譲介タイムスリップ話の第二話前半(いずれ譲テツになるけどまだTETSUはいない)
大変にいまさらですがスーパードクターK、DoctorKをこれから読むぞって方はネタバレにご注意ください。
K先生に対する譲介もわりとワンコみあるよね。宮坂さんに対する一也ほどではないけど。
@alikiri
<<前話
神代の半生について、譲介は時系列にそって整理された話を聞いたことがあるわけではない。TETSUや一也から聞いた話、それに村井や麻上、村民たちとの会話の中の端々から、こういうことかなと断片的には理解しているが、神代に医学以外のことについて根掘り葉掘りと聞くのは憚られたし、特にこの話題についてはなんとなく触れがたい雰囲気を師から感じていた。
なので、いまの神代がどういう状況下にあるのか、正確なところはわからない。
神代が若い頃に村の外で亡くなったという神代の母は、もういないのだろうか。その後、村を出ていってしまい二十年後に一也が偶然出会うまで音信不通だったという父、一郎は。
執事の村井も、しばらく村を出ていたと聞く。
まさかもう、ひとりであそこにいるのだろうか。
たったひとりで、あの村を、あの診療所を守っているのだろうか。
だとしたら――。
***
大型トラックの助手席で、譲介は眠りから引き上げられるように目覚めた。
「おっと、起こしちまったか? 泉平にはまだもうちょっとあるから、寝てていいぜ」
「ふぁ……いえ……すみません。話し相手になるつもりだったのに……」
あくびをしながら、崩れていた体勢を建て直す。いつのまにか陽が登りはじめる時間になっていたようで、ヘッドライトがいらないくらいにはもう明るくなってきていた。
起きたら、LAの自宅のベッドの上か、せめてクエイドの本部ビル内にある病室かと期待していたのに。
どうやらこの事態は夢ではないらしい。
「気にすんなって! でもまあ、起きてんなら喋ってくれると嬉しいけどな。そんな気分じゃねえならラジオつけさしてもらうけど」
「ああ……話すのは構わないんですけど、ラジオもつけて貰えると。日本に戻ってきたのが久しぶりなので」
これは、嘘ではない。譲介がアメリカに留学してから、T村に帰ったのは片手に満たない回数しかない。無論、たとえ長期休みのたびにT村に帰っていたとしても、みんな歓迎してくれただろう。だが、譲介はそうしなかった。ホームシックにかかる自分を直視したくなかったし、何よりひとりでロサンゼルスからN県、またN県からロサンゼルスへの道程を辿るのが嫌だった。
朝倉もそれを察してか、朝倉自身の日本出張と譲介の長期休暇が重なるたびに秘書兼助手として同行させてくれた。もちろん、単純に日本語でのお喋り相手欲しさの可能性もあるが。
「そうかい? んじゃ入れとくけど」
「飯山さんはいつもはラジオ聞いてるんですか?」
「おう。音楽番組は眠くなるから喋りが多いヤツかニュースばっかりだな」
「そうなんですか。最近ってどんなニュースがあります? 向こうだと日本のことはよっぽど大きくないとなかなか報道されなくって。ほら、年始の震災とか……」
昨日、隅々までめくった新聞からひっぱってきたネタで水を向けてみる。
「あー、ありゃあ大変だったなあ。俺はあんまりあっちまでは行かねえルートが多いんだが、仲間から話はいろいろ聞いたよ。最近はそうさな……ああそう、医大生ならアレだな、厚生省のヤツか」
今年の初めにあったという厚生省官僚による事件を説明されて、思わず「はァ!?」と声が出た。なんだそれは。すべての医療機関を国営化? そのために医療事故をわざと起こした? 馬鹿げている。
事件の内容にも驚愕したが、いままでの人生で聞き覚えのない事件である事にも驚いた。三十四年もたって世間的には風化していたとでも言うのだろうか。だが、日本の医学部で学んでいれば医療倫理学などで当然触れられていそうな事件だ。TETSUに拾われ、神代に鍛えられ、米国で医学を修めたことを後悔したことはないが、自分の知識の穴をまざまざと見せつけられた気がして溜息が出た。
「なんだ、アメリカじゃあ報道されてないのか。まあ驚くよなァ。政治家のスキャンダルっつーのはたまにとんでもねぇもんがあるが、エリート官僚が組織ぐるみであんなことをやるとはね」
「本当ですね……」
「この前の参院選も投票率最低とかいってたしなァ。あんな事件ばっかじゃ気持ちは分かるが和久井くんもちゃんと投票に――って、アメリカにいちゃ無理か」
「いえ、できますよ。大使館に行ってもいいですし郵便投票でも」
そういえば二十歳になって最初の国政選挙の際、診療所に譲介宛ての投票券が届いて初めて、住民票がちゃんと移されていることに気づいたのを思い出した。そして日曜日には『そういえば譲介は初めてか』と神代に村役場に連れていかれて――。
これも譲介の主観では、もう十五年も前の話だ。
「へぇ、そんなんできんのかい!? 知らんかったな」
――あ、まずい。もしかして在外投票ってわりと最近の制度か?
懐かしんでいたら、驚いた飯山の声で引き戻された。「いやァそうなんだなあ」と繰り返す様子を見て、内心冷や汗がダラダラと垂れる。だが口を滑らせてしまったものはしょうがない。譲介は「そうなんですよ」と、もっともらしく頷いて押し切った。
「ほい、悪いねここまでで」
「とんでもない! 本当に助かりました。ありがとうございました」
「気をつけてな!」
そう言い残して走り出したトラックに、もう一度頭を下げる。道路の向こうに消えたところで頭を上げて、「さて……」と周囲を見回した。
早朝の泉平駅前。まだコンビニがない。だがバス停はある。時刻表を確認したが、記憶よりも終バスの時間は少し早いが代わりにやや本数が多い。――多い! すごい。譲介は素直に感動した。少子化と共に地方の過疎化も進み始めている時代だと思っていたが、まだもう少しは持ちこたえられるようだ。
駅前の待合所は建て直される前で、吹きさらしだ。昔はこうだったんだ、と思う反面、雨が降ってなくて良かったとも思う。
バスの時間まで少し周囲を散策したいが、電子機器がすべて壊れ、腕時計もない譲介に現在時刻を確認する術はない。大人しく待合所の柱時計が見える位置に座って待つことにした。
――三十分後。やってきたバスに乗り込んだ譲介は、米ドルの代わりに日本円を入れた財布から小銭を取り出して支払う。最後列まで進んで、一番後ろに座った。
何人かが乗り込んでは降り、また乗ってきては降りていった。終点の野上北まであと停留所が三つほどのところで、乗客は譲介だけになった。当然だ。これは村に向かう始発便、こんな時間に山奥の村へ用事がある人間はいない。
「終点ー、終点。野上北だよ」
譲介の知る音声アナウンスではなく、運転手自身からそう告げられた。「ありがとうございました」と声をかけて降りる。古びた停留所は無人だった。
バスはすぐにまた麓へ出発するのかと思えば、ドアを開けたまま留まっている。
「あれ……行かないんですか?」
「いやな、いつもこの時間は麓の高校に通う学生さんをひとり乗せてるんだが……」
「はあ。だれもいませんね」
「大人びてて真面目そうな子で、いつもは先に待ってるんだが……今日は休みかな?」
そこで運転手は、腕時計に目をやった。この先の停留所で同じように学生や通勤客を拾っていく路線ということもあり、あまり長くは待てないらしい。首をひねりながらも扉を閉め、出発していった。
なんとなく気になりつつも、譲介もバスが走り去ったのと反対方向へ歩き出した。
舗装されていない山道を進んだ先、木々の向こうに見えてきたのは、記憶と寸分たがわぬ古びた洋館だ。いまにも扉があいて、麻上が『譲介くんおかえりなさい!』と顔を出しそうな気すらした。
「……ただいま」
口の中だけでそう呟いて、扉に近づいていく。まさか本当にそう挨拶するわけにはいかないが、第一声はどうしようか。無難に『ごめんください』とかそのあたりだろうか――などと考えながら扉に手をかけた瞬間、騒がしさに気づいてそのまま勢いよく中に飛び込んだ。
「先生、先生――! 血が止まんねえんだ……ッ」
「うぅっ……!」
診察室の中にいたのは、焦る年配の男に、それよりも年嵩の老婆。左太腿からおびただしい血を流している。そしてその横には――。
「落ち着いて。何があった」
「おっ、おっかあの猟銃が暴発して……!」
「っ……! これは……手術室を開けている時間はない。ここでやる!」
まだ年若い神代一人は、上着を脱いで腕をまくった。
緊迫したふたりは、闖入者である譲介の存在にまだ気づいていない。周囲を見回した譲介は、思った通りの場所に往診バックを見つけて飛びついた。さっと中を検分して、確信する。大丈夫、揃ってる。
「だっ、だが……っ!」
「ひとりで大丈夫だ! 佐治さんは番頭さんに電話して輸血を!」
「わっ、わかった……!」
震えながら電話を架けにいった男と入れ違いに、譲介は神代のそばに駆け寄った。
「先生!!」
「――!? なっ……だれだ、」
「いまは後で! 早く――!」
突然現れた見知らぬ男に驚いて、声が揺れる。だがすぐに、差し出してきたペアン鉗子に腹をくくった。既に患者は失血性ショックを起こしていて、一刻の猶予もなかった。
目の前の人間を助ける以上に、優先すべきことはない。
神代は鉗子を受け取るとすぐに傷口へ向き直った。散弾銃による大腿動脈損傷。散弾の細かな弾丸の摘出よりも、まず優先すべきは動脈の吻合だ。すぐに動脈中枢側を探し当て、鉗子をかけた。直後、何も言わないうちから準備された縫合糸が差し出される。さらに譲介の手が鉤をかけて術野の確保に動いた。
――何者だ、この男……!?
混乱しながらも、手は動く。まずは血管を吻合。続いて改めて傷口を洗浄し、弾丸の摘出に進む。
譲介は、その手つきを見ながら心が震えるのを感じていた。
若くとも変わらず、力強く繊細な手技。
――この人は神代一人。ドクターKだ。
神代は、先ほどの男を佐治と呼んだ。そしてその佐治はこの患者を母と呼んでいたが――間違いなく、譲介の知る佐治で間違いないだろう。狩猟は亡くなった母から仕込まれたと聞いたこともある。その母の死因が暴発事故だとは聞いたことがないからこれは助かる。大丈夫。だが――。
「先生、ひとりですか!? 村井さんは……?」
「――村井さんは、ここにはいない。4-0を」
「はい」
最後に皮膚縫合を完了し、ふう、と一息をつこうとした瞬間――輸血用の留置針を差し出された。
「っ……」
神代は黙って受け取ると、佐治の母の腕を捲ってルートを取る。同時に、血液パックを抱えて佐治と番頭が駆け込んできた。
「持ってきたぞ!」
「大丈夫か――!?」
「貰います!」
神代の返事よりも早く、立ち上がった譲介が血液パックを受け取った。いつのまにか準備していたスタンドを引き寄せ、手早く輸血を開始させる。
「……!? だれじゃ、あんた?」
「――番頭さん、大丈夫。村井さんの、知り合いです。いまの治療も手伝ってもらいました」
訝しむ番頭に対し、すっと立ち上がった神代が淡々と告げる。
「もう大丈夫ですが、だいぶ血圧が下がってるので意識が戻るまではもう少しかかるでしょう。それと骨までは損傷してませんでしたから長くはなりませんが、しばらく入院を」
そう佐治に伝えた神代は、てきぱきと片付けを進めている乱入男――譲介にちらりと視線を向けた後、番頭とともに病室の準備をはじめた。
患者を病室に移すと、神代は番頭にしばらく居てもらうように頼み、診察室に戻った。
はたして、男は逃げ出すでもなく、室内を物色するでもなく、まだそこに居た。
「お疲れさまでした、先生。それで……村井さんは? いつ頃戻るんです?」
「――村井さんは、出ていった」
――ああ。そういうことか。
神代の硬い声色に、譲介はやっと理解した。しばらく村を出ていた時期がある、とは聞いていたが――こんなに早かったのか。
「ああ。なるほど……」
そう返した瞬間、周囲の空気が一段冷えた気がして譲介は身を震わせた。ギョッとして顔を上げると、目の前の神代からゆらりと放たれた殺気に当てられて一歩後ずさる。
「せ、先生……?」
「貴様……何者だ? 何の目的でこの村に来た? この村の何を知っている」
「あ……」
神代に会ったら、なんて話そうか、どう話すべきか、道中ずっと考えていた。
自分のことを、これからの未来のことをなんでも喋ってしまっていいのか。過去の神代に干渉することで、何か大変なことをしでかしてしまうのではないか。またはまだ若い神代に、大きなことを背負わせてしまうのではないか、と。
だいたい、信じてもらえるかという心配もある。何かの病気を疑われるくらいならまだいい。薬物中毒疑惑でもかけられたら目も当てられない。
でも、こうして前に立って相対するとよく分かった。
――僕は、K先生の前で嘘をつけない。
だって、自分はこの人の弟子なのだ。尊敬する師。たとえ若い姿であっても変わらない、堂々として、頼りになる姿。
ごくりと喉を動かした譲介は、拳を握って己を奮い立たせた。
「……あの、これから――とても、信じてもらえないようなことを言います。もしかしたら、統合失調症患者の妄想だと思うかもしれません。でも、違います。信じて欲しいです。――とくに、先生には」
「……内容による。それしか言えん」
「そうですよね。僕は――僕は、未来から来たあなたの弟子です」
「――は?」
「僕がいたのは、いまから三十四年先の二〇二九年。K先生のところにお世話になりはじめたのは――僕の主観では十五年以上前の話ですから、いまこの時代から二十年くらい未来ってことになりますね」
「…………」
予想外のところから飛び込んできた豪速球に、さすがの神代も一瞬、思考が止まった。
「あー……信じてないですよね。わかります。僕ならこんなの信じません。でも、本当なんです……!」
そう必死に食い下がる様子に困って、つい「何か、証拠でもあるのか」と相手をしてしまう。
「証拠……。ええと、テーブル借ります」
そう言うと、譲介は長年食事をしてカルテを広げてきた待合室の机の上に、カバンの中身を広げる。前々からずいぶんと年季の入ったテーブルセットだなとは思っていたが、こんな時代から現役で使っていたらしい。
「まずは……えーとこれ、ノートパソコンって言うんですけど」
「……知っているが」
「あれ、ノートPCってもうあるんですか? なんだ。これが起動できれば一発で信じて貰えると思うんですけど――いやネットは繋がらないだろうし微妙かな――ああともかく、いまちょっと電源入らないんで、これは後回しに。それでえーと……そうだ、これです! ほらここ、一九九五年生まれの、有効期限が二〇三〇年!」
譲介はカバンの底から取り出したカードを、ずいっと神代に差し出した。左上に大きくCaliforniaと印字されたドライバーライセンスだ。アメリカ式の順序ではあるが西暦で生年月日と有効期限が印字されている。渡米してしばらくは公共交通機関とライドシェアサービスで粘っていたのだが、大学だけならばともかく朝倉の手伝いでクエイドに出入りするにはさすがに不便すぎ、四年制大学の在学中に取得したものだ。
「これは……なんだ? 運転免許証? アメリカの? なぜ?」
「ああ実は、僕はいまアメリカに留学中で」
「……ここは日本だが?」
「はい、そうなんです。僕、昨日の朝は確かに二〇二九年のロサンゼルスにいたはずなのに、なぜか突然一九九五年の東京にいて……」
「………………。たしかに、顔写真は近影のようだな。次」
「つぎ!? え、えーと。じゃあパスポート!」
免許証をひっこめて、赤い表紙のパスポートを開いて見せる。桜のホログラムシートでコーティングされた写真の横には、有効期間満了日二〇三一年の表記がある。
「……ふむ」
さきほどの英語表記の身分証に比べればもっともらしく見えるが、神代はこれまで自分のパスポートを作ったことはない。この村で生き、この村で死ぬ者には必要ないからだ。なのでこんなにまじまじと見たことも無いので、これが本物なのか、どれくらい精巧なのかもよく分からない。無論、目の前の男には言わないが。
「旅券偽造は重罪だが」
「それ、先生がいいます? いまは無免許医ですよね?」
「……っ? いまは?」
「あッ……あー。……ちょっと、それは長くなるので……信じて貰えてから話します。えっとあとは……」
譲介は、カバンもポケットも全てひっくり返して、あらゆるものを神代に見せた。
紙のノート。一般的に流通している日本メーカーのものではないことが分かるだけ、次。
ボールペンとシャープペンシル。同じく、日本メーカーのものではないことは分かるが特段未来感はない、次。
ホログラムのついたドル紙幣。そもそも神代は現行のドル紙幣にすら馴染みがない、次。
クエイド財団のIDカード。そもそもクエイド財団の――以下略。
服やカバン、ハンカチなどについてもノートやペン類と同じ反応をされて、譲介はがっくりと肩を落とした。後は昨日東京で購入した朝刊くらいしかない。もう、物証になるようなものは尽きた。
その様子がなんだか不憫に思えて、神代はテーブルの上を見回した。そこで譲介が机の上に広げたものの、神代に差し出してこなかった黒い板状の物体が目に入って、手に取った。
「これは?」
「スマホ……えーと、携帯電話です」
「電話というわりには、ボタンもないが。どうやって電話を架けるんだ」
「ボタン? ああそうか。これ、本当はタッチパネルで。――まあ、この時代に来た時に壊れたみたいで、ウンともスンとも言わなくなってますけど」
「………………」
「……あの、先生。黙らないでもらえます? 一応、自分でもどんどんうさん臭くなってるのは分かってるんですけど……」
ここまでの発言と、見せられた身分証から逆算すると、自分よりも一回りは年上の男の、しょぼくれた姿に溜息が漏れた。
信じこんだ妄想にしては、物証に手が込みすぎている。
騙そうとしているにしては、設定が荒唐無稽すぎる。
すでに神業のような手技と超一流の医療知識を兼ね備えてはいるが、まだ若い神代にはこの事態をどう捌くべきか判断する経験が欠けていた。
「――あっ!! そうだ。あるじゃないか、何よりの証拠が……!!」
「なにを――?」
突然叫んだ譲介は、スーツのジャケットを脱ぐとワイシャツのボタンを外しはじめた。戸惑う神代の前で前を大きく開けて、腹の手術痕を指差した。
「これです」
「これは……腹腔鏡の手術痕、と……?」
「そうです! 僕はあなたが執刀した、腹腔鏡補助下の生体肝移植手術のドナーです」
「……!?」
「エコーも見ますか? もう十年以上前の話なのでほぼ再生しましたが……それでもK先生なら痕跡分かるでしょ」
自信満々に言ったところで、はたと気づく。
――違う。自分の腹を切ったのは、神代ではない。
「いや……すみません。あのオペでK先生が担当したのはあくまでレシピエント側……。僕の――ドナーの肝臓を摘出したのは別の医者ですから」
「……別の医者」
「? はい」
「別の医者、が……いるのか。この村には。未来では?」
「はい。みんな、あなたの弟子です」
正確には、譲介の手術はこの村で行われたものではないのだが――この村での移植手術であれば、ドナーは『授け手』でありレシピエントは『受け手』だ――譲介がいた時代のこの診療所なら、いくらでもこの術式をこなせる体制がある。
「さきほど、なぜこの時代にいるのか分からないと言ったな。なぜ東京に留まらず、わざわざこの山奥まで?」
「信じてくれるんですか!?」
「信じてはいない。いないが……要経過観察、だな」
診断を保留する勇気があるのも名医のしるし――ではあるが。まるっきり患者扱いで、さすがに「ははは……」と乾いた笑いが漏れる。
「そ、そうですか。とにかく、その……僕自身、どうしてこの時代に居るのかさっぱり分からなくて、どうやったら戻れるのか分からないんです。K先生、いまはここでひとりなんですよね? しばらくここに置いてもらえませんか」
譲介が頭を下げると、フゥ、と溜息を吐かれた。
「――なるほど、それが目的か」
「う……その、他にアテがないのもそりゃ、ありますけど……」
「こういうとき、まずは親類縁者の所に行くのが筋だと思うが。両親は何をしているんだ。パスポートの生年月日が本当なら、ゼロ歳児のあんたがいるんだろう」
神代自身、こういうときってどういうときだ……と思いながらも、聞いてみる。
「僕に親はいません。いえ、母親はいますが、父親はいません。でもその母親も、いまどこに居るのかは分かりません。僕、生まれた場所の記憶が無いので」
二十歳の時、ドクターTETSUから渡された母親の調査書から、おそらくF県だろうとは思う。だが保護された場所もそこからずいぶん離れているし、縁もゆかりもない土地なので探すアテもない。
「そうか。……すまない」
「やめてください! いいんです。……両親じゃなくて、会いたい人は、もうひとりいますが……でも、いまどこに居るかは知らないですし、見つけ方も分からないんです」
困ったように首を傾げてみせた譲介が一瞬、自分と同じような年頃の若者に見えて、神代は目を見張った。
――悪い人間ではない、と思う。医師としての心得が十分にあるのは、さきほどの治療や発言の端々からもよく分かる。未来から来たというのが全て嘘、または妄想だとしても、物証の数々はあまりにも手が込んでいるとも思う。
だいたい、嘘だとしたらもっとマシな嘘があるはずだ。
神代は、目の前の男のカバンに入っていた新聞を手に取る。
「少なくとも……昨日の朝、東京に居たというのは事実のようだな」
「え? ええ……」
カバンの中から出てきた新聞は、昨日付の朝刊、それも全国紙の東京版だ。もちろんその気になれば用意は可能だろうが、嘘を吐くにしたってわざわざ東京にする理由はない。
ひとりぼっちで放り出されて、途方に暮れた男。
――まるで誰かを見ているようだ。
神代はもう一度溜息を吐くと、頷いた。
「――わかった。ただし、ここにいる間は診療所を手伝ってもらう。いいな?」
「も……勿論です! よろしくお願いします!!」
ぱあっと顔を明るくした三十男へ、冷静に「それと」と付け足す。
「あんたのほうが、私より年上だろう。先生と呼ぶのはやめてくれ」
「そうは言っても――K先生はK先生ですから。それに、呼び捨てになんかしてたら、うるさそうな奴もいるし」
弟子入りがちょっと先だからってマウント取らないでよね~~!!と、そのへんからメガネの上のアンテナをぴょこぴょこ揺らして騒がしいのが出てきそうだ。
それくらい、この古びた洋館は譲介の記憶と変わらない。
「……? とにかく、せめてKはやめて欲しい。この村の事情もある程度分かっているようだが、ならば知っての通り、私は影の一族だ。当代のKは別にいる」
――そのKAZUYAは、あと数年で死ぬ。
譲介はそれを知っていたが、もちろん、いまはそれを告げる時じゃないということも分かっていた。
「それじゃあ……一人先生?」
と、口にしてしまってから、いや神代にするべきだったか、と思う。だが、『K』以外の名前で呼ばれている姿といえば村井が時々口を滑らせて呼ぶ『一人ぼっちゃん』の印象が強く、真っ先に口をついたのが名前のほうだったのだ。
「……もうそれでいい。それで、そちらは和久井、でいいのか?」
神代が、机に置かれたパスポートと免許証に視線を向けたのに気づいて、今更ながら慌てる。
「え? あっ! すみません、そうか僕、名乗ってなかったな……。そうです、譲介です。和久井譲介」
「和久井さん、ひとまず――」
「譲介です」
「……譲介さん」
「譲介」
「…………譲介。ひとまず、お茶を入れてくるから、机を片付けておいてくれ」
「はい!」
その晩は、さしあたっては病室のひとつを使えと一室与えられた。佐治の母が入院している病室からは一番遠い部屋で、まだ警戒されているなと苦笑する。
翌朝、自然と六時前には目が覚めた。入院患者の様子を確認して、掃除を済ませる。八年ぶりだが染みついたルーチンワークだ。
いまの診療所は、朝食はどうしてるのだろうか。今日は患者も居るし、以前のように――いや、未来のように――村の誰かが来ているのか。コーヒーは用意してしまってもいいだろうか。譲介がキッチンに立って迷っていると、学ランを着た神代がやってきた。
「おはよう」
「あ、おはようござ――え、あ、K先生……それ……!?」
神代の格好に驚いて、思わず指差してしまった。
「……? 昨日も手術前は着ていたが」
思い返せば、確かに昨日も着てた。
「えっと……先生、いまおいくつでしたっけ」
「十八だ」
「ああ、そうか……そうですよね……」
譲介は神代の正確な生年は知らないが、だいたいの年齢差はもちろん知っていた。まだ学生でもおかしくはない。すでに譲介の記憶とほとんど変わらない体格だが、それは一也もそうだった。成長の速い一族なんだろう。
高校三年生。譲介が初めて、ドクターKに会った歳だ。
何とか驚きから戻ってきた頃、さらに驚く人物が診療所に顔を出した。
「先生、おはようございますだ。……うん? 客け?」
「ッ……ど、どうも……!」
――イシだ。もちろん記憶よりも若いが、すぐに分かった。いまは六十かそこらくらいだろうか? この頃から診療所に顔を出していたらしい。
ついもじもじとしてしまった譲介を横目に、神代が「村井さんの知人で、しばらくここを手伝って貰うことになった和久井譲介だ」と昨晩相談して決めた設定を告げる。
「よろしくお願いします」
「彼はこの村のことも知っている。特に気を回さなくていい」
「ほう、そうけ。じゃあ今日から三人分じゃな。佐治も入院しとるんじゃろ?」
「ああ。安静は必要だが食事は普段通りで問題ない」
「そりゃよかった。んじゃすぐ準備するでな」
イシにお茶とコップを持たされ、台所から追い出された。詰襟姿の神代と共にテーブルに座る。
「当然、顔見知りか」
「イシさんですか? ええまあ。……またイシさんのご飯かと思うと、正直テンション上がるなァ……」
だが、譲介が言わないとメニューにカレーは出てこないだろう。いつからリクエストしても大丈夫だろうか。いますぐにでもしたい。もう毎日でもいい。
朝からウキウキしている譲介を、神代はじっと見つめる。
神代はイシの名を紹介しなかったし、イシも名乗らなかった。もちろん、実はイシがこの男と共謀している可能性もあるが――。まあ、ありえないだろう。
「毎日じゃないぞ。他にも交代で来てもらっているひとりだ」
「あ、そうだったんですか」
それはそうか。そういえばイシの家は三世代同居だった。ここが特殊な村だということもあるが、診療所で往診をこなしていると自然、村の各家庭の家族構成を覚えるようになる。
この時代なら、まだ孫たちも手がかかる時分だろう。
一瞬、何か引っかかりを覚えたが、その正体を掴む前にイシが朝食を持ってやってきた。
いただきます、と手をあわせ、神代と向かい合って食べた。ああ美味しい。
譲介にとって、北米の食生活は意外と悪くなかった。一時期のブームで日本式カレーを出す店も増えていたし、インドやネパールのカレー屋も充実している。そしてカレーばかり食べているのを見た朝倉や大学の友人たちにはあれこれと連れ回されて色んなものを食べた。多民族都市ではカネとツテさえあればどこの国の食事だろうと手に入るのだ。
それでも、T村で食べるイシの食事に勝るものはない。
食事を終えた神代は立ち上がると、通学カバンを手に取った。
「昨日は休んだので、学校に行ってくる」
「あ、はい」
そうか、昨日バスの運転手が待っていたのは、神代か。
納得しながら、玄関口まで見送りに出る。扉に手をかけた神代が、最後にもう一度振り返った。
「朝のうちに佐治さんの様子も診てくれたようだが……留守を頼む。――譲介」
「……! はい!! いってらっしゃい、先生」
――つづく。
>>次話
---------------------
医療描写は素人の書いた物ですので何も信じないでください。
村井さんはまだギリギリ村に居そうなタイミングなので悩んだんですが、村井さんって静江にもだが一郎にもかなりの激重感情を抱いているので失踪するならさっさとするんじゃないかな……(一也が村に帰還してしょっぱなの「一郎先生が生きてると分かってめちゃんこ元気だぜ」ってすげぇぞ?!)ということでこの話ではこんな感じに…。
一人ぼっちゃん、ふたりの面影しかないから…。