@acbh_dmc4
咄嗟に手を取り、連れ去ってしまった…
彼の腕を握り、暫し固まってしまう。
風が止み、ゆっくりと目を開けた若者が、周りの風景を見て、涙に濡れた大きな目を見開き絶句している。
遠い昔、嘗て己が見知らぬ男に連れ去られた時のことを思い出す。
今までの何不自由ない、幸せな日常を突如として壊され、アサシンとして茨の道に突き進む事になって間もない頃だ。
全てが一変し、それまで信じてきた人々や、貴族としてのプライドは何もかもが崩れ去り、残ったのは不当に科せられた汚名と恥辱。
様々な想いが複雑に絡まり、己の傷を穿ち、何が正しいのか分からなくなっていた時、父に似た男が目の前に現れた。
故郷フィレンツェでの仇討ちの余韻と、伯父マリオから受けた叱責に心を苛つかせ、夜風に当たりたくて外に出た。
誰にも会いたくなく、さりとて部屋にも篭りたくなくて、俺は一人屋敷から抜け出したのだ。
満天の星空でも仰げば、この淀んだ心を多少なりとも癒してくれるのではと見上げる。
しかし空は、俺の沈んだ心のように、どんよりとした厚い雲に覆われくすんでいた。
何もかもが思う通りにいかないと、溜息をつく。
ふと、視界の端に人影を見た。
最初からそこに居たのか、瞬きをした隙に現れたようにも見えたが、屋敷からモンテリジョーニを見渡せる垣の近くに人影があった。
雲に隠されていた月が顔を覗かせ、一筋の光がその男を照らした。
月下のその後姿は、亡くした筈の父の姿そのもので、俺は吸い寄せられるようにその男の下へと近寄った。
思わず震える手を伸ばす。
周りの一切の音が止み、己の心音が大きく響く。
己自身で荼毘に付し、父の死を見届けた筈なのに、そんなことは一切頭から無くし、男に父と呼びかけた。
俺の呼びかけに振り向いた男は、やはり父に似ていた。
だがその男は勿論父ではなく、寧ろその顔はとても俺に似ていた。
そして男は俺を驚いたように見詰め返した。
父ではなかった…今までせき止めていたものが、濁流と成ってあふれ出した。
止めようもない熱は、目頭を熱くさせ、思わず涙が頬を伝った。
男がそんな俺を見て動揺するのが分かった。
勝手に男を父と呼び、間違ってしまった事にショックを受けて涙を流した…急に恥ずかしくなり、俺は咄嗟に逃げようとした。
――――
目の前に居る、その嘗ての年若い己を見詰める。
先程まで居た筈のモンテリジョーニのヴィラから、見知らぬ遺跡に囲まれ面食らっている。
きょろきょろと辺りを見渡してから、不安そうな顔で俺を再度見る。
俺はこれからこの青年が、暫くモンテリジョーニへは帰れない事を知っている。
これから決して短くは無い時を、互いに過ごす事になるのだ。
どうしたものかと頭を抱えたくなる。
「あ、あの…ここは……」
青年が俺に恐々と尋ねてくる。
本当にどうしたものかと、真っ白になる頭の中を何とか整理しようと足掻く。
そもそも本当のことを言ったところで、この青年がそれを信じるまでには膨大な時を要す。
今俺が、ここは青年が居た1478年からさらに20年以上もの時が経っており、さらにはローマへと来てしまっているといった所で、それを信じるのにどれだけ掛かった事か。
目の前に居るのが未来の自分だという事も、今の今まで己がこの青年を連れ去るまで半信半疑であったのだ。
到底信じられることではない。
「…一先ず、今日はもう遅い。俺の泊まっている宿があるから…一緒に来るんだ」
「い、いや…そもそもここは何なんだよ?アンタは?なんか俺に似てる気がするけど…」
「それは、これから話してやる。周りを見ただろう。ここはモンテリジョーニのヴィラ・アウディトーレではない。
治安も良い場所とは言い難いから…ついて来い」
頑として動かない青年の腕を、再度掴んで引き摺る様に宿へと歩く。
青年は道中も、周りを忙しなく見回して、本当にここがモンテリジョーニではない事を確認している。
最初は引かれる手に、僅かに反発していたが、まるで知らない土地だと分かると、青年の抵抗はなくなった。
「なぁ、なんで急に、こんな所に俺を連れ去ったんだ?アンタは…魔術を使うのか?」
「知らん。俺こそ、急にモンテリジョーニに飛ばされ、目の前で泣かれたから思わず手を伸ばしたんだ。まさかそのままローマに戻るなどと…俺も予想外だ」
「お、俺…帰らなきゃ…やらなければいけない事が…」
青年がうろたえて俺の腕を引く。
彼の心細さを思い、一度彼に向き直る。
「…分かっている。他に討たなければならない者達が居るのだろう?だが、その者達は必ずお前の刃の前に倒れる。心配するな。詳しいことは…明日の朝話そう。一先ず体を休めるんだ」
青年の背を撫で、落ち着くように言い聞かせる。
青年同様、俺自身も途方に暮れそうだが、昔と違い道を示してくれる者は居ない。
ただ、わかっているのは、あの人がこの青年を元の世界へと戻してくれる。それだけだ。
宿へと着くと、そっと部屋へ戻り、青年に自分のシャツを渡した。
部屋のベッドを青年に譲り、自分は近くにあったカウチへと寝そべる。
青年は慌てて自分がカウチで眠ると断ってきたが、俺は苦笑して再度ベッドを勧めた。
申し訳なさそうにあどけない顔を傾けて礼を言う。
微笑み返し、互いにお休みを言うと、眠りに着いた。
***
翌朝、身支度を整えてから宿の主に部屋を変えてもらえるように話し、二人分の食事の用意をお願いした。
部屋へと戻ると、寝ぼけた青年が呆としてベッドに腰掛けていた。
青年の衣服を纏めて渡す。
青年は俺を見上げると、一瞬驚いたように目を瞠り、次いで僅かに眉を顰めてから衣服を受け取り、礼を言った。
夢だと思っていたのに、その夢の中の男が現実に目の前に居たので、また途方に暮れ始めているのだろう。
流石にマキャベリの元に青年を連れて行くわけにも行かないから、一日休んで彼の疑問に付き合うしかないだろう。
青年が着替え終わるのを待ち、己も荷物を纏める。
互いに支度が整ってから、青年を促し外に出た。
部屋を移ると言うと、てっきり帰してもらえると思っていた青年が、きょとんとした顔になる。
指定の二人部屋へと移り、荷物を脇に置く。
新しい部屋のテーブルには頼んでおいた食事が出ていた。
青年を勧めて朝食に着く。
青年は居心地が悪そうにしながらも、出された朝食に手をつけた。
「それで、俺を帰してくれるんだろ?」
食事が済むと、青年が心細そうに俺に問いかけた。
不安そうな彼は、縋るような目で俺に助けを求める。
「俺にはどうする事もできない。昨夜も言ったが、お前をここに連れてきてしまったのは、俺自身も想定外のことだった」
「どういうことだ?」
「俺は、お前の帰し方を知らない」
俺が聞きたいくらいだと思い、青年に正直に伝える。
現状打つ手なしの状態で、とはいえ放っておいていつの間にやら勝手に帰れるという保障もない。
そもそもが、行きは偶発的だったが、帰りはあの男によって強制的に送り返されたのだ。
しかも最悪な状況で。
あの時のことを思い出して鬱々とした気分で溜息をつく。
あの男の事を思うと苦く切ない思いと、苛立ちが募る。
そして、この青年がこの世界に現れたということは、未来のあの男も、この地にやって来る筈だ。
「お前を元の時代に帰せる宛てはあるにはある。だが、それはまだこの時代に現れていない」
「時代…?あの、ここはローマなんだよな?馬をくれれば、俺一人でも帰れる」
「この時代に、お前の知るモンテリジョーニは存在しない。それに、今頃はテンプル騎士団に占領されている頃だろう」
「テンプル騎士団に?!それでは!母上とクラウディアは!叔父上は!?」
青年が勢い良く立ち上がる。
次いで、青年は俺を睨み付けてアサシンブレードの刃を出した。
「まさか、モンテリジョーニを襲う為に、俺を惑わし連れ出したのか?!」
きつく睨み、歯を剥いて左腕のアサシンブレードを突き出し構える。
怒りに燃える琥珀の目が、俺を屠ろうと煌いた。
俺は話す順番を間違えてしまったと溜息をつき、だがどう伝えたものかと頭を抱えた。
「そうではない。なんと言うのか、時代が…違うのだ。今は1501年…お前にとっては、未来になる」
「何を言っている?!はぐらかすな!」
「信じられんだろう。その気持ちは分かる。俺自身、昔、あの男に連れて来られた際に、同じ事を言われたが信じていなかった。…お前を攫ってきてしまうまで、半信半疑であった…」
青年の目が鋭く細められる。
俺を敵と認識し、今にも俺を襲わんとする構えだ。
ここで暴れられては敵わない。
マキャベリの旧知の主の宿とはいえ、問題を起こせば居辛くなる。
「分かった。では一度モンテリジョーニを見れば満足するか?」
「……それと家族の無事を確認しなければ容赦しない!」
「…家族、か…母上とクラウディアはフィレンツェへ逃れている。俺はこのローマから離れることは出来ない…」
青年をチラリと見やる。
この青年を一人で勝手に歩かせるのは、出来れば避けたい。
だが俺自身の考えも纏まらず、そもそも起こってしまったこの事態を、直ぐにこの青年が理解することはない。
その目で確かめ、今尋常ではない事が起こっていると、身をもって理解してもらうしかない。
「馬をやる。その目でモンテリジョーニを確かめると良い。そして、理解したならここへ戻ってくるんだ」
「家族はフィレンツェへ逃れていると言ったよな?家族に会ってから考える」
「好きにすると良い。だが、顔は隠して行け。敵が五万と居るのだ。お前の顔は知られているし、面倒な事になる」
椅子から立ち上がり、脇に置いた荷物を漁る。
その中から適当な布を手に取り、青年の下へと戻る。
白い簡素な布を彼に渡し、幾許かの金を渡す。
外に出て厩で馬を借り、青年を見送った。
あの青年はモンテリジョーニの惨状を見たら、フィレンツェへと行かず、必ずここに戻ってくる。
そして俺にテンプル騎士団を掃討する手助けを申し出てくるだろう。
嘗ての己はそうしたのだ。
遠ざかっていくまだ幼さの残る青年の後姿を眺める。
そして目を閉じれば、瞼の裏にあの人の寂しそうな姿が浮かんだ。
次の話