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⑧ λ枚目の織地 - 2

全体公開 1 19524文字
2026-06-07 21:48:54

最後の一つ手前の織地/三人ほど染めましょう

Posted by @KouSyuuka

《ハルトムート》

孤児院長室の机に肘を付き、ローゼマイン様は物憂げに窓の外を眺めておられた。その小さな蕾のような唇から不意に溜息が漏れる。見目の幼さにそぐわぬ大人びた表情と仕草は、何度時戻りを繰り返しても慣れぬものだ。

……ハルトムート……どうやらわたくしは、まだ『ヤミオチ』はしていなかったようです」

そうしてポツリと独り言のように呟く言葉に私の名が混ぜられる。何でもないことを呟く際にもこうして話しかけて共有していただけることは、何度も時戻りを共にする者の特権ですね。

「『ヤミオチ』とは、どういう意味なのですか?」

私は冷めたお茶を淹れ直し、ローゼマイン様に尋ねた。
今日はフランは初めて祈念式に赴くシャルロッテの補佐として直轄地を回っている。そのためフランの代わりにローゼマイン様にお茶を差し上げる栄誉を賜っている。
ローゼマイン様はカップを手に取り、その水面をじっと見つめた。

「そうですね……慈悲の泉が枯れ果てて、カーオサイファの化身のような状態になってしまうことでしょうか。多分、ゲオルギーネはヤミオチしてます」
「それはそれは……確かに、ローゼマイン様にはまだ遠い境地、もしくは辿り付くことが困難な状態ではないのでしょうか?しかし、今のご説明ですと、『ヤミオチ』はあまり良い状態ではないように感じられましたが、ローゼマイン様はどうしてそのように残念そうなお顔をなさるのでしょうか」
……今までの失敗を踏まえて『じゃあ次はコレが最善手かな』と思う案を考えました。けれどそれを実行するにはさすがにわたくしの良心が痛むのです。それで、まだわたくしにも痛む良心が残っていたのかと思うと同時に、それを煩わしく思ったのです。最善手だと思うならばそれを試さないわけには参りません。どうせやるのならば、良心の呵責などに煩わされたくないなと……自分自身の心を面倒に思っただけです」

そう言ってローゼマイン様は再び「ふぅ」と溜息を吐かれた。

「なるほど、それはまさに聖女であり女神の化身であらせられるローゼマイン様にしかわからぬ苦悩ですね。せめて側近として、私に何か肩代わりできることはありませんか?」
…………

私がそう申し上げると、ローゼマイン様は黙ったまま私に向けて掌を差し出した。私はその手に盗聴防止の魔術具の片方を乗せ、もう片方を握りしめる。ローゼマイン様もそれを握りしめ机の上に手を戻され、そして視線を前に向けて話し始めた。

「今まで頑張ってもどうしても無理が生じるのは、わたくしがこの田舎領地であるエーレンフェストの、それもアウブの養女でしかなく、虚弱なちんちくりんだからです。流行も上から流す方がいいように、王族に働きかけるなら影響力の強い上位領地がした方がずっとずっとスムーズにいくでしょう?由緒正しき大領地の、真っ当で丈夫な領主候補生に、手伝ってもらうべきだと思うのです」
「ですがそれは」

以前にも上位領地に庇護を求め、共に国の在り方を正そうとしたことはある。けれど、それらの策はアプローチを幾度か変えても結局のところは上手くいかなかった。一人二人信用できる者が居たとしても、『領地』は一枚岩ではない。複数の領地の欲望が複雑に絡み合い畳みかけてくれば、更に忌まわしいことになった。ローゼマイン様も「共犯者の数と犯行の成功率は『ハンピレイ』する」と仰られたではありませんか。協力者は厳選すべきだと。

「頼み方は考えなくてはいけませんね。……それと、今までと違うのは、一枚の織地でどうにかしようと考えていないことです。わたくしが貴族院に行ってからでは既に何もかもが遅いのです。ですから、上位領地の領主候補生にこの『やり直し』の事情も打ち明け、こちらに引き込み、記憶を持たせて、そして必要な分だけ時間を戻して、早いうちから大領地から改革を進めてもらうのです」

頼ったからと言ってその者たちが本当にうまく立ち回ってくれるかは賭けですが……と、ローゼマイン様は苦く笑った。

「やり直しの事情を話し、織り直しに協力させるとは……私のような協力者にするということですか?」
「ハルトムートとは少し異なります。ハルトムートはわたくしの手足です。他の貴族はわたくしの一部と考えられるほど信頼出来ません。裏切りを考慮に入れれば、動きを完全には予測できませんし。感覚としては、わたくしの『タスク』の一部を放り投げてみて、上手く処理できるかどうか試してみるくらいの気持ちです。わたくしが貴族院に入る前から上位領地の方々の方でカリキュラムの改正や神殿改革の試みくらいは進めておいてほしいですね」

そう言ってからローゼマイン様はカップを傾けて喉を潤すと、お茶を入れ替えるように私に命じた。

「ですが、記憶を持たせて共にやりなおしてもらうとなると、織り直す際にわたくしの色に染まっていてもらわなければならないでしょう?領主候補生に名を捧げてもらうわけには参りませんから、同調薬と液状化魔力を飲んでもらうことになりますが……この国の常識的には、他人の魔力に染められるということはそういうことを連想するのでしょう?だとすると、わたくしの色に染めるというのは、まるで嫌がる灰色巫女に無理矢理花を捧げさせるようで……なんとも気が進みませんね、と……気が重くなっただけです」

神々にとって今のユルゲンシュミットは屑糸の集まりで、目に留まるのはローゼマイン様の美しい糸だけ。フェルディナンド様の糸も目立つようですが、フェルディナンド様に負荷をおわせることを厭われたローゼマイン様が、フェルディナンド様には記憶を引き継がせないよう神々に頼んでいる。

「しかも『フェルディナンド様に幸せになっていただきたいのでわたくしの色に染まってください』など言うのは、あまりに酷い話だと思いませんか?とんだ悪女ではないですか」
「フェルディナンド様のことは伝えずに、あくまで『エーレンフェストをそっとしておくこと』を条件として述べればよろしいかと。それと、確かに名捧げ以外で魔力を染めるとなると、言葉は破廉恥に聞こえるかもしれませんが、よくよく考えればローゼマイン様はこのユルゲンシュミットで最も尊いお方なのですから。そのような方の魔力に染められるなど、名誉なことではありませんか」

私はそうお答えしながらお茶を淹れ直し、ローゼマイン様の前に差し出した。
現に私は命の糸ごとローゼマイン様に未来永劫名を捧げた状態にしていただいているため、こうして共に時を戻る記憶を共有させていただいているのですが。もしも名捧げでなく魔力で染めると言われても、これを厭う気持ちは起きない。

……クラリッサの前で言わない方がいいですよ」
「そうですね、クラリッサも染めてほしいと騒ぐでしょうから」
…………

ローゼマイン様は何故か私に胡乱気な視線を向けた後、ようやく手にしたカップからお茶を飲んでくださった。今の視線はどういう意味でしょうか?

「はぁ……それと、どこまで戻すかによりますが、ハルトムートも今までよりずっと『ハードモード』になりますよ。幼すぎると、知識があろうと、出来ることは限られますからね」
「留意いたします。それで、どなたを引き込むのです?」
「アドルフィーネ様か、レスティラウト様か……どちらがいいと思いますか?」
「二人とも……いえ、その二人に協力していただけるなら、最終的には三人ほど染めましょう」
「え……どなたです?」
「ツェント・トラオクヴァールです」

あの愚かな一族の者に尊いローゼマイン様の魔力を与えるなど業腹だが。ツェントの剣を自負するダンケルフェルガーの領主候補生レスティラウト、そして第一王子の第一夫人となるアドルフィーネ、この二人を引き込めればツェントを懐柔することはさほど難しい話ではなくなる。どの道ラオブルートは消さなければならないのだから。信用していた騎士団長を排し、その上で王子の一人や二人や三人消して心を折って孤立させてから我々で表面上優しく囲い込めば、トルークを使わずとも操ることは容易いだろう。元々あの老いぼれはローゼマイン様がグルトリスハイトを見せればこちらの命に従う態度は何度も見せているのだし。現時点で既に心が折れている無能なツェントに期待などしませんが、カリキュラムだけでも早々に変えさせられれば上々だろう。もしも私も全属性のシュタープが得られるようになれば、ローゼマイン様のために出来ることも増えるのだから。
……そう思ったのですが、何故かローゼマイン様は顔色を青く染めてしまわれた。まさか今更王族への不敬など気にしませんよね?

……確かに、今更足掻いても色々なことが手遅れなのです……もしもツェント・トラオクヴァールに記憶と知識を持たせて、政変の前まで遡らせることが出来たら……色々なことが変わります……でも、わたくしたちが生まれる前まで戻したことはありませんでした……最悪、胎児の頃にこの記憶や意識があったら……『ジゴク』でしょうね……お腹の中では意識を飛ばせないか……始まりの庭で神々にも相談してみないと……
「それは……

そこまで遡らせることは考えていなかった。あくまで影響力の話をしていたのですが……ですが確かに慈悲深いローゼマイン様なら、あの大粛正を止められるなら止めたいだろう。何せあの粛正では図書館司書も数多く処刑されたのだから。
しかし、確かに……胎児か……私はローゼマイン様のためならどんなことでも耐えてみせるが、血を好まぬローゼマイン様が季節二つも胎内に閉じこめられることに耐えられるのだろうか。せめて生まれ落ちるまでは、出来れば物心付く歳になるまでは意識を持たせぬように、神々に頼んでいただかなければ……




《ローゼマイン》

圧縮を頑張って、身長が低いままで貴族院に入る。貴族院の全生徒を入れても私が一番身長が低い。でもこれで良い。一方でハルトムートには『一回目』の時のように貴族院で聖女伝説を吹聴してもらっておいた。こうしておけば、貴族院に入学した時に「あれが聖女?」と、私の背丈は悪い意味でも印象付くだろう。それでいい。カードマジックと同じ。皆さん、最初に引いたカードを覚えておいてくださいね?
あとは一年生の一週目でシュタープを取りに行く時に、はじまりの庭で身長を伸ばしてもらう。大きくなりすぎないように、不自然にならないように、頭一つ分くらい!と必死にお願いした。アーンヴァックスから恐る恐るといったような祝福が降ってくる。良い感じに、ハンネローレより少し高いくらいには成長出来た。あとは神の意志をさっさと取り込んで、レッサーくんで急いで戻る。急成長じゃなくても服がマズいことにはなってるから、マントで身体を隠してすぐに寮に戻った。
私の急成長に誰も彼もがビックリする。こんなことが出来るのは、神様くらいしか居ませんよ?

アドルフィーネとレスティラウトをお茶会に招いて、時戻りの事情を説明して協力してもらえるように頼む。普通に話しても荒唐無稽でとてもすぐには信じてもらえないだろうけど、こんな急成長をさせられるのは神の力以外に説明が付きませんよね?私のこの急成長が、神が実在する証拠です。と言って、まずはそこから信じてもらわないと。
ハルトムートには一年の頃から成績フルスロットルで臨むように言ってあった。それで同学年のアドルフィーネにライバル認定されるように、と。
クラリッサも前回で名を捧げてもらってるから、記憶を引き継いでる。クラリッサとレスティラウトが入学したら、ハルトムートとクラリッサには逢瀬を重ねてもらう。そして「ハルトムート様があれほど敬愛する主とは一体どんな素晴らしい人なのでしょう」とレスティラウトのそばでぼやいてもらう。
そして満を持して私が入学して、ハルトムートから「主を紹介させてください」とお茶会の依頼をしてもらう。上級貴族のハルトムートが領主候補生にお茶会の打診を出すのは難しいから、名前だけは私の連盟で。なんなら「わたくしの側近が騒がしくてすいません」と詫びる感じでもいい。騒いで良いってゴーサイン出してたのは私だけどね。
何度もやり直しをする中で色んな物を捨ててきた。私の平穏だとか羞恥心だとか、そんなものは真っ先に捨てられるものだ。もうなりふりなんて構っていられない。





「今日はお二人にとても重要なお話をお伝えしたいと思っております。情報量が重いので、五回に分けて、間に休憩をはさみますね。飲み込めたら仰ってください。続きを話しますから」

お茶会当日となり、盗聴防止の魔術具を使って側近たちには後ろを向いてもらうように頼んだ。そして毒味を済ませて、さっそく1ラウンド目に突入する。最初にトピックの数を告げておくのは、言葉を途中で遮られないための布石だ。最初に目次を提示しないと、序盤で怒鳴り返されて最後まで聞いてもらえない可能性がある。全体像のうち、今どの辺を喋ってるかを示すのは大事。まだ続きがあると思えば、逆接が入る可能性も考えて反論が出にくくなるし。さりげなく話の主導権を握るためにも、大事な前置きだ。

「神の意思を拾いに行く際、下級貴族は手前で引き返していきましたよね?お二人は中級貴族、上級貴族よりも奥に進まれたと思いますけれど、ご自分の神の意思を見つけたらそこで引き返してしまわれた……その更に奥には、何があったと思いますか?」

二人が目を見開く。自分たちの神の意思を拾った場所より、更に奥のことなんて考えたこともなかっただろう。
いきなりぶっとんだ話をするより、導入は聞き手の身近な話題から入った方が興味を持ってもらいやすい。プレゼンやピッチの基本だ。掴みはオッケーかな?

「奥へ進むと螺旋階段があり、その上に上がると白い部屋に出ます。わたくしたちはそこを『始まりの庭』と呼んでいます。部屋の中央には白い大木がありますが、それは元神のエアヴェルミーン様です。条件を満たすと人の姿となって会話が可能となりますが。あ、言っておきますが、何かの物の例えではなく、言葉通りの意味です。講堂の奥にエアヴェルミーン様がいらっしゃって、エアヴェルミーン様を仲介して様々な神々に声が届きます。わたくしはアーンヴァックス様に身体の成長をお願いし、このような姿になりました。『神が実在する』、わたくしのこの変化がその証拠です。まずはそれを飲み込んで、以降の話を聞いてください」

そこまで言って、1ラウンド目終了。私はクピッとお茶を一口いただく。うん、二人は見事に処理落ちしてる。テンカウント数えようかな?

「っ……俄には信じられぬが、確かに其方のその成長は人間がどうこう出来るものとは到底思えぬ……続きを話せ」

あ、そこそこで回復しましたね。さすが大領地の領主候補生。肝が据わってる。

「では一度目の休憩終了です。話を続けます。ドレッファングーア様が時の糸を紡ぎ、ヴェントゥヒーテ様がその糸で歴史を織ります。あと四年くらいでこの国は魔力が枯渇して砂になります。それは困るということでヴェントゥヒーテ様は織地を解いてやりなおしをさせています。ただし単に解くだけなら同じことが何度も起こるだけです。なので、目立つ糸に記憶を持たせた上でやりなおしを命じています。わたくしは全属性で魔力量も多いから目立つのですって。もう数えるのも嫌になったくらいやりなおしているんですよ」

はい。これが2ラウンド目。相変わらず二人は処理落ちしてる。あと四年で世界が終わるなんて、頭をトンカチで殴られたくらいの衝撃かな。私はカトルカールとクッキーに手を伸ばす。口の中の水分が取られるからいっぱい喋る時にはあまり食べたくないけど、お茶ばかり飲んでるとおトイレに行きたくなるもんね。お腹の中で水分を吸収してくれる物を食べておかないと。

……で?」

レスティラウトが拳を震わせながら何かに耐えるように先を促す。まだまだ続きがあるんだから、ここで撃沈するわけにはいかないって自分に言い聞かせているようだ。ダンケルフェルガーの男としての矜持かな?流石、流石。

「上手くいかない理由は、わたくしがたかだかエーレンフェスト、元下位の田舎領地の、しがないアウブの養女でしかなく、虚弱な身体のちんちくりんだからだと思い至ったのです。国を正しい在り方に直すなど、わたくしには荷が重すぎて、一歩間違える度に不敬罪で処刑、です。ですから、影響力もある上位領地の由緒正しき大領地のれっきとした領主候補生であるお二人にご協力いただきたいのです」

一言一言区切るように、ゆっくりと意味を理解させるように喋り、再びクピリとお茶を飲む。今のが3ラウンド目。

……何故、わたくしたちなのですか?一位のクラッセンブルクや……
「何度も織り直す中で、個人として信頼できる方と思えたのがレスティラウト様とアドルフィーネ様だったからです。我欲に駆られる方は目先の欲に走り短絡的になりがちです。お二人は自領に対する責任感や愛着がおありで先々を見通せますし、可愛い弟妹がいらっしゃいますでしょう?」

これは予定していたトピック外の話だけど、質疑応答は適宜受け付けるつもりでは居たから答えておく。

……領主候補生ならば自分たちの領地を考える事は当然だろう。それに、弟妹が居ることに何の意味がある」
「いいえ、レスティラウト様。国よりも愛する女性のことしか考えない王子や、自分個人の平穏のために他者を平気で犠牲にする領主候補生、自領を護ることより自己顕示欲を優先する領主候補生、如何に楽に利を得るかばかりに躍起になる者……そんな方々の方が多いのです。……『今ここに居るわたくしにも、今すぐここで国を亡ぼせるだけの力があるのですよ』、と伝えても、ご理解いただけない方々ばかりでした」
「「っ!?」」
「領地を大切に想う気持ちと、可愛い弟妹がいるお二人には、わたくしが申し上げた意味と脅威が正しくご理解いただけますでしょう?」

私がその気になれば、一秒後にはダンケルフェルガーもドレヴァンヒェルもハンネローレもオルトヴィーンも消失する。二人にとって、それは何としても阻止したいはずだ。

「其方……っ」
「そんな怖い顔で睨まないでくださいませ。わたくしは国を安定させたいのです。積極的に砂に変えたいわけではありません。救うために協力してほしいと申し上げているのですよ?わたくしを脅威と思って退治しても国が砂になってやり直しが起こるだけです。ここでやり直しを起こして今わたくしから聞いたすべてを忘れてわたくしからの期待を失うのと、すべてを知るわたくしに協力しご自分の意志で抗うチャンスを得るのと、どちらがお二人にとって利があるか……聡いお二人には、少し考えればわかることですわね?」
「っ…………
……協力……とは、具体的にわたくしたちに何を望むのですか?」

はい、それが4ラウンド目のお話です。

「今の国の在り方はかなり歪です。グルトリスハイトを失ったことだけを申し上げているのではなく、長い年月を掛けて国の在り方が歪められてきているのです。それを正しい在り方に直すことを神々は望んでいます。ですが、今から動いても色々と手遅れなのです。ですから、出来ればお二人にはわたくしと共にこの織地での記憶を引き継いで、次のやり直しに協力していただきたいと思います。もちろんご協力いただけるなら、今まででわたくしが得た知識を共有します。お二人にも必ず利を配ります」

ここまで来たら私は二人の合図を待たずに5ラウンド目に突入した。

「お二人の選択肢は三つ。一つはわたくしに協力出来ないと答え、今日のお話を聞かなかったことにすること。二つ目は記憶を引継いで次回のやり直しに協力すると誓うこと。三つ目は、記憶の引継ややりなおしまでは付き合えないけど、この織地では協力すると誓うこと。ちなみに、記憶を引き継ぐにはわたくしの魔力を帯びた糸になってもらう必要がございます。領主候補生のお二人に名を捧げてもらうわけには参りませんから、織り直しの頃合いに同調薬とわたくしの液状化魔力を飲んでいただきます。無理強いは、いたしません」

そこまで言うと今度こそ二人は処理落ちした。私の頭の中ではカンカンカンカーンと試合終了のゴングが鳴る。まぁ、まだあとちょっとあるんだけどね。
私はカップのお茶を飲み干してから、ハルトムートを呼んだ。盗聴防止の魔術具の外にいて壁を向いていても、名に命じればハルトムートには伝わる。

「情報量が多かったと思いますので、今日ここで結論を出さなくても構いません。ゆっくり持ち帰って考えてください。この後盗聴防止の魔術具を解除したら、『本日のおみやげに、先ほどお話ししたお守りをお預けします』と言って、こちらの魔術具を渡します。わたくしの魔力が込められています。持ち帰って隠し部屋で保管してください。協力できない場合は、『解析が終わったので借りていたお守りを返す』などの言葉と共にこのお守りを返してください。この織地でのみ協力する場合は『ノートを1冊貸してほしい』と伝えてください。次の織地でもご協力いただけるなら『ノートを2冊』と」
「『ノート』?」
「白紙の紙を綴った本ですが、このお守りと接触させることでインクが光って文字を読むことが出来るようになります。あ、消えるインクのことも他言無用でお願いしますね。隠し部屋で一人でこっそり読んでください」
……そのような重要な話を、口約束だけでいいのですか?契約魔術などで縛らなくても?」
「もしもこの話をお二人が広めて、わたくしに困ることが起きれば、またわたくしは遙か高みへ上り国が砂になってやり直しとなるだけですわ」

あぁその場合は、私は記憶を引き継いでますので、もうお二人に頼ることはないでしょうけど、と。そう言って笑ってみせると、二人の顔色が白くなる。
そしてレスティラウトは一度額を抑えて項垂れると、頭を振って呻くように呟いた。

……其方は、何度やり直しているのだ」
……申し上げましたよね?数えるのも嫌になるほどだと。途中から数えるのをやめました」
……では、其方はどれだけ生きた記憶がある?一度の織り直しは何年ほどだ」
「それこそ覚えていませんよ。一年だけ戻してもらう時もあれば、八年ほど戻してもらうこともありましたし、やりなおして半日で高みに上った時もあれば、国が砂になるまで生きられたこともあります。まぁ、途中で高みに上った回数の方が多いですが」

そう答えると二人して目を丸くしてこっちを凝視してきた。え?何?なんか変なこと言った?

……高みに……聞くが、毎回『砂になる前に間に合わなかった』というわけではないのか?」
「申し上げたではないですか、わたくしは田舎領地の虚弱な養女だと。虚弱で勝手に死んだこともあれば、派閥争いで殺されたこともありますし、不敬罪で処刑されたことも、不穏分子として暗殺されたこともあります」

だから権力も経歴も身体的にもつよつよの二人にお願いしてるんです!と、半ば自棄になって直接的な言葉で訴えた。『高みに上る』とかいちいち言ってられないよ。死んだり殺されたり消されたりしたんだよ。そう言うと、またレスティラウトが怖い顔を一瞬見せて額を抑えて項垂れた。けれど数秒するとガバッと顔を上げて私のことを睨みつけてくる。何?メンチ切られてる?威圧返すよ?

「其方のような身体の弱い年下の女性が何度も殺される目に遭ってなお立ち向かうというのに、私がおめおめと『今日の話は聞かなかったことにする』などと言って逃げるわけがなかろう!」
「あ、ご協力いただけるのですね、ありがとう存じます。でもそのお答えは後日別途でよろしかったのですよ?この場でそのようなことを仰ると、アドルフィーネ様が断りづらくなってしまいますでしょう?」
……いえ、ローゼマイン様、わたくしも断るという選択肢はありませんでした。やりなおしをするか否かで悩んでいただけです。ですが、今からでは何が手遅れなのか、それを聞かないと判断が出来ません。ノートをまずは一冊、お貸しいただけますか?もしくは、二冊読んでから判断してもよろしいですか?」
「あ、ありがとう存じます。えぇ、構いませんよ。では、お守りとノートが接触するとインクが光ってしまうので、今日はお守りだけお持ち帰りください。後日ノートをお届けします。それも情報量が多いので、飲み込めたらお茶会という名の作戦会議に誘ってくださいませ」

そこまで言うと、口の中が乾いて限界を感じた。

「ハルトムート」

私が名を呼んだだけで、ハルトムートは意図を理解してくれる。最後にお茶を入れ直してから、「僭越ながらここからは私が代わりに」と一言断って二人に事情を話してくれる。

「重要な話は口頭の方が良いのでしょうが、何せ『喋る』ということにも体力を使います。我が主は繊細でいらっしゃいますので、本日これだけ長くお話になっただけでも体力は既に限界です。『やり直し』の詳しい説明などを本にまとめたのもそのためです。上位領地のお二人に対し礼を欠くとは存じますが、何卒ご理解をお願いします」

座って長々と喋っただけで体力の限界を迎えるという私の虚弱っぷりに、二人は今日何度目かの処理落ちをした。




《レスティラウト》

ローゼマインの側近が件の『ノート』を持ってきた。
言われたとおりに隠し部屋に持ち込み、先日渡されたお守りを接触させる。すると本の中身が光りだした。これは魔紙で、紙を綴じている糸もローゼマインの魔力で染めているのか?……自分の魔力を込めた物を他人に、しかも異性に渡すということがどういうことかわかっているのか。……わかっていないのだろうな。わかっていても気にしていないのか。まぁアドルフィーネ様も同じ物をもらっているのだから、深い意味はないのだろう。やれやれと溜息を吐き、私は表紙を捲った。

『第一章!正しいグルトリスハイトの取得方法!』

1ページ目の1行目に書かれた文字を読み、思わずバタンッと本を閉じた。数拍置いて、嫌な汗がぶわっと噴き出してくる。
ローゼマイン!!なんという情報を寄越してくるんだ!!王族が血眼で探し、これによって政変や大粛正が起こったのだぞ!!


……ゆっくりと息を吸い、息を吐く。
落ち着け、だからローゼマインは何度も殺されてきたのだろう。だから今回は私たちに助けを求めてきたのだ。ローゼマインごときが抱える悩みを、私が抱えられずどうする。
気持ちを落ち着けて、ゆっくりと再び本を開いた。
慎重に、慎重に続きを読み進める。

『1.まず洗礼式のメダル登録や加護の取得の儀式で、自分に欠けた属性を把握しましょう』
『2.貴族院と呼ばれている地は、かつては聖地と呼ばれていました。聖地には眷属神を祀った祠が点在します。自分に欠けた属性の眷属神の祠を巡って魔力を奉納し祈りを捧げましょう』
『3.加護の取得の儀式を行います。全属性になるまで2~3を繰り返しましょう。※祠を巡るのが難しかったらお守りを作って魔力を奉納し祈りを捧げても良いですが、多分祠を巡るのが一番効率的です』

待て待て待て、全属性になるまで??後天的に属性が増やせるのか!?

『※ダンケルフェルガーの生徒でたまに生来の属性以外のご加護を得る人が居ますが、それは真剣に神に祈ったか、ディッター前の儀式を真剣に行ったからです。ディッター前の儀式も神事で、神に魔力と祈りを捧げています』

ダンケルフェルガーの貴族は確かに時折ご加護を多く取得する者が居ると聞いていたが……そういうことだったのか……
納得し、視線を次の行に移す。

『4.全属性になってからシュタープを得ます』

ここまで読んで膝から力が抜けて倒れそうになった。
なんとか持ちこたえるが……くっ、そうか、ローゼマインが『色々手遅れ』と言っていたのはこういうことか……
本の文字を読み進めると、追い打ちとばかりに

『※一年でシュタープを得る今のカリキュラムはダメダメです!詰んでます!』

と書かれている。
……時戻りに付き合うとしたら、我々がこのカリキュラムを変えるために動かなければならないのか?

『5.全属性のシュタープを得たら大神の祠を巡って魔力を奉納して祈りを捧げます。属性が欠けたシュタープだと大神の祠に入れません』
『6.祠で魔力を奉納すると石版が出来上がっていきます。一度では無理かもしれないので何度も奉納しに行きましょう。石版が出来上がったらそこに書かれた呪文を読みます。呪文を読んだら石版がシュタープに取り込まれます。七つの石版を集めましょう。※外から見ると大神の祠は六つですが、土の女神の祠は命の神の祠の中に隠されているので七つちゃんとありますよ、大丈夫です』
『7.石版を取り込むと空に魔法陣が見えるようになります。石版を取り込んでない人には見えません。これはエアヴェルミーン様を人の姿にするための魔法陣です。魔法陣を起動させたら準備完了』

待て、ここまでが準備なのか?

『8.エアヴェルミーン様の元へ向かい、エアヴェルミーン様からメスティオノーラの英知を授かりましょう。「グルトリスハイト」と唱えるとシュタープがメスティオノーラの書に変形して使えるようになります。※「グルトリスハイト」は「ランツェ」や「ゲッティルト」のような呪文です。魔術具の類ではありません。誤解してるの恥ずかしいですね!』

何故わざわざ煽る。相当腹を立てているのか??
いやしかし、よくよく見ると魔法陣の起動方法や、エアヴェルミーンの元へ向かう方法が書かれていないぞ?この段階になったら自ずとわかることなのか?

『1~8を行えば王族でなくてもメスティオノーラの書を得ることが出来ます。その中からツェントに一番相応しい人がツェントになります。一番優秀な人がアウブになるのと同じですね』

確かに領主候補生の中から優秀な者がアウブとなるが、アウブもある程度は世襲制だぞ?
ページをめくると『第二章!どうしてここまで国の在り方が歪められたか?』と書かれていた。今更だが王族批判だ。嫌な汗が背筋を伝う。

『神に祈りを捧げ魔力を奉納すれば誰でもメスティオノーラの書を得ることが出来ていました。しかしある時を境に、自分たちの一族でメスティオノーラの書を独占しようと考えた者たちが現れました。それが今の王族の祖先です。王族というより盗賊ですね。諸悪の根元で戦犯です』

それが本当なら怒りは最もだが、今の王族の権力を考えれば目眩がする王族批判だ。待て、これは酷い史実に対する目眩か?ローゼマインの不敬に対する目眩か?どちらにせよ気分が悪くなってきた……

『王族の祖先はメスティオノーラの書に近付く者たちを抹殺しはじめ、段々他の一族はそれを恐れて聖地から遠ざかり、また王族も報復を恐れて聖地から遠ざかりました。やがて聖地で神事が行われることもなくなり、人々が神殿から遠ざかりだしました。礎は神殿の図書室にあるのに、遠くからの魔力供給ではほとんど礎に届かず、これでは魔力も枯渇します。というわけで国の礎は今……

いやいやいやいや待て!???今サラッと凄いことが書かれて……礎が神殿の図書室に!!??物凄い重要な情報をサラッと書くな!!!
読み進めるとそこかしこにローゼマインの怒りが滲む表現で、どのように王族が愚かな間違いをしていたのかが記されていた。ページを読むごとに口を押さえて天井を仰ぐ。
確かにこの歴史は酷い……そしてこれを急に正そうとすれば、確かに王族に消されるだろう……
これは我々だけで歴史を正すのは難しいのではないか?
そんな弱気な思いが頭をよぎった次の瞬間、そこにローゼマインの考えが記されていた。

『やりなおしにお付き合いいただけるならわたくしがどのような作戦を考えてるのか、もう書いてしまいますね。それを読んでやりなおすかどうか決めてください』
『まずお二人でツェントに近付いてもらいます。ツェントにもわたくしの色に染まってもらって記憶を持って政変前まで戻って色々やり直してもらいましょう』

私は思わず拳で机を叩いた。
ツェントを染める!!??何を考えている!!!?

『アドルフィーネ様はジギスヴァルト王子と星を結んでください。大丈夫です、星を結んだらすぐジギスヴァルト王子を消します』

何を言っている!!!???何が大丈夫なのだ!!!?

『何度も無事にやってるのでアシはつきません、ご心配なく』

何が無事なのだ!?そういうことを言っているのでは……は??何度も王子を暗殺しているのか!??ローゼマインが王族に消されるのではなく、ローゼマインが王族を消しているのか!???誰が田舎領地の虚弱なちんちくりんだ??!

『第一王子の穴を埋めるように執務をしてください。ジギスヴァルト王子よりアドルフィーネ様の方がとても優秀なので王族からすぐに信頼されますよ』

そう言うことを言っているのではない上に不敬が過ぎる!!

『中央騎士団の騎士団長はランツェナーヴェの現王に真の忠誠を誓っています』

待て!!!は?…………は???

『王族を陥れようとしている現場を押さえて中央騎士団を洗いましょう。ツェントの守りが手薄になるので、ここでツェントの剣の出番ですね』

……こんな登場の仕方は嫌だ……
あと、我々ダンケルフェルガーを『ツェントの剣』と呼ぶのなら、「王子を消す」という発言を私に読ませるな!!これを聞かされて私はどうすれば良いのだ!!!??

『ざっくりいうとこんな感じでお二人にはツェントの信頼を得てほしいです。その上でわたくしから聞いた織り直しの話をして、ツェントをこちら側に引き込みましょう。詳しい作戦や、要注意人物についての詳細は二冊目に記載しています』

…………読みたくない……
読まなければ立つ瀬がないのはわかっているが……





……ところで、時々挟まる『!』という記号は一体どういう意味だ?





結局、一睡も出来なかった。
ローゼマインから渡された【ノート】の内容は、とても一度に詰め込む情報量ではなく、感情に釣られて魔力も落ち着かぬ。頭の中で様々な思惑がグルグルと巡る。
重い頭を押さえながら、それでも鐘が鳴れば起きて講義に向かわねばならない。ダンケルフェルガーの領主候補生として、情けない姿を見せるわけにはいかぬ。しかし表情や姿勢は取り繕えても、どうしても頭の中は【ノート】のことでいっぱいになる。
……ローゼマインに会う前に、一度アドルフィーネ様と話をしておきたい。今の自分と同じ状況にあるはずのアドルフィーネ様は、今どのようにお考えなのかと。
しかし、私がアドルフィーネ様にお茶会の申し出をするのは不自然だ。同じ学年であれば講義中の休憩の合間に話も出来ただろうが、私とアドルフィーネ様では学年が異なる。下級生同士ならまだしも、我々の年頃で異性をお茶会に誘うのは下手な邪推を呼ぶ。ましてやアドルフィーネ様は王子と婚約しているお方だ。……まだどちらの王子に嫁ぐか決まっていないとはいえ。
どうしたものかと考えていると、おずおずとハンネローレが話しかけてきた。

「あ、あの、お兄様……実はその、講義でオルトヴィーン様から、『是非レスティラウト様とゲヴィンネンを』と……『兄妹でお茶会をいたしませんか』とお誘いいただいて……

そう来たかアドルフィーネ様……
オルトヴィーン様を使って、ハンネローレもダシに使われた。この二人になら妙な邪推を立てられても良いと?
一年生同士、講義の合間にハンネローレを誘ったオルトヴィーン様が周囲にどのように捉えられるか考えなかったのか?
ローゼマインは確か私とアドルフィーネ様を『可愛い弟妹が居るから』と、オルトヴィーン様とハンネローレを人質に取るかのような物言いをしていたが。アドルフィーネ様にとって本当にオルトヴィーン様は『可愛い弟』なのか??
色々と言いたいことも浮かぶし、ハンネローレの外聞を考えれば複雑な思いもするが。折角きっかけをいただけたのだ。ローゼマインに会う前にアドルフィーネ様と話しておきたいと私も考えていたことは確かであるため、この申し出に応じる他ない。

「そうだな、其方は今年入学で貴族院も初めてだ。初めての貴族院での社交ならば私が同席出来た方が良いだろう。上位領地の女性領主候補生の見本として、アドルフィーネ様から多くを学ぶように」
「はっ、はい!ありがとう存じます、お兄様!」

緊張しきった様子で、しかしハンネローレは確かにそう応えて、両手をぎゅっと力強く握りしめた。対外的に妙な邪推などされぬように、あくまで私とオルトヴィーン様、ハンネローレとアドルフィーネ様が交流を謀る場であると周囲に印象づけるように話しておく。





……しかし当日になると、アドルフィーネ様の話術によりあっという間にハンネローレたちと机を引き離された。
てっきり姉に餌として使われたのかと思いきや、オルトヴィーン様は随分とハンネローレに友好的な笑顔を見せて話を振っている。いや、ドレヴァンヒェルの人間の社交はこんなものだったか?意図が掴めぬ。てっきりアドルフィーネ様がローゼマインのことで話があるのかと思ってきたが、本当にオルトヴィーン様とハンネローレを縁付かせる意図があったのだとしたら……
あぁ、睡眠不足のせいだろうか、思考が散漫になる。アドルフィーネ様に話をしたかったことは確かだが、ハンネローレとオルトヴィーン様の席が気になる。

「レスティラウト様は、ローゼマイン様からお借りした本をもうお読みになりまして?」

しかし、アドルフィーネ様のその一言にハッとした。
振り向けばアドルフィーネ様は随分と落ち着いたご様子で、優雅にお茶を飲みカップを置いた。

「とても興味深い解釈で、わたくし、思わず一気に読んでしまいましたわ。ローゼマイン様は神殿で育ち、神殿長も務めていらっしゃるそうで。神話に対する考察が深くていらっしゃいますわね。守護の女神のシュツェーリアはそれでもゲドゥルリーヒをエーヴィリーベから護りきれず、一方でエーヴィリーベの氷はフリュートレーネの水には押し流されてしまう……この力の差を、レスティラウト様はどう思われましたか?」

周囲の者に【ノート】の内容を悟られないようにする暗号か?アドルフィーネ様は何を私に伝えたいのだ?いや、この探るような瞳は……私の何を試したいのだ?

「わたくしは、『留まろうとする力は、奪おうとする力より弱いのではないか』と考えました。……ディッターにお強いダンケルフェルガーのレスティラウト様にこのようなことを申し上げるのは、神殿長に聖典を説くようなものかしら。ディッターは宝を護ることも奪うことも同時にしなければなりませんものね」
「いえ、……

私もまた、アドルフィーネ様の意図を探ろうと瞳の奥を見つめ返す。するとアドルフィーネ様は私から視線を逸らし、私を通り越した何処かを見つめた。その視線の先を辿るようにして振り返ると、オルトヴィーン様とハンネローレのいるテーブルに我々の視線が向かった。
……二人を人質に取られている我々は、エーヴィリーベからゲドゥルリーヒを護る冬のシュツェーリア、フリュートレーネからゲドゥルリーヒを護る春のエーヴィリーベだ。あぁそうか、私の動揺も焦燥も躊躇いもこのためか。『ローゼマインやアドルフィーネ様が戦うと言うのなら、私が逃げるわけにはいかぬ』と、その程度の答えしか返せぬのなら、私の戦いの意志はあまりに弱い。
視線を戻せば、しかしアドルフィーネ様は再び優雅にカップを傾けていらした。我々の不利を説いておきながら、私と違い、その顔色には焦燥の色は見えない。既に余裕すら感じさせる様子を見てとって、私は彼女がとっくに覚悟を決めていることを悟った。つまり、彼女には『奪う』意志があるのだ。

……アドルフィーネ様の、奪いたいもの(ゲドゥルリーヒ)とはなんですか?」
……わたくしの故郷(ゲドゥルリーヒ)はドレヴァンヒェルです」
「そうではなくっ」

睡眠不足が祟ってか、いつもより気が短くなっていることを自覚した。思わず苛立つ声を上げたことにハッとして口を噤む。
するとアドルフィーネ様は静かにカップを置くと、後ろに控える側仕えに目配せをした。

「やはり、もう少し詳細に感想を語り合いたいですわね。でも、エーレンフェストは本を流行として広めたいらしく、いつかあの本を読む者たちもいるかもしれません。結末を話してしまっては楽しみも半減しますものね。こちらを使わせていただいてもよろしいですか?確かそちらの文官も、『あの本』を読んで知っているのでしたね?」

アドルフィーネ様の側仕えが範囲指定型の盗聴防止の魔術具を取り出し、そしてアドルフィーネ様は私の後ろに控えるクラリッサに目配せをする。私とアドルフィーネ様の二人だけで盗聴防止の魔術具を使うのは外聞が良くない。クラリッサが既にローゼマインの協力者であることは二冊目の【ノート】に書かれていた。

……クラリッサ、席に着き、共に話せ」
「かしこまりました、レスティラウト様。それでは、失礼いたします、アドルフィーネ様」

クラリッサが席に着き、盗聴防止の魔術具を起動させる。それ以外の者たちが範囲の外に出たことを確認すると、スッとアドルフィーネ様の纏う空気が変わった。

「政変が起こり、地図からベルケシュトックの名が消えました。それまでは、『知の領地』の称号はベルケシュトックのもの、ドレヴァンヒェルは『第二のベルケシュトック』などと呼ばれていたのですよ。今でこそドレヴァンヒェルが『知の領地』と呼ばれていますが……要は不戦勝、ドレヴァンヒェルは永遠にベルケシュトックに勝ち逃げを許したのです」

佇まいは静かなままだが、その声からは僅かな怒りが感じられる。

「わたくしは、王族(命の神の眷属)になるよりも、アウブ・ドレヴァンヒェルになりたい(ゲドゥルリーヒの手を取りたい)のです。わたくしに宛てたローゼマイン様の【ノート】には、わたくしの望みも書かれていました。幾重もの織地の中で、わたくしが言ったのでしょうね。その上で、『協力してくれるなら次の織地でアドルフィーネ様の望みが叶うように協力する』と書かれていました。……もしも、もしも政変を止め、ベルケシュトックを地図に残し、その上でローゼマイン様の協力を得て、『わたくしが率いるドレヴァンヒェル』がベルケシュトックに勝り、真の『知の領地』の称号を戴けたら……どんなに素晴らしい気持ちがするかしら」

最後には恍惚としたような微笑みを浮かべ、アドルフィーネ様は再びカップを傾けた。唇を潤し、そして一度伏せた瞳を開き、琥珀色の強い視線が私を射抜く。

「情報がまだ完全ではなかったあの場では、あのように迷いを見せた回答をしましたが。わたくしは元よりローゼマイン様に協力し『やり直す』つもりでいました。けれど、情報を精査すれば思っていた以上に敵が多く強大でしたので……レスティラウト様のお気持ちを確認しておきたかったのです。奪いたいものがなければ前には進めません」

『引けない』という理由だけでは足手纏いになる。盗聴防止の魔術具の中とはいえ、三位のドレヴァンヒェルの立場では二位のダンケルフェルガーにそのような不躾な言葉はハッキリとは口に出来まい。しかし、咎めるような強い琥珀色の瞳には、戦いに赴く兵の志気を問う指揮官と同じ鋭さがあった。

「わたくしのゲドゥルリーヒは、ドレヴァンヒェルです。レスティラウト様、貴方の前に進む理由(ゲドゥルリーヒ)はなんですか?」
…………私は……

私が、奪いたいと思うほどに欲したものは…………




《ローゼマイン》

……という内容のお手紙が、アドルフィーネ様から届きましたが」
「アドルフィーネ様は流石、戦(や)る気満々ですね、頼もしい限りです」
「レスティラウト様については如何なさいますか?」
「船頭多くして船山に上る……指揮官が多くても連携は空中分解します。皆が皆、行きたい方向に向かったら、収拾がつかなくなるので。レスティラウト様は『後に引けない』くらいの根強さで協力して下さるだけで強力だと思うのですけど」
「ダンケルフェルガーの『行動力ある善意』は裏目に出る事ばかりですし色々と面倒ですしね」
「でも、そうですね、確かにハンネローレ様を人質に取って嫌々付き合わせるだけでは、それもそれで足並みが揃わなくなるかもしれませんし、レスティラウト様にも、やる気を出せるニンジンがあった方がいいかもしれません」
「それならローデリヒを育てて『シュボルト』をダンケルフェルガーに売りましょう」
「えぇぇぇ…………うーーん……

売るために育てるって、本当にドナドナじゃん。目的のためなら多少の犠牲には目を瞑るけど、ローデリヒを育てるのもそれはそれで労力を使う。文才を育てるには色んな条件を揃えて環境を整える必要がある。今度はローデリヒのニンジンが必要になるという話だ。
文才は周囲の影響を受けすぎる。そう上手く『シュボルト先生』が育つかは、変動費に計上するにも微妙すぎると思うんだよね。
『一回目』と条件を揃えるとしても、『私が無類の本好きであると周知しておく』『白の塔事件などでローデリヒを追いつめておいた上でそれを救って私に忠誠を誓わせる』『恩返しとして物語を書かせるように誘導する』必要がある。私が本好きだと周知させるには副産物のトラブルも多いし結構時間を取られる。白の塔の事件とかも意図的に誘導しておいてそれを助けるっていうのも神経を使うし、『今回』の織地ではその辺を回避して進めてしまってるから、今から手を回すのも難しい。ただ単に物語を書くように誘導しても良いけど、それでどれだけモチベーションが保つかわからない。そこまでの時間と神経と労力をかけてローデリヒを育てると考えると、他のことに時間も神経も使いたい。

「文才は繊細な才能です。そちらに掛ける労力はありません」
「そうですか」

私の答えに、ハルトムートはどこか嬉しそうだ。そんなに私がローデリヒを構わないことが嬉しいのか。まるで悋気の強い恋人みたいですね。まぁいいか。

「政変でエグランティーヌ様がトラウマを負っていることを話して揺さぶりをかけてみましょうか。剣を名乗る騎士気質なら、姫を救うナイトは本望でしょう?懸想でなくともエグランティーヌ様はレスティラウト様のミューズでしょうから。心に傷一つ負わぬ幸福の女神を描いてみたくありませんか?とか」
「そうですね、まぁ使えぬようなら切れば良いことです」
「協力してもらえるなら頼もしいのは確かです。誘導は試みます」
「かしこまりました」





「ところでローゼマイン様、こちらの『!』という記号はどういう意味です?」
「叫ぶように語気が強い様子や、意志が強い喋り口調の様子を表す記号です。わたくしの感覚ではアウブ・ダンケルフェルガーやルーフェン先生の言葉の末尾には全てこの記号がついて聞こえます」
「まぁ、とてもわかりやすい例をありがとう存じます」
…………





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