冥府へと至る長い下り坂の上。透輝さんと薬師さんお借りしています。冬の長い話、その3。作中のお話の一部をサンさんに構成してもらいました。ありがとう!
@san_ph7
3.真実と正義
彼らは宿泊予定の宿屋の1階にある酒場にいる。既に相当な人数が酒を楽しんでいるせいで、いささか声を張り上げねば会話のならない喧騒の程である。彼は件の飛脚の男に仕事の完了を報告した。男は彼の後ろにいたふたりを見て、なんだ連れが増えてるじゃねぇか、と大笑いして、報酬として彼らの分の酒代も出すと申し出てくれた。
「で、おにーさんに何の用事だったっけ?」
酒場でエールを傾けながら透輝の勇者はとぼけた。
呆れた顔をした彼が何か言う前に、透輝は手でこれを制して微笑んだ。
「分かってるよ、私があそこで何してたかって話でしょ。でもまずは君の隣にいる可愛らしいお嬢さんの紹介をしてもらいたいかな! お名前は?」
「薬師の勇者と申します。お嬢さんはやめてください」
ヤナギが毅然とした態度で答えると、透輝は困ったように頰を掻く。
「私は透輝の勇者だ。で、君は……まぁいいか。お互いよく知ってるからね」
「お知り合いだったんですか?」
隣でキョロキョロとふたりの顔を見比べているヤナギに、まぁ昔ちょっと、と答えておく。ちょっとどころではないが、説明が難しい。透輝は両手を組んだそこに顎を乗せながら、楽しそうに彼らふたりの様子を眺めている。
「私が知っている君とは全く違うのではないかなと思うぐらい、君は……変わったね。その様子じゃ宗旨替えしたんだろう? 地上の女神に」
訳知り顔で、優しくそう言うのである。これには素直に腹が立った。
「君は見た目も言動も随分おっさん臭くなったな」
「ひどいな!?」
僕のことはもういいだろ、と彼は少し不機嫌そうに呟いた。
「それで、何してたって」
「はいはい。それで、そうだなぁ、どこから話したら分かりやすいだろう」
透輝の勇者は少し視線を宙に泳がせながら、少し考えているようだった。
彼は頬杖をついて、こう言った。
「見慣れぬ異邦人が勇者であるならば、王太子の邸で世話になる理由としては十分だろうな」
「話が早くて助かるなぁ! まぁそういうこと。王太子に少し面倒な頼まれごとされてね。断ったら勇者といえどただじゃ済まなさそうな雰囲気だったから、一応仕事をしているフリを」
ヤナギが横で静かに眉間に皺を寄せている。
「いやほんと、どうしようかと思ってたし、今だってどうしようかと思っている。事態はあまりよろしくない。あの王子様怖いし。困ったなぁ。どういう言い訳をしよう」
「だから、何を調べてたんだ」
「せっかちだな。本当はこういうの守秘義務ってやつがあるんだよ? まぁ喋っちゃうけど。クリスタルの効果範囲を調べてたんだよね」
調べてたっていうか、そんなの最初から分かってたんだけどさ、と透輝は出されたスープのたまいもを見つめながらそう言った。
「クリスタルって……その」
ヤナギが彼の方を見る。
「知らないの?」
「話に聞いたことはあるんですが、具体的にどういう役割のあるものなのかは知らないんです」
「その点に関しては、君の方が詳しいんじゃないの」
透輝にそう言われて、彼は少し考えてから話始める。
「クリスタルはその定められた範囲において、”人の力”と”土地の力”を蓄えて、領土内に分配する機能を持っている。クリスタルの有効範囲、というのは本来直接的に可視化はできないものだけど……指標ならある。土地が豊かであるかどうかだ。だから、人の集まった街や国には必ずクリスタルがある。
もっとも、それらはただの指標でしかない。豊かさの定義はなかなか曖昧で、クリスタルがあるから豊かであるといえるのか、人や街があるからクリスタルがあるのか、はっきりとしない。だから、豊かになる、あるいは豊かである、というのは結果論で、元々のクリスタルの役割とは、極端に豊かな土地と貧しい土地との間にある”力”の、魔力の格差をならすためのものだった、と考えておくに留めるのが相応しいと思う」
けど、今はまた別の役割が付せられている、と彼は続ける。
「勇者が魔王を討伐すると、その際に発生した力が彼らの故郷、もしくは登録したクリスタルに向かって流れる。勇者が魔王を討伐するほど、聖界は豊かになるわけだ」
「……女神様が積極的に魔王を討伐させようと、誘導しているみたいですね」
それはそうだろう、と透輝が口を挟んだ。
「勇者の使命とは、そういったものだよ。不滅の祝福を授けられてはいるが、それは私たちが”死にながら”魔王と戦うことを前提としている。戦いに報いがなければ、人間は神の恩恵を受けながら強大な”悪”と戦う歴史を選んだりはしなかっただろう」
わざとらしく彼の方を見つめながら透輝はそう述べた。彼はヤナギの方を向いた。
「そういうことだ。それはともかくとして、何故そんな話になったんだ?」
「有効範囲のこと? ああ、クリスタルってさ、街とか国にいっこだけとかじゃないでしょ? 効果範囲は重複するんだよ。要は効率が上がる。王太子は、最近新しいクリスタルを手に入れた、らしい」
今度は彼の眉間に皺が寄った。
「これが一から十まできな臭い話でね。君たちは、彼は王太子――つまり、王位継承順位が第一位の王族に対して使われるものだが、その男が何故こんな北の辺鄙な街の領主に収まってるか、変に思わなかった?」
透輝は周囲を注意深く観察して、彼らふたりへ顔を近づけた。内緒だよ、と前置きが入る。
「国王陛下には4人の息子がいる。彼は5年前に、自分の息子たちを国内の要所を治めるための統治者として分散させた。幼い末子以外はね。表向きは国内の統治を安定させるため、だなんて言ってたけど、本当は末子に王位を継がせたかったのさ。年をとってからできた子供って可愛いからね。加えて、継承権争いで兄弟たちは殺し合いを始める寸前だった、とも言われている。国王陛下は北方地域においては諸部族を武力でもって制圧した、人間の英雄だった。戦でも自ら先陣を切るような武人だったが、まぁ年には勝てないし、そんな自分の血を引いた息子たちが自分の後釜を狙ってどのような行動にでるかもよく分かっていたのだろうね。
その中でも長子、エリディムレは王の血を濃く受け継いでいたのだろう。彼は真っ先に末子殺害を企てたようだ。それらが露見しかかると、王はそれをきっかけに首都から王子たちを追い出した。特にエリディムレは首都から一番遠い、国内最北のこの街の統治を賜った、というわけさ。きな臭いだろう?」
「若い獅子は憤慨しただろうね」
「だが我慢強かった。ぱっとしない一領地に過ぎなかったこの土地で彼はじわじわと立て直し始めている。王太子は父王を無用に警戒させないために、かなり気を使っているようだ。彼は元の領主邸をそのまま使用しているし、絶対に目立ったことはしない。恐らく金貨ひとつ動かすのにだって神経質になっている。執念を燃やしながら、ただひたすら静かに簒奪の機会を待っているんだよ。どれほど長期の計画を立てているのかは分からないけど、このきな臭さが今度は血生臭いものへと変わるのにそう時間はかからないだろう」
「王太子は父王を殺すつもりなんですか?」
「だって、もう末子殺害は不可能だろうからね。父王の庇護下に入っちゃったし、すぐ戦争おっ始めようにもこの街の軍備だけじゃ無理むり。だから待ってるんだよ。それは多分ね、他の兄弟たちの準備も含めて」
「兄弟で結託して父王と末子を殺害したあとは、それぞれで領土を分割する、とでも言ったのかな」
「どーだろうね! そんな素直な子には見えなかったよ! 最終的には兄弟全員皆殺しにするつもりなんじゃない?」
さらりと不穏なことを述べた男に、ヤナギは黙り込んだ。彼女が何を心配しているのか、彼にはよく分かる。彼は透輝に話の続きを促した。
「そういうわけで、王太子は来たるその日まで自分の領地で力を蓄えたいのさ。で、クリスタルだよ。徒人の……王族に使う言葉じゃないな、人間の王子様は有効範囲の件も複数所有すると効果が重複するってあたりもばっちり知ってた。だから偶然通りがかった魔法使いが勇者だと知って、彼は大いに喜んだよ。……だが、私が来たことによってかえって王太子の誤算が発覚しつつある」
「調査結果が芳しくなかったと?」
透輝はスプーンに掬った赤いたまいもを口に含んで、たまいもだ、と小さな声で呟いて眉をしかめた。
「そう。全く芳しくなかった。クリスタルの効果範囲の重複はみられなかった……というか」
たまいもをスプーンの先でつつきながら、透輝は何故だか言いにくそうにしている。
「どうした」
「私の感じたことが間違いじゃなければ、魔力の集積だけは重複して行われているみたいなんだよね。クリスタル側の不備なのかなって思っているんだけど。クリスタルは力を蓄えることもできるから、新しい方が集積だけでも問題ないといえばないよ。でもそれだけだと、蓄える容量も分配の速度もどうなっているか分からないじゃん?」
「じゃあ王太子のところに渡った新しいクリスタルは、クリスタルとしての本来の機能を果たせていないというわけか」
「たぶんね。だからさぁ、どうやって言い訳しようかなと思って。いやさぁ、だって、新しいクリスタルはたぶん偽物です、機能を果たしていません、なんて言える? 王太子様の目は節穴でいらっしゃいますか、って指摘するようなもんじゃん。で、調査自体はすぐ終わったんだけど、言い訳考える時間が欲しくてウロウロしてました。終わり」
「君が調査を依頼されたのはいつだ?」
「3日前だよ。ここ到着してすぐ」
彼は険しい表情のまま、しばらく考え込んだ。そんな彼の様子を見ていたのか、ヤナギが
透輝にこう聞き返した。
「王太子の邸に滞在されているなら、彼の奥さんを見ませんでしたか?」
「んー……。見たよ。綺麗な奥方だった。だから、指摘するのが嫌だったんだ」
「それは、どういう……」
ふと、彼の脳裏を首長の言葉がよぎった。よくない方向に考えたくはなかったが、ここまでくると無駄な足掻きのように思える。
――彼らは、何をするつもりなんだ。
「クリスタルの形状はね、何も結晶化されたそれだけのことを指すわけじゃないんだ。大きさも色んなものがある。塔とか城そのもの、王冠、モニュメント、そして――人だ」
「人間が、クリスタルの機能を有することがあるんですか?」
「極めて稀な例だけどね。新しいクリスタルがどのような形状をしているのか王太子は言わなかったけど、彼女がそうなんじゃないかな」
「ゾラが……?」
それが真実であるならば、村娘と王子の恋物語は、一転して王子の政略のために引き渡された花嫁の暗然とした話になる。
「で、だ。私の事情は話したよ。そちらも洗いざらい話してくれるって約束だろう?」
黙りこくったまま、机の木目をじっと見つめていた彼の視界を遮るように透輝の手のひらが振られた。彼は顔を上げて、アアとかウンとか曖昧に返事をして、こう言った。
「僕らは、ここへ来る前に西にある村にいたんだ。王太子妃はその村の出身だよ」
「何だって?」
彼は、それからふたりに、慎重にこの街で聞き取ったことを話した。繰り返される疫病の流行する村。その村を守護する駐留兵の疑問。話しを聞き終えると、透輝はため息をついて残りのたまいもを口に放り込んだ。眉間に皺を寄せながら、それで、と話そうとしたのをヤナギに遮られる。
「確かに凍傷を抱えた人や風邪を引いている人もいましたが、彼らが伝染病にかかっている様子はありませんでした。私が、診た、限りでは……」
「そうだろうね。最後に流行したのは十数年前だって話だから」
「いえ、そもそも劇症化して死に至るまでが早すぎる気がします。もしかして、流行時期がくるまでは潜在化しているだけなんじゃ……」
ここで、透輝が手を挙げた。
「どんどん深刻な方向に向かっているところ申し訳ないんだけど、その花嫁さんがクリスタルであることが確定できる情報はありそう? もしくは、村人たちが花嫁さんがクリスタルであることを認識していたかどうか」
「どちらも分からないよ。ゾラがクリスタルであるならば、勇者なら触れればすぐ分かるだろうけど」
「王太子妃、特に新妻に触れっての? 無茶いうねぇ。そんなことするぐらいなら、本人に聞いてみた方が早くない?」
口の中に残ったたまいもをエールで流し込みながら、透輝はそう言った。
「まぁ何にせよ、分からないことが多いよ。疫病のことも、花嫁さんのことも。叩けば埃が出そうな怪しい事実ばかり発見されているけど、だ。まだ何か起こったわけでもない。これから何か起こるかもしれないし、ひょっとすると何も起こらないかもしれない」
確かに、透輝の言うとおりだった。まだ不確定なことが多すぎた。だが、それら不確定なことが増えるたびに、彼を不安が襲った。もしかすると、もう彼が干渉することでは変えられない運命の流れに乗ってしまったのではないだろうか。彼の能力を持ってしても、変えることのできない結末――つまり、その先に逃れられない誰かの死が待っているのだとしたら、彼にはもうどうすることもできない。
しかし、それすらも不透明なままだ。だがこれらはもはや単なる杞憂で終わる気など全くしなかった。
「……ゾラに会わなくては」
そう呟いて、彼は透輝の方を見た。見つめられた当人は、見られていることを確認すると静かに目を逸らした。
「どうするって? まさか導けとかいわないよね」
「別に、入るだけなら君の力を借りなくてもいいんだよ。でも領主邸に突然黒い天使が現れて、何故か賓客が駆り出されることになるのは容易に想像できる。仕方ないね。君は勇者だし」
これに透輝は分かりやすく面倒くさそうな顔をした後、頭を掻いてこう答えた。
「全く、分かったよ。で、君はいいとして、薬師さんはどうするの?」
「わ、私?」
突然話の矛先を向けられて戸惑ったヤナギは、考え込んでしまった。首を突っ込んでいいものなのか、悩んでいるようだった。ふたりは顔を見合わせた。
「まぁあれだよ、私みたいな勇者相手でも怯まずかなり強く出るような人間なわけだ。花嫁さんのこと気取られてこちらにとって飲みたくない要求を提示される可能性はあるよ。あの王子様食わせもんだから」
「ヤナギ、仕事の約束があったりするんじゃないかな? 僕の用事に無理に付き合う必要はないよ。ゾラがちゃんと元気か、僕が見てくるから」
「無理に付き合う云々は今更なんですよ」
しかし、彼女ははっきりとした返答をしなかった。
「うーん。そしたら、また明日会おう。どのみちこんな時間にふたりも来客を連れていくのは難しいからね。今日のところは解散。ま、考えておいてよ」
彼と透輝は、それから別のことへ話題を移した。最近の聖界の様子、巡ってきた場所の情報。喧騒の中、彼の隣に座ったヤナギは終始黙ったままだった。
透輝がそろそろ戻るというので、彼は店の外まで見送りに出た。戸外の空気は底冷えしており、壁一枚隔てた向こう側で聞こえる騒ぎが、かえってどこか遠くから聞こえるような侘しさを孕んでいた。通りをしばらく歩いて、店から少し離れたところで透輝は振り返った。
「楽しいかい? 人間ごっこ」
「聞きたいのはそういうことじゃないだろ」
透輝は目を細めて、つかつかと彼に歩み寄り、その左目へと手を伸ばした。眼帯で覆われたそれを撫ぜて、厳しい表情を作る。
「本当に視えてないのか?」
「君なら、よく分かるんじゃないか。僕が今どうなっているのか」
「それが今の行動の目的か?」
「いいや。こっちの件については本当に”ついで”なんだ。僕は、ただ、そうだな……。君の言うとおりさ。きっと人間のふりがしたかっただけだ」
手を降ろして、透輝は何とも言えない表情を作った。それが、透輝の目に映っているものと関係のある感情であったのか、彼には分からなかった。
「随分と濁っている。呪われているだろ」
「解呪できるか?」
「残念だが、私には無理だ。それは肉体にかけられたものでも、精神にかけられたものでもない。恐らく、魂にでもない」
「どうにもならないならいいさ。それより、ゾラの件伏せただろう? 君は何を視たんだ?」
歯切れの悪い返答に、ヤナギに配慮して何かを隠したでのはないかと彼は踏んでいた。
透輝は、なお言い淀んだ。
「? ヤナギはいないから遠慮せず言うといい」
「そうじゃないんだよ、何て言ったらいいかな……。まず彼女は人間だ。それは間違いない。魔族と人間の”混ぜもの”でもないし、或いは女神の加護が強くかかっているとかでもない」
「まぁ、加護を感じたなら僕にだって分かるはずだから……待て、君が視てもクリスタルであるかどうか確証が得られなかったのか?」
「というか、そうであることに疑問を感じずにはいられなかったという話だよ。さっきも話したけど、彼女が機能不全であることは確かなんだ。しかし確証はないが、そうでもなければこの事態を説明できない。そしてこの場合は、特別じゃない人間だ、という点が大問題だ」
「分からないな。つまりどういうことなんだ?」
「……彼女の魂は、複数の他人の魂から構成されている。それも、ひとりやふたりではない」
彼は、深く息を吐いた。白い靄が暗闇に霧散していく。
「そんな人間が自然発生するわけがない。これは人為的なものだ。だから異教の村で何かが行われている。クリスタルに関連する何かがね。私はそう思うよ」
異教の村で行われている儀式、春の女神、黒い神と白い神……。
「はずれているかもしれないが、少し調べてみよう」
彼はそう言って、空に向かって手を振った。にわかに落ち星が白い煌めきを放ったかと思うと、みるみるうちに大きくなって、彼の腕に着地する。それは1羽の白い鳩だった。
「やぁ、イヴ。少し遠いけど、お使いを頼めるかな? ビブリオテカの書痴王に伝言を。『”漆黒の経典”の写本はあるか?』と。閲覧が可能なら全て記憶してくるように」
白い鳩は任せろとでも言うように数度その小さな嘴で彼の腕をつつくと、またすぐに寒空の向こうへ飛び去っていった。
「漆黒の経典?」
「邪なる神について書かれた古い書物さ。経典の発見時期ははっきりと定まっていないが、これが回収されたとき、その地域では紙の生産が始まっていなかった、と聞いたことがある。第一、女神教の趨勢著しいこの聖界で何故”邪神”という存在の記された本が伝わっているのか、僕はずっと疑問だったんだ」
「魔力濃度の不安定な土地ではゲートが開きやすい、か」
「そういうこと。初版はその大部分が劣化により失われていて、不思議なことに現在は女神教大神殿にあるとかないとか。だが写本ならビブリオテカにあったはずだ。何か、分かるといいんだけど。……分からなくても構わない」
「その漆黒の経典に君の予想していることが書かれていた場合、花嫁さんはどうなるの?」
「まず、君の言っていた魂が複数付随している奇妙な状態の裏付けができる。それから……そうだな、ゾラがどうしたいかによるよ。だって、彼女が幸せならそれでいいでしょ。その在り方に不都合がないのなら、僕らが干渉していいわけがない」
だから、聞いてみないことには分からないよ、と彼は言った。
「本当にそう思うか?」
透輝は、黄緑色の片方の瞳をじっと見つめた。
「……君は、僕のことを信用し過ぎだ。何故僕が計画を廃棄したと感じた。体よく君たちをだまくらかしているだけだとは思わなかったのか。『身の証も立てられぬ”人間ごっこ”を楽しむ魔王が、聖界で人助けの真似事だと? ふざけている』……普通はね、そう感じるんだよ、きっと」
彼は透輝から一歩離れた。
「僕は自分の在りようを変えられないことを誰よりもよく知っている。肉体が魂を凌駕することがないように、僕の魂に刻まれた宿命は覆されることはない。僕は魔王だ。僕がどんなに在りたいように在っても、結末は変わらない。残念なことにね。
そしてそれは、万物においても普遍なる事実だ。逃れ得ぬ”死”こそ結末。僕が恐らくは魔王として死ぬだろうことと相同じく、そこに至るまでの道程はどうあれ、死とは運命に穿たれた決して外れることのない楔に他ならない。その抗いが、さらなる苦痛を生むこともある。死とは、穏やかなものであるべきだ……」
そういうと、透輝は顔を逸した。
「けど、そうだな、僕らなんかとは違って、結末の確信が持てない人間が世界にはたくさんいるんだ。結末が定まっているからといって、道程における行動の全てが無駄であるなんて、悲しいだろう? その道すがらで感じたことや思ったことが、価値のないことであるとか、或いは何の意味もなかったとか、誰もそんなことは断定できやしない。ことに、視えない未来の先を生きるときは、どんなに暗い闇の中でも、明るい希望を見ていたいものさ」
「……それで?」
「何も起こらないことを願う。万が一、何かが起こったら、出来る限りいい方向に着地できるように努力しよう」
透輝はそれを聞いて、ふっと笑うと、こう言った。
「君は、やっぱり変わったよ」
「翡翠にもそう言われたな」
それから透輝は踵を返して、ひらひらとその手を振った。
宿の2階に戻る。同室が嫌なら娼館で一晩過ごす、と言ったらその必要はないと何故か許可が降りたので、彼はヤナギのいる部屋に入った。既に眠ってしまったのか、寝台の上で毛皮の布団をまとって丸まった物体が呼吸に合わせて僅かに動いている。
狭い部屋だ。鎧戸から僅かに光が漏れている。恐らく、風雨が入ってこないだけで気温は外と然程かわりないだろう。彼は女主人から受け取った予備の布団を体に巻き付けて、壁に背を預けて座り込んだ。背中に翼がないお陰で、どんな場所でもかなり快適に休眠をとることができるのは幸いだった。目を閉じる。
「……おかえりなさい」
少しして、くぐもった声を聞いて彼は目を開けた。寝台の上の塊はもぞもぞと動いて、顔の上半分だけを出したヤナギが彼を眠たそうに見つめている。
「ごめんね。起こしたつもりはなかったんだけど」
「いいえ、何だか落ち着かなくて。ずっとウトウトしていただけだったんです」
「そう」
彼は膝を抱いて、背を丸めた。昼間普通に仕事をしていただろうヤナギに今話しかけることは躊躇われた。このまま眠ってしまおう。そう思ったのだが、彼の思惑を外れて彼女は話しかけてきた。
「あなたは、勇者のお知り合いが多いんですね」
「透輝のこと? あれは……なんていうかな」
思考を巡らせた。彼はヤナギに秘密にしていることが多い。ゾラの件も透輝に察せられてしまって、結局彼女に伝えることはできなかった。いや、最初から伝えることは想定していない。これは良心の問題だ。些末な、良心だが。故に嘘をつくことはできなかった。
「また、つまらない話をすることになると思うけど」
「構いません」
彼はこういった話を面白おかしく語ることが苦手なのだ。彼はしばらく考えた。聖界には、勇者や女神を称えるための有名な絵本のシリーズがある。不思議なことに、似たような話が一冊あるのを彼は思い出した。そう、確かこんな話だった。
ここは天界
女神様と天使が暮らす世界
天使のお仕事は、聖界から来る魂を女神様のいる天界に案内することです
しかし、今日はいくら待っても魂がやってきません。
心配になって聖界のようすを見にいきました。
すると、なんと悪い魔王が魂を捕まえているではありませんか!
天使は慌てて勇者に助けを求めました。
勇者はすぐに魔王の元へ向かいました。
魂たちを解放しろ!
勇者がそう叫び剣を振り下ろしました。
女神様の加護を受け剣は光り輝き、見事魔王を倒すことに成功しました!
こうして魂は救われ、天使といっしょに天界へ帰っていきましたとさ
めでたし、めでたし
話し終えると、彼女は口を尖らせてこう言った。
「子供にするおとぎ話みたい」
「おとぎ話だよ」
「……どこまで本当なんですか?」
天なる白い海。全て星の還る場所。彼は確かに灯台だった。
「あのとき、勇者も魔王もいなかった。優秀な魔法使いがひとりと、自分の仕事を為すためにただ一度だけ空の下に降りた天使がひとり。それから、死を受け入れることができずに、死者の魂を永遠に繋ぎ止めようとした人間が、ひとり。
もうその時代には、人間には神の声を聞く力はほとんど残ってなかった。天使は女神の加護の一部であったし、当然天使も人間の瞳には映らなかった。だから、人界の異変を解決するのにも、自分の手足となって動いてくれる人間が必要だったのさ。白羽の矢が立ったのは、陽の当たる麦畑のような髪に黄緑色の瞳をした若い魔法使いだった。彼は天使の姿を見ることができる稀有な力をもった人間だったから」
「それから?」
「それから、天使は彼と協力して、魂を天へと還すために様々なことを試みたよ。誰も傷つけたくなかったからね。でも、結局誰もが納得した形で事態を解決することはできなかった。天使は彼を通して、魂を強制的に天へと帰還させた」
夥しい数の魂たちは、叫んでいた。在るべきところへ帰りたい。悲哀を泣き叫ぶ声を彼は今でも覚えている。彼の仕事にとって、優先しなければならないのは生者よりも死者の魂である。だが、生が生む苦痛は、他者への死の悼みを内包していた。多くを失い傷ついて気を狂わせた人間は、理不尽な世界の理を激しく憎んでいた。彼は荒む生者の魂を鎮めたかったのだ。それが叶うことは、なかった。
彼は自らの役割を果たすことを優先した。当然の帰結であると冷酷な顔をした天使を、透輝はどう思ったのだろう。
「あなたは何者なんですか?」
突然そう聞かれて、彼は瞳を大きく見開いた。ぱちぱちと数度まばたきをして、顔を伏せる。
「さぁ、どうだろう。実のところ、僕は自分のことを一体どんな風に捉えていいものなのか、分からない。何かひとつ、誰にとってもわかりやすく僕を表せる何かがあれば、とても便利なんだろうけど」
そんなものがあるのかな、と彼は小さく呟いた。実際に、自分の今の在り様が魔王とは呼べないものであるなら、これらは自分の名前で表されるものだと彼はずっと思っていた。それがどうやら違うようだと感じたのは、ヤナギに問われて即答することができなかったからだ。名前を告げることができなかったのは、恐らく、今までこの真名を告げるときというのは世界の真実を語る相手がいたからではなかったか。彼は、彼らがやろうとしていることに彼女を巻き込むつもりはなかったのだ。彼の名前は、真実へと至る秘密の鍵となりつつあった。それが、今の彼の生き方だ。
けれど、例え魂の本質を覆すことができなくても、決定づけられた死が彼にとり魔王として在ることを強いても、生きている今だけは自分が思うようにありたかった。
要は、ただしたいようにしているだけの自分は本当にただの”ウィル”なのであって、それ以上の説明をすることができない、という点について、彼は彼女へ具体的な返答をすることができずに困っているのだ。
「ヤナギにはどう見えるの?」
今度は逆に彼が尋ねてみた。繰り返し、彼が人間に対して投げかけてきた問いである。
以前は物事がどう成り立ったかを彼は複数の他人の記録を読むことで把握していた。一方向からの視点では、得られる情報が限定的であったためだ。それ故常に、彼が何か知りたいと思ったことについては多角的に、複数人の魂の記録を必要とした。その記録の真偽について疑問を持たなくてもよいことは彼にとって喜ばしいことだったが、反面、それについて彼が得た情報が正しいかどうかは彼以外には証明できなかったので、彼以外の誰にとっても価値のないものであることは彼もよく知っていた。
そうした経験があるために、彼は真実というものが誰にとり価値があり、そうでないかについて愚鈍ではいられなかった。彼自身にまつわる伝説のいくつかが虚構であったのにも関わらず、今日まで”破滅を呼ぶ黒い天使”として語られ続けているのは、その当時にそれを真実として求めたものがいたことに他ならない。物事が実際にあったか、という真実を、それを捉える人間が同じように感じたか、ということは一致しないこともある。また、真であることは常に正義であるとは限らないし、かえって災を呼ぶこともしばしばあった。
したがって彼のこの問いは、その人間が何を持って真実と為しているか、そして、多角的に捉えた第三者からの視点で浮かび上がる自分の像とは何か、という答えを密かに期待しているものでもあった。
ヤナギは困ってしまったのか、少し黙ったあとにこう言った。
「分からないから聞いたのに」
「ごめん。でも、そうだな、何者なのか分からない僕のこと、それでも信用してくれたから、旅に同行させてくれたんでしょう?」
ヤナギは顔を少し布団の中へ引っ込めたようだった。
信頼してもらえることが嬉しかったから、嘘をつきたくはなかった。自分に秘密が多いことは知っている。秘密が多いのは、嘘でごまかしたくなかったからだ。
「……息抜きがしたかったんだ」
「え?」
彼は背を伸ばして、壁に頭をつけた。
「君に同行した理由。カイの治療をしてくれたお礼がてら目的地までの護衛を、なんて言ったけどさ。それはもちろん嘘じゃない。けど、最近は、気を張ることが多かったから。目も視えないし、カイはあんなだし、たぶん大変だったんだ。おかげで、それがたとえ”人間ごっこ”でも僕にとってはずいぶん穏やかな日々になった」
ありがとう、と言って、彼は彼女からはこの暗闇の中では見えないだろうことを承知で笑った。
返事は返ってこなかった。眠ってしまっただろうか。
明日の朝起きたら、ヤナギに声を掛けて一緒に邸まで行こう、と言ってみよう。透輝の前ではああ言ったが、彼女もゾラのことを気にかけていないわけがない。彼女は彼よりも村の人々と長く共に過ごしていたのだから。
彼は独り言のように呟く。
「ゾラが、ちゃんと幸せだといいな」
どれほどの時間が経っただろう。部屋の中は闇の色一層濃く、どうやら夜明け前のようである。浅い眠りを繰り返すうちに、彼は微睡みの中で声を聞いた。誰かが、助けを求める声だ。それも、何十人といる。声は明瞭な言葉にはならなかった。苦しげに、悲しげに、彼へ訴えかけてくる。
悪夢でも見たかと彼は意識的に覚醒した。しかし、懇願ともとれそうな叫びはひどく鮮明な実感を伴って彼の胸へと刺さった。胸騒ぎがする。
静かに立ち上がる。鎧戸の方へ。木製の窓の隙間をなぞった。冷たい外気が微かに流れ込んでくる。その外気の中に、何かが焦げるような匂いを感じ取った。彼は最初、気の所為かと思った。ヤナギが起きてしまうかもしれない。だが、彼は何かに突き動かされるように鎧戸をゆっくりと開けた。そのまま、するりと屋根の上へ飛び出す。
闇が街を包んでいる。見上げれば星ばかりがこの夜の中、その輪郭をはっきりと保っている。ふと、遠くの方で明るい光源を見つけた。東の方角だ。朝日が昇るような時間帯ではない。目を凝らす。
――火だ。
彼は突如弾かれたように駆け出した。飛ぶように屋根から屋根へ移動しながら、その場所へと近づいていく。そうじゃないといい、という希望は、近づくほどに潰えていった。しばらく走れば、燃えているのは間違いなく領主邸であることが嫌でも分かった。
どこかで異常事態を知らせる鐘が鳴り響く。声が聞こえる。言葉にならない、悲痛な懇願だ。叫び声だ。
邸を取り囲む濠と柵を飛び越え前庭を抜ければ、もうもうと煙を上げながら燃え盛る邸へと辿り着いた。この夜の内で、太陽よりも激しく炎上し、火の粉を撒き散らしている。熱風と光にさらされて、彼は一瞬忘我の態で立ち尽くした。頭蓋の中で首長の言葉が反響する。
――我々がどんな結末を迎えても、気に病まれないでくれ。
誰の、どんな結末だというのだ。彼は唇を噛んだ。誰かの死が決定づけられているのであれば、これはもう覆せない。結末は変えられない。だが、その死が確定される地点はどこにあるというのだ。何故もう間に合わないと、諦めなければならない?
彼は燃え盛る炎を睨み、その中へと飛び込んでいった。
4話(http://privatter.net/p/3175382)