@Alpha_arpA
『痛いっ……いだい……っ! けど!』
『ママを、助けなきゃ……』
『あんたらは神様じゃない。そんなのは分かってたんだ』
『嘘つき……でも、最初は嘘じゃなかったんだよね』
『げほっ』
『もう、死なせて。いいんだよ。十分生きたから』
『ねえ、観てよ。ここの石。綺麗でしょ?』
『あなたは感染者じゃないの? そう。よかったわね』
『先生。いいの、自分を責めないで』
『どうして俺なんだ、どうして俺だけが救われちまった』
『こんな痛みに耐えつづけるくらいなら、あいつにも味わわせてやりゃよかったよ。先に死にやがって』
『ねえパパ、私ね、お家の中で出来る新しい遊び見つけた!』
『先生見て! わたしね、遺書書いたの。』
『最後に清潔なベッドで寝られて、よかった』
『薬の量ね、先生と相談して減らすことにしたの』
『僕のからだは、皆が危なくないように、ちゃんと処理してね』
『くそ、痛ぇな……だが、まだ生きてる』
『息がしづらいの。胸が痛くて歌えないけど、でも詩を書くことはできるわ』
『手が動かないから、もう絵も描けないわ。でも謳うことはできる』
『桟橋謳い 誘う夕凪 そよ風に揺れる歌声 竜宮に消ゆ人魚 聴衆はかく語りき 桟橋謳い……』
『ドクター、此処ではそのマスクを取るんじゃねえぞ。まだ活性粉塵が舞ってんだ』
『自分はまだやれます! 手はまだ動く、感染した味方の救護をやらせてください!』
『救うってんならさ、あんたは私たちのところまで、堕ちてくるんじゃないよ』
『あはは、あんなに下手だったアーツ、我ながら上手くなったなあ』
『どうせ死ぬんだ、最期に気まぐれでらしくない善行積んだって、バチは当たらねえ』
『どうか頼む……娘を、助けて下さい』
『どうして、あと一日早くあなたに素直になれなかったんだろうね、私たち』
『先生、私、何を食べても砂みたいなの。でも、それでも生きたい』
『次にこの世界に生まれ変わったら、ロドスのオペレーターのひと達みたいに強くなって、皆を助けたいな』
『感染してもさ、生活の本質は、大して変わらなかったんだ』
『この手術が終わったら、私の身体のこと、ちゃんと教えてね』
『先生……助けてくださって、ありがとう』
『怖いけど、ドクターがいるから怖くない。泣かないよ』
『もういやだって……みんなを不安にするのは、簡単なことだけど』
『お前も、私たちのように幸せになってくれ』
『生かしてくれて、ありがとう』
『私の遺体。弔ってくれる親族がいたんだ』
『こんにちは、先生』
『こんな病気になっちゃったけど、先生に出逢えてよかったな』
『初めまして。私はエイヤフィヤトラです。
ここに来る前は火山の研究をしていました。鉱石病の影響で耳が悪いので、ご迷惑をかけるかもしれませんが……よろしくお願いしますね。先輩〜』
『どうして後ろにいるのがわかるのか、ですか?
ふふ……それはですね、先輩の体温を感じたからです。耳も目も悪くなりましたが、その分ほかの感覚が鋭敏になっているというか。
こう見えても私、なかなかしぶといんですよ〜』
『聴力だけでなく視力も悪化してきていると、ケルシー先生から聞きました。
……鉱石病は私を、どこまで連れて行く気なんでしょうね?』
『研究を続けたいんですっ……死にたくない、目も耳も閉ざされていくのがたまらなく怖い、私ちっともしぶとくなんてないんです。ただ平気なフリをするのが上手いだけで』
『先輩』
『あなたのことが、好きです』
「……無理だよ」
絞り出すように、ドクターは言った。
「もう何千人も、この手で救えず死なせてきたんだ。君の想いを受け取る資格は、私には無いよ。
もう背負いきれない。限界なんだ。
当たり前の幸せのように、私に誰かを女性として愛することなんて、できそうにない」
アデルの頬に、雫が落ちた。
暗いくらい淵の中には死者が渦巻いていて、そこから零れた冷たい雨が。
「あんまりにも、酷い世界じゃないか。こんなのは……それなのに」
「それでも君は、こんな呪いのような今を選ぶのか? 私が居るからと、ただそれだけで?」
「『それだけ』じゃありませんよ。先輩。
あなたは何千人もの人を救えなかったというけれど、先輩はそれと同じか、もっともっと多くの人を救ってきたんです。痛みと絶望と恐怖を和らげ、どうしようもなく行き詰った人々に居場所を創り出してきたんです」
「ロドスの皆が。先輩に救われた皆が、きっと間違いなく。
先輩のこと、大好きなんですから」
青く、赤く、沢山の閑かなひかりに照らされた少女の顔が花開く慈母のごとく微笑んで、その掌が男の頬を柔らかく包み、その肌の感触をそっと撫でて確かめた。
あなたは孤独ではなく、あなたの苦しみはあなたのものだけではないと伝えるように。その頬を、耳を、顎を暖かく細い指が確かめるように撫で、さする。
ローズグレイの瞳が星屑を散らした貴石のように輝き、小さな唇が紡ぐ声は静かに優しく、男の背負ったものを一つ一つ赦し、荷を下ろすように。
「先輩。私たちを、もっと信じてください。私たちの可能性を。
あなたのお陰で、こんなにも希望を持って幸せに生きていける私たちの可能性を」
「案外先輩への恋が実ってしまったら、幸せパワーで鉱石病なんて治っちゃうかもですよ~?」
「……」
「……ふふ。なんだい、それ。突然変なことをいうよな、エイヤフィヤトラ後輩は」
「えへへ。やっと笑ってくれました。先輩」
疲れたように唇を曲げるドクターに、アデルもにっこりと笑って答えた。
手袋を外したやせた木のような大きな手がそっと、こわれものを慎重すぎるほどに丁寧に扱うように、少女の滑らかな頬に添えられた。
暖かくて、乾いた手だ。アデルは自らの頭を少しだけ傾けて、その掌に重みを預けた。
「エイ……いや、アデル。」
「はい。」
「私は、自分で言うのもなんだが面倒な男だよ」
「はい。分かってます。」
「甲斐性もない。給料も、実は皆が思うほど貰ってない。休みもなければ休暇もない。」
「今まで通りにお話しできれば、我慢できます。」
「ロドスにいれば、アデルなら間違いなくもっといい物件に巡り逢うよ。」
「それは絶対にありません。というか、それについては私が決めることです!」
「確かに。あとは、私もいつ唐突に命を落とすか分からないよ。鉱石病というよりは、戦場でね。」
「その時は、私も一緒です。」
「そうか……なるほど、死ねなくなった。返しが上手くなったね、アデル。」
「えへへ。先輩の後輩ですから。」
えくぼを作ってはにかむ少女の頬を見ていると、男は自らの裡に響いていた怨嗟の声が少しずつ、だが確実に減っていることに気が付いた。
本当に、ほんとうに久々の静寂が戻りつつあった。不思議な感覚だ。長らく忘れていた感覚。
自らを責めないということ。
もはや、男は認めざるを得なかった。自らに、誰かを救うこと以外の価値と意味があるのだと。
「例え、明日死ぬとしても。世界の何処かに、今の君と私のような気持ちを抱き、今この時この世界を生きていたいと考える人たちが、本当にいるだろうか」
「います。絶対にいます。それはきっと、何でもないありふれたことだから」
「こんな、絶望に塗り固められたような世界でも?」
「こんなに、希望に満ち溢れた世界だから!」
はっきりと、元気いっぱいにアデルはそれを言葉にする。鉱石病という此の世の呪いを飲み込み、それでも幸せに生き切るだけの強さと思いを見せられて。
他ならぬ彼女自身がそういうのなら、ドクターにそれ以上反論の余地は残っていない。
「分かった。もう終わりにしよう。
“スマラグドス”はその研究実験の一切を中止し、計画の無期限凍結をロドス軍事部門最高責任者の権限に於いて宣言する。私たちは、答えを急ぎ過ぎたな。すまなかった」
「先輩……ありがとうございます!」
「君が私に向けてくれた想いには……今この場では、答えを出すこともできそうにない。すまない」
「いえ。私こそ、突然変なことを言ってしまって」
今さらのように頬をぽっと染め、アデルは恥ずかし気に目を逸らす。そんな姿がひどくいじらしく見えてしまって、男はこそばゆいような、面映ゆいような感覚を味わった。
けれどそれは、決して嫌な感情などではない。己の掌が、不思議と暖かかった。
恋することも、愛することも何も分かりはしないけれど。今は、この胸にある心情をただ伝えるだけで良さそうだった。
「いいや。嬉しかった。多分……私はこれからアデルのことを、一人の女性として見る……んだと思う。
君は本当に素敵な女性だから。私もそれにつりあうよう、努めてみるよ」
「……っ。はいっ!」
耳まで真っ赤にして答える彼女の表情は。
確かに、こんな世界にもまだこれだけ美しいものがあったのかと、男に思わせるものだった。
十七分。
男の端末が、その刻限を告げると同時に。
「──っ!? 何だ!」
「先輩っ! 私の後ろに──」
二人の後ろで、轟音と共に爆発が起こった。
「──は?」
砂塵を引きちぎり、瞠目するワルファリンへと小型の対人ミサイルが飛来する。
「んなクソぉ!」
咄嗟に飛びのき、すぐ傍にあった岩場へと飛び込む。凄まじい破裂音と叩きつける熱波、振動が身体を揺らし、しかし身体に痛みはない。差し迫った危機に研ぎ澄まされた感覚が、ワルファリンに自らの無事を確認させるよりも前に。
次撃。今度はランチャーから垂直に発射された同型のミサイルが、頭上から降り注ぐ。対象が遮蔽を利用して攻撃を防ぐことを織り込んだ、確殺の本命だった。
「ワルファリン先生っ!!」
が、アンジェリーナのアーツがぎりぎりで間に合う。空中で重力の概念を奪われたミサイルは軌道を狂わされ、狙いがそれて明後日の方向へと着弾し、ワルファリンは危機を回避した。
「先生!? 大丈夫? ケガない?」
「ああ、おかげさまで……って安心院! 何が起きたのだ!? ドロシーの奴は!」
「分かんないよ! 『ドクターのこと好きなんだよね?』って聞いたら、突然砂嵐の奥が光ってドロシー博士を飲み込んじゃって……!」
……どういうことだ。ドクターへの慕情を看破されたドロシーが特急の地雷を踏み抜かれてキレた?
こんな状況下であまりにも胡乱な妄想に囚われかけたワルファリンは、慌てて思考を真面目な方向へと戻した。
とはいえ。事態は急激に鉄火場じみてはきたものの、そこまで悪くはない。少なくとも先刻までの、詰みじみた膠着からは脱することができたわけだ。あとは。
焦った様子のアンジェリーナの瞳には、廃棄された基地のあちこちから起動してこちらに迫る無人の筈のパワードスーツたちが映っている。あれらが問題だ。
その数は十、二十、三十……視界に映るだけでも、とてもではないが彼女たちのみで対処しきれるようなものではない。ワルファリンは深く息を吐き、自らをむりやり沈静化させた。
こういうときにばかり、自らの不老不死という忌々しい特性は役に立つものだ。
「落ち着け、安心院。まずはドクターたちと合流する。
我らが何を考えたところで事態の把握は不可能だ。少しでも事情を知るドクターを頼るのが今は最善であるし、我らの中で最も火力が高くあれらを押しとどめられる可能性があるのはエイヤフィヤトラだ。
まずは合流せねばお話にもならん。分かったな!」
「……」
ワルファリンは努めて理性的に、ゆっくりとアンジェリーナに行動の指針を示した。そのおかげもあり、アンジェリーナ自身が既にベテランのオペレーターであることもあってか、彼女は大きく深呼吸をひとつ。
「……よし、おっけー! 私がミサイルを防御しながら追いかけるから、先生は私を先導して!」
「任せろ。いちにのさんで走るぞ、いち、にの……」
そこからは、とにかく必死だ。
背でミサイルが爆発する熱波を感じながら、ワルファリンはドクターの許へと走った。
「ドクター!」
アクション映画さながらに爆音をバックにして走ってくる二人を見、ドクターもまた驚愕した様子で「何があった! ドロシーは?」と同じ問いを投げかけた。
「今話す! 安心院、エイヤフィヤトラ! あれらを一時押しとどめろ!」
「オッケー了解! エフィ、行くよ!」
「はいっ!上空から撃ち下ろします。アンジェリーナさん、私を飛ばしてくださいっ!」
「P.R.T.S. 状況を報告してくれ」
同時にドクターが首に咽頭マイクを巻き、彼の戦闘支援システムがインストールされた端末へと音声認識で命令した。それは直ぐに起動し、端末上へと周囲をスキャンした結果を羅列し始める。
「我々はドロシーと対話していたはずだった。だが話の途中で彼女がいきなりそなたらの護っていた施設から発せられた光に飲み込まれ、あれらが突然起動した。
そなたらの開発していたプロジェクトは、あんなこともできるものだったのか?」
「いや。新型の伝達物質からは、かつてドロシーが開発したそれにあった機能のほとんどをオミットしている。下手なものを残せば、それこそクルビア政府に軍事利用されるリスクが高まるからな。だが」
ドクターが端末に表示されたスキャン結果へと目を向けながら、ワルファリンへと告げた。
「ドロシーが、彼女の体内にある伝達物質も使ってあれらを直接統括した場合に限っては、別だ」
≪──Unusual heat source detected inside the Terminal Incubator Building.≫
≪──It's predicted to be out of control Neurotransmitter.≫
≪──The biological reaction in the facility is one and the same.≫
「伝達物質が暴走している。ドロシー、何故……」
PRTSが告げるスキャン結果を見て呟くドクターに、アンジェリーナが呼びかけた。
「ドクター! 私、ドロシー博士が考えてること分かるかも!
あなたを護りたくて、苦しんでるあなたを救いたくて、多分思いつめちゃってるんだ! ドクターのこと好きだって思うことすら罪悪感に変わっちゃうくらい、追い詰められてるんだと思う!」
「ドロシー……そうなのか?」
鳴り響く爆音と戦闘音の中で、ドクターは小さく呟いた。その目は未だ光を放つ施設を見つめ続けている。
誰もが、誰もが自分のことを考えていてくれていた。自らは孤独で、背負ったものは自分だけの罪であるなどと、そんなのは独りよがりな自己満足だ。
ドロシーをこの研究に誘ったときに、そんなことは気付くべきだったのに。
彼女こそ、ドクターの見ているものを知るたびに彼を案じ、彼を護ろうとしてすり減っていることに、気が付くべきだったのに。
端末を持った腕から力が抜けかけ、すんでのところでぐっと力を込め、それを握りなおした。
情けなかった。自分はまるで子供だ。誰にも分かってもらえないと拗ねるちいさな子供。
「君は……俺は」
「先輩! 行ってあげてください!」
空中で光が閃くと、接近していたパワードスーツの数機が凄まじい熱と共に一瞬で融解する。一部とはいえライン生命エネルギー課の技術を集めて製造されたそれをすら、彼女の火力はいとも簡単に破壊せしめた。
が、数が多すぎる。エイヤフィヤトラの頬に汗が一筋流れる。
「アデル、だが……!」
「信じてください、先輩! ここは私たちに任せて、ドロシー博士を助けてあげてください!」
「────」
「ワルファリン。此処を、頼む」
「だがそなた……よいのか?」
僅かに驚いた様子で、ワルファリンはドクターに問うた。それはつまり彼らが進めていた“スマラグドス”を否定するも同義であり、状況はあれどそれらを止めることに他ならない。
だが、男は既に心を決めていた。
「ああ。アデルに教えられたんだ。
私が背負っていたものは、私が思うほど酷いものじゃなかったと」
男の声の調子は、普段とあまり変わらないようにワルファリンには思えた。けれど、しかしそれでも違うのだと分かる。彼の中で決定的な何かが変わり、それはあの火山の娘の熱によって齎された。
嘆息する。
自らの裡を流れる冷たい血が、否応なく掻き立てられ、熱を発し、そして口元は不敵に笑みを象った。
そうだ。それでいい。
人を救う術を探求する人間が、絶望に生かされていてはいけないのだ。
正直、こんな悍ましい戦場を任されたところでワルファリンに何ができるわけでもなかった。何をまかり間違っても自分はただの医者なのだ。しかも戦力は精鋭なれど極少。
だが、やり遂げよう。最悪この身を盾にしてでも、この娘たちは護らなければならない。
老獪な医者は男の黒いコートの背をバンバンと叩き、豪快に言い放って送り出した。
「……そうか。
ならば任せよ! 似た者同士肩を並べて帰ってくるまでは保たせてやる!」
「ああ。行ってくる!」
少々不格好に走り去る背を見送りながら、ワルファリンは珍しく首筋を冷たい汗が伝うのを感じていた。
「さて、どうしてくれようかな……」