋に突撃してきて、ばんっと襖を両手で開けて
「起きろ。おい、ふざけるなよ」
とドスを効かせた。

布団を剥ぎ取り、力尽くで道場まで引きずっていく長義を、側にいた堀川は慌てて止めようとしたが、じろっと切れ長の瞳で視線を流した長義は
「すまないが、黙っていてくれないかな。俺とこいつの問題だ」ととりつく島もなかった。

ぶんっと国広を道場に放り出した長義は、木刀を床に投げ付けて
「取れ」
と冷たく言い放った。
一向に国広が動かないと見るや否や、長義は自らも木刀を取り、一方的に滅多打ちにした。

脇腹にガツンと激しい一撃が入った。肋骨にヒビでも入ったのか、かは、と口角から血を吐いた国広に、長義は冷たく容赦無かった。

……折る気か」
「構わないだろう? 下手な写しなんて偽物以下だよ」

急所に一撃が迫ってようやく木刀を取った国広を、容赦ない一撃が吹き飛ばす。
ガッと道場の壁に叩き付けられた国広が、ずるずる、と座り込んだ。

「ふざけるなよ。くだらない感傷は主を失った後で好きなだけやれ。この前も最前線で危うく主人が戦死しかけたばかりだろうが」

胸倉を掴み上げた長義が低く恫喝した。

刀剣男士おれたちに立ち止まってなまくらでいる時間なんて無いんだよ。現実を見失っている内に、あっという間に大事なものが両手からこぼれ落ちるぞ」

……どういう意味だ。まさか、主に何か」
「現実がまともに見えていない今のお前に言ったところで意味が無いね。無駄なことは嫌いだよ」

木刀が空気を裂き、容赦なく国広の身体を叩き据える。
稽古用の木刀が木っ端微塵に折られ、木片が散る。殴り倒されて立ち上がれない国広に、長義は冷たく鼻を鳴らした。

「まったく、とんだ見込み違いかな。これではあれだけ時間を割いて鍛えてやった俺が馬鹿みたいじゃないか」





「強制演練!? しかも、負けたら本丸解体!?」

長義が持ち込んだ一報は、この本丸を窮地に立たせる物だった。
明らかに冷遇と言えるその無慈悲な辞令を、いち早く持ってやって来た長義から、ぶん取るように加州が慌てて書類に目を通す。
書面を握った加州の手は、怒りと焦燥でかすかに震えた。背中にじっとりと嫌な汗が伝う。

「なんだこれ、言いがかりも甚だしいじゃねえか!」
「そうだな、言いがかりだ。政府の正式な判を押された、な」

長義は眉一つ動かさず、冷ややかに淡々と続けた。

「レディ、きみを指名した前任が政府の最重要機密クラスの要人だったことは知っているね」
「う、うん」
「彼には敵も多かったが、狂信者もかなりいてね。まあ、皮肉にもそのおかげで暗殺の坩堝でも何とか首を繋いでこれたとも言えるだろうが。その内の一つに、彼を勝手に教祖に置いた宗教法人がある」

幹部クラスは全員、前任の先見の預言で劇的に命を救われた連中かその二代目だな。
淡々と長義は、そう調査結果を詳らかにした。

「連中曰く、彼はこの世を導くために天から遣わされた救世主メシアなのだそうだ。故に、死した彼が再び復活するための母体を探している」

キリスト教思想をごく表面だけなぞった、実態は似ても似つかぬ新興宗教だ、と。

「幸か不幸か、レディ、きみはその審査に落ちたらしい。速やかに首をすげ替え、新しい母体にこの本丸を持たせて神を下すのだそうだよ」

ぞわ、と彼女は背筋が粟立った。

「当然、最精鋭で臨むべきだろうね。残念だが今回、俺にできるのはここまでだ」

正式な辞令は二ヶ月ほど後になるだろう、と言い置いて、長義は立ち上がった。

降りかかる危険を承知で内部情報をいち早くリークしてくれた事実に気付いた彼女は、ハッとして、慌てて書面から顔を上げて「長義せんせー、本当にありがとう」と重ねて礼を言った。
長義は「礼にはまだ早いよ、レディ」と答えた。

「辞令を無理矢理取り消したとしても、すかさず次が来るだけで意味が無い。この本丸は常に狙われている。絡め手を使われるよりは正面突破できるだけまだマシだろう」

刀たちへ視線を流した長義の青い目が、冷たく監査するようにじろりと流れる。

「実力を示せ。この本丸ならできるだろう。…………そう、思っていたんだがな」

ちっ、と長義は苦々しく舌打ちし、奥歯をギリッと噛み締めて吐き捨てた。

「がっかりさせてくれる」







山姥切国広は、初期刀の加州清光に並ぶ、この本丸きっての最精鋭だった。
これが普段の戦場ならば、任務ならば、いくらでも皆で補ってやれる。極めた刀は国広だけじゃない。山姥切が崩れ落ちてから皆、誰一人決して急かすことなくその穴を分担して埋めていた。

だが、演練は六振り。
限られた戦力で決して撤退が許されない中、本来ならば今こそ鮮やかに開花した国広の力が必要だった。

期日まであと三日。
刻一刻とタイムリミットが迫る中、山姥切はまだ夢現の狭間の微睡みから目覚めない。

「あるじ

清光は心配げにそう口にした。
黒机の上をじっと見つめる彼女の目の前には、明日の朝までに提出しなければならない、演練参加刀の一覧名簿がある。

本来なら、万全のメンバーで臨むべきなのは明白だ。
にも関わらず、そこには山姥切国広の名前があった。

「あるじ、やっぱり危険すぎる。山姥切が出られなかったら、一振り欠けたまま五振りで戦わなきゃならなくなる。さすがにメンバーから外すべきだ」
……うん」

わかってる、と静かに答えた彼女は、それを懐に仕舞い込み、用意してあった代案のもう一通の方だけを静かに折りたたんで、封筒に入れた。

カチ、カチ、と時計の針が夜を刻み続ける。

「あるじ、あるじ、心配しないで。本丸解体なんて絶対にさせない。山姥切が居なくても、あるじのことは、俺たちが絶対護るから」
「ふふ、違うよかしゅー。わたし、なーんも心配してないよ」

清光の主はふわりと笑って、清光の頭をそっと抱き寄せて、自分の肩に乗せさせた。
困惑した清光は「あるじ?」とされるまま口にした。

「ぜったい、ぜったい護ってくれるもん。五振りだって、たった一振りになったってかしゅーは負けない。だって、せかいでいちばんつよい、わたしのかしゅーだもん」

寄り添いあう彼女の手のひらが、優しく愛おしそうに清光の頭を撫で、髪を梳く。

「まんばちゃん、きっと今も必死に戦ってる。タイムリミットの最後の一秒まで、信じて待ってあげたいだけなんだ。ほんとは今一番駆け付けたいのは、まんばちゃんだと思うから」

あのね、わたしね、ちゃあんと知ってるよ。
と透明な声が幸せそうに謳う。

「わたしが心から『助けて』って祈ったら、絶対に来てくれる。かしゅーも、鶴るんも、まんばちゃんも、みんな」

迷いない声だった。澄み切った信頼だけを言の葉に載せた、透明で揺るぎない強い意志だった。

「信じてる。信じてるよ。精一杯張り上げた声が届かない刀なんて、この本丸には一振りもいないって、みんながわたしに教えてくれたの」







泡沫から歌が聴こえる。
微睡みの奥にささやく優しいメロディが、あたたかな子守唄ララバイを歌う。
淡い眠りの中から浮上すると、国広の頭を膝に乗せて、明け方に彼女が歌っていた。

「あ、起きた?」
…………あるじ」

揺籠を揺らすような優しいメロディは、ますます夢と現の境界を溶かすようで
指が金糸にくるりと絡んでは、優しく遊んでするりと抜けて、温かい手が頭を撫で続ける。

開け放った襖の向こうで、金色の桜が散っている。
薄暗いはずの夜明け空が、輝く黄金の花弁できらきらと光って。

……これは、夢か、それとも」
「どっちがいい?」

望洋と口にした国広に、不意に彼女は、歌うように笑った。

「まんばちゃんは、今が夢とほんと、どっちがいい?」
……え」
「決めていいよ、まんばちゃんが」

「わたしが叶えてあげる。夢でもほんとでも、まんばちゃんが好きな方でいられるように」

されるままの国広の手を取った彼女は、手のひらを自分の頬に当てがって、すり、と愛おしそうに頬をすり寄せて微笑んだ。

「夢がいいなら、ずぅっと付き合ってあげる。ほんとがいいなら、眠るの怖くなくなるまで一緒に寝てあげる。わたしの願い、わたしの人生、わたしの命、ぜんぶ護り続けてくれたまんばちゃんだから」

ただただ、甘やかすように
砂糖菓子のような甘さで愛おしそうに謳う。

「だいすきだよ、まんばちゃん。だから、まんばちゃんが選んで。わたしとまんばちゃんの未来を」
…………みら、い」
「うん。未来。夢でもほんとでも、きっとおんなじだよ。だって、わたしには、ぜんぶ叶えてくれるみんながいるから」

何の不安もなさそうに笑う彼女に
どう、して、と。掠れた喉で疑問を口にした。

なんでオレなんかが、お前の未来を決めていいんだ。

「どうして? ふふ、まんばちゃんはね、わたしのとびきりの宝物だからだよ。知らなかった?」

まるでひばりが歌うように、軽やかに彼女は笑った。

「だから選んで。わたしの物語を。まんばちゃんが笑う物語以外、いらない」

ゆるり、と国広の手を取った彼女は、指を絡めた。
あどけなく小指に小指を絡めて、幸せそうに彼女は笑った。

「夢みたいなほんとも、ほんとみたいな夢も。ずっと一緒に生きて。まんばちゃん」





…………あるじ、そろそろ」
「うん、今行くよ、かしゅー」

そっと国広の頭を枕へ戻して、彼女は迷いなく立ち上がった。

「時間だね。行かなきゃ」

離れていく彼女の背に、国広は「あ」と手を伸ばした。
鉛のように動かない体、手が届かない。

彼女はくるりと振り返って、夜明けに綻ぶ花のようにただ笑った。

「まんばちゃん、答えは、帰ってから聞くよ」






「良いのか、こたえてやらず」

主人が去った居室にて。低い声、ひとひら。

部屋の隅で、じっと成り行きを見守っていた山伏国広が、目にも鮮やかな橙の布地をばさりと自らに掛け直して立ち上がった。

「己の望みと向き合うことが、歩み続ける力となるのだ。どれほど迷い、惑うも良し、それもまた修行」

暗い暗い群青の夜明け空が、朝焼け色に輝いていく。
美しいオレンジ色が、山姥切の瞳に映り込んで、その境界を溶かしていく。

ぱちり、と目覚めるみたいに
見開かれたその鮮やかな碧眼が、光を持った。

…………ともに、いきる」

ものがたり。

吐いた息が熱を持つ。
枯れた春が息を吹き返して、朝陽を吸ってどくんと脈打つ。


────だいじょうぶ、ですよ。くにひろ


耳元であの日の老いた主が、何もかもお見通しみたいな顔で、愛おしそうに笑った。


選んでいい、と彼女は言った。
オレとあいつの物語を、もう一度。


オレの春が、わら


────春は来ます。ぜったいに。くにひろもきっと、もう一度笑えるかけがえのない春が


ざぁぁぁ、と桜吹雪が高く舞い上がった。


まぶしい橙の光にしとどに濡れながら、山伏は振り返った。
「して、己が心願は見つかったか」





刀掛けに置かれた鞘を引っ掴み、朝焼けの中に駆け出していった兄弟を見送って、山伏はその背へ鷹揚に笑った。

「胡蝶の夢、邯鄲の枕。大いに結構。我ら刀剣男士、この身を夢見たはたれか、人か鋼か。さして変わりはせんだろう」

「夢も現も精一杯に生きるから、まばゆきもの。なれば、泡沫も幻も等しく、懸命に生きねば、な」





朝焼けに濡れる中
ポストに封筒を投函する間際に
彼女の手を止める者、あり。

振り返った彼女は、まばゆい暁に輝く愛おしいものを見つけて
花咲くように、笑った。







大演練場にて、その試合はつつがなく行われた。

それを政府席からじっと見下ろしていた長義は、美しき銀細工の星のように輝くプラチナブロンドを片手で払いながら「ふん」と鼻を鳴らした。
「まったく、不可にしてやろうかと思ったが、……まあ、今回だけ、及第点をやろうかな」

勝者の判定が出ると同時に、夜明け空のような銀のストールを颯爽とはためかせながら踵を返した。
口許に笑みを払って。

振り返らない長義が未練なく立ち去った部屋の、窓ガラスの下では。
主人に勝利を捧げた山姥切国広が、とろけるように微笑みながら、両頬に主の無垢な手のひらを柔らかく受け止めている。







◼︎こぼれ話(長義サイド)

<国広と長義>
・そもそも元から「何が来ようがぶった斬ればいい」の理屈で動きがちの長義とまんばであるが、この本丸は長義がまんばを直に鍛えたという事情もあって、まあ輪をかけて自然に似てしまうのかもしれない。力技なところが。
・そもそも長義から見て、この本丸は初代の時代以上に様々な危険(特に政治的に)を抱えていて、次代の頃に力になれず歯痒かった分、実は本気で力になるつもりでいる。だからこそ内部の国広が頼りない状態では何があるか分からない。国広は第一部隊隊長も任される筆頭打刀だ。
・せっかく俺が助け舟を出してやったのに、お前がそんな状態でどうするんだ。
・長義からすれば「励めよ。彼女の言葉に恥じぬよう」に「ああ、誓って」と誓い立てした国広がこの体たらくじゃそりゃキレるわな。ただでさえ短気でゴリ押しな面がある長義、全力で殴って現実を見せる方針になってしまうのも当然の帰結というべきか。
・長義視点では、少なくとも彼女にとってお前は「長義の傑作が人に与えた感動から生まれた」で、それを胸に百年も前に極めておいて今さら布に包まって自分の殻に閉じこもるとか、長義から見れば彼女と本歌の顔に泥を塗るも同然なのである。言い換えれば「俺や彼女の誇りを名乗っておいてそんな姿を見せるなど言語道断ふざけるな」という愛情の裏返し。長義は誇りと愛情が分かち難く結び付いているので、怒りが大きくなりがちというか、国広への期待の大きさの裏返しというか。
・長義は、国広が自分に指導を願い出た時の啖呵「オレにできるのは、写しがその程度なら本科もたかが知れている、などと侮られないように強くなることだけだ」を二百年近く経っていてもがっっつり覚えているので、今回の国広の体たらくに関しては「お前、お前、お前〜!!ふっっざけるなよ!!(地団駄)」である。長義は執念深い。

<初代と二代目と長義>
・長義は彼女と出会った頃は、サーバー長とこの世の地獄を爆走してた時期なので、懐刀として当然友が最優先であり、必ずしも彼女のために全力を注げるわけではなかった。そして友の火葬を見送ってからは、彼の後を継いだいささか頼りない後任を支えるのに忙しかった(生涯の友ガチャでクリティカル引いたせいで輪をかけて理想が高くなっている長義の眼鏡に叶う有能な人間なんて早々見つからないので当然である)。今は長義の尽力もあって友の意思を継いだ系譜は盤石になっていて、なおかつ思う存分彼女(三代目)を支える機会を得たので、実は長義は水を得た魚で、あんまり顔に出ないだけで生き生きと政府の泥の中を泳いでいる。
・長義は次代の先見の中で、実は何度も何度も何度も命懸けで次代の命を救おうとしてくれていたのだが、次代はその先見をヒントに自分が死ぬその未来を常に回避してきたので、長義は自分が来なかった未来で次代を命懸けで救おうとしていたことは何も知らない(その心づもりだったがついぞ機会が無かったと思っている)。だが、その返礼の結果として、三代目をエスコートする栄誉を受け取っているので、長義の献身は本人も知らない内に最高の形で報われている。

<三代目と契約と長義>
・初代の時代、そろそろ教育係を引退しても問題なくなっても晩年まで「教育係」の名目をゴリ押して彼女のもとに通い続けていた長義は、三代目の時代も「初代との契約(自分の没後、一度だけでいいから愛するみんなを助けてあげて)を履行するため」の名目をゴリ押して監査役をもぎ取っている。
・本来は「二代目の指名を無理を通して三代目に繋いだ」時点で長義の契約は達成され、彼女の忘形見であった契約は自然に解ける手筈だったのだが、三代目が長義を「長義せんせー」と呼んだ瞬間に慌てて契約の達成をキャンセル(力技で握りつぶして無かったことに)して契約を残して居座ったのである。
・つまり、「初代から頼まれたのはあくまで次代までの話」で、長義の予定では本来三代目を助ける気は無かった。三代目以降にまで契約の範囲を拡大解釈してしまうと、三代目以降がそれこそ仮に刀剣男士を虐げる人間だとしても長義が手助けしなければならない、という状況が発生するリスクがあるためである。そういった形で彼女との契約を逆手に取られて悪用されないように、長義は冷静に、二代目の没を契機に、彼女の忘れ形見といえど正しく契約を手放すつもりだったのである。しかし長義目線、三代目ガチャを望外の大成功オブ大成功クリティカルしたため、契約を手放す気がゼロとなり、これ幸いと全力で居座って三代目を補助する方向に舵を切ったのである。
・初代との契約の内容が「愛するみんなが心から次の審神者を愛せたらその人を一度でいいから手助けして欲しい」だったので、長義はこれ幸いと「あの本丸の刀剣男士が本当に心から新たな主人を愛しているか、つまり契約の条件を満たしているか、俺には定期的に確認する義務と権利がある」という理屈でゴリ押したのである。
・そして「引き継ぎ時の手助け?さあ知らないね。あのとき個人的に手助けしたのは三代目であって、初代との契約はまだ達成されてない、つまり契約履行のタイミングを測るために俺はこの本丸を監視する義務がある(ゴリ押し)」をひたすらゴリ押している。長義は三代目の晩年までこの理論でゴリ押す気満々である。

<長義の執着と彼女と鶴丸とまんば>
・実のところ、長義はこれでも満足しておらず「自分がさらに内側に噛んで彼女を堂々と手助けてしてもいい理由」を密かに手に入れたがっており、三代目から言質を取る機会を虎視眈々と狙っているのだが、三代目はちゃんと審神者教育を受けているので自分の刀以外に早々言質はくれない。チッ、こんなことなら何も知らない初代の内に体裁を気にせずもっとゴリゴリ言質を取っておくんだった、と舌を打っている。
・つまり長義は実は、自分を鍛刀した訳でもない主でもない、政府が監督するいち審神者に完全に情が移っており、これ幸いと主人に準じる介入権利を欲しがっている時点で相当の執着と言えるのだが、非常に冷静に周到にひた隠して権利を手に入れようとしているので一見すると問題になっていないだけなのである。鶴丸は祭囃子で目を覚ました時点でそのことに速攻で気付いたため、政府を挟んでもう敵対する理由がないにも関わらず結局犬猿の仲である。オレの!オレの雛に!悪いムシが付いてる!オレが寝てる間に!!
・鶴丸からすると、寝てる間に打ち手は三日月の物にすげ変わってるわ、本気で言い寄る男が増えているわで踏んだり蹴ったりである。まあいつまでも寝ぼけていたのが悪いのだが。

・この長義のこの傾向は、数ある山姥切長義の中でもだいぶ過剰なのだが、そもそもこの長義は「主無き極個体」という特定の個人への愛情深めの特殊事例であり、なおかつサーバー長という己の全てを捧げてもいいと思える友(という名の擬似的な理想の主人)を持ち、かつ既に火葬を見送った個体なのである。
・なので「彼女は俺の主ではないが、主でなければ尽力してはいけないという法はないな???(ゴリ押し)」という方向でうっかり既に先例があるため、マジでこのままゴリ押す気でいる。
・ちなみに、本科のその傾向を薄々察したまんばが一度「お前は政府の刀だから、この本丸に赴任するのも不可能ではないだろう。もしかしてそうしたいのか」とド直球で聞いてみたことがあるのだが、長義は「はぁ?俺が中に入ったら彼女を外から手助けできなくなるだろう。馬鹿なこと言ってないでさっさとその書類を寄越せ」と答えた。その日はそれで終わったのだが、国広は後から冷静に考えると「主の刀になってもいい、という部分はそういえば否定しなかったな」と気付いた。
・まあ、長義は彼女の刀になりたいのではなく「彼女の刀でないまま彼女の刀のように振る舞いたい(友の時のように)」なのだが。
・要は、気に入った人間を全力で支援したい、そのために自分の能力を遺憾無く発揮したい、その言質が欲しい、という意味では、どちらかといえばこの長義は「刀剣男士の理論」というより「人間に情が移った付喪神の理論」で動いている。

<長義と本丸>
・三代目の時代の加州清光たちから見た長義は「初代との約束を護り、二代目が見つけた彼女を、自分たちのもとへ連れてくるため尽力した人物」ということになる。
・鶴丸国永の封印解除と三代目への継承にも尽力してくれた。
・そもそも長義と加州達の溝は「鶴丸を封印した」「彼女の信頼を平然と裏切った」が内訳なので、「二代目に依頼された長義が鶴丸の封印解除の権利書を見事に勝ち取ってきた」「長義が再び彼女の信頼を勝ち得た(鶴丸封印の責任を彼女が長義に求めなかった)」で対立する大枠の理由が消失している。
・当然「また裏切るのでは」という疑念はあるが、「好きなだけ疑ってくれて構わない。俺は俺で俺の都合で彼女を支援するだけだからね」としれっとしており、一貫して今最も必要な支援の手を差し伸べてくれている(しかも前回と違い、政府と本質的には敵対する形で、完全に私的に)ため、二代目の異能を失って自分たちだけでは政治面で三代目を護り切るには力不足だ、と冷静に理解している長谷部などを中心に、主人のために表面上は長義の支援を積極的に受け入れると決めたのである。
・軍略の要だった鶴丸が完全復帰してからは、長義の支援を受け入れつつ、利用しつつ、しかし長義の主人に対する過度な干渉はかわしつつ、とバランスを取る方針。長義というカードは、扱い注意だがそれ以上に現状では無二の価値がある。長義自身がそう自覚的に振る舞い、彼女に対して自身の価値を吊り上げ続けているからだ。
・ちなみに彼女は、長義を心から信頼している一方で、今回は正しく審神者教育を受けたため、長義が言質を取ろうとしていることに対してきちんと自衛している。長義への信頼は人柄に対してであって、神と人の子の関わりにおける自衛は完全に別の話、と理解しているのだ。人に近い神の前で自衛せずちょろちょろするのが危険性への誘惑に近い効果を持つことを、初代の頃は全く分かっていなかったが、今は正しく学んで分かっているのだ。
・対外的には、長義は「封印解除した鶴丸国永と瑕疵本丸の監視者」という体裁になっている。よって長義は、本丸へ流した数々の情報漏洩は確実に厳罰対象であり、その危険を躊躇わず彼女を支援すると長義自身の意思で決めて動いている。長義は長年サーバー長を陰に日向に補佐してきた政治的な影の功労者であり、危険ではあるが自分の行動を隠し切れる自信があるのだ。



……うん、うん???
国広はやがて違和感を覚える。
違和感、いわかん
オレが知る二人より
本科の目が、どこか

(甘い、ような……

躊躇いがちに長義へ言及する国広に
「おや、お前、そういう機微が理解できる情緒があったんだね」
とさらりと流しつつ
「まあ、とはいえ、放っておいてくれないかな。馬に蹴られたくなければね」
……!?!?」
「冗談だよ」
からかわれたのか本気なのか分からない
だが、そもそもあいつは、そういった気を持たせるような冗談を好むタイプでは、なかった、ような
ということは、まさか、本気、なのか??
まんばは大混乱である
ということで堀川に相談した結果、目の色を変えた堀川により本丸を挙げた大会議になるわけだが

長義側の実態としては「俺の望みは彼女の人生に合法的に介入する権利を手に入れること。彼女が恋愛的に俺を欲した場合、俺の要望と彼女の要望は合致することになる。ならば、そういった役割を彼女の望みに合わせて演じ与えてやることはやぶさかではないね。まあ、恐らく彼女はそういう形を望んでいるわけではないだろうが」というのが正解である。




いつも通り百合の花束を肩に負い、柄杓と水桶を手に、長義はそこに立った。
柄杓が傾き、すくった水がきらきらと流れる。
「やあ、来たよ」

奇跡のような形で再び巡り会えたんだ。ここで死力を尽くさないなんて馬鹿のやることだろう。
好きにやるさ。これまでも、これからもね。
きみといい彼女といい、人の子の時間はただでさえ短いしね。
すまないが、きみと地獄巡りはまだ当分先になりそうだよ。気長に待っていてくれ。

まあ、さあ今から泉下の客となろうって時に、よりによって化け物斬りの刀を置いて逝くようなきみのことだ、そっちの方が好都合なんだろうが。はあ、我が儘な友を持つと苦労するね。
何もかも思惑通りに進んでほくそ笑む、あの呑気な笑みが目に浮かぶようだよ、まったく。

そんな柔らかな長義の本音を聞いているのは
月命日には必ず来訪する、友の墓石だけだ。


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