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西廊国へ向かう前日の話-2

全体公開 1 3514文字
2020-05-18 09:45:29

これ(https://privatter.net/p/5890769)の続きです。

Posted by @satomi8429

翌朝は、夜中の吹雪が嘘のように風ひとつない朝だった。
表通りのあらゆるものが、ずっしりと綿帽子をかぶっている。音のないの風景はまるで静止画のようだ。
キンと澄んだ冷気。息を吐いたら白かった。
井宿はひとり厩に回り、馬の様子をのぞいた。馬たちはすでに起き出し、もそもそと干草を食んでいる。隣には牛が数頭繋がれていて、向こうの端でずんぐりとした年配の婦人が乳搾りをしていた。
厩を出、気を尖らせながら宿の周りをぐるりと回る。不審な動きはない。
あたりを一周して宿へ戻ると、入口の前に張宿がいた。
扉の脇に据えられた木製の腰かけにちょこんと座っている。
「おはようなのだ」
「おはようございます」
穏やかに挨拶を交わす。まぶたがまだ腫れている。
……それは?」見慣れなさに視線を落とす。張宿はなぜか両手に椀を持っていた。
「ここに座っていたら、あの方が……」と言う張宿の視線をなぞると、乳搾りをしていた婦人が炊事場を出入りしているのが見えた。目が合った張宿が会釈する。
椀の中には雪よりもやや黄色がかった真白い液体が入っていた。搾りたて、だそうです。と張宿が言った。
「あんたもどうだい」
いつのまにか来ていた先の婦人が、同じ椀を差し出していた。人好きのする丸く盛り上がった頬と低い鼻が赤くなっている、背の低い着ぶくれた婦人だった。
「ね、旅の人」と歯を見せて笑う婦人を拒みきれずに、井宿も椀を受け取った。たっぷりした白だった。
そうしてまた、張宿とふたりきりになる。
「張宿はこんなところでどうしたのだ?」
「井宿さんにお話があって」
昨日はすみませんでした、取り乱してしまって。とはにかむ張宿の鼻も、寒さで赤くなっていた。
「とりあえず、室内に行くのだ」
寒そうな張宿を気遣ってそう言うと、「いえ、ここで」とやけにきっぱり張宿が答える。
浮きかけた腰を元に戻して、張宿の顔を見た。言いづらい話なのか寒さのせいか、張宿の顔はこわばっていた。
話がある、と言いながら、張宿はなかなか口火を切らない。ならば、と井宿がやんわり言った。
……せっかくなので、いただくのだ」
椀の中身を率先して飲んでみせると、それはぬるくて薄甘い牛の乳だった。
「はい」と両手の椀を持ち上げ、張宿も続いてごくごくと飲む。まだ細い首の、小さな喉があらわになった。
飲んだことで勢いがついたのか、張宿は思い切った様子で井宿に問うた。
「井宿さんは、星宿様と連絡が取れるんですか?」
予想外の話題に井宿が黙っていると、張宿が続けた。
「美朱さんに聞いたことがあるんです。以前鬼宿さんが倶東国に行っている時に、姿を映して会話ができたと」
確かにできる。今までも折に触れてそうしてきた。いや、しようとした、というのが正しいか。井宿は内心自嘲気味に笑った。実際は出航後すぐと女誠国を脱した後に、慌ただしく自分ひとりで状況報告をしたのみだ。
「もし可能でしたら、星宿様に直々にお伝えしたいことがあるんです。お願いできませんか?あの、あの時の巻物のことで……
懸命に話す張宿の願いに、井宿は胸の前で腕を組んだ。
巻物とは、出発前に井宿が張宿に渡した非公認の資料のことだ。星宿に変身して公務を執っていた際に書き写した、紅南国の国交や軍備、各地の現状。想像以上の国難へ、朱雀以外の手段で立ち向かう策を、と井宿が張宿に相談していたものだった。
「昨日……あの後、考えたんです。僕が今すべきことはなんだろう、と」
あの後――
井宿は微かに目を見開いた。
あの時、喪失の痛みと自責の念に耐えきれずしがみついて号泣する張宿を、自分はただ受け止めることしかできなかった。気の利いた言葉ひとつかけてやれなかった。余裕がなかったのだ。
冷静に動けていることと感情を消化できていることは別だ。どんなに嵐が渦巻いていても、感情に蓋をしてしまえば淡々と自分の役割を遂行することはできる。
井宿はいまだ、混濁し溢れそうな負の感情に整理をつけられていない己の胸中を思った。
――それなのに、この子はたった一晩でそこまでたどり着いたのか。
……張宿は、すごいのだ」
言葉が、素直に口をついて出た。
「いえ、そんなことは、ないんです」
張宿の声が弱く震えた。瞳が一瞬潤んだような気がしたが、流涙はしなかった。ただ俯いて、張宿は小さく付け足した。前を向くことは、柳宿さんが教えてくれたことだから、と。
「国策について、僕なりの回答は出国前に書き付けてきました。それを使う局面に来た時に、僕に字がなくて説明ができなくても、読めばおおよそのことはわかるようにしたつもりです。お借りした部屋の、文机の引き出しに入れてあります」
張宿は一旦話を切ると、井宿に向き合うように座り直した。井宿さん、と呼ぶ声が硬い。こちらもつられて背筋を伸ばす。
「伝承の七星士のその後ってご存知ですか」
話の飛び方にいささか驚きつつ、井宿は首を傾げる。
「僕が調べた限り、その情報はどこにもないんです。……神獣召喚後の七星士は、伝承の中に『存在しない』んです」
……!?」
「もちろん僕の調査不足の可能性もあります。でも、少なくとも紅南国の王宮に保管されている資料の中にはありませんでした」
視線を落とすと、椀を持つ指先が白くなっている。井宿は黙って見つめ返した。
「僕は、生きて国に帰れないかもしれない、と覚悟して来ました。今は、それが現実味を帯びてきた局面です」
張宿はゆっくりと、踏みしめるように言葉を紡いだ。
「柳宿さんは強い人だったと僕は思います。でも亡くなってしまいました。考えたくはありませんが、今後も亡くなる者がいないとも限らない。一方で紅南国は危機に瀕しています。この神座宝探索がうまくいかない時、または時間がかかった時、僕たちが戻る前に、紅南国が侵略されてしまっている可能性も無くはない。命のある状態で帰国できない可能性もある」
井宿は組んだ手を解いて膝に乗せた。
張宿は、そこまで解っていてここに来たのか。
「国を護る手段は朱雀だけではありません。万一に備えて、そうなる前に、星宿様に直接お話したいんです」
真摯さがビリビリと伝わる。麻痺したような心のまま、ただ切羽詰まった張宿の表情に胸が痛んだ。
「今の僕の役割は、最悪の状況で最善の結果を出す方法を考えることです。字の出ている今のうちに、僕の役割を果たさせてください」
「それは、できる。……が、できないのだ」
少なくとも今は、と井宿は胸の中で付け加える。
星宿に今状況報告するとなると、柳宿の死についても話すことになる。
神座宝をひとつ得たといっても、一つだけではどうにもできず、西廊国へもまだ向かっていない状況だ。ひとり遠く離れた場所で美朱や仲間の安否を気にかけている星宿に、この状況でこの話をするのは気が進まなかった。せめてもう少し、見通しが立ってから……
「僕が伝えるのでは井宿さんの負担が大きいんでしょうか?それなら僕は諦めますから、井宿さんから在り処だけでも伝えて頂けませんか」
言い募る張宿を井宿がさえぎった。
「張宿の気持ちはわかるのだが、今すぐにそれを伝えるのは難しいのだ。時をみて必ず伝えるから」
たぶん張宿が正しいのだろう。自分が甘い自覚はあった。
でも、と井宿は星宿の横顔を思い浮かべる。十代という若さで皇帝という重責を両肩に負い、ひとり祖国に残った星宿。幸福より憂いをより多く経験しているであろう彼に、仲間の死とそれに続く可能性を開示するのは酷だ。
「時を見てっていつですか?僕も井宿さんも、いつどうなるかわからないんです。命の危険はその人の能力に関わらず平等です。できるだけ早く伝えないと」
張宿が身を乗り出す。焦るな、と伝えるように、井宿は張宿の両肩をぽんぽんと叩いた。
「わかったのだ。では西廊国に着いたら必ず伝えるようにするのだ。……だから、少しだけ、待ってほしいのだ」
眉根を寄せた張宿の顔が白い。風がないとはいえ、そろそろ本当に屋根と壁のあるところに行った方が良いだろう。
「だーいじょうぶなのだ!オイラそう簡単に死んだりしないのだ!」
三頭身になるときの要領でおどけて言うと、張宿もつられて弱く微笑んだ。
……わかりました、よろしくお願いします」
張宿が頭を下げる。井宿は介せず手を差し伸べた。
「すっかり冷えてしまったのだ。ご飯を食べて、出発するのだ」
今はともかく先へ進もう。形だけでも、前を向いて。


(続くかもしれない)(補足 https://privatter.net/p/5913226 )


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