@KouSyuuka
《ハルトムート》
やっとローゼマイン様が貴族院にやって来られた。これでようやく正式に側近にしていただける。
私はライゼガング系の上級貴族で、父はフロレンツィア様の側近、母も既にローゼマイン様の側仕えをしている。ローゼマイン様の洗礼式であの美しい祝福を見てから学業においても恥ずかしくない成績を修めてきた。この私が望む限りローゼマイン様の側近になれることは明白なのだから、早々に側近として働かせてほしいとずっと思ってきたのだ。逸る気持ちを抑え、品性を保ちながら、私はその時が来るのを待っていた。
やがてコルネリウスから声を掛けられ、一階の会議室に案内された。なんでも、ローゼマイン様が側近の正式発表の前に候補の者たちと一対一で面談をしておきたいと仰られたそうだ。「異性と二人きりで話すのは外聞が悪い」とコルネリウスは最後まで粘ったそうだが、「正直なお話がしたいのです」とローゼマイン様も譲らなかったらしい。落としどころとして、護衛騎士のアンゲリカのみ同室を許すということで落ち着いたようだ。短い距離を案内される間にコルネリウスから聞かされた説明には、心労の色が濃く聞き取れた。
会議室には候補者が一人ずつ通され、部屋の中にはローゼマイン様と候補者が向かい合うように座り、対となっている盗聴防止の魔術具を握りしめて話をするということになっている。
挨拶を済ませ、許可を得て私が席に座ると、コルネリウスは最後まで何度も振り返りながらも部屋から出て行った。目の前には既に盗聴防止の魔術具が一つ置かれている。私がそれを握りしめるのを確認してから、ローゼマイン様は早速話を切り出された。
「時折パクパクと喋っているふりをして聞いてください。面談をしたいという口実なのにハルトムートが一言も話していなかったら流石にアンゲリカにも怪しまれますから」
は?
意味が分からない。しかし、ローゼマイン様はお茶を飲んで濡れた唇を拭くふりをしながらハンカチで口元を隠し話し続けた。今のうちに私が話しているフリをするべきなのだろう。不自然にならない形で声を出さぬようにして、伝えたいことを話しているように口を動かす。ローゼマイン様は私の話を聞いているふりをしているのか、私が指示にすぐに従ったことに満足されたのか、少し頷きながら話し続けた。
「面談がしたいと言ったのはこうして早々に手っ取り早くハルトムートと内緒話をするための口実でした。伝えたいことに対して時間が足りていませんから話すだけ話します。ドレッファングーアが時の糸を紡ぐ話は有名ですが、ヴェントゥヒーテという女神がその糸で歴史の機を織っているという話はご存じ?今から四~五年後にユルゲンシュミットの魔力は枯渇してこの国は砂に還ります。それを防ぐためにヴェントゥヒーテは何度も織った機を数年分解いてわたくしにやりなおしを命じます。何度も何度も……これで何度目かしら?もうわたくしも疲れてしまいました」
ふぅ、と溜息をつく横顔に、私は『喋っているふり』とは別でパクパクと唇を開閉させた。何と言えば良いのだろう?私の意見を求められていないのが幸いだった。
「ですが、いくらわたくしが疲れても、神々は諦めてくれませんし、わたくしも叶えたい望みがある以上、この権利を他の方に任せるわけにも参りません。わたくしは虚弱ですし、領主候補生は一人でフラフラできませんから、目的を達成するためにはどうしても協力者が必要なのです。わたくしには未来の記憶があり、貴方のわたくしへの忠誠が本物であることを知っています。優秀な上級文官であるハルトムートの協力が必要なのです。ですが……先程も申し上げた通り、わたくしはもう疲れてしまいました。もう貴方が心酔した聖女ではなくなっているかもしれません」
生きた記憶の長さなら、前ライゼガング伯と同じくらいですもの、とローゼマイン様はコロコロと笑って言った。思い出すのはガブリエーレとヴェローニカへの怨念の塊と化した曾祖父様の醜悪な姿だ。ローゼマイン様があのような老獪に……?
「ハルトムートほどの優秀な文官に、後で『失望した』と裏切られるのも面倒ですもの。協力してもらえるなら早い方が良いというのもありましたが、先に全てネタ晴らしをしておいてしまいたかったのです。ハルトムートがわたくしに心酔するようになったのは洗礼式の祝福を見てからでしたね?この後、正式に側近の発表をして、わたくしの側近となる者たちに祝福を贈ります。それを見て、わたくしに仕えるかどうか決めてください」
それだけ言うとローゼマイン様は盗聴防止の魔術具をコトリと机の上に置いてしまわれた。私からの質問も返答も受けるつもりはないということか。いや、すべてはその祝福を見てからでないと私の答えに意味がないと仰られるのか。
促されるままに部屋を出て、私の代わりにレオノーレが呼ばれていった。
不甲斐なくも、あまりにも情報量が多く、色々な考えが頭の中をグルグルと回る。すべてはこの目で確かめるまでは意味がなくとも、情報の整理は必要だ。
心の準備を整えて、私たちは再び会議室に呼ばれた。
正式な発表として、私は無事にローゼマイン様の側近となることが出来た。しかし、数刻前まで私が考えていたような詮無い理由ではないことはわかる。あぁ、先程までの私はなんと呑気だったのだろう。ローゼマイン様の洗礼式であの美しい祝福を見てから三年、ずっとローゼマイン様の側近になる日を私が夢見てきた間に、ローゼマイン様はもう何年も何年も戦って、そして傷ついてこられたのだ。
「わたくしの側近として、わたくしを支え、仕えてくれる者たちに、祝福を」
ローゼマイン様の指輪から祈りと感謝が祝福となり放たれて、私たちに降り注ぐ。その一粒一粒の鮮やかさを瞳に映し採る度に、胸の奥をギリギリと何かに締め付けられるような痛みが走った。
悲しみは青々深く、その光の底に絶望と怒りが燃えている。
これはなんだ?
なんて美しい祝福だろう、なんて深い色だろう、なんて……悲しい光だろう。
ローゼマイン様の祝福は他の貴族たちの祝福と全く違う。ローゼマイン様の祝福の美しさはローゼマイン様の心の美しさ、祝福の色の深みはローゼマイン様の慈悲深さだとするならば……悲しみの深さも、傷の深さも、元よりローゼマイン様のお心とその慈悲が誰よりも深いからこそ。
これほどまでに傷付いて、それでも他者に祝福を贈れるものだろうか?こんな祝福を、人間が出せるものだろうか?
あぁ、ローゼマイン様はもはや聖女というより、女神と呼ぶに相応しい。
私は溢れる涙を止められず、呆然とその祝福を眺めていた。コルネリウス、レオノーレ、ブリュンヒルデたちがぎょっとして振り返るが、構ってなどいられない。貴族が人前で涙を流すなどあってはならないことだが、どうして留めおくことができようか。
私は両手を胸の前で交差させ、頭を垂れて永遠の忠誠を誓った。
恭順の姿勢を取ると、眼前の床に涙がパタパタと零れ落ちる。
「どこまでも……この身、この命の全てを捧げ、お仕えいたします……ローゼマイン様」
「……これから、どうぞよろしくね……ハルトムート」
場を整えて「私の他にも協力者はいるのですか?フェルディナンド様は?」と問うと、ローゼマイン様は何故か答えを返すよりも先に「ごめんなさいね、ハルトムート」と謝られた。
「二回目から……六回目あたりまでは、フェルディナンド様にも協力を頼んだり、記憶の引継を頼んだりしていました。でも、フェルディナンド様は『勝てない勝負はしない主義』です。そんな方に何度も何度も敗れた記憶を重ねるのは……それにフェルディナンド様は自罰的な方ですから、失敗する度にご自分を責めて、悪い方へ悪い方へ考えてしまわれるのです」
困った方……と、ローゼマイン様は溜息をつかれた。
「あぁ、まだ言ってませんでしたが、神々の願いはユルゲンシュミットを永続的に救うことですけど、わたくしの願いはフェルディナンド様にエーレンフェストで幸せになってもらうことなのです」
何十年ものやりなおしを重ねて深く傷ついておられる状況に対し、ローゼマイン様が口にした願いは余りにささやかなものに思えて瞬きを繰り返す。私のそんな思考を読みとったのか、ローゼマイン様は「これが意外と難しいんですのよ」と苦笑を浮かべた。
「フェルディナンド様に幸せになっていただくためには、敗北の記憶も、ご自分を責める記憶も必要ありません。ですからフェルディナンド様には記憶を引き継がせないように神々に頼みました。フェルディナンド様を護るためにはフェルディナンド様に頼るわけにはいかないと思い至ったのです。けれど、そんな理由でフェルディナンド様を頼ることをやめたのに、ハルトムートを頼るのは……」
「お気になさらず!ローゼマイン様!フェルディナンド様はローゼマイン様の恩師、私はローゼマイン様の眷属です。ローゼマイン様がフェルディナンド様を救うために私を手足として使うことに、何の不都合がございましょう」
私は殊更大仰に振る舞ってローゼマイン様の前に跪き、その手を取って「大丈夫ですよ」と繰り返す。そして「時に、ローゼマイン様」と舵を少々切り替えた。
「ローゼマイン様のように記憶を引き継ぐことや、それを取りやめることは可能なのですか?ローゼマイン様がこのやり直しに疲れていると知った以上、このようなやり直しを繰り返さぬよう尽力いたしますが。もしも次があるのなら、私も記憶を引き継ぐことが出来れば面倒が少なくなるかと愚考いたします」
「そう……そうですね……神々に頼んでみましょう。……わたくし自身が『もう疲れた』と言っているのに、ハルトムートも巻き込むのは……でも、もう貴方に掛ける慈悲も残ってはいないのです」
「ローゼマイン様」
私はローゼマイン様の手を取ったまま、もう一度「大丈夫ですよ」と繰り返した。
「私はローゼマイン様の美しい祝福で、人生を二度変えられました。ローゼマイン様の眷属となることを、ローゼマイン様のために尽くすことを、私が決めたのです。貴方に仕え、すべてを捧げると誓いました。どうか最後までお供させてください、ローゼマイン様」
ローゼマイン様の小さな両手はまだ微かに震えたままだったが、私の手をきゅっと握り返すと、
「ありがとう存じます、ハルトムート」
そう言って、力なくニコリと微笑まれた。
《ローゼマイン》
シュタープを取得する日、私は始まりの庭にやってきた。
ハルトムートに早々に事情を説明しなきゃいけなかったのは、貴族院一年の一週目にこのイベントがあるせいだ。
私は白い大木の状態のエアヴェルミーン様にペタリと触れて瞼を閉じる。まだ今はエアヴェルミーン様を人の形にする魔法陣を起動できていないから、こうやって集中しないと神々からのメッセージが聞こえない。私からのメッセージは伝わってるみたいなんだけどね。
「エアヴェルミーン様、ドレッファングーア様。わたくしの眷属、ハルトムートにも、やりなおしの記憶を持たせ続けることは可能でしょうか」
聞くだけ聞いて、後は意識を集中させる。やがてシナプスを介する伝令のように、言葉とも言えない返信が届いた。
……私やフェルディナンド様の糸はわかりやすいけど、それ以外の糸はわかりにくい。私かフェルディナンド様の魔力に染まっていたらわかりやすい、と。……魔力で染めるって破廉恥案件だよね?それに身喰いじゃないとすぐに元の色に戻っちゃうんでしょ?そういえば名捧げも主の魔力に縛られるって言ってたけど、名捧げじゃ駄目ですか?……良いっぽい。
お願いと質問の回答を得て、私はさっさとシュタープを取り込み、来た道を戻る。レッサーくんで戻る途中で、捜索隊の先生方とはちあわせた。シュタープを既に取り込んだことを告げて、寮へと戻る。
帰りが遅い私を心配して側近たちが玄関ホールで待っていて、「大丈夫でしたか」と囲まれた。そんな中、ハルトムートが「どうでしたか?」と声をかけてくる。何のことかは、私がわかっていればいいことだ。
「名を捧げていれば大丈夫だそうですよ」
レッサーくんから降りながら私がそう答えると、コルネリウスたちは何のことかと首を傾げる。
ハルトムートは「ローゼマイン様のご負担にならなければ、是非」と言って名捧げのための箱を差し出してきた。当然コルネリウスたちはぎょっとするし、私は「どこでもお手紙セットならぬ、いつでも名捧げセット?」と呆れてしまった。それでも、状況を先読みして準備万端に整えているのはさすがハルトムートだ。気遣う余裕も既になくなっている私はさっさとハルトムートの名を受け取った。これだけ人が周りにいたら、立ち会いも何もないよね?
私が箱の魔石に魔力を注ぎ込むと、ハルトムートは苦しげな声を上げる。でも私も要領は掴んでいるから、さっさと魔力を叩き込むようにして名を縛った。あっという間に白い繭のようになったそれをしまいこむ。
「光栄です、ローゼマイン様」
恍惚とした表情のハルトムートに思わず顔がひきつったけど。これからのループに付き合わせてしまう罪悪感も、感じずに済んでいる。ハルトムートの気持ち悪さに救われる日が来るなんて、思わなかったな。
「最近ハルトムートと仲が良すぎる!」
盗聴防止の魔術具を使ってハルトムートと作戦会議をしていると、コルネリウスに怒られた。曰く、婚姻前に異性が二人で内緒話をするのはいけないことなのだそうだ。はいはい、外聞外聞、破廉恥破廉恥。と、聞き流そうとした刹那、その選択肢が頭に浮かんだ。
「いっそ婚約しましょうか、ハルトムート」
「はぁ!?」
驚きの声を上げたのはコルネリウスだった。ハルトムートはにこやかな笑顔を浮かべて私の言葉の続きを待っている。だいぶ『今の私』に慣れてきたね。
「恋仲ということにした方が貴族院の中で動きやすくなりますし、卒業後は降嫁することがわかっていればライゼガングからの突き上げも減るのでは?」
「折角領主候補生になったライゼガングの希望をわざわざ上級貴族に降嫁させるなんて知れたら婚姻までにハルトムートが暗殺されるぞ!?」
悉く反応して言い返してくるのはコルネリウスだ。私はハルトムートに話してるんだけどな?
「他領と渡り合っていかなければならないのに領地の中で潰し合って、ましてや同じ一族の中で暗殺?まったく、視野の狭いこと」
「えぇ、まったくですねローゼマイン様」
ようやく発言したかと思えばハルトムートは同族への軽蔑にニコニコと同意してくる。『ライゼガングの総意』の記憶はまだないはずなんだけど、ここらへんの事情についてはハルトムートも大概だよね。
「ハルトムートなら上手い具合に根回しできて?」
「命じられれば努力はしますが、あまり良策とは思えませんね。ローゼマイン様に他領からの婚姻話が押し寄せる頃合いならば多少まとめやすくもなりますが、あくまで私との婚約は貴族院の中で動きやすくしたいというのが理由なのですよね?」
「他領も様子を見ますから、婚姻話がくるのは三年頃……ハルトムートはわたくしが二年の頃までしか貴族院に居ませんものね。あちらが立てばこちらが立たず、ですね。……もう少し詰めましょうか。この織地は次のための作戦会議に当てることにして諦めて、堂々と作戦会議いたしましょう」
「それは結構ですが、せめて私が卒業するまで解かれぬようにしていただけると助かります。次以降は騎士コースも側仕えコースも取りたいと考えていますので、せめて文官コースを修了した記憶があれば時間も作りやすくなりますから」
「騎士コースは取ってほしいと思ってましたが、異性なのですから側仕えコースは必要ないのでは?それともやっぱり女装するつもりですか?」
「ローゼマイン様はこれからも神殿と深く関わっていくのですから、フランのような側仕えも必要でしょう?」
「……本当に、どこまでも付いてくるつもりなのですね」
「そう申し上げたはずですが?」
勝手に分かり合っている私たちにコルネリウスは困惑しながらオロオロと私たちの顔を見比べている。
「其方たち、一体何の話をしているのだ?」
「何って……内緒話ですよ」
盗聴防止の魔術具なんて使わなくても、説明しなければ理解されないなら、それはもう内緒話だ。
「そういえばハルトムートの女ったらし能力があれば、ディートリンデ様を甘言で掌コロコロ出来るのでは?本気を出せば結婚詐欺師とか出来そうですよね、ハルトムート。一回くらいディートリンデ様を口説いてなんならアウブ・アーレンスバッハになってエーレンフェストを助けてくれません?」
「色々と表現が聞き捨てなりませんが、私はローゼマイン様に名を捧げていますし、流石に他領のアウブにはなれませんよ。アウブ配にしても、女性アウブに嫁ぐには領主候補生でなければ無理です」
「上級貴族であれば養子として領地を移動することは理論上は可能ですよね?」
「ローゼマイン様のご命令には従いますが、なんにせよ、正直アレのエスコートは御免被りたいですね。ループを前提として物の試しに一回くらいならディートリンデ様を口説くのは良いかもしれませんが、苦痛であることに変わりはありませんし、私は最終的にはローゼマイン様の元に戻り仕えたいので。もしそれでうまくいってしまったらどうするのですか」
「(笑)」
「笑い事ではございませんよ」
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