@satomi8429
※原作では『柳宿を埋め→神座宝ゲット→「北甲国を南へ抜ければ西廊国ですよ」→洞窟出たとたん神座宝強奪される』ですが、『洞窟を出る』『神座宝強奪される』の間に『下山して宿で一泊する』を入れています。
(強奪されるのは、翌日西廊国に向かう途中のタイミング)
………………
洞窟を出ると、一同は眩しさに目を眇めた。
日差しはもう午後になっていた。沁みるような青空と雪原に反射する太陽が瞼を刺す。
先頭を鬼宿と並んで歩く美朱は、先ほど授かった神座宝を首から下げ、その上から外套を重ねて両手でそれを抑えていた。手首に柳宿の腕輪が揺れている。
その後から、錫杖を鳴らし歩く井宿、猫を気遣いながら歩く軫宿、翼宿と並んだ自分が続いた。
山頂を後にする時、誰もが無言だった。馬に乗り、最後に一度振り返る。
滲む涙で歪んだ墓標を、感謝とともに焼き付けた。
「数時間すれば日が暮れるのだ。急ぎたいところではあるのだが、今日は下山して宿を探すほうがいいのだ」
井宿が言った。確かに、移動してすぐに夜になるのは危険だ。
山道を延々と下る。一人で馬に乗れない張宿は、井宿の後ろに乗せてもらっていた。流れる景色は頭上を滑る。張宿は俯いて、馬の蹴る雪と泥の混ざった地面をぼんやり見ていた。
まだ信じられない。柳宿さんが亡くなったなんて。
初めてここに来た日、気遣って声をかけてくれた。輪に入れるように、笑って背を押してくれた。女誠国では、その器用な手で髪を結ってくれた。朗らかで、女装が好きで、気遣いが上手で、その笑顔はいつも力強かった。たえず前を向いて進むことを、教えてくれた人だった。
目を閉じればまだ声が聞こえそうだ。ぼうっと開いた目から、涙がまたほろほろと落ちた。
なんで柳宿さんが。なんでこんなことに。なんで。
悲しみの渦の中から、ぽつりぽつりと疑問が浮上する。
これは避けられなかったことなのか。死なずにすむ方法はなかったのか。
そこまで考え、張宿の背筋は凍った。
(ボクガ モット ハヤク キテイレバ)
思い至ると、もうそうとしか思えなかった。
(ボクガ ハヤク キテイレバ、ヌリコサンハ シナズニスンダ)
一瞬、井宿にしがみつく手が緩む。さーっと血の気の引くのがわかった。
「張宿?」と井宿が訝しむ。その声は、張宿の耳には届かなかった。
そもそも。
もっと早く宮殿に出向いていればあの時朱雀の召喚はできていたはずだったのだ。
亢宿より早く合流していれば。そうすれば、旅に出ることもなかった。
皆を危険にさらすこともなく、柳宿が死ぬこともなかったのだ。
嵐の船で難破することも。女誠国で命を危険にさらすことも。すべて避けられた事態だ。
どくどくとこめかみが脈打つ。すべての元凶は、自分だった。
「大丈夫か?」
隣から声が聞こえた。はっと顔を上げると、心配顔の軫宿と目が合った。軫宿の顔も、普段より白い気がする。皆疲れているのだ。悲しみの吹き荒れる中、それでも自分を保っている。
一拍遅れて声を出す。「はい、大丈夫です」と、口角を上げ笑みを作った。
うまくできたかわからなかったが、軫宿は何も言わなかった。
平地を抜け、街に入ると宿を探した。
小さな宿屋の多い地域のようで、六人同時に泊まれる宿というとなかなか空きがなかった。
別々の宿に泊まることも可能だったが、神座宝を手にしていることを考えても、柳宿が亡くなったばかりということを考えても、ばらけるのは望ましくないだろう。
そんな話を皆にした井宿が、全員が泊まれる宿を探してくるからとひとり別行動になった。残された一同は馬を降り、広場で井宿を待つことにした。
広場の端に屋台が並んでいる。見つけた翼宿が偵察に行き、全員分の汁椀を盆に乗せて帰ってきた。
「ほれ」と翼宿が木の椀を手渡す。巨大な寸胴鍋からよそわれた汁は、野菜と魚に麦を混ぜて煮込んだ家庭料理らしい。食指のまったく動かない張宿だったが、無理やり啜ったその汁は、凍えた身体にしみいった。
こんな心境でも温かい食事は身体に力をくれるんだなと思うと、湯気の中に顔を埋めながらなんだか笑えて、それから泣けた。
しばらくすると井宿が馬を駆って戻ってきた。泊まれる宿が見つかったという。
今の状況を考えると、二、三人ずつの部屋がよかったが、その宿は狭い一人部屋しかないという。
「一人部屋でいいんじゃないか」と、軫宿が言った。別々の部屋でも、一か所にまとまって泊まる方が良い。
各々がしっかり身体を休めるためにも、一人ひと部屋は悪くない。
誰も異を唱える者はいなかった。皆、そのほうが都合がよかったのかもしれない。
「おやすみなのだ、張宿。ちゃんと寝るのだよ」と、張宿が部屋に入る時に井宿が言った。
張宿はまた、笑顔を作って頷いた。
扉を開け、もらった手燭を机に置く。見回すと、そこは寝台と壁付けの小さな机があるだけの狭い部屋だった。窓は分厚い木の扉ががっちり嵌っていて、外は見えないが風の音が聞こえる。
ひゅうひゅうと甲高く、心細い音だった。街に出てからずっと、頭上を埋めていた灰色の雲を思い出す。今夜も吹雪になるかもしれない。
寝台に近づき、うつぶせに潜り込むと、張宿は頭から布団を被って声を上げて泣いた。
押し殺そうとした嗚咽は意思に反して徐々に大きくなり、すぐに号泣に変わった。胸の奥から喉元まで、ずっと詰まっていたものを吐き出すように。周りに声が漏れないように布団に顔を押し付ける。
柳宿にしてもらったことばかりが思い浮かんだ。皆の中に立っている柳宿を、少し離れた場所から眺めていた。大輪の花のように華やかな姿や、柔らかくも凛とした背中が、きつく閉じた目の奥に浮かんでは消えた。
不在が、もう会えないという事実が、単純に寂しかった。
張宿はそれから、自分の不甲斐なさを呪った。
自分のせいで。自分が早く来ていれば。もっと早く決心していれば。
今更、詮無いことをぐるぐる巡る。どう償えば良いのだろう。自分はこれからどうすればいいのだろう。
どのくらいそうしていただろうか。窓に当たる風の音がさっきよりも強い。
張宿はのそのそと布団を出た。顔も頭もぐちゃぐちゃなまま、両手を出して彷徨うように張宿は狭い机に向かった。どうしようもない時にいつもするように、嗚咽を呼吸でいなしつつ、携帯用の筆と紙を取り出す。
深呼吸すると、いつものように筆を滑らせる。「兄上、」と書いた横に、ぽたりと再び涙が落ちた。じわじわと文字の端が滲む。
兄に宛てた体裁で、今までも何度も書いてきた手紙。投函することはせずとも、大事に全部持ってきた。これまでも、書くことで前に進んできた。
紙を睨みつけるようにして、こみ上げる涙をこらえる。どうにか筆を走らせるものの、手が震えて文字が歪む。
筆と格闘の末、張宿は紙をぐしゃぐしゃと丸めて机に突っ伏した。
奥歯を噛みしめ声を殺していると、扉が控えめに鳴った。
「張宿、起きてるのだ?」
そっと扉が開く。錫杖のかわりに何かを抱えた井宿が顔を出した。
「井宿……さん……?」
唇が震える。
落ち着こう、泣いていてはだめだと自分に言い聞かせていたのに、顔を上げ、井宿の顔を見たとたん、もう駄目だった。
何かに弾かれたように椅子を転がり降りると、張宿はその勢いのまま井宿の胸に縋りついた。こらえていた涙が再び溢れ出し、嗚咽が大きく部屋に響く。幼い子供がするように、うわぁんうわぁんと大声で泣いた。
思い返せば、名乗り出てから今まで、仲間の前でこんなに激しく泣くのは初めてだった。
「……ごめ、なさい……井宿さん、ごめんなさい……柳宿、さん、……!」
張りつめていたものが、一気に爆発して溢れ出した。
しゃくりあげる合間に絞り出す謝罪の言葉に、井宿は何も言わなかった。
「僕が、グズグズしていた、せいで、……こんな、……こんなことにっ……!」
井宿は黙って張宿をなだめた。そして、「柳宿のことは、君のせいじゃないのだ」ぽつりと言った。
だからそんなに背負わなくていい、とゆっくりゆっくり背中をさすった。
僕は卑怯だ。そうやって否定してくれるであろう人を選んで泣いているのだから。そう思ったら、また泣けた。
(続く https://privatter.net/p/5899293)