すりぜろ刹夏が刺さりすぎて、夕耶くんと夕映くんの妄想を小説にしてみました。
シナリオ「刹夏」、セッションのネタバレがあります。ご注意ください。
@aricosyyim
※このお話は個人の妄想です。配信者様やシナリオには一切関係ありません。
夏をおくる話
あれは夏休みに入る少し前だっただろうか。蘊蓄を語るのが好きな国語の先生がいた。教科書に載っている有名作品を例に挙げながら、死というものは、いつの時代も人の感性と結びついてほどけないものなのだと言っていた。
その流れで、その先生は夏にまつわる雑談を一つした。
『打ち上げ花火ってあるだろう? あれ、慰霊や悪霊祓いの意味があるって言われてるって知ってたか? 江戸時代……徳川、なんだったかな。吉宗だったかな……の時代に始まった大規模な花火大会はそういう意図で行われたと言われているんだ。まぁ、後ほど作られた物語って話もあるから、真実はどうなのかはわからないが、この話を知った状態で花火を見ると、また楽しさも増すんじゃないかな』
だとか。
僕はそれを聞くともなく聞いていたけれど、夕映は興味深そうに耳を傾けていたようだ。僕だけに聞こえる声で『夏祭り、行こうよ。花火上がるやつ』と誘った。それに対してゆるゆると首を横に振って、暑い中、人が多い場所に行くのは嫌だと心の中で告げた気がする。
そんなことがあったのが、数週間前の話。
この夏休みに、いろんなことが起こった。
まず、父さんが亡くなった。事故死だった。
思いのほか穏やかな死に顔を見てから数週間が経過した今も「この世界から、自分の家族がいなくなる」というのは物悲しくて、心のどこかにぽっかりと大きな穴が空いたように感じている。
そして、僕は初めて夕映に会って、彼に触れた。
僕はいわゆる二重人格で、夕映は、僕のもう片方の人格だった。見ることはできても、「触れる」ことはできないはずで、何よりも僕以外には存在を認識されない……はずだった。
けれど、悪魔だか、神様だかが気まぐれで与えた奇跡のような三日間の中で、僕は夕映と兄弟として過ごして、彼に体重も体温もあることを知った。
その時の記憶は、僕と夕映の中で、とてもかけがえがなくて、大切なものだ。
夏休みも残すところあと二週間となった。
夕映は相変わらず僕の裏人格として存在している。しかし夕映は僕にしか見えない。隣に寝ていても、ベッドはへこまないし、手を握ろうとしても温度を感じることはできない。
あのことがあってから数日、ひどく落ち込んでいた僕は、夕映の顔を見るたびに少しばかり切なくなって、その度に夕映は「泣きそうな顔しない」と、唇を噛む僕を指摘した。
そして、あの三日間が「奇跡」だったのだと、ようやく僕が自分に納得させることができたのが、つい数日前の話。
立ち直るのに一週間強も要してしまった。
窓の向こうからシュワシュワとセミの声がする遅い朝。早起きをしなくていいのは、夏休みならではの贅沢だ。ふわ、とあくびを零して寝返りを打つと、正面に夕映の顔があった。
「おはよう、夕耶」
「おはよう」
この部屋にあるシングルのベッドの上で、それなりに成長した男が二人寝転がっているのに狭く感じないのは、片方の実体がないからだ。
あの日に見たベッドのへこみも、手のひらの温もりも感じない。ようやく受け入れた現実を、朝ばかりは憂いてしまいそうになる。
そんな僕を見て、夕映が小さく笑う。
「成長したね」
「さすがにね」
「あの日々が奇跡だったからね」
「奇跡は簡単に起こらないから奇跡っていうんだって、僕だってちゃんと知ってる」
「そっか。夕耶の成長を一番近くで見ることができるのも、このポジションの特権みたいなものかもしれないね」
夕映は、いつものように目を細めて、僕を大切だと思う心を隠しもせずにこちらを見ている。
「あ、そうだ。ねぇ夕耶。夏休み前に話した夏祭りのこと覚えてる?」
「ん? うん。覚えてはいる」
「行こうよ。今日、神社でお祭りがあるんだ。花火も上がるみたい」
互いにまだ起き上がっていないベッドの上。幼い頃の内緒話のように耳に口を寄せた夕映が楽しそうに誘ってくる。
夏休み前の僕であれば、二つ返事で拒否していたが、今の僕は首を横に振ろうとは思わなかった。
「夕映が、行きたいなら」
「行きたい」
「じゃあ、行く。でも、夕方からでいいかな。さすがに昼は暑すぎる……」
「もちろん。じゃあ、今日は朝ごはんを食べて残ってる宿題を片付けてしまおうか。それで、夕方になったら出かけよう」
「うん。そうだね」
朝食を食べにリビングに出ると、母さんが「おはよう、夕耶」と声をかける。それにおはようと返して着席する。
四人で囲むことがあったかもしれない飾凪家の食卓を、母親と二人で囲む。正確には、僕の隣には夕映がいるのだけど、僕にしか見えないのだから仕方がない。
「そうだ。今日、夕方からお祭りに行くことにしたよ」
「あら、いいじゃない。でも珍しいわね、誰かに誘われたの?」
「まぁ、そんなとこ」
「そう。それなら、お父さんのお下がりだけど、浴衣があるから着て行ったら? 遺品の整理をしてた時に出てきたのよ。夕耶も着れると思って、そのまま残しといたの」
「え⁉︎」
僕は確かに祭りに行くとは言ったが、率先して行きたいわけではない。ただ、夕映が行きたいと言ったから、僕も行きたいと思っただけだ。人混みの中で浴衣を着るなんて、太陽の下でスポーツとかを嗜むタイプの人たちがすることだ。慌てて首を横に振ろうとした時、「いいじゃない!」と夕映の声がした。
「見たいな、夕耶の浴衣姿」
(……なんも面白いことはないと思うけど……)
「家族の成長は見たいものだよ。僕も、きっと母さんも」
それを言われると弱い。
「…………うう……わかった。着るよ」
そう返事をすれば、母さんは嬉しそうに微笑んで頷いた。ここにいる二人の家族は、僕が浴衣を着るだけで嬉しいらしい。
朝食を食べ終わって部屋に戻ると、心地よい眠気が戻ってくる。
これから宿題をやろうとしているわけで、睡魔に負けてなどいられないのだが、程よい満腹は睡魔を呼ぶ。
「夕耶、せめて教科書開こう?」
「んーー……ダメかも。気持ちがよくて眠い」
「そっか。なら少しだけ寝る? 昨晩は確かに寝苦しそうだったし」
ベッドの上に寝転がってしまえば、まぶたは自然と降りてくる。眠りに落ちる間際の僕を、夕映が見下ろしていた。
「おやすみ、夕耶。夕方には起こすよ」
「うん」
おやすみ、と唇だけ動かして、瞳を閉じる。
…
「夕映〜、夕耶〜、そろそろ起きなさいな。夕方からお祭りに行くんでしょう?」
母さんの声がして、瞼を持ち上げる。パチリと瞬きをすれば、目の前には二段ベッドの上の段があった。上からぎしりと音がして、二段ベッドが軋む。
「いけない、夕耶を起こそうとしてたのに、僕まで寝てた」
上の段から下りてきた夕映は、僕が既に起きているのを見ると「おはよう。今日は二回目だね」と目を細める。
「今、何時?」
「もうそろそろ三時半。浴衣を着るならさすがに支度した方がいい時間だね」
「そっか。母さん、二人分浴衣あるって言ってたもんね」
「うん」
ふと、何かが頭の隅に引っかかるような感覚がしたが、正体がわからず首を傾げる。
「どうしたの? 夕耶」
「うーん。何がどうってわけじゃないんだけど……」
「不自然?」
「……というか、違和感?」
「それって不自然とどう違うのさ」
「不自然って言葉は、なんか嫌だ」
「そうなんだ。でも、確かに僕も違和感を感じてるかも。それが何かはわからないんだけど」
自分と同じように首を傾げる夕映を見る。確かな違和感があるのに、その正体がわからないのだ。
しかし、不思議と不快感はなく、むしろ心地よい充足感すらあった。欠けていた破片が上手いことはまったような、無くしていた鍵が見つかったような、なんとも言えない満たされた心持ちだ。
「まぁ、わからないってことは、夕映にとっても、僕にとっても重要なことじゃないのかも」
「そうかもしれないね。気にしなくてもいいなら、すぐにお母さんのところに行ったほうがいいかも。きっとワクワクしながら浴衣用意して待ってるよ」
「うん。じゃ、行こうか」
リビングでは母さんが二着の浴衣を用意して待っていた。片方は藤色の浴衣、片方は紺色の浴衣だ。どちらも父さんのお下がりらしい。
「たぶん、夕耶は淡い色の方が似合うわね。夕映はこっちじゃないかしら」
そう言いながら僕たちに浴衣を見せると楽しそうに微笑んだ。
僕たちはあっという間に浴衣姿にさせられて、今は夕映の長い髪を母さんが高い位置でお団子にしていた。
「なんだか、後ろから見ると女の子みたいになっちゃうわね」
「いいんじゃない? 中性的な感じ、僕は嫌いじゃないし」
そんな会話を聞きながら、僕は自分の帯に商店街でもらったらしい朝顔柄のうちわを差す。夕方とはいえ、外は暑いから備えておくに越したことはない。
「これでよし。二人とも、似合うわよ」
「ありがと、母さん」
「あっ、そうだわ。二人が出かける前に、そこに並んで? 写真を撮るから」
僕と夕映は、ソファの前に横に並ぶ。スマートフォンを横に構えた母さんは、少しもたついた手つきで画面をタップする。パシャリという音がした後、満足そうに頷いていた。どうやらきちんと撮れているらしい。
「写真も撮ったことだし、そろそろ行こうか、夕耶」
「うん。じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい二人とも」
下駄を履いて、家を出る。神社まではここから駅まで歩いて、駅からは電車で少し。夏の午後五時はまだ明るく暑い。西に傾いた強い日差しが、僕と夕映の影を少しずつ伸ばしていた。
…
ひぐらしの声と、祭りを楽しむ人々の騒めき。夕刻の少しだけ冷たくなったとはいえ、ぬるい風が、木々を緩やかに揺らしている。
空は茜色だ。夕映の名前のような美しい夕焼けが、参道から見上げた先にあった。
カランコロンと下駄を鳴らす。歩むたびに鼻緒が食い込んで少し痛い。帯は少し苦しい。こういったこともまた、夏の風物詩なのかもしれない。
地域のお祭りにしては賑わっていて、さまざまな屋台からは客寄せの威勢のいい声が響いていた。
「夕耶、何か食べたいものはある?」
「お祭りって、一般的には何を食べるものなの?」
「そうだねぇ……たこ焼きとか? あと、あんず飴とか」
「じゃあ、それ」
「うん。買いに行こう」
カラン、カラン、と下駄を鳴らして並んで歩く参道。茜色の空にはだんだんと紫色が混ざり、夜が近づいてくるのがわかる。ざわざわと賑やかな雑踏を、人を避けながら二人で歩く時間は、この上なくかけがえのない、大切なものだと思えた。
「あっ、夕映、あれ、たこ焼き屋さんじゃない?」
「ほんとだ。さっそく買おう」
ひとパック六百円、六個入りのたこ焼きを購入して、屋台の隣に設置してあるベンチに腰掛ける。熱いから気をつけるんだよと、兄らしい言葉をかけてくる夕映に、わかってるよと返す。竹串を上手いこと小麦粉に包まれたタコに刺して、大きめに作られているたこ焼きを持ち上げる。恐る恐る口に近づけて齧るようにすると、その様子を見ていた夕映がくすくすと笑っていた。
「なんか、動物みたいで可愛い」
「……だって、熱いって言うから」
「うん。熱いよ。口の中を火傷してしまったらこれからの食事を半分くらいしか楽しめなくなるからね。だから、その食べ方が正解」
そう言う夕映は未だにおかしいらしく、くすくすという笑いを止めない。どことなく気恥ずかしくなってしまって、次のたこ焼きは半分に切ってしまうことにした。
「あ。タコが二つ入ってる」
「本当だ……! ラッキーだったね夕耶」
「うん。ほら、夕映も食べたら? 僕が食べるのばっかり見てるじゃん」
「ふふ。そうだね。なんだろう、こうして見てるのが自然な気がしてしまってね。でも、もう食べないと冷めてしまうね」
「そうだよ。ほら、こっちの三つが夕映のだから」
「ありがとう。いただきます」
こうして二人でたこ焼きを食べ、近くの屋台であんず飴も買って食べた。
じっとりとした暑さも、夜の来訪と共に少しばかり収まった。あんず飴と一緒に買った冷たいラムネを喉に流し込めば、体の芯が少しだけ冷えた気がした。
「花火は三十分後だね」
夕映がスマートフォンを見ながら呟く。
「ここからだと少ししか見えないから、移動しようか」
「いい場所があるの?」
「うん。ちょっと石段を登るけど……」
「ぅ……ま、まあ、せっかくだし、行く……か?」
「じゃあ、行こうじゃないか。夕耶と花火を見たかったから嬉しいよ」
夕映が導くままに、祭りの雑踏の中を進む。どうやら向かっている場所は穴場らしく、歩いているうちにどんどん人が減っていた。
そして、石段の手前に来た時には、同じ目的の家族や恋人たちが数組残るだけになっていた。
僕の目の前には、見るだけで疲れてしまいそうな石段が立ちはだかっていた。
「さぁ、登ろうか」
「……本気?」
「本気に決まってるじゃない。ちなみにこの石段は七十段あるらしいよ」
「七十⁉︎」
十七段でも息が切れる自信がある。そもそもインドアの人間が浴衣を着て夏祭りに来るだけでも高いハードルを飛び越えている。その上で、石段を登り打上花火を見ようだなんて過ぎたる経験なのかもしれない。
登り切れるだろうか……。不安な心を読んだように、隣に並んだ夕映が僕の手を取る。僕よりも少しだけ体温が低いかもしれない。でも、確かに感じる温度に、心の一番奥が安堵したような気がした。
「さぁ、行こう。登り切ったらきっと花火が綺麗だよ」
「う、ん……頑張る」
夕映が僕の手を握る。僕はその手を強く握り返さないとならない気がして、握り返す。
文字通り、手に手をとって石段を登る僕たち兄弟は二人とも体力には自信がない。
互いにすぐに息が切れてくるが、僕の足が止まると夕映が手を引っ張り、夕映の足が止まると僕が手を引っ張る。こうやって、互いに応援し合いながら少しずつ、少しずつ石段を登っていく。
ひょっとしたら手を離せばもっと楽に登れるのかもしれないけれど、不思議と僕も夕映も互いの手を離そうとは思わなかった。
なんとなく、互いの温度が心地よかった。それに握った手が汗ばんでいくのすら愛しいような気がした。
息を切らして、やっとの思いで高台のような場所まで来ると、それなりに人が集まっていた。それでも、先ほどの人でごった返した参道に比べれば何倍もマシだった。
「あは……きつかったね」
「きつかったねって……。夕映も体力あるわけじゃないのによく頑張ろうなんて思ったな?」
「だって、二人なら頑張れると思ったんだよ。それに、できるならいい場所で見たいし」
「たしかに、そうだけど……」
「実際に登り切れたしね。あ、あの辺り、よく見えるんじゃないかな。人も少ないし」
夕映が指差した先には、腰掛けるのにちょうどいい段差があった。
「レジャーシートみたいなものを持ってくればよかったね」
夕映がレジャーシートと思しき四角いシルエットを両手で作りながら告げる。それにゆるゆると首を振って、先立ってその場所に腰掛けた。
「まぁ、お尻が汚れるだけだし、いいんじゃない?」
「それもそうか」
僕たちが並んで座った瞬間、空に一筋の線が引かれるように花火が上がる。
大輪の花が現れた次の瞬間、ドーンという大きな音が響いた。
「どうやらギリギリ間に合ったようだ! 僕の予想通り、すごく綺麗に見える」
「そうだな」
それからも、次々に夏の夜空を彩る大輪の打上花火。スターマイン。赤、青、黄、紫、緑、さまざまな色が、まるで夜空という名前の黒いキャンバスに、色とりどりの絵の具を叩きつけるように広がっていく。
「綺麗だ……」
噛み締めるように呟いた夕映の横顔を見ながら思う。
そういえば、夕映はどんな絵を描くんだったっけ。夕映の彩るキャンバスは、どんな色彩だったか。花火を見ながら隣にいる兄弟に想いを馳せる。
ドン、ドン、と上がる火の花。
その色彩の奔流を、なぜだか送り火のようだと、思った。
ーー瞬間。
『きっと僕は……そうだね……ここにいることは不自然なんだと思う』
『僕はさ、夕耶にも、母さんにも、夏が好きでいて欲しいんだ』
いつか聞いた、夕映の声が耳の奥に甦る。あれは確か、母さんの日記を読んだ時のものだ。
そして、夏休みの前に、夕映と一緒に受けた授業のワンシーンがフラッシュバックする。
『打上花火ってあるだろう? あれ、慰霊や悪霊祓いの意味があるって言われてるって知ってたか?』
慰霊、送り火、不自然、死、呪い、二重人格
夕映は、僕の兄弟で。
夕映は、僕の、半身で。
夕映は、僕のーー。
「ーーっ! 夕映……っ」
「夕耶? どうしたの?」
今ここにいる夕映の手を握る。突如声を上げた僕に、夕映は驚いたような顔をした。しかしその後には優しくもう一度、僕の名前を確かめるように呼ぶ。
「夕映、ゆえ、僕を見て」
「うん、見てるよ?」
「僕の手を握ってて」
「握ってるじゃないか」
「……っ、ゆえ、ここにるよね」
「…………いるよ。ずっと、君の隣に」
手のひらを伝わる熱を確かに感じるのに、この温もりを僕は必ず失うのだと知っていた。
夕映は、僕の半身だ。
二重人格である僕の、もう一つの人格だ。
僕にしか見えないし、触ることはできない。
「……夕耶が思い出したように、僕も思い出したよ」
夕映の腕がそっと背中に回される。その手は僕をあやすように、トントンと優しく背を叩く。今ここで、こうして触れていられるのに、この温もりも、感触も、匂いも、本当ならば全部ないものなのだ。
「ねぇ夕耶、どうしてこうなったのかは分からないけど、今はまた触れることを喜ぼうよ」
「ん……」
夕映はこういう時、いつも優しく諭してくれる。僕が選ぶべきものを示して、僕を連れて行ってくれる。今だって、僕の背中を撫でながら、優しくそんなことを言う。
僕はそれに、首を一度縦に動かすことが精一杯で、目の奥にじわりと広がる熱が溢れないようにするのに必死だった。
そっと、夕映の背中に手を回して、背中の服をキュッと握る。
存在を確かめるように、繋ぎ止めるように抱きしめ合う二人の背後で、花火は今宵一番の輝きで夜空を彩っていた。
「これはきっと僕の夢なんだろうね……」
夕映がぽつりと零す言葉に首を傾げる。夕映はそっと僕の背中に回した腕を下ろして、僕と視線を合わせる。そして、眉を下げて、困ったような顔で微笑んだ。
「僕は、夕耶とお祭りに行きたかったんだ。一緒に浴衣を着て、一緒に屋台を回って、花火を見たかった。だからこれは、僕の夢」
「……夢……そっか」
「だからきっと、この祭りが終われば、この夢も終わる」
「……夕映は、楽しかった? この夢が」
「うん、とっても」
「なら、良かった」
「夕耶は?」
「僕も楽しかったよ。夏祭りなんて、初めて来たしね」
「……そっか……」
おもむろに、夕映が僕の両頬に手を添えた。
鮮やかな夕焼けの色をした夕映の瞳が、陽炎のように揺れる。
そして、夕映はゆっくりと唇を開いたかと思えば、一度閉じて、躊躇いながらもう一度開く。何かを決意するかのように息を小さく吐いた夕映は、僕の頬からそっと手を離しながら小さく囁いたのだ。
「……っ、名残惜しいなぁ……」
と。それは、夕映が初めて僕に見せた願いの断片だった。
名残惜しい、もっとこうしていたい、兄弟として一緒に生きたい……というのは、僕が願って欲しいものだけれど、夕映の心の奥の底の底、自分でも掬い上げるのが難しい場所に、その願いがあればいいなと思っていた。
それが、溢れ出してしまったような気がして胸がつかえた。
夕映の願いがこんなに嬉しいのに、こんなに切ない。
先ほどから堪えていた涙がこぼれ落ちる。夕映はそれをそっと指先で拭ってくれた。
「花火が終わるね。この時間もそろそろ終わりかなぁ」
「……っ、嫌だ……っ」
「僕だって嫌だよ。……でもね夕耶。君と同じ体を共有するのは悪いことばかりじゃないんだ」
僕はいよいよ涙が止まらなくなって、ボロボロと泣いてしまいながら夕映の続く言葉を待つ。
「ずっと、一緒にいられる」
「……うん」
「夕耶と、死ぬまで一緒にいられる」
それは、いつか僕の人生が終わるまでという意味だろう。僕の人生があと何年あるのかは、わからないけれど、僕は夕映を置いていかないし、夕映も僕を置いていかない。
僕は涙を手の甲で拭って立ち上がった。僕の目の前には、夕映がいる。
夏祭りのラストを飾る、黄金の火花の滝が辺りをまばゆく照らす中、夕映は僕が何を言い出すのか待つように僕をまっすぐに見つめている。
「あのね、夕映」
「うん」
「僕の見る風景には、いつでも夕映がいる。君がいるから、夏の夕暮れも、夜の花火も綺麗なんだ」
金色の火花が、夕映の銀色の髪を染めている。それは、この夏に見たすべての中で、一番綺麗なもののように感じた。
「夕映。僕に、夏をくれてありがとう」
ーー最後の大輪の花が、夜空に咲いた。
同時に僕の視界は白く染まる。夢が終わってしまうのだということは、目覚めなくてもわかった。
…
「夕耶、夕耶。起きて。そろそろお祭りに行く時間だよ」
「……ん……あれ……」
重たいまぶたを持ち上げれば、自分の部屋の天井があった。シングルベッドで寝ている僕を、夕映が見下ろしている。
幸せで、切ない夢を見ていた。
僕の別人格である夕映が、再び体を得て、共に祭りを楽しんだ夢だ。
ひょっとしたら、夕映も同じものを見ているかもしれないけれど、それを訊ねても、答えてくれないような気がしている。
「ゆえ」
「なに?」
「花火、夕映と一緒に見たいな。それに、夏らしいこと、したいかも」
そう告げると、夕映は一瞬だけ目を丸くして、そして心から嬉しそうに破顔した。
終
続き
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