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池田宗家関連日本刀まとめ

全体公開 13 17564文字
2017-05-03 22:40:14

池田輝政とか備前岡山池田家に関連する刀剣のまとめ

池田宗家組まとめ
池田宗家組とは池田輝政をはじめとして岡山の池田家につながる池田宗家に関わりある刀剣を、これ書いた人がまとめて勝手にそう呼んでおります。備前国岡山藩池田家所持刀はみんな池田宗家組。所持説があったらみんな池田宗家組(/・ω・)/
※輝政→利隆→光政の時代にいろんな藩をあっちこっちしてたのでちょっと複雑です。

★記載している文献を参考にしているので不足もあるかと思います。それを参考にしたらこんな歴史なんじゃないかな、な部分もあり書いた正しいかどうかは難しいです。そうなのかー程度にお読みください。

・池田輝政所持説のある刀剣
大包平
毛利藤四郎
浮田志津
池田貞宗
若狭正宗
池田来国光
蜂屋江
面影

・備前岡山池田家が所有した記録がある刀剣
切刃貞宗
国永(池田家伝来)

・備前岡山池田家が所有したらしき記録がある刀剣
道誉一文字
戸川志津

・おまけで池田家に仕えていた人の刀
日置安吉
鳴狐

長いのでゆるゆる~っとと知りたい人はこちらへ(/・ω・)/
「なんとなくわかるような気がする池田宗家組まとめ」http://privatter.net/p/2053958


大包平
作者:古備前包平
時代:平安時代後期?(12世紀)※包平の明確な活躍期は不明
刀種:太刀
刃長:89.2㎝(2尺9寸4分5厘)
所在:東京国立博物館
区分:国宝
太刀 銘 備前国包平作(名物大包平)
古備前派の刀工、包平によって作られた。日本刀の最高傑作ともいわれる。
同時期につくられた刀剣には細身で優雅な太刀が多いが、この大包平は力感あふれて堂々としている姿をしている。勇壮な姿、精美な地鉄、変化に富んだ華やかな刃文を備えている。非常に保存状態が良く、平安時代に作られたころの状態を最もそのままに残している可能性が高い。
文献上では池田輝政の孫で池田宗家三代目の池田光政の時代から記録が残り、彼の書いた池田光政日記の中で慶安5年(1652年)2月15日に三左衛門具足着初之覚(光政の息子の綱政の具足初めの儀式)に使われたと書かれている。
池田家では門外不出の品として大切にされ、昭和42年(1967年)に15代目の池田宣政が文部省に売却するまで長らく池田宗家が所有していた。現在は東京国立博物館が所蔵している。

大包平特化型まとめこちらに(/・ω・)/
http://privatter.net/p/1867689


毛利藤四郎
作者:粟田口吉光
時代:鎌倉時代 13世紀
刀種:短刀
刃長:8寸8分5厘(26.5cm) 内反り
所在:東京国立博物館
区分:旧御物
短刀 銘 吉光(名物毛利藤四郎)
もとは毛利輝元の愛刀であったことから毛利藤四郎とよばれている。
藤四郎吉光は鎌倉時代中期の正応(1288~1293)ごろに活躍した山城国の粟田口派の刀工。享保名物帳では正宗、郷義弘とともに「三作」といわれ評価が高い刀工の一人。短刀の名手として知られている。
作風としては、小板目肌の鍛えに刃文は小乱れ、互の目まじり。小足・葉入り小沸よくつき金筋かかる。平造、三ツ棟、内反り、生ぶ茎、栗尻、鑢目は切り目釘穴2つ。表生ぶ穴の下中央に細鏨の二字銘があり、「吉」の頭は後穴のために欠ける。彫物は表に護摩箸、裏に腰樋に添樋を掻き流す。吉光の彫物には護摩箸が最も多い。
毛利藤四郎も名物の一口で、毛利輝元から家康に献上され、その後慶長5年(1600年)関ヶ原の合戦の時に池田輝政に与えたと伝わっている(輝政ではなく時期は不明だが光政が拝領したという説もある)。
光悦刀剣名物帳に蜂屋江と共に毛利藤四郎は備前侍従殿(池田忠雄)に伝わると記録が残るが、元禄5年(1692年)6月10日、本阿弥光常が池田綱政邸で拝見した記録が残り、以降も長らく池田宗家に伝わる。
明治24年(1891年)11月16日、明治天皇が侯爵池田章政邸に行幸された際に、名物「浮田志津」とともに献上された。御物であったが昭和22年(1947年)5月3日に国立博物館に移管、現在も東京国立博物館が所蔵している。※国立博物館は東京国立博物館の昔の名前

毛利藤四郎特化型まとめはこちら(/・ω・)/
http://privatter.net/p/2606027

参考文献
名刀幻想辞典 http://meitou.info/
詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形(大正8)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951684/25
池田光政公伝. 下巻(昭和7)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1208478/259
日本刀大百科事典
「日本五カ伝名刀展」図録(岡山県立博物館)
「大関ヶ原展」図録
『東京国立博物館百年史』1973東京国立博物館
「京のかたな展」図録

浮田志津
作者:志津三郎兼氏
時代:鎌倉~南北朝時代・14世紀
刀種:短刀
刃長:24.9cm 反り僅か
所在:三の丸尚蔵館 ※平成4年9月に建設、平成5年11月3日に開館
区分:旧御物
短刀 無銘 志津(名物浮田志津)
安土桃山時代の武将、宇喜多秀家が所持していたことから「浮田志津」とよばれる。
兼氏は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての刀工。大和手掻派の出身と伝え、はじめ「包氏」と名乗っていたが、のちに美濃国に移住し名を「兼氏」と改めたとされる。相州正宗の弟子となり、「正宗の十哲」の一人で最も正宗に近い作風を残すともいわれる。
作風は大板目の交じった板目肌の鍛えに、刃文は過半が匂口のしまった浅いのたれ刃となるが、上半は互の目を焼いて沸が荒くつき、飛焼や金筋がかかった激しいものとなり、兼氏の相州伝からの影響がうかがえる。
元は久留米侍従であった小早川藤四郎秀包の所持。本阿弥光務によると、その後尾張大納言喜直を経て宇喜多秀家の所持となったらしい。宇喜多氏の家宝であったが、徳川家康、池田輝政、尾張徳川家、徳川秀忠、池田光政(新太郎少将)と伝来したといわれる。元和二年(1616年)4月17日に家康が没した際の遺品形見分けを記録した「駿府御分物帳」の上々御脇差の項に所載。寛永5年(1628年)正月、本多忠刻の娘勝姫が20歳の池田光政へ輿入れする際、徳川秀忠より光政へ婚礼祝として「正宗の御刀 志津の御脇差(浮田志津)」が下賜された。池田家では折紙をつけていないが、本阿弥光由は千五百貫か、百枚つくだろうとしている。元禄5年にも本阿弥家に砥ぎに出されており、本阿弥光常が拝見した記録がある。
明治24年(1891年)11月16日、明治天皇が侯爵池田章政邸に行幸された際に、名物「毛利藤四郎」とともに献上された。御物であったが、昭和天皇崩御後に国庫移管され、現在は三の丸尚蔵館の所有となっている。

参考文献
名刀幻想辞典 http://meitou.info/
詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形(大正8) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951684/90
池田光政公伝. 下巻(昭和7)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1208478/259
日本刀大百科事典
「特別展 日本の武器武具」図録
「日本美術名品展」図録
「御即位20年記念 特別展皇室の名宝-日本美の華」図録


池田貞宗
作者:相州貞宗
時代:鎌倉時代
刀種:短刀
刃長:一尺二分(30.9cm)
所在:個人所蔵 ※現在行方不明
区分:重要文化財(昭和29年3月20日指定)
短刀 無銘 貞宗(名物池田貞宗)
池田輝政が所有したことから池田貞宗と呼ばれる。
貞宗は相州正宗の弟子で、後に正宗の養子となったといわれる。刀、短刀を通じて貞宗の在銘確実なものは皆無。
池田貞宗はやや大振りの短刀。すこぶる健全なよい出来で、作風は平造、三つ棟、身幅広く、重ね薄く僅かに反る。小板目肌で刃文は小湾れに互の目交じり、小足、葉入り、小沸つき、細かに砂流、金筋かかる。帽子乱れ込み先小丸。彫物表裏に護摩箸をかき流す。茎生ぶ、先剣形。目釘孔2個。無銘。
元は京都の商人蓮池常知が所持していたものを本阿弥光二が取りついで細川幽斎が買い求め、四男の細川中務少輔孝之(休斎)に伝わった。池田輝政は孝之から黄金百枚(二千貫とも)で購入。池田輝政はこれを「幽斎貞宗」と名付け愛用した。池田輝政の所持物について書かれた遺品記録の池田分限帳には幽斎貞宗と記されているが、享保名物帳には池田貞宗とされていることから前田家に渡った頃には池田貞宗とよばれていたと思われる。慶長14年(1609年)12月に池田輝政が埋忠寿斎に命じ拵えを新調させているので、輝政が入手したのはその直前と推測される。慶長17年(1612年)に将軍秀忠に池田貞宗を献上し、返礼として同年の8月23日に蜂屋江を拝領。寛永6年(1626年)4月29日に前将軍秀忠が前田利常の邸に御成の際に利常に下賜。加賀前田家に伝来し、加賀本阿弥家によって数年おきにお手入れが行われていたという。昭和16年4月9日に重要美術品指定された際には前田利為侯爵の所持だった。
戦後同家を出て本阿弥光博氏が所持し、持ち主が変わる。昭和29年3月20日重要文化財指定。
1964年に発行された「武将と名刀」には大阪の愛刀家の田口儀之助の愛蔵と記されている。1981年発行の「福岡県の美術工芸品 1」には池田輝政による拵かは不明だが拵の写真も掲載されている。1999年発行の「国宝・重要文化財大全」によると株式会社金丸刀剣店が所持していた。
最新の記録では福岡県の個人が所有していたとあるが現在は行方不明となっている。

池田貞宗を見つけたら文化庁文化財第一課審議会係にご連絡を!
詳しくは文化庁のこちらをご覧ください。池田貞宗の写真もあるよ(/・ω・)/
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/tounan/1413213.html#warp

『国指定文化財(美術工芸品)の所在確認の現況について』 文化庁 平成30年6月7日
http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/__icsFiles/afieldfile/2018/06/06/a1405831_01.pdf

参考文献
名刀幻想辞典 http://meitou.info/
詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形(大正8) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951684/80
日本刀大百科事典
福岡県の美術工芸品 1
文化遺産オンラインhttp://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/184112
文化庁国指定文化財等データベースhttp://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index_pc.html
盗難を含む所在不明に関する情報提供について~取り戻そう!みんなの文化財~http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/tounan/1413213.html#warp


若狭正宗
作者:相州正宗
時代:鎌倉時代・14世紀
刀種:打刀
刃長:68.5cm 反り2.4㎝
所在:三の丸尚蔵館
区分:旧御物
刀 無銘 正宗(名物若狭正宗)
若狭少将木下勝俊(長嘯子、木下家定の子で、小早川秀秋の兄)所持したことから名前が付けられた。
若狭正宗は無銘で、後世に正宗の作と決められたものである。室町時代の刀剣書「能阿弥本銘尽」には正宗が「太刀刀銘を打事まれなり」とあり、古来より在銘作品が稀有だったことが知られている。ちなみに正宗の有銘作品のうち現存しているものは短刀を中心に数口しかない。
本阿弥家の目利きで若狭正宗には金千枚(一万両)の折紙がついており、金額が示された正宗の折紙では最高となる(※正宗にはそれ以上の評価の、金額が付けられないほどという意味の「不知代」や「無代」も多い)。大板目の鍛えに浅いのたれに互の目の交えた刃文を焼き、やや荒めの沸と飛焼のついた激しい作風を示している。まさに正宗の真価を発揮した代表作といえる。行の棟、表裏に棒樋、物打ちに刃こぼれがあったが今は見当たらない。中心は大磨上無銘。目釘孔2個。
豊臣秀吉が所持し木下勝俊に与えた。木下勝俊の受領名「若狭」にちなんでこの名が付けられる。勝俊より関ヶ原の戦いのときに徳川家康に献上。木下勝俊は慶長5年(1600年)9月の関ヶ原の際、伏見城の城代を命じられるが城を脱出し京都に退いてしまう。戦後それを責められ領地を没収されるが、この時に家康に「若狭正宗」を献上したとされる。
慶長17年(1612年)9月2日に家康より池田輝政に下賜。池田輝政の子利隆に伝わり、慶長20年(1615年)に埋忠寿斎に金具製作を命じている。目貫と笄は後藤祐乗、小柄は後藤程乗の作。図柄は金の這い竜。百五十両の折紙付き。この時に採った押形が「埋忠銘鑑」に載る。
本阿弥光柴も押形を採っており、「光徳金ニテ」と注記があり、当時は本阿弥光徳のいれた金銘があったとされるが現在は見当たらない。寛文12年(1672年)6月9日、池田光政が長男の綱政に藩主を譲り隠居した際に、子の綱政が徳川将軍家綱に献上している。
その後は徳川将軍家に伝わり、享保2年(1717年)、近江守継平が吉宗の許しを得て押形をとった記録がある。元文4年(1739年)に近江守源久道が8代将軍吉宗に江戸へ招かれた際に、「児手柏」、「若狭正宗」の写しを作刀し、吉宗は大いに満足したという。明治20年(1887年)10月31日、明治天皇が徳川邸に御成の際に、徳川宗家16代の徳川家達より明治天皇へ献上。
皇室御物であったが、昭和天皇崩御後に国庫移管された。現在は宮内庁所管で三の丸尚蔵館所蔵。

参考文献
名刀幻想辞典 http://meitou.info/
詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形(大正8) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951684/43
日本刀大百科事典
「御即位20年記念 特別展皇室の名宝-日本美の華」図録


池田来国光
作者:来国光
時代:鎌倉時代・13~14世紀
刀種:短刀
刃長:八寸七分(26.3cm) 反りなし
所在:個人
区分:重要文化財
短刀 銘 来国光(名物 池田来国光)
池田輝政が所持したことが名前の由来の、来派の国光による短刀。
山城鍛冶の中でも、来派は鎌倉中期以降に粟田口派に代わり山城で栄えた刀工集団。来という名は、先祖が高麗国より渡来したためにこのように号したという説もある。来国光は来国俊の子とされる(国光という同名の刀工は粟田口や相州鍛冶にも存在していたが別人である)。現存作は太刀、短刀ともに多く、短刀の方に沸の強く覇気のある作風が見られる。
池田来国光は来国光の短刀として素晴らしく出来がいい。刃文は大振りの互の目乱れに沸つく。鵜の首造り、薙刀樋に添樋。「来国光」と三字銘だが、来の字は目釘穴にかかる。身幅広目で重ねやや厚く頑丈な作り込みで、冠落としになっている。冠落としは大和物に比較的多く、山城物の来派ではこの工と了戒の作に稀にこれを見る。
池田輝政が所持。経緯は不明だが、後に加賀前田家に伝来。万治3年(1660年)には加賀前田家から本阿弥家に鑑定に出され、千五百貫の折紙がついた。延宝6年(1647年)にも鑑定に出された際には倍の三千貫になっている。ただし前田家の記録では「百五拾枚折紙、御献上御用意御拵有」とあり、いつでも将軍家に献上できるよう葵紋付きの拵えがなされていた。前田家ではこのほか日置安吉なども献上拵にして準備していたという。文化元年(1804年)本阿弥喜三次、文化9年(1812年)には本阿弥重郎左衛門が手入れした記録があり、献上の機を待っていたようだがその機会はなく戦後まで前田家にあった。
昭和6年(1931年)1月19日に旧国宝指定(現在は重要文化財)。昭和4~6年に本間薫山が前田家で刀剣を拝見したときも目にしている(来国光ノ乱刃でゴリゴリした短刀と評している)。戦後に前田家を出た後は不明だが、1964年に発行された「武将と名刀」には生駒の愛刀家の渡辺国武の秘蔵のものと記されている。
文化庁のホームページによると現在の所在地および保管場所は「財団法人日本美術刀剣保存協会 刀剣博物館」となっている。2017年初台の刀剣博物館閉館以降は両国の新刀剣博物館開館まで東京国立博物館で保管し、2018年現在の住所は両国に移った刀剣博物館の住所(墨田区横網1-12-9)と、刀剣博物館が所有する明石国行と同じく住所が変わっているため、おそらく刀剣博物館の寄託となっていると思われる。最近では『諸国漫遊-多彩なるお国拵と日本刀五ヶ伝を巡る旅』(2018年10月13日〜12月24日)で展示された際に個人蔵と明記されている。
参考文献
名刀幻想辞典 http://meitou.info/
詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形(大正8) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951684/65
日本刀大百科事典
『刀剣と歴史「武将と愛刀(20)池田輝政(三左衛門、羽柴岐阜侍従)(1563~1613)の愛刀 大包平 ほか」』2004牛歩老人
佐野美術館 http://www.sanobi.or.jp/tenrankai/old/2011/meibutsu_mokuroku.html
文化遺産オンラインhttp://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/198303
文化庁国指定文化財等データベースhttp://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index_pc.html
『薫山刀話』1974 本間順治


蜂屋江
作者:郷義弘
時代:南北朝時代?
刀種:刀
刃長:二尺二寸二分(二尺二寸、二尺三寸という説もあり)
所在:明暦の大火で消失
『享保名物帳』焼失之部所載。
裏表に棒樋をかき通す、刃文は互の目乱れとも、のたれ風の大乱れとも。大磨り上げ、目釘穴3個、無銘。
もと越前敦賀藩主、蜂屋出羽守頼隆が所持。豊臣秀次(善正寺殿)に献上し、さらに秀吉から秀頼に伝わり、三之箱に蜂屋江刀とある。慶長16年(1611年)に本阿弥光徳に命じて磨上させ、埋忠寿斎に金具を造らせ拵えを新調している。
慶長16年5月に秀頼が将軍徳川秀忠へ献上(家康への献上は誤りらしい?)。慶長17年(1612年)8月23日に池田輝政が病気回復し将軍秀忠に拝謁したときに、蜂屋江と駿馬2頭を贈られる。輝政は翌年の1613年に死去、三男の宮内少輔忠雄に伝わり、忠雄から家光に献上。
3代将軍徳川家光が慶安4年(1651年)4月20日に死去すると、その形見として相州貞宗の脇指とともに三男徳川綱重へ与えられた。明暦の大火で焼けた目録の中に蜂屋江の名前が残る。
その名前の通りにとらえれば郷義弘の作なのだが、日本刀百科事典では相州正宗作の刀と書かれている。
郷義弘は正宗十哲の一人であり、相州正宗、粟田口吉光とともに天下三作と呼ばれた。在銘の作は皆無であり、「郷とお化けは見たことがない」と言われるほど。全ての日本刀の中で最も入手困難なものの一つ。


参考文献
名刀幻想辞典 http://meitou.info/
詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形(大正8) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951684/140
日本刀大百科事典


面影
作者:来国行
時代:鎌倉末期
刀種:大太刀
刃長:三尺三寸(書物によってさまざま。忠雄が刷り上げたため最後はもっと短かった)
所在:消失
長崎勘解由左衛門為基の佩刀。為基は北条高時の武将。
来国行は正元年間(1259~1260)ごろに活躍した刀工で、来一門開祖国吉の子で実質的な開祖。
面影は来国行が精進して鍛え上げた3尺3寸の大太刀。同時に2刀を造り、「面影(おもかげ)」と「鉋丸(かんなまる)」と名付け、「鉋丸」は北条高時に献上したという。面影は、刀を抜くと人の顔が刀身にありありと映るのでその名を付けたという説もある。
為基は元弘3年(1333年)5月に面影の太刀で新田義貞の軍勢と戦った後に姿をくらました。その後行方不明となるが、200年後には、小弓公方足利義明(古河公方足利政氏二男)の愛刀となっていた。義明が天文7年(1538年)第一次国府台合戦で敗死した時にも面影と赤銅造りの太刀を佩いていたという。
江戸期になると池田輝政が所有していた。刃長は3尺3寸のままだったが、三男の池田忠雄は寛永(1624)ごろ自らの佩刀とするために磨上げたという。
忠雄の曾孫、池田吉泰は因州鳥取城主だったが、享保5年(1720)4月1日に鳥取城が焼失したとき(石黒火事)に面影は切刃貞宗などとともに焼身となるが、幕府のお抱え鍛冶の角野寿見により再刃する。刃文は消えてなかったので研ぎあげて池田家に納めた。しかしその後も再度鳥取城は焼け、面影も姿を消してしまったという。

面影の記述
為基が佩たる太刀は面影と名付て、来太郎国行が、百日精進して、百貫にて三尺三寸に打たる太刀なれば(太平記 鎌倉兵火事付長崎父子武勇事)
其日ノ奘束ニハ。赤地ノ錦ノ直垂ニ。桐ノ下金物打タル唐綾ヲドシノ鎧キテ。來國行三尺二寸ノ面影ト云太刀。二尺七寸赤銅作ノ重代ノ御太刀二振ハキテ。 法成寺ノ大長刀ヲクキ短ニトリ。 鬼月毛ト云名馬ニ 御紋ノ梨地ノ鞍置テ紅ノ大總カケ。(後鑑)

(/・ω・)/「池田家履歴略記上下巻のどっかにある 「良正院殿入輿」に面影の記述があるらしい。輝政の遺品分けにないのは良正院(りょうしょういん)の所有だったから??良正院とは家康の娘の督姫(とくひめ)のことです」

参考文献
名刀幻想辞典 http://meitou.info/
日本刀大百科事典


切刃貞宗
作者:相州貞宗
時代:鎌倉時代
刀種:脇差?(短刀の可能性も有)
刃長:不明
所在:消失
池田輝政嫡子、利隆が慶長10年(1605年)3月26日に侍従右衛門督に任じられたとき、徳川秀忠より拝領した。のち弟の輝興が播磨赤穂を与えられて別家になったので、これを与えた。
輝興の家は元禄9年(1696年)7月29日池田清勝が11歳で早世し断絶。清勝の妹を因幡鳥取藩2代藩主池田綱清(清勝の兄)が引取り養女にしたため、貞宗も鳥取へ移った。こうして鳥取城にあったが、享保5年(1720年)4月1日、鳥取城炎上(石黒火事)の際に焼けて消失してしまったという。

参考文献
名刀幻想辞典 http://meitou.info/
日本刀大百科事典


国永
作者:五条国永
時代:平安時代(12世紀)
刀種:太刀
刃長:刃長76.4cm、反り2.4cm
所在:個人蔵
太刀 銘 國永
国永は平安時代末期から鎌倉時代初期にかかる刀工である。国永有銘の作は現存するものが極めて少なく、本作を含め5口のみ。
この太刀は古典的なたおやめぶりの姿をしている。精美な地肌、直刃に小乱れを交えて変化のある刃文を焼き、いかにも京物らしく気品高く美しい。作風は長身で細身、腰反り高く小切先で姿が優しくこの上なく優美である。茎は生ぶ、目釘穴1個の完存な状態で遺されていることが貴重である。表に「國永」と銘がある。
黒漆変塗打刀拵が付属。江戸時代後期に作られたもので、一見太刀拵風に見えることから「半太刀拵」ともいわれる。
いつの時代からか備前岡山藩主池田家に伝来。現在は個人の所有となっている。

参考文献
「日本五カ伝名刀展」図録
「日本刀 至高の鉄の芸術」図録
「草創期の日本刀 反りのルーツをさぐる」図録
岡山県立博物館だよりhttp://www.pref.okayama.jp/kyoiku/kenhaku/data/publish/dayori052.pdf


道誉一文字
作者:福岡一文字派
時代:鎌倉時代(13世紀)
刀種:太刀
刃長:刃長80.0cm、反り3.6cm
所在:天皇家
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951684/93
太刀 銘 一(名物道誉一文字)
婆沙羅大名として高名な佐々木道誉が所持したことからよばれる。
鎌倉時代初期の則宗を事実上の祖とする備前国福岡一文字派は、その初期の刀工の作風は直刃に丁子を交えた地味なものであったが、鎌倉時代中期から一変して、大模様の丁子乱れを焼くようになる。その代表的な刀工が吉房、則房、助真であった。また、そうした個人名を銘にきる刀工とは別に、「一」とだけ名を切る刀工も存在した。その代表的な作がこの太刀である
生ぶ有銘の豪壮な太刀。長寸で反りが高く、身幅の広い、堂々とした太刀姿で、鎬にかかるほどの大丁子乱れに、蛙子(かわずこ)風の丁子を交えてきわめて華やかである。
享保名物帳に「昔佐々木道誉老所持、貞享元極、代金百枚」とあり、その号の由来が知られる。佐々木道誉は足利尊氏に仕えた武将で、近江国の守護職に任じられた。
天文(1532~1555年)のころは江州朽木谷(現在の群馬県)にあった。享禄元年(1528年)、将軍足利義晴が京都の乱を避け3年ほど朽木稙綱のもとで滞留しており、その後も申次衆として将軍家から厚遇されている。この頃に渡ったとみられる。
その後の経緯は不明だが、江戸期になると越前福井城主の松平忠直の所持。子の松平光長に伝わったが、光長は越後騒動で流罪になったため、当時の二ノ宮(後西天皇次男)、後の有栖川宮幸仁親王の蔵刀となった。貞享3年(1684年)に同家から本阿弥家にきて百枚の折紙がついた。
その後の来歴は不明だが、鞘書には「道誉一文字御刀尾張中納言綱誠卿ヨリ被進」とあり、尾張徳川家でも一時所蔵されていたことがわかる。元禄11年(1698年)に南部家に「亀甲貞宗」の譲渡を申し込み、返礼として尾張家から「道誉一文字」と「綾小路行光」の短刀を贈ったものである。尾張徳川家から備前池田家、南部家と渡ったと思われる。享保名物帳では「松平伊予守」所持となり、松平伊予守はおそらく池田綱政のことと思われるが、この時期は南部家にあったとみられている。
昭和3年に明治天皇の東北地方行幸のとき南部利淳から皇室に献上された。いまも皇室が所有している。


参考文献
名刀幻想辞典 http://meitou.info/
日本刀大百科事典
「御即位20年記念 特別展皇室の名宝-日本美の華」図録
【刀剣】南部家から見た亀甲貞宗https://togetter.com/li/1026466


戸川志津
作者:志津三郎兼氏
時代:鎌倉~南北朝時代・14世紀
刀種:短刀
刃長:24.9cm 反り僅か
所在:徳川美術館
短刀 無銘 志津(名物戸川志津)
宇喜多三老のひとり、備中庭瀬の戸川肥後守達安の所持していたことが由来。
 無反り、真の棟、鋩子乱れ込み、先は掃きかけ、返りは長く棟もところどころ焼ける。中心うぶ、目釘孔2個、無銘。
元は戸川肥後守達安の所持。
戸川達安は宇喜多騒動に巻き込まれ徳川家康の調停もあり宇喜多家を退去する。宇喜多家追放の際に売りに出したのか、加賀の前田利常が大判百三十枚か小判千両で買い求めたという。
寛永6年(1629)4月、徳川秀忠が加賀黄門利常の別邸に御成の際に献上。寛永10年(1633年)3月26日、尾張徳川家初代の義直が拝領した(1621年ともいわれる)。紀伊徳川家初代頼宣が拝領、1642年には鑑定に出している。1667年に紀伊頼宣が隠居した際に尾張綱誠に贈ったという。以後は尾張徳川家に伝わり、現在は徳川美術館が所蔵している。
享保の名物帳では道誉一文字と同じく所持者が松平伊予守(池田綱政)となっているが。両刀のとも尾張徳川家に一時はあったことは共通しているが同時期にあったかは不明。しかし尾張徳川家が伊代守をつとめたことはないかと思われる。

参考文献
名刀幻想辞典 http://meitou.info/
詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形(大正8) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951684/89


池田家に関係する刀剣

日置安吉(へきやすよし) ※日置豊前安吉(ひおきぶぜんやすよし)とも
作者:左安吉
時代:南北朝時代・14世紀
刀種:短刀
刃長:九寸七分五厘(29.5cm) 反り0.2㎝
所在:静嘉堂文庫美術館
区分:重要文化財
短刀 銘 安吉 名物日置安吉
左安吉による幅広く力強い姿と緻密で美しい地鉄が特徴の短刀。安吉の白眉ともいわれる。安吉は筑前の刀工左(左文字)の子といい現存作には短刀が多い。
備前岡山城主池田光政の家老、日置豊前守忠俊が所持していたことから「日置豊前安吉」「日置安吉」とよばれる。日置忠俊は輝政、利隆、光政の三代にわたって仕えた岡山藩池田家の家老。文武両道に通じ、幼い主君の光政を助け国政を預かり、すこぶる名声が高かったという。
経緯が不明だが、加賀藩2代目藩主前田利常が所有していた。本阿弥長根の鞘書きによれば、宝永4年(1707年)4月に前田綱紀が家老前田大炊孝資に与えたという。しかし享保名物帳では「日置安吉 長九寸七分 代金百三十枚 松平加賀守殿 豊前 松平肥前守殿所持、利常卿御求」とあり、藩主綱紀になっているので、大炊家からの再献上があったと見られる。加賀藩庁では、これをいつでも献上できるよう献上用の拵えをつけていたが、献上はされなかった。
大正の頃前田家を出たあとには今村長賀が所有したこともあるが、岩崎男爵家が入手。昭和15年(1940年)に旧国宝指定。現在は岩崎家の所蔵品をあつめた静嘉堂文庫美術館(東京)が所蔵している。

参考文献
名刀幻想辞典 http://meitou.info/
静嘉堂文庫
日本刀大百科事典

2017「超・日本刀入門」静嘉堂文庫美術館1月21日~3月20日


鳴狐(なきぎつね)
作者:粟田口国吉
時代:鎌倉時代・13世紀
刀種:刀
刃長:一尺七寸八分(53.9cm)
所在:東京国立博物館(渡邊誠一郎氏寄贈)
区分:重要文化財
刀 銘 左兵衛尉藤原国吉(号 鳴狐)
鳴狐の号の由来は明らかではないが、障子に映った狐の化物を切ったためという説もある。
国吉作と確認できる太刀は数振りのみで短刀が多く、短刀を大きくして反りを付けたような姿の打刀であるこの鳴狐は、鎌倉時代の作としては珍しいものと言われる。建治(1275~1277年)、弘安(1278~1287年)の紀年銘から活動年代が知れる。また同時に国吉の子あるいは弟子と伝わる藤四郎吉光の活動年代を推定する手がかりともなっている。
平造り、真の棟、表裏に棒樋。鋩子乱れこんで深く返る。中心うぶ、反りがあり、鑪目は勝手下がる。銘は大振りに「左兵衛尉藤原国吉」。
播州姫路藩2代藩主池田利隆の家臣、石黒甚右衛門という馬術の名人の所持。利隆は池田輝政の長男。
経緯は不明だが、のち出羽国山形藩主から上野館林藩主となった秋元家に伝来した。
昭和4年(1929年)3月の日本名宝展覧会では秋元春朝子爵所持。同年1月19日付で旧国宝指定。
その後は斉藤茂一郎、渡邊三郎氏が所持する。平成3年(1991年)、三日月宗近や亀甲貞宗などと共に三郎の子の渡邊誠一郎氏より東京国立博物館に寄贈された。

参考文献
名刀幻想辞典 http://meitou.info/
東京国立博物館



池田輝政と刀のざっくり年表
1564年 池田輝政、永禄7年12月29日(1月31日)生まれる
1600年 毛利藤四郎を関ヶ原の時に徳川家康からもらう
1609年 池田貞宗の拵えを新調する(入手時期不明)
1612年 若狭正宗を9月2日家康からもらう
      池田貞宗を徳川秀忠に献上する
      蜂屋江を8月23日ごろに池田貞宗のお礼にもらう
1613年 池田輝政、慶長18年1月25日(3月16日)48歳没
面影、浮田志津はいつから池田輝政がいつから所持していたかは不明。大包平は池田家にいつからあるか不明。道誉一文字は池田輝政が持っていたのではないかいうぶっとんだ説を呼んだことがあるけどそうなら面白い。


記録に残る池田宗家組
・光徳刀絵図集成
1595 蜂屋江

・豊臣家御腰物帳 慶長5年(1600)~6年(1601)
蜂屋江刀(蜂屋江) 慶長十六年五月秀忠へ

・池田分限帳(1613年?)
輝政の遺物(輝政の持ってた刀の行き先が書いてあるみたいなものでした)
幽斎貞宗御腰物 将軍様 (※幽斎貞宗=池田貞宗)
諸道具の分配(遺品の相続先一覧のよう)
武蔵守(利隆)→若狭正宗ノ刀
忠継(左衛門督に相渡)→蜂屋郷ノ刀 将軍様から拝領
※輝政の遺物の欄に志津無銘御腰物 若君様、忠継に吉光の脇差、忠雄に国行の刀とはあるがそれが何を表しているのか確定できない。太刀という記述のみのものもある。

・駿府御分物刀剣 元和2年(1616)
志津 浮田(宇喜多秀家)(名物浮田志津)

・光悦刀剣名物帳 慶長20年(1615)~寛永14年(1637)
毛利藤四郎
若狭(正宗)
池田(貞宗)
ウキタ志津
大包平
蜂屋(江)

備前侍従殿
 蜂屋江 毛利藤四郎
松平新太郎殿
 大包平 若狭正宗

・本阿弥家伝名物帳 享保(1716~1736)以前?
毛利藤四郎 松平大炊頭
若狭正宗 御物 代金千枚
池田来国光 松平加賀守 代金百五十枚
池田貞宗 松平加賀守 代金三百枚
大包平 松平大炊頭 無代
道誉一文字 松平伊代守 代金百枚
戸川志津 松平伊代守 代金百三十枚
蜂屋郷 代三百五十枚

・刀剣名物帳 芍薬享本 明和4年(1767)~弘化2年(1845)
毛利藤四郎 松平大炊頭
若狭正宗 御物 代金千枚
池田来国光 松平加賀守 代金三百枚
池田貞宗 松平加賀守 代金三百枚
大包平 松平大炊頭守 無代
道誉一文字 松平伊代守 代金百枚
蜂屋郷 甲府殿 代七千貫
戸川志津 尾張殿 代金百三十枚


池田宗家組展示記録一覧(※大包平の詳しい展示情報は省略しています)情報集め中(・ω・)ノ
※国永については図録文中で池田家伝来と説明していないものもあります。
※戸川志津は最近徳川美術館で毎年展示されてるようです
1958「歴史を物語る名刀展」昭和33年6月12日~24日
 池田貞宗
1976「特別展 日本の武器武具」東京国立博物館 昭和51年10月5日~11月23日
 浮田志津(御物) 道誉一文字(御物) 大包平(東京国立博物館)
1990「日本美術名品展」東京国立博物館 平成2年10月16日~11月25日
 浮田志津(宮内庁)
1996「日本名刀展 鉄と炎の芸術」長野県信濃美術館 9月
 池田家伝来国永(個人蔵)
1997「日本のかたな」東京国立博物館 10月14日~11月24日
 大包平(東京国立博物館)
1999「日本五カ伝名刀展」岡山県立博物館 10月15日~11月14日
毛利藤四郎(東京国立博物館) 池田家伝来国永(個人蔵)
1999「日本刀-京の名匠-来派の隆盛にみる」佐野美術館 平成11年12月4日~平成12年1月17日
池田来国光(個人蔵)
1999「皇室の名宝-美と伝統の精華」東京国立博物館 12月14日~2月13日
 道誉一文字(御物)
2000「日本刀 至高の鉄の芸術」富山県民会館美術館 平成12年9月22日~10月10日
 池田家伝来国永(個人蔵)
2003「草創期の日本刀 反りのルーツをさぐる」佐野美術館・大阪歴史博物館・一関市博物館
 池田家伝来国永(個人蔵)
2009「御即位20年記念 特別展皇室の名宝-日本美の華」11月12日~11月29日
 浮田志津(三の丸尚蔵館) 若狭正宗(三の丸尚蔵館) 道誉一文字(御物)
2009 「侍の芸術展」Art of the Samurai: Japanese Arms and Armor, 1156-1868
メトロポリタン美術館 2009年10月21日~2010年1月10日
戸川志津 大包平
2011「名物刀剣宝物の日本刀」根津美術館・富山県水墨美術館・佐野美術館・徳川美術館
 池田来国光(個人蔵)
2015「大関ヶ原展」京都文化博物館(※京都のみ展示)6月2日~7月26日
 毛利藤四郎(東京国立博物館)
2018「特別展 京のかたな-匠のわざと雅のこころ」京都国立博物館 9月29日~11月25日
 池田家伝来国永(個人蔵)
 毛利藤四郎
2018「諸国漫遊-多彩なるお国拵と日本刀五ヶ伝を巡る旅」刀剣博物館 10月13日~12月24日
池田来国光
2020「埋忠〈UMETADA〉桃山刀剣界の雄」大阪展 大阪歴史博物館 10月31日~12月14日
毛利藤四郎 ※大阪展のみ
2021「埋忠〈UMETADA〉桃山刀剣界の雄」東京展 刀剣博物館 1月9日~2月21日
若狭正宗 ※東京展のみ
https://www.touken.or.jp/Portals/0/pdf/mokuroku/umetada2020list.pdf

(/・ω・)/「おわかりいただけただろうか。浮田志津、若狭正宗、道誉一文字が東京国立博物館に展示されていた期間、大包平はアメリカのメトロポリタン美術館に出張していて不在だったのである

現在の所在
・東京国立博物館:大包平、毛利藤四郎
・刀剣博物館:池田来国光(※個人蔵)
・徳川美術館:戸川志津
・三の丸尚蔵館:浮田志津、若狭正宗
・皇室:道誉一文字
・個人蔵:池田貞宗(現在行方不明)、池田家伝来国永
・消失:蜂屋江、面影、切刃貞宗
※面影、切刃貞宗は同名の刀が多数存在していますが、池田家の刀は消失しています。


もっともっと池田宗家組(/・ω・)/
池田家に伝来してたり、池田家が所有してたり、池田家と関係があるような記述が残ってたり。
とにかく関係があったりする刀たち。

・太刀 銘 国宗 附 絲巻太刀拵
池田輝政が徳川家康に寄進した太刀。日光東照宮蔵。保管・展示は東京国立博物館。国宝。

・刀 金象嵌銘 正宗磨上 本阿弥(花押)名物 池田正宗
「駿府御分物刀剣元帳」にて池田輝政が所有していると書いてあるが、来歴的には輝政の弟の長吉が持っていた刀。徳川美術館蔵。重要文化財。

・太刀 銘 吉弘 (附)享保弐年本阿弥光忠折紙
刃長73.9cm 反り2.1cm
吉弘は左文字の子、もしくは門下の一人とされている。現在確認されている在銘作は本作一口のみ。
この太刀は中鋒が延びごころで、鍛えには流れ肌が交じり、刃文はのたれを基調に互の目等が交じり、小沸厚くつき、金筋、砂流しが細にかかるなど、左の作風が現れている。
岡山藩池田家に伝来したものであり、「徳川実記」の享保2年(1717)4月15日条に「大炊頭継政には佐吉弘に御刀を下さる」とあることから、池田継政が家督継承の際、将軍吉宗から拝領したものと考えられる。拝領年にあたる享保2年の本阿弥光忠の折紙が附帯する。
東建コーポレーション株式会社所蔵。


・太刀 銘 長谷部国信
刃長87.6cm
東京国立博物館蔵。池田家の祖先を祀る閑谷神社旧蔵。長寸で池田家を守る奉納用の刀として作られたのかもしれない。閑谷神社は池田光政が創建した閑谷学校の中にある。

・刀 無銘古三原 金象嵌銘 松平武蔵守利隆用之
東京国立博物館蔵。閑谷神社旧蔵。松平武蔵守利隆は池田輝政の嫡男利隆のことで、銘には利隆が用いた刀と書いてある。

・刀 銘 肥前国忠吉/同国刳物宗長
刃長68.2cm 反り1.8cm 
菅野昌彰氏寄贈、東京国立博物館蔵。
忠吉は佐賀鍋島家の抱工で、京都の埋忠明寿に学んだ。肥前忠吉は埋忠一門のうちでも地刃の明るさは確りと学び伝えており、一方宗長も肥前の彫り師として不動明王と埋忠一門伝統の珠追い龍とを、彼なりに発展させた様式で表現している。洗練された地鉄、明るい直刃の刃文は忠吉の特徴をよく示し、また宗長による彫物は、同様のものが明寿にもあり、師風を継承している。本作は忠吉の作に宗長の彫師銘を添えたうちでは最も古いものと思われ、忠吉の銘彫りから慶長18~19年ころの製作とわかる。この時期には優品が多い。備前池田家伝来。
「埋忠〈UMETADA〉桃山刀剣界の雄」東京展にて展示。

・太刀 銘 (菊紋:きっかもん)井上新改/延宝五年八月日
刃長 69.7cm、反り1.8cm
重要文化財。吉備津彦神社所蔵、岡山美術館寄託。
延宝6年(1678年)、岡山二代目藩主池田綱政が備前一ノ宮である吉備津彦神社に奉納したもの。奉納用として打たれたので、ひときわ入念に作られている。

・鑓 銘 秋廣作 主 本多中務大輔忠勝所持
室町時代に上総国長南秋廣により作られたと思われる。愛知県岡崎市所蔵。三河武士のやかた家康館で常設展示。
本多忠勝が所持。姫路城主本多忠政の娘で、将軍秀忠の養女となった勝姫が池田光政に正室として嫁ぐ際に岡山藩池田家に伝わる。秋広の槍は池田家伝来後行方不明になっていたが、2012年に本多平八郎家が最後の藩主を勤めていた岡崎の資料館から発見された。
近年の特別展展示
2012年 岡崎市美術博物館 旧本多忠次邸復原記念「徳川四天王本多忠勝と子孫たち 岡崎藩主への軌跡
2017年 彦根城博物館 NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」特別展「戦国!井伊直虎から直政へ」
2021年 桑名市博物館 特別企画展「本多忠勝と桑名」



おまけ。池田家あっちこっちの事情。
推し刀剣の聖地巡礼をするときには所持年代も気ををつけて。違う城かもしれないよ。


ほかにも池田家関連・刀剣関連の資料をつくっております(/・ω・)/
http://privatter.net/p/2801451


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