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喜びとは目的を暖め続け、知性を輝かせ続ける神聖な炎である。最終話(前編)

全体公開 アークナイツ 10748文字
2023-10-22 11:12:05

アークナイツ エイヤフィヤトラ二次創作 最終話
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Posted by @Alpha_arpA

 目を開くと、まず視界に映ったのは白い天井だった。


 僅かに鼻を衝く消毒液のにおいと、右腕に違和感。白く飾り気のない硬いベッドと、重たい上掛け。
 全身に倦怠感。指先や首を僅かに動かすことすら億劫。
 まるで、一気に数十歳ほど年を取ったかのようだ。ヒトは死ぬと老人になるのだろうか。
 死後の世界にしては夢の無い景色だ。もう少しこう、幻想的な地獄めいた何かを期待していなかったと言えば嘘になる。
 耳はどこか遠くから聴こえてくる、人の活動する音を僅かにとらえている。ばたばたと歩き去る音、話し声や誰かを呼び掛ける音、スピーカーから流れる呼び出し放送や、紙を捲る音やペンで書き込む音。そう言った色々を。

 だから、そこが例えば天国とか地獄とかあの世とか、そう言った呼び方をされる死後の世界ではないことを、男は次第にじんわりと察し始めた。
 ここはおそらく病院だ。それも診療所などの小規模なそれではなく、大病院と呼ばれる類の施設。
 なぜその一室に自分がいま横たえられているのか、思考が散らかる。
 かつてレユニオンであった男は、己の自業自得によって死亡した。そのはずだった。
 喉が渇いて張り付いているようで、水が飲みたかった。意識は覚醒しているが、思考は混濁している。
 すぐ脇から聴こえてくるパルス音は、自分の心音だろうか。

 ぴ、ぴ、と規則正しく発せられる電子音が時計の秒針のように時間の流れを自覚させるたび、自らの瞼が一度、また一度と瞬き運動を行うたび、男は一つ一つ散乱した記憶を拾い集めていく。
 源石病の発作が悪化した仲間たち。
 苦し気なうめき声と、死体の処理すら満足に行えないアジトの饐えた空気。
 迫る未来に沈む仲間たちの表情。
 やむを得ず計画した襲撃計画。レユニオンを壊滅に追い込んだ企業の輸送団を襲い薬を奪うという企てには、多くの仲間たちが賛同した。
 何週間ぶりか、希望と闘志に溢れる仲間たちの表情。
 男だけが知っていた。彼らを束ねていた男だけが。
 かつてあの時、チェルノボーグ事変の只中に居て全てを見ていた彼だけが。

 ロドス・アイランドの輸送団をを襲撃するというその計画が、絶対に成功しないであろうことを。

「む、起きたか。調子はどうだ?」
 自動扉が静かに音を立てて開き、ベッドの足元から掛けられた女の声。
 白衣を着た白髪の女性は、角こそないが恐らくサルカズだ。倦怠感の残る眼球を動かして、乾いて張り付いた唇を引きはがし、男は目覚めてから初めて声を発する。
「──なぜ、俺は生きている?」
「喋れるか。意識の混濁はなく術後の経過良好と……お前、その問いが出るということは自らの状況を把握できているようだな」
 カルテらしきものにすらすらと書きつけながら、胸元にロドス・アイランドのエンブレムが入った白衣姿の女は静かに問いかけた。
 男が頷くと、「我らがそうそう人殺しを許容するわけが無かろう」と簡潔な答えが返ってくる。
 確かに、と変な納得があった。医者の集まりが自分たちから積極的に人殺しをして回っているなど、本末転倒も良いところだ。自分たちが死ななかったのは、相手がロドスだったから。
「オペレーター・エイヤフィヤトラによって“鎮圧”が完了した後、ロドスはそなたらを本艦へと搬送しけがの治療と……鉱石病の急性発作を起こしていた者には治療も行った。
その後そなたらの持ち物からアジトも特定し、アーミヤCEOの作戦主導のもとそちらの病人も全員回収しケルシー医師が処置した。危ない者も数人おったが、今はそなたも含め全員の容態が安定している。
目を覚ましたのは、そなたが最後だ」

 ベッドの脇の椅子に腰かけて足を組み、カルテへの記入を続けながら医者は淡々と説明を続ける。
 ロドスを襲い、ロドスに負け、ロドスに命を救われて此処に居る。
 そんな情けない事実も、何でもない日常茶飯事のように告げられれば不思議と何の感情も沸いては来なかった。怒りも悲しみも、もう。
 或いは、初めから自分はこの結末を頭の何処かで予期していたのだろうか。
 成功するわけの無い作戦を承認し、仲間たちが希望に湧く様子を黙って見届けた。自ら作戦指揮に名乗りを上げ、戦場に出て戦った。
 意味のない行動だった。仲間たちを纏めて死地へ追いやる判断だったと言い換えてもいい。
 吐き出した息が自分で思っていたよりもずっと深く、重苦しく響く。
「私たちは、これからどうなるんだ」
 大きな窓が開け放たれ、暖かな陽光と初冬の風がレースのカーテンを揺らしている。
 ここ数年で経験してきたどんな景色よりも長閑なそれが、酷く自分には場違いなように感じる。戦場や、痛み。絶望、怒り、そういったどろどろと熱く苦しい感情ばかりが、ずっと私たちに絡みついていた。
 男はぼんやりと窓の外を見つめながら、独り言ちるように尋ねた。
「あん? 『どうなる』とは何だ?」
「レユニオンの残党が、お前たちを襲撃して医療品を掠奪しようとした。お前たちはひとの命を救う企業だから、私たちは死ななかった。だが、その後は?」

 鉱石病に冒された仲間たちは満足な治療も受けられず、暮らす環境は過酷だ。あのままでは誰一人として先は短く、死した仲間は粉塵となって残った者を感染させる。
 薬を求めてロドスを襲えど、彼らの戦力では到底敵わない。ロドスは薬品企業を銘打っているが、その実態はPMCにも近い。寄せ集めの民兵がどうこうできる相手では、初めからないのだ。
 男は窓の外を見ながら話す。その口調はひどく褪めていて、己の語る言葉にすら関心が無いようだ。
 かつて彼らを導いていたレユニオンの闘士は、もう居ない。標となる大火を失った暴徒たちは熱を失い、今や荒野を彷徨い死を待つ褪せた幽鬼でしかない。
 そんなものを助けて何とすると、男は問うた。
「私たちは皆罪人だ。ここにいつまでも置いておくわけにはいかないだろう。
どの国に帰属するわけでもなく、何処の法で裁かせることもできない。荒野に放り出せば、皆いずれ死ぬ。
私たちは……あの作戦で死ぬべきだった。お前たちがいっときの偽善を振るったところで、ただ私たちが苦しむ時間が伸びただけじゃないのか」
 なぜ、あのまま死なせてくれなかったのか。


……
 紅い瞳の医師は言葉を紡がず、男が見ているのと同じように窓の外を見た。
 カルテに書き込む手を暫し止め、眉をしかめて口を開こうとし……そして、閉じた。
 数舜、時が流れる。何かを思い出すような沈黙と、軽い吐息。
 ワルファリン医師は表情を和らげ、微笑んでもういちど口を開く。

……辛かったろう」

「我らは皆、そうして世界を怨み、痛み死んでいった鉱石病患者たちの声を知っている。
そなたらがこれからどう生きるか、それは妾にも分からん。だが今は少なくとも、それを考えねばならぬほどそなたらは逼迫して居らぬ。
身体を休め、疵を治し、悲観の晴れた頭で改めて考えよ」
 声は柔らかく、穏やかで、そして静かだった。医師らしく淡々としており、人間らしく思いやりに満ちていた。およそ、鉱石病患者である彼らがその身に受けてきたような言葉と心ではなかった。
「そのための平穏な時間と場所が、このロドスがそなたらに渡す最初の治療なのだ」
 男は目を閉じた。
 酷い世界だ。
 チェルノボーグで。いや、もっとずっと前から様々な場所で差別と迫害を受け続け、恐怖のまなざしを向けられ、世界の全ては己の敵であったと信じるには十分すぎる扱いを受けてきた。
 だからこそ、家族を連れてレユニオンに入り、感染者の無念を晴らすために戦い続けてきた。非道なことも、自分たちが受けてきた痛みだと己の心に言い聞かせ、必要なことはすべてやって来た。
 果てに標であったタルラは消え、お前たちのやって来たことは全て間違いだと否定され、何もかもを失い、そして。
 最後の最後、疲弊と諦観の末に辿り着いた死に場所であったはずなのに。
 なぜ。
 ワルファリン医師は横たわる男を、言葉を発さずただ見守っている。
 ただそれだけの優しさですら、男には膿んだ傷を洗う消毒液のように沁みるようだ。
 カルテに書き込み続けるペンの音。
 どこかで笑う人々の話し声。
 ぱたぱたと小走りに何処かへと急ぐスリッパの音。
 暖かな食事を喜ぶ子供たちの声。
 ただいまとおかえりを言うための場所。
 痛みを、ただ痛みとして感じていてよい時間。
 それが、平和という、男が本当にただ求めていたひとつだけのものであったのに。
「そして、もう一つ。繋げてやったから受け取れ。“そなたの生きる意味”をな」

 病室の扉が開く音がする。ベッドの脇に駆け寄る足音。今にも泣きだしそうな子供の声。
「パパ!」 
 駆け寄ってきてベッドの脇に縋り、男の身体に抱き着く小さな子供は。
 死んだ妻が命を懸けて護った、ただ一人の宝。
 鉱石病に罹り死にかけていた、男の希望だった。

 男の閉じた目尻から、一筋涙がこぼれた。

「──」
 抱きしめ合って涙する二人を見、ワルファリンはひとり思いを馳せる。
 ドクターはかつて、こんなにも重たいものを背負い続けていたのかと。




 部屋から出ていき際に、ワルファリン医師はふと振り返り、ベッドに横たわる男へと顔を向けた。
 その問いかけは謎掛けのように唐突で、けれどその解はひどく簡単なものであった。
「そういえば、これはちょっとしたたとえ話というか、おとぎ話じみた思考実験だがな」
「もし、鉱石病の治療法が見つかるまで何百年でも死なず、眠り続けることで待つことができる技術があったとして。
例え今この人生で得た人や社会とのつながりを棄ててでも、そなたはそれを使い、病からの脱却を望み、新たなる生を望むか?」

 男は傍に寄り添う子の頭を撫でながら、医者の口にした言葉の意味を僅かに考える様子を見せた。
 しかし、そう間を置かずに僅か微笑み、言葉を返す。
……それは」
「いや、要らないよ。」

「だが、もしそんな道が本当にあって、それを示してもらえたなら。
私はその技術を生み出したひとに、礼を言いたい。選ばせてくれて、ありがとうと」


 医者の口元に笑みが浮かび、去り行く足音を残して扉は締まった。
……そうか。興味深い回答であった。感謝するよ」


△▼



 目を開ける。
 どこか遠くで、目覚ましの音。枕の脇に置いた端末が鳴らすそれを指で触れて、スヌーズを解除。
 そのままゆっくりと腕を伸ばし、サイドボードに置いてある眼鏡と補聴器を手に取って、それぞれ目と耳に掛ける。
 窓から朝日が射しこんでいる。昨日洗濯したばかりの布団の香りが心地よくて、口元が緩む。

 ──ああ、今日も大丈夫。ちゃんと見える。ちゃんと聴こえる。

 ベッドから上半身を起こして、縁に腰かけ端末を手に取ってからトークアプリを起動。
 “ニムロッド”と名付けられたそれは、ドクターの発案で開発されたロドス社内用のトークツールだ。
 アプリケーションはロドス本艦内でならネットワークに接続されていて、何処に居ても誰とでも自由にチャンネルを作成し、テキストと音声のどちらかで会話することができる。
 また、端末のバイブレーション機能と言語を連動させて振動のパターンを暗記しておけば、簡単なメッセージを手から伝わる振動のみで受け取ることも可能だった。
 それはロドス内に少数だが存在する患者……視覚や聴覚を鉱石病に冒された者たちのストレスを軽減するための機能だ。
 これは単純なトークアプリとしてや、保守性の高いワークツールとしても利用され、今やロドス職員ならインストールしていない者はいないほどの評価を受けている。
 ロドスのオペレーター、エイヤフィヤトラもこのアプリの恩恵を受ける者の一人だ。
 彼女はドクターとの個人的な会話チャンネルを開き、テキストボックスに文字を入力しはじめた……まだ、彼女はこのアプリに搭載されたバイブレーション・メッセージ機能を利用する必要はない。

『おはようございます、先輩』
『ohayo』

 きっと、寝起きで変換を間違えたのだろう。しばらく後にきちんと『おはよう』と修正された文面を見て、ひとりの部屋に控えめな笑い声が響く。
 ベッドがから起き上がり、朝の支度。顔を洗い、歯を磨き、軽く食事をして服を着替え……そんな中でも、合間を見つけてはぽつぽつと会話が続く。

『先輩、今日のご予定はどうですか?』
『午前からケルシーに呼び出し食らってる……ドロシーと一緒に怒られてくる』
『また何かやっちゃったんですか? ドロシー博士も』
『そこまでのことではないよ。まだ詳しくは話せないけど、新しいオペレーターの入職手続きをふたりでちょっと強引に進めてたのがバレただけで』
『えぇ~……それじゃあ、午後は?』
『夜は早めに終われる。大丈夫だよ、パーティには俺も顔出すから』
『ほんとですか? ドロシー博士も?』
『勿論。何が何でも間に合わせるんだからって、凄い勢いで仕事片付けてた』
『やった! 楽しみにお待ちしてますね』

『耳はどう?』
『大丈夫です。いつもありがとうございます』
『よかった。今日も頑張ろう』

 気の抜けた効果音といっしょに、やたらと可愛らしくデフォルメされたクロージャがサムズアップしているイラストのスタンプが表示される。このアプリケーションに実装されている絵文字は現状これだけだったが、ドクターは割とこのスタンプを愛用する。気に入っているのだろうか?
 仕度を終えたエイヤフィヤトラは一人きりの部屋で微笑むと、端末を胸元にそっと抱きしめた。

 ドクターは彼女に、以前よりも少しだけプライベートな感情や悩みを打ち明けるようになった。
 彼が仕事に関わる機密を漏らすようなことは無いし、エイヤフィヤトラからも尋ねることも当然しない。
 だがそれ以外の、今まで男がひとりで背負い続けてきた痛みを、いまは二人で分け合って過ごしている。誰かが死に、誰かが苦しみ、誰かが恨み、誰かが泣いている。
 そういう、テラに当たり前のように満ちている苦しみを。
 ドクターは毎朝、エイヤフィヤトラに同じ質問をする。『耳はどう?』と。
 彼女は今のところ、同じ応えを返し続けていた。

 ロドス・アイランドへの出勤路を歩く。

 ドロシー博士はほんの少しの査問を経て、引き続き第五研究区画の主任として働き続けている。少し前にライン生命のアーツ応用課主任という地位を再び与えられたとのことで、今は名実共にライン生命とロドスの友好的な関係の象徴として研究に励んでいるようだった。
 エイヤフィヤトラは彼女とも仲良しだ。ドロシー・フランクスはいざ付き合ってみると意外なほどに……言葉良く言えば自分の私生活を蔑ろにしがちで、世話の焼ける姉ができたような心地になることがある。
 平然と食事を抜いたり睡眠時間を削ったりしている彼女はやっぱりドクターと似た者同士のようで、たまに少々妬けてしまうような距離感で話していることも、ある。
 以前、なぜか楽し気に彼女の愚痴をこぼしていたアステジーニの気持ちが理解できたような気がした。彼女と違う点と言えば……ドロシーは、エイヤフィヤトラの恋敵でもある、ということで。
 意を決して彼との関係を尋ねたエイヤフィヤトラに『ドクターには振られちゃった』と苦笑しながらあっさり零していた彼女だが、それはそれ。
 相変わらず女性として魅力的が過ぎる上にドクターとの接点も多いドロシーは(多分彼女は自覚していないけれど)優先警戒対象、なのである。

 大分冷え込むようになった朝の風が髪を揺らし首元を冷やしたので、エイヤフィヤトラは軽く身震いし、防寒具代わりに身に付けてきたショールを襟の上まで押し上げた。
 クルビア、トリマウンツ近郊は冬も深まってきて、そろそろ一年も区切りが近い頃合いだ。テラの中には一年を通して気候が変化しない土地も多いが、ここでは比較的に四季の変化を感じることができた。
 メインシャフトの昇降機で居住区から研究区画へと移動したあたりから、通勤路は屋外から屋内へとその様相を変えていった。こちらは艦がどこにいても、何月でも景色はいつも通り、変わりはない。それもそれで安心感があって、エイヤフィヤトラは好きだった。
 けれどやっぱり少し肌寒いかも? などと考えつつ、事務室があるエリアへ移動する。
 途中通りかかる売店で飲み物を買い、すれ違う職員とあいさつを交わしながら自動扉のリーダーに社員証をかざして認証を受け、検疫スキャンゲートを潜り、扉を押し開けてオフィスに入り、出勤登録をする。
「おはようございます」
 挨拶をすると、アーススピリット先輩が顔を上げて軽く微笑んだ。
「おはよう、エイヤ。あなたにお客さんよ」
「え、私に? こんな朝から……もしかして待たせちゃってます?」
「問題ない。アポも無しに訪ねているのはこちらだ」
 良く通る精悍な声と共に、顔を青くしたエイヤフィヤトラの声に応答が返された。

 奥のソファから立ち上がる、黒緋の角と軽銀色の髪。ガーネットの瞳は鋭く切れ長で、引き結んだ唇からは厳格な軍人のような印象を受ける。
 女性ながら相対するだけでも軽い威圧感を受けるそのヴイーヴルに、しかしエイヤフィヤトラは気さくに笑いかけて挨拶をした。
「サリアさん! ちょっと待ってくださいね。いま荷物を置いてきちゃいますから」
「急がなくていい。ここで待っている」


__

 サリアは359号基地での一件の際、トリマウンツの本社を訪れていたらしい。
 ロドスに勤める他のライン生命に関わるメンバーも同行しており、その目的はドクターとドロシーが進めていたプロジェクトとは無関係であったものの、アーミヤからの報せを受けて急遽現地へ向かうことにしたとのことだ。
 あの時、エイヤフィヤトラは既に限界だった。アンジェリーナもアーツの使用制限超過による体調不良で既に身動きが取れなくなっていた。
 ワルファリンがどうにか急性発作が起きないよう必死で応急処置をしてくれてはいたものの、包囲するようにして迫るパワードスーツの群れを追い払うだけの力はもはや彼女たちには残っていなかった。
 これまでか、と思ったことをまだエイヤフィヤトラは鮮明に覚えている。死という現象が明確に目の前に迫ってきた感覚があり、それは圧迫感のような息苦しさとなって身体と心を苛んだ。
 食いしばった歯の間からほとんど無意識に、「ドクター」とその名を呼んでいた。
 けれどそれでも、死は彼女の心を折るには至らなかった。
 あの瞬間、確かに彼女には死ぬよりも大切なことがあり、そのためにそこに立っている必要があった。
 どこからか凄まじい速さで走ってきたサリアが地面を踏み砕きながら跳躍し、強化鋼で防護されたパワードスーツの頭をその拳で撃ち抜き、完膚なきまでに破壊したときも。
 エイヤフィヤトラはずっと前を向いていた。
 杖を握りしめ、全身冷や汗と煤まみれになり涙を流しながら、ずっと。

「もう、大丈夫だ。君はよくやった」

 敵を一瞬で沈黙させたサリアが歩み寄って来て語り掛けても、彼女は返事もせずに体内のアーツを底の底までかき集め、次弾を装填し続けていた。
 ドクター、ドクター、と呟き続けながら。
 そして遠くに見えていた施設の燐光が消え、パワードスーツたちが一斉にその電源を落としたように膝をつき、沈黙すると同時に。彼女も小さく微笑みを浮かべ、その場で意識を手放したのだった。

 次に眼が覚めた時は、ロドスの病室のベッドの上だった。
__

「──ロドス・ライン合同カンファレンスでの君の発表は、生態課や科学調査課、エネルギー課の研究者の興味を大いに惹いたとのことだ。ああいった場での発表は初めてと聞いたが、本当なのか? それにしては随分と堂に入る態度だった」
「あはは……サリアさんにそういった印象を持ってもらえたなら、私も自信が付きます」
 腰かけたソファの上で恥ずかしそうに微笑むキャプリニーの女性を見ていると、数日前に行われた合同学会の質疑応答時間中、若手からベテランまで大勢いる専門家たちが投げかけた多岐に渡る質問を悩む素振りもなく完璧に捌き切って見せた人物と同じとはとても思えない。
 質疑応答時間が終わった時の静寂を、サリアは未だに思い出す。
 狂気的なまでのデータ量と知識量に充てられて呆然とするライン生命の若手たち。どんなに意地悪な質問を投げかけても、まるでそれを初めから予期していたかのように回答が用意されている。
 ベテランすら目を丸くして時を忘れ、結局ドクターが立ち上がって割れんばかりの拍手を始めるまで、会場は水を打ったような静けさだった。
 エイヤフィヤトラの火山と源石に関する研究は、完全にその場を掌握していた。火口から噴出するマグマの奥底。ドゥリンたちの地下王国すら越えて、このテラの中心部を満たすマントルと源石の動きに皆が思いを馳せた。
 そこには原始的な恐怖があった。
 ヒトがあまた持つ源石への恐怖を、彼女の研究は浮き彫りにする。その上で彼女は希望を語った。『ヒトはその身に恐怖を抱え、しかしそれを自ら克己することを得意とする生き物である』と。
 彼女自身が重篤な鉱石病患者であり、その命すら危ぶまれるような状態にあるにもかかわらずだ。彼女は己の裡に拡がる恐怖を、すでに手懐けていたのだ。
 サリアは暖かいコーヒーの入ったマグを、机の上にゆっくりと下ろす。
 彼女は他者への感情をあまり表情や態度に表すタイプではない。しかし今、その瞳には敬意が含まれていた。

「君は間違いなく、ロドスに於いてドクターに次ぐ研究者たり得る証を示して見せた。既にライン生命内の複数の課で、君の論文を先行研究としたプロジェクトを立ち上げる案があるらしい。
君の論文のシニアオーサーになりたいと名乗りを上げる次期主任クラスの研究者も居ると聞く。ライン生命と関わりのある企業の中には、君の研究に出資したいと希望するものもあるようだ。

今日君を訪ねたのは、そういった成果を君に伝えておくためだ。エイヤフィヤトラ、君がクルビアの研究者達に齎した影響は、今は部分的でこそあるが確実に……

 サリアの話を頷きながら聞くエイヤフィヤトラは、しかしその知らせにあまり感情を波立ててはいないように見えた。揃えた膝の上に手を置き、ローズグレイの瞳を僅かに伏せて何かを考えている。
 事務室の職員達が手を動かす音や、外回りのトランスポーター達が入退室する音がまばらに響いている。
 アーススピリットとプロヴァンスが会話する声が聴こえてきて、エイヤフィヤトラのデスクにクリップで留めた紙の資料を置き、自らのデスクに戻る。
 複合機がのんびりと用紙を吐き出している。
……落ち着いているんだな」
「えっ、そう見えます?」
 視線を上げてこちらを見つめ、驚いたように目を丸くするエイヤフィヤトラにサリアは頷きかえした。
「ああ。ライン生命は確かに手放しで信用のおける企業ではない。しかしそれはあくまでも私やオリヴィア、そしてクリステンとの間にある問題だ。いち研究者として、もう少し誇ってもよい事だと思うが」
「いえあの、私すごく嬉しいんです。私の研究がクルビアで注目されて、そこから鉱石病に対する正しい知識が広まって、少しでも鉱石病患者に対する差別や偏見が無くなればって。
でもまだ、全然足りないから」
「足りない?」
「はい。全然」

 言葉から想像するに、名誉や脚光を浴びる機会をもっと欲しているということか?
 この研究者は、想像していた人物像とは少し違うのか? と、サリアは内心で呟いた。その疑問を、今は素直に口に出してみることにする。なんとなく、自分が軽い勘違いをしているような予感があった。
「少し意外だったな。君がそこまで成果主義者だったとは。無論、まっとうな手段で追い求めるのであればそれも否定はしないが」
 そして、その予想は的中していた。
 しかしてその返答は、サリアの想像を遙かに越えるものだった。
「あ、いえそういうのではなくて……私が注目されるかどうかとか、脚光を浴びるのがどうかは全然問題じゃないんです」
「なら、君の言う足りないとは何だ?」

「私には、普通の人よりも短い時間しか遺されていません。
でもその短い時間の中でやりたいことを精一杯やりきって、幸せだったって確信できるような死に方をするって、先輩に約束したんです。
鉱石病患者の幸せはその命を長らえることだけが本質じゃないってことを、私の人生をかけて先輩に証明してみせるんです。でも私、まだたったの一つしかやりたいことができてないので。
こんなところで、満足するわけには行きませんっ!」

……
 数日前の学会のように、今度はサリアが沈黙させられる番だった。
 それは一種の狂気だ。
 エイヤフィヤトラは、研究者としては勿論並外れて優秀だった。しかし彼女の本当の目的は研究者としての本懐を遂げるところに留まりはしていない。
 目の前の女性は、一人の男のために己の短いいのちで幸福を体現しようとしている。
 ヒトが数十年をかけてたどり着く大悟の境地を、数年で得て見せようという。己の立つ学術という分野において成したいこと、成せることを全て成し、悔いなく死ぬ。
 それが彼女の言う“先輩”を救う術であると、彼女は真剣な表情で言った。

 彼女の優秀さの本質を垣間見せられて、そして。

「なるほど。そういうことだったのか」
 ひとりのヴイーヴルは納得して頷き、めったに見せない微笑を浮かべて目の前の研究者に手を差し出し、握手を求める。

エイヤフィヤトラ博士Dr.ナウマン。貴女に敬意を表する。
その偉大な愛が成就することを、影ながら祈らせてもらう」
「ど、ドク……! はいっ、頑張ります!」
 僅かにたじろいだ彼女だったが、今度は謙遜することなくサリアの賛辞を真っ直ぐに受け取った。




「ああそれと、遅ればせながら──」


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