@alikiri
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目を開けると、クエイド財団本部ビルのエントランスロビーだった。
「えっ――夜?」
見上げると、高い吹き抜けの向こうに小さく満月が見えた。その真下に突っ立っていた譲介はあわてて全身を確かめる。天井のガラス窓から差し込む月明かりと常夜灯で、自分の状態を確認するのに困らない程度には明るい。見下ろせば、両手も両足もちゃんとそこにある。特に痛むところはないし、服装は変わっていない。鞄も手元にある。そしてなにより、透けていない。
ただ、立っている場所だけが異質だった。譲介がいつもこのロビーに来たときには多数の人が忙しなく行き交っているが、いまは警備員すらひとりも見当たらない。
「戻ってきた……のか? まさか……」
十年も経って、いまさら。
がらんとした無人の空間で、しばし茫然とする。
あの直前の電話はなんだったのか。通話の向こうの宮坂と一也はいったい、いつのふたりだったのか。
あのあと、ドクターTETSUと神代はどうなったのか。
確認したいことがあまりにも多すぎる。
そうだ。そもそも、いまは何年の何月何日だ? 周囲に人影がまったくないところを見ると深夜零時を回っていると思われるが、裏手に回れば警備室があるはずだ。
「って、いやちがう! まずスマホだ」
直前まで握っていたはずのスマートフォンを求めて、急いで鞄の中を漁る。真っ先に指先にひっかかったのは何か細い紐の感触。次に見つけたスマートフォンと一緒に取り出すと、やはりあのカエルのお守りだった。どういうわけか、これは譲介の手元にあるべきものらしい。ひとまずそれは人差し指にぶら下げたまま、画面がひび割れたスマートフォンの電源ボタンを押す。すると拍子抜けするほどあっさりと見覚えのあるロック画面が表示された。時刻は三時十七分。もちろんAMだ。
右上のバッテリー残量は四十八パーセント。十年以上ほったらかしで充電もしていないのにだ。先ほどの着信といい、いったいどういう仕組みなのか理解不能だ。
震える手でパスコードを入力し、端末のロックを解く。ひとまず誰かに連絡を、どうしよう、こちらは深夜だし、K先生に? それとも宮坂か一也? あちらとの時差はどうだったか。いまってサマータイム? いやプラス十六時間でも十七時間でも、この時間帯ならまだ――。
とっちらかっていく思考にフリーズしていると、再び手の中のスマートフォンから着信音が鳴って飛び上がった。あやうく放り投げかけたが、朝倉省吾の名を見てなんとか保持する。
『――和久井くん⁉』
「あ、朝倉先生……!」
急いで応答ボタンを押すと、懐かしい声が聞こえてきた。
『本当に君か⁉ いまどこにいる⁉』
「たぶん……いや、本部の……エントランスロビーです。あの、」
『エントランス……って、この下か⁉ すぐに行く、そこから絶対に動かないで! 通話も切らないで‼』
「は、はい……」
下ということは、どうやら上階のオフィスにいるらしい。こんな深夜に――と思ったが、そもそもこの手元のスマホが示している時間表示が正しいのか分からない。いま通話ができているということは、何がしかの電波を掴んでいるのだし、おそらく正しい時刻を示しているのだろうが。
薄闇のなか、通話中のスマートフォンを手に所在なく佇む。少し離れたところにあるエレベーターから鈴のような電子音が鳴って振り向くと、駆け寄ってきた朝倉に強く肩を掴まれた。
「和久井くん……‼ 生きてるか⁉」
「ウッ……!」
上体をぐらぐらと揺さぶられながら、なんとか「は、ハイ」と返事をする。
「この三ヶ月、君は一体どこに、」
「三ヶ月⁈」
「ああ。このエントランスにある監視カメラでも君の姿はしっかり捉えてたのに突然、忽然と消えて。フェイク映像かとあちこち解析に出したけどそんな形跡もなくて――スマホの位置情報もココで途切れて以降、何も捕捉できなくて手詰まりだったんだが……」
はじめは朝倉にしては珍しいほどの早口でまくし立てていたが、だんだんと落ち着いてきたらしい。譲介から視線を外すと、右手でスマートフォンを操作し繋ぎっぱなしだった通話を切った。そこから誰かに電話をしようと通話履歴の上を指が彷徨ったが、すぐにメッセージアプリの起動に切り替える。だがその間も、朝倉の左手はずっと譲介の肩をがっちりと掴んでいた。
朝倉の指が日本語で『発見、本部、生きてる』と誰かに宛てたテキストメッセージをタイプして送信するのをぼんやりと見ていた譲介の口から、呟きが漏れる。
「三ヶ月……たったの……?」
「たったの⁉ とんでもない! 君はいったい、この三ヶ月もの間、どこで何をしていたんだ?」
突然、一九九五年に放り出されて十年。譲介はそれだけの期間、あちらの時代にいたはずだ。視界に入る両手を改めて確認してみるが、その分の年月が刻まれているような、いないような。分からない。鏡で顔を見てみれば分かるかもしれないが、朝倉がなんの疑問もなく和久井譲介だと判断している時点で目を見張るような変化はないのだろう。
まさか長い夢を見ていたとでもいうのか?
――いや、そんなはずがない。
譲介は指に引っ掛けたままのお守りを握りしめると、深呼吸をして顔を上げた。
「あの……朝倉先生。……その、信じられないと思いますけど――」
このフレーズは、あちらの時代でも何度も使った。譲介はもう一度大きく深呼吸をすると、自分が体験した十年について話し始めた。
「荒唐無稽な話だと、切り捨てられないねえ……」
譲介の話を聞き終えた朝倉の、第一声はそれだった。
途中で朝倉のオフィスに場所を移し、話し続けながらも簡単に身体を診察されて、目立った外傷はなしと診断される。
「あの、傾聴していただかなくてかまいませんよ。タイムスリップだなんて、普通は信じられません」
途中、「朝になったら検査に回すから」と言われて血液と尿を取られた所を見るに、薬物中毒の疑いも朝倉の中では排除されてはいなさそうだが。
しかし朝倉は首を振ると「実は私が君の話を信じるだけの物証があるんだ」と言った。
「ぶ、物証ですか?」
「これ、和久井くんの車に残っていた私物。君が行方不明になっていろいろと調べさせてもらったけど、手がかりになるものは何も見つからなくてね。その後は私のオフィスで預かっていたんだけど――」
そう言って持ち出してきたボックスの中から朝倉がつまみ上げたのは、あの宮坂詩織謹製のお守りだった。
「ああっ⁉」
「ね?」
このお守りは、いまの譲介の主観ではここ十年は手元にはなかったモノだ。だがその前は、村を出立した日に受け取ってから肌身離さず――とまでは言わないものの、カバンや車のダッシュボードに入れてずっと持ち歩いていた。だから布や紐の汚れ方や、角や刺繍の擦り切れかたで、絶対に自分の所持品であると断言できる。
しかし、スマートフォンと共に握ったままだったものと、いま朝倉から渡されたものを見比べても、どちらが『本物』なのか判別できない。それほどまでに、まったく同じ物のように見えた。
「宮坂がもうひとつ作ってた……なんてことは、無いよな……」
「少なくともそっちは、確実に君の車にあった物だよ。中のコインは?」
「あ、そうか」
それぞれのお守りを開けて五円玉を取り出したが、裏面の製造年の刻印まで一緒だった。こうなっては、もしかしたら両方から野平の指紋が出てくるかもしれない。
一体この現象を、どう解釈していいのか分からない。
「カエルの御利益かァ……? つっても、発動が遅すぎるけど」
「なんのこと?」
「え? だから『蛙』で『帰る』……」
「これってそういう意味だったのか!」
八年越しに刺繍の意味を理解した朝倉が「なるほどね!」と感心している。
ただの寒いシャレですよ、とも突っ込みづらいので「そういえば戻る直前に宮坂から電話を受けたんですけど、何かご存じですか?」と強引に話を戻した。
「ああそれね。K先生経由で私に連絡があったんだ。和久井くんに突然電話が繋がったが切れてしまったので、こっちからも架けてみてくれないかとね」
「え……! いやでも、なんで宮坂が僕に?」
「どうやら彼女、定期的に君の番号宛てに電話をかけていたらしいんだ。スマホを解約していない以上、誰かが拾う可能性もあるしいつか繋がるかもってね」
「なるほど……」
あまりスマホを持ち歩かない一也や神代たちには無さそうな発想である。そして同時に、自分の行方不明は日本側の知り合いにも共有されていて、心配をかけてしまっていたことを知る。
名前が出たついでに、先ほどからずっと気になっていたことを聞く。
「あの、K先生のことなんですが……。朝倉先生の中では、ドクターKは、その……」
「大学を卒業した医師か、ということかい?」
「はい」
「影のK一族だった彼に、縁あって私の父たちが医師免許を与えるよう尽力した――。ずっと、そういう認識だよ」
「そう、ですか」
それを聞くとますます、この十年間の記憶をどう解釈すればいいのか分からなくなる。
――K先生自身にも話を聞いてみたいところだけど……。
目をつぶり、額に手をやった譲介の肩を、朝倉がポンと叩く。
「私が思うに――君は過去を変えたわけじゃなく、並行世界を作ったんじゃないかな」
「並行世界?」
「ああ。SFではおなじみだけどさ。知らない?」
「聞いたことはありますけど。そういうジャンルはあんまり……」
「そうなの? もったいない。ちょうど先週面白そうなのが封切られた所だし、今度一緒に行こうか」
まるでこの三ヶ月の――または十年の――空白などなかったかのような調子で言われて、つい「そうですね」と呑気に返事をしてしまった。
「ひとまず、そこのソファで悪いけど朝まで横になってなさい。いろいろと検査の手配をしておくからさ」
ウィンクをした朝倉にまたポンと肩を叩かれて、譲介は「はい」と頷いた。
その後は言われた通り、朝倉の執務室のソファで横になってはみたものの、精神が昂ってしまっていてとても眠れない。デスクに座った朝倉がキーボードを叩く音を背景音に、充電ケーブルに繋いだスマートフォンのブラウザで三ヶ月分のニュース記事をひたすら追いかけていた。メールボックスやメッセージアプリも一応開いてみたものの、どこから手をつけて良いのかわからずすぐに閉じてしまった。
そういえば、卒業間近だったメディカルスクールでの扱いはどうなったのだろう。譲介の感覚ではすでに十年前の話だが、現実ではたかだか三ヶ月だ。通っていた大学院はクエイド傘下の学校だし、朝倉親子が上手いこと取り計らってくれるかもしれない。いろいろと落ち着いたら確認しなければ。
そうこうしているうちに夜が明けると、朝倉雄吾だけでなくその妻の良子まで自宅から飛んできた。無事を喜ばれるかたわら、同様に出勤してきた医師や検査技師たちによって追加の採血をされたり全身をデジタル輪切りにされたりした。さらに空腹を訴えた流れでここ十数時間ほど絶食状態だと知られると、上からも下からもカメラを入れられてしまった。譲介自身の意思で姿をくらませたわけでは決してないのだが、もう勘弁してくれとも言い難く、されるがままにするしかなかった。
ひとまずは健康体だと判断されて、ようやく戻ってこれた朝倉のオフィスにはインドカレーとナンのセットが用意されていた。クエイド本部で手伝いをする日によくデリバリーで注文していた店だ。
そうして十年ぶりの味に腹を膨らませたところで、やっと眠気がやってきた。
「どうする? 家に帰るかい? 君のアパートはそのままになってるけど」
「そうですね……。三ヶ月ぶりだと思うと、いろいろと不安ではありますが」
「悪いけど、手がかりを探すために部屋へ何度か入らせて貰ったよ。キッチンに置いてあった果物や食品のいくつかはついでに回収させてもらったから、そう酷い事にはなっていないと思う」
「いや、気にしないでください。むしろお手数おかけしてしまって申し訳ないです」
「私としては、まだ本部に居て欲しいけどね。まだ出ていない検査結果もあるし」
おそらく大丈夫だろうけど、と続けた朝倉の前で、抑えられなかったあくびが出てしまった。
「……そうですね、じゃあ、仮眠室を使います」
クエイド本部の仮眠室とシャワールームは、これまでにも何度か使ったことがある。譲介はもう一度大きなあくびをして、朝倉のオフィスを出た。
次に目を覚ました瞬間、譲介は即座に握ったままだったスマートフォンの画面を確認した。画面は割れたままだったが、ちゃんとついた。朝の七時十八分。電波強度は四本、Verizon、本部内のWi-Fiにも問題なく接続中。充電も百パーセントだ。
「まだ居る……」
二〇二九年のアメリカに。
仮眠室のベッドから起き上がった譲介は、手を伸ばして電気をつけた。明るくなった部屋に目を瞬かせながら嘆息する。検査が終わったのは昨日の夕方だったから、なんと半日近く寝ていたらしい。この時代に戻ってきてから、もう三十時間くらい経過している計算だ。
――並行世界……か。
朝倉に言われた言葉を思い出す。
本当にそうだとしたら、自分が未来に帰ってきたあの時点から先も、世界が続いているということになる。
ドクターTETSUのスキルス性胃がんは、まだ発病していなかった。できれば、早期発見に繋がっていることを願いたい。
――そうなると、彼が自分を拾うことも無いかもしれないが。
だが、それならそれでいいと思う。あさひ学園で暮らし始めた時期と住所については診療所に残したノートに書き残してあるから、神代が何か手を回してくれるかもしれないし。分岐した世界の和久井譲介にとっても、その方がいいかもしれない。
どこの、どんな世界でも。生きていてくれるなら。
「……会いたいな……」
そう呟いた瞬間、仮眠室の電子キーが解錠音を鳴らした。同時にコツン、とステッキが床を突く音が響く。
「え……⁉ ――ぐえっ‼」
入室してきた人物が誰か認識した直後、飛んできた右手に顎を掴まれる。
「……生きてるな」
「なっ……んで、あなたがアメリカに⁉ い、いつ……⁉」
「今朝だよ」
さらりと答えたドクターTETSUと、視線が合わない。口内、喉、耳、手足――あちこちをせわしなく見分されているのに、だ。
間近にあるTETSUの顔は、当然、譲介の中にある最も新しい記憶よりもずっとずっと歳をとっていた。
過去のドクターTETSUだけじゃない。この時代の――譲介にとってのドクターTETSUであるこの人とだって、直接会うのは八年ぶりだ。都内の病院で、内臓逆位の組長を手術した日以来。
脈を探るように、杖を持たないほうの腕が伸びてくる。譲介はその手を掴み返した。
「僕のこと、誰から連絡を……?」
「おめぇの周りにいるお節介な連中たちだよ。心当たりはあんだろ」
「それは……まあ。でも、僕がここに居ることもですか?」
「そうだよ。空港からここまで、全部クエイドの手回しだ」
「……あなたが、クエイドと連絡を取ったんですか……?」
衝撃のあまり、そんな言葉が口をついて出た。
このドクターTETSUは、譲介が自分とクエイドの過去を知っていることを知らないはずだが、あのTETSUから譲介は確かに聞いた。ここは自分の居場所ではなかったのだと――。
それを捻じ曲げて、彼はここに来た。
「おめぇが行方不明なんぞになるから仕方なくだ」
「そっ……それは、謝りますが……。――いやいや、だからって、あなたの病状で飛行機に乗るだなんて!」
「……なんでぇ、元気じゃねえか」
ドクターTETSUはそう呟くと、ふいに全身の力が抜けたように、そばにあった椅子に座り込んだ。その様子に焦って、掴んでいた手を今度は身体を支えるように力を籠めると、その手が震えていることに気がついた。
「えっ……?」
「オレァてっきり……ひとに死に水を取るだの言っておいて、勝手に――いや……」
そこで言葉を切ったドクターTETSUに、掴んでいた腕を反対に掴み返される。それと同時に、譲介はまるで十年分のズレがピタリと重なったような感覚に襲われた。あれは夢ではない、確かに現実だった。
――でも、いま立っているこことは繋がっていない。
TETSUはそれきりうつむいて、黙り込んでしまった。その様子を見下ろして、譲介は自分の思い込みに気がつく。
昨日未明、深夜のエントランスに放り出された直後こそ朝倉も慌てていたが、その後はずっと理性的で落ち着いた対応をされたものだから、その勘違いに拍車がかかっていた。これは朝倉の両親も、クエイドの顔見知りの医者や職員たちもそうだ。それは譲介を気遣ってこその態度なだけで、現実が変わるわけではないのにだ。
自分の主観では十年もの歳月がたっていたけど、実際はたったの三ヶ月に過ぎない。そう思っていたが――違うのだ。
三ヶ月もの間、何の前触れも、連絡もなしに消えていたんだ。
「ごめんなさい」
押し出すように、そう呟いた。
「僕……若い頃のあなたに会いました」
「……朝倉の倅から聞いたよ」
「病気をする前で、健康ではありましたけど……すごく寂しそうで」
あれは、これまで譲介が見たことのなかった……想像すらしたことのなかったTETSUの姿だった。
譲介の知るドクターTETSUは、生涯のライバルと認めた男である西城KAZUYAを失っていくらかの時間が経った後の彼だ。スキルス性胃がんを発症し、隠してはいるが体調にも波がある。だが根底に流れる信念のようなものは変わらずにある――それが、譲介を拾ったドクターTETSUの印象だった。
だが、いま目の前にいる男よりも三十は若かったはずの彼は、そうではなかった。
「一緒に、住みませんか。こっちでも、日本でも、いいですから……」
震えた声にぎょっとして、TETSUは顔を上げた。
「あなたと……あなたと僕の人生が交わったのはただの偶然で……奇跡みたいなもので、一度離されたらもう交わることはできないんじゃないかって思ってました。それでも……せめてあなたの最期くらいは傍に居れたらって良いなって……。でも……それじゃやっぱり嫌です。僕はもう一人前の医者になりました。あなたの仕事にも、どこにでもついていけます。助手にしてください……」
「助手って……おめぇ、オレがいくつになったと思ってんだ。大抵の会社なら定年だ」
「アメリカにはそんなものありませんよ。日本でも医者に定年なんて……でも、あなたが引退したいっていうなら全部面倒見ます。だから……」
「わーった! わかったから……ちょっと黙れ」
まるで縋りつくように、必死に言い寄る譲介を宥める様に制止する。
譲介は言われた通り口を噤むが、ぐすっと情けない鼻音は漏れてしまった。目元を擦るふりをして、目頭を押さえる。
「――もう、離してやれねえぞ」
「望むところですよ。というか、僕は前だって、離してくれなんて一度も言ってません。そっちが、勝手に……⁉」
ふいに、掴んだ手を外される。そのまま伸びてきた手に頭を撫でられた。高校生の頃だってされたことのない仕草に、目を見開く。
驚いている譲介をよそに、男は優しい顔で柔らかい髪を撫で続けた。みるみる顔が赤くなるのを感じて、ここで子ども扱いですか、だなんて軽口も返せない。
おとなしくされるがままにしていると――ごほん、と咳払いが聞こえた。
「ッ……⁉ せ、先生⁉」
「……無事なようだな、譲介」
古典的な方法で割って入ってきたのは神代一人、その人だった。いつから居たのか、仮眠室の入り口に立って、なんとも言えない表情をしてふたりを見ている。
「なんだ。感動シーンだろうが、黙って引っ込んでろ」
「もう充分に黙ってやったと思うが?」
さっそくピリピリした応酬をはじめようとする医師たちに、譲介は「もしかして一緒に来たんですか……?」と聞くのが精いっぱいだった。
「猫飼いの病人、しかも前期高齢者をひとりで飛行機に乗せるわけにはいかんからな」
「ああん? いいトシこいて初めての米国にビビッてるお坊ちゃんを面倒みてやったのはこっちだろ」
「貴様……」
そのやりとりがおかしくて、譲介はつい吹き出してしまった。
十年も過去に居たのに、まさか夢だったのかと思ったが……違う。夢じゃない。あのふたりは確かに目の前のふたりよりもう少し――だいぶ?――若かったけど、同じだ。
それがわかると、もうおかしくてたまらない。
「ぷっ……アハハハ!」
ついに声まで上げて笑い出した譲介に、神代とTETSUは顔を見合わせた。
「おい譲介、本当に精密検査を受けたんだろうな……」
「もういっぺんやり直してやろうか?」
「ああもう、なんでも受けますよ。ただし、あなたも受けていってくださいね。いっくらでも最新設備が使えますから」
「それはいい」
体調への心配というよりも、クエイドの設備を使う名目が立ったことにやる気を見せた神代に、TETSUがうんざりした顔をして、譲介はまた笑った。
【完】
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ここまで長らくお付き合いありがとうございました。
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