まだラフなものを気軽に放り込んどく場所まとめ
・山姥切長義シェルターにて《長義と友》2/7追記
・厄介なきみ《長義と友》6/20
・鯰尾と鶴丸とじじいたち《刀さに》
・霊力放出訓練《主と三日月たち》
・大倶利伽羅の現世警護 2/19
・爪紅は踊る
・嘘告げの鶴3/8
・どこの南海太郎朝尊と肥前忠広も 4/28
・玉手箱side国広三兄弟4/16
・燭台切→加州視点の形代傷について4/13
・新旧チュートリアル3/31
・最初の半年4/25→7/5
・安定編に出てくる話の鶴丸side 2/19→5/4追記
・燭台切曰く4/12
・三日月宗近と月の舞 4/29
・肥前の兄やんの話by陸奥守吉行5/11
・野良猫と家猫(加州清光と主)5/31
・和泉守兼定という刀 6/6
・長谷部と花束7/5
・安宅切実装を知り動揺する長谷部の話7/7
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山姥切長義たちの保護シェルターにて。
《禺に伝わりし逸話付与》で彼、長義の友が、別の山姥切長義たちに保護されていた間のこと。
このシェルターは、山姥切長義たちが秘密裏に結束し情報を共有することで、政府からの一方的な搾取を防ぐ目的がある。
今回、長義たちの存在そのものを揺るがす政府の謀略の目撃者、生き証人として彼はシェルターでの保護が許された。
同時に、ここは長義同士の交流場、情報交換所を兼ねており、特に今は彼という『珍しい客』がいるということで普段より賑わっている。
所属しているのは、基本的に政府所属で審神者を持たない山姥切長義で、審神者持ちは少ない。
また、審神者持ちの場合、主人にこのシェルターを明かすのが厳禁なのはもちろんのこと、審神者の利益では動かず、「山姥切長義」または「人類の未来」の益になる観点でしか情報の使用を許されない、という鉄の掟がある。審神者同士の利害は容易に対立するからだ。
その日、シェルターに来訪した、様子を見に来た一振りの山姥切長義に気付くと、彼はととと、と控えめに駆け寄った。
「こんばんは、山城国サーバー第××所属の山姥切長義さん」
「へえ、もう俺を見分けられるようになったのかな。山姥切長義が気に入るわけだね」
「この前は色々なことを教えてくれてありがとう。僕の長義と離れてここに来たばかりで、とても心強かったんだ。お礼を言わせて欲しい」
「なに、きみの知る山姥切長義に義理を果たしたまでさ。何か困ったことがあれば言うといい」
「ありがとう。では、さっそくひとつ訊ねていいだろうか。聞きたいことがあって」
「なんだい?」
「あそこにいる彼らの中に、僕を最初に運んでくれた山姥切長義はいるだろうか」
「ああ、彼がそうだよ。ほら、テーブルの右手に座っている」
「ありがとう。彼にも御礼を言いたくて」
そちらに駆け寄っていった彼を見送っていると、とある山姥切長義が、山城国の長義の肩を叩き、声をかけた。
「彼ときたらね、驚いたことに、もう七振りも見分けられるようになっているんだよ」
「本当かい?」
驚愕する長義
「確かに自分の山姥切長義なら、見分けられる審神者は少なくないけれど」
「自分の持ち物ですらない俺たちをこんな短期間で区別できるようになるなんて、にわかには信じ難いよね」
既に証言を終え、彼の山姥切長義の帰還を待つばかり、といった所だった。だが、彼の山姥切長義はまだ後始末に手こずっているらしい。
執拗なまでに隠蔽を施し痕跡を消しているのは、単に発覚を防ぐためではなく、この入れ替わりが決して彼に害を及ぼさぬように、という並々ならぬ執念だろう。
そんな彼を珍しい客として迎えた一人の山姥切長義が、戯れに持ちかけた提案が、やがてこのシェルター内でさざなみのように広がっていくこととなる。
ようやく後始末を終え、足早にシェルターへと足を運んだ長義が迎えに来たところ、なぜか保護シェルターで、別の長義とチェス大会が開かれていた。
集まった長義たちに取り囲まれて中心にいるらしき友人に、
何事かと思えば、
とある山姥切長義に言われたらしい。俺にチェスで勝てたら祝福をあげるよと。
「なんだって???」
耳を疑う長義
「ほら、決着が付くところだよ」
指先をつい、と伸ばし示した別の長義に促されるように視線をやれば、わっと人混みが盛り上がった。
「お見事。チェックメイトだね」
遊びを誘って、乗ってあげた長義を見事に切り返して見せた。
「正攻法では届かないと思ったんだ。伯耆国の山姥切長義、きみならきっと、僕を試すために乗ってくれると思ったから」
「ふふ、いいね、実にいい。正解だ。では、優にはご褒美をあげないとね」
優雅に脚を組んでいた山姥切長義が、脚をほどいて立ち上がると、彼の額に手をかざした。
「ではきみに、オレの加護を」
ぽう、と光が吸い込まれるように消えていく。
既に何振りもの長義の加護をもらっていてね
なんと既に八人の山姥切長義から認められて祝福を貰ったらしい。
八振りぃ!?と愕然とする長義。
「彼の家系、急逝の宿世を負っているね。少しはマシかと思ってね。余計な手出しだったかな」
「いや、アレは中々根深くてね。オレだけで万全、確実、とは言い難かった。感謝するよ」
本来加護は互いを弾き合うが、他ならぬ長義同士の加護なら相反しない。故に重複している。彼に益をもたらすならば、この上ない方法と言えるだろう。
(いや、でも気に入られすぎでは????)
という顔をする長義。
はたとこちらを向いた長義の友は、
「長義!」
と、ぱあっと表情を明るくして、まろぶように駆け出す。
数多くの山姥切長義の中で、己の友を見間違えることなく、容易く見分けてみせた。
「よかった、心配してたんだ。大丈夫かい? 怪我は? どこか不調は?」
「この通りだよ」
「きみのことだから、きっと大丈夫だと信じてはいたけれど、それでもどうしても心配だったんだ。本当によかった」
たちまち安堵でほどける表情を見て、硬質なサファイアの瞳がふっと和らぐ。
「それで? ご感想は?」
シェルターを離れた二人。数多くの『山姥切長義』に囲まれていた彼に、いささか意地悪く感想を聞くと
彼は、綻ぶように綺麗に微笑んで
「この数日、きみはきみしかいない、って思い知るばかりだったよ。当たり前のことなのにね」
ぐっ、と言葉に詰まる長義。
きみときたら、本当に、
盛大に舌打ちする長義
ああもう、きみって本当にそういうところあるよなあ!
この刀剣たらしめ。
◇ ◇ ◇
長義さんは友が許しさえすれば友の寿命を永遠側に引っ張ったり、逆に友の地獄行きについて行ったり全然できたのですが、どっちも許可されなくて見送った経過があります。
「どうして、って? だって、永遠を得てしまったら、きみと地獄へ行けないじゃないか」
「人は弱いから。時が来たら行く地獄をちゃんと見据えてないと、正しく歩けなくなるかもしれないだろう? 僕はね長義、きみの正しさから外れてしまうことの方が、地獄の裁きよりずっと恐ろしいよ」
(……あ)
ふ、とうたた寝から目を覚ますと
デスクに突っ伏した肩に、柔らかい毛布が優しく掛けられていて
かすかに、大事な友が纏う上品な香水の匂いがした。
顔を上げれば、デスクの向こうに
ゆったりと脚を組んで読書する友がいる。
おはよう、長義。毛布、ありがとう。
……俺とは限らないんじゃないかな。親切な通りがかりの職員が置いて行ったのかもしれないよ。
ふふ、長義の香水の香りがしたよ。それに、無防備に寝てる僕のデスクに、長義が他人を通すわけないじゃないか。
照れなくていいのに。
ありがとう、親切な通りがかりさん。
幸せそうに目を細めた彼が嬉しそうに破顔した。
琥珀色の瞳がとろりと笑う。
長義は、んぐ、と喉を詰まらせたような顔をした。
だからきみは厄介なんだ。
結局、その厄介さを誰よりも愛してもいるのだけれど。
「僕もだよ、長義」
だから心を読むな、だから。
「あるじさーん? あれ、いない?」
「鯰尾、主君は沐浴中ですので、短刀以外は脱衣所に一歩でも入ったら打首ですよ」
「Σしないしない! てかそんなことするやついねーって!」
「いるんですよ…主君が何もご存じないのに付け込んで、適当極まりない理由をつけて浴室の中まで何度も入り込んだ不届き者が…」
深々とため息を吐いた前田藤四郎に詳しく話を聞くと、すかさず廊下を駆けて、ぴょこっと鯰尾藤四郎が顔を出した。
「鶴丸さーん、兄弟に聞きましたよー? あるじさんに適当なこと教え込んで女湯の覗きの常習犯だったって」
「Σ絶妙に嫌な表現をしないでくれ!? ありゃオレが1000%悪いが、もう光坊に死ぬほど絞られたんだ。というか、覗きじゃなくて許しを得て堂々と入ってたからな!?」
「それはそれでもっとだめでしょうが」
思わず真顔でつっこんだ鯰尾藤四郎に、鶴丸国永は手で『待った』を作って必死な顔をした。
「頼む、言い訳をさせてくれ。確かに彼女に適当教え込んで騙くらかしたオレが悪い。全面的に悪い。だがあの頃は、本当に赤ん坊みたいなもんだと思ってたんだ」
ほんの軽い冗談のつもりで『髪にちゃんと神気が染み込んでるか見てやる』などと適当極まりない法螺を吹き、その手のことを本当に何も知らない彼女が信じ込んで拒否しなかったのを良いことに実際に風呂場まで付いて行っては、赤子にしてやるような気で鼻歌を歌いながら楽しく髪を洗ってやっていた。
……などということがうっかり露呈した瞬間、鶴丸は初期刀を始めとした古参たちに重傷一歩手前までボコボコにされたわけだが。
「えー、神気入りの香油で髪を上書きするのって敵に見つかって利用されないためですよね? つまり鶴丸さん、身の安全を盾に何も知らないあるじさんを脅したことになりませんそれ?」
「うっ、ぐ…! ち、違うんだ、本当に冗談のつもりでだな…! あと髪を洗ってやってただけで誓って不埒な真似はしてないし、彼女は白の色湯に入ったままだから肩から下は見てない!」
「平安の女性の婚姻観を見知った古刀の付喪神の台詞とは思えませんね…」
「ぐっ」
鯰尾の正論で死ぬほどぐさぐさ刺された鶴丸が、しおしおと土下座せんばかりに小さくなった。
「反省してる! してるんだ! 本当に!」
「ごめんで済めば検非違使は要らないでしょ。ってか、むしろそれ、あるじさんの方が心配になるっていうか…あのひと鶴丸さんの事なんだと思ってるんだろ…」
「それはまあ、そう」
突然すん、とした顔をした鶴丸が、頭が痛そうに眉間を押さえた。
「彼女はそういう方面の頭のネジが何本か外れてるからな……迂闊に変なのを引っかけて来なけりゃいいが」
とかなんとか言ってたらうっかりフラグが立ち、新しくやってきた三郎が彼女のこと本気で気に入って神嫁に口説き出したためブチ切れる鶴丸
鶴丸は叫んだ。
「こんのロリコン野郎が!!!」
ケタケタと笑う三郎
「おやおや、鶴さんてば。お忘れに? 彼女を任せるって言ってくださったじゃあありませんか」
人を食ったような調子で、三郎はにんまりとほくそ笑んだ。
確かに三郎に対して、戦力的な意味合いで彼女を任せると言ったことはあるが、これは意味が違う。
「ダメだダメだダメだダメだ!! 前言撤回だ、てめーにはやらん!!」
「あらあら」
ぱっと豪華な扇子を開きながら、どこか楽しそうに三郎は続けた。
「そうは言っても鶴さん、彼女は幼子にあらず、充分魅力的なうら若き女人ですよ」
「てめえの歳を考えろ! こんの色ボケジジイ!」
「貴方だって充分ジジイでしょうに」
「御前、あれをどう思われます」
「うん、実に面白い見世物だな」
はっはっは。パッと扇子を開いて則宗は笑った。
「まああれだ。愛も恋も形は様々。そもそも、愛だの恋だの、多少歪でない方がおかしいというもの、だろう? 当人同士がいいなら外野が口を出すことじゃないさ」
「鶴丸国永は全力で口を出しているようですが」
「あれも愛なんだろうさ。実に様々、さまざま、さ」
「成程」
山鳥毛は静かに頷くと、サングラスをスマートに引き上げながらこう言葉を継いだ。
「では、何の問題無いということですね。あれに私が参戦しても」
ぼた、と扇子が床に落ちた。
あぜんと山鳥毛を見上げた則宗に、山鳥毛は微笑んだ。
「勿論冗談です」
「じょ、っ…お、お前、そういう悪趣味な真似もできたのか」
「お気に召しませんでしたか」
「心の臓が止まるかと思った」
「成程。様々、様々、でしょうか」
「〜〜っ、イイ性格になったなぁおい!?」
「光栄です」
政府から派遣された山姥切長義の指導の下、彼女は霊力コントロールの練習をしていた。
固く栓の固まった霊力を少しずつ溶かし
ようやく凝った霊力の放出が叶うようになったということで
霊力の要求量が多い三日月宗近を供とした訓練が始まる。
三日月が差し出した刀の柄を握って
顔を上げた主人へ、三日月が鷹揚に笑う。
「うむ、いつでもよいぞ」
「行きます」
「では、訓練通りに。3.2.1、」
パン、と長義が手を叩くと同時に
ぶわっ
と圧倒的なほどに激しい霊力が広がる。
途端に、ぐ、と三日月の表情が変わる。
(こ、れは)
天下五剣、三日月宗近をして顔色を変えさせるほどの霊力過多。ものの二秒もしない内に
「出し過ぎだ」
と長義がセーブにかかった。長義が背後から彼女の肩に手を置き、制止するようにぐいっと彼女の手に己の手のひらを重ねた。開いた栓を締めるのを神気操作で手伝い、三日月が溢れ出る余剰を吸ってなんとか締める。
「この通りだ。なんとか桜の手助けなしの放出までは漕ぎ着けたが、あまりにも放出量が多すぎて自力では閉じることができないんだ」
「……前もって四時間も桜に霊力を流したのに……」
三日月の視界がぐにゃりと歪む。
ぐらりと足元がよろけ、たたらを踏んだ三日月の肩を、鶴丸が慌てて「おっと」と支えた。
「うむ、すまんな主。じじいはもう腹一杯だ」
「きみほどの刀でもか」
「ああ。今も少し油断すると…あ。」
誉桜がどばあああああとあふれだし
途端にそこに居る全員が押し流された。
過剰霊力による桜吹雪だった。
一番近くで桜の濁流に押し流された鶴丸が、「どわっ、はっ!」と溺れながら声を上げた。
「ははは。すまんすまん。抑えられん」
「こりゃあ驚きだ!」
「わずか数秒で、函館の霊的磁場を遥かに超える…?」
想像を遥かに超える霊力過多に
主は「ぷはっ!」と桜の中から顔を出すと、慌ててきょろきょろと三日月を探した。
「みかちゃん、みかちゃんっ、ごめんね、大丈夫っ!?」
「酒樽を十は呑まされた気分だなぁ」
酔って酔ってしようがない。
すまんな、俺は下がらせてもらうとするか
のぼせたような調子で笑ってそう暇を乞うた三日月が、鶴丸に肩を貸されてその場を退室した。
主人の視界から消えた途端
三日月のうなじを、脂汗がたらり。
「大丈夫か、三日月」
「うむ、正直に言えば、ふた月は粥も食えそうにない」
「きみほどの古太刀でこれじゃあ、若い短刀はひとたまりもないな…」
薬研の診察の結果、三日月宗近は医務室で休むこととなる。
霊力濃度が上がると寝込んだ三日月に悪影響ということで、彼女は医務室へ立ち入り禁止となった。
面会謝絶の札が下げられた医務室の前で、心配そうに立ち尽くしてしょんぼりと肩を落とした彼女に、鶴丸が励ますように肩を叩く。
ますます小さくなった彼女が「ごめんね…」と消え入りそうな声を出した。
「仕様が無いさ。なぁに、三日月のことだ。少し休めば元気になるさ」
「ごめん、ごめんね…わたし、霊力の扱い方、下手っぴで…」
「いいや、訓練を始めた時期から逆算すれば、十分過ぎるほどきみは良くやってるさ」
「でも、でも……もっと上手だったら……こんなに多くなかったら……みかちゃん……」
にわかに、医務室の中が騒がしくなる。
「────こら、まだ寝てろって、じいさん」
「はっはっは、なあに、少しばかり……」
薬研の静止を振り切って床を離れる気配がして、戸の前に三日月の気配が立った。
「主よ、聞こえるか?」
「みかちゃんっ…」
悲壮な顔で涙ぐんだ彼女が、何度も何度も謝り出した。
「ごめん、ごめんねみかちゃん、ごめんね」
「そのような哀しい声を出すでない。俺なら大丈夫だ」
「でも、でも、わたしがもっと頑張ってたら……霊力こんな多くなかったら……みかちゃん……」
「のう、主や」
そう、三日月の声が、柔らかくたわむ。
「俺たちは皆、主の霊力によってここに立っている。多かろうと少なかろうとそれは同じ」
優しく諭す声音が、一際優しく主の頭を撫でる。
「多寡にかかわらず、そう、かけがえのない、主の一部だ。だから、あまり嫌ってやるでない」
境界の向こう、扉の向こうで
三日月がそっと優しく口にした。
「そのように思い詰められては、じじいも哀しい。そのような声で泣かれては、おちおち寝てられんなあ」
三日月の気配が、指先からそっと扉に触れる。
「なあに、少々食い過ぎただけだ。すぐ戻る。ここが開く頃には、いつも通りの、笑った顔を見せてくれ。な?」
「……」
ぐしゅ、と目元を拭って、ごしごしと擦った彼女は、懸命ににぱっと笑ってみせた。
「うん、うん。約束する…」
「うむ、いい子だ」
彼女の指先が、扉にそっと触れる。
触れられないその距離で、三日月も彼女も、寄り添い合うようにして、互いの無事を祈り合った。
「事前の検査では、この本丸で適性が一番高いのは三日月宗近だったはずだが」
此度の結果を踏まえ、長義が考え込みながら唸った。
「彼女の霊力過多は常軌を逸しているからな。いくら三日月といえど、いささか荷が重かったらしい」
「以前のような霊力過剰症のリスクを考慮すると、本来、毎月行うのが望ましいところだが…」
「無理だな。いくら三日月のじいさんでも参っちまう」
長義は考え込むように指を顎に置いた。
「作戦を変えなければならないだろうね。三日月宗近と同格かそれ以上に古い太刀や大太刀を代わりに呼ぶか、あるいは、そうだな……たとえば、剣を代表とする、自力で霊力の放出と消耗の可能な刀が必要だろう」
「剣か…」
「丙子椒林剣か七星剣を呼べないか」
「だめだな、辿るにはさすがに縁が遠すぎる。鍛刀に失敗して今剣の時のようになったら目も当てられんぞ」
「今は鍛刀時期でもないしな…」
「時期さえ合えば、白山吉光が呼べただろうが」
「大阪城の開門もまだ遠い」
「だとすると、他の天下五剣、か…?」
「霊力の放出となれば、天下五剣、大典太光世が適しているだろうが…」
「大典太さんのことでしたら、僕らが主君へお話しできます」
「ああ、そうか、きみらは加賀で共に在ったんだったな」
「お任せください」
「よし、やってみよう」
「確実に呼ぶなら、和泉守の時みたいに、もう一振り縁が深い奴が欲しいところ、か?」
「ソハヤさんはいかがでしょう。彼でしたら、僕が少しあるじさまにお話しできるかもしれません」
前田と物吉を中心にそう声を上げ、皆が己にできることをと動き出した。
to be continued
大倶利伽羅の頭には赤疲労のマークが浮いていた。
戦ではない。精神的にだ。
三日月宗近が余計な助言などしてくれたおかげで、ここのところ暇さえあれば四六時中、様々な刀から鉄扇や居合いの訓練にと熱心に乞われ付き纏われ、時には追い回されるからだ。
この本丸は審神者が常駐していない。故に戦闘に出る機会は限られており、強くなる機会も限られる。
にも関わらず主人が現世で襲われた場合は、いかなる場合においても単騎で主人を守り抜かなければならない。この特殊性がある以上、だからこそ皆、本丸に居ながらにして必死に強さを磨こうとする。
強さに貪欲となり、研鑽に明け暮れるのは別にいい。だが、付き合わされる身にも限度というものがある。
通常の手合せならそこまでではないが、他人に教えるとなると勝手が違う。主人の守りに直結する技術である以上手抜きもできない。理由が理由であるだけに無碍にもしにくい。
特に山姥切国広。この本丸のあいつはとにかく脳筋でひたすら鍛錬に余念が無く、ただでさえ日頃からひとたび目が合えば手合せ手合せとしつこくて仕方が無いというのに、最近は三日月宗近が来た影響かそれはもう輪をかけてしつこいのだ。その執念じみた諦めの悪さと来たら、さすがの大倶利伽羅ですら繰り返されれば根を上げるほどだった。
戦でも無いのにすっかり精神的赤疲労になった大倶利伽羅に対し、鶴丸が
「いやあ、人気者は辛いねえ伽羅坊」
などと言いながらケラケラと笑って
「じゃあ、ちょっくら現世で休暇ってのはどうだ? 伽羅坊」
と今まで本格的に担当して来なかった現世警護の担当を勧めてきた。
それを聞き、大倶利伽羅はいかにも呆れ果てたような顔で嘆息した。
「何が休暇だ…普通に最重要警護任務だろうが」
「固いこと言うなって。そりゃ警戒は怠らんのは当たり前だが、何もなきゃみんな思い思いに主と楽しく過ごしてるみたいだぜ?」
「馴れ合うつもりはない。……が」
大倶利伽羅は、少し考えて、顔を上げた。
「まあいい。いつだ」
「おっ」
「勘違いするな。休暇のつもりはない。だが、どうせ必要なことだ。なら、四六時中連中に追い回されるよりは任務のほうがまだマシという話だ」
「そーかそーか! 彼女が喜ぶなあ!」
機嫌良く笑った鶴丸が、背をばしばしと遠慮なく叩くので、大倶利伽羅はいかにも迷惑そうに振り払った。
初めて現世で警護を担当する際は、主人の家屋の物品把握、家電や救急箱の使い方の確認、周囲の地形の把握、有事の際の逃走経路のチェックを兼ねた見回りと日用品の買い出し、といった慣らしに終始する。
大倶利伽羅も、極めてまもなくそれらの最低限は終えている。
皆それほど間を置かずに二回目の現世警護に当たることがほとんどだが、大倶利伽羅は長らくその輪番体制から外れていた。
大倶利伽羅は呼ばれた経緯が経緯だったため、本丸で常に名代として指揮を取っている鶴丸国永のブレーキ役兼目付け役という側面が強く、故に大倶利伽羅を彼女が本丸から外さなかったという面も大きい。
とはいえ、幸いにして現在は、以前のような鶴丸の危険な自傷行動は収まっており、抑止役は形骸化していた。
だからこそ皆、大倶利伽羅を頼り、時間を拘束することに遠慮が無いわけだが。
「この馬鹿は俺たちできっちり見張っておくからな。心置きなく主の警護に集中しろ」
「ははは! ほんっと信用が無いなあ!」
現世へのゲート前にて。あんまりな長谷部の言にケラケラと笑った鶴丸国永が、渋面の長谷部に「貴様は少しはこちらの苦労も慮れ」と言われながらどつかれている。
「いいか、縛り上げて吊るされんだけ感謝しろ」
「あーあー! そう期待せんでも、どっちにしろ今日は大阪城の指揮に張り付きで驚きを探しに行く暇もないっての!」
大仰に肩をすくめた鶴丸が、大倶利伽羅に向き直った。金色の双眸が、やわらかくたわむ。
「じゃあ、伽羅坊。彼女をよろしく頼む」
「ふん」
to be continued
《爪紅が踊る》
無邪気で愛らしい主人だが、ととと、と素足で歩くその爪先には、あでやかな赤い爪紅。
目を惹くそれは、聞けば初期刀の加州清光が、本丸創設期からこうして自分と揃いにと塗ってくれるのだと。
そう彼女は嬉しげに、心から無邪気に笑う。
ぺたぺたと素足で白木の廊下を踏む、いとけない小さき足。
そこに不釣り合いに引かれた、あでやかな唐紅。とたとた、ぺたぺたと、無邪気に走り回るたびに踊る紅華。
男に素足を触らせて、男と揃いの紅に爪を染める。引かれた紅の艶っぽさから、どことなく牽制を感じなくもない。
が、その彼女らしくない艶っぽさが、生来の天真爛漫さと相まって、少しアンバランスに彼女の魅力を引き立てている、とも言えよう。
そう、純真無垢な彼女は、真っ白な画用紙のような主だった。
求められればどのような色も容易く受け入れてしまう、そんな危うさを常に抱く側面を、爪紅に滲むほのかな独占欲が証明している。
どれ、別の色はどうかと、悪戯めかして訊ねれば、こてんと小首を傾げて、足のネイルは初期刀にしか触らせてはだめと言われているのだと。
なるほど、やはり正しく牽制であるらしい。
妙な気を起こすなよと、子猫が毛を逆立てるような。可愛いものだ。
だが、これはいささか逆効果というものだろう。
このように紅をチラつかせては、己の色に染めたがる欲を刺激するだけだろうに。
《嘘告げの鶴》
鶴丸「きみは本当に世間のデマに興味が無いな。踊らされないでくれて助かるが」
主「? うんん、たぶんわたし、めちゃくちゃデマに踊らされてると思うよ」
鶴丸「うん?」
加州「おはよー、あるじ」
笹貫「おはよう主、良い朝だね」
主「おはようかしゅー。あれ、おはよう笹貫。虹色に光ってないね」
笹貫「は?」
主「今日は七夕だから笹の逸話の笹貫は虹色に光ってゲーミング笹貫になるって」
加州「おい鶴丸お前またカスみたいなデマあるじに吹き込んでんのか! いい加減にしねーとしばくぞ!」
主「あれれー? あ、ほら」
鶴丸「あーなるほど、きみが信じてるのは噂じゃなく鶴だったかぁ」
聞けば、この南海太郎朝尊は特に性質が人に寄った個体であり、食事が欠かせない燃費の悪さの不便はあれど、戦の最中で付喪神として丁寧に敬われなくても特に問題ないし、酒を捧げられなくても一向に構わないのだという。
「神に寄ったタイプの僕は大変だろうね。捧げられた酒に全く口を付けないという訳にもいかないだろうが、この通り僕は皆揃って下戸だからね。
慣例的に僅かに口を付けて気持ちだけ受け取って、後は肥前くんに呑んでもらうことになるのではないかな」
「そっかあ。どこの朝尊せんせーもひーちゃんと仲良しなんだね。素敵だねえ」
「ああ、もちろん個体差はあるだろうが、理由もなく険悪という話は滅多に聞かないかな。ありがたいことだね」
「そっかあ。どこの朝尊せんせーもひーちゃんのこと大事にしてるし、どこのひーちゃんも朝尊せんせーだいすきなんだねえ」
「そうであって欲しいね」
そういう!話は!
頼むからせめておれが聞いてねえ所でしてくれ!頼むから!
と内心叫んでいる肥前はひたすら無言で感情が大渋滞である。
※「玉手箱」https://privatter.net/p/11910341
の事件の最中、薬研と肥前だけが彼女を見てた時期の話
「────歯痒くて、気が狂いそうだ」
ガンッと、壁に叩き付けられた拳が軋む。
必死に押し殺した声で、震えるように山姥切はそうこぼした。
堀川が痛ましげな視線を向ける中、山伏は腕を組んだまま壁に背を預け、目を閉じてじっとしている。
山姥切は、己の両手を見つめ、血の滲むほど固く固く握りしめて、ぶるぶると拳を震わせた。
「こんな時こそ駆け付けたい、あいつを害する全てを斬り伏せてやりたい。何よりも、今、力になりたいのに。あまりにも無力だ…っ!」
血の滲むほど唇を噛んで、思い留まるよう必死に己に言い聞かせる。
炎にじりじりと焼かれるような苦しさを、どこにも吐き出せずに、耐えて耐えて耐え続けて。
「待つ他無いのは頭では分かっている、分かってるんだ。なのに、今っ…! 呼ばれないのが、こんなにも耐えがたい。もどかしくて頭がおかしくなりそうだ」
血反吐を吐くような震え声で、山姥切は耐えきれないように吐き捨てながら、深く深く嘆いた。
「こんな時に、呼ばれないのなら、オレたちは一体何のために…!」
夕陽色の鉢巻をぐしゃ、と
乱暴に握り潰した。
「すまない、皆同じ気持ちに違いないのに」
「……うんん、わかる。わかるよ、兄弟」
堀川は、山姥切を案じていた目を伏せると、暗い表情で俯いて、力無く呟いた。
「前に兼さんが言ってたんだ。無理強いせず待つしかない、待つ他無い。じっと耐えて、笑いかけて、水を注いで待てって。きっといつか花が咲く、それまで待ってやれって」
「でも、今、他にもっとできたことがあったんじゃないか、って頭がいっぱいだ。待つのが辛い。とても辛いよ」
でも、と堀川は。もっと辛そうに、こう口にした。
「でも、一番辛いのは主さんなんだ」
堀川は項垂れた。
「祈る他無い、ってこんな気持ちなのかな。付喪神、いつだって。祈ってもらわなきゃ叶えられない。それがもどかしくて、苦しい。苦しいよ、兄弟」
堀川はためらいがちに顔を上げた。
「……ねえ、やっぱり、少しでも顔を見に、」
「ならん」
その一言は、石のように重く落とされた。
「耐えよ。耐えがたきを耐え忍び、待て」
山伏が重々しく口にした。それが必要なことだと、しなければならないと。
ゲートをこっそり使って少しだけでも、と堀川が口にしかけるのを、山伏はそう制止する。
「我らは武具。どれほど繕ってもそれが真実。主人が求めぬ場に参じるは、壊してならん物を壊し、己が足で踏み荒らすことと心得ねばならん」
それを外れてはならん、と山伏は重しのような声音で低く告げた。
「それが我らが必定。守るべき境界」
「……それでも、」
耳が痛いほどの静寂の中、息を呑むように
山姥切が、かすれた声を漏らした。
「それでも、耐えられないなら……どうすればいい」
わずかな間。
やがて山伏国広は、こう告げた。
「ならば祈ってやれ」
その返答は、あまりに異質だった。
斬る物が、祈られるべき側が。祈れ、という。
九十九を越えた神の身で。
山伏国広。
衆生済度を願う、修行僧の在り方を選んだ付喪神。
「我らが祈ってはいかんという法は無かろう。人の子の祈りには到底及ばずとも、それでも良い」
「……いったい、何に?」
「己が最も信じるものに、だ」
山伏のその答えは
静かで、深く、揺るぎなかった。
山姥切は、ぐしゃ、と泣きそうに片手で顔を覆った。
「なら、オレは、あいつに祈る。あいつに、オレが信じたあいつの心に。どうか、わずかでもいい。何かが届いてくれと」
※「玉手箱」https://privatter.net/p/11910341
前提のこぼれ話。
※「泣けないきみのトロイメライ」https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=26116138辺りで見え隠れしてた燭台切の執着の話
《なお、燭台切から見た加州の形代傷は…?》
燭台切は、初めて加州の形代傷を直視した時
もちろん痛ましくて胸が痛くて心配で
なんとか力になりたくて仕方なくて
けれど、同時に。
これを、いつか。僕にも、くれるだろうか。
という欲のこもった熱視線も
隠しようがない程に重くどろりと零れ落ちた。
ごく、と物欲しそうに喉が鳴る。
茹だるようにのぼせた、顔をしていた。
「燭台切、燭台切」
「うん? どうしたの、加州くん」
いたって穏やかで心配そうな声で返す燭台切に。
加州は、頬を少しばかり引き攣らせながら、上を向き、下を向き、明後日の方を見ながら、唸るようにこう言った。
たぶん見えちゃだめなやつがこぼれてる、と。
「……目、笑ってないけど」
燭台切光忠は、瞳孔の奥を少し開いたまま、仄暗く発光する金眼を、ぱちぱち、と瞬かせて。
次の瞬間、さっと拭うように笑顔でその色を消してしまった。
「ごめんごめん。さすがにちょっぴり妬けちゃって」
「…………燭台切って、やっぱ『そう』な感じ?」
「なんのこと?」
にこりと微笑み直した燭台切の笑顔は、少しの綻びもなく繕われていて完璧だ。
加州清光は余計に表情を引き攣らせ、理解したくないものを理解しかけた時の顔で、内心で頭を抱えてああだのううだの意味の無い音を吐き出し続けた。
◇ ◇ ◇
さすがに「普通じゃない方向の欲だ」ってことだけは分かる。
だから顔が引き攣る。
というわけで、形代傷については実は
・鶴丸を選んでたら神隠し
・燭台切を選んでたらとてつもない執着でぐちゃぐちゃにされてた
という二大禁忌選択肢だったわけだが
まあ彼女は、鶴丸と燭台切をそのぐらい依存させてしまってるし
その執着を許すぐらいに自分を差し出しちゃってるから
回り回ってその結果ではあるんだけど、横で見てる加州からすると、ヒヤヒヤもの。
・鶴丸だけでも胃が痛いのに、形代傷ができて以降は、燭台切の執着も目に見えちゃうという。
・燭台切の執着については、加州と鶴丸の目線では、霊力暴走の時点で既にチラチラ見え隠れはしていた(彼女の視点だと全く見えてないけど、上の加州と同じような反応を二人がしてる描写がある)けれど、形代傷を通して真正面から浴びると流石にゾワゾワするよね。
・この頃には安定はもう医務室預かりな訳だが、加州はさすがに安定に胃薬貰いに行った。本丸創設期から相も変わらず胃痛役。
・こういう時今まで優しくおじやとか出してくれて愚痴聞いてくれてケアしてくれてたのは燭台切なので、「も〜むりぃ〜!」ってジタバタする。
「なんっで、なんであれ浴びてあるじはケロッとしてんの!? さすがに食傷気味なんだけど!?」
「それはさすがに今に始まったことじゃないじゃん」
「そーだけど! そーだけどさあ!!」
常識人ポジションの清光は顕現からこっちずっと胃痛役である。
危なっかしい主と、それ以上に危なっかしい初鍛刀を、ヒヤヒヤしながらずっと手を引き、こんこんと説教し、崖に走り出しそうになれば先回りして止め、暴走すれば殴り、そうやって初期刀として綱渡りの本丸を何とか繋いできた。
「もう俺の胃がストライキ起こしてる!むり!もうむり!閉店!!」
「胃薬いる?」
「要る…」
安定が「あーん」と包み紙を出すので、清光はやけっぱち気味に座ったまま口を開けた。
すると、ころん、と口に転がり込んできたのは、苦い気休めではなく、甘い飴玉だった。
片頬を膨らませたまま、清光は「……???」という顔をした。
「糖衣…じゃない、なにこれ、飴玉?」
「ちょっと前に薬研が預かったってさ。主からだよ。かしゅーがまた胃薬飲みにきたらこれあげてねってさ」
「…………」
清光は無言で深々と天を仰ぎ、ノックアウトされたような顔で、甘い甘い甘すぎる甘やかしを舌で転がしながら、ベッドに突っ伏して耳まで赤くして呻いた。
「ほんとこーゆーとこ、ほんとこーゆーとこ!!!」
「あれでたらし込んで転がしてる自覚が無いんだから怖いよね。破れ鍋に綴じ蓋っていうか、どっちもどっちっていうか」
「うるせー、そんなのわかってんだよ!!ばーかばーか、あるじのばーか!愛してる!!」
「はいはい」
・審神者の函館初陣、俗に言うチュートリアルの形式が古い時代と今で変わっている。
・古い時代は「初期刀一振りのみ」だったのが「初期刀+初鍛刀の短刀と一緒に戦場に出る形式」に変わった。※ゲームでも同じ
・この場合の理由は、隊長用の強制帰還の安全装置が開発されたから。
・政府が初期配布できるお守り資源には限りがあり、1本丸に1個なので、当初はお守りを持たせた初期刀のみで初陣が基本だった。
・しかし、隊長に持たせる安全装置が開発され、隊長は安全装置、短刀はお守りで護ることが可能となったため、初期刀+短刀で初陣する形式に変わった。
・しかし、顕現した加州清光は、チュートリアルの存在は知っていたが、制度が新しくなったことを知る由もなく、政府の役人による説明(安全装置が開発されたためお守りは配布されない)を受けて単騎出陣する。
・主へはお守りは有償配布だと説明され、出した購入費は役人の懐へ
・役人の懐に入ったお守りの費用はあくまで端金。本命は審神者と刀剣男士の関係性を初期から壊すこと。裏で糸を引いていた大元は政府に入り込んだ歴史修正主義者で、初代の役人も二代目の役人も下請けの使い捨ての末端である。
<古いチュートリアル>
・初期刀のみ出陣
・初期刀にお守りを渡した状態で出陣→敗北
・隊長安全用装置なし
<新しいチュートリアル>
・初期刀+初鍛刀の短刀の二振りで出陣
・短刀にお守りを渡した状態で出陣→勝利
・隊長用安全装置あり
<彼女の場合>
・こんのすけが行うチュートリアルは、特例としてくろのすけの担当に。しかし、くろのすけは役人の恣意的なすり替えによって到着せず、担当役人によって行われる。
・本来は、新しいチュートリアルが適応。安全装置+配布お守りで二振りで出陣するはずだった。
・恣意的に古いチュートリアルが適応。加州清光のみが単騎出陣→敗北
・古いチュートリアルを知る加州清光には安全帰還装置が提供され、代わりにお守りは無配でなく有料だと説明される。無配されるはずのお守りが配布されなかったため、彼女が代金を支払った。代金は役人の懐に入った。
・加州清光が単騎出陣→重傷敗北帰還
・本来は初期刀+短刀の手入れ用2枚、鍛刀用に合計三枚の手伝い札が配布されるが、1枚しか渡されず。後方支援本丸には1枚しか配布されないと嘘の説明がされる。
・手入れの仕方は非常に拙い(わざと不十分な指導だった)→ますます手伝い札を使用するべき場面→本来は加州清光の手入れに札を使うべき所を、役人の指示で使用せず、鍛刀に回される。
・拙い札なし手入れで加州清光が手入れ部屋で寝ている間に、役人の指示でAll999の初鍛刀が行われる。手入れ用の手伝い札を鍛刀に使用→鶴丸顕現
・鶴丸は状況を素早く把握。あまりにも拙い手入れと、1枚しかない手伝い札を初期刀に使用せず傷を放置して、鶴丸に使ったことがすぐ露呈。その時には既に役人は逃げ帰っており、鶴丸は主に対して重ねて不信感を持つ→誤解発生
・加州も鶴丸も、両者ともに、古いチュートリアルの存在は認知しており、この本丸の異常には気付けず。光忠も同様だった。
・後に山姥切長義がその絡繰を指摘したことで判明する。
・彼女にとって何よりも幸運だったのは、この状況で加州清光が彼女に一切の不信を抱かなかったこと。
・唯一の札を鶴丸を呼ぶことに使って自分の傷を放置された件で、加州は「粗雑に扱われ、最初の敗北で見切りをつけられて、新しい刀を呼ばれた」と思い込んでもおかしくなかった。
・だが、彼女がチュートリアルより前に顕現と同時に自らフルネームを名乗ろうとして慌てて口を塞いだこともあり、本当に何も知らない状態、何も教えられていない状態でどうやら送り込まれたらしいとすぐに察するに至ったこと、最も危険な真名の扱いすら教えられていないのはさすがにおかしいと、主より役人側に不信感を持ったことが、道を大きく分けた。
・手入れの仕方があまりにも拙いことも、どうやら意図的に何も教えられていないらしいと確信を深める結果となり、彼女への不信感には繋がらなかった。
・彼女は清光がボロボロの状態で一生懸命手入れして、手入れが終わるとロザリオを取り出して必死に祈ってくれた。かみさま、かみさま、かしゅーを助けてください、お願いします、お願いします、と。ボロボロと泣きながら。必死に、何度も何度も。
・それはまるで、重病人や死の淵にある人を想うかのような、あまりに必死な祈りで、その姿を見て清光は、彼女が刀剣男士が手入れをすれば傷一つなく簡単に修復されることすら知らないのだとすぐに分かった。清光は彼女に、自分は大丈夫だから泣かないでと、そう言い残して疲れ果てて眠りに落ちる。手入れ札が自分に使われずに鶴丸の鍛刀に使われた時も、手伝い札が手入れにも使えることを知らないのだろうとすぐに察した。そうでなければ、あの必死な祈りや涙と整合性が取れないからだ。清光は主を疑わなかった。
・歴史修正主義者の奸計は、新米審神者と初期刀の絆を壊すに至らなかったのである。
・なお、この加州清光は、実は本来の手順ではなく、政府の初期刀候補保管庫から直接持ち出されている。
・倉庫の中に置かれた、数万本の加州清光、山姥切国広、歌仙兼定、蜂須賀虎徹、陸奥守吉行の中から、己の初期刀を何の手がかりもなく選び取ることになった彼女は、本来五振りの中から説明を受けた上で選ぶということも知らず、役人によって倉庫に連れられた状態で、己の直感に従い、自分の手にするべき唯一無二を探した。
さぁって風が流れて、こっちだよ、って誰かが指をさして教えてくれてるみたいな感じがして、そのままキラキラを追って進んだら、そこにかしゅーが居たの。
かしゅーがいちばんキラキラしてた。だから、かしゅーにしたの。
古き神の寵愛だね。きみにその異能を与えた神が導いたんだ。きみにとって、最も良縁であるように、と。
・彼女は目を閉じて、自分の直感を信じて手をかざし、『いちばんキラキラしている』一振りを見つけ出して手に取った。それこそが今の加州清光であり、奸計にも惑わされず彼女を疑わずこうして良縁を結べた、あの場では最良の縁だったのだ。
・後にそれを指摘した山姥切長義によれば、本来彼女のために用意された初期刀五振りは別に存在し、つまり別の加州清光がいたとのことだが、それを聞いて清光は「はあ!?」とハリネズミが毛を逆立てるが如く「あるじの初期刀は俺だけどぉ!?ダメダメダメ!たとえ加州清光(おれ)でもぜってー譲らねえからな!?」と主の両肩を抱いてフシャーと威嚇したし、「わかっている。既に五振りとも己の主を得て本丸を持っている。今となっては既に終わった話だ」と長義は努めて冷静に返答した。
竈門がシューッと白煙を噴いていた。
青空に湯気がもくもくと上がって、炊き立ての米の良い匂いを厨中に届けている。
竹筒を吹子代わりに息を送り込んで白米を炊く加州清光のもとに、ひょいっと鶴丸が「よっ」と言いながら軽快に顔を出した。
「えらく美味そうな匂いがすると思ったら、ついに米かぁ」
「うん。やっぱ米は人手がないと食える感じにならなくてさ。でも、今回はだいぶ採れたから」
「そーかそーか。これで兵糧の管理がだいぶ楽になるなあ。もちろん麦飯もいいが、やっぱり白米に勝る腹持ちは無いしなぁ」
そうしきりに頷いた鶴丸が「そんな馳走にぴったりなもんがあるぜ」と言って、紐に吊るしまとめた魚を掲げ「大量だぜ」と笑った。
この本丸には主の他に、加州と鶴丸しかいない。
初期刀と初鍛刀しか居ない、ひどく静かで何もない本丸だ。
外部との接触が取りようのない現状、ここは陸の孤島と言っても良いほどに前線が遠かった。
物資にも乏しく資材も少ない。新しい刀を呼ぶ余裕すら無い中ではあったが、幸いにして主人の霊力は有り余るほど潤沢だった。
だから畑は常に豊かに潤い、新鮮な野菜に困らないことだけが救いといったところだった。
野菜か芋ぐらいしか無いような環境でも、好き嫌いなく何でも食べてくれるのは助かるが、大喰らいな傾向のある刀剣男士から見れば雀の涙のような量しか食べない彼女に、もう少し滋養のあるものを食べさせてやりたいところなのだが。
こういった野菜や芋や豆ばかり食べさせていると、菜食と精進潔斎の道理でただでさえ透き通った霊力がどんどん研ぎ澄まされて美しくなっていくのがまたどうにも心配だ。浮き世と離れすぎると人の子はどうにも盗られやすい。
また野鳥や猪でも狩ってきてやらねばならないだろう。熊でも居てくれれば大いに助かるのだが。
生きる力がどこか希薄な主人だった。
よく祈り、よく笑い、清らかで穏やかで幸せそうで、審神者というよりは巫女、もっと言えば贄と呼ぶ方が正しいほど霊力の純度が高く、体と魂の結び付きが弱い。
だが、そんな彼女を正しく主人と仰ぐと決めたからには、影に日向に支えてやらねばならない。
「んじゃ、こいつは二匹ほど焼き魚にして、残りは干物にでもするとするかぁ」
「お前は?」
「いんや、待ちきれなくて向こうでたらふく食ってきたからな」
もちろん嘘だ。
一匹たりと手を付けていない。これは全て彼女のために獲ってきたものだ。
刀剣男士の中には、毎日人の子と同じ量を食う者もいれば、逆にほとんど食事を必要としない者まで様々な者がいる。物に寄った個体、人に寄った個体、神に寄った個体、一口に刀剣男士と言っても様々だ。
見たところ初期刀殿は魚一匹もあれば戦でも一日は保つタイプらしいが、鶴丸は実のところ月に一度か二度たらふく喰えば十分といったところだ。神に寄った個体はそれなりに燃費がいい。
とはいえ、精神衛生上は供物は毎日たっぷり食べるに越したことはないのだが、その辺は上手いこと騙くらかしてきちんと食事を取っているように見せかけている。兵糧の蓄えがまだまだ少ないこの本丸では、万一彼女の霊力供給が絶たれれば一気に食材が枯渇するリスクがある。極論食わなくても生きていける自分達は良いが、彼女が飢えるような事態だけは絶対に防がなければならない。
だから豊富な生野菜を畑からちょいちょい盗み食いする程度で済ませているのだ。幸い、霊力が非常に豊かな彼女の田畑では、それだけでも十二分に補給になる。
毎日大量に取れる新鮮な旬野菜に芋に麦、川向こうで獲ってきた魚に、山菜、きのこ、木の実、果物。野鳥や猪も適度に狩っているし、栄養は十分なはずだ。人の子はきちんと食わせなければあっという間に病気になる。
鶴丸はその途中で、人が喰えば死ぬ程度のキノコあたりをちょいちょいつまみ食いしている。丈夫な刀剣男士にこの程度の毒は有って無いようなものなのでけろりとしているのだが、この辺りは初期刀殿にバレると後がうるさそうだ。
戦支度に兵糧は何より最優先だ。
それに、米と麦さえ備蓄できるようになれば、後々酒も支度できるようになる。
こちとら飯は程々にあれば十分だが、さすがにそろそろ酒が足りない。古今東西、神への供物は酒と決まっている。
加州も鶴丸も比較的燃費の良い方だからよかったが、これから刀剣男士が増えれば大喰らいの個体を引くかもしれない。
最低でも酒ぐらいは用意してから呼ばなければ、下手をすると彼女が神の怒りを買う危険も大いにある。
神を呼ぶからにはそれなりにリスクがあって然るべしだ。何一つ教わらないままここに来たらしい彼女は奉納祈願の手順も滅茶苦茶だし、存分に場を整え準備を揃えてからでなければ、迂闊に新しい刀剣男士を呼ぶのも躊躇われる。
あれほどまでに清らかな贄気質の彼女だ。単純な資材不足だけが問題ではないのだ。
「鶴るんー!」
とたとた、と愛らしい足音を拙く響かせて、主が野菜籠いっぱいにトマトを抱えて廊下を素足で駆けてきた。
ぽふ、と白絹でやわこく受け止めて、にぱっと笑う彼女を抱き留める。
「トマト、いっぱい採れたよ!」
「おー、こりゃ見事に実ったなあ。余った分は絞って瓶詰めにでもするかぁ」
「鶴るんもいっしょに食べよ」
「ああ、オレは、」
鶴丸は、先ほど初期刀殿にしたのと同じ言い訳をしようとしたのだが、あまりにも嬉しそうに彼女が笑うので出鼻を挫かれた。
そんな鶴丸にぎゅうっと抱き付いて「半分こしよ」と彼女は幸せそうに笑う。
「……いや、そうだな」
彼女から手渡された野菜は、ひとつ齧ると彼女の食前の祈りがきらきら満ちて、とびきり美味い。
甘やかで、とろけそうな、沁み入る供物の味だった。
「こんな美味い驚きを逃すんじゃ名が廃るか。さすがにそろそろ飯にするかあ」
何もなくとも幸せで満たされていて楽しかった。その後も不意に思い返す、静かでまばゆい数ヶ月。
今となっては懐かしい、三人きりの最初の半年間のことだった。
《タイトル〜ありし日〜》
「じゃ、教えた通りに、な」
「うん」
手を合わせて目を閉じて祈り始めた彼女の周囲の空気が透き通り
拙くも少しずつ、金色の霊力が漏れ出していく。
ふっ、と彼女の瞳が遠くを見て、黄金に透き通る。
トランスに入った証拠だった。
朦朧とした彼女から、鶴丸が教えた簡易な祝詞は次第に役目を終えてどこかへ消え去り、やがて彼女が古く馴染んだ祝詞が自然に浮かび上がる。
ふっと彼女の吐いた息が、霊力の名残りで黄金に光る。
「かみさま、かみさま、いつもお守りくださるかみさま、見渡す限り広がるこの食卓に、お恵みをお与えください」
ぽつ、
と地を叩く水滴が
あっという間に雨になる
ざあ、と田畑に降り注ぐ雨に、鶴丸は「ははっ」と感心したように笑い声を上げた。
「はは、こりゃお見事。こうも雨乞い要らずとは驚きだ」
鶴丸は白絹の裾で彼女の天蓋を覆い、豊かに降り注ぐ慈雨を眺めた。
いくら霊力的に整えられ、審神者の力が最大限発揮されやすく調整された隠り世と言えど、正式な祝詞も術式もなくこの様子とは。
「あ、れ? できた?」
「ああ。実に良い驚きだ。こりゃすごいなあ」
トランスに入ったまま朦朧としている彼女を揺り動かし、ぱちんと目の前で手を鳴らして目を覚させると、鶴丸は手早く彼女が濡れ鼠になる前に木のたもとに避難させた。
「きみ、生まれてこの方、大事な予定で天気が崩れたことがないだろ?」
「? うん、大雨の予報でも嵐の予報でも、てるてる坊主を作って本気の本気でお祈りするとね、ちゃんと晴れるんだよ。かみさまはいつでもやさしいね」
「きみに寵愛を与えたどこかの神は、余程人を愛した古き尊き方らしいな。オレもそれなりに古いつもりだったが、どうやら赤子同然といったところだなあ。縁の先がとんと見えん」
「???」
よくわからない、とばかりにほけほけ笑う彼女は、無垢な赤子同然に幸せそうだ。
神に祈れば叶えてくれる。それを不思議なことと疑うことすらなく、心から信じている。だから、今起こっている事象を全く疑問に思わないのだ。
こんなにも巫女と贄の性質が強くてよく今まで無事だったもんだ。
四方を海に囲まれ河川にあふれ四季の嵐が実りを左右するこの国では、あらゆる土地に水に纏わる龍神や水神が祀られている程に、古くから水害と日照りは死活問題だ。
鶴丸の時代とまで遡らずとも、かなり近代まで人身御供の風習が隠れて公然と行われていた程までに、この国で水祀りの性質が強い者は犠牲を強いられてきた。
こうまで力が強い上に己の力を隠す術も知識も後ろ盾すら持たないのでは、古い血筋の家柄やら狂信的な宗教やらに道端で攫われても一向におかしくない。
現にこうして、審神者とは名ばかりに国に捕まり、兵隊とさして差のない戦巫女に仕立てられているのだから、この国の本質は未だに変わっていない、と言っても過言ではないだろう。
神としてこのオレが付いた以上は、そのような結末にさせる気はさらさら無いが。
「鶴るん、鶴るん」
「ん? なんだい?」
「あのね、あのね、雨、鶴るん、嬉しい?」
「そりゃもちろん」
なにせ、井戸が枯れないことが保証されたも同然なのだ。
水が無ければあっという間に人の子は死ぬ。井戸と備蓄水は戦の重要設備の中でも最たる要だ。
これだけ清らかな雨水なら、潔斎や浄化にも事欠かないだろう。わずかな穢れなら本丸に注ぐ雨だけで祓えるレベルだ。この先、御神刀連中を呼ぶにあたっても重宝することだろう。
けれども、そんな戦支度の血生臭い話とは無縁の彼女は、鶴丸の内心の戦勘定の中身などつゆ知らず、鶴丸がただイエスと肯定したというだけで「そっかあ」とひどく嬉しそうだった。
「じゃあこれからも、いっぱい真剣にお祈りするね」
そう、ほんとうに心から嬉しそうに笑った。
祈ることを憶えたばかりの、幼いわらしのようだった。
鶴丸は無言で、切れ長の金瞳をすっと細めた。
鶴丸たちのような人に近しい神にとって
程度の差はあれ
己を慕う祈り子は、皆ひとしく愛しいものだ。
ましてや、己の名を呼び、自分たちのために懸命に無垢に祈る子どもなら、なおのこと。
本来なら、無垢に神を慕うものほど、報われて欲しいものだというのに、この国では必ずしもそれが仇にならないとは限らない。
だからこそ。
「うん、そうだなあ」
「?」
鶴丸は、己の白絹を大きく広げ、羽根を畳むようにして彼女を優しく包んだ。
この純真無垢な神の愛し子に、とびきりの幸あれと、願ってやまない。
「? ふふ、あったかいや」
彼女は、鶴丸の内心などつゆ知らず、まるでおくるみのように白絹に包まれて幸せそうに笑った。
いつの日か。
彼女のように生まれてくる、全ての愛し子が
報われる時代が来るように
今はまだ、血生臭い方へと手を引く他無いオレたち戦神が
真に必要とされぬ時代のために
いつかオレたちが真に忘れ去られる日のために
オレたちは戦っている
to be continued

《安定編に出てくる話の鶴丸side》
あのね、あのね…
わたし、みっちゃんのご飯大好き。大好きだよ
とっても優しい味がして…
おいしくて、食べると元気になって、笑顔になれて
それでね、ときどき、泣きたい気持ちになるの
変だよね
どこか途方に暮れたような顔でそう口にした彼女に
わしゃ、と髪を掻き乱してやって、鶴丸は
「なにもおかしくはないさ」
とそう応えた。
なにせ、光坊の飯は最高だからな、と。
「旨い飯、旨い酒は、誰の心をも揺り動かす。あれだけ気持ちのこもった手料理を前に、気持ちを偽る方が無粋ってもんさ」
どこかぼんやりとした目で鶴丸を見上げた彼女が、自分はおかしくないかと目で訴えるので、鶴丸は首を横に振ってやった。
「きみはただ、きみの心に正直であればいい。光坊もきっと、それを望んでる」
ぽん、と肩を優しく叩いてやった鶴丸に背を押されるように、彼女の目から、ぽろ、と涙がこぼれ落ちた。
「わたし、わたしね」
「ああ」
「嬉しくて、みっちゃんのご飯、嬉しくて」
「うん」
「嬉しくて、ありがとうってどうしても言いたくて」
「うん、うん」
「作ってくれる、それだけで、ほんとうに嬉しかったの」
「ああ」
「……だれにも、いわない? 鶴るん」
「もちろん言わないさ、オレはな」
「嬉しかったの。とても、……とても、殴る人だったから。だから、殴らないで、おいしいごはん作ってくれて、それだけが、それだけがほんとうに嬉しくて、だから…」
「そうか。きみのお袋さんの話かい」
こくん、と彼女は迷子の幼子のような目で頷いた。
「……だから…だから…ありがとうって、どうしても言いたくて、でも、でも、どうしていいか、わからなくて…」
たどたどしい言葉の羅列は、胸を突くような喜びと切なさを帯びている。
「だから、ずっとみっちゃんのそばにいたの…でも、なにも言葉が出てこなくて…」
喉を詰まらせた彼女が、消え入りそうな声で呟いた。
「ほんとは、ありがとうって言いたかったの…でも…」
ぽろ、ぽろ、と
言の葉を降らせるたびに、どうしていいか途方にくれたような顔で、涙を落とす彼女に
鶴丸は、ただ「そうか」と優しく返して、頭を撫でてやり続けた。
ちらりと視線をやった、その廊下の向こうに。
息を詰めた光坊が立っている気配を、感じ取りながら。
次の日の朝食の後だった。彼女が控えめに光忠の裾を引いたのは。
「あのね、みっちゃん、すごくおいしかった、嬉しかった、ありがとう」
また、おいしいごはん、作ってくれる…?
まるで、日常の延長線みたいに投げかけられた感謝の言葉は。
よくよく注意しなければ分からないほど、かすかに震えて掠れていて。
すかさず膝を折って、誓うように光忠は答えた。
「うん。作るよ。きみが望む限り、何度でも、何万回でも」
彼女はまるで、時が止まったように
大きく目を見張って息を呑んで
次の瞬間、ほどけるみたいに、泣きそうに笑ってくれた。
それからだ。
今まで何度、食べたいものを訊ねたとしても
「なんでも嬉しい、ほんとうに嬉しい」と答えてばかりいた彼女が
聞くと「あったかいもの、食べたい」と答えてくれるようになったのは。
寒い冬でも、暑い夏の日でも、彼女は同じことを言った。
「たぶんこれ、内緒ってヤツなんだけどさー」
加州清光が不意に、頭の後ろで手を組みながら、努めて軽やかにこう付け加えた。
「あるじ、すごーく嬉しいんだってさー。燭台切が『なに食べたい?』っていつも聞いてくれんの」
ま、俺がお節介焼かなくたって、あんたにはちゃんと伝わってるんだろうけどさ。
そう、まるで他愛無いことのように、慎重にそう言い添えた加州が、ちら、と視線をこちらに寄越したので、光忠はやんわりと微笑んだ。喜びと誇らしさ、そして一抹の切なさをない混ぜにした複雑な笑みで。
「……加州くん、何か聞いてるかい、その、彼女のこと」
「いや。けど、ま、分かるよ」
何も聞かなくても、なんとなく。
ほら、俺も川の下の子だしね。
「生まれの貧しさは、どうにもならないもんな。足りないなら、自分で補うしかないし」
頭の後ろで手を組んだまま、視線を下に落とした清光は、酷く実感を込めてそう淡々と口にした。
希望とも絶望とも読めるような、厭世的なため息だった。
「一生懸命あがくしかないんだ。結局、泥の中を独りで戦うしかないんだよな、埋めてくれる誰かに出会えるまで」
多分それは、人も、物も、主も、刀剣男士も変わんない。
加州はひどく悟ったような声で、あるいはどこかとっくに諦めたような諦観を色濃く滲ませて、言の葉を空に放った。
「それを、嫌になるほど知ってるってことでしょ。あるじもさ」
組んだ手をぱっとほどいて、加州は「なんてね」と肩をすくめ、苦い空気を振り払った。
「で? 今日はなに作んの?」
話題を払拭するように軽やかに、かぽ、と仕込み中の鍋の蓋を横から開けて覗き込む。加州は「お」と表情を綻ばせた。
「豚汁? あ、」
くん、と匂いを嗅いで、清光は違いに気付いた。
「里芋だ。仙台風?」
「うん。芋煮風、ってところかな。長ネギと、鶴さんが取ってきてくれたキノコでね。もうしばらく煮込むよ」
「いーにおい」
柔らかくほどけた横顔で、加州が嬉しそうに笑った。
燭台切が来てくれるまで、料理っつっても、単に切ったり焼いたりばっかだったもんなあ、と。
「畑はずっと豊作で困らなかったけど、さすがに俺と鶴丸とあるじだけじゃ、どーしても人手足りなくてさ」
「任せて。とびきり美味しく作るよ。彼女にも約束したしね」
光忠は青空を大きく仰いで、抜けるような秋の高い空を見上げた。
「うん。本丸がもっと大きくなったら、みんなで芋煮会をしようよ。仙台の秋の風物詩でね。川辺で仲間で集まって鍋を囲むんだ」
「ふーん。……なんか、わかったかも、俺」
「うん? 何が?」
「あるじが燭台切に懐く理由ってやつ」
加州も並んで、秋の青空を高く見上げた。
きっとそんな騒がしい未来に続いている、真っ青で気持ちの良い秋晴れを。
きっと、清光の知っている川の下とは少し違う
騒がしくてあたたかい秋の空になるんだろう。
「そーだよな。美味い飯を食うのって、明日のためだもんな」
to be continued
《燭台切曰く、》
「彼女ね、いつも美味しいって言ってくれるんだ」
燭台切は目を伏せて、静かに微笑むようにそう言葉にした。
「美味しい。とっても美味しい。すっごく美味しい。あれが美味しかった、これが美味しかった、こんなに美味しいもの食べたことない、嬉しい、嬉しい、ありがとうって」
でもね、と燭台切は、ふっと息を抜くようにしながらどこか切なげに続けた。
「なに食べたい? って聞いても、答えてくれないんだよね。どれも好き、なんでも好き、みっちゃんが作ってくれるものはぜんぶ好きだよって、そう笑うばっかりでね」
「ようやく、ようやくリクエストを言ってくれるようになったんだ。あたたかいものが食べたい、って。寒い日でも、暑い日でも、おんなじ。彼女、それしか言わないんだ。まるで、こんな贅沢は無いって言いたげだった」
「……ついこの前、酷い猛暑の日があったんだ。でもね、僕は聞いた。なに食べたい?って。そしたら、初めてね。冷たいものが食べたいなあ、って、言ってくれたんだよ」
「嬉しかった。ようやく、ようやく、ここまで来たんだなあって」
「……彼女にね、苦手なものはある?って聞いたんだ。一番最初の頃にね。アレルギーとかどうしても食べられないものとか聞きたくて。でも彼女、まるで本当に自然に、腐った物は少し苦手、って答えたんだよ」
「僕、さすがにちょっと動揺しちゃって。それは、サバイバルに強そうだね?って咄嗟に返したら、彼女、褒められてすごく嬉しそうだった。自分の返答に疑問を持っていないんだ」
「……痛かったなあ。こんなことで嬉しそうに笑わせちゃった。こんな、少しも笑えないことで」
「だから、僕は待ってる。これが食べたいって言ってくれるのを。本当はね、辛い味付けより甘い味付けの方が好きって知ってるし、がっつりしたものよりちょっとずつ色々楽しめるアラカルトの方が好きなのも知ってる。あれこれ好物があるのも知ってるけど、待ってるんだ。彼女の気持ちが追い付くのを」
「彼女ね、本当に何でも嬉しそうに笑ってくれるよ。でも、それ以外の顔を見たいと思ったら、道のりはすごく遠くて、険しい。なかなか見せてもらえないんだ。本当はもっと、わがままになって欲しいのにね」
<三日月宗近と月の舞>
たくさんたくさんお祈りした、ミサワインがたぷんと揺れる。
祈りの溶けた酒をたんと用意した主に
三日月は笑って
「実に心のこもった良い酒をたくさん奉じてくれたからな。では、代わりにひとつ、舞でも奉じようか」
美しき月の剣をすらりと抜き、夜の帳が下りる中、きらりと舞う。
あまりにも優美で綺麗な舞をひとさし。
「あのね、鶴るん」
「なんだい」
「みかちゃんって、最も美しい刀って言われてるんだよね」
「ああ」
鶴丸は躊躇うことなく肯定した。あまりに前提すぎて迷う必要も無いからだ。
「まあオレもそれなりに長く在るが、あれほど美しい刀は、さすがに他にオレは知らんなぁ」
とっても綺麗なひとだけど、いつもいつでも本当に綺麗でしょ。
そうじゃない、綺麗なばっかりじゃない瞬間だって、あると思うんだ
でも、あんまり美しいひとだから、それ以外の姿は迂闊に見せれないんじゃないかなって
月は裏側を見せないものだから。大丈夫なのかなって
鶴丸はそれを聞くと
ひどく深い表情で、静かに微笑みながら距離を詰めて、こう囁いた。
「月の裏側が見たいのかい」
うんん、違うの。
大丈夫なのかなって、すこし心配なだけ。
わたしね、見せてくれなくてもいいの。みかちゃんが教えてくれたいものだけでいいの
みかちゃんが見せたくないものを覗き込みたいわけじゃなくて
ただ、ちゃんと。みかちゃんが、もし、ちょっと疲れちゃった時に
美しいばっかりじゃない自分のことも、誰かに受け止めてもらえてればいいなって
それだけなの。だから
みかちゃんがちゃんと、独りじゃないなら、いいの。
そう口にした彼女は胸の前で、両手を祈りの形に静かに組んで目を閉じた。
「優しいみかちゃんが、どんな時も独りぼっちじゃありませんように、って、それだけ」
ゆるり、と金彩の瞳を細め、鶴丸は静かに「そうか」と彼女の小さな祈りを聞き届けた。
大丈夫さ。
あけぼらけの月は夜明けに沈んで眠るものだろう
月にも朝は来る。そこに夜明けの優しい光があれば、朝に揺られて眠るだろうさ。
「世話焼きで情が深いき。肥前のは、昔から」
細めた瞳が、懐かしさをはらんで
まぶしそうに
それを見た彼女は大きく目を見張ると
ぱあっと笑って、嬉しそうに吉行の手をくいっと引いた。
「ん? どうしたが?」
「嬉しいの!」
満面の笑みで、主は本当に嬉しそうに笑った。
だって、あんまりまぶしそうに見てるから、と。
「むっちゃんは、ひーちゃんが世界でいちばん大好きなんだねえ」
そんなふうに。
あまりに面映い言葉をストレートに浴びせられた、陸奥守吉行は。
まるで図星を指されたように
明後日の方を見てから
ぽりぽりと照れくさそうに頬を掻いて
「ん、まあ、そりゃあ……そがな頃もあったのう」
内緒にしちょってや、と。
そう、柔らかく笑った。
《肥前の兄やん》
誰よりも肥前忠広の味方であって欲しい、と願われてやってきた、この本丸の陸奥守吉行は。
実のところ、肥前が擦り上げられる前、彼が坂本の宝剣としてまだ太刀であった頃。
彼を、兄やん、兄やんと慕っていた頃の記憶が、非常に鮮明な個体だ。
『あの頃の兄やん』が、くしゃっと笑って
「こーら、吉行。ったく、仕方ねえなあ」
と吉行の頭を撫でてくれたあの日の肥前を。
吉行、吉行と、柔らかく呼んでくれた頃を覚えている。
根っこのところで世話好きで
ぶっきらぼうなつもりで、一度懐に入れたらどうにも可愛がらずにいられない、そんな。
大きな背中と、撫でてくれた無骨な手のひら、くしゃりと細められた柔らかい双眸を。今も忘れられずに憶えている。
人の子は歳と共になだらかに大きくなってやがて老いていく。
一方、刀は時に逆だ。打たれた時に大太刀や太刀だったものも、歳月と共に擦り上げられ、折られ、摩耗し、小さくなっていく。
大太刀がやがて打刀に擦り上げられるように。太刀が脇差へと擦り上げられていくように。
かつては太刀と打刀であった、あの頃の自分達。兄やん、兄やんと慕って見上げた自分と、くしゃりと片目をすがめて笑ってこちらを見下ろしていた肥前。
坂本家という小さな世界で、何も知らず幸福だったあの頃。
坂本龍馬という忘れ得ぬ傑物が生まれたことを契機に、怒涛のように世界は拓かれ、幸福な箱庭は消え去った。
吉行自身も、焼けて打ち直され
肥前は脇差に擦り上げられて折損を経験する。
今は脇差の肥前と、あの頃と同じにはなり得ない吉行。
睨むように見上げる肥前。笑って見下ろす自分。
けれど二振りとも、あの閉じられた箱庭を憶えている。
刀は削られていく、歴史を生き延びるために。
刀は摩耗し続ける、歴史に使われ続けるために。
恐らくもう居ない。
ひどく大きかった兄やんも、幼かった吉行も。
互いの記憶の中にしか。
時代が進むことは、幸福の始まりで、幸福の終わりでもある。
幕末はそういう時代だ、拓かれ、失われ、そして新たな時代が来る。
過去の幸福も不幸も失われ、新たな幸福と不幸がやってくる。寄せては返す波のように、繰り返し。
生きるということは、失い続けるということ。
変化を泳ぎ、変わり続けるものに翻弄され続けるということ。
もう昔のままではいられない。
あの箱庭が確かに幸福だったことを知っている。
でも同時に
龍馬が世界を切り拓いたことも
その結果として自分たちが変わったことも、否定していない。
吉行は龍馬を誇りに思っているし
肥前もまた、あの激動を確かに生き抜いた。
脇差の肥前と、打刀の吉行。
それでも、ふとした時に、昔の相手の柔らかな声が、お互いの耳にまだ残っている。
『兄やん!』
『吉行』
擦り上げられて、折損して、色んなものを経て、
もう『余裕のある兄やん』ではいられないと。
昔みたいには振る舞えないのだと、痛いほど自覚している肥前と。
何も知らなかった頃のように、兄やん、兄やんとただ飛び付くほど無垢にはなれない自分の。
古傷と、郷愁と、絆とが、ない混ぜに笑う今。
失われた身長差の記憶が、どこか透ける今を。
二度と戻れないすべてを抱きしめながら
忘れず、立ち止まらずに、生きていく。
《野良猫と家猫》
まだ清光が初だった頃。戦帰りに、清光が「髪ぐちゃぐちゃ、最悪〜」って人目を気にしてぼやいていたら、想定よりずっと早く主がとたとたと出迎えに来てしまって、清光が慌てて髪を直そうとしたら、彼女はふわっと笑って
「おいで、かしゅー」
と柔らかく愛おしそうに両腕を広げた。
おずおずと近付いた清光を、彼女は汚れも気にせず抱きしめるように、くしゃくしゃ、と土埃だらけの髪を掻き回して、もっとくしゃくしゃに撫でくり回した。
「いいこ、いいこ。お疲れさま。だいすきだよ」
へにょ、と笑みを崩した清光はされるままで。
こうして、時折清光が髪を気にしていると、その度に彼女は清光の髪を撫でくり回してもっとくしゃくしゃにしては「いいこ、いいこ」と撫でるので、いつの間にか清光は過剰に人目を気にしなくなったし、時々わざと寝癖を直さないで出てきて
「あ〜、寝癖直んないな〜、困ったな〜(棒読み)」
って出てきては、笑ったあるじにまたくしゃくしゃされて、笑み崩れるようになる。
そんな
愛されたかった野良猫が
愛されていることを知った家猫になった話
非番の和泉守兼定は、歌仙の茶室にぶらりと顔を出して、不意にこう尋ねた。

「之定ぁ、ちょっと聞きてえんだが、いいか?」
「うん? どうしたんだい和泉守」
「それそれ、鉄扇だ」
歌仙がゆらりと己に風を送った鉄扇を指して、和泉守はそう口にした。
美しく艶やかな黒扇には揺らぐ水面と魚が描かれ、水墨画の如く華やかに持ち主の手元を彩っている。
「嬢ちゃんと現世で歩く時にってんで鉄扇探してんだが、良い店知らねえか? そいつみたく見た目の華やかさと実用性を両立した品がどーにも見つかんなくてよ」
「ああ、それなら……」
いかにも心当たりがありそうな之定から、おすすめの店をいくつか教えてもらい、さっそく万屋街へ繰り出して一軒一軒足を運ぶ。


さすが之定の勧めにハズレはなく、一軒目の店も二軒目の店も悪くはなかったが、他ならぬ主の隣で使う物だ。身に纏うものは特にこだわりたい。

三軒目でようやく納得のいく品を見つけた和泉守は、手慣らしが済み次第、現世へとそれを持ち込んだ。

和泉守が最終的に選んだのは、実に美しい朱色で差し色が入った、彼岸花の水辺を描いた、鮮やかな鉄扇だった。
赤の似合う主人の横でよく映えるだろう。
「あ、兼さん、すてきな鉄扇見つかったの?」

「おう、嬢ちゃんに話したっけか?」
「んーん、堀ちゃんが言ってたの。兼さんが探してるの、わたしと現世を歩く時のためだって。だから嬉しくて」
「ったく、おしゃべりなやつ」
片眉を下げるようにして笑う和泉守を、嬉しげに見上げる嬢ちゃんは、ずっとひどく幸せそうだ。
和泉守の裾をぎゅっと握って、見つめ返してやればとろりと蕩けるような眼で笑う。

最近はそんな、大切にされている、ということを、きちんと理解できている笑顔が見られるようになった。
実に喜ばしいことだった。ここまでの道のりが長かった分、感慨もひと塩だ。

「おっと」
和泉守が不意に手のひらを主人の背に回して、ぐっと前に押し出した。

急発進してきた自転車が跳ね上げた泥は、彼女の靴を汚すことなくべちゃりと地に落ちる。
大きな手に背を支えられたまま、まるでステップを踏むみたいに前に出た彼女はそれに気付いて、ぱっと顔を上げて嬉しそうな笑顔を向けた。

「ありがとう兼さん」
「いーってことよ。で、この後どこ行くって?」
「うん、あのね、」

くい、くいと裾を引きながら、嬉しそうに指を指す、無邪気な嬢ちゃん。
今日は半日かけて酒屋巡りだそうだ。初夏に似合いの、本丸の酒呑連中が好きそうな酒を探すのだという。自分では一滴も飲まないというのに、全く健気なことだ。
時折嬢ちゃんはこうして、あちこち出向いては良い酒を探す。
買い上げて持ち帰っては、ひと月かけてよく祈り、捧げる。

嬢ちゃんの祈りのよく溶けた酒は美味い。審神者というより巫女に性質が近い嬢ちゃんの祈りは、酒ととびきり相性が良いらしかった。
必ずしも御神酒として作られたものでなくても、嬢ちゃんが選んで手に取って繰り返し祈ると、いつの間にか御神酒としての性質を帯びている。
味見要員として呼ばれた和泉守も酒は好むが、酒豪揃いの刀剣男士の中ではどちらかといえば下戸寄りだ。
あまり調子に乗って杯を煽らないようにしなくては。あくまで護衛が本分だ。
そうして、あちこち巡って見つけた酒をひとしきり買い上げ、そのまま家に送る手続きを踏んでしまってから、二人でのんびりと帰路に着いた。
酒樽の一つや二つ担いで帰ったところで和泉守的には問題は無いのだが、さすがに目立ち過ぎるし警護の手が塞がるのは良くない。酒が自宅に届くのは明日以降となるようだ。
自分では一滴も飲まないというのに、馴染みの酒屋ばかり増えていく嬢ちゃんは、いつの間にか酒屋の間ではちょっとした有名人らしい。そりゃあそうだろう。あんな細身でふらりとやってきては金も惜しまず業務量レベルで買っていくような真似を何度も繰り返していれば、話題の一つにも上らないほうがおかしいというものだ。

嬢ちゃんの巫女の性質がそうさせるのか、ここに集まった刀剣男士は、いささか性情が神に寄った個体が多い。必然、酒の量は増えていく。それでいて驚くほど人懐っこい温和な連中ばかりなのだから、酒宴が盛り上がるなという方が無理というものだろう。
神を潤すのはいつの時代も酒と宴だと相場が決まっている。
本来なら審神者としての給金や本丸運営費から経費で買うのが普通だが、嬢ちゃんの場合は自分の現世の稼ぎ、つまり私費からかなりの額を出しているらしい。


女だてらに医者としてきっちり稼いでいる成果とはいえ、決して少なくない額だ。多少なら遊んで暮らせるような額を惜しみなく刀剣男士への恩賞に使い続ける嬢ちゃんは、自分自身に金を使うということがどうにも下手だった。

心から捧げられた酒に遠慮するような無粋な真似はしないが、せっかく美しい女主人が身に纏う着物やらかんざしやら買う気配もなく、それどころか身の回りの金目の品を売り払い続けている、などという状況は頭が痛い。


自分たち刀の方の拵えばかり豪勢になって、扱う主人の見た目が貧相になっていく一方では、当然周囲からは分不相応な刀を持った結果と舐められる。


だがこの本丸は他の審神者との交流が絶たれている関係上、嬢ちゃんはそれらを気にする様子もなく、ただ己の刀が喜べば良いと思っているようだ。

大事な主だ、いくら捧げられる側とはいえ、こちらが一方的に食い潰すような真似をし続けるわけにもいかない。
オレらの側が釣り合いを取ってやらなくてはだめなのだ。

愛情は目に見えないが、目に見える愛情だってそれなりには必要だ。
せっかく得られた掛け値なしに愛おしく思える主人なのだ。嬢ちゃんの側だけでなく、刀剣男士の側とて主人を大切に愛おしんでいるのだと、一目で分かるような装いは必要だとオレは思う。
とはいえ、之定のように似合いの着物やら小物やら一から仕立ててやる器用さもなく
初期刀の加州のやつのように自分とお揃いを口実に可愛く強請っては整えてやるような手も使えぬ自分では、これがなかなかに難しい。
オレにできるのは、他の連中が頭を悩ませて何とか嬢ちゃんに与えたものを、身に馴染むまで繰り返し褒めてやっては、連れ出して装う機会を増やしてやることぐらいだろう。
買ってやった贈り物の一つも笑顔で受け取ってくれる主人なら話は簡単だっただろうが、嬢ちゃんと来たら本当に上手くかわして断ってしまうのだ。
持ち物を増やせばその分だけ大事な己の刀に割く時間が減ってしまうから気持ちだけで良いのだと微笑まれては無理やり押し付けるのも不粋というもの。そんな嬢ちゃんの妙な頑固さには、初期刀や古参の連中も頭を抱えているらしい。結局、神性の強い連中が神らしく言祝ぎやら祝福やら少し過剰なくらい与えてやっては、嬢ちゃんに見えぬ内に重ね掛けてばかりいる。それがだめとは言わないが、嬢ちゃん自身には見えないのだから根本的な解決にはならないだろう。連中もわかっているはずだ。
「兼さん兼さん、これ、堀ちゃんにお土産に買ってったら喜ぶかなあ」
「おー? どーれどれ」

こちらがこんなにも揃って頭を悩ませているというのに、隙あらば無邪気に与えてばかりいる困った主人だった。
恐らく、嬢ちゃんに必要なものは多くある。
というより、欠けていることを認識できないのだろう。くすしとして身を立てられるほど頭が良いはずの人間が、この不均衡の歪さをどうしても認識できない。
こういったものは根気が必要だ。華奢な腕を無理に引けば脱臼させてしまうだけ。
美しい花には、水が必要だろう。
日向も、良い土も、虫を払ってやる手だって必要だ。
とびきり美しく咲うまで。

彼女にとって、『だいすきな兼さん』という人は。
自然と降り注ぐ雨のように、ただ当たり前みたいな顔をして、彼が彼である自然な形で愛情を注いでくれる人だった。
格好良くて、粋で、お洒落で、華がある。そんな自分に自負もある。誇りもある。
そんな彼そのものを、当然みたいな顔で手の届くところに置いてくれる。
必要な時にちゃんと手が届くように、言葉でも行動でも、繰り返しわかりやすく示してくれる。そういう愛情を向けてくれる人だった。
とてもよく見てる。主であるこちらのことも、相棒を含む他の刀剣男士の皆のことも。
見かけ以上にずっと、周囲を丁寧に見ている刀だった。
「ああ、和泉守くんか。彼、格好良いよね」
「みっちゃんから見てもそう?」
「うん、僕から見ると、彼はうんと若い子なのだけど、格好良さの本質をきちんと知っている子のように見えるな」
鍋で丁寧に温めた牛乳をマグカップに注ぎ、砂糖と蜂蜜を混ぜてくるくると撹拌する。
寝酒代わりの特製ホットミルクだった。
「行動で示し、言葉で示し、態度で示して、周囲に決して疑わせない。周りに対する愛情をきちんと持っていて、それをさりげなく実行できる。いいこだよね、彼。とても」
大切にしたい相手をよく見てて、相手が振り返るときちんとそこにいる。
そういう振る舞いが自然にできるのは、彼の良さだよね。
光忠のその評価に耳を傾けていた主は、ひどく嬉しそうに笑った。
「そうだね、兼さんといると、あったかいのに、うんと息がしやすいの。不思議だなあ」
ほら、ちゃんとここにいるぜ、って
さりげなく教えてくれるの
和泉守かい? ありゃ青くて素直な刀だよなあ。
ま、確かに文句なしにいい奴ではあるけどな、オレの目にはちょいと真っ直ぐすぎるかな。
鶴丸はそう、どこか斜に構えて、苦笑するように肩をすくめた。
さすがにあーいう若さは忘れて久しい、と。
「根が擦れてないというか、まあ素直なんだろうな。大事な相手をおおっぴらに大事にできるってのは、まあ、若さの特権ってとこかね」
きみが懐くのもよくわかるぜ。
えー、和泉守のこと?
大人ぶってるけどさあ、てんでガキだよ。短気だしがさつだし見栄っ張りだし酒呑んでしょっちゅう他の連中と喧嘩するしさ
見えない? 主の前だから格好付けてんだって
まあ、でも
本当に大事な約束は裏切らない
一度誓ったら絶対やり抜く
そーいうやつではあるかな。ま、信じていいよ。大丈夫。
兼さんの素敵なところなんて無限に言える、と。
堀川国広は、この上なく誇らしげに胸を張り、満面の笑みを浮かべた。
「一度懐に入れた相手は絶対見捨てません。大丈夫、信じたら信じただけ、応えてくれるひとです。絶対に」
彼女の華奢な手のひらを躊躇うことなく両手で握り返し、堀川は誇らしげに笑った。
「信じるだけでいいんです。ついていくだけでいい。途中で転んでも、大丈夫。きちんと振り返って、ちゃんと待っててくれます」
to be continued






※《溺れよ、下げ緒の端まで》https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=25702442 の裏側のお話
《長谷部と花束》
非常に珍しく、今日の長谷部は非番だった。
そんな長谷部の部屋から、早朝からずっと何やら硯を擦る音と紙の音が響いているので
さすがに気になった博多がそおっと部屋を覗くと、長谷部の私室の床は、なんと一面紙だらけになっている。
溺れるような紙切れの白い海に、思わず博多は「どわ」と声を上げた。
「うわ、長谷部しゃんせっかくの非番にまーた仕事しとると?」
「いや、さすがに私用だ。主にも釘を刺されているからな」
「? 仕事ばしとらんなら、なにしとるばい?」
「うむ、それがな……」
長谷部はどこか弱り切ったような顔をして懐を漁った。
どさ、と金貨が袋詰めのまま出てくる。
「せっかく主から賜った給金が溜まる一方でな。主のご厚意だ、腐らせ続けるのも忍びない。が、かといって業務改善に役立つような良い仕事道具は主が始めに一通り要立ててくださったし、他も俺とお前で上手く経費の制度内に落とし込めているしな」
「えっへん、ばい」
「となると、いよいよこれが難題でな。あれこれ考えたがどうにもピンと来ん」
「長谷部しゃんは何が欲しいばい?」
「必要なものは既にすべて頂いている」
「長谷部しゃん、小判を何に交換するか、が肝心たい」
博多は眼鏡をくいっと引き上げ、商人らしく得意げに笑った。
「物とは限らんたい。小判は全部の始まりの切符になると。俺らの主は、そんな魔法が得意ばい」
小判を使った主の魔法。
それは、主が古参の燭台切の細やかな望み、皆で過ごせるBARの建設、という夢を叶えてみせた時のことを指す。
「もう一度聞くばい。長谷部しゃんは、何が欲しいと?」
「…………」
長谷部は考え込んだ。
俺の欲しいもの、形無きもの。叶うなら叶えたいささやかな望み。
そう、そういったものを汲み取り叶えることが、主は非常に得意な方だった。
俺が欲しいもの。
いくらなんでも主命は金で買えるような類いの物では無いし、それでは到底意味が無い。
いざ問われるとやはり思い付かない。
だが、博多の言葉を手掛かりにするならば、思い付かないなりの手立てはあるはずだ。
己の心の内をさらうより、事務的な論理的思考の方から手繰る方が長谷部は得意だった。
恐らく、こういったものは発想の転換が必要なはずだ、と。
ふ、と長谷部は思い至った。
ならば逆はどうか、と。
頂くのではなく、何か。
ああ、そうか。
「……花束」
「花?」
「ああ、いや、何でもない。ただ、ああ、そうだな、なんというか」
胸の内に沸いたその衝動に、丁寧に名を付けるとしたら。
「何か、主から頂いたものを返せないものかと。これからの主の未来には俺たちが共に居る。俺たちの働きで、いくらでも貢献できるだろう。だから」
「だから、俺たちと出会う前の主へ向けて、何か贈れないものか、と」
「もちろん実際に過去に戻って何かをするという意味ではない。歴史改変に抵触するような真似ができんことは百も承知だ」
「だが、主はどこか、面映いほどに素直な、子供のように純粋な御心を変わらずお持ちだろう。主のそういった御心に響くような何かを、他の誰でもなく俺が贈れたら、と」
長谷部は、主が自分へ惜しみなく贈り続け降り注ぎ続けてくれた言の葉たちを、自分の腕の中に与えられた花束のように感じている。
「主に喜んでもらえるような何かを贈りたい。他ならぬ俺が、主を喜ばせ、幸いにも喜びの御言葉を賜れれば、それは俺が欲しいものだ、と思う」
長谷部の口から出た言葉を聞いて、博多は。
ふ、とどこか優しげな面差しを浮かべたかと思うと、しきりにうんうん頷いて、クイッと眼鏡を大袈裟に引き上げると
「商人の手が必要なら呼ぶとよ、長谷部しゃんなら安くしとくばい!」
と指できらーんと銭の丸を作って去っていった。
守銭奴のような面をしても情が隠し切れん博多は、ああいう時は先行投資だなんだと金を取らないから、あれはつまり、適当な口実でも付けて遠慮なく呼べという意味だ。
良い商人というのはああいう奴を指すのだろう。ただ金を回すだけの者に、人も物も集まりはしない。
長谷部は大量の紙と硯と格闘するのをやめ、軽装へと身なりを整えて本丸へと繰り出した。
主の痕跡を辿りながら歩こう。
この本丸は全て主のものだ。俺たちはもちろん、下げ緒の端に至るまで彼女の手の内、主人の宝物庫。
ならば、本丸を歩けば、否応にも主人が愛した何かに行き当たるだろう。
せっかくの非番なのだ。
しばらく考えて、逆説的に普段の己なら足を向けないような場所から巡ろう、と方針を固めた。
主が愛するものなら。
主が大切にするものなら。
そこにはきっと何かある。
俺がまだ知らない価値が。
散策するように本丸の周辺からぐるりと巡って、最終的に自然と足が向いたのは、普段は管理用の書面でばかり見ている薔薇園だった。
「おや、珍しいお客さんだね」
福島光忠が、ふっと柔らかい笑みを浮かべて長谷部に声を掛けた。
正直、燭台切とはあまり似ていない男だと思っていたのだが、こうして穏やかに笑うとどこか面影が重なる。
「邪魔をしたか」
「いいや、ちょうど一区切りついたところさ。視察か何かかな」
「いや、私用だ。……主は、これを殊の外気に入っていらっしゃったな、と」
長谷部は視線をふっと投げた。
彩り豊かな薔薇が隅々まで咲き誇る庭園を。
宝石箱をひっくり返したような鮮やかさで、様々な色の花が咲き乱れる薔薇園。
そよ風が優しく花を揺らして、華やかな芳香が広がる。長谷部は腕を裾に入れ、遠くまで眺めた。
「いい香りだろう? どの薔薇も喜んでくれるけど、特に香りの強い真紅の薔薇がいちばん好きみたいだよ」
「そうか」
この絢爛な薔薇園は、主のお気に入りだった。
今となっては、霊力過多な主人の霊力を流すのに必要不可欠な設備と言えるだろう。だが、極論、球根から何度でも繰り返し咲かせればそれで済む。
効率を重視するなら、霊力消費が大きい蕾が開き次第すぐ切り落として次の肥料にしてしまえば終わる話だ。
それをわざわざ手を掛けて庭園を美しく咲かせ続けるのは、上に立つ者らしい贅ではあるが。
むしろ普段は、清貧と合理性を好まれる方だ。己の臣下の手を煩わせるぐらいならと、手間になる花を切り落とす許可を出すぐらいなら進んで出すタイプの方なのだ。
だが、この薔薇園の薔薇はその限りではなかった。消費が追いつかない程に咲く薔薇を福島や短刀連中が執務室に飾りつけると、それを飽きずにいつまでも眺めている姿をお見かけすることが時折ある。春風のように微笑み、頬を薔薇色に染めて花咲くように笑うお方だった。
最近は燭台切たちが薔薇のジャムだの薔薇水のサイダーだの薔薇リキュール酒だの色々作っているようだ。短刀が花湯に使うと、湯上がりに花の香りを漂わせながら嬉しそうにされているという話も聞く。
それ自体は薔薇の消費が増える、つまり霊力消費が増えるので、総務番長の長谷部も積極的に予算組みなどで支援しているが、主は単純にそういう意味で歓迎しているわけではなさそうだ。
咲きこぼれる薔薇の花木。
手が掛かり、本来特に役立つわけではないもの。
けれども、主人が愛してやまないもの。
長谷部はずっと、価値とは役に立つことだと思って生きてきた刀だ。
だが、長谷部の主はこの花々を愛している。霊力過多の改善に役に立つからでは決してない。そこに想いがあるからだ。
パチン、と薔薇を切り落とす鋏の音がする。
棘を落とすと、福島光忠は、手慣れた様子で包み紙に包んで、長谷部に一輪差し出してきた。
「せっかくだから、一輪持っていくといいよ」
長谷部ははっきりと訝しげな表情を返した。
「いや、俺に渡して何の意味がある? さすがにもっと喜ぶ連中がいるだろう」
「でも、きみは彼女の薔薇を見にきたんだろう?」
胡乱げな長谷部にも、福島は穏やかに笑うばかりだった。
「自分で飾ってもいいし、あげたい誰かに渡してもいい」
「……」
この男は、やはり燭台切に少し似ているかもしれない。
穏やかな物腰で、決めた何かを妙に頑固に手渡そうとしてくる、こういうところが。
己に似合わぬ一輪の薔薇を手に、長谷部はしばらく考え込んだ。
最終的に長谷部は、その一輪を己の執務室のデスクに飾った。こうして己のデスクに飾っては、飽きずに見つめている主の思考をなぞるためだった。
どれだけ見つめても、主のお心はうまく掴めなかった。けれども。
そう、案外、単純なことなのかもしれない。
花を贈るというのは。
役に立つからではない。
長谷部の主が、ただ、何の根拠も証拠もなく、信じたいから信じるのだと教えてくれたように。
花もまた、贈りたいと思ったから贈られるものなのだ。
奇しくも、そう遠くない内に、毎年恒例の
主の御生誕の祝いの催事が始まる。
最終的に長谷部は。主から頂いたこの給金で
自分で選んだ花束を贈ろう、と心を決めた。
◇ ◇ ◇
その日、長谷部が花屋の前でひたすら睨んでいると
不意に、肩を軽く叩く手に、長谷部は振り返った。
風呂敷包みを抱えて立ち寄る、買い物帰りと思しき歌仙兼定だった。
「やあ」
「なんだ、お前か」
「短冊を切らしてね。珍しい顔が花屋の前で顔を顰めていると思えば、よく見たらうちの仲間だったものだから」
野暮かとも思ったがね
雅な花を前にそんな顔では、花が恥じらって萎れてしまうよ
そう歌仙は穏やかに笑った。
「もうすぐ主の祝いだね」
「ああ」
長谷部の返答に、どこか腑に落ちたような空気を漂わせた歌仙は
包んだ風呂敷を抱え直して、ゆったりと問いかけた。
「何を悩んでいるんだい」
「どれを贈ってもお喜びになる顔しか浮かばん」
「なんだ、分かってるんじゃないか」
歌仙は軽やかに笑って立ち去った。
「どうやら本当に野暮だったようだ。それじゃあね」
夏風が通り過ぎるように去っていった歌仙が立っていた場所で、長谷部はしばし考え込んだ。
「……」
長谷部は、花に向き直って、店員へこう告げた。
「ここからここまで、すべてを」
長谷部は、贈りたいと思った全ての花を買った。
to be continued

政府からの知らせを手に、長谷部は。
その通達書を、らしくもなく震える手で、ぐしゃりと握りつぶした。
《安宅切の実装を知らせで知り、動揺する長谷部の話》

長谷部にとって、奴は。
あまりにもよく知りすぎた身内であると同時に。
どれほど研鑽しようがどうしても敵わない、あれは俺より主人に使われる。そういったコンプレックスを大いに刺激される相手だった。
なおかつ有能さは疑うべくもないから、主にはむしろ呼ぶよう上進するべきかもしれないと煩悶し、ならば俺はお役御免かもしれないとすら思い詰めるような、無条件で敵わないと反射的に思ってしまう男なのだった。
だが、彼女はその晩の現世との通信で、長谷部の表情が晴れないことをすぐ見抜いて声を掛けてくれた。
「長谷部、どうかした?」
「どう、とは」
「元気がない気がして」
たちまち、長谷部の表情がふっとほどける。
「主のお耳に入れるほどではないような、個人的な憂いでしたが、たった今些事となりました」
「わたしになにか、できることある?」
「お心を頂けただけで十分です。ですが、そうですね、欲を言えば」
長谷部は少しだけ指を顎に置いて思案すると、主人へと背筋を伸ばし、まっすぐ向き直った。
「次のお帰りの際は、八つ時に、共に茶を一杯飲むわずかな時間を頂ければ、この長谷部、喜びで胸躍る心地にございます」
長谷部の申し出に、彼女は優しく微笑んで、眼を細めた。
金色の瞳が、柔らかくたわむ。大切そうに。愛おしそうに。
「うん、じゃあ楽しみにしてるね」
「はい。お帰りを心よりお待ちしております」

ぷつんと通信は途絶えた。
けれども、胸に重苦しさは既に無い。
長谷部はしばらく自室で乱れた思考をまとめ直すと、まず夜半に博多の部屋を訪れ、次に日本号の部屋を訪れてそれぞれ話し合った。
「あくまで主がお決めになることだ。そして何より、主にとって真に利になるか否か、ただ一つ、それだけが重要なのだ」
あいつの能力は疑うべくもないが、刀剣男士としてどのような形で顕現するかは未知数、別の話だ。
それに、あいつの性格はまあ、ああだからな……素直で天衣無縫な主にとって御し難い形で顕現する可能性もある。
主ほどのお方ならどのような刀でも御せることだろうが、適切なタイミングというものもあるだろう。少なくとも、必ずしも今が最良と断じられる状況ではないだろうな。
なにせこの本丸では、鶴丸が名代として差配を振るっている。
この本丸には既に、主人から絶対の信頼を勝ち得た軍師がいる。そこに安宅切を投入することは、迂闊に扱えばノイズになりかねない。あれの能力が高いことは疑うべくもないからこそだ。
鶴丸の、あの老獪で狡猾な、何手先も見据えるような眼。
あれの裏を掻けるほどの軍略家と言えば、長谷部は身内に一振りしか知らない。 
あいつなら、鶴丸の裏を掻けるだろうか。
掻けるだろう。恐らくは、間違いなく。やつはそれほどの男なのだ。
歴史に名だたる知将、黒田官兵衛の軍略を最もその眼で見てきた男。
黒田の中で、最も色濃く主人の叡智の系譜を浴び継いだ刀。
俺たちの主ならば、やがて早晩、それを欲するだろう。鶴丸を信じていないからではない。やつを止めるため、護るために。
いずれ刻が来るはずだ。ならば、俺がすべきことは。
長谷部は己の在るべき心を定め、顔を上げた。
「俺はこうして既に極め、真に主に仕えると主命を刻んだ身だ。一時でも揺らぐことすら不甲斐ない。だが、あの方はその揺らぎすらも余さず目を留めてくださった。
精進あるのみだ。あの方のお力になりたい。それにはまだまだ足りんのだ」

奴は黒田を強く偏愛し、故に他を斬り捨てることを厭わない。
どろりと泥つく程の情故に、徹底的に他者を滅ぼせる冷酷さを兼ね備えた男だった。
あれの一部が刀剣男士としてこの本丸に顕現したら、どのような刀となるだろう。
長谷部は安宅切を嫌というほど知っているが、刀剣男士として見えたことはない。その経験は長谷部の中に無い。
疑り深く皮肉で掴みどころのない形で現れるか、偏愛ゆえに苛烈な形で現れるか、はたまたもっと別の形か。
刀剣男士としてまみえるということは、奴の一部が強く形を持つということだ。
どのような形であっても、俺たちの知る安宅切らしく現れるだろう。けれども奴が、黒田以外にどのように動くかはどうにも読めない。
その認識だけは、博多も日本号もやはり、長谷部と同意見だった。
黒田以外の者に仕える奴の姿が想像できない。
迂闊な形で扱えば、知らぬ間に主人を滅ぼせる程の知略を操ることだろう。主はそれを、危険だと判断するだろうか。
……いや、結論は出ている。
俺たちの主は、まず何より歓迎するだろう。
稀有な軍略の刀としてではない。
黒田に、俺や博多や日本号の側に常に立ち、そのためなら時に周囲すら滅ぼせるほど偏愛する刀を、自分にとって危険な刀をも。
己の宝物を大事にしてくれるなら、それだけで嬉しいと笑うだろう。

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