@niziirononanika
こんにちは。僕は哲学人です。
色々あって存在が消えてしまいましたが、人間とお話がしたいです。
見えも聞こえも触れもしませんがこの部屋にいます。貴方たちを見て、聞いて、触れています。
ここにいていいですか?
ありがとうございます。僕は神を信じ、その存在について語る者です。
食事も睡眠も、必要なものはありません。ただ貴方達と会話するための紙と鉛筆をください。書いている姿は貴方達に見えませんが、書き終わったものなら見えますから。
声は聞こえています。たまにここに来て、話してください。僕は貴方達と話したい。
僕は哲学人です。皆さんの言う通り、自分の哲学を広めたいです。自分の能力を使いたいです。
聞いてくれますか?
ありがとうございます。
貴方達と僕の目的が一致する奇跡に感謝します。
僕は神ではありませんので。
ありがとうございます。私の哲学人名はEsse est percipi です。もしくは(乱雑な文字が何重にも重なっており読み取れない)
(乱雑な文字が何重にも重なっており読み取れない)※1
紙と鉛筆が足りませんでした。
先日はすみません。お話ししたいことがたくさんあるんです。
新しい筆記用具ありがとうございます。大切に使います。
怪我をしてしまったので、絆創膏等を貰えませんか?
少しずつ話したいと思います。一気に書いても理解に時間がかかるでしょうから。
お願いがあります。誰か一人、この部屋で眠ってはくれませんか?
きっと喜んでもらえます。私の力を使いたいのです。
大丈夫です。私はあなたがたへ智を恵みたい。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい(紙面に隙間なく書かれている)
誰か来て
はじめまして。私は木の音を示す哲学人です。キネと呼んでください。
気になって調べてくれたら、嬉しいです。
君は熱心だね。ありがとう。お話ししようか。
僕が語るテーマは、存在するということはなにかについてだ。ここにいる君は、何によって存在が証明されていると思う?
君は自分一人がここにいるからといって自分を証明できる? もしそうなら、存在しないものは無いとなってしまわないかな。ねぇ、わかるかい
存在とは何か知っているかい?
ごめんなさい
ああよかった! 君は消えずに済んだんだね! 君は知覚されているんだね! これならまだ僕とお話しできるよね!
ありがとう神様!
まただれもいなくなった、
さよなら
紙片が発見された部屋は紙面だけでなく、卓上、床、成人男性の身長程の高さまでの壁全面が同様の筆跡による文字で埋められている。文字は鉛筆で書かれていたが、所々に引っ掻き傷によって書こうと試みた形跡が見られる。
内容は多様な言語が入り交じった書式による「人知原理論」に似たものであったが、文全体に纏まりがなく理解は難しい。
現在、この部屋に紙と筆記用具を用意したものの変化は見られない。
※1 同様の読み取れない紙面が他に86枚存在する。
紙片についての考察
一夜にして会員68名全員が消息不明となった■■支部だが、残された紙片の内容と、抵抗した痕跡がなかったことから、何らかの哲学人による恵智の結果であると推測できる。紙片に書かれた文字にも筆者が哲学人であるとの旨があり、哲学人を敬う会員はそれを疑うことはなく、対話に応じたと考える。
この哲学人の正体について考察しよう。何故なら哲学人の正体、つまり司る哲学的現象はそのまま哲学人の行動方針と能力に変換される。それにより、行方不明のわれわれの同胞がどのようなことになったのかを導き出すことができるだろう。
まず、この哲学人の発言から推理する。「神を信じ、その存在について語る者」である。そして名を「Esse est percipi(存在するとは知覚されること)」と名乗り、壁一面には名乗った名について語られている書物『人知原理論』の文面が書かれている。まともに考えるならば、名乗った通りの哲学人なのだろう。その場合、知覚されることのないこの哲学人は存在していないことになる。しかし存在していない(知覚されない)哲学人がこちらに影響を与えるというのは矛盾である。加えて言うならば、上記の論文の内容はまさに「人間に知覚不可能な物質が、人間に何らかの影響を与えることはありえない」との論述であることからも、少なくともこの哲学人が「存在するとは知覚されるということである」とは考えられない。もしそうであれば、この哲学人は自分の哲学によって自分の哲学人としての在り方を否定していることになる。そして、その否定は逆説的な哲学の恵智でもないようだ。
他に、「木の音を示す」との言葉もある。こちらを検索すると、やはり先程の哲学と同じくバークリー氏による「誰もいない森の中で倒れた木は音を立てたか」が候補に現れる。しかし、誰にも知覚されていない(誰もいない)場所に存在しているこの哲学人の行いがわれわれに影響するのもまた、哲学としては矛盾ではないだろうか。
次に、この哲学人の状況から考える。この哲学人は「我々には知覚できないが存在している」のであり、能力を行使しわれわれに働きかけたということは「知覚の外から影響を与える」のである。これはまさに、決して手の届かぬ位置にありながらわれわれの感覚器官に作用するということではないだろうか。
ごく稀のことではあるが、哲学人はその名を騙ることがある。多くの場合は元の哲学の性質に従ってのものである。そうでない場合、哲学人に人格が宿る故に、己の使命に反してでも貫きたい信念を得たと考えられる。後者であれば、哲学人は自らと交流のある哲学人を騙るものだ。
「存在するとは知覚されるということである」と名乗ったならば、それに関わりのある哲学を司る可能性が高い。
われわれの導きだした結論はこうである。■■支部を消滅させた哲学人の名は、『物自体』である。そして会員は皆知覚の外、人間の感知できない世界、『物質世界』へと移行したのだと。
ーーー呈する恵智の会 ■■支部長 ■■■■