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ソハヤノツルキウツスナリについての諸情報

全体公開 3 4318文字
2017-08-26 19:28:39

以前の史料http://privatter.net/p/1738424には入り切らなかったソハヤノツルキウツスナリについての情報です。主に久能山の史料になります。

Posted by @a_ri_no_ri

以前の史料http://privatter.net/p/1738424には入り切らなかったソハヤノツルキウツスナリについての情報です。主に久能山の史料になります。先ずは『久能御道具之覚』から。

◉『久能御道具之覚』

一壱腰  三池無銘 御腰物
       長鍔 本より弐尺三寸三分
             幅一寸弐分半
    中心に妙純伝ソハヤノツルキウツスナリと有
    御目貫銀の浪に赤銅にて川烏御ふち御鍔赤銅
    御ははき上金下銀 御せつは しととめ金
    御小柄赤銅ななこ金裏くるみ金竜
    御小刀宣長七郎
    御かうかい金竜赤銅ななこ
    御鞘黒漆 袋錦
 (付箋)
 此三池之御太刀御神体同意に奉尊崇御事に御座候。
  ↓
*ソハヤノツルキウツスナリの刀身と拵についての記述。弐尺三寸三分は67.9cm。幅は元幅3.9cm、先幅2.7cm。ここには記していないが、鍔の切羽台には「三け」との刻銘がある。拵をつくらせたのは家康なので、「三け=三池」と刻ませたのも家康であろう。ソハヤノツルキウツスナリの拵は「打刀拵」であるため、腰に佩くのではなく、腰に差す形となり、刃は上を向く。太刀であっても「打刀拵」をもつ他の例としては、家康所用の経歴を持つ江雪左文字、日光助真(にっこうすけざね)がある。目貫は「銀の浪に赤銅の川烏(かわがらす)」で、鍔は赤銅で堅丸形、鎺(はばき)は二重で上貝は金、下貝は銀。小柄は赤銅魚子(ななこ)地に金の這竜、笄は赤銅魚子地に金の倶利伽羅竜。「打刀拵」であるため、鍔には小柄(こづか)・笄(こうがい)の櫃孔がある。(謎:刀剣乱舞のソハヤノツルキウツスナリの拵は腰に佩いて(=吊るして)いて、刃が下を向く太刀拵である。鍔の形状は堅丸形ではないが、笄が確実に付いている。通常、太刀拵に櫃孔はないし笄は付けない。というか、刀剣乱舞は打刀・脇差でも鍔に櫃孔が空いている刀は和泉守にそれらしいのがある?くらいなのに、何故、太刀のソハヤノツルキウツスナリだけ確実に分かるようにしてあるのだろう?反対側には小柄も付いている可能性がある
付箋には「この三池の太刀は御神体と同じ意味で尊崇されている」と書いてある。ソハヤノツルキウツスナリは御神体ではないため、「御神体同意」との表記になる。久能山では一貫してソハヤノツルキウツスナリを「三池」と記す。

◉『久能山御神宝之記 久能山御神宝並御道具目録』

一、御腰物  一腰
 三池、長二尺三寸三分、幅一寸二分余、無銘中心に「妙純伝持ソハヤノツルキウツスナリ」とあり。御目貫銀の波に赤銅の川烏、御縁並御鍔赤銅無地、御小柄赤銅金竜対の御笄、御小刀宣長七郎、御拵金御鞘黒塗、三池御腰物於当山、御神躰御同意奉尊崇御事御座候、
 (此御剣身に樋一筋あり。中心御指表の方、「妙純伝持そはやのつるぎ」と二行に彫付く。裏に「うつすなり」とあり。御柄黒皮、御頭角御鮫黒塗、御鉏二重上金、下銀也、御接葉金、御小柄無銘。正行案ずるに、此御剣の事あまねく人の知る如く、神祖薨じ玉ふ前つ方、仰によりて罪人を切しめられしが其後ねたはをもあはせざれば、かの罪人をきりし時に、小石に切込たる跡なりというを見るに、正しく小石の跡とも見えず恐らくは罪人の体にあたる跡なるべし)

一、御小脇差  一腰
 貞宗、無銘長一寸九分(注:恐らく一寸の前に必要な一尺が抜けている)、御目貫金獅子御小柄金竜、御小刀政常、御拵金音鞘黒塗、錦の御袋入
 (此御剣表の方梵字、裏に樋二筋あり。御柄出し鮫黒塗御縁赤銅無地、御頭角、御小柄枚共無銘)

一、小サ刀
 行光、無銘長一尺七寸六分、御目貫牽牛織女金、御小柄赤銅の浪に金の紅葉、川烏対の御笄、御拵赤銅銀の水に金御紋、御鞘黒塗、御小刀無銘
 (此御剣、御縁頭共赤銅、御小柄笄共銘なし、御小柄笄の尖総て作物なし、思ふべき事ならずや)

 黒塗箪笥御紋並桐蒔絵有
 (此御箪笥は御刀箪笥にして、左右に御重箱やるのもの一つ宛ありて、いとおかしき作りざまなる物也、御重箱やうの物の内に、御柄はらい。打粉、寒酒の紙すべて御拭の料入なり。前に記す御剣の類皆此内にて入て御内陣に秘置といふ)
  ↓
*ソハヤノツルキウツスナリと脇差2振が「黒塗箪笥〜=蒔絵刀箱(今の名称)」に入っていたのが分かる記述である。「御腰物」は徳川家康が腰に差した刀という意味である。その下の御小脇差も同じ。この貞宗の拵は尾張徳川家の物吉貞宗の拵とよく似ている。次の「小サ刀(行光)」がソハヤノツルキウツスナリと「大小関係」にあるとされる脇差である。鞘の塗がソハヤノツルキウツスナリと同じで、装飾に「銀の浪(水)+川烏」が使われている共通点がある。(ソハヤは目貫、行光は笄)
黒塗箪笥〜の説明に「いとおかしき作り」とあるように、この刀箱は他に類例を見たことがない特殊な作りになっている。十振は掛けられる刀掛けを箱の中に納め、両脇に持ち手がある。倹飩(けんどん)の蓋を外せば刀掛けとしても使え、持ち運び可能な「刀掛け兼刀箱」なのだ。(私は未だこれと同じ刀箱を見たことがないので、類例をご存知の方は是非とも教えて下さい。)また、この刀箱には大きな「御紋=葵紋」と「桐紋」の蒔絵が施されている。徳川に桐紋使用を許可した豊臣であるため、大坂の陣前に作成されたのはほぼ確実であろう。

◉「鞘書」
「御在世御指、無銘三池御刀 長貳尺貳寸三分半 表裏樋并添樋有之 幅御鎺(はばき)本ニ而壹寸三分 中程ニ而壹寸壹分半 横手ニ而九分半 重御鎺本ニ而貳分半 横手ニ而壹分半 反八分半 掛目百八拾匁 安政五年(1858年)戊午三月御研 本阿彌喜三二 御鞘内田吉十郎」
 ↓
*拵に入ったままでは錆てしまうので、通常、刀は白鞘に納められている。その白鞘に書かれているのが、上の情報である。大典太光世も安政3年に同じ本阿弥喜三二(次)に研ぎに出されており、三池の刀でニアミスしている。→http://privatter.net/p/2682764(大伝太の研ぎの情報はこちらに)

◉家康遺品

一、三池刀(無銘 長二尺二寸三分 鎬造直刃、承保頃の作)
  中心(表に「妙純伝持ソハヤノツルキ裏にウツスナリと切付けてある)
  鞘(黒臘色塗)
  笄(無銘、地板赤銅斜子、金倶利伽羅竜高彫。裏金哺)
  小柄金(無銘地板赤銅斜子這竜高彫裏金哺)
  小刀(宣長七郎作長三寸五分)
 公御在世中の最鐘愛品であったが薨去の前々日親しく手にされて二三度打振られ、吾亡き後は之にて国家を守護すべしと仰せられたので、御神体同様に取扱はれて居るものである。
  天覧(明治四十三年十一月十九日静岡御用邸に於て)
  国宝(同四十四年四月十七日指定)
   ↓
*ソハヤノツルキウツスナリは、明治43年(1910年)11月19日に静岡の御用邸で天覧(=天皇が御覧になること)された。そして、その天覧を受けてのことか、翌明治44年(1911年)4月17日に「国宝」に指定される。久能山の家康遺品は、先に貞宗短刀(明治35年)、小サ刀(行光)(明治35年)などが天覧されているが、久能山の宝物の中での国宝指定はソハヤノツルキウツスナリが最も早く、貞宗・行光は大正時代に国宝となった。ソハヤと貞宗・行光が入っていた上の刀箱は、ソハヤと同日に国宝に指定を受けている。戦前の国宝指定なので、現在、ソハヤノツルキウツスナリ、貞宗、行光は重要文化財。久能山東照宮で国宝なのは建造物の大部分と、2代将軍秀忠が奉納した古備前の「真恒」である。この「真恒」はソハヤと並んで「久能山の双璧」と言われる。

○その他の家康の刀剣遺品
 薙刀 無銘 直江志津葵紋蒔絵薙刀拵
 薙刀 無銘 国宗ー葵紋蒔絵薙刀拵:伝朝日姫遺品
 槍  銘長吉ー葵紋蒔絵鑓拵
 槍  銘長吉ー葵紋蒔絵鑓拵
 ↓
*ソハヤ・貞宗・行光以外の家康の刀剣遺品。他にも多くの家康の遺品が久能山には納められているが、取り敢えず、刀剣のみ記す。国宗の薙刀は徳川家康の後室朝日姫(豊臣秀吉の妹)の所用とされている。直江志津の薙刀は「静薙刀」とも伝えられる。

○久能山への奉納刀
【将軍家】ー*は重要文化財
 2代将軍秀忠:太刀「真恒(さねつね)」(◎国宝)
 3代将軍家光:太刀「雲次(くもじ)」*
 5代将軍綱吉:太刀「法城寺国正」
 8代将軍吉宗:太刀「国宗」/太刀「国行」*
 9代将軍家重:太刀「末守」*
 10代将軍家治:太刀「守家」*/太刀「国宗(伯耆)」*/太刀「安則」*
 11代将軍家斉:太刀「国宗」*/太刀「国行」*/刀「武蔵大掾忠広」太刀「高実」*
 12代将軍家慶:太刀「河内守正広」
 13代将軍家定:太刀「藤原国正」
 14代将軍家茂:太刀「藤原是一」太刀「来国秀」
 15代将軍慶喜:太刀「正恒」*
【上記以外】
 勝海舟:短刀「広次」
 犬養毅:脇差「重国」
 ↓
*6代、7代将軍の奉納刀がないのは、将軍に在職していたのが3年と短いためであろう。4代将軍家綱が奉納していない理由は不明。『久能山奇瑞記』にたびたび名が出ること、また、久能山から家康の甲冑などを運ばせているのが関係するのだろうか。将軍家以外にも刀の奉納はあるが、取り敢えず、著名な2名のみしておいた。日光東照宮には、このような将軍による刀の奉納はない。恐らく、家康のソハヤノツルキウツスナリにあやかった行為で、元和3年に秀忠が「真恒」奉納して以降、慣例化したのだろう。他に和歌山の紀伊徳川家が紀伊東照宮へ刀の奉納を行っている。(水戸東照宮、尾張東照宮でもあったかもしれないが、空襲により焼けている


※上に載せましたのは、『久能山史料』と『久能山東照宮傳世の文化財-刀剣編』からの情報となります。鍔に「三け」と刻まれている、や、ソハヤノツルキウツスナリと「久能山の双璧」とされる刀(=真恒)があるなどについてあまり知られていないようなので、書きました。今後、追加できる情報がありましたら、増やします。『久能山奇瑞記』には久能山にまつわる不思議な話が載っていますが、そちらも欲しいでしょうか?希望される方がいましたら、載せます。希望やこの情報が欲しい、意味が分からないからここを訳して!など、リクエストがありましたら、メッセージを使って下さい。


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