@Alpha_arpA
一年前。
「異動……ですか?」
「ああ。書面は既にメールで送付済みだが、フランクス博士。あなたは今月末付でアーツ応用課主任の地位を解かれ、特別外勤研究員としてロドス・アイランド製薬へと出向してもらうことになった。
君の優秀さは我々もよく知る所だ、ライン生命の名を汚すことのないよう、頑張ってきたまえ」
──クルビア、トリマウンツのライン生命本社。
ドロシー・フランクスはその社屋内の片隅、普段は使われもしない小さな会議室に呼び出しを受け、コンポーネント統括課の人事部長から辞令を言い渡されていた。
それは、ドロシーが自らの夢の為に行っていた研究がライン生命の他主任に利用され、そしてドロシー自身もまた己の意志で多くの人間の人生を永久に奪いかけた、359号基地での事件のすぐ後のこと。
あまりに唐突に言い渡された時期外れの異動辞令は、ラボ職員への見せしめやクルビア国防部へ立てる面子や、その他にもいろいろと理由があったのだろうけれど。
本社戻りの日付や時期すらも記載されていないそれは、実質的な解雇通知。
巨大な組織の中で越権行為を働き、会社に損害を与えた者への処置。社会を騒がせた一件に終焉を告げる、追放宣告であった。
「君なら判るだろう?君は“あの基地で実験ミスを冒し、結果として基地設備をすべて失う大崩落事故を起こした”」
人事部長の並べる言葉を聞きながら心の何処かで、ああそういう筋書きなのね、と妙な納得を覚える。
どうやらあの場所で起きたことの真実は、つつがなくトリマウンツのビル陰に葬り去られるようだ。そう思うと反射的に両拳に力が入り、ドロシーは手をぐっと握り込んだ。
が、彼女は何も反論の言葉を口に出すこともない。唇を引き結んで、ただ受け容れなければならない。
処分の判断そのものは妥当なものだと、ドロシー本人も思っていた。あれだけのことをしたのだ、何の処分もなしに今まで通り、という方がかえって有り得ないことだった。
「当然、ラボとしても何らかの対処を行う必要がある。今回の人事措置はイレギュラーではあるが、統括をはじめとした全ての課の主任からも承認はいただいている。これはライン生命の総意と思ってくれたまえ。
……まあ、ロドス・アイランド製薬にも優秀な研究者が多く集まっていると聞くし、設備もうちほどではないだろうが、悪いものでもないだろう。案外、今までよりもいい環境が手に入るかもしれん」
リーベリの男の語り口は、後半にいくにつれて薄笑いの色が滲んでいた。
会議室のチェアに腰かけて嘯く人事部長の前で、姿勢を正して「かしこまりました。拝領いたします」とお辞儀をして、ドロシーは踵をかえし殺風景な部屋の扉へと向かう。
「フランクス博士」
ドアノブに手を掛け、押し開けようとしたところで背後から声を掛けられる。ドロシーはその姿勢のままに振り向き、人事部長を見た。
「クルーニー博士のことは残念だった。まさかあの基地の事故に巻き込まれるだなんて、私も一研究者として心が傷むよ。だが、起きてしまったことは仕方のないことだ」
眉根を寄せ、腕を組んだ人事部長の視線が、振り向いたドロシーに突き刺さっていた。
「偉大な研究者というのは、己の研究のためになら時に驚くほど非情になれる生き物だ。それこそ、人の命など道端の虫のように踏み潰してしまえる程度にはね。君もそう思うだろう? フランクス博士」
まるで世間話のように何気なく放たれる言葉はしかし、その語気の毒々しさもあいまってひどく威圧的に響く。ドロシーは困惑し、短く返すほかに無かった。
「……何がおっしゃりたいのか、分かりかねます」
「いや、ただ私は君におめでとうと伝えたかっただけさ。誰の目が光っているか分からないライン生命よりは、どこぞの弱小企業を蓑にしていた方が、人の命を奪ってでも止められない狂った探求欲を満たすには都合がいいだろうと思ってね」
「!? 私はそんな……!」
人事部長はこう言いたいのだ。ドロシーが同じ主任の一人であるフェルディナンドを、己の研究の邪魔であったために手に掛けた、と。
思わず反論しようとしたドロシーの言葉を遮り、人事部長は苦々し気に吐き捨てて彼女にハンドサインで出ていくように合図をした。
「改めて“栄転”おめでとうフランクス博士。ロドス・アイランドのスタッフを全員生贄にしても、もうこっちには戻ってこないでくれよ。いくら情熱的だろうが、他人の人生を奪ってまで進めて良い研究などあるわけがないだろう。常識だろうが」
それを、ライン生命から消えゆく研究者への最後の言葉として。
重たげなドアが、ライン生命とドロシー・フランクスという一人の研究者を断絶するかのようにバタンと閉じて。
そしてドロシーは、ライン生命の研究者ではなくなった。
力を込めて握っていた両手が、ふっと脱力していく。奥歯が痛い。
肺から空気を何もかも吐き出して、なんだかふいに自分がとんでもなくか弱い生き物になってしまったような心地がした。
丸まりそうになった背筋をどうにか伸ばして、無機質な青白い照明が眩しい廊下を歩く。
すれ違う研究員たちが、歩いていくドロシーの背を見て何ごとかを囁き合っている。皆、アーツ応用課の主任がその地位を解かれることも、またその理由が先日の実験基地で起きた大規模な事故と、エネルギー課主任の失踪とも関わっているようだという噂に熱狂しているようだった。
顔を俯けそうになる。意志の力でなんとか堪え、ドロシーは歩みを進める。
目指した地位は、ただ背を押してくれた家族に報いるため。母を、かつて共に暮らした人々に手向ける何かが欲しかったから。研究さえできれば、ドロシーには地位など必要なかった。
今はもう、ドロシーに家族はいない。一心に積み上げてきたものも、夢も、もう無い。
彼女が持っていたちっぽけな宝物は、彼女自身の業によってすべて喪われた。
社屋から外に出ると、エントランス前の広場には人気が無く、もう陽の沈み切った空には星が瞬いていた。
トリマウンツの均整の取れたビル街が、それらをズタズタに切り裂いている。ここから百キロメートルも離れた実験施設では、夜の闇はこんなにも無残な姿ではなかった筈だった。
「……はぁ」
耐えきれずにぽろりと、溜息が零れた。人気のないところまでは頑張って来たけれど。
ドロシーは顔を俯けて、もう一度深いため息を吐いた。
夢の世界で見たもの、“覚醒”の崩壊、積み上げてきたものの喪失。ここ数週間の色々が背中と肩にあまりにも重たくて、溜息と一緒に涙もこぼれそうになる。
「だめよね」
両手で頬を挟んでぺしぺしと叩き、とりあえずは借りている社宅に帰ろうと思いなおした。何を悲しもうが、何を後悔しようが、全ては自分の自業自得でしかない。
ドロシー・フランクスは大人だ。大人はどれだけ泣いて助けを求めても、誰にも助けてはもらえない。
脚を前に出し、歩かなければ。トパーズの瞳で前を見据え、また全て、ゼロから始めなければ。
明日からはさっそく動き出さなければならない。まずは今の賃貸を引き払う準備をして、銀行からお金を纏めて下ろして……と、指折り数えながら歩き出そうとした、その時。
うまく上がらなかった足が欠けひとつないコンクリートのタイルに引っかかり足がもつれ、ドロシーは身体のバランスを崩した。
瞬間、内臓が浮きあがり、冷や汗が噴き出す。
「あっ」
時間が飴細工のように間延びする。何が起きたかも理解できないままに無様な星空が空転する。
まるで自分のものではないような、頓狂な声が口からこぼれ出る。それを置き去りにして身体が前に倒れていき、地面に吸い込まれていく。
腕で身体をかばうとか、脚を動かしてバランスを取り直すとか、そう言った反射がこの時ばかりは働かない。疲労ゆえか、それとも別の理由か。
「危ないっ」
夜に響く、男の声。僅かな衝撃。腕と肩が引っ張られる、微かな衝撃と痛み。
被っていたハットだけが地面に落ち、ぽす、と小さな音を立てた。金色の髪がさらりと流れ、街灯の光をぼんやりと反射している。
「──ま、にあったか。良かった。
大丈夫ですか?」
驚いて目を開けたドロシーが見たのは、黒いフードつきウインドブレーカーと白衣に身を包んだ、黒い防護マスク、中肉中背の男。研究者だろうか? にしてはやたらと重装備というか、過剰なほどの防菌ぶりだ。
心配げな声色で、転びそうになったドロシーの腕を取って支えている。彼女はその男には見覚えが無かったから、少なくともライン生命の社員ではないのだろう。
顔の見えないこの人のお陰で、彼女はどうやら転ばずに済んだようだった。
「えと、私……あら……」
見ず知らずの男に助けられ、恥ずかしい所を見られたやら情けないやらで顔が熱くなる。耳の先がぼうっといやな熱を持つのを感じて、こんな経験も久しぶりかも、と変に客観的な自分が居た。
ともかく、脚に力を入れて立ち上がろう。いつまでもこの人に支えてもらいっぱなしでは……ひとこと礼を言うことも忘れ、人の目もあることだし、とまで考えて、ドロシーは眉をしかめた。
となりの男が「ん?」と小さく疑問の声を発する。
言葉を待つ小さな沈黙。へたり込んだままのザラックの女が立ち上がらないのを不思議に思ったのか、自分も膝を折ってしゃがみ、彼女に視線を合わせた。
まるで、子供にそうするかのように。マスクの奥の眼と視線が合ったような気がして、ドロシーは自分の裡にぱちぱちとはぜる羞恥がもう一段ボルテージを上げたように感じた。
言わなければ。なにか。なんでもいい。
何より、このまま沈黙を通すのは、今のドロシーにはちょっと耐えられそうにない。
でも、ダメだった。
じわりと目が熱く沁みて、視界がぼやける。暖かい水分が瞳からぽろりと零れ、頬を伝って落ちていく。
どうしてこんなに、何もかもが。
小さなことをきっかけに、感情の濁流が堤防を圧し崩すようにして飲み込んでいき、混沌にする。
「えっ、あの、大丈夫ですか」
転ぶのを助けただけの女が、突然ぼろぼろと泣きはじめるのだ。目の前のマスクの男性は随分と焦ってしまうだろうし、迷惑だろう。それがまた恥ずかしくて、顔が熱い。
でも、もうだめだ。
「ごめ……なさっ」
生きてきた意味も、これから生きる意味も、何もかもが己の自業自得で消え去っていった。
もうドロシーには何も残っていない。生きてさえいれば何度でもやり直せるのだと自分を叱咤しても、幾万積み上げた時間をまたゼロからやり直すのは、言葉で軽々しく言うほどに簡単なことではない。
最後にやって来た痛みを、見も知りもしない誰かに助けられて。
救われてしまって、涙が出た。
男は無理にドロシーを泣き止ませようともせず、周りの目を気にすることもなく、ただ彼女の背に手を置きゆっくりとさする。人間離れした風体の男なのに、その手は暖かい。
突拍子もない女の様子を訝しむでもなく。
迷惑そうな素振りなど欠片も見せず、ずっと。
「……大丈夫です。自分も突然赤ん坊みたいに泣きわめきたくなること、ありますよ」
「ふ……ふふっ」
悲しいのか辛いのか、唐突にとぼけ始めた男が面白いのか。なんだか訳がわからなくなってくる。
不器用なのか。けれど優しい人だった。それだけが、彼女の茹だった頭で理解できるひとつのことだ。
それが、彼との邂逅。
人一人の人生を変えてしまうには随分とちっぽけな、なんとも締まらない出逢いだった。
そしてその後ドロシーは、彼こそがロドス・アイランドを率いる“ドクター”であることを知った。
▽▲
ドロシー・フランクスの移管手続きは、驚くほどスムーズに進んだ。
入職に関するテストや検査の結果曰く、彼女の操る共振アーツとドローンの精度、また体内を血液の代わりに満たす伝達物質が齎す生理的・物理的耐性は極めて優秀。
以上を踏まえ、彼女のロドス内での職分は特殊区分オペレーターであると。
ドロシーの本職についても引き続き継続することが許可された。
当面の間は、彼女のアーツを応用し艦の航路上に存在する岩などの障害物を安全に破砕、除去することで安全を確保する自律ドローン開発稼働プロジェクトの主導研究員として。
これまでは人員不足で使用されていなかった第五研究区画が、彼女に与えられることになった。
「うお、フランクス博士! いいんですよォそんなことは。俺たちが指示通りに全部やりますから、あなたが自分で搬入なんてやるこた無いんです!」
空室同然だった研究区画を清掃、除菌し、機材を運び入れる段でも、彼女は持ち前の誠実さを発揮していた。普通であれば係の業者に任せるような仕事も率先して手伝い、業者の男を苦笑させる。
「ふふ、ドロシーで良いわ。此処が新しい仕事場だって思うと、いてもたっても居られなくて。お邪魔でなければお手伝いしたいの。駄目かしら?」
「いやダメじゃないっすけどォ……オーイお前ら、ドロシー博士が仕事したいってよぉ、なんかあるかァ!」
「こっち来て設備のレイアウトがマズくないか確認してくださーい!」
部屋の向こうがわから声が帰ってきて、ドロシーはそちらに目を向けた。
十人弱の作業員がてきぱきと搬入を進める室内には、肌に黒い結晶をのぞかせる者たちもちらほらと。鉱石病の感染者たちも、一般の人々に混ざって仕事をしていたのだ。
目を丸くして小さく口を開き、感嘆のため息を漏らすザラックの博士に、作業員は笑いかける。
「珍しいですかい? 感染者が皆に混ざって仕事をしてる光景ってのは」
「そうね。クルビアでも、有り得ないことでは無かったけれど」
まるで魅入られたように呟く彼女に、作業員は言葉を続けた。
「ここで暫く暮らすなら、慣れておいた方がいい光景でさァ。……『高濃度活性粉塵の吸引による感染』と、『外傷に活性源石が触れることによる経皮感染』」
「えっ?」
「俺達みたいな、外からロドスにやって来た人間が一番最初にここで教わることですよ。鉱石病感染の要因は、九割以上がこの二つなんだそうで。
逆に言えばこの二つをきちんと気を付ければ、別に感染者を遠ざける必要もない。俺たちはそれを、全員ドクターから耳にタコができるまで叩き込まれてる。
だから、俺たちは一緒に仕事をするのが当たり前なんです。ま、勿論体調の問題はありますがね」
鉱石病だからって余らせておける人材は無いってことでさァ、と。ループスの壮年の男は髭面を柔和に歪めて笑い、それじゃあ手伝い頼みます、と言い残して歩いて行った。
ドロシーは改めて、これから自分の仕事場になる第五研究区画を見渡した。
そこに広がる作業の喧噪が、それまでとは少し違って、大きな意味を持って響いているように聴こえてくる。
自らの胸に手を当てる。吐いた息と一緒に、以前の職場で働いていた自分と、その環境が思い起こされた。
「……あっ」
物思いに沈んでいた時間は刹那だけれど。ドロシーはハッとして、自らが言いつけられた仕事をこなしに現実へと帰っていく。
「ええと、ああ。この装置だけは壁際に移動してもらえるかしら。こっちの方が動線がすっきりして都合が良いから。あとは──」
△▼
「入職おめでとう、ドロシー!」
鳴り響くクラッカーの、乾いた軽い破裂音。弾ける紙吹雪と、パステルカラーのテープ。
ロドスの食堂の一角は、今夜だけはちょっとしたパーティ会場に変貌していた。天井からは手作り感溢れる色紙の飾りと、“Welcome Dorothy!!”と書かれた大きな横断幕。
「あ、ありがとう……」
ほんのり困ったように、けれど嬉しそうに下げて微笑むザラックの研究者。ドロシー・フランクスこそがライン生命の一部署を統括していた主任なのだと言われると、彼女の素性を知らぬものは驚いてしまうだろう。それほど普段の彼女は“普通”だった。
テーブルには、マッターホルンやグムたちが腕によりをかけたご馳走の数々が並ぶ。
賽の目に切った羽獣の肉とたっぷりの野菜にサルサソースをかけ、ふわふわのパンケーキで挟んだタコスや、トウモロコシをすりつぶした粉を伸ばして焼いたトルティーヤ。沢山の野菜と香辛料をペーストにしたワカモーレ。肉獣をほろほろになるまで煮込んだスープに、鱗獣とオニオン、トマトやパプリカをライムで和えたセビーチェ。
ふわりと立つ湯気と香り。舌鼓を打てば、皆の表情は和らぎ笑顔がこぼれる。
酸味や辛みが強くなりすぎないよう料理人たちが気を回してアレンジした料理は、どれもとても食べやすい……ともすれば、ニェン辺りは少々苦い顔をするのかもしれないけれど。
「改めて、ロドスへようこそ。ドロシー。今日はクルビア南部の料理を再現して貰ったんだけど、どう?」
穏やかな喧噪だった。白い皿に慎重に料理を取り分けながら、相変わらずマスクとフード姿のドクターがドロシーに問いかけた。
「とっても美味しいわ。それに……」
料理は暖かく良い香りで、食堂や食器は質素ながらに清潔で、普段は小食なドロシーすら食欲が搔き立てられた。
ただそれ以上に、と彼女は言葉を続ける。その視線は料理というよりも、その場に集ったオペレーターや職員たちに向いていた。
「皆、こんなに笑ってる」
向こうのテーブルに、ドロシーのよく知る顔が並んでいた。
元警備課主任のサリアに、かつてパルヴィスのもとで治療を受けていたはずのジョイス・モルと、オリヴィアという研究員。それにブロンドの髪をふたつに縛った、サルカズの少女。一目で、その少女は病状がかなり進んだ感染者だと分かる。
サリアとオリヴィアの間には笑顔こそなかったが、その距離や仕草に険は感じられない。白い平皿にたっぷりと料理を乗せたサルカズの少女がたたた、と走り寄って行って、活発そうな笑顔で二人にずい、と皿を差し出した。あとからジョイスがゆっくりと歩いて、三人に合流する。
会話を止めた二人は一時顔を見合わせると、オリヴィアが眉を下げて微笑み、グラスを置いてから皿を受け取ってタコスを手に取り、そしてサリアにも皿の上のそれを差し出した。
僅かに躊躇するように口を締めていた彼女だったが、ジョイスが横からナプキンを差し出すと観念したように受け取って手を拭き、タコスを手に取った。
これうまいぞ! という元気な声が、こちらにもよく聴こえてくる。一瞬、そちらを見つめていたドロシーとサリアの視線がかち合った。もと警備主任の目つきがすっと厳しくなる。
だが……元警備主任はそれ以上は何も行動することなく、視線から棘を消してドロシーに目礼した。
色とりどりの料理が並ぶカウンターの近くでは、ライン生命の外勤研究員であるマゼラン、そしてラボ・ルトラのメイヤー研究員。その隣には白銀の髪を揺らして笑うウルサスの少女と、なんだか少々不機嫌そうなサヴラの女性が。
この二人のことをドロシーは知らなかったが、だが四人はとても仲良しな様子で食事を囲んでいた。
サヴラの女性も、表情や態度の割にはその場から離れて行こうとはしない。時折三人の話に合いの手を入れて軽く頷いて、自分はマイペースにがつがつとサラダやスープ料理をかき込んでいた。
「ドクター!」
「アーミヤ、ケルシーにロスモンティスも。忙しいのに時間を作ってくれてありがとう」
「毎日お仕事ばかりでは、気が滅入ってしまいますから。ドクターこそ、私たちも招待してくださってありがとうございます」
ドクターに駆け寄ってくるコータスの少女のことは、ドロシーも知っていた。
此処にやってくる前に読んだ資料にあった、ロドス・アイランド製薬の対外的最高経営責任者。内部では“三首脳”と通称されるうちの一人。
その弱冠で、権力と陰謀渦巻くテラの大地の只中に立ち続ける小さな女傑。
「ドクター、そちらの方が?」
「ああ、ドロシー・フランクス博士だよ。ロドスに赴任してきたライン生命の研究員で、オペレーターも兼任してもらうつもりだ。ドロシー、こちらはアーミヤ。後ろのふたりはケルシーとロスモンティス。
ケルシーはロドス・アイランドの医療部門最高責任者で、ロスモンティスはエリート・オペレーター。二人とも、頼りになる私たちの仲間だ」
「仲間? 違うよ。私たちは、家族」
少し眠たげな瞳を揺らして、ロスモンティスと呼ばれた白髪のフェリーンの少女はドクターの服の裾を軽く握りながら、男を見上げるように言う。
ドクターはひざを折って屈むと、何も言わずにロスモンティスの頭へ手を置き、ぽすぽすと撫でた。「にゃ」と目を閉じてされるがまま満足げな少女に、ケルシー医師が語り掛けた。
「ロスモンティス、ドクターとフランクス博士は話がある。
折角の席だ、アーミヤと私と共に料理を貰いに行こう。パーティが楽しみだからと、今日の昼食を抜いていたんだろう?」
「行きましょうか、ロスモンティスさん。あちらにあるお皿を使っていいみたいですよ」
「ん、わかった。また後でね、ドクター」
「お腹いっぱいにしておいで、ロスモンティス。行ってらっしゃい」
アーミヤと手を繋いで離れて行くロスモンティスを見送って、ロドスの主要な一角を担うフェリーンの医師はドロシーに向きなおった。
少なくとも和やかではないその雰囲気に、ドロシーは居住まいを正す。
間違いなく、ライン生命で起こした事故のことを問われるだろう。これまでまるでそれだけを避けているかのように、ドロシーの過去の行いについて説明を求められることは無かったのだ。
彼女は身構えた。何を問われても、きちんと説明をしなければならない。これは自分の責任だ。
「ドロシー・フランクス。君には、このロドスはどう見える?」
向きなおり、柔らかな笑い声と話し声が響くそこで、ケルシーは淡々と静かにそう訊いた。
その声色にはなんら強い感情も含まれていない。ともすれば相手の回答にすら興味が無いような、そうとすら思えてしまうような超然とした姿勢。
ドロシーは思っていた言葉と実際が違うことに戸惑うと共にふと、己が試されているような予感を覚えた。
どんな検査もテストも意味はない。己の過去すら、この医者は頓着しない。そんなことよりも優先すべきことを、面と向かって問われている。
今この瞬間こそ、自分がこの優しい場所を護り育んできたものに厳格に試されているのだ。そんな予感だった。
だから、考えた。
クルビアの地で生きて、夢を見て、そして夢から醒めた自分が今、ロドスに巡り合い何を思うのか。
それは、内省にも似た応えを促す問いだ。
「……私が、」
荒野に生まれ、育ち、クルビアの夕陽と夜明けが彼女を育て、絶望させ、立ち上がらせそして夢を見せた。
「私が見ていた夢。目指したかったもの。それがこんなにも簡単に、何の技術的な革新もなくここに実現されている。そう思ったわ。
平等な世界。誰もが自分の立場も能力も思い悩まずに、他者を抵抗なく理解し合い生きていく。そんな世界。みんなが幸せな世界。
それは私がただ短い間、此処で過ごす中で見た甘い幻想かもしれない。
現実は夢のように甘いものではないわ。ここにもきっと、沢山の苦しみや悲しみ、怒りがあるのでしょう」
「でもね。それでも、私は感染者も非感染者も分け隔てなく、こんなに沢山の笑顔を浮かべて暮らしている場所を他に知らないし、想像することもできなかったの。
ここは、素晴らしい場所だわ。私の夢は、本当は、こうして叶えるべきものだったのね」
一度言葉を切り、ドロシーは目の前の医者の瞳を真っすぐに見つめた。
ケルシーの瞳には相変わらずなんの色も感情もない。けれど、ドロシーの答えを正面から受け止めてくれていると分かるような真摯さがあった。
彼女は自分の答えを受け止めてくれる。ヒトとは違う、狂っていると言われようが構わないと見続けた夢を受け止め、そしてそれが間違っているなら正面から糺してくれる。
彼女は、ドクターは、このロドスは。
そう、期待する。
「ここで働く人たちに、ドクターのことを聞いたの。みんな、彼のお陰で鉱石病への偏見がなくなったと笑っていた。信じられないような、不思議な気持ちだったわ。此処には誰一人、鉱石病だからと差別される人はいないのよ。
このパーティだってそう。かつてライン生命で見た人たちも、そうでない人たちも、皆笑っている。病気のあるなし、能力の多寡がどれだけあっても、共に笑って生きていける未来があると私に証明してくれている。
わたしには、ロドスがいつかヒトがあるべき未来の生き方の一つに見える。そして私が間違えてしまった夢の続きを、より正しいかたちで未来に繋げてくれる場所に見えるわ。
だから、私はここでそれを護る人たちの支えになりたい。夢の中で道を間違えた私だけれど、もしもう一度、この夢の続きを見せてもらえるなら」
「私は、あなたたちと共に生きてみたいわ」
苦笑するサリアが、イフリータの頬に付いたソースを拭っている。
アスベストスやオーロラ、マゼランが、メイヤーの拡げた図面と肩を寄せ合って論議を繰り広げている。
ロスモンティスとアーミヤが、楽し気にカウンターを眺めながら食べる料理を選んでいる。
ドクターが仮面を外した。淵のような目をした男がタコスにかぶりついて、小さく微笑んだ。
「そうか。今のドクターが創るロドスは、ただ“場所”だ。贖罪も救いも、君自身が見出す必要がある。私たちがそれを与えることはできないかもしれないが」
「いいのよ。それでいいの。もう十分、貰っているから」
初めて、ケルシーが微笑む。控えめに唇を曲げるだけのそれだったが、少しだけドクターに似た笑みのように感じた。ドロシーにはそれが、とても暖かいものに思えた。
「……なら、ドクターを支えてやってほしい。彼には、彼の痛みを共有できる人物が必要だ。
それは私にもアーミヤにもできない、本当に大切なことなんだ」
「ドロシー博士!」
「えっ、エレナ? どうしてここに?」
「ラボに外勤申請出して、当面はロドスで仕事をすることにしたの! 此処には鉱石病の治療に来たこともあるから、オペレーター登録はもう結構前にしてるんだ!」
「そんな……なら、またあなたと一緒に仕事ができるの……?」
「勿論! というかドロシー、私がいないと本当にだらしなくて、ドクターに恥ずかしいんだから!」
「ちょ、ちょっと!」
「あーあー。聴こえてないよ。私は今ごちそうに夢中なんだ」
「ドクタ~……」
あはは、と笑いが巻き起こった。ケルシーですら、口元を手で隠しているが小さく微笑んでいる。
ドロシーは顔がぼっと熱くなるのを感じる。自分らしくないな、と思った。
脳裏に、母と父と沢山の開拓者に囲まれ暮らした、クルビアの荒野が思い起こされた。本当に久しぶりに、あの頃のことを思い出したような気がした。
それは、久しく感じていなかった“幸せ”の。
その、ほんの始まりの一欠けら。
ドロシーが、その男がこれまで救えなかった鉱石病患者全員の末期の声を記憶し、いかなる時も常に頭の中で反芻し続けているのだと知ったのは。
それから、半年後のことだった。
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