南海太郎朝尊、肥前忠広、就任経緯
ちょっと肥さに
1p くがねも玉もなにせむに(南海太郎朝尊と主、歌仙)
2〜7p こたび、始まり始まり(肥前忠広と主と南海太郎朝尊)
8p こぼれ話
9p ラストエピソード肥前忠広〜惚れた弱み〜
続き:肥前忠広編(彼女の愛と玉手箱)→https://privatter.net/p/11910341
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《金も玉もなにせむに》
刀は玉鋼から生まれる。玉鋼は砂鉄から作る。では、砂鉄はどうやって作るか、知っているかね。
南海太郎朝尊は、いつも通り穏やかな調子で、不意にそう問いを投げかけた。
尋ねられた彼女は、ぱちぱちと瞬きながら首を傾げた。
「そういえば、どう集めるんだろ? 磁石とか使って川から探したりするのかなあ?」
「当たらずとも遠からず、といったところかな。一言に砂鉄と言っても、含まれる不純物や純度によってその性質は大きく変わる。そして玉鋼の生成に向いた砂鉄は、花崗岩を水路で砕いて作るのさ」
良質の花崗岩が手に入る地域は限られる。
山から取り出したそれを水路、いわば人口の川の力で徐々に砕いていき、中の砂鉄を取り出していくのだ。
「つまり、山を削って川に流して取り集めるというわけだね。これを鉄穴流しと呼ぶ。玉鋼用の砂鉄とは、元を正せば砕いた岩なのさ」
「へえ、刀の材料って岩から作るんだ…!」
「そして、花崗岩とは、マグマがゆっくりと冷え固まった火成岩。つまり刀剣のルーツを辿っていくと、最終的には地底のマグマへと行き着くわけだね」
「わあ、なんだか不思議だねえ」
岩から取り出された鉄砂は、練り上げられると美しく純度の高い鋼へと変化していく。
こうして鍛えられた鋼は、時に純金にも勝る価値と美しさを得る。これを指して、純金を意味する真金にちなみ、真鉄と呼ぶこともあるほどだ。
「事実として、名刀は古来から現代に至るまで、時に同じ重さの黄金を遥かに凌駕する値が付けられることもままある。練り上げた美しい真鉄の価値は時に純金を上回るというわけだ」
「わっ、すごいなあ」
「そう、鍛え上げられた真鉄は金に並ぶ。ならば、我ら真鉄を遥かに上回る価値ありと、古くから言い伝えられるものはなんだと思うかね?」
「……? 金より、刀より、価値があるもの?」
「そう」
砂鉄から取り出した真鉄を練り上げて強い刃金へと鍛え上げる。それこそが刀剣の本質。
どれほど人を模したとて、我らはどこまで行っても黒鉄の身だ。
なぞなぞのような朝尊の問いかけをじっくりと咀嚼すると、彼女は深く考え込んで、やがて、ゆっくりと眼を見開いた。
「……くがね。くがねもたまも?」
「その通り。つまり、きみだ」
金も玉も何せむに。
どれほど黄金に勝る価値があろうとも、人の子の無垢な命に勝るはずがあろうか。
だからこそ自分たち付喪神は、時に己が折れても人の子を護ることを躊躇わらない。
岩を砂鉄に、砂鉄を真鉄に。真鉄を魂宿る名刀へ。
その全て、人の子の手のひらあってこそ。
代替品には決してなりようがない。
それを刀剣男士として正しく立つものは、皆教えられずとも知っているのだ。
南海太郎朝尊とのやり取りを彼女から聞いた歌仙は
ほう。と感心したような声を出した。
「ふむ、たとえ同じ文系でも、知的な学者肌の彼と芸術畑の僕では、少々分野が異なると思っていたのだが」
なるほど、実に雅じゃないか、と。
歌仙兼定はそうひどく満足げに微笑んだ。
「そうだね。その通りだ。金も玉も何せむに。勝れる宝、子にしかめやも。どれほど僕らに価値があろうとも、きみに勝る宝があろうか」
この本丸の至宝の手を優しく取って、歌仙兼定は優美に微笑みかけた。
「そのために僕らがいる。傷一つ付けてなるものか」
だから、安心をし。
僕らの珠玉に手を出す無作法者は、全て斬って捨ててしまうからね。
そんな、いたく物騒な言い回しに親愛を込めて、歌仙兼定は愛情深く微笑みかけた。
彼女は「ありがと、歌仙」とくすぐったそうにはにかんだ。
「政府から来た彼らとも、良好な関係を築けているようで良かったよ」
「朝尊せんせーね、いろんなこと教えてくれるよ。とっても楽しい」
「それはなによりだ。それにしてもきみは、本当に学ぶことが好きだね」
「うん、知るのは楽しい。だって、もっとみんなのこと知れたら、もっと仲良くなれるでしょ」
そう言いながら、彼女は花咲くようにふわりと笑った。
これまで殊の外固い結束でやってきたこの本丸だが、様々な事情が重なった今となっては一枚岩ではない。
監査官、山姥切長義の息が掛かった形で政府からやって来た彼、南海太郎朝尊。そして肥前忠広。
それから、則宗を中心とした一文字の者たち。
勢力図の変化には慎重にならざるを得ない状況ではあるが、けれども、彼女の在り方はずっと変わらない。
進んで寄り添い、己の目で為人を確かめ、信を差し出し、絆を結ぶ。
あたかも容易そうに行われるそれが、どれほど難しいことか。
だいぶマシになったとはいえ人見知りの気が完全に消えたわけではない歌仙としては、いつも感心するばかりだった。
彼女の在り方はいつだって春風のように軽やかで、陽に干したばかりの布団みたいなふんわりした温かみを兼ね備えた、一際稀有で柔らかな愛だ。
「きみは、彼らとどんな関係性を作っていきたいんだい?」
「まだわからないや。けどね、素敵なものにしたいな。相談しながら一緒に決めるよ。朝尊せんせーともひーちゃんとものりちゃんとも」
「そうか。きみらしいね」
晴れ空の双眸をそっと細めた歌仙は、柔和に微笑んだ。
「きみが思う通りに在ればいい。きみの選ぶ道が僕らの道だ。どんな道でも共に征くからね」
「うん」
彼女は、まるで満開の金木犀が咲きこぼれるように嬉しげに笑った。
「あのね、わたしもね、歌仙のことだいすきだよ」
「知っているとも。僕らはきみだけのための金なのだから」
◇ ◇ ◇
◼︎銀も金も玉も何せむに 勝れる宝 子にしかめやも
──引用、万葉集
◼︎参考資料
戦国武将足利長尾の武と美──その命脈は永遠に──(2022年.著 足利市立美術館.83pまがね.くがね)
下記、引用
────鉄の美しさは極められ、様々な刃文も生み出されました。鉄は卑金属とされますが、古来「まがね」と呼ばれ、「くがね」(金)より大事な金属でした。鍛えられた鉄の美しさは金をもしのぐものです。
《こたび、始まり始まり》
「さて、今日はこれで終いにしよう」
「ありがとう長義せんせー」
政府の監視役という立場であると同時に、様々な思惑の下とはいえ彼女の教育係も兼任してくれている山姥切長義は、今日もつつがなく予定を終えて立ち上がった。
「さて、普段ならこれで切り上げる所だが……少し、大事な話がある」
「お話?」
「ああ。教育係としてではなく、政府の監査官としての立場から、だ」
その言葉を聞いて、不思議そうに首を傾げていた彼女は、すっと背筋を伸ばし、姿勢を改めた。
長義は優美に微笑むと片足を引いて上品に一礼した。
「レディ、この後少々、時間をいただいても? もちろん、近侍や初期刀を同伴させて構わないよ」
「さて、知っての通り、この本丸は審神者が月の大半を不在にしている。故に主人の指揮を欠いた参加が認められない任務──特にそう、特命調査に参加することが事実上難しい。それに見合う戦力があったとしても、だ」
長義は殊更ゆったりとそう口にしながら、用意された緑茶をすすった。
彼女の左右に付いた加州清光、そして鶴丸国永はじろりと油断なく長義を見つめている。長義の背後にいる政府の介入を警戒しているのだ。
「故に、その成果に見合えば得られる刀を手に入れる機会がほぼ無いと言っていい。前線本丸と違い、一括配布も対象外だね。戦況は刻一刻と変化する。だからこそ、機会を逃さず、様々な角度から戦力拡充を図るのは、必要不可欠だと思わないかい?」
「まだるっこしいな」
「短気は損気だよ。では、本題と行こうか」
加州清光のひと睨みをさらりと流して、長義はこう口火を切った。
「有り体に言えば、政府から政治に強い刀を迎え入れる気は無いかい、ということかな」
ぴく、と眉を跳ねさせた鶴丸国永が、剣呑に眉根を寄せた。
「……なんだと?」
「南海太郎朝尊。俺と同じく、政府刀の一振りだが、彼の希望で所属する本丸を探していてね。監査官として公正に吟味した結果、この本丸は資格があると判断した」
長義は淡々と事務的に口にしながら、けれどいささか高慢さの滲む笑みを浮かべ、口角を吊り上げた。
「受け入れるかどうかは彼らから詳しい話を聞いて決めればいいだろう。とはいえ、貴重な機会は逃さない方が良い、とだけ言っておこうか」
「……いやはや、驚きだなあ。監査官殿はずいぶんとオレたちを買ってくれてるらしい」
完璧で美しい微笑みを浮かべながら、鶴丸がひどく冷たい声を出した。
「いったい全体、何をもってそう判断してくれたのやら、とくと聞きたいところだなあ」
「言っただろう? 公正な吟味の結果だよ」
「公正、ねえ」
表面上だけ穏やかな言葉の応酬に針のような剣呑さを含ませ、バチッと視線が火花を散らす。
「良い驚きだといいんだがな。一文字則宗をこの本丸に送り込んだきみが、さらに政府の連中を増やして、何を企んでるのか」
「さて、どうだろうね。好きなだけ疑ってくれて構わないが。無駄なことが好きならね」
成り行きを見守りながらも、長義の言葉をじっくりと咀嚼するようにしばらく考え込んでいた彼女は、やがてスッと顔を上げた。
「長義せんせー、ひとつだけ聞いてもいい?」
「なにかな」
「彼らの派遣は、長義せんせーの意思なんだね? しがらみや誰かの都合で仕方なく、ではなく」
その美しく無垢な双眸で。
彼女はまっすぐに長義を見つめ返した。
いかなるものにも惑わされず、常に本質だけを鋭く見極めようと眼を凝らす、力強くしなやかな瞳だった。
「長義せんせーが、この本丸に必要だと判断した。それで間違いない?」
「ああ」
長義はそのアイスブルーの瞳を煌めかせ、真摯にこう断言した。
「この山姥切長義が責任持って判断した。それに相応しい本丸、相応しい刀だと」
彼女はそれを聞くと、たちまち、ふわっと表情を和らげた。
「会ってみます、長義せんせーがわたしたちのために選んだ刀たちに」
「きみ」
「あるじ」
「決まりだな」
《南海太郎朝尊、肥前忠広、就任経緯》
「借用書?」
「折らずに返却する義務がある、ということだね」
政府からやって来た南海太郎朝尊、そして肥前忠広が持参したその書類。
正式な政府の判子を押された、それ。
前線本丸では戦死、事故、そして後方支援隊では戦略的な棄損が発生しやすい。
つまり、要人警護本丸かつ折らない、というのは意外に難しい。
「そう、表向きは、この本丸も既に何振りも折れていることになっているだろう? ああ、誤解しないでくれたまえ、事情は聞いているよ。以前から条件の合う本丸を探していたのだが、なかなか見つからなくてね。そんな時、長義から推薦があった、というわけだ」
そう朝尊が和やかに語る一方で、前に出た肥前は睨むようにこう吐き捨てた。
「おれは勝手についてきただけだ。借用書は先生の分だけでいい」
じろりと睨み付けた肥前はこう啖呵を切った。
「おれのことは勝手に使えよ。危険性の高い戦場に送り込んでも文句は言わねえ。だがな、借用書の契約に違反するようなら容赦しねえ。監視されてると思えよ。鎖付きの犬もいつ噛み付くか分からねえからな」
ビリ、と空気が帯電する。
激しい剣気を真正面からぶつけられて、隣で加州清光が眼光鋭く彼女を庇う。
「まあ、彼が言いたいのは、自分が精一杯働くからどうか期間が満了したら必ず無事に政府へ返して欲しい、ということだね」
「……先生」
「すまないね、彼は僕のことをとても心配してくれていてね。僕の安全が図れるようにと、わざわざこうしてついて来てくれたんだ」
肥前の咎めるような視線をさらりと受け流しながら、穏やかに、庇うように朝尊はそう口にした。
「本来なら彼にも借用書が発生する決まりなのだが、たっての希望でね。僕は借用、彼は派遣、という形になっている。とは言え、他ならぬ長義の推薦だ。問題ない、と認識しているが、どうだろうか」
穏やかに微笑む南海太郎朝尊に、彼女は慎重に受け取ったその書類に目を通すと、こくんとゆっくり頷いた。
「お話、よくわかりました。最大限きちんと準備をして、万全の形で迎え入れたいと考えています。少しお時間をください」
「うん。それでは、詳しいところを詰めていこうか。よろしく頼むよ」
政府からの監視役である山姥切長義。
そして彼の息が掛かった形でやってきた、二振りの政府刀たち。
本来ならば、重々に警戒してしかるべきだ。もちろん多くの刀が主人に警告した。
しかし、聡明な彼女は最終的に、熟考の上で彼らを一貫して友好的に迎え入れると方針を固めたらしい。
それもまた、いかにも彼女らしい判断だった。
「肥前忠広さん、わたしは貴方のことを、なんと呼んだらいいかな」
「別に、おいとかお前とか、勝手に呼べよ」
「じゃあひーちゃん」
愛らしい呼称が突然飛んできて、肥前はピシリと固まった。
「……は?」
「好きに呼んでいいんだよね? じゃあひーちゃん。うん、そーする」
「おい、……おいおいおい、待て、待て待て待て」
「ひーちゃん!」
毒気を抜かれて、肥前は頭をガシガシ掻き回した。
「ったく、調子狂う…!」
「ひーちゃんひーちゃん」
「あー?」
目つき悪くドスを効かせた肥前にも、彼女はケロリとしていて、動じることなく笑った。
「あのね、朝尊せんせーのところにね、茶菓子を持って行きたいんだ。朝尊せんせー、どのお菓子が好きか、ひーちゃん教えて」
「は、媚び売ろうったってそうはいかねえぞ」
「差し入れだよ。だって、学者さんの時間は貴重だから、何か教えてもらうなら、持っていかないとだめでしょ?」
ギロッと睨む肥前にも、彼女はまるで気にすることなく笑った。
「たろちゃんせんせーの時はたくさんお酒を供えたけど、朝尊せんせーはお酒は飲まないって聞いたから。それにね、良い研究には甘いものが必要だと思って」
「……」
「好きじゃないお菓子持ってっても困らせちゃうでしょ。朝尊せんせーのこといちばん知ってる、ひーちゃんに聞くのが一番だと思ったから」
肥前がどれだけ睨んでも、ふわふわ笑う彼女は嬉しげに微笑んだまま、柳に風といった風情だった。
形だけの威嚇が一向に効かないと分かると、やがて肥前は、諦めを滲ませて深々と嘆息した。
「……まんじゅうみてえな、摘んでも手が汚れにくい菓子は好んで食う」
「そっか!」
「……でも、目新しいもんや、変わったもんも好んで食う。和菓子は好きだ。ほんとに気に入った菓子は、ちゃんと手を止めて食うからすぐわかる」
「そっかぁ! ありがとうひーちゃん、教えてくれて」
彼女は嬉しそうに破顔すると、厨の方へたたた、と駆けていった。
廊下の角に差し掛かると、彼女は振り返って、肥前に笑いかけたまま手を振った。
「今度はひーちゃんの好きなお菓子も教えてね」
「あ? それこそ要らねえだ…」
「またね!」
軽やかに駆けていった彼女に、中途半端に浮いた悪態を持て余したまま、肥前はやがて頭を抱えた。
「あ゛ー、ほんっと調子狂う…!」
「なあ聞いたぜ。彼女、政府から来た彼らを食客として正式に招いたというじゃないか。いったい全体、どういう事情だか知らないかい?」
「ああ、あれね……それがさ、就任するなり、南海太郎朝尊があるじに聞いたらしいんだ。僕は学者を自認しているが、戦力としてはまだまだ青い。さて、きみは僕を、学者と戦力、どちらに重きを置いて招き入れるつもりかな?と」
「ほう、なかなか興味深い質問じゃないか。それで?」
「彼女、答えたんだって。貴方の希望を何より尊重するが、できれば学者として頼りにしたいと。朝尊は聞き返した。理由を聞いても? と」
「主は迷わずこう答えた。学者を頼りにしない医者は居ない。医者は学者が研究した膨大な治療法や薬の論文に目を通して、人を助けるのに一番良い生かし方を編む人のことだと。だから自分は、貴方の研究を知り、より良い形で生かす方法を考えたい、と」
「なるほど、彼女らしいな」
「そこで、朝尊は少し考えて、こう提案したらしい。なるほど、ならば智恵は惜しまないが、代わりにきみにも協力を要請したい。具体的には、時間遡行軍の残骸回収とその活用方法の研究を続けたいのだが、と」
「おっと、話が変わってきたぞ」
「というわけで、俺たちしばらく戦場で可能な限り時間遡行軍の残骸を回収することになりましたー。長谷部から多分すぐ通達あると思う」
「察するにこりゃしばらくは掛かりきりか? 資材や札ならまだしも敵の屍集めとは、羅生門もかくや、驚きだなあ」
皮肉げに肩をすくめた鶴丸が、こきりと首を鳴らしながらこう口にした。
「まあ、せいぜい期待するとするか。南海太郎朝尊が驚きの研究結果とやらを見せてくれるのを」
「ああ、肥前くん。そういえばね、彼女、時間遡行軍の残骸回収はもちろん、それ以外の研究も出来うる限り本丸を挙げて支援するつもりだと言ってくれたよ」
「はっ、本音はどーだか」
「彼女ね、彼女の刀剣男士たちに、より良い未来を残したいそうだよ」
朝尊の穏やかな声に、肥前は顔を上げた。
「自分はいつか天寿を全うする日が来る。その時に遺されるみんなに、少しでも明るい未来を残したいのだと。そのためにはどうしていいか、ずっと考えていたから、僕らが来てくれて本当に良かったと笑っていた」
「……」
「肥前くん。研究とは、必ずしも良い未来だけを運ぶわけではないよ。現に、時間を遡行する技術が開発されるまでは、過去は過去として揺らがず護られていたわけだから。ダイナマイトは大量殺人兵器か、落盤事故を減らした救世主か。技術と研究の未来は、常にそのせめぎ合いだね」
眼鏡をそっと引き上げて、南海太郎朝尊はことさら穏やかに微笑んでみせた。
「けれど彼女は、僕の研究が、より良い未来を作ると信じてくれているようだ」
「……おれは」
肥前はギリ、と奥歯を噛み締めた。
「おれは、先生みたいに受け止められない。見極める目も持ってねえ。信用した方が馬鹿を見るんだ」
「……肥前くん」
「おれは、あんたについていくだけだ。それだけが、おれにできることなんだ」
ふむ、と南海太郎朝尊は、手元の資料をじっくりと眺めて俯瞰すると、穏やかな調子でしきりに頷き、ふと彼女へ向かってこう口にした。
「研究成果もだいぶ集まってきたし、論文も概ね形になったところだ。そろそろ共有したい所だね」
「共有?」
「南海太郎朝尊同士の学術ネットワークがあるのさ。研究成果の発表と共有、引用と考察と発展は学問の基礎だ」
「わっ!そうなんだ!すごい!」
「僕らは利用させてもらっているに過ぎないがね。システム面の構築は政府のとある肥前くん達がやってくれたと聞いているよ」
「へー! ひーちゃんすごいなあ」
「……そういう肥前忠広も居たってだけだ。おれの話じゃねえ」
「とはいえ、研究に欠かせない部分を担ってくれた、という意味では、僕ら南海太郎朝尊にとって肥前くんの力はやはり欠かせないね。僕も日頃から多く助けてもらっているよ」
「すてきだね。ひーちゃんがいると、朝尊せんせーはもっとずっと遠くまで行けるってことでしょ?」
「ああ、まさにそうだね」
「わーっすごいなあ」
「……」
「なあ!? あいつ、なんか先生と同類の空気があんだけど!?」
だいぶ酔いが回ってきた肥前が、へべれけの様子のまま、グラスをがんとテーブルに置いてそう呻いた。
深酒で真っ赤になった顔で、頭をゆらゆら揺らしたかと思うと、呻きながら額をテーブルに押し付けている。
「南海太郎朝尊と同類? どういう意味で?」
「なんか、なんかこう、人ったらしなあれだよ…!」
「ああ…」
絡み酒の相手をしていた加州清光は、得心がいったとばかりに遠い目をした。
「あるじ、この本丸ができた頃からずっとそうだよ…」
「まじかよ…」
「なんていうか…うん…お互い、苦労するね…?」
「同じ人たらしでも、陸奥守はまだやりようがあるんだ。自分が周囲に及ぼす影響って奴を分かって使ってやがるからな」
「あー」
「けどよ、あーいう自覚が無えタイプはどうしようもねえんだ……武器を振り回してる自覚がねえからいきなり刺して来る。予備動作がねえからどう足掻いてもかわせねえんだよ……!」
「あ〜、わかる、すげーわかる」
「あらがうより落ちちまった方が楽なんだ…そう思わされた時点でこっちの負けなんだよ…!」
「聞いた? あるじがまーた刀たらし込んだみたい」
「驚かなくなってきたなあ。今度はいったい誰だい?」
「ほら、少し前、肥前忠広と南海太郎朝尊が一緒に就任しただろ? で、酒呑み部屋の連中がいつも通り新人と祝い酒したがってさあ。俺は後から合流したんだけど、朝尊が呑まない分、肥前が二人分呑まされてて」
加州清光が団子の串を振りながら、鶴丸にこう語った。
肥前は酒さえ挟めば意外と付き合いのいいやつだった。
「べろべろに泥酔した肥前がさ、斬りたいわけじゃない、斬りたいわけじゃねえんだ。誰も信じちゃくれねえだろうが、って言いながら潰れててさ。目の前にいんのが朝尊じゃなく主だってことも途中からわけわかんなくなってたみたいで」
「あるじが聞いたんだ。斬る以外のことがしたいのかな、みっちゃんみたいに。肥前は答えた。違う、おれは人斬りだ。斬る以外に道はねえ。斬るのをやめたらおれじゃねえ」
それを聞き、彼女は小首を傾げて、腕を組んで深く考え込んだ。
「そっかあ、つまり人を斬りながら人斬り以外になってみたいんだね?」
「馬鹿かよ、そんな上手い話がどこに…」
「あっ、いーこと思い付いたぁ」
彼女はぱちっと両手を合わせて、楽しげにこう口にした。
「じゃあ、ひーちゃん、刃針になってみるってのはどーお?」
突拍子もないその提案に、肥前は酒のグラスを握りしめたまま目を丸くした。
「……は?」
「あれっ、ひーちゃんメス見たことない? こう、人の体がよく切れる刃物なんだけど」
「いや、そりゃ知ってるっての」
あまりにも理解の埒外の言葉を突然投げられると思考が止まるのは、人の子も刀剣男士も同じらしい。
意味不明、と明らかに顔に書いたまま固まっている肥前に、彼女はこう笑った。
「あのねあのね、メスってね、良く切れるほど良いんだよ。断面がスパってしてるほど、出血も少なくなって、人が助かる確率が上がるんだ。すごいよね」
身振り手振りで懸命に訴えて笑う、そんな彼女に。
肥前はずっと、あまりに頭の容量を超えることを言われて、呆然としていた。
「素敵じゃない? 斬れば斬るほど誰かが助かる、サイコーのすごーいメス」
「ひーちゃんがやじゃなかったら、やってみようよ。きっと良い方法あるよ。わたしも一緒に考えるから。医者が振るう、ひーちゃんは斬る。シンプルでしょ?」
「一緒に考えよ。ひーちゃんはとっても良く切れる大業物の良い刀なんでしょ。どんな悪いところもバシッと斬り取る、最高のメスにだってきっとなれるよ」
「ってさ」
「相変わらず、驚きの刀剣たらしっぷりだなあ…」
鶴丸がじわじわと表情に苦笑を広げた。
彼女ときたら、たとえ喉笛に刃を突きつけられても恐れず笑ってみせるほどなのだ。驚きの鈍さか、肝が据わっているのか。肥前のような形だけのひと睨みなど意にも解さないらしい。
まったく、牙を抜くのが上手いのも困りものだった。
こうして牙を抜かれた鶴丸自身がいちばん、身をもってそれをよく知っている。
加州は「あー、そうそう」とついでのように付け加えると、頭の後ろでゆったりと大きく両手を組んだ。
「ちなみに肥前のやつ、翌日記憶がバッチリ残るタイプだったぜ」
「なるほど、道理で彼女にべったり張り付いて離れないわけだ」
清光の言を聞いた鶴丸の瞳に、いささか同情めいた苦笑がぱっと広がった。
「彼女に絆されると苦労するんだよなぁ」
政府の刀たちに、どれだけ友好的に見せかけてもどこか冷ややかだった、鶴丸のその金瞳に。
警戒の代わりに広がっていく理解と、共感と、同族意識。
ちらりと流した視線でさりげなく、それを確かに見届けた加州清光は。
たぶん、この本丸と彼らは。
きっと、本当の意味で仲間になれるはずだと、彼女と同じくそう思った。
酒の席の与太話だと思ったんだ…
あいつにとっちゃただの思い付きで、大した重さのある話じゃねえって、そう、……そう思って誤魔化そうとしたのに…
あいつ、朝一番に先生のところに行って
「次に本丸に来る時はひーちゃんのことをもっと教えて欲しい」って頼んだって…ひーちゃんがなりたいものになれる手伝いをしたいから、たくさん教えて欲しいって……そう言われたって先生が笑ってて……
でもよ、気まぐれだと思ったんだ…
目新しい内だけだって…そのうち飽きるって…そう思ってた…けど
けど、ちょっと前、悪戯めいたツラした乱藤四郎にちょいちょい手招かれて部屋に行ったら
あいつがテーブルに突っ伏したままうたた寝してて…
「ひーちゃんノート」なんてバカみてえなタイトルのノートに、一生懸命いろんなことを書き留めてて、それで
ああ、こいつバカなんだって
あんな、あんな酒の場のクダひとつで一生懸命になって
あんなどうしようもねえ愚痴にまじになって
でも、今だけだって
目新しい内だけだって、ずっと言い聞かせてた。
実際、ちょっと前までひよこみてえに、おれについて回っておれのことばっか聞いてたのに、少ししたら聞くのは陸奥守の野郎のことばっかりになって
ああ飽きたんだって
新しい刀が欲しくなって、おれに関心は無くなったんだって
ようやく、ようやく……ほっとしてたってのに……
なのに、先生が
「おや、肥前くん、聞いていないのかい? 彼女に陸奥守を勧めたのは僕でね。だって、きみという名刀を語るなら、僕だけでは不足だろう?」って。
「彼女、きみのことを誰よりも理解してくれていて、誰よりもきみの味方になってくれる陸奥守吉行を呼びたいんだって。そう笑っていたよ」
唖然としたまま鍛刀部屋に足を向けたら、あいつ、部屋の外にまで聴こえるような黙祷で祈ってた。
お願いです。私が大事にしたい肥前忠広を、誰よりも大事にしてくれる陸奥守吉行、どうか来てください。
って。
バカだ、バカなんだ、って
愚直で一生懸命で、とんだお人よし
分かってんだ。おれだけじゃねえって。あーいう底抜けのお人よしは、誰に対しても一生懸命で、まっすぐで、おれだけ特別な訳じゃないって。
こーゆーやつにハマったらぜってー泣きを見るって、わかってんだ、わかってたんだ
けど
こいつは誰かが助けてやんねーとだめだって
思っちまったらもうだめだったんだ
待ち望まれた陸奥守吉行が鍛刀部屋に顕現し
わっと祝福ムードに包まれる中
肥前忠広は、感情のキャパシティを超えて
場所も人目もふらずに
泣き崩れた
それを聞き付けた陸奥守と彼女は急いで鍛刀部屋の戸を開けて
二人して泡を食って大慌てだった。
けれど、肥前の涙はどうしても止まらなかった。止まってくれなかった。結局、喉が枯れるまで喚いて喚いて泣き喚いた。
必死で悪態をついて遠ざけようとしても、連中はいつまでもいつまでも、泣き崩れた肥前の背中をさすり続けて離れなかった。
そうして、肥前忠広はその日
本当の意味で、この本丸の刀になったのだ。
あいつが言う
医者が振るう、おれが斬る、は
学者が振るう、おれが斬る、と
ひどく近しい延長線上にある。
どちらも『せんせい』と呼ばれる生き物だ。
学者も医者もとても近い。学の無いおれにとっては、理解の埒外にあるという意味では、どちらもほとんど似たようなものだった。
先生が振るい方を決めるのも、あいつが振るい方を決めるのも
おれにとっては最初からひどく既視感を覚えるもので
きっと、受け入れたってそう大きく変わらない。ほんとうはそれを、とっくにわかってた。
後悔しないかどうかじゃない。
大事なのは、後悔してもいいと思えるか、だ。
朝尊せんせー、あのね。大事なお願いごとがあります。
なんだい?
わたしね、ひーちゃんと一緒に考えることにしたの。ひーちゃんがなりたいものになれるには、どうしたらいいか。
でも、わたしは朝尊せんせーと違って、まだまだひーちゃんのことを知らないから。だから、よかれと思って一生懸命考えた結論が、ひーちゃんのためにならないかもしれない。
そんなときは、とめてほしいの。
ひーちゃんも多分、自分のかたちを言葉にして教えてくれるのは、あんまり得意じゃないかもしれないから。
もしも自分にとって良い形にならないってほんとはわかってるものでも、受け入れてしまいそうに見えるんだ。
だから、そんなときは
朝尊せんせーに止めて欲しい。
そうしたらわたし、ぜったいに止まるようにするから
朝尊せんせーは今、わたしにも本丸にも力を貸してくれているけれど
でも、わたしかひーちゃんなら、どんな時もぜったいひーちゃんの側に立っていて欲しいの
どんな時もずっと変わらず、誰よりもひーちゃんの味方でいて
それが、わたしのいちばんのお願いです
「ああ、加州清光くん。良かった、探していたんだ」
そう南海太郎朝尊が、珍しく研究部屋から出てきて、早朝の打ち稽古帰りの清光に声を掛けた。
「うん? どーしたの?」
「実は頼みがあってね。初期刀のきみが忙しい事は重々承知しているが、そこを押して頼みたい。僕も内番の輪番に組み込んで、鍛えてくれないかい」
清光は目を丸くして、パチパチと瞬いた。
「え、そりゃもちろん歓迎するけど」
「それは良かった。さっそく頼むよ」
「えっと、気が変わった理由、聞いてもいい?」
「うん、そうだね。もちろん理由あってのことだ」
南海太郎朝尊は、穏やかに顎を擦って微笑んだ。
「確かに、僕はきみたちの主人に学者として、つまり食客のような形で招かれてここに居る」
食客とは、衣食住や安全を提供する見返りに、有事の際に力を貸してもらう約束で客人を迎え入れるという、古くは大陸の戦国時代の風習を指す。
そういった形に落ち着いたのは、戦力と学者、どちらとして自分を招くかという朝尊の問いかけに、彼女が迷わず後者を選んだからだった。
「この本丸の戦力は既にある程度充足しているし、僕の知識や研究こそが求められていたからね。僕自身、戦力には数えないものと割り切って学者の本分に専念してきたわけだけど」
「けれど、僕に付いてきてくれた肥前くんが、彼女の隣に在り方を定めたようなのでね」
「ああ…そっか、肥前のために」
「うん。僕が戦力として未熟なままでは、彼が背後を気にして存分に自分を振るえないだろう? それはあまりに惜しいし、僕としても望むところではないからね。最低でも自分の身ぐらいはきっちり守れる程度には鍛え直して戦力として貢献しなければならないなと思い直したんだ」
そう言って南海は、アッシュグレイの双眸を愛情深く細めた。
「確かに肥前くんはとても良く僕を支えてくれている。だからこそ、それは一方的なものでは良くない。そうでなくては対等とは言えないだろう?」
微笑んだ朝尊は、穏やかにこう口にした。
「それに、心優しい人の子にも頼まれているからね。どんな時もずっと変わらず、誰よりもひーちゃんの味方でいてあげて、と。それは僕の望むところと同じだから」
「出向命令?」
主に向けて出されたその辞令書を受け取り、加州清光はハッキリと胡乱な顔をした。
持ってきたへし切長谷部は難しい顔をしている。
「政府の高官のようでな、通常の手続きを省いて直接これが来た」
「なにそれ胡散臭っ」
「二日後だ。山姥切長義に話を通している時間が無い。既に電報は送っているが、恐らく行き違いに…」
「おやおや、あそこの坊やはまだおいたをしているようだね」
ひょい、と書状が引き抜かれる。
通りかかった南海太郎朝尊が、加州清光の手からその書状をするりと奪った。
「肥前くん、ちょっと見てくれたまえ」
「あ? ……あ゛あ゛!? あの色ボケくそジジイ! また…!?」
「肥前くん、あそこの御母堂は御歳おいくつだったかな?」
「去年米寿の祝いを出した。若い連中締め上げてたぜ、ボケちゃいなかった」
「では、丁重にお断りをしておこうか。硯と紙を頼むよ」
「ああ」
パタパタと動き出した肥前忠広を背後に、南海太郎朝尊がゆったりと微笑んだ。
「大丈夫。その出向命令は立ち消えになるよ」
「……どういうことだ」
「つまり、まあ、女人の耳を汚すのは憚られる類いの話かな」
「あ? 山姥切長義のやつから聞いてねえのか?」
朝尊の私物の中から、上質な硯と上質な便箋を抱えて素早く戻ってきた肥前忠広が、長谷部たちの執務室に一瞬顔を出してこう言った。
「先生、政府の高官の中じゃ有名だぜ」
「なに、昔取った杵柄だよ。少し顔が広いというだけさ。良い研究には人脈の最大化は重要だからね」
「しばらく政治にかまけていたが、数百年ぶりにそろそろ学者としての本分をと思ってね。中央から引き上げてきたんだ。肥前くんは長らく、用心棒兼、秘書のようなことをしてくれていてね」
「良い機会だ。政治的な身分を伏せて、七、八十年ぐらい研究に没頭しながらまとめて休暇を取っておこうかと思ってね。長義に相談したんだ。まあ、この程度の火の粉なら払うのはそう難しいことではないから、また何かあれば気軽に声をかけてくれたまえ」
「先生、準備できたぜ」
「ああ、今行くよ。では」
颯爽と去っていった南海たちを唖然と見送って、清光と長谷部は、互いに顔を見合わせた。
「なあ、もしかして俺ら、めちゃくちゃ大当たり引いた、ってこと?」
「…………そのようだ」
ああ、南海太郎朝尊の要望に、あの本丸は非常に都合が良かったからね。
あそこは表向き、解体寸前の問題を何度も起こして何とかギリギリ可評価水準といった所だ。よりによってそんな最低ランク本丸にまさか彼が潜伏しているとは、誰も思いもよらないだろう。俺が全面的に監査していて情報統制を敷いてるのも彼らにとっては都合が良い。
そしてもちろん、彼の力は彼女たちにとっては非常に大きいだろう。心から彼を味方にすることができれば、だが。
まあ、その点はあまり心配していなかったかな。彼女ならきっとできると思っていたさ。
なに? 南海太郎朝尊に、彼女の『手当て研究書』のコピーを見せて興味を引いたのは、偶然だったのかって?
もちろん、そんなはずがないだろ。
◼︎こぼれ話《新しき船出、陸奥守吉行いわく》
おん、面白そうな気配がしたきに。
わしゃあ、初期刀や古参刀として呼ばれることの方がずっと多いがやき、肥前のと南海先生が先におって、後からわしが呼ばれるっちゅーがは、なかなか珍しいぜよ。
肥前のを助けてやって欲しい、そう願う声が聞こえたきね、こりゃわしの出番ぜよ、って思うたがや。
で、気付いたら顕現しちょったぜよ。
来てみれば、この本丸はまっこと面白いぜよ。
目指す場所が最初から違う。敵を斬るその先を、護った果てを常に目指しぃちゅう。主はもちろん、刀剣男士もじゃ。この本丸の古参は、それをもう不思議なこととすら思うちょらん。
ここは、わしらにただの刀でおることを許してはくれん。それどころか、主の刀でいるその先すら求められちゅう。
誰っちゃあ折れんで戻てくるために。今、わしらは何をするべきか。
自分にしかできんことは何か。仲間と何をするべきか。
誰もが自分だけの役割を探して、刀としての殻を破ろうと、懸命に足掻いちゅう。
そうして、必ず全員で、いつか主を最期の最期まで見送って
いつか『主の刀』でのうなる日を迎えた、朝の果てで。誰一人欠けんで幸せになってほしい、って願われちゅう。
そんなふうに遺された先の先へ、何を残して、どんな未来に行きたいか。そがなんまで毎日考えんとならん。
がっはっは、まっこと無理無茶難題もえいとこじゃなあ。
新しい時代の気配がするぜよ
ここは常に暁降ち。明ける時代の最先端っちゅうやつじゃ。
聞いたぜよ。人を斬りながら人斬り以外の何かになる。難題じゃあ。
じゃが、わしはまっこと見てみとうなったぜよ。
肥前のがどこまで行けるか。そがなふうに、とうに時代遅れになっちょった刀の時代のその先へ、殻を破って新しい海に漕ぎ出していく肥前のが見れるかもしれん思うたら、たまらのうわくわくしたぜよ。
わしらは、どこまでいけるがやろうね。
仲間とこの本丸で走っていったら、見れる気がするんじゃ。まだ想像すらできん、わしらの新しい時代っちゅーもんに!
◼︎こぼれ話《南海太郎朝尊と希望の本丸》
南海「希望する本丸の条件かい? そうだね、前線本丸では肥前くんが無茶をしてしまうかもしれない。それに僕ものんびり休暇を楽しむ、という訳にはいかなくなるだろう。僕の練度の低さは泣き所だからね、たとえ借用契約で縛っても、肥前くんが折られるような事態に陥ることは当然避けなければならないから、後方支援本丸で、それなりの実力があって、なおかつ戦略的必要性があっても刀を折らず、実際に一振りも折らずに修羅場を何度も潜り抜けてきたような……ああ、後は自分の刀剣男士を身内に継承させたりせず、政府へ帰属させ手放すことを惜しまない本丸にして欲しい。僕と肥前くん、そしてその本丸の刀たちとの間の条件の差が小さければ小さいほどトラブルも未然に防げるというものだろう? 後は、審神者自身が一際善良で、どれほど天文学的な金銭的価値のある研究成果が出たとしても盗作や無断転用など考えも付かないような人柄が確実に保証されていて、かつ、知識は求めないから学術的関心とセンス、研究者に対する理解が伴っているような…」
肥前「……先生……大無茶言ってる自覚あるか……? こりゃ休暇なんていつになるか分かったもんじゃねえな。んな都合の良い本丸がどこにあんだよ……」
長義「ここに! あるけれどね!? ほら!! この上なく条件に合致した本丸が!!」※どさどさと資料の山
◼︎長義の愛で方
友「ねえ長義。南海の件、つまり徹頭徹尾、きみの厚意だったわけだろう? なら、わざわざ自分から善意を疑われに行くような真似をしなくても」
長義「さて、たとえばそこに、奇跡的に害獣にも害虫にも荒らされず残った、新雪のごとくまっさらな、それはそれは美しい花畑があったとしよう」
ただ眺めて満足する者、花を手折る者。
見せ物にして金を稼ぐ者、あるいは自分で踏み荒らして悦に至る者。様々な者がいるだろうね。
そして俺はね、ただ自然に
ありのままの美しさを愛でる派なんだ。
ただし、可及的速やかにありとあらゆるコネを使って土地を全て買い取り、柵を建て、害獣を駆除しつつ周辺の土地に有刺鉄線を張り巡らせて対策し、なおかつ無作法者が現れないように徹底的に取り締まった上で、ね。
そうして初めて、そのまま自然に任せて残すんだ。
花はただ鮮やかに咲き、何も知らないまま。
ただ、春が来たら咲き、冬が来たら眠ればいい。
その繰り返しのなかで、ひとときの永遠であればいい。
「そう、人事を尽くすというやつだよ。それを怠るのは怠慢だ。持てるものほど、与えなければ、ね」
「ああ……そうか……長義、きみって昔からそういう執着の仕方だよね……僕にも勝手に名前書いてたし……」
「愛ゆえに、だよ。神なんて多かれ少なかれみんなそんなものさ。特に俺たちのような人と近すぎる神はね。人の子は脆いんだから、全力で保護しないとあっという間だ。執着は愛だよ」
※『葬送』https://privatter.net/p/11396429が前提
ラストエピソード《肥前忠広》惚れた弱み
「お前はひでぇ女だよ」
老いた手のひらを震える手ですくい上げたまま、肥前忠広は沈鬱な表情で唇を噛み締めていた。
「おれのこと、最高の刃針にするって言ったじゃねえか。医者が振るう、おれは斬る、もうそれしか考えられねえのに」
お前が居なきゃ意味が無いと、悲痛な声が大きく震えている。
「なのに、もうただの人斬りに戻れなくしておいて、おれを置いて逝きやがる」
彼女の老いた手が、ゆっくりと伸びて、肥前の頭を優しく撫でる。柔らかい髪をくすぐるように、何度も、何度も。愛おしそうに。
「ひーちゃんと朝尊せんせーは、これで政府に帰るんだよね」
「……ああ」
「元気でね。ずっと一緒にいてくれてありがとう。あなたと朝尊せんせーの行く先が、幸福なものであるよう願っているよ」
「なあ、連れていけよ」
肥前は、ギリ、と音が出るほど奥歯を噛み締めた。
堪えていた涙を一雫だけ流して。
「おれのこと、連れていけよ。ついてこいって言えよ。なあ」
「ひーちゃん。なれた? ひーちゃんのずっとなりたかったもの」
老いた面差しを、彼女は変わらぬ春風のような暖かな笑みで彩った。
「忘れてないよ。斬りたいわけじゃない。人を斬りながら、人斬り以外のものになりたい。誰も信じちゃくれないだろうが、ってひーちゃんは言ってたけど、わたしね、ちゃんとずっと信じてたよ」
「……知ってたさ。あんな与太話本気にするような、バカのつくお人よしだって」
「信じてたよ。ずっと。だから、これからも証明して。ひーちゃんはなりたいものになれるって」
「幸せでいて。だいすきなひーちゃんには、この先もたくさん、幸せでいて欲しいよ」
「……はっ、ひでえ振り文句」
一言。たった一言、ついてきてと言えば。
すぐさま自分を石に叩きつけて折ってしまいそうに揺れていた朱殷の瞳が
欲しい許しを貰えず、ついに後を追うのを諦めて、手のひらをぱたんと力なく畳に落とした。
「やっぱりお前は、ひでえ女だ」
◇ ◇ ◇
「お前は!!!!本当に!!!!ひでえ女だ!!!!!」
転生した彼女を前に、肥前忠広はぎゃん泣きしながら喚き散らした。
「知ってんだぞ!!!山姥切長義に会いに行ったくせに!!!!なんでおれに会いに来ねえんだよ!!!!」
「ごめんねひーちゃん、実はわたし、細かいとこはあんま覚えてなくて……本丸行ったら『あれ?ひーちゃんと朝尊せんせーいない?なんで?』って」
「おめーが!!!!政府で!!!お前なしでも元気にやっていけって!!!言ったんだろうが!!!」
肥前は地団駄を踏んで喚いたかと思うと、両手で顔面を覆ってたちまち膝から崩れ落ちた。
「ほんっ…!ほんっと…!帰ってくるなら言えよ!!そしたら、そしたらおれだって…!!」
「ひーちゃんひーちゃん」
「あ゛あ゛!?!?」
「えへへ、ただいまぁ」
ぎゅう、と抱きしめられたその柔らかさと温かさに、痩せこけた手のひらの冷たさが上書きされていく。
肥前は、ぼとぼとと、後から後から湧いてくる涙にぐしゃりと溺れた。
「……お前なあ!!!そーやって笑ってりゃなんでも許してもらえると思ってんだろ!?!?!?」
「てへへー」
「あー!!あー!!!!くっそ!!!!この悪女!!刀たらし!!魔性!!浮気性!!」
「えへへ、ひーちゃん、わたしのこときらいになっちゃった?」
「だいきれえだよ!!!!」
「ふふ、わたしもねー、また会えて嬉しい!ひーちゃんだいすき!」
「……だあ゛っーーー!!!くそっ!!!!勝てねえよ!!!!!」
振り回されるのが好きだった、惚れた弱み。
◇ ◇ ◇
※ちなみに肥前は、自分に貰えなかった許しを、貰ってないにも関わらず「抜け駆け」しやがった鶴丸国永をものくっっっっっっそ恨んでるのでめちゃくちゃ根に持ってる。