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喜びとは目的を暖め続け、知性を輝かせ続ける神聖な炎である。11

全体公開 アークナイツ 8673文字
2023-09-23 16:49:42

アークナイツ エイヤフィヤトラ二次創作その11
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Posted by @Alpha_arpA

「エイヤフィヤトラ。もうすぐ、時代の夜明けが来るよ」

「鉱石病は死を待つばかりの病ではなくなる。死者が感染を蔓延し、人々がそれを怖れ、同胞の差別と迫害を続ける日々が終わる。
大切な人々が石へと変わっていくのを、ただ見ていることしかできない日々が終わる。
病がヒトの心を食い荒らし、荒らされた心がテラに不和と不信をまき散らす時代が終わる。
……私の、たった一人の後輩がくだらない石ころに音も光も奪われ、生きる意味も奪われ、そして死んでいくのを待つことしかできない世界は終わる。
この、狂った絶望のるつぼのような時代は終わる。私が終わらせる。

エイヤフィヤトラ。希望は確かに此処に在るんだ。
“スマラグドス”が、君を未来へと連れていく。君は眠り、十年、百年先の未来で目覚める。そこは鉱石病など、ただの治る病になった世界さ。君は身体に巣食う源石を取り除き、そして自らの生きたいように生き、生きるべき時間すべてを生き切ってから人生を終えられる。
それは単なる祈りでも、希望的観測でもない。ただ君を勇気づけるための嘘でもない。それは生きるための具体的な方策であり、方法であり科学技術だ。エイヤフィヤトラに、本当に渡したかった答えなんだ。
私が何十、何百と繰り返してきた下らない嘘と楽観を、もう君には伝えずに済む。逃れ得ぬ死を前に恐怖する人々を前に吐いてきた嘘を。君にだけは吐かずに済む。

エイヤフィヤトラ。君を死なせはしない。私が全てをかけた研究が、君の未来を繋いでみせる。
もうこれ以上、誰一人私の前で塵にさせはしない。

どうか受け入れてくれ。不安はあるだろうが、それでもだ。必ず成功する。私が保証する。

だから」



「もうこれ以上、私の前で死なないでくれ」



 ドクターの言葉は、それはエイヤフィヤトラに対する説得であると同時に、懇願だった。
 差し出された手は救いのそれであると同時に、赦しを求め痙攣する指先だった。
 男の成果と自信と確信と、そして苦しみと痛みとが、その言葉に詰め込まれている。エイヤフィヤトラの弱った耳と目は、音や光が生み出すノイズを越えて男の思いを鋭敏に受け取った。
 男は自信に満ち溢れている。同時に、今にも倒れそうなほど疲弊しきり、心を消耗しきっている。
 きっと彼に身を任せてしまえば、エイヤフィヤトラは助かるだろう。
 遥か先、鉱石病が治る未来までを冷凍保存され、凍りの眠りのなかで過ごすことになるだろう。
 エイヤフィヤトラは痛いほどに両手を握りしめ、歪みそうになる眉を必死に堪える。
 震えそうになる唇をぎゅっと抑え込む。
 迷ったからではない。すべきことは全て決まっていて、エイヤフィヤトラの心は決まっている。
 その痛みは、己の裡にマグマの如く渦巻く怒りと。
 目の前で微笑む男への──。

 
 少女は、ドクターの方へと一歩を踏み出した。




 閉じていた瞳を開く。
 荒涼とした荒れ地に揺れる火を、塵交じりの乾燥した風が揺らしている。
 藍色の空と、その向こうに消えた夕陽の残光が混ざり合う空を熱ぼったく滲ませる。
 瞬く星と月を無様に切り取るトリマウンツのビル群は、此処には一つも存在しない。
 地平線まで広がる荒れ地は、ヒトが生きていくにはあまりにも過酷すぎるけれど。同時に、ヒトが生きる場所には無い美しさと雄大さを内包している。
 ドロシー・フランクスはトパーズの瞳でそれを見つめていたが、輸送機から降下してこちらに駆けてくる二人の人影を目の橋に捉え、そちらへと姿勢を向けなおして正対した。
 ドロシーの背後には、エイヤフィヤトラによって破壊され尽くした施設群の中で唯一守り切った最重要施設。
 彼女が開発した伝達物質をより人体の保存と維持に特化させた改良型。その最終調整を続けている、ターミナル・インキュベータ棟。
 これを掌握されれば、彼女とドクターが推し進めてきたクライオニクス技術の完成は致命的なまでに遅れ、実質的な破綻を迎えるだろう。ゆえに、エイヤフィヤトラのアーツ火力も熟知しているドクターは他の研究施設や有用な資料全てを切り捨ててでも此処を死守するようにと指示した。
 そしていま、未だインキュベータは稼働している。
 つまり、ふたりの計画はまだ終わっていないということだ。
 

「ドロシー・フランクス。元ライン生命アーツ応用課主任、現ロドス第五研究区画主任にして準エリート・オペレーター……

 ドロシーの姿を認め、ふたりのオペレーターの足が止まった。軽く上がった息を整えながら、目の前の人物を確認するようにザラックの肩書きを述べる。まるで敵の大幹部を目の前にした、ファンタジー小説の正義の味方のように。
 ドロシーは唇を楽し気に曲げ、微笑んだ。
「こんばんは、ワルファリン先生。そしてそちらの方は、オペレーターのアンジェリーナさんね? 初めまして。ワルファリン先生のご紹介の通り、私がドロシー・フランクスよ」
「え、あ、はいっ! アンジェリーナ、です……え、どうして私の名前知ってるの!?」
「ふふっ。ロドスに勤務してる方の顔と名前は、もちろん全員分暗記しているわ。こんな状況でなければ、ゆっくりお話をしたいところだけれど」
「ぜ、全員って、すご……
 絶句するアンジェリーナ。それもそのはず、ロドスにはオペレーターだけでも数百人は在籍しているし、ロドス・アイランド製薬に勤務している者ともなれば千人を超える。
 ドクターやアーミヤ、ケルシーなどの首脳陣であればともかくとして、目の前の女性が職員全員の顔と名前を記憶しているというのは。
 それはもう、感心や賞賛というよりも。
 焦れた様子のワルファリンがアンジェリーナを静止し、ドロシーへ向けて本題を切り出した。

「安心院よ、今はそのことはよい。こやつは元々そういう人間なのだ。で、フランクス博士。
そなたの後ろにある施設だが、そなたとドクターが進めるスマラグドス計画の中核をなす伝達物質、その培養器で間違いないな?」
「ええ、その通り。最終調整が終わるまで、あと十七分とすこし。それが終われば改良型伝達物質“OZ”が起動して、自己培養と自己保管プロセスを開始するわ。
数年は掛かる見込みだけれど、その程度時間があれば、テラに生きる感染者全ての体内を満たせるだけの量が生成されるでしょう」
 ドロシーは視線を一度自分の背後へと向けて、ひとつだけ残った建物を示す。
 ワルファリンとアンジェリーナの視線も、自然とそちらに誘導された。決して大きくはないドーム型の施設は、廃墟と炎だけがまばらに散らばるこの実験場跡において唯一明かりを灯している建物だ。

……技術を作ったとて、それをどう普及させる? そなたの言う通り、斯様な医療技術を積極的に受け入れるような国はそうあるまい」
「ドクターが全て計画しているわ。まずはクルビアから始めるの。
手始めにライン生命の技術としてスマラグドスを発表して、たとえ開拓者であっても手の届くような料金で処置を受けられるようにする。治療の過程や、眠る患者が安全に保存される様子も全てオープンな情報として公開する。感染者が安心して頼れる医療技術であることを浸透させていくのよ」
「金は? そんなことをしていれば、テラ中にそれを広める前にこちらが行き倒れてしまうだろうが」
「勿論、私たち自身に余計な利益は要らないわ。“スマラグドス”が認められたら、その技術と権利はクルビア政府に安く売ってしまえばいい。彼らにとってはまさに金の生る木だもの」
「眠る患者はどう保存する? そんな莫大な数を」
「それも大丈夫。ドクターがクライオニクス患者保存用移動都市の設計プランを既に完成させているから、これも一緒に渡してしまうの。
建設に関わるビジネスはさぞクルビアを潤すでしょう。必ず政府は接触してくる。そのための根回しも既に始まっているわ」

「一応訊いておくが……その施設を、こちらに明け渡すつもりはないな?」
「面白いことを仰るのね、ワルファリン先生。“スマラグドス”はロドス・アイランド研究開発部、医療運営部の双方に認可されている、正式な新医療技術のプロジェクトよ? その中核技術を明け渡せ~だなんて、言われて簡単にできる筈がないでしょう?」
 ころころと鈴を鳴らすような声で、手を口に当てて本当に楽し気にドロシーは笑った。
「手続きとして、そちらがなんら不正を働いていないのは理解している。だが、実際に治療を受ける感染者の思いを聞き、妾はそなたらが推す新たな医療技術が末期感染者の意を汲むものではなく、不本意な結果を齎すものとなると確信したのだ」

「誰もが待ち望んだ、鉱石病による死と病原の拡散を防ぐ技術なのよ? 私はともかく、鉱石病患者の苦しみを誰よりも理解してるドクターが選び、そして完成させたの。
痛みと苦しみと差別によって不当に終わらせていたはずの沢山のいのち。それをこれからは救い、未来に希望を託すことができるのが“スマラグドス”。
今は不信感が募るのも仕方ないわ。だって未知の医療は怖いものだし、人は知らないものを積極的に受け入れたくはないものだもの。
けれど最後には、誰もが納得する方法であると私も思っている。
あなたの意見はごく個人的な種族的経験に基づいた不安感からくる、衝動的なものだと思うの。
だから安心して? ワルファリン先生」

「知ったようなことを言いおって。他人の内面に土足で踏み入り、自分の家のように寛ごうとする。そなたのそういうところは、一年前から何も変わらんな」
「歩み寄って知ろうとしなければ、他者の何を知ることができるというの? ワルファリン先生。それとも、私の推測は間違っていたかしら?」
 ドロシーは涼しい顔でワルファリンの詰りを流し、穏やかな笑顔を崩すことなくそう言い返した。
 ワルファリンは小さくため息を吐き、己の眉根に指をあてる。
「肯定はすまい。が否定もすまいよ。このブラッドブルードという種族に背負わされた宿命だからこそ、其方らの進める“スマラグドス”はヒトから正しき生を奪う行為に思えてならんのだ。
これは、理屈で整理できる問題ではないのだ……妾たちが何時になっても軽視してばかりの、今まさにそなたらが蔑ろにしているこれは、感情の問題なのだから」


「そう。なら──ドクターの感情は?」
 ザラックの研究者の声が、そこで初めてトーンを落とした。
 ワルファリンがはっとして顔を上げる。眼を見開き、目前に立つ相手を見つめる。
 ドロシーはもう笑っていない。
「何も分からないままに鉱石病を、それに冒されたテラを相手に戦う業を背負わされ、死にゆく患者たちにひたすら恨みと絶望と、恐怖と悲しみを一身に託され、それら全てを棄てることも忘れることもできないまま前に進み続け、誰とも分かち合うことはできない。
どうしようもないほどに一途な、一人の人間のことを。
感染者たちの安寧と天秤にかけて、やはりあなたは蔑ろにするの?」

 それまではずっと湛えていた笑みと優しさを消してにわかに冷たく、淡々と厳しく。それは今までワルファリンが聞いたこともないようなドロシーの声。
 彼女は怒っていた。
 彼女の従える小型のドローンたちがどこからか十数機ほど集まってきて、彼女の後ろに整列し、微かな振動音と共に砂を巻き上げ、荒れ地の砂で壁を形成し始めた。
 手袋に覆われたドロシーの手が、彼女の持つタブレットを強く抱きしめた。
「ドクターはもう限界だわ。もう心が擦り切れてしまっていて、なのに自分では止まれない。彼が育て上げてきたロドスが皆にとって居心地のいい場所になればなるほど、ドクターはその裏に生まれる痛みと悲しみを独りで背負い続けていく」
 あなた達はそれを知っていて、誰も止めようともしなかったのでしょう? と。
 ワルファリンはその詰問に、ついに口を噤む。
 後ろで、アンジェリーナが息を呑む気配がした。

……応えられないのね。残念です。
もう一度言うわ。此処は通さない。ドクターは止めさせない。
私たちはなんらロドスの定める規則を破っておらず、不正は行っていない。
今すぐ本艦に戻ってください。これ以上新規医療技術プロジェクト実験の妨害をするなら、あなた達の業務妨害行為をロドス・アイランド第五研究区画の主任として、強くアーミヤCEOに訴えさせていただきます。

私は“ロドスの”準エリートオペレーター、ドロシー。この場に於ける権限は、あなた達よりも大きいわ」



「──先輩、聴いてください。

 私はずっと、自分の人生に暗い感情を抱かないように、と心に決めて生きてきました。
 父と母を火山災害に奪われ、やがて私自身も鉱石病になり、耳と目が不自由になって……
 両親の後を継いで研究者になろうと思ったのも、そのために大学に入ったのも、病気のことを誰かに心配されてしまわないように怖くないふりをしてきたのも、自分の人生を自分自身が後悔しないようにするためでした。
 私の人生の目的は、研究を継ぎ、両親がたどり着けなかったものに辿り着いて、そして死ぬこと。
 そうすれば少なくとも、自分の短い人生を後悔することも、恥じることもないだろうって思ったんです。そういう生き方をすれば、私が生きた意味としては最高とはいかなくても“まずまず”なのかなって。
 天国の父と母に、笑って会いに行けるだろうな、って。
 実際、リターニアでの学生生活は充実していたと思います。『ナウマンは偉いね、天国でご両親も喜んでるね』って言われるたびに、自分の短い生が認められるような気がして、嬉しかった。

 嬉しくて……それは本当に、見たくない自分の本性に目を背けて生きる、虚ろな生でした。

 大学の図書館で先輩の論文を読んだときは、まるで雷に撃たれるようだった!
 鉱石病の病状、症例、地域ごとに起きている社会問題、そう言ったものが端から端まで書かれたその論文は本当に生々しくて、怖くて、読んでいるだけで自分の身体のことと重ねて涙が出てきてしまって。私、その時はじめて「死にたくない」って思ったんです。
 ……ううん。初めて、自分が「死にたくない」って思ってることを認めさせられたんです。
 心臓の音がどきどきうるさくて、居ても立っても居られない、じたばたとその場で暴れ出したくなるくらいの恐怖。先輩の論文はそれくらい鮮烈で、私は自分の未来が不安になりました。
 どうして鉱石病になってしまったんだろう。なぜこんなに怖くて痛い、地獄のような生を選んでしまったんだろう。どうして私は、研究者の道を諦めておかなかったんだろう。
 父と母の遺したもの全部から逃げて、火山から離れて、自分の安らぎと幸せだけを考えて生きていれば、こんなにも怖い病に罹ることすらなかった。
 幸せとはいかなくても、リターニアの何処か静かな場所で、穏やかに生きて、納得は行かなくとも静かに死んでいくくらいのことはできたんじゃないかな、って……
 でも、私はもう選んでしまいました。そして先輩の論文に出会い、先輩に出逢った。
 先輩に、自らの生に恐怖することも希望することも許されてしまいました。

 ロドスに来て、沢山の鉱石病の人たちに出逢って、沢山の国を見て……戦争や平和や、そうではないもっと別の問題も沢山見て、経験してきました。
 トランスポーターとして仕事をして、研究者として両親の遺したものと向き合って、オペレーターとして降り掛かる火の粉を払う。仕事仲間は皆がそれぞれが生きる意味や戦う意味を持っていて、私はそれらの断片を知るたび、なら自分はどうだろうと考える。
 そうした生活の中で、先輩に自分の成果をお見せしに行く時間があって、褒めてもらったり、アドバイスを貰ったり、驚かれたりダメだしされたりする。
 学生の頃に出逢った、私の人生を変えた論文を書いた人が目の前に居て、私と私の鉱石病に真正面から向き合ってくれる。手を引いて、私の見たことのない沢山の世界を見せて、世界にはこんなにも“生きる意味”に溢れているんだと教えてくれる。

 ……ずるいでしょう? 先輩は私が見ていた世界の灰のようなコントラストを、ちょっぴり尻込みするくらい鮮烈にしてしまう。毎日、まいにちが目を白黒させてしまうような驚きの毎日で、明日が、明後日が、明々後日を生きるのが楽しみになってくる。
 あなたの背を追いかけて生きる明日が、知らないうちに楽しみになる。かくあれと自分に課していた人生はいかに狭量だったんだろうと、言葉にして教えられたわけでもないのに理解できてしまう。
 幸福にも不幸にもそれぞれその人が積み上げた時間が伴っていて、そこにはその人なりの意味がある。誰かにとっての生きる意味が、他の誰かにとっても素晴らしいものである必要なんてない。病なんて関係ない、ヒトとして生きているだけで、この世界はこんなにも美しく見える。
 こんなの、思ってしまうに決まってます。『もっと、もっと』って。

 私は自分の人生に、暗い感情を抱かず生きるようなことはできません。
 私は死ぬのが怖くて、怖かったら先輩に甘えてしまう、そのうえで自分の生を少なからず呪ってしまうこともある、弱いヒトです。
 でも、それでも。先輩に出逢った鉱石病の私を、その人生を私は嫌いになり切れません。
 “スマラグドス”は、そのヒトが歩んできたそれまでの人生を打ち止めて、欠落を作ってしまいます。
 人が生きていくのに必要な、生きる意味や理由。ヒトや世界との関わりの中で生まれていくそれらをすべてまっさらにリセットして、自分と世界の関わりが何もない未来に目覚めさせるそれは……きっと、寒々しくて、恐ろしい。鉱石病で死ぬよりも、ずっと意味のない死が待っています。
 たとえ、それで鉱石病が治るのだとしても。
 少なくとも私は、折角見つけた“生きる意味”を曖昧にして、恐怖を先送りにして、来るかどうかも分からない目覚めを待って眠り続けることなんて、もうできないんです。
 私は今、先輩の背中を追いかけて生きていたいです。鉱石病を治す方法が見つかった未来に目を覚ましたとしても、そこに今の先輩がいないなら、私に生きる意味は無いんです。
 怖くても。痛くても。呪いのような病でも。今を生きて、先輩に出逢って、あなたに憧れた私の生を認めてほしいんです。

 私は、先輩と同じ時間を生きて死にたいです。
 たとえ明日、私が音や光を喪ったとしても。

 先輩。
 私は今、ほんとうに幸せです。鉱石病患者が、鉱石病だからというだけでみんな不幸せで全てに絶望しているのだと、悲観しないでください。
 先輩。
 お願いです。

 私を、先輩が大好きで、先輩の背を追いかけてばかりいる今の私のままで生き延びさせてください。
 先輩が大好きな私のまま、先輩のいる世界の中で死なせてください。


 先輩に救われた私に、今度は、先輩を救わせてください。
 えへへ……烏滸がましいですか? でも私、皆が思うほど“いい子”じゃありませんから。
 あなたが見た感染者たちの絶望が、世界の全てじゃないってこと。私が証明し続けますから。
 私、目一杯生きて、幸せに死んでみせますから。

 だから」


 歩み寄る。手をとる。明るい月が荒れ地を照らし、揺れる炎が二人を暖める。

 吹き抜ける風に焔のにおい。アデルの柔らかな亜麻色の髪を巻き上げ、月光がそれを撫でた。
 背の高い男のマスクを見上げるローズグレイの瞳と花弁のような唇に、星空がきらめく。
 踵を浮かせて、背伸びをした。手を伸ばして男の顔を覆う黒いマスクに触れ、ゆっくりと外していく。
 ドクターは抵抗しなかった。されるがままに、少女を見下ろす淵のような瞳が影になる。

「どうして……分かってくれない?」

 呻くような声が漏れた。引き裂くような痛みをはらんだ言葉だった。
「君は生涯痛みに塗れ、何もできずに死ぬ。ヒトは鉱石病の痛みに耐えられない。必ず君は、君を救えない私を呪いながら死ぬだろう。呪う自分を呪いながら死ぬだろう。なのに、どうして」
 アデルの瞳に、湧きだすように涙が溜まった。雫にプリズム。ドクターの顔を見上げているから、瞳に溜まった水面がきらりきらりと揺れる。
 アデルは、ドクターが見たこともないような笑顔を浮かべた。
 月に照らされたその頬は焔よりも赤く染まっている。はにかむような、けれど満面の笑み。
 今この世界中で、自分よりも幸せなものなど居ない。
 この言葉をあなたに伝えられる自分よりも幸せなものなど、何処にもいないと。
 その表情が、他のどんな言葉よりも鮮烈に語る。



「先輩のことが、好きだからです」



「先輩。“ドクター”じゃない、私のたったひとりの先輩。
あなたのことが好きです。私、必ずあなたに幸せを差し上げます。あなたの生に、私の命と同じぶんだけの輝くような意味をお返しします。私、あなたを救ってみせます。


だから私とずっと、ずっと生きてください。
幸せな私を、眠らせないでください」


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