@KouSyuuka
《コルネリウス》
今夜は始まりの宴があり、領主夫妻の実子であるシャルロッテ様がお披露目を行う。ローゼマインは「その前にどうしてもシャルロッテに贈り物がしたい」と言って、なんとか面会依頼を取り付けていた。宴が始まれば社交の時間に会えるだろうし、ローゼマインも神殿長を務めるのだから時間に余裕なんてないだろうと言ったのに。ローゼマインは譲らなかった。
「こちらは神殿長としてではなく、姉として可愛い妹に、洗礼式のお祝いの贈り物ですよ」
宴が始まってしまう前に、どうしてもそれを贈りたかったようだ。私は護衛騎士としてローゼマインの後ろに控えるだけで、互いの側仕えを介して受け渡されるそれを目で追った。
「お姉様、こちらは?」
「お守りです。可愛いシャルロッテに何かあってはと思うと心配で……貴方の護衛騎士たちを信用していないわけではないのですが、わたくしも姉として妹を護るために何か出来ないかと思いまして。もしも怖い思いをしたら、このお守りを握りしめて『お姉様助けて!』と叫んでください。そうしたらわたくしがそばに居なくても、このお守りが貴方を護ってくれますよ」
「まぁ」
発動の条件が面白かったのだろう。後ろで聞いていても「なんだその直喩的な発動条件は」と思って内心で少し呆れた。シャルロッテ様は可笑しそうに、そしてとても嬉しそうに笑って、贈られたお守りを握りしめた。
「ありがとう存じます、お姉様!わたくし、とても嬉しいです」
他人の妹を、ましてやあの領主夫妻の娘を好意的に見る気にはなれない。しかし、目の前に座る少女は紛れもない『妹』の顔をして目映く感じるほどの満面の笑みを浮かべた。私はローゼマインの後ろに立っているため、ローゼマインの顔は見えないが、
「……可愛いシャルロッテ、喜んでもらえてわたくしも嬉しいわ」
そう言ったローゼマインの声はあまりに深く穏やかな慈愛に満ちたものに聞こえた。こんな表現を使ってはハルトムートをとやかく言えないが。しかし、今の声は本当に去年洗礼式を挙げたばかりの私の妹の声だろうか。不意に一瞬、何故かはわからないが母上の面影を思い出した。ローゼマインと母上は血は繋がっていないはずだし、ローゼマインは母上と重ねるには余りに幼いというのに……
領主候補生の子供たちを北の離れへ送る最中、窓から侵入者が飛び込んできた。咄嗟のことに驚きながら、シュタープを剣に変えて身構える。
「手首か腕を切り落とせ!!」
そう叫んだのはハルトムートだった。振り返ると、ハルトムートは既にどこかへオルドナンツを飛ばした後で、シュタープに向かい何かブツブツと呪文のようなものを唱えている。私は顔を正面に戻し、賊の者たちと対峙した。
護衛騎士たちと強襲者たちの混戦となる。何人かがハルトムートの指示に従い、強襲者の手首や腕を切り落とす。何人かは賊を抑えつけ捕えることに成功しかけた。しかし、次々と賊の者たちが自爆したり、身体が燃え上がったりしていく。
不意に目の端に白い刀身が見えた。ハルトムートがシュタープを白い剣に変え、強襲者の一人の胸を背後から貫いていた。そしてまた呪文のようなものを唱えていく。白い剣に貫かれた者は、胸に魔力を集められているようで……崩れ落ちたその者から、ハルトムートは魔石を取り出した。後で聞いた話では、神殿の神官が行う葬儀の神事であり、生きた人間に行ったのは初めてだと笑ってハルトムートは答えた。また、最初に「手首か腕を切り落とせ」と指示をしたのも、賊の者たちが従属の指輪を付けていることに気が付いたからだと言う。神殿で灰色の売買を見てきたらしいハルトムートは、灰色が従属契約を行い指輪を付けるところを見たことがあったのだそうだ。
「お姉様、わたくし達は北の離れに急ぎましょう。あそこは結界がございます!」
「シャルロッテ、待って!危ないですっ!」
不意にシャルロッテ様とローゼマインの声が聞こえる。
声の方を振り返ると、窓から飛び込んできた者がシャルロッテ様を抱えて窓の外へ飛び出していった。
「シャルロッテ!!」
「お姉様!!助けて!!」
シャルロッテ様が大声で叫ぶ。
……すると、シャルロッテ様が身につけていたお守りが緩く光を放ち、その光が徐々に膨張していった。あれはローゼマインが宴の前にシャルロッテ様に渡していたお守りだ。その光は不思議と質量があるのか、みるみる膨れ上がるとシャルロッテ様を抱える何者かを押し退け始めた。
「うわぁぁぁ」
光と呼ぶより『白い何か』と表現した方が良いかも知れない。それは止まることなく膨張していく。ついには誘拐犯はシャルロッテ様を抱えていられなくなったのだろう、その姿が光の向こうに消え、代わりにシャルロッテ様は誘拐犯の腕を逃れる。しかし既にその位置は窓の外だ。暗い夜の中で支えを失い、小さな身体が真っ逆様に落ちていく。
「きゃぁぁぁぁぁ!!」
「シャルロッテ!!」
あまりに不可解なお守りの効力に呆然としてしまい、一部始終がゆっくりに見えていたが、実際は一瞬のことだったのかも知れない。恐らくシャルロッテ様が「お姉様!!助けて!!」と叫んだ直後には、ローゼマインは動き出していた。窓の外に向かって。私が叫んだのと、アンゲリカが駆けだしたのはほぼ同時だった。
「ローゼマイン!!」
「ローゼマイン様!!」
アンゲリカはローゼマインを追って窓の外に飛び出し、私は慌てて窓枠に駆け寄る。その後に見た光景をなんと言えば良いだろう。ローゼマインの騎獣は天蓋部分が取り払われていて、上から中が見える状態になっていた。まるで馬車の乗り込み部分を真ん中で水平に斬ったような奇妙な状態だ。見たこともない形状に私がギョッとしていると、ローゼマインはすかさずアンゲリカに指示を叫んでいた。
「アンゲリカ!シャルロッテを抱えて着地!」
「はっ!」
短すぎる指示は何を言っているのか私にはわからなかったが、アンゲリカには通じたようだ。というより、言われたことを深く考えずに実行したのだろう。アンゲリカはローゼマインの騎獣の後方の椅子部分に一度着地すると飛び上がり、空中でシャルロッテ様を見事に捕らえた。ローゼマインはアンゲリカの落下位置を予測して騎獣を走らせ、アンゲリカはシャルロッテ様を抱えたままローゼマインの騎獣の後方部分に着地する。
落下するシャルロッテ様を安全に捕まえようとしたからだろう、ローゼマインの騎獣はやや滑空するような形で高度を下げていた。そのまま下に着地するつもりのようだ。私もローゼマインを護るために騎獣を取り出し、三人の元へ駆けつけた。
「シャルロッテ!!シャルロッテ!!怪我はない?大丈夫ですか?」
「お……姉……様……」
ローゼマインは取り乱したような様子で、シャルロッテ様の頭や肩に触れ、外傷がないかを確認している。シャルロッテ様は今起こった一部始終が恐ろしく、そして混乱しているのだろう。カタカタと震え、満足に喋ることも出来ないご様子だ。
そんなシャルロッテ様を、ローゼマインは自分の胸に抱きしめた。怪我がないことを一通り確認できたのだろう、大きく腕を広げて、シャルロッテ様の頭を胸の中に抱え込むようにして抱きしめる。
女性同士、子供同士とはいえ、そのような大胆な接触に一瞬私はギョッとする。だが、それをとやかく言える状況ではないことはさすがにわかる。
「あぁわたくしの可愛いシャルロッテ!!怖かったでしょう!?可哀想に、でも貴方に怪我がなくて良かった……もう大丈夫ですよ、お姉様が居ますからね」
「お……姉……様……っ」
助けられた、ということを、言葉と感触でゆるゆると理解していったのだろう。シャルロッテ様は声を震わせていたかと思えば、堰を切ったようにローゼマインにしがみつき大声で泣き出した。
淑女が人前で泣くものではない。子供とは言え、先ほど洗礼式を終えたのだ。だが、突然恐ろしい目にあったのだ。それを助けられ安心して、姉にしがみつき泣きじゃくることを誰が咎められる?
しかし、そんなシャルロッテ様の髪や背を、ローゼマインは何度も何度も撫でていた。その姿は『姉と妹』というより、『母と娘』に近いと感じられた。私はそれを黙って見ていたが、やがてシャルロッテ様の声が小さく小さくなっていった。どうやら安堵から気を失ってしまったらしい。もしくは泣き疲れたのかも知れない。ローゼマインはアンゲリカに小声で指示を出し、アンゲリカはシャルロッテ様をローゼマインからそっと離して、ローゼマインの騎獣の後方座席に横たわらせた。
そしてどこへ行くのか、勇ましい足取りで城の方へと移動する。窓の真下に位置するそこには、首から下を白い何かに覆われている男が一人もごもごと蠢いていた。シャルロッテ様を誘拐した実行犯だ。私はハッと自分の職務を思い出し、ローゼマインがその男に近付きすぎないように間に入る。
ローゼマインは私に護られながら安全な位置で、横たわる男を見下した。その声は先ほどシャルロッテ様にかけていた母のような声ではなく、慈悲の欠片も感じられない冷徹なものだった。
「わたくしの可愛い妹を泣かせて、ただで済むと思わぬように。領主一族として洗礼式を行ったシャルロッテが悲鳴を上げたのです。領主候補生に害を及ぼすことは大罪だと、承知の上でしょうね」
「ローゼマイン様……私は、貴方の叔父で……」
男がくちごもる声にようやく私はハッとした。この男は、父上の第三夫人の兄、ジョイソターク子爵だ。
「まぁ、カルステッドお父様のご兄弟?それともエルヴィーラお母様?」
「私はっ、ローゼマリーの兄でっ、貴方はローゼマリーの娘……」
「『ローゼマインの母』の名はエルヴィーラです。この名を知らぬなら勉強不足ですね。わたくしが最も尊敬する淑女の名前で、このエーレンフェストにおける貴族の中で最も素晴らしい母親の名前です。わたくしはエルヴィーラの娘であることを誇りに思っています。その誇りに傷を付ける真似は、誰であろうと許しません」
ローゼマインが微かに怒気をはらむ声で言い切った言葉に、私は思わず驚いてローゼマインの横顔を見つめた。
確かに母上は凄い、そう思ってはいる。だが、『最も尊敬する淑女』『最も素晴らしい母親』、そう言い切れるほどには私は母上のことを認識していなかった。ローゼマインは母上の娘として洗礼式は受けたが、母上が産んだ娘というわけではない。母上と血が繋がっているのはむしろ私だ。その私以上にローゼマインが母上を想っていたという事実に面食らった。
……だから、ローゼマインからの指示にすぐに反応することが出来なかった。ハルトムート曰く、ローゼマインは今の私のような状態を『ショリオチ』と呼ぶらしい。
「コルネリウス、この者を連れて上へ。アンゲリカ、わたくしたちも戻りますよ」
「…………」
「コルネリウス」
「っ!あっ、はっ!!」
今はローゼマインは領主の養女であり私の主だ。私はローゼマインの護衛騎士であり、今は職務中だ。それを思い出して、急いで姿勢を正す。
ローゼマインに手渡された魔石を使うと、ジョイソターク子爵を捕らえていた白い光は解除された。そして私のシュタープで身柄を拘束し直し、それをぶら下げながら騎獣を駆けて窓から中へ戻る。
ローゼマインは自分の騎獣にシャルロッテ様とアンゲリカを乗せ、騎獣の天蓋部分を元に戻した。……どういう想像をすれば騎獣をそのように変形させることが可能なのだろう。
中に戻るとすぐに側近たちが駆け寄ってくる。シャルロッテ様の側近たちは当然「シャルロッテ様はご無事ですか」とローゼマインの騎獣を囲み尋ねてくる。
「ハルトムート、報告を」
ローゼマインはシャルロッテ様の側近たちを一度無視して、まずは自分の筆頭文官に指示を出した。
ローゼマインの騎獣を囲む者たちの中から、ハルトムートが一歩前へと進み出る。
「一体だけ魔石に出来ました。他は自爆、もしくは契約魔術と思しき炎で消えてしまいましたが」
「『捕らえられぬように』という契約にサインをすれば、捕らえられた時点でその者の意思に関係なく契約違反として燃えてしまいますからね。一つでも魔石を得られたのなら結構です。記憶が劣化する前に確認してもらいましょう、……ちょうど来たようですね」
ローゼマインは最後に小さな声で呟いたが、
「ローゼマイン!!シャルロッテ!ヴィルフリート!何があった!?」
階段を駆け上がり、フェルディナンド様や父上、おじい様たちが到着した。ハルトムートが最初にオルドナンツを飛ばした先はフェルディナンド様達であったのか。
「ハルトムート」
ローゼマインが名を呼んだだけで、ハルトムートは指示を理解し大人たちの前に歩み出た。
「賊に襲われ、領主候補生に怪我はありませんが、実行犯はジョイソターク子爵を除きすべて消失。一体だけ自滅前に魔石に出来ました。急ぎ記憶の確認をお願いします。魔石となった者の記憶は急速に劣化しますから。シャルロッテ様はローゼマイン様に救われた安堵から気を失っておいでです。ローゼマイン様とヴィルフリート様も心身に負荷をおいででしょう、早急に休ませてさしあげたいのですが」
「っ、わかった。側近は主を部屋に。魔石の記憶は私が確認する」
ハルトムートは嫌味なほど、優先順位が正しい報告を述べる。そしてフェルディナンド様の手に犯人の者と思われる魔石が手渡された。
私は自分の職務に戻ろうと、ローゼマインの方を振り返る。ローゼマインは騎獣の乗り込み口を開けていて、シャルロッテ様の護衛騎士がシャルロッテ様の体を抱き抱えて外に出そうとしていた。ローゼマインはシャルロッテ様の頬や髪に最後まで手を伸ばし、名残惜しそうにずっとシャルロッテ様を見つめていた。
《ハルトムート》
ローゼマイン様が『ループ』と呼ぶこの現象には難点がある。
未だ目的を達成できずに何度もやり直している時点で、難点だらけではあるのですが。厄介なのは、ヴェントゥヒーテが織る布は一枚だということだ。
例えば仮に七回目とした織地でシャルロッテの洗礼式の襲撃を事前に防いだとする。そしてシャルロッテの洗礼式の前まで織地が解かれたとする。そして八回目の織地ではジョイソターク子爵を捕らえるために敢えて襲撃を受けて罪を負わせたとする。次に織り直す際に「やはり襲撃を事前に防いだ方が良い」と考えたとする。しかし、八回目で既に上書きをされてしまっているから、『七回目の洗礼式後』にはもう戻れない。またシャルロッテの洗礼式の前まで織地を解いてもらい、七回目と同じように振る舞うほかない。
ある時、ローゼマイン様は「考えがあって、一回目のように身長が低い状態で貴族院に入りたいので、敢えて襲撃を受けます」と言いだした。私は途中からローゼマイン様の『ループ』に付き従わせていただいているので、ローゼマイン様が『一回目』と呼ぶ記憶を知らないのですが。指示の通りに動いた結果、ローゼマイン様はゲルラッハ子爵に毒を盛られてそのまま高みへ登ってしまわれた。
私がローゼマイン様と共に記憶を引き継ぎ共に『ループ』するには、ローゼマイン様に名を捧げている必要がある。しかし、私が名を捧げる前にローゼマイン様が高みへ登ることがあれば、そこで私の記憶が途切れてしまう。その可能性を考えて、何回目かの織地で私は神に願った。加護の取得の儀式をするまでに自力で全属性になれるように祈り、始まりの庭へ行き、「私の糸を永劫ローゼマイン様に名を捧げた状態にしてほしい」と。織り直す度にローゼマイン様の魔力で縛っていただくのも甘美な経験だが、懸念事項は出来るだけ排除したい。後悔など未来永劫しないことを誓い、私はこの命の糸をローゼマイン様に捧げた。
……そうしていなかったら、ローゼマイン様がうっかり高みへ登った時にこの記憶は途切れていただろう。危なかった。
織り直しが起こり、ローゼマイン様と再会すると「一歩間違えると死ぬとは思ってましたが、本当に一歩間違えてしまいましたね」と額を拭われた。気をつけてください、ローゼマイン様。『ループ』をしていて何度もやり直せるとしても、主を死なせてしまう絶望はグラマラトゥーアとて表現出来ないものでございます。
「シャルロッテの洗礼式の襲撃で毒を受けるのは、本当に一歩間違えれば死にますし、一歩間違える危険性が極めて高いので、今後は毒を受けることは回避することにいたしましょう。一方で、今回はハンディキャップを負った状態で貴族院には入りたかったのですが……まぁ、ユレーヴェには漬からなければいけないので一年弱は眠れるでしょう。あとは魔力圧縮とかでどうにかするか、もしくはダールドルフ子爵夫人を煽ってどうにか毒の加減をこちらで調整するか……」
「ローゼマイン様、お身体が丈夫ではないのですから、あまり危険なことはなさいませんよう」
「わかっております。毒を受けるとしてもフリですよ。敵の塗った毒を洗い流した上で、ハルトムートに調合してもらった毒を飲みます。わたくしが飲んでも高みへ登らない絶妙な毒を調合できるようになってください」
「それは……」
「ハルトムートはわたくしの自慢の優秀な文官ですから、出来ますね?」
名を縛られて命じられる。そのようなことをされずとも、そのような期待を口にされたら応えないわけにはいかない。……調合はするが、使われないことを祈っておこう。
「それはそうとシャルロッテの洗礼式の襲撃は敢えて受けます。当日の被害は最小限には抑えますが、事前には防ぎません」
「それはジョイソターク子爵、あわよくばゲルラッハ子爵を捕らえるためですか?」
「それもありますが……」
『何度も何度もループして、ヤサグレることが多いから、可愛いシャルロッテを愛でないとやってられない』
……と、ローゼマイン様はあの時そう仰った。あとは『ジョイソターク子爵である程度の憂さ晴らしをする』とも。『ヤサグレる』という言葉の意味は、何となく察しが付く。ローゼマイン様はこの『突然の強襲』という非常時に乗じて、シャルロッテを可愛がることが出来ただろうか。
シャルロッテは愚かなエーレンフェストの貴族の中では珍しく、恩を正しく理解し感謝を返せる人間だ。自分の命を救ったローゼマイン様に正しく尊敬の意を返し、存分に愛玩動物としてローゼマイン様を慕うと良い。
それで少しでもローゼマイン様のお心が癒されるようにと、私はこの日の夜に祈りを捧げた。
《シャルロッテ》
「はぁ…………」
今日何度目かの溜息が漏れました。いけませんね、こんなに感情を表に出しては。
でも、どうしてもあの夜のことが忘れられないのです。
一巡り前、わたくしは洗礼式を行った日の夜に浚われかけました。
それ自体、とても恐ろしいことでしたから、すぐに忘れられなくても無理はありません。
でも、わたくしが忘れられないのはその恐怖ではないのです。
『シャルロッテ!』
お姉様は、わたくしが浚われるのを見て、すぐにご自分の騎獣を出してわたくしを助けるために飛び出して来てくださいました。
『シャルロッテ!怪我はない?大丈夫ですか?』
わたくしはお姉様のお守りに護られて、お姉様とお姉様の側近によって怪我一つ無く救出されました。
『あぁ、わたくしの可愛いシャルロッテ!怖かったでしょう?可哀想に……でももう大丈夫ですよ、お姉様が居ますからね』
そう言ってお姉様はわたくしを強く抱きしめて、何度もわたくしの髪を、肩を、背を撫でてくれました。か弱いはずのお姉様の力強い腕が、柔らかな温もりが、夜の空気に混ざり薫るお姉様の髪や肌の香りが、どうしても忘れられないのです。
乳母や側仕え、お母様にも、あのように抱きしめられて、撫でてもらったことがあったでしょうか?それはとてもとても小さな時の記憶です。物心が付いた頃には、わたくしはエーレンフェストの領主候補生として相応しく在るようにと教わって育ちました。
ヴェローニカ様の機嫌を損ねないよう。
ヴェローニカ様から害されぬよう。
ヴェローニカ様に育てられたヴィルフリートお兄様に負けぬよう。
毅然と、正しく、注意深く、弱みを見せずに振る舞うように。
そう教えて育ててくれた者たちは、確かにわたくしを心配する目でわたくしを見てくれました。
お母様からも、確かな愛情は感じました。
けれど、その揺れる瞳の奥には、お兄様との比較や切なさ、エーレンフェストの未来に対する憂慮が見え隠れするのです。
わたくしだけを見て、わたくしだけの身を案じ、夜の闇の中へ飛び出してくれる人が、わたくしにはどれだけ居るかしら?
洗礼式を迎える前には特に、「洗礼式を終えてエーレンフェストの貴族、領主候補生と皆に認められてからは、振る舞いに注意しなければなりません」と何度も何度も言い聞かせられました。側仕えやお母様たちからの接触も、指先が触れるか触れないか程度のものでした。もう洗礼式前の幼い子供では居られないのですから、もう甘えてはならないのだと、わたくしも気を引き締めました。
なのにお姉様は、貴族の常識も体裁も弱みも強みも何もかもをかなぐり捨てるようにわたくしの身体を引き寄せて抱きしめてくださいました。
甘えてはいけないのに、もう幼い子供のままではいられないのに……それなのに、どうしてもあの腕が、温もりが、香りが、忘れられないのです。
後日、強襲のその後の顛末を聞き、領主一族の会食も何度かあり、お姉様と顔を合わせる機会はありました。お姉様はわたくしの無事を喜び、怖い思いを引きずってはいないかと心を砕いてくださいました。それが嬉しくて、会える“だけ”の機会があるからこそ、わたくしはモヤモヤとした落ち着かない気持ちになりました。お姉様が異性でいらしてくれたなら、エスコートくらいはしていただけたのでしょうか?お姉様の腕をじっと見つめ、またあの夜のように抱きしめてもらえないかなどと、甘えた考えに支配されてしまいます。
どうすれば、もっとお姉様の傍に居られるのでしょう?
「……お姉様、わたくし、とても優秀なお姉様を尊敬しております」
「まぁ!嬉しいですわ、シャルロッテ」
わたくしは領主一族での夕食会で、意を決してお姉様にお願いしてみることにいたしました。
「どうすればわたくしもお姉様のように優秀になれるのか……少しでもお姉様に近づきたくて……普段お姉様がどのように過ごされているのか学びたいと思います。もしお邪魔でなければ、神殿へ見学に行ってもよろしいですか?」
ガタッとお兄様が動揺を見せ、お母様もボニファティウス様も微かに腕を強ばらせたのがわかりました。お母様もボニファティウス様も、口では何も仰ってきませんが……
「シャルロッテ!其方、ローゼマインの生活を学びに神殿へ行くというのか!?悪いことは言わぬ、今はまだやめておけ」
お兄様はあまりに露骨な仰り様でわたくしの提案を退けようとなさいます。そのような言い方は、実際に神殿で生活をしているお姉様に失礼です。
「わたくしが神殿に行くことが問題ですか?ご自分が忌避する状況に、お姉様が今現在身を置いていらっしゃることを、お兄様はどう考えていらっしゃるのですか?」
「そうではない、神殿がどうのではなく……」
「ふふ、ヴィルフリート兄様は一度痛い目を見ているから、シャルロッテに自分と同じ思いをさせたくないと思われたのでしょうね。シャルロッテ、ヴィルフリート兄様の言葉は貴女を思う純粋な兄心ですよ、そのように睨まないであげてくださいませ」
ご自分の状況を貶められたのに、お姉様は可笑しそうに笑いながらわたくしたちに微笑みを向けてくださいます。本当にお姉様は聖女のようにお優しいですわ。
「一度痛い目を……とは?」
「そうですわね、ヴィルフリート兄様の名誉のために、内緒にしておきましょうか。可愛い妹に見栄を張りたい気持ちはわたくしも痛いほどわかりますもの。ご自分の格好悪い話を、可愛い妹には知られたくありませんものね」
お姉様はそう言ってわたくしを見つめてニコリと微笑みました。「わたくしもシャルロッテには、『尊敬する格好良いお姉様』の面しか見せたくありませんもの」と。それが可笑しくてわたくしは「まぁ」と笑ってしまいましたが、お姉様に格好悪い面なんてあるのでしょうか?今もこうして快く話題を逸らし、お兄様の何やら格好悪いという話を流してしまわれて、お兄様に貸しを作ることに成功しています。お姉様はとてもスマートでお優しいですわ。
しばらくの間、わたくしとお姉様が微笑み合い、その後、わたくしが結局神殿行きを許してもらえるのか話を戻そうとした時に、
「あー、ごほん」
と、お父様がわざとらしく咳払いをして話の流れを繋ぎました。
「その、シャルロッテ。神殿に行くことを止めはしない。ローゼマインの邪魔にならぬのなら、その、ローゼマインの許可があれば、止める理由はない。ただし、ローゼマインを目指しているようだが、今はまだローゼマインと自分を比較するな。自信を無くすぞ」
「はい、お姉様が素晴らしく優秀だということは重々存じ上げております。いきなり、洗礼式を終えたばかりのわたくしが自分と比較するなど、烏滸がましいことはいたしませんわ。少しでもお姉様に近付きたくて、お姉様のことをもっと知りたいと考えているだけなのですから」
「大きな目標も一歩ずつ進めば成長に繋がりますよ。大きな目標、などと自分で言うつもりはありませんけれど。成長を望む者に、わたくしは手を貸します。可愛いシャルロッテなら、いつ来てくれても構いませんよ。こうして事前にお伺いをたててくださるのですから。シャルロッテは優しくて優秀ですね」
「ゴホン、ゴホンッ」
優しくて優秀なのはお姉様こそですが……
それにしても、お父様は事前にお伺いも立てずに神殿に押し掛けることもあったのでしょうね。お父様の分も、過去に何やらあったらしいお兄様の分も、なんだかお姉様に申し訳ない気持ちになりました。
当日には、ただ見学するだけではなく、お姉様のお仕事を少しでもお手伝いして、領主一族の名誉を挽回したいと思います。
そうして迎えた当日、わたくしは約束通り三の鐘が鳴ってから神殿へと向かいました。神殿の前では灰色神官がわたくしたちを待っておりました。
「お待ちしておりました、シャルロッテ様。神殿長より、案内を申し遣っております、フランと申します」
「よろしくお願いします、フラン」
「神殿長より、神殿長室にお通しするよう言われております、こちらへどうぞ」
フランの先導により、わたくしはお姉様の待つ神殿長室に案内されました。神殿の中はとても美しく清められていて、空気まで神聖なものに思えました。
神殿長室の前でフランが中に居る灰色神官と小さなベルでやりとりを行い、神殿長室の扉が開かれます。
「シャルロッテ、ようこそ。会えて嬉しく思います」
お姉様は笑顔を綻ばせてわたくしたちを迎えてくれました。まるでエフロレルーメの祝福を受けて大輪の可憐な花が蕾を開かせたような笑顔です。
「本来ならすぐにお茶を淹れておもてなしするのですけれど、シャルロッテは成長を望み、わたくしの普段の生活を知りたいと言うのですから……早速で悪いのですけれど、執務を少し手伝ってくださいますか?いつも三の鐘から四の鐘までは執務を行うのです。それが終わったら、一緒にお昼をいただきましょう?一緒に食事をしてくれる家族が居ると思うと嬉しくて、その分お仕事を頑張れますわ!」
コロコロと表情を変えて笑うお姉様は、お城に居る時よりも気安い雰囲気で、とてもリラックスしているのがわかりました。お姉様がそうして無邪気に笑っていると、とてもお可愛らしく思います。お姉様に対してお可愛らしいなんて、失礼かもしれませんから、口には出さず、心の中で思うだけですが。
「えぇ、もちろんですわ、お姉様」
「では、この木札の計算をお願いします。ここからここまでの総和を計算して、ここに書いていってください。残りの九枚も同じ書式ですから、同じように。途中式はこちらの石版を使って良いですよ。速く解こうとしなくて良いですから、その分、間違えないようにだけ気をつけて。これは問題集の問題ではなく、実際のお仕事の決算書です。確かめ算もして、側近の文官にも確認してもらい、間違いがないことが確認できたら持ってきてください。計算は数をこなしていけば、数字と数字の組み合わせを見ただけでパッと答えが浮かぶようになります。スピードはいずれ上がりますから、最初は正確な回答を覚えていけるように、そして正確な計算に慣れることから意識して取り組んでください」
「かしこまりました」
わたくしは案内された席に座り、言われたとおりに木札に向き合います。
側近の文官たちがオロオロとし、「そのようなことはわたくしどもが」と口を挟みかけましたが、お姉様は顔を上げてキッと強く睨むようにわたくしの側近たちを見つめました。お優しくてお可愛らしい先程までの微笑みが嘘のようです。
「シャルロッテが貴族院に行けば、座学で計算くらいするのですよ。アウブとなればこのような決算書は年に何枚も目にします。アウブを補佐する立場になっても同様です。いずれシャルロッテに必要になる能力なのですから、成長の機会を奪わないでくださいませ」
なんて素晴らしいのでしょう、お姉様。お優しいだけではなく、甘やかすことはせずに、真にわたくしの成長に手を貸してくださっているのです。
「お姉様の言うとおりです。わたくしは少しでもお姉様に近付けるように、学ぶために今日はこちらにお邪魔させていただいているのです。これはわたくしのためでもありますし、お手伝いくらいしなければ」
そう言って、やる気を出して木札に向かいましたが……
すぐにわたくしは、お父様やお兄様の仰られた事を理解しました。
わたくしが十枚の木札を片づける間に、お姉様は何倍ものスピードで山のように積まれていた木札を片付けていくのです。もちろん、内容は計算だけではないのでしょう。時折難しい顔で木札の文面に目を走らせ、ご自分でも何かを書き付け、灰色神官たちや側近の文官たちに渡していきます。灰色神官やお姉様の側近たちの動きもとても素早くテキパキとしていました。
『今はスピードを気にしなくてもいい』と言われましたが……お姉様とわたくしの間にはまだまだ大きな距離があることを見せつけられ、流石にショックを受けました。
「それは当然ですよ、シャルロッテ」
四の鐘が鳴り、わたくしはお姉様と二人で昼食をいただきます。
お姉様の専属の調理人はとても腕が良いようで、お城の料理よりも美味しく感じました。頭が疲れている分、更に美味しく感じるのでしょうか?けれど、疲れているのは頭だけではありません。心もぐったりと疲れてしまって、わたくしが素直に先程の時間の感想を述べると、お姉様は困ったように微笑みました。
「むしろわたくしの得意分野でくらい、差を見せつけさせてくださいませ。他のことではシャルロッテの方が優秀なのですから」
え??お姉様よりわたくしが優秀、と言われて、わたくしは何度も目を瞬かせてしまいました。お姉様よりわたくしが優秀なところなど、あるのでしょうか?
「わたくしは神殿で育ちました。誤差も丸めこんで計算すれば、洗礼式までの七年間、神殿でずっとこのような暮らしをしていたのですよ。その代わり、貴族社会のことは何もわかりません。洗礼式を受ける少し前から実家に引き取られて、そこで必死に貴族としての振る舞いを学んだのです。今は領主一族として恥ずかしくないよう振る舞うので精一杯なのですよ。社交の経験も少ないですし、何度か練習しましたが、慣れないことをするせいでお茶会が終わったらすぐに倒れて寝込んでしまうくらいなのですよ」
まぁ、なんということでしょう、お姉様は身体が弱いとは聞いてましたが、お茶会をするだけで寝込んでしまうなんて……
それに、そのようなご自分の弱点をこのように話してしまわれて良いのでしょうか?わたくしは、「ヴェローニカ様に攻撃の機会を与えないように、他の貴族たちにも隙を見せないように、弱点を見せてはなりません」と教わってきたのですけれど……
「あ、わたくしのお茶会も、今日のことも、お姉様の負担になっているのでは……」
「それはありません。シャルロッテは可愛いですから、むしろ目の前にいてくれるだけでわたくしは癒されますよ」
キッパリと言い切るお姉様に、わたくしは顔が熱くなるのを感じました。
「わたくしが言いたいのは、シャルロッテにはシャルロッテが今まで頑張ってきたことがちゃんと身についているはずです、ということです。わたくしは神殿で頑張ってきたから、神殿の仕事に慣れているだけなのです。シャルロッテは領主一族として生きてきて、七年間のその経験がちゃんと身についているはずです。シャルロッテは頑張り屋さんで、嫌なことから逃げ出したりしません。周りの人たちの期待を受け止めて、それに応えようとする優しい子です。誰かと比較して自信を無くしたりしなくて良いのですよ。貴女は、とっても素敵な女の子で、わたくしの自慢の妹です」
……あぁ、どうしましょう。顔に熱が集まって、目が潤み始めました。どうしましょう、貴族の女性は、人前で泣いてはいけないと言われているのに……
「あ……ありがとう存じます……お姉様……あの……どうしてこんなに良くしてくださるのですか?わたくしたち、何処かでお会いしましたか?どうしてわたくしのことをそこまで理解してくださって、こんなに大事にしてくださるのでしょう?」
わたくしは声を震わせながらも、何とかハンカチを取り出して目元を隠しました。そして気を逸らせるためにも、本日どうしても聞きたかったことを尋ねてみます。どうして会った時間も少ないわたくしのために、お守りを作ってくれたり、夜の空へ飛び出して追ってきてくださったり、こんなに欲しい言葉をかけてくださったりするのでしょう。
「あぁ、少ししか会っていないのに、知ったような口をききましたね、ごめんなさいね」
「いえっ!そんなことはっ」
「『頑張り屋さんで、嫌なことから逃げ出したりしない』というのは、ヴィルフリート兄様との比較です。夕食の席では言いませんでしたが、当時のヴィルフリート兄様は勉強から逃げ続け、わたくしとの入れ替わり生活では椅子に縛り付けられていたのですよ?」
「え?」
お姉様は少し意地悪っぽく笑い、当時のことを教えてくださいました。
当時のお兄様は勉強から逃げ続け、お兄様に言わせれば『毎日側近たちに追い回され、嫌な勉強を無理矢理強要され、食事の席でも父上と話す内容もなく、城に閉じこめられ、窮屈な生活を余儀なくされていた』のだそうです。そこにお姉様が養女としてやってきて、毎日勉強もせずに神殿を行き来し、食事の席でもお父様に事業の報告などをしていましたから、『ローゼマインはズルい!』と怒られてしまったのだそうです。……何もズルくありません、お兄様……
『では一日お互いの生活を交換しましょうか?』とお姉様が提案し、結果的にお兄様は神殿に来て、じっと椅子に座っていることも出来ずに、椅子に縛り付けられて、叔父様に側近共々とても怒られたのだそうです。
「シャルロッテは椅子に縛り付けなくても鐘一つ分もお勉強が出来ていました。それも、ヴィルフリート兄様が当時覚えたのは木札一枚分の祝詞です。シャルロッテは木札十枚も片付けられたのですから、とても優秀ですよ」
そんなお兄様と比べられても、出来て当然という気持ちですけれど。場の空気を暖めたいのでしょう、お姉様が冗談めかした話し方をしているので、わたくしも微笑んでおきました。
「あぁそれと、『周りの人たちの期待を受け止めて、それに応えようとする優しい子』というのは、そういうところです」
「え?」
「シャルロッテはよく周囲を見ていて、言わなくても良いことは言わず、人の期待に応えることを自然とこなしています」
……これも、『周囲に攻撃の機会を与えないようによく注意すること』と教わってきたためで、貴族であれば感情を表に出さないものですから当然と思うのですけれど……お姉様に気付かれているようでは、わたくしもまだまだです。
「当然ではありませんよ、現にわたくしは感情を秘めることは苦手でした。ですが、商人とやりとりをしていたことで、人を見る目は確かですから」
「……短時間で、わたくしを理解してくださって、評価してくださったのは、お姉様の鋭い洞察力のなせることだとわかりました。……ですが、それだけでわたくしをここまで大事にしてくださることが、わたくしにはどうしても不思議で……」
わたくしはそう言いながら、先日いただいたお守りを撫でました。一度使ってしまっても、お姉様が魔力を込めればまた使えるようになるらしく、わたくしの手首にはまたお姉様の魔力で満たされたお守りがあります。また何かあっても、またお姉様が守ってくださるでしょう。
でも、このお守りをお姉様がわたくしにくださったのは、会って二回目のことでした。一度しか会ったことのないわたくしに、どうしてお守りをくださるのでしょうか?
領主の養女だからと言って、実子のわたくしにそのようなことをする必要はありません。現にお兄様には、このようなお守りは渡していらっしゃらないようでしたし。
「……その理由を話すとなると、込み入った話になりますが……」
そう言ってお姉様はチラリと壁の方に視線を向けました。そこには隠し部屋の扉があります。
「シャルロッテと隠し部屋で二人きりになっても良いかしら?」
「「ローゼマイン様!?」」
わたくしの護衛騎士だけでなく、お姉様の護衛騎士たちも戸惑いの声を上げました。
護衛騎士も付けずに二人きりなんて、わたくしがお姉様を害さないか、お姉様がわたくしを害さないか心配なのでしょう。
「こう言ってはなんですが、二人きりになって、シャルロッテにもしものことがあれば、真っ先にわたくしが疑われます。それを避けるために、わたくしは何があってもシャルロッテを守るでしょうね。そうでなくてもシャルロッテのことはわたくしが必ず守りますが。シャルロッテについても同じです」
「……その理由を逆手に取り、自作自演で傷を負い、相手に罪を着せることも可能です」
言い淀む護衛騎士たちを、わたくしはキッと強く睨みました。
「お姉様がわたくしを害するわけありません!あの夜にわたくしを助けてくださったのはお姉様です!」
あの時、どんな理由があれ、わたくしを追って来られなかった護衛騎士たちが、悔しそうにぐっと言葉を飲み込みました。
続いてわたくしはお姉様の護衛騎士たちを見つめました。
「わたくしがお姉様を害さないと信用していただける実績はまだありません。けれど、光の女神が眷属、秩序の女神ゲヴォルトヌーンに誓います、わたくしがお姉様を害することは決してありません」
「いざとなればシャルロッテにはわたくしのお守りがあります。わたくしにも風の盾があります」
「…………」
「これはシャルロッテを守るためですよ。本来なら盗聴防止の魔術具を使えば良いですが、唇を読める者も居ますから、護衛騎士たちには後ろを向いていてもらいます。そうすると危機にすぐに気付けずに初動が遅れるのです。それならば隠し部屋の方が安全なのですよ。隠し部屋に護衛騎士を同行させたとしても、背を向けさせれば危険は同じです」
「…………五の鐘までには出ていらしてください」
長く話し込んでいたせいで、もう随分時間が経っていたようです。
残りの食事を下げ渡し、護衛騎士たちの許可を得て、わたくしはお姉様の隠し部屋へと入れてもらいました。
側仕えたちはお茶の準備を整えると、逡巡するような足取りで隠し部屋から出て行きました。最後の一人が部屋から出ていき、わたくしたち二人きりになると……
ふわっ
と、まるで花びらに包み込まれるような感触がして、
ぎゅっ
とそのまま、お姉様に後ろから抱きしめられてしまいました。
「おっ、お姉様!?」
側仕えが居なくなり二人きりになった途端にお姉様が大胆な行動をとったことで、直前まで護衛騎士と口論していた「害する」「害さない」という話が頭をよぎります。けれどその話題はすぐにわたくしの頭の中を通り過ぎていきました。それよりも、再びお姉様に抱きしめられた歓喜で胸がドキドキとして、それどころでは居られなくなりました。
頭の中は混乱し、まともに思考も出来なくなります。胸の奥で鼓動が早鐘を打ち、頬に熱が集まってまいります。有頂天、という表現に近い状態だったかもしれません。
わたくしは混乱から、思わず身を捩るようにしてお姉様を振り返ります。心は「もっとこのままでいたい」と願っていたことでしょうに。けれど、わたくしの感情とは裏腹に、お姉様は何処か痛々しい表情で、眉を寄せてぎゅっと瞳を閉じていらっしゃいました。
「お姉様……?」
お姉様は、どうしてそのような悲しそうな表情をなさっているのでしょうか?
恐る恐る訊ねるように声をかけると、お姉様は最後にぎゅっと力を込めてわたくしを抱きしめた後、その腕を解いて身体を離しました。
「ごめんなさい、驚かせてしまいましたね。監視の目がなくなったと思ったら、つい気が抜けてしまって……」
どういうことか、この時のわたくしには理解できませんでしたが。お姉様はもう一度謝りながら、わたくしに椅子を勧めて、毒味のためにお茶とお菓子に口を付けました。お茶会が再会されるのなら、わたくしもいつまでも立っているわけにもまいりません。促されるままに席に付き、正面に座るお姉様をじっと見つめます。優雅にカップを置いたお姉様は、もういつものお姉様に戻ってしまわれています。……いえ、それでもまだどこか、元気がないようにも見えました。
「……場所を変えただけで、お茶会は続いていますから、早速『理由』を話すべきかしら」
護衛騎士たちとの約束で、時間も限られていますからね……と、お姉様は話し始めました。お姉様が言葉を用意するような静かな時間が僅かに流れ、わたくしも聞く姿勢を整えます。お姉様は、その可憐な唇をそっと開きました。
「わたくしは、家族が大好きでした。エルヴィーラお母様とカルステッドお父様は、本当の親のように、わたくしを本当の子のように愛し、接してくれました。リンクベルク家の家族には、とても感謝していますし、わたくしも愛しています。けれど、洗礼式を終えるとすぐにわたくしは領主一族と養子縁組を行いました。公的な場では、エルヴィーラをお母様と呼ぶことも出来ません」
敢えて一度にそこまで話してしまわれたお姉様には、思惑があったのでしょう。僅かな数点の違和感を、話の流れであっという間に流してしまうようにと。だからこそ、わたくしは違和感を感じ、その違和感こそがお姉様の秘めた叫びと感じて、必死にその違和感を繋ぎ止めて、思考を巡らせました。
わたくしの側近たちも、お姉様については情報を集めて調べ上げています。お姉様は血筋の上ではカルステッドの第三夫人の娘であり、神殿に隠されて、そして第一夫人であるエルヴィーラの娘として洗礼式を行ったのだと……
ですが、それなら本来『本当の親子ではない』のはエルヴィーラだけです。カルステッドは実の父親であるはずです。なのにお姉様は今『エルヴィーラお母様とカルステッドお父様は』と二人を並べて『本当の親のように、わたくしを本当の子のように愛し、接してくれました』と言いました。横着した話し方と言えなくもありませんが、わたくしにはどうにもこれが引っかかりました。
一連の流れからは、単に『リンクベルク家から引き離されて養子縁組したことが寂しい』と言っているようにも聞こえますが、恐らく、決してそれだけではないのでしょう。
『家族が大好きだった』という言葉……お姉様が神殿から引き取られてから、お父様と養子縁組するまでは、あまり期間が長くなかったと聞いています。その短い間で確かな親子の愛情を感じることも不可能ではないのでしょうけれど、『家族が大好きだった』と、あれ程声に力を込めて話すには違和感を感じます。お姉様の言葉は、長い時間を思わせるような声でした。
お姉様は神殿で隠されて育った……青色神官や騎士の中には、お姉様を平民の身喰いと思っていた者もいたほどだったと……けれど七年も神殿で暮らしていたなら、お姉様ご自身でその誤解を解くことも出来たはず。そうならなかったのは、お姉様自身も、洗礼式の直前までご自分の出自を知らなかった……?そう思うと辻褄は合います。
『家族が大好きだった』……お姉様は、ご自分がカルステッドの娘であることを知らないまま、他の誰かを家族のように思っていた……もしくは、家族のようにお姉様を慈しみ育んだ誰かがいた……それを奪われ、今は引き離されている……?
「養父様も養母様も、わたくしを大事に扱ってくださいます。けれど、お二人にとって、わたくしは『子』ではありません。……襲撃の翌日、わたくしはお二人から感謝の言葉を賜りました。……わたくしが知る『親』ならば、我が子があんな危険なことをしたら、無事を喜んでくれると同時に、酷く叱りつけたでしょうね。『もうあんな危険なことはしないで』と」
お姉様の言葉に、わたくしはハッと口を覆いました。確かにわたくしはお母様から、「無事で良かった」と言われました。けれどお母様はお姉様には感謝の言葉を述べただけで、その無事を喜ぶ言葉をかけていらっしゃいませんでした。お父様も同様です。最上の感謝の気持ちを態度で示されましたが、もしもわたくしを救うために飛び出したのがお兄様だったとしたら、お父様はお兄様の前で膝を折ったりしたでしょうか?
「ヴィルフリート兄様は、今でこそわたくしを『か弱い妹』として気にかけてくださいますが……第一印象が悪かったのです。わたくしの洗礼式で、わたくしの腕を引いてわたくしを引きずり昏倒させたのですから。……その苦手意識がまだ残っているため、わたくしはどうにもヴィルフリート兄様を『兄』だと思えません。……わたくしの知る『姉』は、妹を絶対に守ろうとし、無茶は絶対許さないような者でしたから。兄自らが妹を害するなんて、わたくしには考えられなかったのです」
お姉様はわたくしから視線を逸らし、どこか遠くを懐かしむように見つめました。いつしか独り言のようなトーンで話される言葉は、まるで穏やかな音楽のように流れて聞こえてきましたが。それでもやはり注意深く聞けば違和感を覚えます。
リンクベルク家にはお姉様以外の子供は男児しか居らず、お姉様には『姉』は居ないはずなのです。『わたくしが知る【姉】という存在は』という語り口調は、何処かで姉妹の姿を遠目に見ていただけかもしれませんが。お姉様はどこで『妹を想う姉』を知ったのですか?
わたくしがお姉様の思惑を探ろうと、じっとお姉様の横顔を見つめていると。不意にお姉様が私の方へ視線を戻し、月色のその瞳がわたくしの瞳を射抜きました。思わずドキリとして、息が止まるかと思うほど驚きます。わたくしが密かに自分の胸を抑えていると、お姉様はついこの間のことを懐かしむようにして、カップを再び手に取りました。
「そんな中、貴女がわたくしの前に現れたのです」
「わたくし……ですか?」
「えぇ。先程も申し上げた通り、わたくしは商人との付き合いも長く、人を見る目は確かです。媚びた嘘の瞳か、純粋な感情を湛えた瞳かは、見ればわかります。……幼い小さい貴女は、綺麗な青い瞳を輝かせて、わたくしを『お姉様』と呼んでくれました。あの時のわたくしには……今のわたくしには、それだけで十分だったのです」
そう言ってお姉様は口を付けることなくカップを置き、再びわたくしの瞳を見つめました。その眼差しには、慈愛と……それと、名状し難い切なさ、愛しさ、寂しさが感じられるように思えました。わたくしは胸が締め付けられるように苦しくなり、胸元にあてた手をぎゅぅっと握りしめました。
家族が大好きだったと言うお姉様……こんなにも愛情深いお姉様が「大好きだった」と言う【家族】とは如何程のものでしょう?そして「それだけで十分だった」と言ってわたくしに微笑むお姉様は、もう誰からも【家族の愛情】を与えられてはいないのですね?
家族から引き離され、領主の養女となったお姉様……
お姉様はきっと、それを望んでいたわけではないのでしょう。
お姉様を家族と思わない者たちの中で、家族と思えない者たちの中で、ただ家族を求めていたお姉様……
お父様がお姉様から奪った分まで、
お母様がお姉様を寂しがらせた分まで、
お兄様がお姉様を傷付けた分まで、
ごめんなさい、ごめんなさい、お姉様……
「先程も申し上げた通り、わたくしの知る『姉』は、妹を絶対に守ろうとしていました。だからわたくしも貴女の姉として、貴女を絶対に守ると、初めて会ったあの瞬間に決めたのですよ」
お姉様に申し訳なく思う気持ちでいっぱいで、わたくしは酷い罪人になったかのように惨めな気持ちになりました。けれどそれと同じくらい、お姉様が愛おしくて、嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいになります。今はわたくしが、お姉様にとってたった一人の家族なのだと……そう思うと、喜びと罪の意識が綯い交ぜになり、思考も感情も纏まらず、ぐちゃぐちゃとぐるぐるとわたくしの中を巡り、とても息が苦しくなりました。下を向いていたら涙がこぼれてしまいそうですが、顔を上げることも出来ません。
「シャルロッテ?大丈夫ですか?感情が暴れるなら、この魔石に魔力を……」
お姉様は席を立ち、わたくしのそばに駆け寄って空の魔石を手渡してくださいました。わたくしは、そんなお姉様の手を両手で包み込むようにして強く握りしめます。お姉様の手を取らなければ、わたくしはその場に形を保っていられないとさえ思ったのです。救いを求めるような気持ちで、それと同時に、そうしなければ此処に居て良い資格がないと思えて、どうしようもなかったのです。
「お姉様……お約束します。わたくしはこの先何があっても、お姉様の味方で、お姉様の妹です。何があっても……絶対に、シャルロッテは、ローゼマインの妹です」
わたくしは涙を零さぬように気を張りながら、お姉様の瞳をまっすぐに見つめて誓いました。秩序の女神ゲヴォルトヌーンに、この世界を作り給いし神々に、わたくしの命に賭けて誓います。
仮にこの先、お父様がお姉様との養子縁組を解消することがあろうとも。仮にわたくしが廃嫡になることがあろうとも。敵対する領地に渡ることがあろうとも。わたくしの思いは永遠にお姉様の妹で居続けようと、お姉様の味方で在り続けると、わたくしも今この瞬間に決めました。
お姉様もまた、泣きそうな表情で瞳を潤ませ、けれど慈しむように微笑んで
「ありがとう、シャルロッテ」
そう言ってわたくしの頭を腕の中に抱え込むようにして抱きしめてくださいました。
あぁ、あの夜を思い出します。
か弱いはずのお姉様の腕は力強くわたくしを抱きしめて。ドレス越しに柔らかな温もりを感じます。お姉様の夜空のような髪を美しくするリンシャンの香りに紛れて、お姉様の肌の香りを感じます。
わたくしは、幸福なこの腕の中から逃れることを苦しく思うようになりました。
ずっとずっと此処に居たい……お姉様が大好きなのです、と。
《ローゼマイン》
…………っはーーーー癒されたーーー
シャルロッテ可愛い!マジ癒し!
トゥーリは大天使だけどシャルロッテも天使!
何度目かの織地でむしゃくしゃして、シャルロッテの洗礼式の強襲のどさくさに紛れてシャルロッテをわしゃわしゃよしゃよしゃしたら、何故かシャルロッテから懐かれて、神殿にまで来てくれるようになったんだよね。
そこからちょっと調子に乗って、今日みたいにお涙頂戴な同情を引いたり、少しずつ試しにスキンシップのレベルを上げていったけど。そのせいで私たちに何か困ったことが起こったことは特にないから、私はどんどん調子に乗ることにした。その結果、シャルロッテが他の血縁の誰を差し置いても私の味方をしてくれるようになった。私たちにとっては特に何も痛手はないし、好都合なくらいだから、シャルロッテの洗礼式前まで織地を解く時にはいつもコレをやることにしている。
シャルロッテに、本当の家族を切り捨てさせることは申し訳ないけど。エーレンフェストの領主一族と私が露骨な対立をしなければ、特にシャルロッテにそこまで酷な選択をさせることもないし、別に良いよね?私がシャルロッテの優先度一位になることくらい。
私は貴族になってトゥーリたちを奪われたんだもん。
私が『家族』からシャルロッテを貰っても、文句は無いよね?
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