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なんとなくわかるような気がする池田宗家組まとめ

全体公開 5 2353文字
2016-12-25 21:09:03

大包平と同居してた刀たちをサクッと知りたい方向け(・ω・)

池田宗家組とは、書いてる人が勝手にまとめている池田輝政をはじめとする備前池田宗家(池田輝政&利隆流子孫からつながる備前国岡山藩池田家)に関係している刀剣たちのことである。
ざっくりとした歴史を感じてほしいので内容は結構雑。

池田輝政わからない人は関ヶ原の時に家康サイドで戦ってた人っていえばだいたいの時代わかるかな。
(調べたけど大包平は根拠になる資料がなく輝政が持ってたのかそのへん不明だが、史実と萌えは別腹なので細かいことは気にしない。たぶん持ってたよ!そういうことでいくよ!!)
※大包平まとめ参照 http://privatter.net/p/1867689
※ちゃんと詳しく知りたい人用池田宗家組まとめhttp://privatter.net/p/2388130

大包平 ★国宝
池田家に伝わる重宝の太刀。池田輝政の愛刀といわれる。
池田輝政の孫の光政が岡山藩主になってからずっと備前池田家に伝わった。
1967年に池田家から文化庁に買われ、1968年からはライバルの童子切安綱と一緒に東京国立博物館に来た。1991年には天下五剣の三日月宗近がトーハクに来たが、そのとき一緒に来た前の主の池田利隆の部下の所有刀である鳴狐と再会。複雑ながらも楽しい日々を過ごしている。

毛利藤四郎
毛利家にあった藤四郎。毛利輝元から家康に渡り、関ヶ原のときに家康から池田輝政に送られた短刀。
明治まで池田家で暮らしていたが、明治24年11月に浮田志津と共に明治天皇のおうちへ。戦後はトーハクに移る。トーハクでは大包平と感動の再会を果たした。

浮田志津
宇喜多家にあったことから名前が付いた短刀ちゃん。一度は池田輝政が所持し、徳川家を出入りしていたりしたが、池田光政と勝姫(徳川秀忠の娘)が結婚したとき再び池田家に戻ってきた。宇喜多時代に岡山城にいたんだけどまた岡山城に戻ってくることになったんだよ。それからずっと池田家でのんびりしていたが、明治24年に毛利藤四郎と共に明治天皇のおうちへ。いまでは三の丸尚蔵館でのんびりしている。

池田貞宗 ☆重要文化財
かつては細川幽斉が所持していた短刀。池田輝政は幽斎貞宗と名前を付けて愛用していたのだとか。
輝政が晩年に徳川秀忠の蜂屋江と池田貞宗を交換した。前田利常に渡ってからは前田家にいたが、戦後にはなれた。福岡県の個人のおうちにあったそうだが、近年行方不明になってしまっている。

若狭正宗
秀吉、家康のもとにいたこともある刀。池田貞宗がいなくなるちょっと前に池田家にやってきた。光政の子の綱政が徳川家綱に献上。児手柏とは一緒に写しをつくられた仲。徳川家で明治まで過ごしてきたが、明治20年に明治天皇に献上。4年後に顔見知りが来るとは思いもしなかった(浮田志津、毛利藤四郎)。金千枚と金額が付けられた正宗の中では最高額なのが自慢(もっと上に「値段付けらんねぇ!」という評価もあるらしいが)。皇室から三の丸尚蔵館にきてからは浮田志津とお茶を飲みながら過ごしている。

池田来国光 ☆重要文化財
池田輝政が所持したことから池田の名前がついた短刀。池田輝政が所持していたが前田家にうつった。前田家では池田貞宗と再会。将軍家に献上できるように葵紋つきの拵えがあったけど行くことはなかった。ワクワクしてたのに(´・ω・`)
戦後まで前田家にいた。そのあとはいろいろ渡り歩いてなんやかんやで刀剣博物館にたどり着いた。
あ、でも近年まで個人所有だったから刀剣博物館に預けてあるだけかもしれない。


ついでに池田輝政じゃないけど池田家の刀も。

道誉一文字
BASARA大名の佐々木道誉が持っていた太刀。朽木家、有栖川宮幸仁親王、尾張徳川家、備前池田家、南部家に伝わって明治天皇に献上されて御物となるという婆沙羅っぷり。いろいろな記録に残っているくせにその情報は信じがたく、実は池田家の所有かもあやふやで献上年すら諸説ある大問題児。いい加減にしろ。
池田綱政が持っていたらしき記録が残るがそうじゃなかったらしい。おんなじようなのに戸川志津もそう書いてあるよ。なんなの。
池田輝政が刀好きだからきっと名刀の道誉一文字も池田輝政のころに池田家にあったんだよ、きっとと言われている話も出てくるくらいBASARA。その想像は嫌いじゃないぜ。

国永
池田家が所持していた五条国永による太刀。拵えもあるよ。いつから池田家にあったのかは不明。
今は個人のおうちで大切にされている。ときどきお外にお披露目される。兄弟と違ってたぶん驚きは求めていない。
なぜか粟田口国友の太刀と一緒のときに展示されることが多い、らしい。


現存しない消えてしまった輝政の刀たち。

蜂屋江
もとは蜂屋頼隆が所持してたことが名前の由来。豊臣秀吉に伝わり三の箱に入っていた。秀忠から池田輝政の快気祝いに馬と蜂屋江を送られた。その翌年に池田輝政が亡くなり、息子の忠雄に贈られる。家光に献上され徳川家へ。家光が亡くなった後に三男の徳川綱重に贈られた。しかし、明暦の大火で消えてしまった。

面影
来国行により鎌倉時代につくられた大太刀。「面影」と同時につくられた「鉋丸(かんなまる)」という兄弟がいる。
刀身に顔がはっきりと写ることから面影と名付けられた。池田輝政コレクションの一つだったが、息子の忠雄に伝わり鳥取城にお引越し。忠雄は佩刀にするために刷り上げたという。池田吉泰の代のとき鳥取城の火事で切刃貞宗などとともに焼身になり再刃するも、再度の出火により焼失した。

ほかにも池田家関連・刀剣関連の資料をつくっております(/・ω・)/
http://privatter.net/p/2801451


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