『十二国記』シリーズの行政機構の基となっている『周礼』や、『周礼』と関連の深い『礼記』、『儀礼』(「三礼」)に関する辞典を引くことで、『十二国記』の世界を支える用語の原義を調べてみました。
2022.9.18現在、日本語訳含め完了している項目は宰輔・冢宰・大宰・射人・大僕・虎賁氏・大司空・女御・女史・小臣・射鳥氏です。少ないですが、すでにかなり分量があります!
@hoshinami629
目次
はじめに
工具書類
すぺしゃる・さんくす
Ⅰ 官職・地位・職名
位
上位の官・臣下
天官
地官
春官
夏官
秋官
冬官
州
州以下の官
下官・下働き
その他
Ⅱ 建物・場所
王宮
市街
学校
その他
Ⅲ 行政上の用語
Ⅳ その他
はじめに
こんにちは、ほしなみです。
小野不由美『十二国記』シリーズの読者の間でよく言われることですが、『十二国記』シリーズの官僚機構や行政システムは、中国古典の『周礼』を基にしています。
『周礼』とはどの様な書物かをまず概観しましょう。湯浅邦弘編『中国思想基本用語集』(2020年・ミネルヴァ書房)によりますと、以下の通りです。
『周礼』(しゅらい)
前漢の武帝(在位前一四一~前八七)の次代に、民間から発見されたと伝えられている、現存最古の行政法典。『周官』とも呼ばれる。また、『儀礼』・『礼記』とあわせて「三礼」と呼ばれる。伝説では、周公旦が定めた制度を記した書物であるという。実際の成立年代は箇所によって様々であり、早いものは西周末のもの、遅いものは前漢末頃のものであるとされている。古代の官職について、天官・地官・春官・夏官・秋官・冬官の六部門に大きく分類し、それぞれに属する官職の具体的な職務内容について一つひとつ説明している。(後略)
中国古代の前漢の時代に見出された書物で、内容は周の時代の官職と、それぞれの職務内容について述べられた書物ということになります。ただし上記に「伝説では」とある通り、実際の周の時代の行政や官僚機構の内実を伝えている訳ではなく(部分的にそのような箇所はあるだろうと思いますが)、どちらかと言えば、周王朝が政治的な求心力を失ってから前漢に至るまでの長い年月をかけて育まれた。「孔子が理想とする周王朝は、きっとこんな機構を備えていたのだろう」という想像や理想に基づいて編纂された書物だと言えるでしょう。
さて、私達現代日本語話者がこの『周礼』を読もうとすると……実は非常に難しい問題に突き当たります。と言いますのは、『周礼』の現代日本語訳をまとめた書籍が殆ど存在しないからです。
中国の多くの古典は、例えば明治書院の新釈漢文大系をはじめとした古典全集に現代語訳が収められていたり、あるいはもっとハンディな岩波文庫や講談社学術文庫から出版されていたりします。どちらも大きな書店や図書館に行けば、誰でも手に取ることが可能です。
しかし、『周礼』はそうした全集にも、文庫にも、訳書がありません。
一応、本田二郎著・原田種成校閲『周礼通釈』(1971年・秀英出版)という本が存在します。ただし、そもそも学術書として少部数で出版された本であり、その上『周礼』が難解な古典であることや、『周礼通釈』が高いクオリティの本であったことから専門家からの需要も多く、絶版なのは勿論古書価も非常に高い状態が続いています。再版求む。
(その『周礼通釈』の内容を、『十二国記』ファン向けに一部抜粋して下さっているページが、がぶりさんのこちらになります。ありがたや……)
中国古典の文章を読む力があれば『周礼』も読めるのでは?と思う方もいらっしゃるかもしれません。が、実は必ずしもそうではないのがこの書物の難しいところです。
『周礼』・『礼記』・『儀礼」の「三礼」と呼ばれる書物は、どれも古代中国の支配者階級において重要視された「礼」について解説する書物です。「礼」とは何かを解説するのは私の能力を超えますが、具体的な礼儀作法や、それらによって表現され、維持される規範や制度の体系を記していると言えると思います。『周礼』は(後世の人間が想像した)周代の官僚制度を表している書物ですが、この官僚制度もまた、古の理想的な統治の規範を著述していると捉えられて来ました。
さて、実はこの「具体的な礼儀作法」というところが難しさのポイントです。「三礼」に記された内容、すなわち「礼」とは、どうしても個別のシーンにおける具体的な礼儀作法から離れられません。『周礼』であれば、それぞれの官職の具体的な職務内容、宮殿の配置、どんな儀式の時に何処で何をするかなど、とにかく具体性の高い記述が多く見られます。具体的すぎて、「宮殿のその門は何処にあるのだろう?」とか「その儀式は一体何をする儀式なのだろう?」、更に「固有名詞らしきものが書かれているけれど、これはそもそも何のこと?」など、読んでいて頭を痛める箇所が非常に多いのです。
鄭玄という後漢の大学者がこうした点について注釈を付けており、更に唐代初頭の賈公彦という学者が、鄭玄の注釈を承けて更に丁寧な注釈(疏と呼びます)を残しています。現代人が『周礼』を読もうとした場合、必ず鄭玄の注と賈公彦の疏を参照する必要があります(そうしないと、そもそも読めないので)。しかし、もちろんどちらも古典中国語で書かれた文章ですし、注釈を読んでも今一つ分からないという場合も時にはあります。古典中国語の読解能力があっても『周礼』を読むのは難しい、というのは、一つにはそうした具体的な事物の読み取りの難しさに由来するのです。
なお『周礼』の他様々な経書の注釈者でもある鄭玄についてもっと知りたいという方には、棋客さんのnoteがおすすめです!
さて、では私達は『十二国記』の行政機構に関する用語について、その出典に触れることを諦めねばならないのでしょうか?
諦めるにはまだ早い!実は先程も書いたように、『周礼』や『周礼』と関連性の強い『儀礼』、『礼記』(いわゆる「三礼」)は、どれも「礼」の思想やシステムを別の角度から述べた本で、相互に強い関連性を持ちます。分かりやすい例を出しますと、『周礼』に注釈をつけた後漢の鄭玄は『周礼』を読むのに『儀礼』や『礼記』を引く、或いはその逆、という読み方を多々行っています。鄭玄の後に続く多くの注釈者も同じです。
この「三礼」の中で用いられている用語について、鄭玄以降1800年に渡る調査・解釈・考証といった研究の成果をまとめた本は多く世に出ています。先程書いた「具体的すぎて難しい語」についても、研究の成果がまとめられているのですね。
今回はその中でも、用語の解説と考証の成果をまとめた、錢玄、錢興奇『三禮辞典』(1998年・江蘇古籍出版社)という本を使って、『十二国記』シリーズの『周礼』由来の用語を調べてみようと思います。
それによって『十二国記』読者にどんなメリットがあるかというと……
・『十二国記』シリーズの本文で省かれていたり、曖昧にされている情報が分かる。
・『周礼』との異同から、小野不由美氏がどの様なアレンジを加えたのかが分かる。
・『十二国記』の世界をより明確にイメージできる。
・(単に私が楽しい)
そんな感じです。
なお、小野氏が何を頼りに『周礼』を読んでいるのかは現状分かりませんので、『三禮辞典』と小野氏の読んだ本との齟齬がある可能性を予めお断りしておきます。古典の解釈に関する事柄になりますから、必ずしも一通りの意味に定まらない可能性があること、お含み頂けますと幸いです。
また、『周礼』は周~前漢の時代の言葉を今に伝える非常に古い書物です。先述の通り、『三禮辞典』に引かれている「三礼」の経文を訳す場合、特に示されていなくても、鄭玄や賈公彦の注・疏に従って訳している箇所があります。
中には現代の日本語や中国語のでは到底使われなくなってしまったような漢字を一部で使用しています。これも、『周礼』やそれに関連する文章の古さゆえです。PCで表示出来るフォントでしたらそちらを使い、PCでも表示出来ない場合はグリフウィキへのリンクを貼っております。スマートフォンでご覧になる場合、時折引用文が「?」と表示されてしまったり、文字化けしたりしてしまったりする可能性があります。上記の様な理由ですので、何卒ご了承ください。
調査をする上での項目立ては目次をご覧下さい。現状、「Ⅱ 建物・場所」の〈市街〉の項目に立項する語の調査、それから「Ⅲ 行政上の用語」に立項する語の調査が足りていない状態です。鋭意調査致しますが、「この語とかってどう?」というものがありましたら、是非新潮版の本文の記載箇所と共に、ほしなみまでご教示頂けますと有り難く思います。
工具書類
『十二国記』シリーズに関して
・をや様「十二国記データベース」
・Fruit様「十二国記まとめ一覧」
辞書類
・錢玄、錢興奇『三禮辞典』(江蘇古籍出版社)
・三省堂『漢辞海 第三版』
・漢語大詞典出版社『漢語大詞典』
・小学館『中日辞典 第三版』
・商務印書館『辞源 修訂本』
・中華民国教育部国語推行委員会編『重編國語辭典』
データベース類
・寒泉(台灣師大圖書館古典文獻全文檢索資料庫)
・中國哲學書電子化計劃
・グリフウィキ
すぺしゃるさんくす
『十二国記』関連
・をや様「十二国記データベース」
→「用語集」ページと「索引」にお世話になりました。本当にありがとうございます。
・Fruit様「十二国記まとめ一覧」
→こちらに整理され、まとめられている色々な発行物にお世話になりました。特に『常世朝廷便覧』。いつもありがとうございます!
中国古典関連
・古勝隆一先生「学退筆談 中国古典に親しむ」
→『三禮辞典』という本をご教示くださりありがとうございました。この本を教えて頂かなかったら、この企画は始まっていませんでした。
・棋客様「鄭玄から学ぶ中国古典」
→「三礼」をはじめ、多くの経書に注釈を付した、後漢の大学者・鄭玄について丁寧にまとめた記事を発表されています。こちらのnoteも研究ブログも本当に勉強になります。
Ⅰ 官職・地位・職名
位
公
侯
伯
卿伯
卿
上大夫
中大夫
下大夫
上位の官・臣下
宰輔
『三禮辞典』
記載なし。
『漢語大詞典』
輔政的大臣。一般指宰相。漢王符《潛夫論·本政》:“周公之爲宰輔也,以謙下士,故能得眞賢。”
日本語訳
政治を補佐する大臣。一般に宰相を指す。漢代の王符『潜夫論』本政に「周公の宰相としての態度は、下士にもへりくだる様子であった、だからこそ真の賢者を得ることができた」とある。
『辞源』
皇帝的輔政大臣,一般指宰相或三公。後漢書七五袁術傅孫策與術書:“使君五世相承,爲漢宰輔,榮寵之盛,莫與爲比。”術四世祖安,安子敞及京,京子湯,湯子逢,均任漢司空,爲三公之職。
日本語訳
皇帝の政治を補佐する大臣で、一般に宰相もしくは三公を指す。『後漢書』七十五巻の袁術伝には、孫策が袁術に与えた書の中で「あなたは五世にわたって漢の宰輔の地位を継承し、天子の寵愛の盛りであればこれに比肩する者はいないほどだった」と言っている。袁術の四代前の祖先の安、安の子の敞と京、京の子の湯、湯の子の逢は皆漢の司空を任じられ、三公の職に就いていた。
(漢代の「司空」については冬官「司空」の項をご参照ください。)
冢宰
『三禮辞典』冢宰
即大宰。詳“大宰”。(見97頁)
日本語訳
大宰のことである。詳しくは「大宰」を参照。
『三禮辞典』大宰
(tài太—)職官名。即冢宰。六卿之一。《周禮・天官叙》:“治官之屬:大宰卿一人。”鄭玄注:“變冢言大,進退異名也。百官總焉,則謂之冢,列職於王,則稱大。冢,大之上也。 山頂曰冢。”大宰掌建邦之六典、八法、八則、八柄、八統、九職、九賦、九式、九貢,以佐王治邦國。
日本語訳
(現代中国語ではtàiと読む。太~と書く場合もある。)職官の名。冢宰のこと。六卿の内の一人。『周礼』天官叙には「国を治める官の種類、大宰卿一名。」とあり、鄭玄の注釈には「『冢』を改めて『大』と言うのである。進退の異名である。百官を統率することを冢と言い、王に次ぐ地位に身を連ねることを大というのである。冢は大のさらに上である。山頂を冢という。」とある。大宰は建国以来の六典・八法・八則・八柄・九職・九賦・九式・九貢をつかさどり、王が国を治めるのを補佐するのである。
『漢辞海』大
A タイ漢 ダイ呉 [去声]定泰去 dà
B タイ漢呉 [去声]透泰去 tài
C タ漢 ダ呉 [去声]定箇去 dà
B〈一〉(形)
❶はなはだしい。最上の。〈通〉太。
❷平和な。平安な。やす-らか。〈通〉泰。
『十二国記』シリーズより
『風の万里 黎明の空』上巻P.95「家宰は六官の主長、六官とは天官地官春官夏官秋官冬官の六官をいい、各々が宮中の諸事、土地戸籍、祭祀、軍事、法令、造作を掌る。古くは天官長太宰が冢宰に就任し、六官府を取り纏めたが、近来別に冢宰を立てるのが慣例だという」
コメント
1.太宰?それとも大宰?
『十二国記』の本文では、上記の引用の通り、天官長のことを「太宰」と記述しています。しかし『周礼』を見ると……あれ?「大宰」表記ですよね。
しかし、『三禮辞典』の引用の最初をもう一度ご覧ください。「(tài太—)」(現代中国語ではtàiと読む。太~と書く場合もある。)とあります。
そう、「大宰」の「大」は、多くの場合dàと発音される「大」という字でありながら、tàiと発音する、やや珍しい読み方なのです。
中国語の昔の発音については、『漢辞海』の引用にある「定泰去」とか「透泰去」の記述をご覧ください。反切といって、漢字一つ一つの発音を、別の漢字で表したものになります。この『漢辞海』からの引用は、現代日本語における「大」の発音の種類と、昔の中国語の発音の種類(ここでは中古音、すなわち隋〜宋代の洛陽や長安辺りの地域で使われた漢字の発音体系のことです)、現代中国語(普通話)の発音の種類を整理して、どれがどれに対応しているのかを書いてくれています。
今回見るべきはtàiと読むべき「大」ですから、『漢辞海』で言えばBに該当します。その意味するところは、「はなはだしい。最上の。」ですから、天官の長である大宰に使われる言葉としてぴったりの意味ですね。
さて、その次に「〈通〉太」という記述が見えます。これは「音通」といって、同じ発音の別の字と同様の意味で使われることを意味します。つまり、このBの「大」は発音も意味も「太」と同じ、もしくは非常に近しいので、「大」とも「太」とも書くことがある、という意味になります。
「大宰」と「太宰」、どっちの表記が正しいの?という疑問については、『周礼』を読む上では「どっちも正しい」ということになるかと思います(『十二国記』の世界の発音体系は分かりませんので、また別の話ですけれどね!)。
2.冢宰と大宰、いったいどんな関係?
『周礼』は全部で六つの篇からなる書物ですが、第一篇の名は「天官冢宰」です。
「天官冢宰」の冒頭部である「天官叙」では、「惟王建國,辨方正位,體國經野,設官分職,以為民極。乃立天官冢宰,使帥其屬而掌邦治,以佐王均邦國。」(王は国を建て、四方を弁別して位を整え、国を分割して野を整備し、官を設けて役割を分け、それによって民は、これを果たせば持っているものを失わずに済むという事柄を得た。そこで天官冢宰を立て、それに連なる者を統率させ、国の政治をつかさどらせ、それによって王が国を整えるのを補佐させた)とあり、ここで王を補佐する役割として「冢宰」が登場します。しかしその直後、天官に属す官の筆頭に「大宰卿一人」を挙げ、直後に「小宰中大夫二人……」と続きます。
冢宰と大宰は同一の役職なのかそうでないのか、という点について疑問の残る書きぶりですが、明らかなポストとしての冢宰はその後も「天官冢宰」の中には姿を現わさず、全く別の官職を説明する際に登場するばかりです。
冢宰という役職が本当に大宰と別の役職として存在するのであれば、何よりも「天官冢宰」にその定員と職務内容が書かれる筈です。こうした事情から、冢宰が大宰と全く別の役職として設けられていた訳ではなく、冢宰=大宰、と読むべきだと注釈者たちは考えました。
三公(太師太傅太保)
『三禮辞典』
太師、太傳、太保謂之三公。此爲周之三公。《周禮・ 天官・宰夫》:“掌治朝之法,以正王及三公、六卿、大夫、羣吏之位。”《尚書・周書》:“立太師、太傅、太保,兹惟三公,論道經邦,燮理陰陽。”僞孔傳:“師,天子所師法。傅,傅相天子。保,保安天子於德義者。此惟三公之任,佐王論道以經緯國事,和理陰陽,言有德乃堪之。”周制太師、太傅、太保,爵爲公,故稱三公。
三孤
天官
大宰
→上位の官・臣下「冢宰」を参照。
小宰
『三禮辞典』
職官名。掌王宫中之政令,並助大宰治邦國。中大夫。屬天官大宰。《周禮・天官・小宰》:“掌建邦之宫刑,以治王宫之政令,凡宫之糾禁。”鄭玄注:“宫刑,在王宫中者之刑。建,明布告之。糾,猶割也,察也,若今御史中丞。”按宫中之禁令,如檢查出入及關閉等。《天官・小宰》:“掌邦之六典、八法、八則之貳,以逆邦國、都鄙、官府之治。”鄭玄注:“逆,迎受之。鄭司農云:貳,副也。”言小宰掌大宰治法之副貳,佐大宰行事。
膳夫
医師
疾医
瘍医
掌舎
司会
司裘
内宰
内小臣
閽人
寺人
内豎
(シナリオ集に記載あり)
女御
『三禮辞典』
王之妃妾。《禮記・昏義》:“古者天子后立六宫,三夫人,九嬪,二十七世婦,八十一御妻。”女御,即御妻。其職掌御序、獻婦功等事。《周禮・天官・女御》:“掌御叙于王之燕寢。以歲時獻功事。 凡祭祀贊世婦。”鄭玄注:“言掌御叙,防上之專妬者。”謂令王之妃妾,依尊卑叙次,御待于王,防嬖寵專妬。
日本語訳
王の妃妾(側室)。『礼記』昏義に「古の天子の正妻は六宮に立ち、三人の夫人、九人の嬪、二十七人の世婦、八十一人の御妻がいた」とある。女御とはつまり御妻のことである。その職務は王の寝所に侍る序列や、宮中の女性達の糸や布の献上などを司った。『周礼』天官・女御に「王の寝室に侍る序列や、季節ごとの糸や布の献上を司った。祭祀については世婦を補助した」とあり、この鄭玄注に「『掌御叙』というのは、身分の高い者が低い者にもっぱら嫉妬するのを防ぐことである」とある。王の妃妾を身分の尊卑に基づいて序列だてて王に侍らせ、寵が偏って嫉妬が起こるのを防いだのである。
コメント
鈴が就いているという「女御」ですが、『周礼』では天官に属する、後宮の女性の身分の一つであると述べられています。鈴が李斎に対してしていたことから想像するに、恐らく王の身の回りの世話をしているのかしらと思うのですが、こうした職務は小野氏のアレンジの結果という印象があります。逆に、十二国の後宮に人が入っている場合、どのような官職になるのでしょうか……。
女史
『三禮辞典』
宫中掌王后之典禮、文書等事。良家婦女知書者爲之。屬天官冢宰。《周禮・天官・女史》:“掌王后之禮職。掌内治之貳,以詔后治内政。逆内宫,書内令。凡后之事以禮從。”鄭玄於《天官》職官叙注云:“女史,女奴曉書者。”孫詒讓《周禮正義》卷一:“疑當以良家婦女知書者爲之。奚乃女奴耳。鄭義恐未允。”
日本語訳
宮中で王后の典礼や、文書などのことを司る。良家の女性で書物について理解しているものがこれを担う。天官冢宰に属している。『周礼』天官・女史に「王后の礼に関する職務を司る。宮中の女性の教育を担う副官であり、后の命令によって宮中を治める。后を宮中で出迎え、后宮中での命令をしたためる。全体として、后に関する事柄は礼をもって携わる。鄭玄が『周礼』天官の職官叙の注で「女史は女性の奴隷で書物に明るい者のことである」と述べているが、孫詒譲は『周礼正義』巻一で「疑わしいと思うことには、良家の女性で書物について理解している者が女史であるべきだということだ。(『周礼』本文で女史の直後に見える)奚とはとりもなおさず女性の奴隷のことである。鄭玄の示す意味は、恐らく正しくない。」と述べている。
コメント
訳文で伝わるか不安ですが、『三禮辞典』の著者である錢玄氏は、恐らく孫詒譲の説が妥当であると判断しています。『周礼』天官の中で「女史八人奚十有六人」という記述があり、これへの注釈として鄭玄が「女史,女奴曉書者」(女史は女性の奴隷で書物に明るい者のことである)と述べているのです。これに対して孫詒譲が疑義を呈している訳です。女史が奴隷であるなら、更にその下に「奚」(奴隷)がつくものだろうか、と。尤もですよね。
孫詒譲は清末の学者で、この『周礼正義』の他、『墨子』を校訂した上で注釈を付した『墨子閒詁』の著者として知られています。
読書人階級の家庭に生まれ、宮中で何十年かを過ごした祥瓊にはぴったりの役職だなと感じましたが、どうでしょうか。
典婦功
太宰補
『三禮辞典』
記載なし。
『漢語大詞典』
記載なし。
宮卿
『三禮辞典』
記載なし。
『漢語大詞典』
宮卿
1.即大長秋。皇后宮中的高級近侍。多由宦官充任。唐以后廢除。《後漢書·宦者傳序》:“鄭衆得專謀禁中,終除大憝,遂享分土之封,超登宮卿之位。”李賢注:“宮卿,謂爲大長秋也。”參見“大長秋”。
2.太子庶子。太子宮中的官。《舊唐書·李綱傳》:“令則身任宮卿,職當調護,乃於宴座自比倡優,進淫聲,穢視聽。”
大長秋
官名。漢置,爲皇后近侍,多由宦官充任。其職掌爲宣達皇后旨意,管理宮中事宜。《漢書·百官公卿表上》:“將行,秦官。景帝中六年更名大長秋,或用中人,或用士人。”顏師古注:“秋者收成之時,長者恒久之義,故以爲皇后官名。”
医匠
『三禮辞典』
記載なし。
『漢語大詞典』
醫匠
猶醫工。治病的人。《急就篇》卷四:“篇癃衰廢迎醫匠。”顏師古注:“醫匠,療病之工也。”淸厲鶚《病中以滿城風雨近重陽爲首句得詩》之一:“僮奴決意辭貧主,醫匠收功試古方。”
醫工
原爲官名,指官醫。后泛指一般醫生。《後漢書·第五倫傳》:“建武二十七年,舉孝廉,補淮陽國醫工長,隨王之國。”南唐劉崇遠《金華子雜編》卷上:“生附子之毒能殺人,人固知之矣。而醫工或勸人服者,惟生黑豆和合,可以紓患。”淸蒲松齡《聊齋志異·醫術》:“沂故山僻,少醫工。”
侍御
『三禮辞典』
記載なし。
『漢語大詞典』
1.侍奉(君王)。《書·冏命》:“今予命汝作大正,正於群僕侍御之臣。”《史記·樂毅列傳》:“今足下使人數之以罪,臣恐侍御者不察先王之所以畜幸臣之理,又不白臣之所以事先王之心,故敢以書對。”宋蘇轍《梁惟簡供備庫使誥》:“朕惟崇慶,日總萬機,號令所至,澤遍海內。況其左右侍御之臣,朝夕執事之勞,而有不被其賜者乎?”《醒世恒言·李玉英獄中訟冤》:“禮部官見了玉英這個容儀,已是萬分好了。但祇年紀幼小,恐不諳侍御,發回寧家。”
2.侍奉君王的人。《書·冏命》:“昔在文武,聰明齊聖。小大之臣,咸懷忠良,其侍御僕從,罔匪正人。”孔傳:“小臣皆良,僕役皆正。”《列子·周穆王》:“既寤,所坐猶嚮者之處,侍御猶嚮者之人。”
侍史
『三禮辞典』
記載なし。
『漢語大詞典』
1.亦作“侍使”。古代沒入官府爲奴的罪犯家屬中,以年少較有才智的女子爲侍史。《周禮·天官·序官》“奚三百人”漢鄭玄注:“古者從坐男女沒入縣官爲奴,其少才知以爲奚,今之侍史官婢,或曰奚官女。”《後漢書·荀爽傳》:“臣竊聞後宮采女五六千人,從官侍使復在其外……諸非禮聘未曾幸御者,一皆遣出,使成妃合。”唐韓愈《題百葉桃花》詩:“應知侍史歸天上,故伴仙郞宿禁中。”淸查愼行《題蔡方麓修撰早朝圖》詩:“水晶簾成月如鈎,侍史妝成盡下樓。”
2.古時侍奉左右、掌管文書的人員。《史記·孟嘗君列傳》:“孟嘗君待客坐語,而屛風後常有侍史,主記君所與客語,問親戚居處。”宋蘇軾《用前韻答西掖諸公見和》:“豈惟蹇步苦追攀,已覺侍史疲奔送。”
司声
『三禮辞典』
記載なし。
『漢語大詞典』
負責聽察民情之官。《管子·七臣七主》:“芒主目伸五色,耳常五聲,四隣不計,司聲不聽,則臣下恣行,而國權大傾。”尹知章注:“司聲之官,隨君所好,不爲聽其理亂之音也。”
保衡
『三禮辞典』
記載なし。
『漢語大詞典』
商代伊尹的尊號。又稱“阿衡”。
(求めているものとは全く無関係)
地官
大司徒
『三禮辞典』
職官名。地官之長,六卿之一。總掌教育、土地、產殖等務。《周禮・地官》職官叙:“乃立地官司徒,使帥其屬掌邦教,以佐王安擾邦國。”《禮記・王制》:“司徒脩六禮以節民性,明七教以興民德,齊八政以防淫,一道德以同俗,養耆老以教孝,恤孤獨以逮不足,上賢以崇德,簡不肖以絀惡。命鄉簡不帥教者以告。”此均言大司徒負責修禮明教,上賢黜惡之事。 《周禮・地官・大司徒》:“以天下土地之圖,周知九州之地域廣輪之數。辨山林、川澤、丘陵、墳衍、原隰之名物。……以土會之法,辨五地之物生。”此言大司徒掌土地、産殖諸事。
小司徒
『三禮辞典』
職官名。中大夫。地官之屬。爲大司徒之副貳,協助大司徒治政,並掌理民衆之數及其征役、祭祀、飲食、喪紀等事務。《周禮・地官・小司徒》:“掌建邦之教法,以稽國中及四郊都鄙之夫家九比之數,以辨其貴賤老幼廢疾,凡征役之施舍,與其祭祀、飲食、喪紀之禁令。”
閭胥
閭師
司市
胥
『十二国記』本文中に記載があったか確認中
遂人
里宰
迹人
田猟
『三禮辞典』
記載なし。
『漢語大詞典』
打獵。《詩·齊風·還序》:“哀公好田獵,從禽獸而無厭,國人化之,遂成風俗。”《左傳·襄公三十一年》:“譬如田獵,射御貫,則能獲禽。”《三國志·吳志·張昭傳》:“權每田獵,常乘馬射虎。”宋郭彖《睽車志》卷一:“支提長老善秀,言其鄕里有人,以田獵畢弋爲業者。”郭沫若《中國古代社會硏究》第三篇第一章第一節:“田獵所獲的數目於卜辭中屢有登載。”
少府
『三禮辞典』
記載なし。
『漢語大詞典』
部丞
『三禮辞典』
記載なし。
『漢語大詞典』
果丞
『三禮辞典』
記載なし。
『漢語大詞典』
春官
大宗伯
『三禮辞典』
職官名。掌邦國祭祀典禮。六卿之一。屬春官。大宗伯亦稱宗,亦稱大宗、上宗、宗人。《周禮・春官・大宗伯》:“大宗伯之職,掌邦之天神、人鬼、地示之禮,以佐王建保邦國。”《國語・楚語下》:“使名姓之後,能知四時之生,犧牲之物,玉帛之類,采服之儀,彝器之量,次主之度,屏攝之位,壇場之所,上下之神,氏姓之出,而心率舊典者爲之宗。”韋昭注:“宗,宗伯,掌祭祀之禮。”孫詒讓《周禮正義》卷三十二:“宗即禮官之通稱。《魯語》又云:‘夏父弗忌爲宗。’宗即宗伯也。《書・顧命》云‘大宗麻冕彤裳。’又 云‘上宗奉同瑁。’孔疏引鄭《書》注,以爲上宗猶大宗,即大宗伯是也。《曾子問》、《祭統》亦並有大宗。《周書・嘗麥篇》又謂之太宗,義並同。”孫氏又云:“此經有都宗人、家宗人,則宗人爲卑者之稱。然經典多通稱宗伯爲宗人。《雜記》云:‘大夫之喪,大宗人相,小宗人命龜。’孔疏謂即大小宗伯。《書・顧命》云:‘授宗人同。’孔疏亦以爲小宗伯。是宗伯、宗人可互稱。”
(小宗伯)
『三禮辞典』
職官名。禮官之副。凡國之大禮佐大宗伯,凡國之小禮,小宗伯專掌其事。中大夫。屬春官。亦稱小宗,又稱彌宗。《周禮・春官》:“小宗伯之職,掌建國之神位,右社稷,左宗廟。……凡國之大禮佐大宗伯,凡小禮掌事如大宗伯之儀。”《周書・嘗麥解》:“王降階,即假于大宗小宗少秘于社。”又《王會解》:“祝淮氏、榮氏次之,皆西南。彌宗旁之。”按《周書》之小宗、彌宗,即《周禮》之小宗伯。
鶏人
大師
『三禮辞典』
(tàl太—)職官名。掌理音律,樂工之長。下大夫。屬春官宗伯。諸侯亦有此官。《周禮・春官・大師》:“掌六律、六同,以合陰陽之聲。……教六詩:曰風,曰賦,曰比,曰興,曰雅,曰頌。”鄭玄注:“教,教瞽矇也。”《儀禮・大射儀》:“乃席工于西階上,少東。小臣納工。工六人,四瑟。僕人正徒相大師,僕人師相少師,僕人士相上工。”鄭玄注:“工,謂瞽矇善歌諷誦詩者也。六工:大師、少師各一人,上工四人。四瑟,禮大樂衆也。”按少師即小師。大師、少師均稱爲工。大師、少師亦以瞽矇者爲之。《大射儀》爲諸侯之禮,是諸侯亦有此官職。《論語・微子》:“大師摯適齊,亞飯干適楚,三飯繚適蔡,四飯缺適秦,鼓方叔入於河,播鼗武入於漢,少師陽、擊磬襄入於海。”按此章記魯哀公時禮壞樂崩,樂人皆去。亞飯指天子諸侯第二次用飯時奏樂之樂人。干,樂人之名。三飯、四飯同。
大卜
『三禮辞典』
職官名。掌卜筮之事,爲卜官之長。下大夫。屬春官宗伯。亦稱卜正,亦稱易。 《周禮・春官・大卜》:“掌三兆之法:一曰玉兆,二曰瓦兆,三曰原兆。其經兆之體皆百有二十,其頌皆千有二百。掌三易之法:一曰《連山》,二曰《歸藏》,三曰《周易》。其經卦皆八,其别皆六十有四。 掌三夢之法:一曰致夢,二曰觭夢,三曰咸陟。其經運十,其别九十。以邦事作龜之八命:一曰征,二曰象,三曰與,四曰謀,五曰果,六曰至,七曰雨,八曰瘳。以八命贊三兆、三易、三夢之占,以觀國家之吉凶,以詔救政。”是大卜所掌爲龜卜、易筮、占夢三者。八命,謂國之八項大事須待占卜者。征,征伐。象,災異。與,所與共事。謀,謀議。果,問事成與不成。至,問人來不來。雨,問雨不雨。瘳,問病愈不愈。《左傳・隱十一年》:“滕侯曰:‘我,周之卜正也。’ ”杜預注:“卜正,卜官之長。”《禮記・祭義》: “易抱龜南面。”鄭玄注:“易, 官名,《周禮》曰大卜。”則大卜亦稱易。按西周金文亦有 “司卜”。《舀鼎》: “王若王:舀,令女更乃祖考𤔲※卜事。”𤔲※卜,即司卜。
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馮相氏
保章氏
内史
御史
二声氏
『三禮辞典』
記載なし。
『漢語大詞典』
記載なし。
候気
『三禮辞典』
記載なし。
『漢語大詞典』
占驗節氣的變化。古人將葦膜燒成灰,放在律管內,到某一節氣,相應律管內的灰就會自行飛出,據此,可預測節氣的變化。《後漢書·律曆志上》:“候氣之法,爲室三重,塗釁必周,密布緹縵。室中以木爲案,每律各一,內庳外高,從其方位,加律其上,以葭灰抑其內端,案曆而候之。氣至者灰動。其爲氣所動者其灰散,人及風所動者其灰聚。”元劉壎《隱居通議·律管候氣》:“北齊神武霸府田曹參軍信都芳,世號知音,能以管候氣。”淸吳偉業《讀端淸鄭世子傳》詩:“候氣推黃鐘,攷風定六律。”
候風
『三禮辞典』
記載なし。
『漢語大詞典』
觀測風向。《淮南子·齊俗訓》“辟若俔之見風也”漢高誘注:“俔,候風者也。”
掌暦
『三禮辞典』
記載なし。
『漢語大詞典』
記載なし。
夏官
大司馬
『三禮辞典』
職官名。掌統帥軍隊,執行征伐,平定邦國以及封建邦國等職。六卿之一。屬夏官。《周禮・夏官・大司馬》:“掌建邦國之九法,以佐王平邦國。制畿封國,以正邦國;設儀辨位,以等邦國;進賢興功,以作邦國;建牧立監,以維邦國;制軍詰禁,以糾邦國;施貢分職,以任邦國;簡稽鄉民,以用邦國;均守平則,以安邦國;比小事大,以和邦國。以九伐之法正邦國。馮弱犯寡,則眚之;賊賢害民,則伐之;暴内陵外,則壇之;野荒民散,則削之;負國不服,則侵之;賊殺其親,則正之;放弑其君,則殘之。犯令陵政,則杜之;外内亂,鳥默行,則滅之。”執行此九法、九伐,爲大司馬之主要職責。
小司馬
『三禮辞典』
職官名。司馬之副職。中大夫。屬夏官司馬。其職掌《周禮》有缺文。祇存二十一字,云:“凡小祭祀、會同、饗射、師田、喪紀,掌其事,如大司馬之法。”賈公彦疏:“小祭祀以下至喪紀,皆蒙小字,對大司馬大祭祀之等。”
掌固
『三禮辞典』
職官名。掌修護城郭、溝池、樹渠,並派民守衛之事。上士。屬夏官司馬。《周禮・夏官・掌固》:"掌脩城郭、溝池、樹渠之固,頒其士庶子及其衆庶之守。設其飾器,分其財用,均其稍食。任其萬民,用其材器。……晝三巡之,夜亦如之。”其職爲派遣縣鄙公邑貴族子弟等修護城郭、溝池、藩籬。征用所需器材,分發守護者之月給禄米,晝夜巡視各三次。
射人
『三禮辞典』
職官名。主射禮之職,兼掌三公孤卿大夫朝位等事。下大夫。屬夏官司馬。亦稱射人師、大射正、司射。又有小射正,則上士、下士爲之。《周禮・夏官・射人》:“以射法治射儀。……若王大射,則以貍步張三侯,王射,則令去侯,立于後,以矢行告,卒,令取矢。祭侯,則爲位,與大史數射中,佐司馬治射正。祭祀,則贊射牲。”此乃述射人主射禮之職。又《射人》云:“射人掌國之三公孤卿之位。三公北面,孤東面,卿大夫西面。其摯,三公執璧,孤執皮帛,卿執羔,大夫執鴈。諸侯在朝,則皆北面,詔相其法。若有國事,則掌其戒令,詔相其事,掌其治達。”此乃述射人兼掌朝位之事。《儀禮・大射儀》:“射人戒諸公卿大夫射。”鄭玄注:“射人掌以射法治射儀。……司馬之屬也。”又《大射儀》:“司射適次。”鄭玄注:“司射,射人也。”《禮記・檀弓上》:“射人師扶左。”鄭玄注:“射人皆平時贊正君服位者。”《禮記・内則》:“射人以桑弧蓬矢六射天地四方。”此大射正、射人師、司射及《内則》所云之射人,均同《周禮》之射人,以下大夫爲之。又《儀禮・大射儀》:“小射正作取矢如初。”鄭玄注:“小射正,司射之佐。”則或上士、下士爲之。《周禮・夏官》職官敍,射人另有“上士四人,下士八人。”或即小射正。
日本語訳
職官名。弓を射る儀礼の職を司る。三公・孤・卿・大夫の序列に関することなどをつかさどる。下大夫。夏官司馬に属する。射人師、大射正、司射とも称される。射人とは別に小射正がおり、上士、下士がこれを担う。『周礼』夏官・射人には「弓を射る模範を示して射儀を整える。……もし王が自ら射を行う場合は、貍歩という測量機で的までの距離を計測し、王や諸侯が射る三種類の的を設置する。王が弓を射たら的を取り除けさせ、的の後に立って矢が何処を射たかを告げ、兵卒に矢を取りに行かせる。的を祭る儀礼の際には射人の席が設けられ、大史と共に的に当たった矢の数を数え、司馬を助けて射正を統括する。天地や宗廟の祭祀を行う際は、天子が自ら犠牲を射て祭るのを助ける。」とある。これはつまり、射人が射礼の職務をつかさどっていることを述べている。『周礼』夏官・射人には「射人は国の三公や孤、卿、大夫が天子に目通りする順序や位置を差配する。三公は北面し、孤は東面し、卿大夫は西面する。それぞれの進物は、三公ならば璧を、孤ならば革や絹を、卿ならば子羊を、大夫ならば鴈を用意する。諸侯が朝にあれば、皆に北面させてそのやり方を告知する。もし国で祭祀を行う場合は、禁戒の命令をつかさどり、そのことを告知し、その伝達と命令をつかさどる」とある。これはつまり、射人が朝廷の官位に関する事柄をつかさどっていることを述べている。『儀礼』大射儀には「射人は諸々の公・卿・大夫の射る者に告げる」※1とあり、この鄭玄注に「射人は射法でもって射儀を統括する。……司馬の属官である」とある。また同じく『儀礼』大射儀に「司射は更衣所に行く」とあり、この鄭玄注に「司射は射人である」とあり、『礼記』檀弓上には「射人師は天子の左を支える」とあり、鄭玄注に「射人は皆平時は君主の服位を整える者である」とある。『礼記』内則には「射人は桑の弓と蓬の矢でもって、天地四方を六度射る」とある。この大射正、射人師、司射及び『礼記』内則で言われる射人は、どれも『周礼』の射人と同じで、『礼記』内則のこの記述の後に見える「大夫」もこの官職の者である。また『儀礼』大射儀に「小射正が(公・卿・大夫に)矢を取らせることもはじめのようにする」とあり、鄭玄注に「小射正は司射の補佐である」とある。これは恐らく上士や下士が担ったのだろう。『周礼』夏官の職官敍の射人の項には、別途「上士四人、下士八人」と書かれている。おそらくこれが小射正であろう。
※1池田末利『儀禮 2』(1974年・東海大学出版会)を参考にしました。
コメント
新潮版『黄昏の岸 暁の天』P.439より
「王の警護は夏官の中でも射人、特に司右の職責だった。公においては司右の下官である虎賁氏が、私においては大僕がそれを指揮する。ここで言う「私」とは、内宮を指す。内宮とは、王宮の最深部にあたる後宮及び東宮、西宮を含む燕寝と、正寝、仁重殿、禁門に至る路寝、そして内殿と外殿までを言う。その外側を外宮と言い、ただし、内殿と外殿を含む。本来、王は内宮の最も表にあたる内殿までしか出ないものだ。そして臣下は、原則として外宮の最も奥に当たる内殿までしか立ち入ることができない。」
『十二国記』シリーズにおける射人は、王の身辺警護の官であると書かれています(実は射人と司右の関係や、州における警護の官との名称異同は結構ややこしい上に、良く分からない部分でもあるのですが……)。一方、『周礼』における射人は、まず第一に射礼とか射儀と言われる儀礼を行う際に、儀式の会場を整えたり、儀式進行における重要な役割を担う官であるとされています。
『十二国記』では射儀と言えば、「丕緒の鳥」に見える儀式のことですが、古代中国においては、君主や諸侯・卿・大夫・士といった上流階級の人々が弓矢で的を射る儀式のことです。小南一郎「射の儀禮化をめぐって」(『中國古代禮制研究』1995・京都大学人文科学研究所 所収)には「……射は、貴族の子弟たちが身に付けておくべき基本的な技芸の一つとして、専門の教育がかりを通じて教えられたとされている。確かに、戦士として戦場に出る義務のある、中国古代の支配階層に属する者にとって、射の技術の習練は、必要不可欠なたしなみの一つであったに違いない」とあり、周代~戦国時代の上流階級の男性にとって、弓矢を操る技術は必須のものでした。弓の腕前比べを儀礼の形にしたのが射礼とか射儀であると考えると良いかと思います。
小野不由美氏は射儀の意味を、古代中国における「弓で的を射る儀礼」とは大きく異なるものに変更しつつ、弓射が官吏にとって重要な嗜みであるという設定も設けています。古代中国における射礼・射儀については膨大な資料と研究がありますが、この儀式が何を目的とした儀式なのかとか、何を意味しているのか、といったことについては、十分に明らかになったとは言えません。その難しさと面白さを上手にファンタジー世界に組み込んでいるなあと感じました。
また、射人には射礼のシーン以外の職務もあると『三禮辞典』には記述されています。それは、臣下が君主と対面する際の差配や、序列の管理、祭祀を行う際の通告の職務です。『三禮辞典』に引用されていた『礼記』檀弓上「射人師は天子の左を支える」の鄭注には「君主が病の時のことである」と見え、その後に「僕人や射人は皆、平時は君主の衣服や位を整える者である」というような記述があり、これは身の回りの世話の職務に当たります。
この辺りの記述から、小野氏は「射人は警護の官である」という設定を作ったのかもしれません。次の大僕と見比べると、身の回りの世話という職務よりも、儀式の差配の職務がメインの官であるように思います。
射鳥氏
『三禮辞典』
職官名。掌射鳥供膳羞,兼司祭祀時驅烏鴉鳶鴟,行射禮時取矢于侯等職。下士。屬夏官司馬。《周禮・夏官・射鳥氏》:“掌射鳥。祭祀以弓矢敺烏鳶。凡賓客會同軍旅亦如之。射則取矢,矢在侯高,則以并夾取之。”射鳥,鄭玄注:“鳥謂中膳羞者,鳧、鴈、鴇、鴞之屬。”注又云:“烏鳶善鈔盜,便汙人。”故行禮時須驅之。
日本語訳
職官名。鳥を射て珍味を供することをつかさどり、祭祀の時に烏・鴉・鳶・鴟などの鳥を追い出し、射礼を行う時に侯の矢を取るなどの職務を兼任する。下士。夏官司馬に属する。『周礼』夏官・射鳥氏に「鳥を射ることをつかさどる。祭祀においては弓矢でもって烏や鳶を追い出す。賓客が一同に会して軍隊を集合させた場合も同じである。弓を射ればその矢を取って、矢が的の高いところに当たれば、道具を用いてこれを取る」とある。鄭玄注に「鳥の中で珍味とされるものは、鳧、鴈、鴇、鴞の類いである」とあり、また「烏や鳶は人から奪い取り、糞が人を汚す」とある。それゆえに、儀礼を行う時にはこれらの鳥を当然追い出さねばならないのである。
コメント
鳥の名前と、それぞれが現代日本語の何に該当するかについては調査を省いています。こだわるととても難しい分野なので……。
射鳥氏が『十二国記』オリジナルなのは、当然として、礼に関する経書に見える「射」とか「射儀」というものと、『十二国記』の射儀とが全く違っていること、それでありながら『十二国記』の射儀もまた一つの儀礼・儀式として重要な役割を担っていることなどが非常に面白く感じられます。小野主上のアレンジセンス、凄い。
羅氏
『三禮辞典』
職官名。掌以羅網捕鳥之事。下士。屬夏官司馬。亦稱大羅氏。《周禮・夏官・羅氏》:“掌羅烏鳥。蜡則作羅襦,中春羅春鳥,獻鳩以養國老,行羽物。”鄭玄注引鄭司農云:“襦,細密之羅。”言至周十二月蜡祭時,用細網捕鳥。“行羽物”言分賜羽鳥于羣臣。《禮記・郊特牲》:“大羅氏,天子之掌鳥獸者也。”則大羅氏即《周禮》之羅氏。
司士
『三禮辞典』
職官名。掌理羣臣名册、陞降、征召及正朝儀之位等職。下大夫。屬夏官司馬。 《周禮・夏官・司士》:“掌羣臣之版,以治其政令。歲登下其損益之數,辨其年歲與其貴賤,周知邦國都家縣鄙之數,卿大夫士庶子之數。 以詔王治。……正朝儀之位,辨其貴賤之等。……凡祭祀, 掌士之戒令,詔相其法事;及賜爵,呼昭穆而進之。帥其屬而割牲羞俎豆。凡會同,作士從。賓客亦如之。作士適四方使,為介。大喪,作士掌事,作六軍之士執披。凡士之有守者,令哭,無去守。國有故,則致士而頒其守。凡邦國,三歲則稽士任而進退其爵禄。”司士具體之職掌:一、掌理羣臣名册,統計全國羣臣之人數。二、向王進賢,論定羣臣之爵禄,三年考核進退一次。三、正朝位。四、在祭祀、會同、大喪、兵災時,選派衆臣各任其事。
司右
『三禮辞典』
職官名。掌管車右之士之政令。上士。屬夏官司馬。《周禮・夏官・司右》:“司右掌羣右之政令。凡軍旅、會同,合其車卒伍,而比其乘,屬其右。凡國之勇力之士能用五兵者屬焉,掌其政令。”《周禮·夏官》職官叙鄭玄注:“右,謂有勇力之士充王車右。”本職注云:“羣右:戎右、齊右、道右。”又云“選右當于中,《司馬法》曰:弓矢圍,殳矛守,戈戟助。凡五兵,長以衛短,短以救長。”按凡車右,選勇士為之,善使矛戟等兵器。《詩・閟宫》鄭玄笺云:“兵車之法,左人持 弓,右人持矛,中人御。”
虎賁氏
『三禮辞典』
職官名。掌管虎士八百人,任王之護衛等職。下大夫。屬夏官司馬。《周禮·夏官》職官叙:“虎賁氏下大夫二人,……虎士八百人。”鄭玄注:“虎士,徒之選有勇力者。”《夏官・虎賁氏》:“掌先後王而趨以卒伍。軍旅會同亦如之,舍則守王閑。王在國,則守王宫。國有大故,則守王門,大喪亦如之。及葬從遣車而哭。適四方使,則從士大夫。若道路不通,有徵事則奉書以使于四方。”言 “舍則守王閑”者,謂王出宿于外,則四周設梐枑守之。梐枑,亦稱行馬,架木以遮攔行人。
日本語訳
職官名。虎士八百人を統括し、王の護衛などの職に任じる。下大夫。夏官司馬に属する。『周礼』夏官の職官叙に「虎賁氏下大夫二人,……虎士八百人」とあり、この鄭玄注に「虎士とは、勇気と力を有する選抜された歩兵である」とある。『周礼』夏官・虎賁氏には「王を補佐して、卒伍(五人単位のグループ)で走る。軍旅が合流した際も同じで、宿泊先では防衛の為の垣根を守る。王が国にある場合は王宮を守る。国に大きな事件があった時には王門を守り、天子やその親族の喪があった場合も同じである。葬儀の際には遣車という生贄を載せた車に従って泣く。四方に使者として赴く際は、士大夫に従う。もし道路が通じておらず、徴兵することがあれば、書を奉り四方へ使者として向かう」とある。「舍則守王閑」(宿泊先では防衛の為の垣根を守る)とは、王が(王宮の)外で宿泊する際に、四方に人や馬の侵入を防ぐ梐枑(駒よけ)を設けてこれを守ることを言っている。梐枑はまた行馬とも言い、木を組み合わせて、人が通るのを遮るものである。
大僕
『三禮辞典』
職官名。掌正王之服位,傳達王命,轉呈奏事,助王擊鼓等職。爲諸僕之長。下大夫。屬夏官司馬。亦稱僕大夫、僕人正、正僕人。《周禮・ 夏官・大僕》: “大僕掌正王之服位,出入王之大命,掌諸侯之復逆,王視朝,則前正位而退,入亦如之。建路鼓于大寢之門外,而掌其政。以待達窮者與遽令,聞鼓聲則速逆御僕與御庶子。祭祀、賓客、喪紀正王之服位,認法儀,贊王牲事。王出入則左馭而前驅。凡軍旅、田役贊王鼓,救日月亦如之。大喪始崩,戒鼓,傳達于四方。窆,亦如之。縣喪首服之法于宫門。掌三公孤卿之吊弔勞。王燕飲則相其法。王射則贊弓矢。王視燕朝,則正位,掌擯相。王不視朝,則辭于三公及孤卿。”《儀禮・大射儀》:“僕人正徒相大師,僕人師相少師, 僕人士相上工。”鄭玄注:“僕人正,僕人之長;師,其佐也; 士,其吏也。”又《左傳・成六年》:“韓獻子將新中軍,且爲僕大夫。”《左傳・昭十三年》:“因正僕人殺大子禄。”此僕人正,僕大夫、正僕人均同於天子之大僕。
日本語訳
職官名。王の衣服を整え、王命を伝達し、上奏する事柄を王に進上し、王が太鼓を叩くのを助けるなどの職務である。奴隷の長。下大夫。夏官司馬に属する。僕大夫、僕人正、正僕人と称することもある。『周礼』夏官・大僕に「大僕の職掌は、王が礼を行う際の身なりを整え、王の命令を下に伝え、諸侯からの上申を王に伝えることである。王が朝を見るのであれば先に席を整えてから退出し、朝が終わるまで待機する。路鼓を大寝の門外に立てて、その運用を担う。王を害そうとする者や伝令が現れないか待機し、鼓の音が聞こえればすぐに御僕と御庶子の二官を出迎える。祭祀の時、賓客が来訪した時、葬儀の時は王の身なりを整え、礼儀作法を承知して、王が生け贄を祭るのを補佐する。王が出かける際は左手に御者となって前駆する。進軍や狩猟の時は王が鼓を打つのを補佐し、日蝕や月蝕の際には鼓を打つのを控える。王・王后・王の子息が亡くなった場合は、鼓を打つのを控え、四方に伝達する。埋葬についても同じ様に行う。葬儀の際の服装に関する決まりを宮門に掛けて四方に示す。三公や孤、卿らの弔問を取り仕切る。王が宴席を設ければ、その取り仕切りを補佐する。王が弓を射れば、弓矢を扱うのを補助する。王が燕朝で政務を行う場合はその席を整えて案内を司る。王が政務を行わない場合は、三公及び孤や卿に伝言する」とある。また、『儀礼』大射儀には「僕人正は徒手で多くの部下を率い、僕人師はそれよりも少ない部下を率い、僕人士は上工を率いる」とあり、この鄭玄注に「僕人正とは僕人の長であり、師とはその補佐である。 士はその下役である」とある。また、『春秋左氏伝』成公六年に「韓献子は新中軍の将として、僕大夫を兼ねていた」※1とあり、同じく『春秋左氏伝』昭公十三年には「蔡公は(中略)正僕人(近習)の手を借りて太子禄と公子罷敵とを殺した」※2とある。この僕人正、僕大夫、正僕人はどれも同じもので、天子の大僕である。
※1小倉芳彦『春秋左氏伝 中』(岩波書店・1989年)P.53 より引用
※2小倉芳彦『春秋左氏伝 下』(岩波書店・1989年)P.151 より引用
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大僕、仕事が多岐に渡っていて、すごく忙しそうだなと感じたのは私だけでしょうか。国君の大僕ではありませんが、項梁が過労死しかけていた(?)のも、何だか納得が……。
小臣
『三禮辞典』
職官名。掌傳達王次要之命令,贊佐王之小禮節,大僕之副佐。上士。屬夏官司馬。亦稱小臣師、小臣正。《周禮・夏官・小臣》:“小臣掌王之小命,詔相王之小法儀。掌三公及孤卿之復逆,正王之燕服位。王之燕出入則前驅。大祭祀、朝覲沃王盥。小祭祀、賓客、饗食、賓射,掌事如大僕之法,掌士大夫之弔勞。 凡大事佐大僕。”鄭玄注:“小命,時事所敕問也。小法儀,趨行拱揖之容。燕出入,若今游於諸觀苑。”《儀禮・燕禮》:“小臣納卿大夫。……小臣師一人在東堂下。”鄭玄注:“師,長也。小臣之長一人。”又《大射儀》:“小臣師納諸公卿大夫。”鄭玄注:“小臣師,正之佐也。”又《大射儀》: “小臣正辭,賓陞,再拜。”鄭玄注:“正,長也。”按《周禮・夏官・大僕》: “王燕飲則相其法。”諸侯行燕禮由小臣正、小臣師、小臣相燕飲之法,則小臣正、小臣師、小臣,當天子大僕之事。
日本語訳
職官名。王の副次的な命令を伝達し、王の小規模な儀礼を補助し、大僕の補佐を務める。上士。夏官司馬に属する。小臣・小臣正とも称す。『周礼』夏官・小臣に「小臣は王の小さな命令をつかさどり、立ち居振る舞いや礼儀作法など、王の小規模な儀礼を教導する。三公よよび孤・卿からの上告をつかさどり、王の私的な場での身なりを整える。王が庭園を見に出御する際は前駆を務める。大きな祭祀の時、臣下が朝廷で王に拝謁する時は、王が手を清める際に水を注ぐ。小さい祭祀の時、客を迎える儀礼やもてなしの儀礼、食事の儀礼、諸侯が来朝して射を行う際の儀礼などを司り、大僕の職務と同じである。士大夫の弔問をつかさどる。大事においては大僕の補佐をする」とあり、鄭玄注に「小命とは時節ごとになすべきことの勅命である。小法儀とは立ち居振る舞いに関する礼儀である。燕出入とは、今日の天子が庭園を見に遊びに行くようなものである」とある。『儀礼』燕礼には「小臣は卿・大夫を入室させる。……小臣師一名が東堂の下にいる」とあり、この鄭玄注に「師とは長である。小臣の長一名である」とある。また『儀礼』大射儀には「小臣正が辞退し、賓が堂に上り、再び拝礼する」とあり、鄭玄注に「正は長である」とある。考えるに、『周礼』夏官・大僕の「王が宴席を設ければ、その取り仕切りを補佐する」という記述があり、諸侯が宴席を設ける際には小臣正・小臣師・小臣が宴席の儀礼を補佐するのに従うので、小臣正・小臣師・小臣というのはちょうど天子の大僕のことである。
コメント
最後の方の解説がこれだけだと意味不明になるのは理解しているのですが、「燕」(客をもてなす飲酒の儀礼)について私がきちんと調べ、整理し、理解するのはちょっと荷が重いので、このままにさせてください。恐らく、王の燕と諸侯の燕では方法に異同があるということを踏まえての記述と思われます。
校人
『三禮辞典』
職官名。掌理馬匹及其政令。為馬官之長。中大夫。屬夏官司馬。亦稱校正。《周禮・夏官・校人》:“掌王馬之政,辨六馬之屬,種馬物,戎馬一物,齊馬一物,道馬一物,田馬一物,駑馬一物。凡頒良馬而養乘之。……春祭馬祖,執駒;夏祭先牧,頒馬,攻特;秋祭馬社,臧僕;冬祭馬步,獻馬,講馭夫。凡大祭祀、朝覲、會同,毛馬而頒之;飾幣馬執扑而從之。凡賓客,受其幣馬。大喪,飾遣車之馬,及葬埋之。田獵則帥驅逆之車。凡將事于四海山川,則飾黄駒。凡國之使者共其幣馬。凡軍事,物馬而頒之。等馭夫之禄、宫中之稍食。”據《周禮》所述,校人之職掌:一、辨别馬類,分發于下屬廐繫等牧養之。二、按四時祭馬祖、先牧、馬社、馬步,並為執駒、攻特及訓練馭夫等事。三、凡大祭祀、朝覲、會同、賓客、大喪、田獵、巡守等,校人負責有關馬匹之事。四、評定下屬馭夫等之俸禄及廪食。校人在侯國亦稱校正。《左傳・成十八年》:“弁糾御戎校正屬焉。” 杜預注:“校正,主馬官。”《左傳・襄九年》:“使皇鄖命校正出馬。”杜預注:“校正主馬。”按《孟子・萬章上》:“昔者有饋生魚於鄭子産,子産使校人畜之池。”趙岐注:“校人,主池沼小吏也。”此校人與《周禮》校人不同。
山師
『三禮辞典』
職官名。掌山林之名物,使各國貢珍異。中士。屬夏官司馬。《周禮・夏官・山師》:“掌山林之名,辨其物,與其利害,而頒之于邦國,使致其珍異之物。”
司馬補
『三禮辞典』
記載なし。
『漢語大詞典』
記載なし。
太衛
『三禮辞典』
記載なし。
『漢語大詞典』
記載なし。
射士
『三禮辞典』
記載なし。
『漢語大詞典』
弓箭手。《史記·李將軍列傳》:“貳師將軍李廣利將三萬騎擊匈奴右賢王於祁連天山,而使陵將其射士、步兵五千人出居延北可千餘里,欲以分匈奴兵,毋令專走貳師也。”
日本語訳
秋官
大司寇
『三禮辞典』
職官名。掌刑法,以佐王正邦國。斷諸侯、卿大夫、庶民之獄訟。六卿之一。屬秋官。《周禮・秋官・大司寇》:“掌建邦之三典,以佐王刑邦國,詰四方。一曰刑新國,用輕典;二曰刑平國,用中典;三曰刑亂國,用重典。以五刑糾萬民,一曰野刑,上功糾力;二曰軍刑,上命糾守;三曰鄉刑,上德糾孝;四曰官刑,上能糾職;五曰國刑,上愿糾暴。以圜土聚教罷民。……凡諸侯之獄訟,以邦典定之;凡卿大夫之獄訟,以邦法斷之;凡庶民之獄訟,以邦成弊之。”
小司寇
『三禮辞典』
職官名。掌外朝之政,以五刑聽萬民之獄訟。中大夫。屬秋官司寇。《周禮・秋官・小司寇》:“掌外朝之政,以致萬民而詢焉。一曰詢國危,二曰詢國遷,三曰詢立君。……以五刑聽萬民之獄訟,附于刑,用情訊之。至于旬,乃弊之,讀書則用法。凡命夫命婦,不躬坐獄訟。凡王之同族有罪,不即市。以五聲聽獄訟,求民情:一曰辭聽,二曰色聽,三曰氣聽,四曰耳聽,五曰目聽。”
朝士
司刑
司刺
掌囚
掌戮
司隷
大行人
『三禮辞典』
職官名。掌諸侯國來朝及使命往來等職。中大夫。屬秋官司寇。《周禮・秋官・大行人》:“掌大賓之禮,及大客之儀,以親諸侯。春朝諸侯而圖天下之事,秋覲以比邦國之功,夏宗以陳天下之謨,冬遇以協諸侯之慮,時會以發四方之禁,殷同以施天下之政。時聘以結諸侯之好,殷覜以除邦國之慝。閒問以諭諸侯之志,歸脤以交諸侯之福,賀慶以贊諸侯之喜,致禬以補諸侯之烖。……十有二歲,王巡守、殷國。凡諸侯之王事,辨其位,正其等,協其禮,賓而見之。若有大喪,則詔相諸侯之禮;若有四方之大事,則受其幣,聽其辭。”大行人所掌爲天子與侯國交往之禮儀。諸侯朝覲天子者,有朝、覲、宗、遇、時會、殷同六事。王使臣至諸侯者,有閒問、歸脤、賀慶、致禬四事。王親自出巡者,有巡守、殷國二事。大行人在諸賓禮中,負辨位、正等、協禮等職。
司法
『三禮辞典』
記載なし。
『漢語大詞典』
典刑
『三禮辞典』
記載なし。
『漢語大詞典』
冬官
大司空
『三禮辞典』
記載なし。
また、『周礼』経文にも「大司空」の語なし。
ここでは分かる範囲で、「大司空」と「司空」について調査します。
『漢語大詞典』大司空
官名。春秋晉有大司空,主司土木。漢成帝時,改御史大夫爲大司空,哀帝時曾復舊稱,后再改爲大司空,與大司徒、大司馬幷稱三公,成爲共同負責最高國務的長官。東漢以后但稱司空。明淸用作工部尙書的別稱。(以下引用省略)
日本語訳
官名。春秋時代の晋に大司空という役職があり、主に土木事業をつかさどった。漢の成帝の時代、御史大夫を改めて大司空とし、哀帝の時代に旧称を復活させたが、その後再び大司空に改めた。大司徒・大司馬と並んで三公と称され、共同の最高国務長官としてその責を負うことになった。後漢以降、ただ司空とだけ呼ばれるようになった。明・清の時代には工部尚書の別称として用いられた。
『漢語大詞典』司空
1.官名。相傳少昊時所置,周爲六卿之一,即冬官大司空,掌管工程。漢改御史大夫爲大司空,與大司馬、大司徒幷列爲三公,后去大字爲司空,曆代因之,明廢。淸時別稱工部尙書爲大司空,侍郞爲少司空。(引用省略)
日本語訳
1.官名。伝説では少昊の時代に置かれた官で、周の六卿の内の一つである。冬官の大司空のことであり、土木事業をつかさどる。漢の時代に御史大夫を大司空と改称し、大司馬・大司徒と共に三公として並び称された。後に「大」の字を取って司空となり、その後の時代もこれに従った。明の時代に廃止された。清の時代には工部尚書の別称として大司空が用いられ、侍郎は少司空と呼ばれた。
『辞源』大司空
官名。詳“司空一”。
日本語訳
官名。詳しくは「司空 1」を見よ。
『辞源』司空
官名。1.西周主管建築工程、製造車服器械、監督手工業奴隸的官,為六卿之一。國語周中:“司空不視塗。” 注:“司空,卿官,掌道路者。”金文寫作 “司工”。見郭沫若兩周金文辭大系免觶銘文。東漢司空,為三公之一,主管水土及營建工程。清時俗稱工部尚書為大司空。
2.漢成帝綏和元年改御史大夫為大司空。後去“大”字,稱司空。魏為三公官,參議國事,隋唐沿用。參閲通典二十職官二司空。
3.主管囚徒之官。漢書百官公卿表上:“宗正屬官有都司空令丞。”又少府屬官有左右司空,水衡屬官有水司空。都是主管囚徒的官。
日本語訳
官名。1.西周(周代の前半期)時代、主に建築や土木事業、車や礼服、器械の製造をつかさどり、手工業の奴隷の監督をする官で、六卿の内の一人である。『国語』周中に「司空は道を見ない。」とあり、その注に「司空は卿官であり、道路をつかさどる者である。」とある。金文(青銅器に刻まれた文章)では「司工」と筆写されている。郭沫若『兩周金文辭大系』「免觶銘文」を参考のこと。後漢の司空は三公の内の一人であり、主に土木事業や治水事業をつかさどった。清の時代には工部尚書の俗称を大司空と言った。
2.漢の成帝の時代の綏和元年、御史大夫を大司空と改めた。後に「大」の字を取り払い、司空と称した。魏の時代には三公官として国の政治に関する議論に参画し、隋・唐の時代にも引き継がれた。『通典』巻二十「職官」二の司空を参照のこと。
3.囚人の監督を司る官。『漢書』百官公卿表上に「宗正の属官に都司空令丞がある。」とあり、また少府の属官に左右司空が、水衡の属官に水司空がある。どれも主に囚人をつかさどる官である。
コメント
1.なぜ『周礼』冬官考工記の本文に「(大)司空」の語が見えないのに、冬官の長が(大)司空であると分かるか
『周礼注疏』冬官考工記の注疏に、次のような文章があります。
「陸曰鄭云此篇司空之官也。司空篇亡、漢興購千金不得。此前世識其事者、記録以備大數爾。○釋曰、鄭『目録』云象冬所立官也。是官名司空者、冬閉藏萬物。天子立司空使掌邦事、亦所以富立家、使民無空者也。司空之篇亡、漢興購求千金不得。此前世識其事者、記録以備大數。古周禮六篇畢矣。」
日本語訳
注:陸徳明『経典釋文』に見える鄭玄の言葉には「この篇は司空の官について述べている。司空篇は失われ、漢が興った際に千金を出して贖おうとしたが得られなかった。この秦よりも以前の時代の政治を知る者の記録で大体を整えた。」とある。
疏:解釈することには、鄭玄『三礼目録』に言うところによれば、冬をかたどって立てた官である。この官名の司空というのは、冬に万物が閉じて隠されるところからきている。天子が司空を立てて国の政治をつかさどらせたのは、邦邑を建設して豊かにさせ、民に蓄えが尽きるということをさせないためのものである。『周礼』の司空篇は失われてしまい、漢が興った際に千金を出して贖おうとしたが得られなかった。この秦よりも以前の時代の政治を知る者の記録で大体を整えた。古『周礼』は六篇で完結したのだ。
現在伝わっている『周礼』の第六篇は「冬官考工記」という篇名です。『周礼』のうち冬官に関する部分は秦の焚書によって早い時期から欠落しており、漢代の人が「考工記」という別の書物によってこれを補ったため、第六篇「冬官考工記」は第一篇「天官冢宰」~第五篇「秋官司寇」までの記載とは大きく異なる形式で書かれています。このため、冬官の長である(大)司空についても具体的な記載がありません。
それでも冬官の長が(大)司空であることが分かるのは、上記のように鄭玄が著作『三礼目録』の中で「此篇司空之官也」(この篇は司空の官について述べている)と書いてあるからです。
「司空」の語は冬官考工記には見えないものの、『周礼』の別の篇には何度か姿を見せる官職名です。そして他の篇ではこの官職の詳細は書かれていませんから、冬官に属すという目算が高くなります。
司空という官職が、実際にいつ頃配備されるようになったのかは定かではありません。郭沫若『兩周金文辭大系』「免觶銘文」を読んでみたかったのですが、すぐに読めるような環境にはおらず……。しかし、例えば許慎『説文解字』で「空」を引くと、「空:竅也。从穴工聲。」(穴のことである。「穴」から構成され、「工」が音である)とあり、後漢の頃では空と工は発音を同じくする字であることが分かります(日本語の漢字音でも、「空」の漢音は「コウ」です)。
同じ音の漢字が同一の意味で用いられる現象を「音通」と言いますが(詳しくは上位の官・臣下「冢宰」コメント1を参照)、恐らく「司空」と「司工」は発音が同じであったために、かたや「空」と書かれ、かたや「工」と書かれたのではないか、と想像出来ます。当時の人からすれば、発音の上でも、漢という同時代の役職から考えても、「司空」は「工」と容易に結びつく言葉だったことでしょう。
2.冬官の長は「大司空」なのか、それとも「司空」なのか
まず、『三禮辞典』から以下の項目をご覧下さい。
【六卿】
(一)六官之正爲卿,故冢宰、司徒、宗伯、司馬、司寇、司空合稱六卿。《周禮・天官・宰夫》:“掌治朝之法,以正王及三公、六卿、大夫、羣吏之位。”《書・周官》:“冢宰掌邦治,統百官,均四海。司徒掌邦教,敷五典,擾兆民。宗伯掌邦禮,治神人,和上下。司馬掌邦政,統六師,平邦國。司寇掌邦禁,詰姦慝,刑暴亂。司空掌邦土,居四民,時地利。六卿分職,各率其屬,以倡九牧,阜成兆民。”六卿平時各任其職,如遇田獵、兵戎,則為軍將。《書・甘誓》:“大戰于甘,乃召六卿。”僞孔傳:“天子六軍,其將皆命卿。”
日本語訳
六官の正式な卿である。ゆえに冢宰・司徒・宗伯・司馬・司寇・司空を合わせて六卿と称する。『周礼』天官の宰夫の項に「治朝をつかさどる方法は、王および三公・六卿・大夫・群吏の位を正すことである。」とあり、また『尚書』周官※1には「冢宰は国を治めることをつかさどり、百官を統率して四海の内を整える。司徒は国の教化をつかさどり、五典を敷いて万民を従わせる。宗伯は国の礼教をつかさどり、神と人間とを整えて上下を和合させる。司馬は国の政治をつかさどり、六師を統率して国を平らげる。司寇は国のおきてをつかさどり、よこしまな事を追及し、暴乱には罰を与える。司空は国土をつかさどり、四民を住まわせ、土地の利殖をつかさどる。六卿は職務を分業して、それぞれにその配下を統率し、九州の長官を先導して万民を豊かにする。」とある。六卿は平時にはそれぞれの職務に就き、狩りや出兵の蔡には将軍にもなった。『尚書』甘誓に「甘に於ける大戦では、六卿を召した」とあり、その偽孔伝※2では「天子の六軍について、その将はみな卿を任じられていた」とある。
※1この『尚書』周官と、後出の「甘誓」は、どちらも偽古文尚書と呼ばれるものです。秦の焚書によって失われた『尚書』(『書経』のこと)の一部を、南北朝時代に見つけ出したと言って時の皇帝に献上した者がいました。これには前漢の学者で孔子の子孫でもある孔安国の伝(注釈)も付されていました。時の学者は半信半疑ながらも、『尚書』の失われた篇であると結論づけてこれを後世に伝えましたが、折に触れてその真贋については疑問が持たれていました。とうとう清の時代に至り、閻若璩『尚書古文疏証』や恵棟『古文尚書攷』といった著作において、この真贋がはっきりと証明されました。この『尚書』周官の引用だけを見ると、『周礼』に欠けている情報が綺麗に出揃っている印象を受けますが、この文章は、殷・周・春秋戦国時代どころか、漢代の文章ですらない可能性があるということになります。Wikipedia「書経」がかなり詳しくこれについて解説していますので、宜しければご覧下さい。
※2偽孔伝とは、※1で書いた偽の孔安国の注釈のことを指します。
さて、ここに説明され、また『尚書』(偽古文)にも書かれている事から考える限り、六官の長(六卿)とは「冢宰、司徒、宗伯、司馬、司寇、司空」のことであって、「大司徒」や「大司馬」などではありません。これをどう考えるべきでしょうか。
それぞれの「司徒」とか「司馬」とかというのは、その職掌を示すと共に長官を示す言葉でもあると理解できます。その長官に主と副とを設けた場合にはじめて「大司徒」「小司徒」という区分が発生するのであって、単に「司徒」のトップ、という意味でこの語を用いる場合は、そのまま「司徒」と呼ぶので良い、ということなのではないかと考えられます。
『漢語大詞典』や『辞源』の記述と併せて考える限り、『周礼』冬官考工記に「司空」や「大司空」の語が見えない以上は、「大司空」という言葉は多分に漢代の三公の内の一つを指す語の向きが強いように思います。もし失われた「冬官」篇を見る事が出来たなら、そこには十中八、九「司空」の語が見え、その筆頭として「大司空」と記されていたであろうことは多くの人が感じることでしょうが、文献から言えることは最大限、「冬官の長は司空である」ということに留まるでしょう。
羅人
木人
楖人
将作
州
州侯
牧伯
令尹
州三公
州宰
州司馬
射士
州以下の官吏
太守
郷長
県正
刺史
下官・下働き
府史
胥徒
奄
奚
杖身
家生
その他
許配
剛氏
朱氏
朱旌
上士
選士
罷民
Ⅱ 建物・場所
王宮
燕寝
『三禮辞典』
天子諸侯燕息之處。亦謂之小寢。天子六寢,路寢一,燕寢五。燕寢在路寢之後。《周禮·天官·宫人》: “掌王之六寢之脩。”鄭玄注:“六寢者:路寢一,小寢五。 《玉藻》曰:‘朝辨色,始入。君日出而視朝,退適路寢聽政,使人視大夫,大夫退,然後適小寢釋服。’是路寢以治事,小寢以時燕息焉。《春秋》書:魯莊公甍于路寢,僖公甍於小寢。是則人君非一寢明矣。”賈公彥疏:“諸侯當三寢。”《禮記·曲禮》孔穎達疏:“案《周禮》王有六寢,是正寢,餘五寢在後,通名燕寢。”《周禮·天官·女御》:“掌御叙于王之燕寢。”鄭玄注:“于王之燕寢,則王不就後宫息。”孫詒讓《周禮正義》引胡培翬云:“王之六寢,其一爲正寢,治事之處。而所居恆在於燕寢。后夫人以下分居六宫,其有當御者,則就於王之燕寢,此古者王后居寢之制也。”
『漢語大詞典』
古代帝王居息的宮室。
燕朝
『三禮辞典』
內朝之在路門內路寢庭者。燕朝議宗族之事。《周禮·夏官·大僕》:“王視燕朝,則正位掌擯相。” 鄭玄注:“燕朝,朝於路寢之庭,王圖宗人之嘉事,即燕朝。” 《周禮·秋官·朝士》賈公彥疏:“天子外朝一者,即朝士所掌者是也。內朝二者,司士所掌正朝,大僕所掌路寢朝,是也。” 按外朝在庫門之外;正朝,在路門之外;燕朝在路寢之庭。《禮記·文王世子》:“公族朝于內朝,內親也。雖有貴者以齒明父子也。” 鄭玄注:“謂以宗族事會。” 此即指燕朝。
『漢語大詞典』
古代天子、諸侯在路門內的路寢會見臣子。亦指天子、諸侯處理政事后休息之所。
路寝
内殿・外殿
内宮・外宮
北宮
仁重殿・広徳殿
小寝
『三禮辞典』
小寢指燕寢。大寢指路寢。《周禮・夏官・隸僕》:“大喪復于小寢、大寢。”鄭玄注:“小寢,高祖以下廟之寢也。始祖曰大寢。”孫詒讓《周禮正義》卷六十:“劉敞、黄度以大寢爲路寢,小寢爲燕寢。金榜云:‘以《檀弓》君復于大祖、小祖、大寢、小寢考之,夏采以冕服復于大祖,祭僕大喪復于小廟,是天子復于大祖、小祖之事。其復于大寢、小寢,則此隸僕所職是也。《士喪禮》死于適室,復者升自東榮,降衣于前,受用篋,升自阼階,以衣尸。此士復適寢之禮,足相證明矣。鄭云廟寢,誤。’按劉、黄、金說是也。”
正寝
三公府
朝堂
殿堂
掌客殿
禁門
六寝
路門
(雉門とか外朝とか、「ひしょのとり」~「白銀」)
市街
学校
大学
『三禮辞典』
貴族子弟成童後學習之所。天子之大學曰辟雍,諸侯之大學曰泮宫。大學設在國郊。辟雍,四面環水;泮宫三面環水。《禮記・王制》:“大學在郊。天子曰辟廱,諸侯曰頖宫。”《詩・大雅・靈臺》:毛傳:“水旋丘如璧曰辟雍。”《詩・魯頌・泮水》鄭玄箋:“泮之言半也,半水者,蓋 東西門以南通水,北無也。”大學依教學内容,分别設教于成均、東序、上庠、瞽宗等處。《周禮・春官・大司樂》:“掌成均之法以治建國之學 政,而合國之子弟教焉。”鄭玄注:“董仲舒云:‘成均五帝之學。’成均之法者,其遺禮可法。······《文王世子》曰‘於成均以及取爵於上尊。’然則周人立此學之宫。”《禮記・文王世子》:“凡學,世子及學士,必時。春夏學干戈,秋冬學羽籥,皆於東序。······春誦,夏弦,大師詔之。瞽宗,秋學禮,執禮者詔之。冬讀書,典書者詔之。禮在瞽宗,書在上庠。”鄭玄注:“周立三代之學,學書於有虞氏之學,典謨之教所興也。學舞於夏后氏之學,文武中也。學禮樂於殷之學,功成治定與已同也。”成均、東序、上庠、瞽宗四學,均爲五帝、虞、夏、殷學校之名稱,周代沿用其名稱,作爲大學分科學習之處。孫詒讓《周禮正義》卷四十二:“今通校諸經涉學制之文,知周制國中爲小學,在王宫之左南,郊爲五學,是爲大學,辟雍即大學,在郊,與四學同處,殆無疑義。至五學方位,北上庠,東東序,西瞽宗,古無異説。唯成均、辟雍衆說不同。鄭鍔云:‘周五學:中曰辟雍,環之以水,水南爲成均,水北爲上庠,水東爲東序,水西爲瞽宗。’其義最塙。……其入學者蓋分居四學,而辟雍則特尊,爲王受成獻功及饗射之學。”按四學猶今之大學分設學科,各在一處。其中辟雍則爲集會場所,饗飲、習射之處。周制大學學員之來源,大致有三:一爲國子,即王太子以下及公卿大夫之子,由小學而升入大學者。二爲鄉遂大夫所推選賢者、能者,經司徒論其秀者,升入大學。三爲侯國所貢之優秀者。
少学
上庠
『三禮辞典』
大學,亦稱右學。爲大學四學之一,在國之西郊。《禮記・王制》:“有虞氏養國老於上庠,養庶老於下庠。……殷人養國老於右學,養庶老於左學。”鄭玄注:“上庠、右學,大學也,在西郊。下庠、左學,小學也,在國中王宫之東。”庠制:前有堂,後有室。
庠学
序学
小学
『三禮辞典』
貴族子弟年幼學習之所。一般八歲入小學。天子、諸侯所設小學在國都王宫之東南。各地方組織均有小學,稱庠、序;家有塾。《大戴禮記・保傅》:“及太子少長,知妃色,則入於小學。小者所學之宫也。”又《保傅》:“古者年八歲而就外舍,學小蓺焉,履小節焉;束髪而就大學,學大蓺焉,履大節焉。”盧辯注:“《白虎通》云:‘八歲入小學,十五入大學’,是也。此太子之禮。《尚書大傳》云:‘公卿之太子,大夫元士嫡子,年十三,始入小學,見小節而踐小義。年二十,入大學,見大節而踐大義。’此世子入學之期也。又曰‘十五年入小學,十八入大學’者,謂諸子姓既成者,至十五入小學,其早成者,十八入大學。《内則》曰:‘十年出就外傅,居宿於外,學書計’者,謂公卿已下教子於家也。”據盧氏徵引各書所述,入學年龄各有不同。其中或有先在家塾學習,至十餘歲乃入小學。一般謂八歲入小學。《禮記・王制》:“小學在公宫南之左,大學在郊。”此天子、諸侯所設之學。《禮記・學記》:“古之教者,家有塾,黨有庠,術有序,國有學。”鄭玄注:“術當爲遂,聲之誤也。古者仕焉而已者,歸教於閭里,朝夕坐於門。門側之堂,謂之塾。《周禮》五百家爲黨,萬二千五百家爲遂。黨屬於鄉,遂在遠郊之外。”是家有塾,爲私學;地方有庠序之學。此均爲小學。
庠序
少塾
その他
圜土
Ⅲ 行政上の用語
給田
射儀
沮墨
路木
(「落照の獄」にいっぱいある)(あと、「風の万里~」の遠甫の発言・蘭玉の成人に関する発言)
Ⅳ その他
安闔日
界身
捨身木
大裘
『三禮辞典』大裘
天子祭天所服之皮裘。黑羔皮爲之。《周禮・天官・司裘》:“掌爲大裘,以共王祀天之服。”鄭玄注引鄭司農云:“大裘,黑羔裘,服以祀天。示質。”詳“大裘而冕”。 (見107頁)
『三禮辞典』大裘而冕
王六冕服之一。祀昊天、上帝、五帝服之。《周禮・春官・司服》:“王之吉服:祀昊天上帝,則服大裘而冕,祀五帝,亦如之。”鄭玄注:“鄭司農云:大裘,羔裘也。”按此服説者不一。《周禮・秋官・弁師》鄭玄注:“大裘之冕無旒。”又《周禮・天官・司裘》:賈公彦疏引《鄭志》:“大裘之上,又有玄衣,與裘同色,亦是無文采。”後之學者以鄭玄説大裘之冕無旒,於經無明文。據《禮記・玉藻》: “天子玉藻,十有二旒。”《禮記・郊特牲》:“祭之日,王被衮以象天,戴冕,璪十有二旒,則天數也。”則大裘而冕之冕當爲有十二旒,衣裳十二章。
百稼
野木