@taneimosiitake
太陽は殆ど沈み、世界は淡い群青色に染まっていました。カフェから漏れている優しい光が、カフェの前の水路に流れる水の水面を優しく輝かせていました。
「そういえば、この前フロデリカ様が面白い話をしてくださったんですよ」
コーヒー色の髪をした男性——マルタが、壁に並んだ本を整理しながら言いました。
「何?」
キャラメル色の髪をした女性——ソネットが、カウンターに座って、マルタの話に耳を傾けます。
「三大偉人の大賢者についての話なんですけど……」
「サンダイイジン? 何それ」
マルタは目を丸くしてソネットを見ます。
「知らないんですか?」
「知らない」
ソネットは首を振ります。
「そうですか……フロデリカ様が教えてくださったんです。太陽郷の誰もが知っている3人の英雄のことなんですって」
マルタはまた本棚に目を戻しました。
「1人目は、リオサ•ディ•アコーディロンという方で……」
「ああ、それは知ってる。太陽郷王国を作った女王様でしょ。それはもう色んな人に何回も聞いたよ」
ほんの少しだけうんざりしたような、でもどこか楽しそうなソネットの声を聞いて、マルタはくすりと笑いました。
「そうでしたか。……残りの2方は、100年と少し前に起こった厄災で、太陽郷を救った方々なんです。厄災はご存じですか?」
「あぁ……昔聞いたような気がする。月華郷の……太陽郷をよく思ってない人達が……街をめちゃくちゃにした、とかだったっけ?」
「そんな感じです。そこで、みんなの心を癒した聖女と、魔法を使って街を復興した大賢者が、リオサ様と合わせて三大偉人として讃えられているんです」
「ふーん、なるほどね」
ソネットはコーヒーを一杯飲んで、そして次の瞬間慌てて言いました。
「聖女って、ステュリ?」
「えっ? そうですが……ソネットさん、実は三大偉人のこと知っていたんじゃないですか?」
「そっか。ふーん……いや、違くて。単体では知ってるけど、三大偉人なんて呼ばれてるのは知らなかったの。……ん、大賢者って、もしかして虹色の目をしてたりする?」
「そうです。初代国王リオサ•ディ•アコーディロン、聖女ステュリ•ヴァレッタ、大賢者ペラニ•レーシャ……この3人が、三大偉人です」
マルタは、指を一本ずつ立てながら、3人の名前を言いました。
「大賢者、ねぇ……あたしが昔その人の話を聞いたときはそんな風には呼ばれてなかったと思うけど……まぁ、それで、大賢者様の話なんだっけ?」
「はい。大賢者ペラニは七色の瞳を持っていたということと、男性だということくらいしかわかっていない謎の多い人物なんだそうです。年齢や詳しい外見、この街をコピーして太陽郷を復興したという魔法も、一体何なのかわかっていないらしくて」
マルタは本棚の本の背表紙を1冊1冊、目で確認しながら話します。
「だから色々な人が様々な考察をしているようなのですが……説の1つとして、占星魔法使い達の間で、大賢者は占星魔法使いだったのではないか、と言われているらしいんです」
「占星……って、星占いってこと? 星占いならこっちにもあるけど、なんか違うの?」
「そうですね……見える星は同じですが、星座の結び方や星の名前は違うようですよ。だから星から読み取ることも違うのではないでしょうか」
「ふーん……」
「それに、太陽郷では大半の地域で太陽が沈まず、辺境に行かなければ星が見えないので、占星魔法はとてもマイナーなようです」
「あぁ、そっか。それもそうだね。星が見えなければね……」
すると、マルタは本棚から一冊の本を取り出しました。それなりに厚い本で、群青色の表紙には光を放つ星が大きく描かれ、金色の文字で『Shallla』と書かれていました。
「何? その本」
「これはシャルラの魔導書と呼ばれている本です。フロデリカ様が代わりに買ってきてくださったのですが、出版数が少ないのと一部の占星魔法使いにひっそりと人気があるようでなかなか見つからず……」
「待って待って、太陽郷の本なの、それ?」
マルタの声を遮り、ソネットがカウンターに身を乗り出します。
「そうですが……」
「え……太陽郷の本をカフェの本棚に置いてるの……?」
危ないものでも見るかのような目で本を見るソネットを見て、マルタは苦笑しました。
「お客さんに読んで頂くための本ではないですよ。飾りみたいなものです。僕も内容はほんの一部しかわかりませんし……」
ソネットは本とマルタの顔を見比べると、微妙な顔をしながら座り直しました。
「……そ」
ソネットがコーヒーを口に運んだのを見て、マルタが再び口を開きます。
「この本は、占星魔法関連の本なのですが……流通しているものは、ページが何枚か抜けているのではないか、と言われているのです。どこかに原本があって、そこに全てのページが載っていて、そしてその失われたページに、大賢者が街を復興するのに使った魔法も記されていると言われています」
「へぇ……面白いじゃん。じゃあシャルラっていう人は大賢者様の知り合いだったのかな」
「あ、いえ、シャルラというのは著者ではなくて本の名前で……誰かが著者と間違えたのでしょうか。著者は不明ですが、大賢者の師だったのではないかなどと言われているようです」
マルタはシャルラを少し眺めた後、本棚に戻しながら「まぁ、あくまで噂ですが」と付け足しました。
「噂ね。……でも、噂っていうのは、案外大事なことが紛れ込んでいるもんだよ」
「……そうですね」
するとソネットは両手で頬杖をついて、恨めしそうな顔でマルタを見ました。
「ねぇ、今の話ってお姫様から聞いたの?」
「はい。あとはシャルラから僕が読み取れたことですが……」
すると今度ははぁ、と大きなため息をついて
「あたしも呼んでくれれば良かったのに」
と言いました。マルタは苦笑します。
「だって……いつも寝てるじゃないですか、ソネットさん。なかなか起きないんですから……」
「…………そうだけどさ」
ソネットは唇を尖らせました。
「……フロデリカ様が買ってきてくださった本、読みます?」
「まだあるの……? いいよ、なんか怖いし……」
「呪いの本とかではないんですが……」
ふたりは少し笑って、しばらくするとソネットが立ち上がりました。
「さてと……外の空気でも吸おうかな」
ドアを開けて水路に入って、水路の天井を支えている柱の隙間から見える、街と海の景色を覗きました。もうすっかり暗くなって、建物のオレンジの灯りが深い群青に溶けています。
「月、ないね」
呟いたソネットに、続けてカフェから出てきたマルタが答えます。
「そうですね。新月です」
「星といえばさ」
ソネットは、空を見上げています。空には、明るく美しく無数の星が輝いていました。
「実際に星から出た光は、地球に届くまでに何百年もかかるんだよね。今この瞬間に放たれた光が届くのは、今からずっとずっと先のこと」
冷たい夜の風が、ふたりの髪と、水面に映った灯りを揺らします。
「あの星は、いつ見えた空のものなんだろう」
少し手を伸ばせば届きそうな星々は、ずっと変わらずに輝いていました。