@acbh_dmc4
目の前の惨憺たる状態に眩暈を覚えた。
これは、あんまりだ……想像していたよりも酷い惨状に立ち竦む。
目の前の愛しい妻は、両腕を拘束され全身の肌を赤黒い打撲痕で斑にし、そして孕んだように膨れる腹を抱えうつ伏せになっていた。
後ろからは男の残滓を溢れさせ、そして脅えながらすすり泣き許しを乞う。
私は彼の両手を拘束する黒い枷を取り、彼の身体を仰向けにした。
彼の美しい顔には、以前より蓄えていた髭がなくなっていた。
顔にだけは手を上げなかったのか、彼の体に比べ、傷も痣もなかった。
彼を、護れなかった…こんなに傷付けてしまった…私は悔しさに拳を握った。
エツィオは両腕が自由になったと気付くと、自身の頭を覆い、さらに脅えながら静止の声を上げる。
私はそっとエツィオを起こし、宥めるように彼を抱きしめ声をかけた。
「エツィオ、エツィオ落ち着きなさい。私は何もしない。もう、何もしないから」
「やっやめてっ…お、ねがっ!…嫌だ…っ」
「エツィオ、私の血を飲みなさい。ほら、良い子だから、飲んでくれ」
「……っ……」
私の首筋に彼の唇を近付ける。
彼はそれを嫌々をするように拒否をし、なかなか言う事を聞いてくれない。
きっと彼は今、恐慌状態で何も理解する事ができていない。
彼の心を支配する恐怖で周りが何も見えていないのだ。
仕方なく彼が落ち着くまで、私の言葉を理解できるようになるまで彼を抱きしめ、ひたすら背を撫でた。
暫くすると嗚咽が徐々に落ち着いてくる。
抱きしめるだけで何もしなくなった私に、ようやく疑問を覚えたらしいエツィオが不思議そうに私を見上げた。
「エツィオ、少し落ち着いたか?私だ。もうお前を虐げる者は居ない」
「……?」
「私の血を飲みなさい。そうすれば、お前も信じられるだろう。迎えに来たんだ。時間が掛かってしまい、すまなかった」
もう一度彼の口元に首筋をさらす。
エツィオは恐々といった態で私の血を飲むと、途端にまた激しく泣き始め、今度は私を拒否するように腕の中で一生懸命逃れようと腕を突っぱねた。
「エツィオ、落ち着きなさい。私だ。何故逃れようとする?」
「い、や……嫌だぁ…!嫌ぁっ!」
「……嫌ならば触れない。だが、身体を清めねば。お前をそのままの状態で居させたくない」
彼の身体を清める為に清潔な布と、彼の身体を清める為の湯を用意しなければと思い、彼の身体に私のマントをかけ、その場から離れようとした。
しかし、服の裾を掴まれ止められる。
エツィオを見やると、絶望したような顔をしたエツィオが、必死に私に縋り付いて来た。
「嫌だ!嫌わないで!行かないで!俺を置いてかないで!お願いです!何でも言う事を聞きますから!俺をっきらいにならないで…」
「エツィオ、私はただお前の手当てをしようと、その道具を取りに行くだけだよ」
「嫌だ!行かないで!嫌わないで!お願いっ」
私を静止する手を離させ、エツィオを残してその場から離れる事は出来なかった。
どうしたものかと彼を宥めるように抱きしめ思案する。
私達の居た世界であれば、声を上げれば使用人はいくらでも居た。
だがこの世界では女性が1人、殺されずに残っているだけだ。
しかしもしかしたら近くに居れば、彼の手当てをする道具を貰えるかもしれない。
扉に向かい声を上げる。
大して期待していたわけではないが、念のためだ。
運がよければ身の回りの世話を行うその女性が現れてくれるかもしれない。
しかし意外な事に直ぐに返事があった。
控えめに扉を開き、女性が部屋に入ってくる。
「すまないが、湯とタオルを何枚か持ってきてくれるか?可能であれば風呂の準備もして欲しい」
「承知しました」
表情のない女性がそっけなく了承すると、静かに部屋から出て行った。
待っている間にエツィオに向き直り、彼の身体を抱きしめる腕に力を込める。
頭を撫でもう大丈夫だからと声をかけて彼を宥める。
私が来る前にされた仕打ちの消耗も激しく、更に安心して泣き疲れもあるのだろう、彼は私の腕の中で眠りに付いた。
そして暫く、女性が湯を張った瓶と数枚の清潔なタオルを持ってやって来た。
それを受け取ると、女性は不思議そうに私を見上げる。
「…?どうしたのだ?」
「あの、終わったのでしょう?でしたら私が彼の身体を清めますが…」
「………いいや、私がやる。その、風呂の準備を急いで欲しい」
女性が驚いたような顔になり、次いで私のオーダーに頷くと足早に部屋を出た。
ここの私はエツィオに無体を強いたら、その後始末を毎度あの女性にやらせていたのか…
改めてここのヴァンピーロに怒りと憎しみで腹が煮えくり返る思いだ。
やりきれない。
そして、彼の体を拭き清めながら、彼の膨れた腹を見下ろす。
この子は、彼自身の同意がなければ孕まないはずだ。
私がそう彼の膣に呪いをかけた。
なのに彼の腹は臨月の妊婦の如く膨み、時折腹の中からボコリと内壁を蹴られたように変形する。
彼の腹に手を当て、呪いの効力を確かめる。
呪いの魔力は消えそうなほど弱くはなっているが、まだ消えては居ない。
では、この腹の状態は…
私はエツィオに目覚めぬよう術をかけてから彼の腹を割いた。
彼の胎の中のものを確かめる。
中でビクビクと動く塊を掴み、胎から引き抜く。
それは新生児ほどの大きさをした血の塊だった。
人の姿ではなく、どちらかというと心の臓のような形をし、飛び出した触角のような突起から時折ドロドロとした赤黒い液体を放った。
その勢いはとても強く、外から見れば時折腹を蹴る胎児のようにも見える。
しかしそれだけではない。
この心の臓のようなものから放たれる液体は、触れたものを腐らせ一瞬にして朽ちらせた。
これから放たれる液体は穢れだ。握っている自身の手も徐々に痺れて来る程に強い毒。
私は怒りでこれを握りつぶした。
エツィオの腹にかけた呪いは強力なものだ。きっとここの私は彼の胎を腐り落とし、呪いの掛かっていない新しい膣を入れるつもりだったのだ。
彼の胎は傷付き、穢れを断続的に吐かれて回復は時間を要すだろう。
酷い痛みも、彼の下肢に痛みを感じさせない呪いをかけて気を逸らしていたに違いない。
怒りに震え、無残な姿のエツィオを見下ろし立ち尽くす。
背後から短い悲鳴が聞こえ、そちらに首を僅かに振り返ると風呂の準備を頼んだ女性がエツィオを恐々と見詰めていた。
「殺したのですか!」
「いいや………逆だ。これから治療をする…ああそうだ、聖水などは…この屋敷にあったりしないかな」
「…ございません」
「そうか」
ふぅと怒りを鎮め、気を落ち着かせる為に息を大きく吐く。
ひとまずこの中を洗浄するのに必要なものはなさそうだ。
切り裂かれた彼の胎の上で、影を鋭利に変化させて己の腕を切り裂く。
彼の胎に私の血を流せば、私の血が彼の体内に混ざり、彼の傷を見る見る治していった。
エツィオの身体は血濡れではあるが、斑に点在していた痣も含め、傍目にはすっかり回復した。
穢ればかりはまだ彼の身体を蝕んでいるが、これで安静にしていれば徐々に回復するだろう。
「ここら辺にヴァンピーロカッチャトーレは居ないかな。聖水を買いたいのだ」
「……この周囲には街はございません…それに、あっても私には…」
「…そうか…では一番近い街は何処かな」
「?……南にずっといった所の食料品をいただいている街が近いですが」
「…分かった。明日向かうとしよう」
体液に汚れたエツィオを抱え上げ、彼の身を清める為に風呂場へと向かった。
翌日は眠るエツィオに目覚めぬよう術を施し、女性の話す町へと向かった。
その町はそれほど大きくはなく、そして度重なるヴァンピーロの襲撃からか寂れていた。
私が町の外れに姿を現すと民衆は震え上がった。
しかし逃げるでもなく、恐々と用聞きのものだろう、一人の脅えた男が私の用を聞きにやってきた。
「聖水を買いたいのだが、作っているだろうか」
「…せ、聖水?ですか?いいえ、そんなものを作っているものはおりません」
「…そうか、ならば医者はいるかな?」
「い、いえ…その…」
「取り立てるわけではない。少し話をしたいだけだ」
暫くするとやはり恐怖のためか顔を白くした一人の男が用聞きに連れられてやって来た。
その男は血の気こそ引いていたが、決意に溢れ、しっかりとした態度で私に対応した。
私はその男に今後、血の提供をしてもらうのに必要な用件を伝えた。
なるべく人を傷つけず、そして命を奪わない方法だ。
医師は一通り話を聞くと、自分だけでは協力出来る範囲が限られるからと、この町の有力者への交渉を進言してきた。
医師が先に話を付けると言う事で、この日は帰ることとした。
屋敷へ帰り、エツィオの様子を見に彼の眠る部屋へと入る。
彼にかけた術を解くと、彼は直ぐに目を覚ました。
私を見上げると、彼は一瞬息を呑んだが、私が微笑むと彼はまた涙を流し、私にすがり付いて来た。
嗚咽を零す彼の背を優しく撫でる。
彼はひたすら私に謝罪をすると、私に嫌いにならないでと必死に訴えて来た。
嫌いになる筈などないと彼を強く抱きしめて根気良く彼に伝える。
それでも不安が抜けないエツィオはずっと私に抱きついて離れようとしなかった。
彼の気の済むまでそうしていると、世話役の女性が食事を持って部屋へと入って来た。
「エツィオ、お腹が減ったろう?ちゃんと食べなさい。お前の身体は、ただでさえ傷付いてしまっている。
力を付けねば治るものも治らない。お前が辛いのは私も嫌だよ」
「……食欲がないのです」
「それでも、少しでも食べなさい。良い子だから」
私が彼の口までスプーンを運ぶと、素直にそれを口に含んだ。
彼を胸に抱きながら彼に食事を与えるのは、どこか楽しく、そして愛しさが一層増していくようだ。
何処までも甘やかして傷付いた彼を癒してやりたい。
もういいと言うまで彼にそうして食事を与え終えると、彼は私の腕の中でまどろみはじめた。
無理をするなと彼の耳元で囁き、重ねるだけの口付けを落とす。
彼はうっとりと私の唇を受けると、すぅすぅと愛らしい寝息を立てて私の腕の中で眠りに落ちた。
彼をそっとベッドへと横たえる。
彼の手がしっかりと私のシャツを掴んで離さないのを見て、思わず笑みが漏れる。
ああ、愛しい。愛しくて愛しくて苦しくなる。
そうしていつものように彼の寝顔を見詰める。
夜にいつもそうしていたように、彼の顔中に口付けを落とす。
私よりいくらか高い彼の体温を感じて、このまま私も眠れそうだな、と片笑む。
どれくらいそうしていたのか、外がうす暗くなって来た頃、部屋の戸が叩かれた。
私はエツィオの手をそっとはずすと、彼を起こさぬように扉を開け、世話役の女性に応対した。
「お客様がお見えになっております。町の医師と町の長です」
「何?返事は後日になると思ったが…そうか、広間に通してくれ」
きっと返事を急がねば私に何をされるか分からないと思っての事なのだろう。
色々と誤解を解かねば。
エツィオの寝顔に今一度唇を落とし、そっと部屋を出た。
私は正直に医師と町長に私の正体を明かし、そしていずれこの屋敷の暴君が戻る事を伝えた。
この世界から私と妻が去るときには彼らにそれを伝え、警戒するように忠告する。
しかし、向こうの世界でここの暴君は私の同胞から治世や心を学んで、蛮行を止めさせるよう教育をしている。
その教育が完了したときにまた入れ替わりをすると話し、そして私たちがここに居る間は彼らの町を他のヴァンピーロから護る約束を交わした。
しかし私の護りだけでは足りないところもある。ヴァンピーロに対抗する自警団の編成等も協力を約束する。
報酬は今までのように食料品と血の提供。
おそらく、私たちはこの世界に数年は居ないといけないだろう。
数年とはいえ急繕いではあるが、出来る限りの協力はする。
今まで虐げてきていた町の者達は私を信用しないだろうが、それでも私は全力で護ろうと心に決めていた。
日も暮れ、外は深い闇に覆われていた。
それでも、まだ信用の出来ない私の屋敷に泊まるのは恐ろしいのだろう。
町へと彼らを無事に送り、屋敷へと戻った。
すると玄関口に大層取り乱したエツィオと世話役が抱き合い、蹲っていた。
私は急いでエツィオへと駆け寄ると、彼は泣きながら私に縋りつき、ひたすら震える腕でしがみ付いてきた。
「ど、どこにもっ行かないでっ…置いていかないでください!」
「ああ、ああ済まない。済まなかった。怖い思いをさせたな。もうどこにも行かないから」
「俺から離れないで…貴方が居なければ、俺は…生きていけない!」
「そうだな。わかった。済まなかった」
必死に宥めて彼を抱える。
世話役の女性にもう大丈夫だからと言い、エツィオを抱き上げた。
大広間へと彼を運び、ソファへと落ち着くと彼をしっかりと抱きしめてキスをした。
「エツィオ、済まなかった。もうお前を置いて何処へも行ったりしないから。ちゃんと出かけるときはお前も連れて行く。約束する」
「本当ですよ?絶対、絶対一緒に行きます。置いていかないで下さい」
「ああ。わかった。ずっと一緒だ」
「……ごめんなさい、我儘ばかり…」
「いいや、もっと我儘を言ってもいいんだ。お前は我慢しすぎる…そうだ、お前に見せたいものがあったのだ」
また泣いてしまうかな、とも思ったが、きっとこれを見せれば彼は喜んでくれるだろう。
私は元の世界に置いて来た私達の息子のメッセージを彼に見せる事にした。
いつでも彼が見れるように、お守りとして持ち歩けるように、赤い石がはめ込まれたネックレスを彼に渡す。
軽く握ってごらんと促し、彼がそのネックレスを握ると、赤い石から私達の息子のエツィオがぼんやりとした光から飛び出した。
『マンマ!今どこにいるの?エツィオと会えなくて泣いてない?おれはね、さびしいけどマンマが帰ってくるまでお家をまもるってパパと約束したからがんばるね!でも早く帰ってきてね。マンマとパパが居ないと悲しくなっちゃうから…』
可愛らしい仕草で元気よく話す息子を見て、エツィオはやはり涙を流した。
「エツィオ、ここの治世が安定したら息子を此方に呼ぼうと思う」
「……ですが、此処にはあの子の友達も、アネッタも居ないです。あの子には…危険です。それに万が一この世界ではなく、他の世界にでも飛ばされてしまったらどうするのです」
「しかし暫く向こうに帰れないぞ?」
エツィオは辛そうな顔をしたが、やはり首を振って否定した。
「あの子の無事が第一です。エツィオは今はマキャベリ様のところに居るのでしょう?」
「ああ安全に匿ってもらっている」
私に抱きつく腕に力が入った。
甘えるように私の胸に顔を埋める。
対面で抱き合い、彼をあやすように背中を撫でてやった。
「あの者達もこうして愛し合う喜びを、早く知ればいいのにな……」
「……あ、あの…俺の血を…飲みましたか?」
「いいや。お前が目覚めて落ち着いてからと思っていた」
エツィオが辛そうに顔を俯かせる。
酷く脅える彼に、無理強いなどできるはずがない。
「無理にとは言わない。お前に任せるよ」
「貴方は、俺に甘すぎます」
「愛しているから、甘くなってしまうのだろう。お前も、十分私に甘いと思うしな」
甘い雰囲気が漂い、互いに無言で見つめあう。
エツィオから私の首の後ろに腕を回し、情熱的に口付けてくれる。
熱い抱擁をし、貪るように互いの舌を絡ませあう。
しかし身体に熱が点る前に、エツィオの唇を離した。
「これ以上はいけない」
「何故?」
「私の我慢が出来なくなる」
「構いません。俺は、今すぐ貴方が欲しい」
エツィオが切なそうに身を寄せる。
甘えて私の顎先の毛を食むようにして口付け、もっとと唇を強請った。
暫く離れていて、こんなに彼に触れなかったのは初めてだった。
私もずっと彼が欲しかった…彼の甘い誘惑に唆されて、思うさま彼を貪りたい。
「…今は止そう。お前の身体は今満身創痍だ。それに、これから治療もある」
「治療?終わったのでは…」
「私の血をお前に注いだから外傷は消えたが、内部の傷は深い。中を洗浄してやらんと再生が始まらない。私はお前が孕まぬよう、まじないをかけていたから…あの男がお前の胎に毒を入れてそのまじないを消そうとしたのだろう」
「……俺は、孕んでいたのではなかったのですね」
エツィオがホッとしたような顔になる。
より一層私の身体に強く抱きつくと、良かったと呟いた。
しかし、これからまた辛くなるのは彼なのだ。
痛みを感じないよう呪いはかけたままにしておくが、彼の身体は確実に消耗する。
「どの位お預けなのですか」
「そうだな、どの位になるか…数ヶ月…いや、半年とか…かな」
「そんなに?!で、でも触れ合いは出来るのでしょう?その、貴方のは俺の口でしますから…」
「うーん、それは嬉しいが…その、多分お前の種も暫くは出ないと思う。中で感じることも出来ないから、お前が辛いだけだ。そんなのは愛し合うとは言わない。身体が全快するまでは止そう」
「でも、俺は貴方と肌を合わせたい…貴方のに触れるのは良いでしょう?」
上目遣いでお願いだと最後に付け加えるのはとても卑怯だと思う。
これでは断れない。
鋼の理性で彼に触れるのを我慢するしかない。
苦笑して仕方がないなと呟けば、ほのかに微笑んで良かったと言う。
ずっと求めていたのだ。本当は私とて今すぐお前を愛したい。
****
翌日よりエツィオを連れて医師や町の長に会いに出かける。
エツィオにはまた目覚めぬよう術をかけようと思っていたが、術をかける前に目覚めてしまった。
身体への負担を考えると連れて行くのを渋ると、エツィオはまた目に涙を浮かべて俯き、私のマントを握り締める。
この世界がきっと恐ろしいのだろう、そんな彼を此処へ置いて出て行くなど私には出来ない。
わかった連れて行くと彼に約束し、しかし身体が辛ければ正直に話すことを約束させ、エツィオを抱えて町へと飛ぶ。
彼はまさかずっと抱えられるとは思っていなかったようで、盛んに自分で歩くと腕の中で騒いだ。
「言ったはずだぞ。あまり動き回るのは良くない。本当はベッドで寝ていて欲しいのだ。今は痛覚がないから分かっていないのだろうが、本来こうして起き上がっているのも辛い状態なのだぞ」
「……ごめんなさい。で、では…その、やはり帰って寝て…」
「アウディトーレ殿、ご足労頂き有難うございます」
「ユリウス。すまない。今日は妻も一緒なのだが、休めるところをお借りしても良いだろうか」
「ええ、それでしたら私の家の客間に」
「エツィオ。少々そこで大人しくできるか?」
「はい。申し訳ありません…」
「付いていられなくて済まないな」
「いいえ!俺のほうこそ我儘ばかり…」
苦笑し、頭に口付けてエツィオをユリウスの家へと運ぶ。
今日は町中に結界を張る。
それをユリウスへ説明しながら、また道中自警団の開設について話し合う予定だ。
離れる際に医師を付けようかと聞くと、エツィオは他の者の付き添いを怖がった。
元々彼を隷属させた為に離れていても意思の疎通は出来るので、何かあれば私を呼ぶように彼に言い、早速仕事に取り掛かった。
妻の尋常じゃない外への脅えようを見たユリウスは、彼の置かれた状況を私に尋ね、妻がここのヴァンピーロに酷く虐げられてしまった事を伝えた。
「……それは…お気の毒に。ですが殺されなかっただけ良かったですな」
「…そうだな。出来れば私がそのヴァンピーロを殺してやりたい…だが、それは叶わぬだろう。きっと奴が死すれば私は向こうに戻る事も叶わん」
「正直私どもとしては、帰らないで頂きたいものだが」
「私も、向こうでの立場があるものでね」
「そこでは私とも一緒に仕事をしているのですか?」
「ええ、貴方は威厳ある教皇として民から敬愛されている。私も、柔軟な貴方の思考には敬意を持っている」
そう伝えればユリウスは驚き、そして嬉しそうな顔をして教皇とは!と明るい顔をして見せた。
二人で町中を歩き、私が陣を敷く。
そして今後の取引を話し、そのうちに医師が加わって有意義な時間となった。
「もう昼だが、貴方も私の家で昼食をどうかね?」
「いいえ、今日はもう戻ろうと思う。妻の身体が心配だ。ここの陣はあらかた張ってあるから、ヴァンピーロの襲撃は大丈夫だろう。ここへヴァンピーロやグールの類が近寄れば、私の知るところとなるし。そうなったら直ぐ駆けつけよう」
「もう今日は戻られないのでしょうか?もう少しお話をしたいこともあるのですが」
「すまない。早く妻の身体を癒してやりたいのだ」
申し訳ないと思ったが、再度断る。
するとユリウスは少しだけ思案した後、私を見上げて提案をした。
「では、我々が貴殿の屋敷へと赴けば良い」
昨夜は
「…でしたら迎えに来ましょう。街は大丈夫だが、私の屋敷までの道は安全とは言いがたい。夜などは特に。緊急時以外はあまり私の屋敷には昨日のように少人数で来ないようお願いしたい。そのうち時間が空いたら道の安全を確保しよう」
ユリウスの家へと付き、エツィオを迎えにいくと彼は良く眠っていた。
起こさぬようにエツィオを抱え屋敷へと帰る。
私達の寝室にと決めた、かつてのエツィオの部屋のベッドに彼をゆっくりと横たえる。
あまり安らかとはいえない彼の寝顔を見下ろし胸を痛める。
本来であれば、この時間は庭に出て彼の育てる薔薇を息子と一緒に手入れしている。
その姿は美しく、そして穏やかで楽しそうなものだ。そんな彼の姿が今は見れない。
そっと彼の額に口付け、そして部屋を出ようとすると、マントを僅かに引っ張られた。
「……起こしたか」
「…どこに行かれるのですか?」
「…済まない。ユリウスを迎えに行って来る。直ぐに戻るから…体調がよければ広間に来なさい。昼はそこで
話し合いをしているから」
「いいえ、俺に構わず町へお戻りください。俺は、貴方の邪魔をしたくない」
「エツィオ…いや、お前の身体の回復を見ないことには出られない。何より、今はお前を優先したいのだ。
だが、早々にお前の頼みを反故にしてしまって済まない」
「いいえ。謝らないでください。俺も貴方を手伝えれば良いのに…俺の体調が戻ったら、俺を完全なヴァンピーロにしてください。そうすれば、きっと貴方を手伝える」
「エツィオ……お前は十分私の助けになってる。お前が居るから私はこうして人々を守れるのだ」
「でも、もう貴方の足を引っ張りたくない。それにこの世界の俺は完全なヴァンピーロになっていた。吸血だって嫌がっていない。俺も彼のように自由に生きたい」
「わかった。ならば、お前をヴァンピーロにしよう」
彼を抱きしめる。
どれほどの苦しみが彼の心を変えたのか。
このような決断をさせてしまった己の不甲斐なさに腹が立つ。
だが彼が私と同じ完全なヴァンピーロとなってくれるのは、心から嬉しい事だった。
昼間外に出ている間彼と共にあれない時間を夜に解消できる。
毎夜眠りに落ちる彼の顔を眺めながら、何度揺さぶり起こし、私の心のまま彼を求めたいと思ったか知れない。
「ああ、今すぐにお前が欲しい…」
「でも、抱いてくれないのでしょう?」
「ああ、今は…早く身体を治そう。触れたい…エツィオ…愛している」
いけないと思いつつも、彼の唇を熱く貪り彼を掻き抱く。
お互いに収まりが付かなくなる前に止めようにも、この胸を愛しさの嵐が駆け抜け、止まる事ができない。
お互いに荒い息を吐き、見詰めあいながら密かな笑い声を零す。
何度も何度も彼に愛を囁き、飽きずに唇を送った。
「奥方の体調は大丈夫ですかな?」
「ああ、まあ良くはないが、大丈夫だ」
「そうでしたか…もしや奥様の身に何かあったのかと、二人で貴方のお屋敷に向かおうかと相談していたのです」
「………すまない。まぁ、ちょっと…。今は妻は安静にして眠っているから、日暮れ前までなら私はここにとどまれる。貴殿等にご足労いただくよりはここで話しても?」
「そうですか!では自警団のメンバーの候補に会って頂きたい」
揃えられた精悍な若者たちと対峙する。
みな、私に疑心暗鬼と敵対心があるのか、一様に緊張した、そして怯えた顔をしている。
「君たちはどの程度護身の術を持っているのかな」
私の問いに若者達が不安そうに顔を見合わせる。
その姿に、申し訳なさそうにユリウスが私に説明をしてくれる。
「……あなたの前のヴァンピーロに悉く捕られ、残った者たちにはちゃんとした訓練を積んだ者は居ません…この者達も…」
「そうか。ならば私が直に鍛えよう。またもしヴァンピーロカッチャトーレが外から訪ねる事があれば教えを請いなさい。金貨を所望するようならあの屋敷にも価値のあるものがあるはずだから出せるものは出そう」
「し、しかし…そこまで…」
「ここのヴァンピーロがどんなものかは知らないが、もしかしたら搾取したものなのかもしれない。それならば君達に返さねばならん。ふむ、家の資産も確認しとかねばならんな」
若者達はユリウスと私のやり取りに困惑の表情を浮べて居る。
そもそもが、私との取引はユリウスにとっては不利にしかならぬのではないかと危惧する。
しかし交渉する相手は彼以外には居ない。
もう一人の医師も、私の世界では主治医として私の屋敷で働いている者だが、彼らの資産までもを私が守りきらねば、この国を立て直すことは叶わないだろう。
「ユリウス。私とこうして会合を開くことで、君の立場や人気が揺らぐことが心苦しい。私は暫くこの者たちを
戦士にするために働く。そして君達の町を守ろうと思う。だから、この町をより強い町にする為に治世に専念してくれ。もし必要なものがあれば言ってくれれば力を貸す。また食料などに関しては、人が困らない程度でいいから分けてくれると助かる」
ユリウスは驚いた顔をしてこちらを見た。
私は自分の立場をよくわかっている。
遠い昔に人間との友好を取り始めたばかりの頃、私は人々から忌み嫌われ、そして時には命も狙われた。
その頃の苦労は尋常ではないものだった。
だがそれがあったからこそ長く治世に関わり、民の信頼を勝ち得た。
しかしここの私は人々を虐げる獣であった。
そんな私がいくら心を入れ替えたヴァンピーロといっても早々に受け入れられるものではない。
そんなものが純粋な統治者についていれば民の心は一つにはならない。
町の護りが磐石であれば治世に専念できるだろう。治世の殆どが国の防衛についてなのだ。
そう話せば申し訳なさそうにしつつ、礼を言った。
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