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喜びとは目的を暖め続け、知性を輝かせ続ける神聖な炎である。3

全体公開 アークナイツ 3811文字
2023-08-07 21:45:53

アークナイツ エイヤフィヤトラ二次創作その3
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Posted by @Alpha_arpA

 ウルサスの厳しい寒風が、荒野を泳ぐロドスと言う名のクジラを打ち据えている。
 当然、その程度のことで船体そのものがどうこうされることもない。けれど施設群を吹き抜ける風鳴りが幽かにここまで聞こえてきていて、ただでさえ寒々しい執務室の温度を何度か下げているような気がした。
 討論を終えて、冷えた素足を再びこたつに忍ばせて温めながら、エイヤフィヤトラは冷えたコーヒーを温め直しているドクターの背中を眺めていた。
 白衣の上に黒いロドス・アイランドの制服とエンブレム。ほんの少し猫背気味で、時折ぽんぽんと腰を後ろ手に叩いている。
 それは彼が背負ったものの証であり、その重さを彼女が計り知ることはできなかった。

 ドクター。

 エイヤフィヤトラ……アデル・ナウマンが彼の名を初めて目にしたのは、リターニアのウィリアム大学にある図書館の書架でだった。
 『鉱石病を根絶治療するために その展望と課題』シンプルで分かりやすい表題の論文は、鉱石病に罹患したことが発覚したばかりであったアデルの目を惹くものだった。当時の彼女は鉱石病の生理的な、社会的な恐ろしさを充分に理解しているとは言い難く、知識として上辺を知っている程度のもの。
 脳天を灼かれるような衝撃だった。
 はじめに書き連ねられていたのは、あまりにも壮絶で鮮明な感染者達の扱いとその末路の実態。
 病状とその緩和の方法、根治の難しさと源石との関係、このテラの大地に於ける源石鉱脈の移動と表出の関連性、将来的な源石治療の予測に到るまでが、どの分野においても異様としか思えないほどに膨大な知識量と実地研究のデータでもって書き連ねられていたのだ。
 絶望と名付けられるようなありとあらゆるシチュエーションを片端から再現しているかのような悲劇と現実が、其処にはあって。
 だがそれらの事態全てに片端から立ち向かい、そして確実に歩みを進める研究者達の希望が在った。
 アデルは己の病に絶望し、しかし同時に強い希望を覚える。
 それはあまりに不可思議で、言葉で言い表せない不思議な感情だった。身体の中が熱く燃えるような、浮き立つような心地だった。
 刻み込まれたセンテンスの一つ一つから、狂気にも似た執念を感じた。この筆者は本気で、この世界を冒す病に己の存在の全てを捧げて向き合おうとしている。
 沢山の人々がその人生を捧げ、その生きる道を燃やし尽くしてやっと細い糸が繋がっていくような、あまりにも壮大な研究テーマ。誰もがその途方も無さに諦めてしまった無明長夜の道を、一歩一歩進み続けている。
 その真摯さと熱に浮かされたアデルは、書籍の末尾にある著者の名を見てさらに驚愕した。

“Dr.___”

 そこには名が無かった。
 ドクターとだけ書かれた著者の欄にはその名が記されておらず、何処かに居るとも知れない無名の研究者による記録であったのだ。当時の彼女にはその“ドクター”こそが彼を表す記号であることなど知る由もなく、その真相は数年後に偶然彼と邂逅することでようやく明らかになったのだが。


「疲れたかい? ぼーっとしているように見える」

 優しく掛けられる声に、エイヤフィヤトラは物思いから醒める。目の前には湯気を立てるマグが差し出されていて、コーヒーとは違うほわほわとした甘い香りが漂っている。まろやかな乳白色の液体は、蜂蜜をとかしたホットミルクだった。
「いいえ、先輩。でももう少しだけ……此処に居ても、いいですか?」
「構わないよ。なにか話したいことが?」
 お礼を言ってマグを受け取り尋ねると、ドクターは部屋に掛けられた時計を一瞥してから頷いた。さっきまでと同じように、こたつには入らずに小上がりの段差へと腰かける。
 彼のマグには、真黒いブラックコーヒーが注がれていた。

 初めてロドスに来たとき、やっと出逢えたひとは記憶の大部分を失い、チェルノボーグ事変という時代の濁流に翻弄されるままもがくしかない、一人の哀れな男だった。
 それでも、不安に苛まれるアデルの前でマスクとフードを外し、話す口元を彼女に見せながら言った。『これで、少しは話しやすいかい?』と。
 まだ話していない筈の彼女の病状と、唇の動きが見えれば多少の騒音の中でも会話がしやすくなるのに、という彼女の不安を一瞬で見抜き、理由あって装着しているであろうマスクを躊躇無く外した彼はまごうことなくあの本の著者で、そして。
 “エイヤフィヤトラ”はそこに、決して消えない希望と暖かさを見た。

「先輩は、変わらないですね。いつも私のことを気遣ってくれます」
「自分の患者を気遣わない医者はいないだろう。当たり前のことさ」

 出逢ったときと同じようにマスクを外したドクターは、苦笑しながらこともなげに答えた。一口コーヒーを飲んでしかめた目元には、濃い隈が刻まれていた。けれどエイヤフィヤトラに、それ以上の疲労を態度で示すようなことはしてくれない。
「苦い。やはりアーミヤのように上手く淹れられないな」
「ふふ……先輩にも苦手なこと、あるんですね」
「うーん。こればかりは、どうにも」
 歳は一回りも違わない筈なのに、背負う負担と重責と疲労は、彼女とは比較にもならないようなそれのはずなのに。彼はエイヤフィヤトラに対して弱音や愚痴といったものを見せたことが一度も無い。
 ロドス・アイランドの三首脳、彼らの仕事量が人間離れしたものであることなど、此処に勤めていればすぐに思い知ることになる。ケルシー先生はともかくあのアーミヤでさえ、時折疲れたような表情で一人、食堂で休憩している姿を見かけるのだ。
 部下に弱った姿を見せない。それは思えば、上司としてはごく正しい姿勢ではあるのだけれど。
 医者と患者。
 その関係性は変わらない。彼にとって、私はそれ以外の何者でもない。
「私、“先輩の患者”ですもんね」
 自分の唇から思わず飛び出した言葉が自分自身ひどくわざとらしいものに聞こえて、キャプリニーの女性はそれを恥じるように言葉を切ってマグを口元に運んだ。
 ドクターは、そんな彼女の言葉には答えを返さなかった。


「もう夜も遅い。それを飲み終わったら、お開きだよ」
 僅かな静寂のあとで、ドクターはエイヤフィヤトラにそう語りかけた。父が子に話すような、優しい口調だった。
「はい。先輩」
 素直に頷いて、エイヤフィヤトラは残り半分もないマグの中身を見た。天井のライトを反射して揺らめく光を飲むように、ほんの少しだけコーヒーを口に含む。
 静かな部屋だったから、男の言葉は耳に集中していなくともはっきり聴こえる。エイヤフィヤトラは一瞬、自分が本当は鉱石病などではなく、今までのことは今この一瞬、こたつの中にうとうととまどろんだ刹那の白昼夢なのではないかという妄想に囚われた。
 私はロドス・アイランドの準エリート・オペレーター。地質学の研究をする傍ら、この製薬会社の正社員として、やがては幹部社員であるエリート・オペレーターとなるべく働いている。
 私は未だ若く、未来は開け、やるべき事は多い。大好きなドクターの傍らで学ばせてもらいながら一つずつゆっくりと歳を取り、そして両親の遺した研究を大成し、その後の未来は──。

 そうしていたら、ふと猛烈に怖くなった。

 あと何回、あと何年、何ヶ月、何日私はこの人の声を聴いていられるのだろう。

 あとどれだけの期間、この目で己の知りたいことを知り、研究に残せるのだろう。刻んだものを先輩に見せ、到らないところを教えてもらい、そして褒めてもらえるのだろう。
 手に持ったマグをぎゅっと握りしめ、揺れる飲み物の水面をローズグレイの瞳が見つめる。
 抱き寄せた毛布は暖かくて、けれどそれはエイヤフィヤトラの胸腔を埋めてくれはしない。
 病で死ぬことは、それほど怖くはない。
 ロドスの理想に寄り添って戦いの中に身を置くことも、思っていたほど怖くなかった。オペレーターとなって降りかかる火の粉を払うのは、今この世界では必要なこと。世の中に源石よりも蔓延る悪意を否定するほど、エイヤフィヤトラは理想論者でも聖人でもない。この居場所を護るためなら、彼女は己のアーツで悪意を焼き尽くし、マグマが呑むようにそれを消し去るだろう。
 けれど、今隣に座るこの人の背を追いかけられなくなることだけは怖い。
 あの日、昼下がりに読んだ本のように。この命を父と母から受け継いだ研究に注ぎ込み、この執念を焼き付けた成果がいつか誰かの手に取られ、誰とも知らない誰かの命を救い、営みを護る……
 そんな未来を追って歩けなくなることが、何よりも彼女は怖い。
 いつか追いつき、その横に並び立ち、たった一人テラに立ち向かう名のない研究者を支えることができなくなる。
 この目で彼をしっかりと見つめて、この想いと感謝を伝えることが、叶わなくなる。


「先輩、私」

 普段は耐えられる怖れだった。今耐えられなくなりそうなのはきっと、男との語らいがあまりにも楽しくて、源石が自分の身を今も冒していることを忘れていたからだ。
 楽しくて暖かい夢から覚めてみたら、まるで幼子のように怖くなってしまった。

「私、あと何年研究者でいられますか……?」


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