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タイム・ブランチ(2)-2

全体公開 3 71 10711文字
2023-05-02 14:16:14

譲介タイムスリップ話の第二話後半。
いずれ譲テツになるけどまだまだまだTETSUは出ません

Posted by @alikiri

<<前話

 村井の知り合いで、一郎を探しに出た村井の代わりに診療所のサポートをすることになった――という設定で、譲介はすぐ村に溶け込んだ。
 平日、神代が学校に通っている間は診療所で外来を。夕方からは交代で往診、またはふたりでオペを。急患が出れば初動も早い。
 そして村のしきたりも真摯に受け止め、寄り合いにも顔を出し、すぐに村民の名前を覚えた、というところもポイントらしい。譲介にしてみれば、馴染みのある村民たちに父母や祖父母が増えただけなので楽勝だ。子供や若者は記憶より多いが、それもいずれ都会に出ていく誰かの息子や娘だ。
 診察とオペ以外の時間に何をしているかといえば、医療についてのあらゆることをした。カルテの読み込みと記憶との照合。ふたりっきりのカンファレンス。定期的に届けられている医学誌を読んでの意見交換。ほかにも、診察時の会話で余計なボロを出さないよう普通の新聞にも目を通した。
 医薬品や医療器具の補充も頭が痛い。それらの調達については譲介が現れるほんの数週間前に姿を消したという村井が、番頭のほか数軒の家に協力を頼んでいったというが、いずれ無理も出てくるだろう。
 そんな診療所運営の面は譲介にもいくらか経験の分があったが、単純な手技ならばすでに神代は十八とは思えぬ技術を身につけていた。
 縫合技術に関して言えば既に譲介と同等以上。そして何より早かった。
 譲介がTETSUに拾われてからはそろそろ二十年、この診療所に住み込みとなってからも十五年以上。
 神代の最初の手術は十歳だったと聞いたことがあるが、それでもまだ八年だ。実年齢で比べてもいまは神代よりも十年は年上なのにどういうことだよ、と思わないでもない。
 神代も一也も、マイクロサージャリーどころかルーペもなしに神業のような縫合をしてみせる。いままで譲介が見てきた医師の中では宮坂も縫合技術は一級品だが、マイクロやルーペなしでは限界がある。正直なところ、譲介はずっとKの一族の視力は顕微鏡並みの拡大能力を持つのではないかと疑っている。
 もちろん、縫合技術は一例に過ぎない。父の一郎にも、一郎の失踪後は村井にも厳しく鍛えられていたというし、村医者としてやっていけるだけの技術も知識も身についていた。だがなにより、天性の才能というものは疑いようもなかった。
 いまの譲介が、医療に関することで神代よりも明らかに上回っているものといえば、三十四年分進歩した医学の知識に、立ち会った手術の症例の数。それから、麻酔管理くらいなものだった。
 それらの半分以上は神代自身から教わったことだが、それをまた神代に伝えるのはおかしな気分だった。
 譲介が神代に何かひとつ教えると、二度教えることはないし聞かれることもない。かつての譲介は一度で覚えようと必ず一日の出来事を全てノートに書き記し、それを何度も読み直してきた。それでやっと必死に喰らいつけていたのだが、神代にとって一度で覚えるのはまるで呼吸をするように当然のことのように見えた。
 神代が――または、Kの一族が記憶力にも優れているというのは、とっくに理解していたつもりだった。丁寧なカルテは共に働く自分以外の誰かのためであり、未来のための記録なのだ。
 つくづく、朝倉の言った『普通の医者』という言葉を思い出す日々だった。



 T村に居付いて二週間。譲介のルーチンワークに、夜のシャドーが加わった。
 譲介がかつて神代としていたシャドーオペでは、神代が指導医だった。だがいまの神代とするシャドーは、一也とやっていたような術式の共有という側面が強い。
 きっかけは、イシの娘がその息子とともにやってきた定期健診。
 先天性心筋症の、一歳の幼児。
 譲介にとって、イシの孫の恭治はひとつかふたつ年上の、ときどき帰省してくる健康な青年だ。高校進学のため村を離れて以降は心臓移植を受けた経験を隠して生活しているが、何かあればいつでも帰ってくる――そんな、T村出身者の若者だ。
 もちろん、譲介は実際に恭治の手術に立ち会ったわけではない。授け手が現れた経緯も、何かの折にぽつりとイシが零したのを聞いただけだ。
 だが治療経過のカルテは見たし、神代から受けたシャドーの指導の中にも心臓移植はあった。その後のアメリカでの勉強やクエイド財団での様々な仕事や研究でも、やはり強く興味を惹かれたのはT村の特異性の最たるものであった移植医療や村井が専門としていた再生医療だ。実際に執刀医となったことはなくても、若い神代にバトンを繋ぐための知識と経験は十分にある。
 譲介が題材とする疾病や術式に、察するものがあったのだろう。
 シャドーをするようになって以降の神代は、譲介の『未来から来た』という言葉に懐疑的な態度をとらなくなっていた。



 医療に関すること以外に、譲介がしているルーチンワークがもうひとつだけある。
 過去について、知っている限りのことをノートに書き出すこと。
 Kの一族に関すること。一也の誕生、一昭のクローン研究と彼の組織。アメリカ大統領暗殺未遂事件とそれに連なるドクターKが関わった事件――
 そして、そのドクターK――西城KAZUYAの死。
 歴史家ではないし、記憶力は人並みの譲介は、正確な年月日まで覚えていないことのほうが多い。それでも思い出せる限りのことを書き出して、整理する。
 ノートに書くのと同時に、神代へ包み隠さずすべてを話した。衝撃を受け流すように黙り込まれることも多いが、譲介の記憶を呼び覚ます助けをするようにあれこれと問いかけられることも多い。答えられる限りは答えたが、Kの一族やKAZUYAに関することで譲介の知ることのほとんどはTETSUの口から語られたことだ。多少は一也や未来の神代、それからアメリカに渡って知り合った朝倉雄吾から聞いたことも混ざってはいるが、いずれにせよ他者のある視点から語られたことに過ぎないので正直にいうと穴だらけだ。
 それでも、何かしらできることはある。譲介はそう思うのだが、神代自身は自分で行動を起こす気がないようで、歯がゆい。
 あくまでも影の一族に徹しようとする神代の姿は、譲介は知らない、いや、譲介が出会ったときにはすでにもう消えていた神代一人の一面だった。



 そうこうしているうちに季節が進み、秋になった。N県ではそろそろ寒い夜も増えてくるころだ。
 譲介が来た日に入院した佐治の母はとっくに退院しており、その後もふたりほど短期入院をした村民はいたが、いまは誰もいない。夜の診療所に居るのは譲介と神代だけだった。
「先生。少し良いですか?」
 夕食後、シャドーオペの前に譲介はそう切り出した。「どうした」と椅子に座り直す神代の前に、書類を差し出した。
「これを書いてください」
「これは……センター試験の願書!? どこからこれを……
「村役場の井上さんに頼んで、送って貰いました。来月には帝大の願書も取り寄せをお願いしてます」
…………
 神代は書類を前に、黙り込んだ。
 やがてゆっくりと顔を上げると、すっと書類を譲介の方へ押し返す。
「俺は、この村を出ることはない」
「なぜですか」
「それが一族の使命であり掟だからだ。俺たちはKの一族の影の系譜。この村で生き、この村で死んでいく。……お前がいた未来でも、そうだろう」
「いいえ! いいえ、違います先生。先生は、西城KAZUYAが死んだあと、ドクターKの名を継いで村の外でも何人もの患者を助けています。特例で、医師免許を認められて――僕がお世話になるよりも、もっとずっと前の話です。僕がドナーになった肝移植だって、この村で行われたものじゃありません」
「何……?!」
「その……移植コーディネーターを通さないこの村の掟は確かに、この村でだけのものですけど。でも、先生は、先生の一族がこの村で培った臓器移植の技術で、幾人もの人を救っているんです。この村の外で!」
…………それは……。では、将来、そうなるのだとして。ではやはり、この願書とは繋がらない」
……この数ヶ月、またこの診療所に置かせてもらって、ずっと考えていたんです。僕がこの時代に来たのはなぜだろうって。絶対に変えたい未来や、取り戻したい何かがあるわけじゃない。小さい頃の僕の境遇は……そりゃあ、くそったれでしたけど、でもそれを通ってきたからこそ今の僕があると思うから、それを何とかしたいとも思ってない。……会いたい人間にも、怖くて会いにいけない。そんな僕なんかが、どうしてかって」
 この村を出て、ほとんどないあてを頼りに誰かを探しに行くことはできる。
 ――だが、KAZUYAが生きているこの時代のドクターTETSUに、会う勇気はないままだ。
 譲介は机の上に手を伸ばすと、ふたたび書類を神代の方へ差し出した。
「これは、これは……確かに、僕のエゴです。……先生は、確かにもう立派な医師です。この村でやっていけるだけの、技術も知識もある。でも、先生には他の道もあったんじゃないかって。表に生きるドクターKが不在になってはじめて、外に出るんじゃなくて。神代一人という学生として、医大に通い、そして医師になる、そういう道だってあるんじゃないかって」
 ――黒須一也が、大学に通っていたころ。そのほとんどの期間を、譲介は神代と共にこの村で過ごしていた。折に触れて送られてくる手紙を読み、帰省してきた一也の話を聞く神代が、彼を羨ましいと言ったことはもちろんない。
 それでも、でも。
「あなたが学んで、帰ってくるまで、この村は僕が守ります」
 そうきっぱりと宣言した譲介と対峙して、神代は息を呑んだ。
 この村で一族に伝わる医術を継ぎ、Kの一族を影から見守ること。それが自分の使命だと疑ったことはない。村の外であったがゆえに助けられなかった母が死に、父が去り、村井まで居なくなっても、それでも。
 いや、彼らが村を去ったからこそ、この村と血族の掟を守れるのは自分しかいないのだと考えていた。
 だが――
 考え込みながら、目の前の書類に触れる。確かに、通っている高校の教師からは再三進学を考えないかと言われてはいる。家庭の事情で、の一点張りでやり過ごしてはいるが、うまく手を抜けるような性分ではないこともあって、教師陣から見るとこのままただ卒業させるには惜しい成績を取っている自覚はある。村の人間は何も言わない者がほとんどだが、近い年頃の子がいる世代の中には何か言いたげな者もいるとわかってはいる。
「だいたい、受験勉強だってしていないのに――
「これからすれば、一人先生なら余裕でしょう」
「あのな……
「それに、その言葉がもう答えじゃないですか」
「どういう意味だ」
「勉強が足りないんじゃないかって、そんなことが心配になるってことは、行きたいんでしょう、医学部に。考えたこともないなんて言わせませんよ」
 譲介の言葉に、心が揺れる。
 そうだ。もしも、外の世界でも医師として腕を振るうことができたなら。そうしたら母は死ぬことはなかった。交通事故による肝臓破裂で死の淵にあった母に、息子である神代から臓器を提供することで助かったはずだ。
 母の死から、そのことをずっと考えていた。
「それに、あなたの父親も、先生を置いてここを出ていってるじゃないですか。そりゃあ、僕は結局一郎先生ご本人に会ったことはないですし、それに先生がどうこう言わない以上、僕から何か言うことはできません。でも、この村で掟を守り生きることだけが道じゃないんだってことでもあります」
「譲介……
「村を離れたら医者がいなくなるって、心配だっていう先生の気持ちはもちろん分かります。僕がどうしてこの時代に来たのかは分かりませんけど――でも、分からないからこそ、僕はやりたいようにやります。先生が帰ってくるまで、僕がこの診療所で医師として残ります」
…………
 たっぷりと黙り込んだ神代は、やがて「そうだな……」と呟いた。
「じゃあ――!」
「ああ。この村を頼む、譲介」
「はい!」
 しっかりと頷いた譲介の表情がなんとも面映ゆくて、視線をそらすようにして目前のセンター試験の志願票を開いた。簡単に要綱に目を通して住所、氏名と埋めていく。が、科目選択欄で手が止まった。それなりのレベルの学校に通ってはいるし、医学部進学を考えたこともないではないが――ここまで具体的に考えたこともない。
 ペンを止めた神代の手元を見て、譲介も「あー」と頭をかいた。
「明日、学校で担任とも話してみる」
「そのほうがいいですね。そういえば二次試験の願書も、とりあえずお願いしてあるのは帝大だけですけど。他も受けますか?」
 まあいらないですかね、などとあっさり言うので呆れてしまう。未来の自分は譲介にとってどれだけ超人に見えているんだ。
「そのあたりも明日、相談する。確かに受けるからには帝都大学を第一志望にするつもりだが……
 世の受験生が聞けばそう簡単に言うな、と睨まれそうだが、あいにくこの場にいるのは譲介だけだ。譲介も現役時代、真剣に進学を目指していたのは帝都大学理科三類だけなので「そうですね」と頷いただけだった。
――それに、東京に出ればKAZUYAさんに接触できるかもしれないしな」
「!! やっぱり、先生もそれ気にしてましたよね?」
 ずいっと前のめりになった譲介にたじろぐ。ぽつりと零しただけだったのだが、なかなかの喰いつきだ。
「譲介の話を聞いていれば、当然だろう」
「ですよね。先代のKが亡くなるまではあと三年ちょっとあるはずなんで、間に合うとは思いますけど。若いと進行も早いし……。KAZUYAさんは帝大出身なこともあって、親しい人間の中には帝大の教授もいるようですし、先生を見れば親類だと思って向こうから声をかけてくるんじゃないですか?」
 譲介が思い浮かべていたのは一也と宮坂の恩師のひとりでもあった大垣だったが、現在の彼が大学を離れていることまでは知らなかった。もちろん、KAZUYAを知っていてかつ帝都大学に残っている者は他にもいる。ツテはいくらでも作れるだろう。
 神代は書類を封筒にしまいなおすと顔をあげた。譲介はまるで、今すぐにでも神代が東京に行くかのような調子だが、半年は先の話だ。医学部に進むにしても、この診療所に居る限り医者であることを止めるつもりはない。
「遅くなってしまったが、今日の分をやろう」
「はい」
 譲介も頷くと、オペ室を開けるために立ち上がった。


 ***


 今夜は雪が降っていた。世間ももう師走。未来から来た弟子だ、とのたまった男が、この診療所に居ついてもう半年近くが経過していた。
 いまは入院患者もおらず、このところの外来で気になる患者はいない。今日は日曜日なので神代も譲介と共に往診に出たが、そちらも同様だ。そんな日は、夕食の後にふたりでシャドーをしたあと、何もなければそれぞれ風呂に入って部屋に引き取るのがいつものお決まりだった。
 神代は今日もそうして自室に戻り、医学書を開いていた。昨日は受験生らしく赤本を開いていたのだが、もう一周したので内容はだいたい頭に入っている。
 通っている高校では進学することにしたと伝えたとたん、教師陣には諸手を上げて歓迎され、この数ヶ月でセンター試験の対策をしっかり固められている。入学以来、定期試験で常に一位を取ってきた生徒が進学もせず家業を継ぐというのを引き留められず、悔しい思いをしていたらしい。家庭の事情には口出しできないとはいえ、進学実績よりもなによりも、教師として歯がゆかったのだと。
 そんな期待に応えるためにも神代は真面目な受験生をしているわけだが、今夜はそれよりも、先ほどやったシャドーオペの術式について確認したくてしょうがない。
 譲介は一貫して神代を師と扱うが、いまこの診療所にいる師は明らかに譲介であった。
 現れた時こそ言動の全てが怪しさ満点で、追い出そうにも精神分裂症の妄想を頭ごなしに否定するのも良くないしと迷わせるくらいだったが、数日も共に暮らせば人となりが分かってくる。米国で医師になるため留学中だったと言うが聞けば国家試験にも合格したところだというし、経験も知識もふんだんにあった。
 そして、あっというまに村に馴染んだ譲介が見せる医術は、神代の慣れ親しんだものばかりだった。診察時の着眼点、縫合の癖、麻酔管理、ルートの取り方。まさに、教えてもいない弟子が現れた気分だった。いや、それよりも、父・一郎や村井に教わったとき実は隣に居たとでも言われたほうが納得がいく。それくらい、見慣れた手技ばかりだった。
 もちろん、そうではないものもたくさんある。
 たとえば、今夜のシャドーとか。
 考え込んでいる神代の耳に、コンコン、と控えめなノックが届いた。返事をすると、キィと蝶番が音を立てた。譲介が扉の向こうから顔を覗かせる。
「先生、まだ起きてますか?」
「どうした?」
 おずおず、といった様子を見るに、急患ではないだろうが、譲介がこんな時間になってから神代の部屋を訪ねてきたのは初めてだ。
「ちょっと付き合ってもらえませんか。もちろん先生はまだ飲めないって知ってますけど……今日だけは」
 これまでにないその意外な申し出に驚いたが、譲介が片手にぶら下げているものにも驚いた。酒瓶、それも中身が半分ほどに減った飲みさしの洋酒だ。
「酒? ……いったいどこから?」
「えっ? 二階の季節物を入れている部屋の行李の……あれ。知らなかったんですか。からあったんですけど……
 その言葉に目を丸くする。譲介のほうも、神代が驚いていること自体に驚いたようで、戸惑ったように酒瓶と神代の顔を交互に見た。
「えー……僕がここに来たときにはもう、診療所のひとたちは誰でも知ってたんですが……。入院患者が居る時もあるからキッチンには置かないんだとかなんとか、って」
 そう言いつつ、譲介は首を捻った。
 ――居なくなった大人たちが神代に告げていなかったなら、いったい、誰が見つけたんだろうか?
 後年、神代が自力で発見するものだったのか、それとも譲介より前に居た富永が発見したのか。麻上というセンもあるかもしれない。もちろん、帰ってきてからの村井かもしれない。
 そもそも神代にしろ村井にしろ麻上にしろ、村の宴会に呼ばれた時もそんなに酒を飲まない人たちだった。それでも、ときどき祝い事があると持ち出してきて一杯飲むこともあるし、村で作っている『山の風』を貰うこともある。なので譲介も置き場所は知っていたのだが。
「そうか……。まあ、たぶん親父だろう。飲んでしまってかまわないと思うが」
「じゃあ、遠慮なく。といっても、僕も強い方じゃないので少しのつもりですが」
「では、別のものでよければ付き合おう」
 診察室へ移動すると、神代はストーブの上にヤカンを置いた。カフェイン飲料を率先して取りたい時間でもないが、師の相手をするのに白湯というのも味気ない。確かまだ貰い物のアレが残っているはず、とキッチンの棚を漁って、引っ張り出してきたココアの粉をマグカップに入れる。
「このレンコン、使いますね」
「どうぞ。まだ貰い物が何本かあるはずだ」
「そうですね」
 村の人間は好意で診療所の食事の世話やいくつかの雑事を引き受けてくれているが、みなそれぞれの家業や生活もある。いまは決まった誰かが固定で通ってきているわけではないので、食料品の備蓄はなんとなく神代の管理になっている。とはいえ、神代自身は料理をしない。
 譲介はいったい何をする気なのかと見ていると、手早くレンコンの皮を剥いて輪切りにし、カレー粉といくつかの調味料をかけて電子レンジに放り込んだ。数分して高い音が鳴ると、いそいそと小鉢を取り出している。
「楽しそうだな」
「いや、本当にチンって鳴るので」
 カップに湧いた湯を注いで椅子に座ると、先生もよかったら、と、箸を一膳渡される。チョコレートとカレーの匂いに挟まれて一瞬悩んだが、まあいいかと受け取った。
 向かいの席で、譲介はどこから見つけてきたのかロックグラスに氷を入れて、ウィスキーを注いでいる。神代の前では何かと言動が若いので忘れがちだが、確かにその手つきは三十過ぎのいい大人だった。
「じゃ、乾杯」
「乾杯」
 熱いマグと冷たいグラス。触れ合わせることはせずに、お互いに手元で軽く持ち上げるに留める。
「それで、どういう風の吹き回しなんだ?」
「あー……まあ、誕生日、なので……
「誕生日……
 はたと気づいて、壁掛けのカレンダーに目をやった。譲介がノートに整理するたび、自分に話してくる未来の話。
「一也、か」
「ええ。実は当日に直接顔を見て祝ったのは、一回あるかどうかなんですけど」
 いや、高校三年の時を入れればもう一回増えるかな――とひとりごちる。クラスの片隅で一也と宮坂がひっそりとそんな話をしていたのを聞いてはいたが、それに対してどうしたのかは覚えていない。泉平が進学校だったこともあり、十二月の教室の雰囲気は良いとは言えなかった。
 もちろん、当時の譲介と一也の関係も。
「でも僕、一也と友達……なんですよ。たぶん」
「たぶん?」
「よく分からなくて。最初、あの人・・・はライバルにしようとしてたし、それに乗せられて……ってわけじゃないですけど、僕もそのつもりだった。でも、そういうやつじゃないんですよね、一也は」
 譲介はそう言って、グラスを煽った。カラリ、と氷が音を立てる。
「はじめに僕らを友達って言ったのは……麻上さんかな。でもあれは、説明を端折るために僕からそう名乗ったんだったか。だから麻純さんが――一也のお母さんが僕のことを『一也の友達』って言った時はびっくりして」
「母親に友達と紹介したのなら、まあ、本心だろう」
「ま、そうですかね。僕は――自分で言うのもなんですけど、友達が少ないので。日本人じゃそれこそ一也と、まあ、宮坂も入れていいか」
 ――そういえば、宮坂の誕生日はいつだったか。彼女と譲介が一緒にいた期間は実はそんなに長くないが、一也がソワソワとしていたのでだいたいの時期は覚えている。まあ、そのうち祝ってやろうじゃないか。お前だけ別ってのもなんだからな。
 そんなことを考えていると、なにおう~~?とどこかから幻聴が聞こえてきそうな気がした。それでその声を聞きつけて、どうしたの、と大きな男が首を突っ込んできて、それで。
 とたんに面白くなってきて、譲介は机に突っ伏してククク、と忍び笑いを漏らした。酔っ払うにはまだ早いだろうに、ひとり楽しそうな様子に神代はやや呆れた。こんな大人にはなるまい。
 そんなふうに思われているとは露知らず、譲介は楽しそうにレンコンをつついた。
――今日のシャドーの術式……。俺とお前だけではできないだろう。オペには、一也も?」
……EXIT手術ですね。はい、そうです。この術式に僕が立ち会ったのはあの一度だけですが、先生も一也も居ました。でも、胎児を執刀したのは先生でも一也でもなくて――ドクターTETSUです」
「譲介の会いたい人、だな」
……そう、です」
 これまで、譲介が神代に説明してきたドクターTETSUの人間像は、努めて客観的だ。他の人間について説明するときはむしろ譲介自身や別の人間の主観混じりにであるからそれがまた対照的で、いっそうその男を浮かび上がらせる。
「どんな人なんだ。譲介から見て」
「どんな……
 問われて、譲介はグラスを抱えたて視線をさまよわせた。
「頭が良くて、強くて、自分勝手で。先生もいつも怒ってました」
「ほう」
「でも……あの人の行動はいつも、僕のためなんです。もしもいま会えたら――たぶん、僕のほうが年上なんだよな。そう思うとすごく、変な感じがします」
「それを言うなら、俺もそうだろう」
「確かに、そうなんですけど。でも、あの人に会うことはたぶんないでしょう。どこにいるのかも分からないし」
「いくつか、今後起こる事件にも関わっていたんだろう? ジム・ハミルトンの二期目の前だというならその米大統領選はもう来年だ。その現場を捕まえれば……
「無理ですって。いまの僕は、有効なパスポートもないし申請のしようもないんですから」
「ム……
「まあ……行けるものならアメリカに行きたい気持ちはありますけどね。留学も途中だったし――たとえばさっきのEXITも、日本では二〇〇〇年代に入ってからですが米国ではもう少し早く執刀例があったはずで。クエイド財団に世話になっていたこともありますけど、やはり先端医療ではむこうは一歩も二歩も進んでいますから」
「そうか」
 ドクターTETSUの話題から少しでも矛先をずらそうとするような譲介の物言いを、神代は目を閉じて受け止める。
「そのEXIT手術だが、胎児の処置はあれで終わりではないだろう」
「そうですね。数日後に上気道閉塞に対して形成手術を。明日はそれをやりましょうか」
「頼む。……その後は、無事に?」
「僕達が診たのはそこまで。でも、その後も元気に成長しています。最後に見た写真だと……七歳くらいだったかな」
 数年前、何かの折にネットで見たティガワールの王室写真を思い出し、そう告げる。続いてグラスをあおると、空になったグラスをからりと揺らした。
「どうする」
「ん-、もういいかな。一也もあんまり酒飲まない奴だったし」
 かつて何かがあったのか、「めちゃくちゃ強いくせに」と続けた譲介の口調はどこか不貞腐れたようにも聞こえた。
 そんな様子をみると、やはり年上というよりも同じ年頃の学生のように思える。神代はフッと笑って、「そうか」と返した。




――つづく。
>>次話


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