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私訳版 電波戦士(3)

全体公開 8938文字
2017-12-30 00:12:52

字数8580字

Posted by @shiminus

171230@shiminus




 その日は数日前からの息子との約束で、有給消化を兼ねた平日休暇を取っていた。
 といっても、肝腎の息子は普段通り学校でテストを受けている。それが昼に終わるから、昼食と買い物のため迎えに来てくれというのだ。
 日夜オフィスに篭って仕事ばかりの私には、自宅待機なんてものは決して心地いいものではない。妻は息子を見送って家のことだけ片付けると、ママ友とランチに行くのだと言って早々に家を出ていってしまった。
 結婚しておよそ二十年、誰もいない家にひとり取り残されたことなんて、一度もなかったような気さえする。

「たまには待つ側になったって、面白いじゃないですか」
 見る記事さえなくなった新聞の広告欄を広げていたら、灰色の景色にひとつ、鮮やかな紫色の花が降り立った。小さな人間、あるいは妖精。しかし彼らには電波人間という種族名があるらしい。なるほど外見は人間にどこか似ているが、手足の関節は曖昧で指もない、頭の形もどこか奇妙だ。例えば目の前にいる電波人間はといえば、丸い頭の周りにもう一回り大きな輪っかがかかっていて、科学雑誌で幾度となく見た太陽系の惑星「土星」によく似ていた。
「ゐすみ、私はいつだって家族の中では待たれる側の人間として生活してきたが、やはり待つっていうのは難しいね」
「私でよければ話相手になりますよ。それとも、私とどこかへお出かけしますか?」
 ビル風に煽られるビニール袋のように容易く空中を漂っては、私の周りでさもおかしそうに笑う。かと思えば本棚まで真っ直ぐ飛んでいって、二つ並んだ折り畳み式の携帯ゲーム機の上を旋回した。いつかゐすみから聞いた話だが、電波人間がもともと住んでいたのは、その機械の中に広がっているゲームの世界だったという。
「いいや、レベル上げはもう十分やった。ちょっと前に息子と対戦したが『強すぎる』と怒られてしまったよ」
「大人は要領いいですからねえ。仕事もゲームもぜーんぶ効率化、短時間であっという間に私たちを凶悪に育て上げてしまう。育ててもらえる我々からすれば頼もしいですが、一緒に遊ぶ人間側からすれば、……あー、こういう時なんと言うのでしょう……鬼、ですかねぇ?」
 私は肩を竦めてポケットからタブレット端末を取り出した。電波人間と出会ったきっかけは、そして彼らのゲームと出会ったきっかけは息子の我儘だ。昔からゲーム業界によくあった商法にまんまと乗せられて、一緒に通信してくれる手近な人間が欲しかったらしい。おかげで私の分までゲーム機を買わされて渋々始めたのだが、思いのほかハマってしまい、誘ってきた息子が別のゲームに夢中になった後もなお、ゐすみと共に冒険に明け暮れているといった具合だ。
「ゲームの気分ではないのですか。ではあちらへ出かけてみてはどうでしょう?」
 端末のホーム画面の片隅に、青緑のシンプルなロゴがあった。電波人間たちをゲーム世界から解放し、私にゲームの攻略方法を教えてくれたソーシャル・ネットワーキング・サービス、通称デンシる。
「そうだな、たまには平日の昼間からログインしてみるのも悪くないか」
「通勤途中にずっと見てらっしゃるくせに」
「見てるだけ、だ。みんなと雑談するのは仕事が終わった夜からか、休みの日くらいしか時間がとれなくてな」
 とはいえ、掲示板にリアルタイムでいる人の数も知れているだろう。私はログインして、閑散としたタイムラインを覘いてすぐに別のページに移った。青い鍵穴の画面が出てきて、再びパスワードの入力を要求される。デンシる内の 別の場所 へ移動するための入口だ。
「おや、本気でお出かけなさるのですか?」
 ゐすみは眠そうな目をしたまま、しかしどこか嬉しそうに私の傍までやってきた。
「二時間ほどな……覚えていたら報せてくれるか?」
……さあね、私にはアラーム機能なんてありませんから」
 端末を机に置いてエンターキーを押すと、青白いホログラムの扉が出現した。ゐすみを肩に乗せ、開け放しの扉をくぐると、虹色の波が揺れる回廊が続いていた。この旧型の電子世界を示唆するような景色には、いくら通っても目が馴れてくれない。
 デンシるは今や、世界中の誰もが知っている大手SNSとしてインターネット上に存在しているが、かつては私たちのような少数派のゲームプレイヤーたちが情報を交換するために使っていた掲示板だったらしい。私はその黎明期を知らないが、広大になった後のデンシる内に電波人間の関連記事や交流エリアが比較的多いのは、その名残りなのだそうだ。そしてそのエリアの中でもとりわけ特殊で排他的ともいえる、ラボと称される領域に私たちはようやく降り立った。現実世界の見えない場所に潜むモンスターを討伐する「電波戦士」たちのために用意された仮想空間内の特殊施設だ。
……ふふふ、やはりラボの中はいいですね。あなたが時空を超えてやってきた旅人のようで、一緒にいるととても愉快だ」
 ラボに入ると、人々は皆アバターに姿を変える。現実での姿や肩書、名前すらなかったことにして、SNSの中でのみ通用する人格とキャラクターになりきることができるのだ。私は四十肩で白髪交じりのくたびれた初老という本来の姿を忘れ、ここでは若い男の姿でいることを望んだ。向こう見ずで無茶ばかりしていた頃に大陸横断の長期旅行をしたことがあって、そのときどこかの放牧民と出会った折に見た装束を、アバターの服装に設定してある。
 私としては、仮想空間の中だけででも若返っていたいという見栄からそう設定しただけなのだが、これがデンシるの顔なじみたちに幾分かの誤解を与えてしまっていた。
「あら、土星のお姉さま! こっちで会うのは先週末ぶりじゃないかしら?」
 ラボのエントランスからエレベーターホールへ向かっていたら、背後から声をかけられた。橙の生地に金の刺繍を施したドレスのお姫様が、懐っこい笑顔で私の傍まで駆け寄ってきた。
「やあ吹雪姫さん。体育大会で捻挫したと聞きましたが、具合はよくなりましたか?」
「やだっ、覚えていてくださったの? さすがにもう全快しましたわ。お気づかいありがとうございます」
 小さなお姫様はうっとりした表情で私を上げた。
 エレベーターを昇り、上階のホールに出ると、普段より少ないながらも知りあいのアバターたちがそこかしこに集まって談笑していた。特に話したい相手がいるわけでもなく、ホールの脇にある階段を上る。現実世界の私なら、途中の踊り場でしばらく休まなければならないような、長い階段だ。
「土星さん、ご無沙汰しております」
 階段の途中で声をかけられて、私は振り返った。青い戦闘スーツ姿の少女が階段を駆け上ってくる。『電波人間の交流掲示板』きっての癒し、神出鬼没の魔法少女様のお出ましか。
「やあ、穂希ちゃん。今日も討伐かな?」
「そうでーす! というか、さっき戻ってきたところなんです。(ひのえ)と(みずのえ)、どっちも大変だったんですよー」
 みなまで言わずとも、褒めてくれと顔に書いてある。逆巻く荒波のような蒼い癖毛を撫でてやると、穂希は脱力しきって私の腕にじゃれついてきた。私はこういうとき、自分のアバターを端整な顔立ちにしてよかったと心底思わずにいられない。それと同時に、現実の自分に対する罪悪感も、ちょっとだけ。

「ねっ、土星さんお暇あるかしら? ちょっと剣の稽古に付き合って欲しいんです」
「うーん? そうだね、少しなら時間あるし、さくっとひと試合くらいならいいかな?」
「やった、土星さんの剣術が見られる。早く帰ってきてよかったー!」
 私たちはホール二階の奥にある稽古場へ入った。本来は訓練用のモンスターを呼び出して電波戦士の技術向上を図るための施設なのだが、部屋が空いていれば電波戦士同士の手合わせに使っても差し支えないらしい。
「それじゃあ、よろしくお願いしまーす」
 彼女が笑顔になると、周囲に淡い暖色系のオーラが漂うような気がする。古めかしい演出だが分かりやすい。見ているこちらまで穏やかな気分になる。
「ねえねえ、今回はゐすみさんも参加してくれるの?」
「いえ、私は見学でいいですよ。そちらのせとさんだって、討伐の後でお疲れなんじゃないですか」
 ゐすみは私の頭上で、そこに白いビーチチェアでもあるかのようなくつろぎポーズでふわふわ浮かんでいる。穂希がペンダント状の電子ジュエルを操作すると、白銀の大剣と一緒に青色の電波人間が飛び出してきた。
「ほわぁ~、よく寝たわぁ。あら、穂希ちゃん、もうラボに着いてたの? 着いたら起こしてって言ったのにぃ~……あら、誰かと思ったらゐすみちゃんと土星さん? 久しぶり~、元気してた?」
 せとは頭上のハートを模ったアンテナを風見鶏のように回した。ゐすみはくつろぎポーズのまま片手を挙げてこれに応え、自分の頭に生えた吹き流しのようなアンテナをそよがせた。
「せと、ちょっとこれから土星さんと剣の稽古をするの。危ないから離れててね」
「そうなの、じゃあもうひと眠りしちゃおっかな~?」
 せとがゐすみと一緒に上空へ移動したのを見届けて、私たちは稽古場の中央で対峙した。磨かれた木の床に正円と、これに内接する正方形が書かれている。剣術のときは正方形の内側が、ふたりの動き回れる領域となる。
「それじゃあ、おじさん、判定お願いしまーす」
 おじさん、というワードに思わず反応しそうになったが、穂希は私でなく円の外側にいる四十代くらいの男性のほうを見ていた。彼はラボ全体の設備監督と、この稽古場の管理を任されているアバターだ。電波戦士ではないらしいが、かつては私たちと同じように外の世界でモンスターと死闘を繰り広げていたとの噂もある。
『使用可能スキルは武器及びこれにかける特殊効果のみとする。地上、上空を問わず領域の外へ出た者、不正操作を行った者は失格とする。制限時間は十分間。……はじめッ!』
 私は両腰の鞘から剣を抜き取って、合図と共に穂希との距離を一気に詰めた。振り下ろした双子の剣の軌跡が閃光の曲線を描く。大剣を盾にして、穂希がこれを受け止めた。
「ちょっと、こういうのはレディファーストでしょ?」
「すまないね、君と久々に逢えたから気分が昂っているんだ」
 カウンターを避けるように跳ね退き、次の攻撃のため体勢を整える。穂希が動けば、しばらくは守りに専念しなければならなくなる。彼女の攻撃は美しいが、私の武器や戦法とは相性がよくない。
「ふふ、気障なお兄さんは嫌いじゃないよ。お返しは何がいい? チョコレートか甘ぁいケーキか、……それとも、辛口の斬撃のほうがお好み?」
 穂希が姿勢を低くして、剣を構えたまま突進してきた。直線形の攻撃なので跳躍ひとつで難を逃れたが、彼女はまだ本気を出していなかったようで、すぐに向きを変えて上空へ逃げた私の背後に迫ってきた。これが稽古じゃなければと思うと、本当に肝が冷える。
……いや、お礼は結構。君の優しいハートだけで十分さ」
 大剣の軌道を読んで身を躱す。体が追いつかなければ双剣で攻撃の動きをずらし、わずかな間隙を狙って穂希自身へと剣先を向ける。穂希は全く動じることなく大剣でこれを弾き返し、再びこちらを滅多切りにせん勢いで剣を振り回してくる。
「遠慮しなくていいのよお兄さん。私、優しくしてくれる人には誠実でありたいの。ありったけの情熱でお返ししてあげないと、気が済まなくてさ……
 ひときわ大きく金属の打ち合う音がしたと同時に、私たちは領域の角側に対角状に向き合ってそれぞれ着地した。埒が明かない。意識を集中させ、刃に薄く空気の渦を発生させる。雨と風を統べるゐすみのアンテナ能力に誘発されたらしい、私の固有能力だ。本来なら攻撃力の低い武器の殺傷能力を上げるために使う技だが、常時風を起こしておくことで空中でもバランスを取りやすくなる補助効果もあるのだ。
 私が息を整えているのを確かめると、穂希は剣を下ろし、自らの左翼に靡く乳白色のオーラを展開させた。翼と呼ぶには不定形ではっきりせず、霧と呼ぶにはあまりにも形が整い過ぎている。あんな特殊な外見を持った電波戦士は彼女を除いて誰も見たことがない。剣術ひとつで戦い抜いてきた彼女の固有能力なのだろうか。少なくとも私に言わせれば、あの戦闘形態に入った彼女は、非常に厄介だ。
「心配しないでよ。ちょっと痛い目に遭ったって、せとが後で治してくれるからさ」
 そこからは怒涛の打ち合いだ。再び領域の中心で剣と剣がぶつかりあい、光の火花が領域全体に広がってダイヤモンドダストのように輝いた。力では彼女に劣ろうとも、素早さでは私のほうが一枚上手だ。先に集中力が切れたほうが負けになる。どちらも守りの体勢は一切とらず、それぞれが攻撃と回避の一点張りだからだ。
 振り下ろされる剣の勢いが増し、攻撃を逸らしずらい。だが勢いが増えればそれだけ、攻撃を躱した後にできる隙も多くなる。こうなったら剣をこちらから当てることもなく反撃の瞬間を狙って打ち込むしかないだろう。私は一層集中を高めて、襲い来る大剣からひたすら逃げ回った。
 互いのヴォルテージが最高潮に達し、血肉踊る戦いに互いが酔いしれる。遠い昔に理性で封じた原始的な悦びを、幼い頃からあらゆる種族の雄が知っている暴力的な欲求を、こんなにも美しく昇華しきれる世界が他にあっただろうか。




……そこまで!』
 毅然とした声がした刹那、ふたりは同極の磁石を突き合わせたが如く反対方向へと吹き飛ばされた。領域の外まで出るとようやく体の自由がきいて、私は起き上がった。剣に纏っていた風が途絶え、穂希のオーラも跡形なく消滅していた。
「あ~っ、スッキリした!」
 穂希は大剣をしまうと、フリーになった両腕を天高くつき上げて伸びをした。せとが素早く降りてきて、怪我はないかと世話を焼いている。私が合図をするとゐすみものんびり降りてきて、なにを言うわけでもなくひとまず私の頭に乗っかって休憩の続きを始めた。
「いやぁ、なかなかいいもの見せてもらったよ!」
 ふたりで試合後の握手をしていたら、背後でご機嫌な拍手が聞こえた。穂希がぱっと顔を上げて、声の主に元気よく手を振る。
「篠山さーん、こんにちは! 今日も巡察ですか?」
 それは若い女性のアバターだが、彼女も電波戦士ではなく、明らかに戦闘には不向きな恰好をしていた。膝下まである丈の長い白衣と首元の青いスカーフ、それから磨かれたゴーグルとヘッドフォン。長い髪を後頭部でひとつに束ねる金の髪飾りが、明かりを受けて放射状に光る。
「やあやあ穂希ちゃん。もしかしてさっき報告に上がった壬の任務は、君の手柄かな?」
「そうでーす。といっても、救助要請の掲示板を見て向かっただけなんで、私が来たときには結構弱ってましたけどね」
「やれやれ頼もしくも恐ろしいねぇ。穂希ちゃんってばどんどん強くなっていくんだもの。さっきの試合もなかなかだったよ。もちろん、土星ちゃんもかっこよかったけどね」
「いやあ、ちゃん付けはちょっと……

 デンシるの管理人であり私を電波戦士にスカウトした張本人なのだから、篠山さんは私の本来の姿は知っているのだ。それなのに彼女は、私に関する皆の誤解にちゃっかり便乗していじってくる。そもそもどうして、私がこんな複雑な扱いを受けているのか、全く身に覚えがないのだが。
「ところで土星ちゃん、期待の新人くんが君に話したいことがあるらしい。もしかして君のファンかね?」
 篠山さんに紹介されてようやく気付いたが、彼女の後ろにはもうひとり、見慣れない鎧姿のアバターが立っていた。あどけない顔をした青年だ。なにやら驚きと戸惑いに似た表情で私を見つめている。緩んだ口許から「嘘だろ?」などという台詞が聞こえたが、気付かないフリをしておこうか。
「ええっと、初めましてか、……それとも、どこかの掲示板でお会いしましたでしょうか?」
 頭上で寝そべっていたゐすみが何かに気付いたのか、起き上がって私の髪を引っ張り始めた。
「あら、そちらにおられるのはゐすみさんじゃなくって? こんなところで会えるなんて光栄ですわ」
 しどろもどろな青年の肩に座っていた電波人間が口をきいて、ようやく私は彼の正体に気付いた。電波戦士は実際に自分と生活を共にする電波人間をパートナーとする習わしがある。アバターを変えても出会う場所が変わっても、掲示板で自らの電波人間をいくらか明かしておけば、同伴の電波人間を見ただけで必然的に誰だか解ってしまうものだ。
「やあどうも。あなたとは少し前にネット通信で対戦をして以来でしょうか?」
「そうね。なかなか楽しかったわ。そしてあなたが土星さんね。なかなかのイケメンねぇ。てっきりもっと老けているのかと思っていたんだけど」
 中身を見抜かれた気がして、少しどきりとした。
「ええと、ということは貴女のパートナー、そちらにおられるのは……SUZAKUくん?」
「へっ? あっ、ど、どうも……
 スザク君のことは二次創作交流掲示板で度々会っている。時折テストや課題のことを嘆いているので恐らく学生のはずだが、アバターも随分と若々しい姿をしている。
「あの、返信欄にも書きましたけど……昨日はスミマセンでした」
 そういえば昨日は遅くまで彼と二次創作の話で盛り上がってしまったが、途中からなしのつぶてになったので恐らく寝てしまっていたのだろう。ラボにいる間は掲示板での返信があっても通知が入らないから少し不便だ。
「で、あの……これ言ったら失礼かもしれないんですけど、……土星さんって男だったんですね。お、俺、てっきり女の人だと……
 ああやはりか、と私は内心がくりと肩を落とした。
 二次創作掲示板と攻略掲示板、どちらにいても私は女性のユーザーだと誤解されやすい。特に二次創作のエリアでは、活動しているユーザーの大半が女性なのもあって、こちらから発言しない限り、尋ねられることもないまま女性扱いされることも少なくない。

「どうした少年! 土星ちゃんに惚れていたのか? しかし諦めるのはまだ早いぞ。なんとネットの世界にはネカマ・ネナベの文化があってだなあ……
「篠山さん、変に煽るのだけは勘弁してください」
 これ以上スザク君を混乱させるわけにもいかず、私は慌てて止めたが、いつの間にか上空に集まってこのやりとりを見ていた電波人間たちは堪えきれず笑い転げていた。
「ちょっとSUZAKUくーん、私もいるんだけど、忘れてないよね?」
 私の脇の下をくぐるように穂希が顔を出すと、スザク君はきょとんとした顔で彼女を見つめた。しかしそれもほんの一瞬のことで、すぐに何か閃いて口を開いたまま、始めの一言をどうしようか迷っているようだった。
「ほ、ま、れ……ちゃん? あーっ、君が穂希ちゃんか!」
 穂希が嬉しそうにスザク君の両肩を強めに叩いて、「正解~!」と笑った。実際、「ま」と「れ」は穂希に促されてようやく言えたのだが、彼の顔を立ててあげるためにも黙っておこう。
「そっかぁ、SUZAKU君も電波戦士になったんだね。鎧も剣も、すごくかっこいい! ねえねえ、あっちの部屋でモニターの読み方って聞いた?」
 スザク君が気遅れしたような顔でおずおず頷くと、穂希は笑顔のまま今度は彼の両手を取ってご機嫌なステップを踏んだ。
「さっすが! だけどモンスターの性質とか、画像やレポート見るだけじゃ分かりにくいよね。実際に戦って経験積まないと、ピンとこないよね? そこで提案なんだけど、これから私、モンスター退治に出かけるから一緒に来て欲しいんだ! ねえねえ、どうかな?」
 私は彼女の底なしの体力に舌を巻いた。大型モンスターを二体も捌いて、私と剣の打ち合いを十分間、それでもまだ討伐へ行こうというのか。いくらアバターの状態で受けた精神的な疲労がログアウト後にリセットされるとはいえ、オーバーワークにも程がある。
「えっと、俺は別にいいんですけど……土星さんはどうされます?」
「気持はありがたいのだが、私はこの後オフで用事があるから、そろそろ失礼させてもらうよ」
「そっか、残念だけどここで一旦お別れだね。あっ、それと、さっきはありがとうございました! またお暇なときに一緒にお喋りしましょうね!」
 若いふたりの邪魔はしないでおこう、とよく分からない余計な気配りを胸に、私は稽古場を後にした。
「おや、まだ見て回るものでもありますか? そろそろ一時間と三十分が経ちますよ」
 階段を下り始めた私に、ゐすみは首をかしげながらもついてきた。ここのホールは、入るのに時間はかかっても出ていくのは一瞬だ。時と場所に関わらず「ログアウト」を使って現実世界へ戻ることが許されているからだ。ただ、私はそのときばかりはエレベーターホールの手前くらいまで歩いて戻りたい気分だった。

「なあ、ゐすみ。今の私は、どう見えている?」
「なんですか、藪から棒に?」
「いいから。客観的な、正直な感想が欲しいんだ」
「ふーむ、なんでしょうねぇ。新しい時代について行きそびれた老人、といったところでしょうか」
……やはり、君は賢いな」
「え、当たっちゃいました?」
「半分くらいはな……
 薄暗い煉瓦の通路を進んでいく。エレベーターホールはしんとしていて、到着階を示すアルファベットが無機質な光で存在を主張していた。ここでいいだろう。もう帰ろう。私はゐすみをそっと抱き寄せて、狭苦しくも温かな現の国へ戻ることにした。



***@Kronos123

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