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⑩ μ枚目の織地 - 1

全体公開 1 28004文字
2026-06-07 21:54:23

最後の織地/天罰(人工)

Posted by @KouSyuuka

《ハルトムート》

生まれて間もなくといった頃だっただろう、記憶も意識も取り戻した。しかし、手足の筋肉も顔の筋肉も未発達であったため、満足に動くことも喋ることも出来なかった。
『ハルトムートも【ハードモード】になりますよ』
そう言って苦笑なさったローゼマイン様の言葉を痛感する。
多少動き回れるようになったとしても、何も出来ない。魔法陣を覚えていても調合出来る環境がない。紙もインクも高価で、子供のイタズラ書きになど使われないようにと、私の手の届かない場所に保管されている。魔術具も魔石も同様だ。自由になるとしたら子供用の魔術具くらい。隠し部屋も、どんなに早くとも洗礼式を迎えるまでは与えられないだろう。やるべきことを知っているのに、何も出来ないことが口惜しい。
今年で私は齢三歳になる。そろそろマイン様がお生まれになられるだろう。
身喰いの熱はすぐにマイン様を苦しめるものではない。だが、いつその熱がマイン様を襲うかもわからない。
『放っておいても平民の洗礼式までは生きた実績があります。それまでは放置していても問題はありません』
そういうわけにも参りません。シャルロッテの洗礼式の夜でさえ、毒を受けて生き延びた実績があったとしても、毒を受けてそのまま高みへ上ることもあったではありませんか。
『昔と違って魔力圧縮の知識があるので昔よりは安全に生き延びますよ。……恐らくですが、わたくしの魔力量が多いのは、子供用の魔術具を使わずに圧縮だけで洗礼式まで生きたせいではないかと思うのです。ハルトムートと同じ条件で、子供用の魔術具を与えられていたら、ハルトムートより魔力量が低かったかもしれませんよ?何も生まれつきわたくしが特別だったわけではありません。全属性なのも単に身食いだからですし、ハルトムートが美しいと言ってくれる魔力の色だってフェルディナンド様に染められたものですし。ハルトムートの言う、わたくしの尊い魔力というものは、偶然と後天的なものによるものなのですよ』
いいえローゼマイン様、洗礼式を迎えるまで死にものぐるいで圧縮を行ったというその強い精神力こそが特別なのです。そしてローゼマイン様がそれほどまでの思いで編み出された圧縮法が、エーレンフェストの領主一族によって派閥調整や地盤固めに利用されたのかと思うと、改めて怒りが沸く。
それと、私にはフェルディナンド様の祝福とローゼマイン様の祝福は違って見えます。単なる魔力の色ではなく、そこに込められた思い、そして祝福を惜しみなく他者に贈るそのお心がそもそも尊いのです。そして何度も織り直しをする中で、何度か【マイン様】の生来の魔力の色を見せていただいたことがありますが。それはディルクのメダルの色とも私には異なって見えました。透き通るようなそれはフリュートレーネの清らかな流れ、ウンハイルシュナイデの浄化の御心、ローゼマイン様の底知れぬ慈悲深さそのものに思えました。これほど御心が清らかで尊い方はローゼマイン様をおいて他にいません。
私はそれ程までに特別な主に仕えることが出来て幸せです。

そう、私はローゼマイン様の側近だ。
そしてマイン様がいつ身喰いの熱で苦しむともわからぬ状況で、自分だけがぬくぬくと不自由ない生活をしているなど耐えられない。
圧縮法を理解していればローゼマイン様なら自ずと安全に魔力を増やすことは出来るだろう。何もイタズラに生死の境を彷徨う必要はないのです。
少しでも互いに安心できるように、下町のマイン様の元へ魔石か何かを持って行きたい。しかし、今の私にはマイン様のために持って行けるものが何もない。正確には、あっても私の手の届かない場所に置かれている。
魔力を抜くための何かを入手出来たとしても、家を抜け出して下町まで辿り付くにはフェアベルッケンのお守りが必要だ。しかし調合はおろか、魔法陣を書くための素材すら手に入らない。子女であれば刺繍も出来ただろうが……試しにハンカチに血で魔法陣を描けないか試してみたが、血が繊維に滲んでしまって線を描くことすら出来なかった。血や涙にも魔力が含まれるなら、髪の毛にも魔力は含まれているだろうか?針さえ手に入れば糸を魔力で染めることが出来なくとも、髪を使って魔法陣を刺繍してみるか?しかし、隠し部屋も与えられぬうちは、常に大人の目がある。下手な行動は何も出来ない。
もちろん、それでも今の自分に出来ることはないか、怪しまれぬ範囲で情報を集められないか、試行錯誤を繰り返す。

ようやくフェアベルッケンの魔法陣に魔力を流せるようになったのは、私が五歳になる頃だった。





夜も更け、寝台に入り、寝具に深く潜りこんでフェアベルッケンの魔法陣に魔力を流す。そのままでは子供用の魔術具に魔力を吸われてしまうため、一時的に子供用の魔術具を外して、寝具の中に置いていく。魔力が溢れそうになってもローゼマイン式圧縮法で折り畳めばいい。マイン様が今頃そうしているように。
寝台に私が居るように見えるように寝具に膨らみを作るようにしてこっそりと寝台から抜け出して、足を忍ばせて部屋を出る。
途中、居間に寄り、人が居ないことを確認してから、音を立てぬように椅子を移動させ、持ち運びしやすい手ごろな魔術具に手を伸ばした。念のために椅子を元の位置に戻し、後は家を抜け出して下町のマイン様の家を目指す。
騎獣の魔石も手に入らなければ、走って行く他にない。しかし、この年齢でどこまで体力が持つだろうか。それに、深夜では子供の身体が睡魔に襲われるのも煩わしい。

なんとかマイン様の家の前まで辿り付き、階数を間違えていないか確認しながら扉を叩いた。
やがてギュンターが「誰だぁ?こんな夜中に」と呻くように呟いて戸を開ける。兵士のくせに警戒心が薄く不用心だ。だが私はとにかく開いた隙間から素早く部屋の中へと入り込んだ。
ギュンターからして見たら、確かにけたたましく戸を叩かれていたはずなのに、開けてみたら誰もいないという状況だろう。不思議そうに頭を掻きながら戸を閉める。
このまま部屋の奥に居るであろうマイン様の元へ向かうか。しかし問答無用でつまみ出されては目的を果たせない。私は居間の中央でフェアベルッケンの魔法陣に流していた魔力を解いた。振り返ったギュンターは、突如姿を現した子供にぎょっと目を剥く。大声を出される前に私はギュンターに向けて手の平を向けた。

「私はマイン様を救いに来た。敵ではない。まずは口を噤め。私をつまみ出せばマイン様は助からない」
「なっ、どっ、どういうことだ」
「マイン様が熱を出すことは?」
「そんなのしょっちゅう……
「今は?いい、中に通せ」

私はそれだけ言うと部屋の奥へ向かった。背後にギュンターの声が聞こえるがこれ以上は構っていられない。多少の躊躇いさえ植え付けられれば十分だろう。私の目的はあくまでもマイン様をお救いする事だ。
マイン様が居られる寝室と言えば入ることを躊躇うが、何卒ご容赦頂こう。

「誰?」

寝室は狭く暗く、エーファが戸惑いながら小さな子供を護るように抱き寄せた。それがマイン様だろう。私はエーファの困惑の色に構わずに寝台のそばに駆け寄り、マイン様に声をかけた。

「マイン様」

既に深夜だ。お眠りは深いのだろうか。心の中で謝りながらそっとそのふくよかな頬に触れる。子供だからだろうか?眠っているからだろうか?ふっくらとした頬はやけに熱い。やがてマイン様がうっすらと目を開いた。

「夜分に申し訳ありません、マイン様、魔術具をお持ちしました。魔力を移されますか?」

魔力の扱いに身体が慣れていないだろうか。下手に魔力を流しすぎれば魔力枯渇を起こすだろうか。そんな心配が頭をよぎるが、記憶がおありならマイン様もまたその可能性に気付いて居られるだろう。必要ないならこのままだが、マイン様が必要と判断すれば魔術具に魔力を流すだろう。
マイン様はゆっくりと私が差し出した魔術具に手を伸ばし、魔力を流し始めた。
金粉化されたら流石に私は困るだろうか、いや、マイン様の望みこそが第一だ。そのようなことを考えていると、マイン様は魔術具に魔力が満たされた頃合いに身を引くように手を離された。金粉化されることがなくて私はどこかで安堵する。マイン様はホッとしたように身体の力を抜いてエーファの胸に寄りかかった。エーファはマイン様の額に掌を当て、「熱が引いてる……」と驚いたように小声で呟いた。それを聞いて今度こそ私も真の意味で胸を撫で降ろした。良かった、私はマイン様のお役に立てたようだ。
そう思っていると、マイン様は私の方をじっと見つめ、そして黙ったまま再び私の方へ手を伸ばした。手の甲を上にして、私に指の背を見せるような形で。私はマイン様の意図を理解すると、ぐっと涙がこみ上げる思いを必死に耐えた。そして、その小さな手を、小さすぎるその手を慎重に両手ですくい、自らの額を寄せた。

「マイン様、今世も我が忠誠、我が名は貴方だけに」

たった二歳のマイン様の手は恐ろしいほど小さく、忠誠を誓う私も頼りないほどに幼い。だが、この手の強さと尊さを私は誰より知っている。こうして時を越えて忠誠を誓うことを許される私は誰よりも幸運だ。
マイン様の手から額を離し顔を上げると、困惑しきった瞳のエーファと目が合う。安心させるように笑顔を繕おうとしたが上手くいかず、私は苦笑を浮かべる形となってしまっただろう。立ち上がって少し首を伸ばすと、エーファの向こうでトゥーリが眠っているのが微かに見えた。ずっと眠っていたのなら都合がいい。事情を知る人間はギュンターとエーファだけで十分だ。

「警戒は不要だ。後はギュンターに話しておく。……エーファとマイン様に、シュラートラウムの祝福と共に良き眠りが訪れるように」

まだシュタープも洗礼後の指輪もない今の私は言葉と気持ちで祝福を願うしかない。しかしマイン様は安心しきったように今度こそエーファの胸の中で眠る姿勢に入り、途端に寝息を立てられた。それにつられるようにしてか、エーファもまた緊張の糸を緩めたように感じられる。
私が振り返ると、我々全員の動きを監視できる場所にギュンターが立っていた。私が不審な動きをしたら直ぐに止められる距離だろう。正しい判断だ。私はギュンターに頷き、二人で寝室を後にする。
居間に戻ると、ギュンターは椅子に手を伸ばしながら私に尋ねた。

「話は長いのか?」
「手短に済ませたいが」

早く帰らねば家の者に気付かれるかも知れない。早く済ませたいのは山々だ。だが、そうもいかないだろう。私の短い返答からそれらを汲み取ったのか、ギュンターは机からズラした位置に椅子を二つ向かい合わせる形で置いて片方に私を座らせた。こうした気遣いは、教育が行き届いているというわけでもないのなら、優しさから来るものだろう。マイン様の父親として相応しい素質に納得する。ちなみに机を挟む形にしなかったのは、机を挟んで椅子に座れば私の座高が足りずに目が合わなくなるからだろう。
手短に済ませたいとは伝えてある。私は早速要件を述べることにした。

「身食いという言葉を聞いたことは?」
「いや」
「マイン様は身食いという病だ。治癒出来るものではない。死なせないための対処を教える。私もマイン様に死なれたくはないし苦しんでほしくない。私の指示に従ってほしい」

正確には病ではないが、まずはこちらの話を聞く姿勢になってくれれば良いため、理解しやすい言葉を選んだ。私が何故マイン様に死なれたくないのか、それも疑問に思うだろうが、優先順位の最上位はマイン様を救うことだ。ギュンターはそれを理解し、一瞬驚いたように目を見開いたものの、すぐに上体をやや前に倒して、私の話を真剣に聞く姿勢を見せた。よろしい。

「まず、貴族には魔力があり、平民には魔力がない。だが時折平民の中に魔力を持って生まれる者が現れる。それが身食いだ。貴族は魔力を対処する魔術具や魔石を所持している。平民はそれを手に入れる術がない。対処できない魔力はいずれ体内から溢れてその身を食らう。故に身食いと呼ばれている。対処方法は、身の内から溢れる魔力を魔術具や魔石に移し逃がせれば良い」
「さっきの……
「そうだ。だが、行動には十分に気をつけなければならない。魔力は貴族にとって貴重なもので、貴族にとって平民の命など取るに足りない。マイン様が身食いだと知れれば浚われて二度と会えなくなるだろう」
「なっ」
「マイン様が身食いだということは、マイン様が指示できるようになるまでは、私とギュンター、エーファの三人以外には絶対に知られぬように振る舞わなければならない。これを必ず守れ。町ごと家族を守ると誓っているなら守れるな?」
「どうしてそれを、いや、そもそもあんたは」
「そんなことはどうでもいい」
「いや」

よくねえだろ、とでも言いたいのだろうが、私はギュンターの言葉を遮って強い口調で話を続けた。

「仮に私が貴族だろうが領主だろうが国王だろうが、其方は家族を守るためなら刃向かい立ちはだかるだろう。ならばマイン様を守るという点において、私が誰かなど其方には何の意味もないことだ。意味のない話を私にさせるな。マイン様を守るという点において私は其方たちの味方だ。それだけわかっていれば良いだろう」
「っ……わかった」

飲み込み難いものを、しかし無理矢理飲み込んだ様子を見せて、ギュンターは私を見つめ返した。私の優先順位の最上位はマイン様で、ギュンターのそれは家族であり、マイン様も含まれる。この点において我々は通じあえるはずだ。

「よろしい。まず、町にクズ魔石屋があるが、そこから魔石を買うような真似は絶対にするな。平民が魔石など買おうとすれば身食いが居ると悟られる。魔獣を狩れば魔石を得られることは?」
「あぁ、知ってる」
「それを密かに集めておけ。これも密かにだ。魔石を集めているのに魔石屋に売りに行かなければそれも怪しまれる。何なら時折魔石を売りに行け。あとはタウの実だ。星祭りの日に平民同士で投げ合うのだろう?それを蓄えておけ。マイン様が熱で苦しまれたら魔石かタウの実を持たせよ。それらが魔力を吸ってくれる」
「わかった」
「魔石は出来れば革の袋に入れて保管し、マイン様にはその袋の中に手を入れてもらうようにしてほしい。魔石は魔力が飽和すると金粉になるが、これはとても貴重なものだ。貯めておけばいずれ私が買い取る」

調合の素材として貴重だということは確かだが、マイン様が金粉にしたものであればコレクションとしても手に入れたいところだ。そこまで説明する必要は今はないがな。

「次にタウの実だが、取り扱いには気をつけよ。マイン様に持たせたらいずれ実の中に種が出来てボコボコと暴れ出すだろう。発芽する前に石畳の上に投げ捨てろ。発芽したらトロンベになる」
「トロンベ!?」
「タウの実がトロンベになることも絶対に人に知られぬように」

私がそこまで言うと、ギュンターは顔をしかめて項垂れるようにして頭をガシガシと掻きだした。

「秘密だらけだな」
「出来るな」

急に色々なことを一度に言われて、頭が付いていかないのだろうが、出来ないとは言わせない。私が強い語気でそう尋ねると、ギュンターは勢いよく顔を上げ、そしてドンドンと胸を二回叩いて見せた。ローゼマイン様が兵士に対して時折する敬礼だ。ローゼマイン様と目の前の男が親子である事実と、そしてその絆に目映い思いがする。
契約魔術を交わさぬ秘匿など秘匿ではないとかつての私は言ったが、ギュンターたちにとっては家族を奪われることは身を焼かれる以上の罰になる。他者に知れればマイン様を奪われると聞けば、これを必ず守るだろう。

「マイン様が成長されてご自分で動き発言できるようになればマイン様ご自身であらゆる判断が可能だ。それまでは其方たちにマイン様を護ってくれと頼むほかない。……それらを含めて、私とマイン様のやりとりを不審に思うだろうが……マイン様は紛れもなくギュンターとエーファの娘だ。マイン様はギュンターを父として、エーファを母として、トゥーリを姉として心から愛していた。それだけは疑う必要がない。私が言うことではないだろうが、マイン様が其方たちを愛する以上の愛をマイン様に返してほしい」

こればかりは気持ちの問題だ。命じてどうにか出来ることではない。ローゼマイン様に苦しんでほしくない一心でこのような行動をとってしまったが、私のせいでローゼマイン様が家族から異端の目で見られることは避けたかった。ローゼマイン様が得られるはずの愛が、私のせいで得られなかったなどとなったら……それだけは避けたかった。だから、これは私からギュンターに懇願するしかない。とは言え、祈るように乞う私の声は私が思う以上に情けないものになっていた。
ギュンターは僅かに眉を顰めた後、一度ガシガシと後ろ頭を掻いてから、何を思ったのか私の頭の上に大きな手を乗せて乱暴にぐしゃぐしゃと撫ではじめた。

「マインを救いたい、マインに苦しんでほしくない、その点でお前は俺たちの味方なんだな?確かにそれ以外の説明は要らない。不思議には思うが、不気味にも不審にも思わない」

撫でる手が止まったと思えば、頭を捕まれたまま引き寄せられ、耳のすぐそばでそんな言葉をかけられた。ぐっと不意に熱いものが喉の奥からせり上がり視界が潤む。私は必死にその熱い思いを飲み込み、頭の中でローゼマイン式魔力圧縮法を思い出す。魔力ごと感情を畳み込むイメージをしたが、絞り出した声はまだ僅かに震えていた。

「ありがとう」

自分でも驚くほど素直にその言葉が出たが、しかしその一言を呟くだけで精一杯だった。

「話はまだあるか?他に気をつけることは?」
「いや、今伝えるべきことは伝えた」

涙はこぼれなかったと主張しておくが、眠気を払うために目をこすったということにして袖で目元を拭った。椅子から降ろされる前に腕に力を込めて椅子から飛び降りる。

「私は帰る。家に居ないことが知れれば面倒になる」
「家は遠いのか?助けは要るか?」

正直、神殿まで運んでほしいと思ったが、私と分かれた後に突然姿を現したギュンターが神殿から家に帰る姿を誰に見られぬとも限らない。

「いや、不都合がある。扉を開けてくれ」

せめて扉を開けるくらいの手伝いをしてもらおう。背を伸ばせば取っ手に手は届くが、今の私には少し高い。
開かれた扉の向こうへ歩を進め、そこで再びフェアベルッケンの魔法陣に魔力を流す。突然私の姿が消えたことに驚いたのだろう、息を飲む気配を感じたが私はすぐに階段を駆け下りた。
本当はずっとお傍にお仕えしたいが、それは私の我欲に過ぎぬ。魔獣の魔石とタウの実のことを教えておけば、ローゼマイン様が自力で動けるようになるまでは苦痛を防げるだろう。ならばその間に、私はローゼマイン様のお役に立てることをしなければ。
まずは情報収集だ。フロレンツィアの側近となった父から、エルヴィーラの友である母から、貴族院に入学した兄から、徴税官を務める叔父から、聞けることはたくさんあるはずだ。不審に思われぬよう慎重に動く必要はあるが、一つでも多くの情報を主に届けられるように。
そう心に誓い、意志を強く持ちながら、睡魔の溶ける闇色の夜の中を私は家へと急いだ。





幼い子供では出来ることが限られる。だがその中でも出来ることはある。『好奇心旺盛な無邪気な子供』を装えば、それなりの情報を集められる。今の私が知り得るはずの情報、知らないはずの情報を慎重に切り分けて扱い、不審に思われないよう注意しながら言葉を選んで誘導する。

私が二歳になる頃にフロレンツィアは歴史通りにエーレンフェストに嫁いできた。それに伴い父はフロレンツィアの側近となる。だが『領主の第一夫人の筆頭文官』という大層な肩書きの割に、当分は禄な情報を期待できない。まだヴェローニカが権力を握るうちは、フロレンツィアはヴェローニカの気に障ることをしないように息を潜め、父はヴェローニカの悪意をフェルディナンド様に逸らす程度の仕事しかない。今は全く持って役立たずだ。
ローゼマイン様にとって最重要人物であるフェルディナンド様、その情報は母を経由した方が掴みやすい。母に懐くふりをしてエルヴィーラとのお茶会に同行し、コルネリウスとも早いうちから親交を深めておく。フェルディナンド様に何かあればそれはすぐエックハルトの状態に反映される。何かあればエルヴィーラかもしくはコルネリウスからすぐ情報を得られるようにしておかなければ。
親族と会える機会では、徴税官を務める叔父に愛想を払っておく。幼い私は貴族街から出ることが出来ないため、収穫祭で様々な地を回る叔父から話を聞きたがることは不思議ではない。少し持ち上げながら叔父の話に興味を示せば、ある程度の情報を聞き出せた。やはりヴェローニカ派の土地とライゼガング系の土地では税率や収穫量に偏りがあるようだ。いずれ行動を起こす際に、私がこの情報を知っているという事実が使える。『その時』が来たら私も神殿に入る必要がある。純粋な子供のふりをして「ライゼガングのために私が小聖杯に魔力を込める」と言えばいい。もちろんそんな理由で神殿入りが許されるとは思わぬが、無害な子供を装う上では表向きの理由が必要だ。確実に事を為すためには裏の根回しを進めておけばいい。
しかし今この時点で大いに役立つ情報源は兄たちだ。政変前まで時を戻した影響がどうなっているのか、いち早く今の状況を確かめるには、貴族院に通い始める兄たちから話を聞くのが一番早い。
早くから勉強に興味を示し、地理や歴史の予習をさせてもらうという手段で政変についての情報を得られるだろう。しかし、そのためにはまずは読み書きや計算など、手前の初歩的な工程を終えなければ、その情報に辿り着けない。手っ取り早く情報を得るには、『兄弟の何気ない会話』の中から貴族院の話を聞き出す方がよほど良い。
今の幼い容貌を活用し、やりすぎない程度に愛らしく振る舞って媚びて懐くふりを見せれば、ある程度は兄たちの口も軽くなるだろう。
……ここでいう『やりすぎない程度』という言葉は、あくまで『媚びすぎて気味悪がられないように』という意味だ。
だが、私は別の意味でやりすぎた。
父や母や次男は、私に対する態度が前までの織地とさほど変わらなかったが、叔父は期待した程度には私に甘くなってくれた。しかし長男であるオリスワルト兄上が、私の期待以上に私に傾倒してしまった。
まるでボニファティウスがローゼマイン様に向けるような相好の崩し方だ。私がねだれば調合を見せてくれるし、更にねだれば素材もくれる。都合は良いのだが、前までの織地では普通の兄弟かそれより淡白な関係であったため、デレデレと可愛がられると、自分が蒔いた種とはいえ、正直言って気持ちが悪い。
遂には私と貴族院在学期間が被らないことを嘆いて「側仕えコースに鞍替えし、成人済み側仕え枠として同行するか」など真剣に血迷い始めた。そのような鬱陶しい過保護な目があったら動きづらくなるではないか。何より『長男が跡取りとなり、次男はその補佐』という前提があるからこそ、三男の私が自由に動けるのだ。前提を覆されては困る。こんな家の後始末などに微塵も構っていられるか。
「私も将来は父上や兄上のような優秀な文官になりたいです!」
「そうだ、弟の見本になるような立派な貴族を目指しなさい」
父の後押しもあり、長男は無事に文官コースに身を入れるようになったが。危なかった、まったくなんということだ、幼い私が愛らしすぎたばっかりに。オリスワルト兄上がここまで骨無しに、もとい私に骨抜きになるとは思わなかった。調合の素材を横流ししてもらうためにしばらくはこのままでいくが、頃合いを見て距離を開けなければ。このままでは私が神殿に入ると言った際には、全力で止められるか、「私も入る!」と言い出しかねない。
まったく、私が可愛いすぎるばかりに……篭絡の加減も難しいものですね。




《マイン》

冬が終わり雪が溶けて森まで行けるようになった。
「いっくよー」
私が合図を送ると、ルッツたちが刃物を持って腰を落として身構える。私のすぐ後ろにはラルフが控えていた。私はラルフからタウの実を受け取り、それに少し魔力を流して、ルッツたちの方へ放り投げる。けどそんなに遠くに飛ばせない。それを見越してラルフがすかさず私の身体を持ち上げて後方に下がった。そして十分な距離を取ると、私を降ろしてラルフもトロンベ狩りに加わっていく。私は安全な場所で大人しくしているのが仕事だ。近くの木の幹に寄りかかり、ふぅと息を吐く。
下町でこんな風に平民のみんなと長く過ごせるのは、一回目以来かもしれない。

神様が織地を解く時は、ピンポイントなタイミングを狙いたければ『神様的に見て目立つポイント』を指定して、「そこまで解いてください」と頼まなきゃいけない。神様は万能じゃない。少なくとも、人々の祈りが遠ざかって久しい今は。そうじゃなきゃ私に頼むなんて回りくどいことはしていない。何でも出来るならとっくに国は救われてる。
私やフェルディナンド様の糸は目立つらしいから、私たちが魔力の登録をしたり、私たちの糸に何かが起こった時が、歴史の織地の中での目立つポイントとなるらしい。私の糸で言えば、平民の洗礼式のメダル登録、貴族の洗礼式のメダル登録、毒を受けて糸が切れかけた時、シュタープ取得、メスティオノーラの書の取得……でも後半は直前の織り直しによってタイミングが変動するし、神様にリクエストできず織り直しになった時は大体の場合は直近のメダル登録の日まで戻される。
仮に『青色巫女見習い時代の収穫祭の頃』とか言っても、目立つポイントが無いから『マインが平民の洗礼式でメダル登録した時から、ローゼマインとしてメダル登録するまでの間のどこか』という感じになって、誤差が激しくなる。ポイントとポイントの間が空いていれば更に誤差も大きくなる。逆に言えば魔力的に大きな変動を起こせばセーブポイントを刻めるということだけど。短い期間で同じことをしたらそれもまた神様的にはポイントを見つけづらくなる。平民の洗礼式の前は私が頻繁に死にかけていたから『死にかけた時』というのが目印にならなかったりするらしい。シャルロッテの洗礼式の夜の襲撃で私の糸が切れかけた時が神様から見て目立つポイントに見えるのは、そこまで糸が切れそうになることがその前後にあまりなかったからだ。
因みに今回は『政変の前』ではなく、『フェルディナンド様がエーレンフェストで洗礼式を行ってメダル登録した時』まで解いてくださいとお願いした。奇しくもそれが政変の始まりである第二王子ワルディフリードの暗殺の前年だったからだ。もっと前となると、アダルジーザにはフェルディナンド様と同じような子たちが他にも居るから、フェルディナンド様の糸を見つけるのが難しくなるようだ。
そういうことで、私としては今までのやり直しは、一番遡っても平民の洗礼式のメダル登録の時までだった。それより前に戻してもらったのは今回が初めてだ。私が洗礼式を行う頃だと私は既に魔力量が限界で、神殿に入らないと延命が難しい。神殿に入ればすぐに激動のやりとりが始まってしまう。まだ貴族と接触する前で、こんなにのんびりできるのは久しぶりだった。

「ローゼマイン様」

不意にそう呼ぶ声が聞こえた。この織地で今その名を知るのはエーレンフェストに一人しかいない。
声の方を振り返ると、案の定、ルッツたちからは見えないように配慮された死角の木の陰に、幼い姿のハルトムートが居た。フェアベルッケンの魔法陣を使ってここまで来たのだろうが、隠密行動のためのそれは、声や物音すら周囲に認識しづらくなってしまう。私にまずは声をかけるために一時的に隠蔽を解除したのだろうけど。私は思わずその首から下の目立つ服装に目が行ってしまった。こんな森の中に、上級貴族の子息とわかる服装の人が居たら目立って仕方ないし、場違い感が半端ない。

「そんな格好では目立ちますよ?」
「中古服を求める方が目立ちます」

そう言ってハルトムートは肩を竦めた。確かにここまで来るのにどうせフェアベルッケンの魔法陣を使うなら、下手に中古服を手に入れようとする方が不審がられる。
ハルトムートはすぐに私に盗聴防止の魔術具を差しだし、私はそれを受け取ると顔を正面に戻した。ハルトムートはすぐにまた姿を消す。隠密行動のためのフェアベルッケンの魔法陣はハルトムートがそこにいることを隠してくれるけど、盗聴防止の魔術具はそれを使う者同士の声を繋ぐものだ。声だけならこれで繋がる。

「それで?」

私は姿が見えないままのハルトムートに声だけで尋ねた。

「今はツェント・ワルディフリードの治世です。地図にベルケシュトック、ザウスガース、シャルファー、トロストヴェークが残っています。政変は起きていません」

私はそれを聞き、ぐっと息を飲み込む。やってみた甲斐はあった。トラオクヴァールはやってくれた。懐柔してから織り直しを起こすまでの短期間でかなりスパルタな詰め込み教育をしてしまったけど。なんとかやってくれたようだ。
感無量な心持ちもするけど、私たちにとってはまだゴールじゃない。感情を飲み込み、深く息を吸って吐いて、
「そう」
とだけ、私は答えた。

「シュタープは?」
「五年生で取得するそうです。祠のことも周知されており、全属性になってからシュタープを取得することが推奨されています」
「良い治世ですね。……グルトリスハイトは、まだですね?」

トラオクヴァールにはグルトリスハイトの取得方法を教え、神々が望む正しい国の在り方を教え、シュタープの取得についてや祠や祈りや属性については早々に周知させるように命じてある。ただし、グルトリスハイトの取得方法や礎の場所については、ある期間を過ぎてからでないと周知してはいけないとも誓わせている。
この織り直しは、私が高みに上ればグルトリスハイトの正規の取得方法を知る者が居なくなるから私が主導権を握っている。もしもグルトリスハイトの取得方法が正しく万人の知るところとなったら、もしも次に私が失敗しても私は記憶を持たせて遡らせてもらえなくなるかもしれない。フェルディナンド様の幸せを確認出来るまでは、それは困る。

「恐らくですが。兄たちの話では、卒業式に空の魔法陣を光らせることが神々からの祝福であると……道筋はそこで途切れさせているようですね」
「トラオクヴァールは契約を守っているようですね」
「その契約の一つですが、神殿改革の周知はこの春の領主会議となるでしょう。ジルヴェスターの父親、アーデルベルトがまだ存命です。先日の春を寿ぐ宴で、ようやくジルヴェスターに代替わりすると発表がありました。この春の領主会議で承認がされるでしょう。フェルディナンド様が神殿に入られるのもそろそろかと」
「あら?」

トラオクヴァールには、礎の場所についての周知と神殿改革の王命は、『アウブ・エーレンフェストが代替わりする年の領主会議に行うように』と命じてある。
ヴェローニカのせいで神官の身に落とされるフェルディナンド様……それはエーレンフェストのアウブが交代し、ジルヴェスターがヴェローニカを抑えられなくなることで起こる。
けれどフェルディナンド様が神殿に入れられた直後に王命により神殿の価値が上がりフェルディナンド様が還俗することとなれば、ヴェローニカはさぞ悔しがるだろう。神殿改革の王命には「アウブが神殿長に就き、神官長の任にもアウブが信頼する貴族を就けること」という条文が含まれる。ジルヴェスターが神殿長となり、還俗したフェルディナンド様を神官長に据えれば、神殿という限られた組織の中では迫害や虐待はしづらくなる。そもそも還俗すればユストクスやエックハルトがフェルディナンドの側近として復活し、神殿内でも警護しやすくなるだろう。
けど、それが起こるタイミングが私たちの想定よりも数年遅い。
確かフェルディナンド様が神殿に入れられるのは貴族院を卒業してすぐのことだったはず。ジルヴェスターがアウブになるのも同時期だったはずだ。

「詮無い仮説ですが、前までは政変の粛正により姉たちが処刑されることが心労として祟っていたのではないでしょうか」
「あぁ、ありえそうですね」

フェルディナンド様の卒業。その時期にマグダレーナがトラオクヴァールに輿入れすることが決まり、ダンケルフェルガーが第五王子派閥の後ろ盾となった。そのことで第四王子の派閥だったベルケシュトックとザウスガースの負け色が濃くなった。
それぞれに姉が嫁いでいたアーデルベルトが、姉たちの命運を案じて気を揉んでいた可能性は想像に難くない。娘たちが嫁いだフレーベルタークやアーレンスバッハも政変と無関係ではないのだ。
実際にはマグダレーナが輿入れしてから大粛正が始まるまでにはタイムラグがある。すぐに姉たちが処刑されたわけではない。それでも政変の揺れ動きが、弱った身体をどれだけ蝕むか……逆に言えば政変自体が起こっていない今は、そのストレスがない分、アーデルベルトの体調に逆の影響を及ぼすことになったのだろう。

「ちょうど良かったかも知れませんね。本当ならフェルディナンド様が神殿に入り、神殿改革が命じられた直後にこちらも動きたかったところです。でも、流石にわたくしも今より前には調合や魔術の行使は難しかったですからね。今ならなんとか動けるでしょうし、魔紙の準備も整いました。ハルトムート、調合の環境は?」
「こちらもなんとか間に合いました」
「そう」

私は何処に居るかもわからないハルトムートに向かって、腕を突きだし、盗聴防止の魔術具を返そうと示す。

「次は『フェルディナンド様が神殿に入られた』『アウブが神殿長になり神殿が清められることになった』『フェルディナンド様が還俗した』、この報告が揃った時に。わたくしを迎えに来てください」
「かしこまりました。……ところで、魔石は必要ですか?」
……貰えるなら貰います」
「どうぞ。圧縮は程々に」

そう言ってハルトムートは姿を現し、革の袋ごと私に差し出した。盗聴防止の魔術具と入れ替えるようにそれを受け取る。

「護りたいものがあるなら力は必要です。……ですが、命は大切にしますよ」

生死の境をさまようほどの圧縮をするつもりはない。ハルトムートがそれを案じてくれているのはわかるけど、それとは関係なく、フェルディナンド様を幸せにするまで私も下手に死んでいる場合ではないからね。

「安心いたしました。それではローゼマイン様、時の女神ドレッファングーアの紡ぐ糸が重なる日まで、神々の御加護と共に健やかに過ごされますように」

私とハルトムートの糸が重なる時、というよりも、次に私たちが動くのはアーデルベルトが高みに上りかけるタイミングだ。

「どちらかと言えばエーヴィリーベの……

そう言いかけ、傅くハルトムートの指に填まる赤い指輪に気が付いた。確かハルトムートは冬生まれだ。

……ハルトムート」
「はい?」
「冬に洗礼式を終えたのですよね?」
「はい。それでようやく隠し部屋を貰い、簡単な調合の予習をさせてもらえるようになりました」
「わたくしからの洗礼式の祝福は要りますか?」

私が気まぐれにそう言うと、ハルトムートは一瞬驚いたように目を見開き、そして橙色の瞳をキラキラと輝かせた。

「是非に」
「ハルトムートに、土の女神ゲドゥルリーヒの祝福を」

今はシュタープも指輪もないけど、少しの祝福くらい出せるかも知れない。集中して言葉を紡ぐと、赤い貴色の光が控えめにハルトムートの上に降り注いだ。
ハルトムートはその光を噛みしめるようにじっとしていた。しばらくして、
「ありがとうございます、ローゼマイン様。身に余る幸せです」
と、そう言って微笑んだ。一回目の織地でハルトムートの成人式を個別に行ってあげた時にも、言葉をなくして感動していた。普段は賛美の語彙力が凄まじいけど、感動が度を超すと語彙が少なくなるタイプらしい。
ここまで尽くしてくれるハルトムートに、私も報いることが出来たようでニッコリと微笑む。

「この次も、よろしくお願いしますね」

もちろん『次』はループのことではない。ここまで上手くいっているんだから、この織地を最後にしたい。

この織地で次に私たちがすることは……
ヴェローニカとベーゼヴァンスの暗殺だ。





それはいつかの織地のこと……

「ヴィルフリート兄様、昔話の内緒話をいたしませんか?」
「ローゼマイン?」

「これはわたくしが、わたくしの側近の文官と作り上げた新しい盗聴防止の魔術具です。小型化したこの親機を起点に、半球状の一定範囲内の声や物音は範囲の外に聞こえなくなります。持ち運びが可能ですのでこのまま移動が出来ますよ」
「どこへ行くと言うのだ?」
「そうですね……ヴェローニカ様のお部屋だった場所などどうでしょう?」
「なっ!!?」
「ヴィルフリート兄様が、おばあ様との思い出に浸れる場所なら、どこでも良いのです。……領内にヴェローニカ様を恨む貴族は多く、そうでなくてもヴェローニカ様が罪を犯したことは事実です。大声でヴェローニカ様を慕うような事を言ってはならなくなりました。でも、ヴィルフリート兄様にとっては大好きな大事なおばあ様だったのでしょう?」
……ローゼマイン……
「ずっと一緒だったおばあ様と突然離れ離れにされ、大切な思い出を懐かしむことすら許されないというのは、とてもおツラいことだと思います。わたくしなら、ヴェローニカ様を直接は知りませんし、お話を聞くだけなら出来ます」
「ローゼマイン……私の気持ちを、わかってくれるのか?」
「えぇ、家族を大切に思う気持ちは分かります。でも、やっぱり内緒にしなければいけないことなので、これはわたくしたちだけの秘密です。そうですね、お互いに二人ほど側近を付けて、それ以外は下がらせて移動いたしましょう。わたくしはハルトムートとアンゲリカを、ヴィルフリート兄様はオズヴァルトとエアカルトを。どちらの側近にもこれからのことは口止めして……いかがですか?ヴィルフリート兄様」

「っ、あぁ、そうだな!そうしよう!」
「では、早速思い出『ツアー』に出発です!……おばあ様とどのように過ごしていたのか、色々聞かせてくださいませ……




《ハルトムート》

慎重に兄に期待の視線を送り、調合の見学をさせて貰ったり、その中でいくつかの素材に興味を示して見せたりした。時には我が儘を言い「綺麗な素材」を欲しがり、いくつかの素材を兄たちから譲り受けた。
「持っているだけだぞ、魔力を流したりなどしないように」
「わかりました」
『この素材には魔力を流したりなどせずに所持しているだけに留めること』という言葉は理解するが、「流さない」とは言っていない。
そうして集めた調合素材や、簡単な予習のための器具などを、与えられたばかりの隠し部屋に保管し、そして隙を見ては家を抜け出して下町の作業小屋に移していった。
その頃にはローゼマイン様も植物紙の生産を始められて、小さな作業部屋を賜っている。私はこっそりとその作業小屋の奥の一角に調合用の道具や素材を運び込んでいく。
そうして徐々に準備を進め、我々は『合図』を待った。

『フェルディナンド様が神官となり、エックハルトは側近の任を解かれた』
この情報が入ったのは、私が八歳になる年の春の中頃だった。

『アウブ・エーレンフェストの代替わりが領主会議で承認された』
『領主会議にて各地に神殿改革が王命として命じられた』
この情報が入ったのは、その年の春の終わりだ。

夏の一巡り目に私はまた深夜に家を抜け出して、ローゼマイン様を迎えに行った。
そしてフェアベルッケンの魔法陣に魔力を流し、姿も声も消して、私とローゼマイン様の二人はローゼマイン様の作業小屋へと移動する。ローゼマイン様は直ぐに手慣れた所作で調合を進めていった。
何度も織り直しをする中で研究された雷の魔術……対象者の魔力を用いて『魔力追尾型』にするか、正確な位置情報を指定するかのどちらかの手法がある。織り直しの中で何度もジギスヴァルトたちを葬ってきたのは前者の魔力追尾型だが。今の私たちにヴェローニカの魔力を得ることは難しいため、今回は『位置情報指定型』だ。
必要なのは、全属性の魔力のインクと、高品質の魔紙、そして金粉と、冬の素材と春の素材。そして行使する際の大量の魔力だ。ローゼマイン様は、ルッツと作ったトロンベ紙と、今まで貯めてこられた金粉、私が兄たちから集めた素材を用いて、手早く高品質の魔紙を錬成する。そのまま流れるようにご自身の魔力で染めたインクを調合し、出来たばかりの魔紙にスラスラと複雑な魔法陣を描いていった。

「こうしてこっそりと闇夜に紛れて邪魔者を消すための調合をしていると、聖女どころか魔女のようですね」

ローゼマイン様はそう言って可笑しそうに笑ったが。透き通るような虹色のインクはとても美しく、暗い小屋の中で淡く光るそれはとても神秘的に見えました。元よりこれは長きに渡りエーレンフェストを苦しめたカーオサイファを焼き払うものです。正義を語るつもりはございませんが、魔女の所業とは思えません。
私はその美しい魔紙をいつまでも見ていたいと思ってしまうが、ローゼマイン様は完成したそれを何の感慨もないご様子ですぐにくるくると丸めてしまわれた。

「さぁ、さっさと済ませましょう」

向かうのは貴族街にあるダールドルフ家の冬の館だ。万が一にも魔術の施行が悟られた際に、その発動が私の家や下町からだと知れれば面倒だからだ。適当に罪を擦り付けやすい人物がそのあたりだった。
冬はとうに終わり、主人たちは自分たちのギーベ領に戻っているため、館には誰も居ない。
ループの中でヴィルフリートからヴェローニカの部屋の位置は、その中での寝台の位置まで詳細に聞き出しているため、魔術を発動させる予定のこの地点からヴェローニカの寝台までの距離と方角は前までの織地の中で正確に算出している。それらの情報は既に魔法陣に織り込み済みだ。
あとは魔術を発動させれば、城の天井から大地までを貫く雷が落ちるだろう。『白の建物への攻撃』と捉えられても、犯人が天災では誰を咎めることも出来はしまい。
フェルディナンド様を神官の地に落として良い気になっていたヴェローニカは、すぐさま王命による神殿改革が命じられて頭に血を上らせていることだろう。フェルディナンド様に今度は何をするかわかったものではない。だから、早々に消す必要がある。
ローゼマイン様が魔力を流すと、魔紙は青緑色の美しい光に溶け、暗雲の中に消えていく。やがてゴロゴロと雷鳴が轟きだし、
ドォォォォンン
と、一際大きな落雷の轟音が響きわたった。

「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

すべての音をかき消すような大きな雷鳴、しかしそれと同程度に聞こえるほどの大きな悲鳴を上げて、ローゼマイン様は私の身体にしがみついた。術を施行した本人とは言え、まだたった五歳になるという身体に、今の轟音は堪えただろう。城に雷が落ちたのなら、貴族街に位置するこの館までは距離も近い。気が回らず、申し訳ありません。私は今更だが、ローゼマイン様の耳を両手で覆った。こんなことなら遮音の魔術具も用意しておくべきだった。こうして私がローゼマイン様の耳を塞ぐことで、ローゼマイン様を煩わせる全てを防げたらどんなに良かったことだろう。
しばらくすると、そこかしこの館にパラパラと明かりが灯る。ギーベ領の冬の館は暗いままだが、貴族街で暮らす者たちの家は、この季節外れの落雷に何事から起き出したようだ。もしくはヴェローニカに名を捧げていた者たちが亡くなり、家人たちがそれに気づいて騒ぎ出したか。ダールドルフ領でもギーベが高みに登っているはずだ。何にせよ、これ以上は貴族街に長居は無用だ。

「ローゼマイン様、帰りましょう」

私はローゼマイン様の耳を塞いでいた手を僅かに開いて主の耳元で囁いた。フェアベルッケンの魔法陣により、我々の姿も声も周囲には認知されないが。このまま周囲が騒がしくなれば我々とて穏やかでいられない。そもそもまだ雷雲はゴロゴロと稲光を走らせている。ローゼマイン様のお心の安寧のためにも、少しでも早く城から遠ざかった方が良い。
私はローゼマイン様に背を向けてその場にしゃがむ。行きはローゼマイン様が身体強化を行ってご自分で歩かれたが、帰りは出来るだけ速く雷雲から離れるべきと判断し、ローゼマイン様を背に負って私は下町を目指した。行きの時点では、私がローゼマイン様を運ぶことにどちらも抵抗があったものだが。ローゼマイン様は雷の恐怖から私の首に腕を回しぎゅっと力強くしがみつかれた。貴族街から、城から離れながらも、まだ背後ではゴロゴロと雷鳴が響く。

「ローゼマイン様、『次』は収穫祭など、アレがこの地を離れる際に行いましょう」

フェルディナンド様が神殿に入れられ、それから神殿改革が命じられ、ヴェローニカを始末した。次は前神殿長であるベーゼヴァンスを亡き者にすれば、当面はフェルディナンド様に悪意を向ける者は居なくなる。
今の落雷でヴェローニカが高みに上れば、名を捧げていた数多くの貴族も同時に高みへ道ずれとなっただろう。政変の大粛正がなかったにも関わらず、エーレンフェストの貴族の数は激減する。青色たちが還俗する特別措置も行われるかも知れない。
叔父から税率の偏りの話を聞いていた私が「ライゼガングのために神官となりライゼガングの地に魔力を配りたい」と主張するのは、今の私の役回りとしては不自然ではない。ライゼガングに思うところがある父はそのような主張には靡かないだろうが。「王命により神殿改革が命じられたため、神殿に入ることは瑕疵にならない。新アウブや、還俗したフェルディナンド様もいるなら、神殿は安全なはずだ」とでも言っておけばいい。『フェルディナンド様が還俗した』ということを改めて主張すれば、フロレンツィア派の父は勝手に危機感を覚えてくれる。今まで散々フェルディナンド様にヴェローニカの悪意を逸らしてきたのだ。ヴェローニカが居なくなり、フェルディナンド様が正しく権力を取り戻せば、少なからずフロレンツィア派は危機感を覚えるべきだ。今までの復讐をされるのではないか?と。実際のところ、そのような無益なことにフェルディナンド様が貴重な時間を使うとは思えないが。フェルディナンド様の様子を探るための間者として私を神殿に送り込むことは有用だと思われればそれで良い。それなりの根回しは進めている。
……思いのほか私を溺愛しだした長男が猛反対しそうだが、なんとか言いくるめる他あるまい。
私が神殿に入れば、フェルディナンド様の執務量にも気を配れる。また、前神殿長であるベーゼヴァンスの魔力も入手できるだろう。平民でさえ血に含まれる微弱な魔力で契約が可能なのだ。神殿にさえ入り込めれば、寝ている間に痛みを与えず血液を採取して傷を癒すことくらい今の私なら容易い。対象者の体液さえ手に入れられれば、魔力追尾型の雷の魔術を行使できる。そうすれば収穫祭などで奴がこの地を離れた際に、ローゼマイン様から遠く離れた地で、その身を焼かれれば良い。

「ですが、今は春が終わったばかりですよ。収穫祭の秋までなんて、時間が……
「ヴェローニカが居なくなれば、アレに大したことは出来ません。それにフェルディナンド様が還俗したことで、ユストクスやエックハルトも神殿に出入り出来るようになったのですから、早々危害を加えられることはないでしょう。いっそアウブも居る場で、ヴェローニカの後ろ盾をなくしたベーゼヴァンスが、フェルディナンドに危害を加えた現行を抑えられれば……
「『母上を亡くして叔父上も気が動転していたのだ』とか言われて、不問にされて終わりでしょうね」
…………そうですね、ジルヴェスターなら。ですが、神殿に雷を落とすよりかは、やはり外にいる際を狙った方がよろしいかと」
……はぁ、それもそうですね。さすがに神殿に天罰が落ちるのはおかしいでしょうから。ユストクスやエックハルトが目を光らせているなら、ベーゼヴァンスには大したことは出来ない、という点には同意します。ですが、なるべく早い方が良いことも確かです。神官は地方の貴族の洗礼式や成人式で出掛けることもあるでしょう?準備だけは進めておいてください」
「かしこまりました」

気付けば雷鳴も落ち着き始め、ローゼマイン様も随分と気丈な状態に戻られたようだ。私はにこやかに微笑み、そうこうする間に下町のマイン様の家の前まで辿り着いた。折角なのでローゼマイン様がお疲れにならぬようにと階段を上がり、扉の前までお送りする。そして扉の前でローゼマイン様を降ろし、私は恭順の姿勢をとって跪いた。

「おやすみなさいませ、ローゼマイン様。シュラートラウムの祝福と共に良い眠りと幸せな夢を」 





「昨晩の雷は怖くなかったかい?ハルトムート」

翌日、朝食の席でオリスワルト兄上に気遣わしげに声をかけられた。
因みにこの朝食の席に父上の姿はない。ヴェローニカが急逝し、名を捧げていた貴族たちも道連れとなって多くが高みへ上ったのだ、城では今頃大騒ぎだろう。領主夫人の筆頭文官である父上も今頃多忙を極めているはずだ。しかし昨夜の今日でそのような情報はまだ私たち見習いの耳には届いていないことになっている。単に『雷の音が大きかった』という情報だけで話を繋げなくてはならない。

「随分と近かったようで大きな音がしたからな。ハルトムートが怖がってやしないかと部屋の前まで様子を見に行ったんだが、少し前に『洗礼式も終えたのですから一人の貴族として扱ってください』と言われただろ?先触れもなく会いに行ったら怒られたかと思い、仕方なく引き返したのだが、もしも何かあったり怖くなったりしたらいつでも兄上を頼っていいからな」

……危なかった。まだ兄上を籠絡しておいても使い道があるかもしれないとも思ったが、無事に洗礼式を終えて隠し部屋も貰えたのだからもう兄離れを始めても良いかと行動を早めていたことは正しかった。もしも布石を打っていなかったら昨晩部屋に押し掛けられていたのか。昨晩私はローゼマイン様に付き従って屋敷を抜け出していた。部屋に居ないことがバレていたら流石に言い訳に苦慮したかもしれない。

「まったく、兄上はハルトムートに甘すぎます」

そう言って二番目の兄が呆れたように溜息を吐く。もっと言ってやってください。

「お前は末の弟が可愛くないのか」
「兄上は表に出し過ぎなのですよ」

……ん?ちょっと待て、その言い方では表に出していないだけで兄上も私を可愛いと思っているという事か?確かに私は可愛いが。今までの織地の関係性を覚えている身としては気持ちが悪い。まったく、可愛すぎるというのも考えものですね。




《ユストクス》

私自身の考えを纏めるためにも、ここ数年に起こったことを振り返ってみることにいたしましょう。

まず、我が領地エーレンフェストは呪われていた。
誰も口に出さずとも、いつしか領地の実質的な最高権力者はアウブの第一夫人ヴェローニカとなっていた。アウブの力はそれの横暴を僅かにでも留め抑える程度のものに過ぎなかった。
ヴェローニカに目を付けられた我が主フェルディナンド様は、ずっと不遇の時を過ごしてきました。
悪し様に罵られ、常日頃として命を狙われ。それに対抗するために主は自身を護るための力を身につけていき、優秀になっていき、だのにその優秀さをヴェローニカに押し殺される。その繰り返しが何年も何年も何年も続いた。
フェルディナンド様が貴族院を卒業なさると、アウブにより騎士団長の地位を賜った。それからの数年は良かった。ようやくフェルディナンド様に見合う地位と名誉が与えられた。騎士団の中にもヴェローニカ派の貴族は居て、何かとフェルディナンド様を虎視眈々と害そうと手を出してきましたが、それでも今までよりはマシだった。
フェルディナンド様の父君であるアウブが崩御なさるまでは。
アウブは自動的にヴェローニカの傀儡であるジルヴェスターに移り、母親の横暴を止める力のない若造は、あろうことかフェルディナンド様を神殿へ押し込めた。
貴族としての死、名誉も矜持も地位も何もかもを奪われた。
フェルディナンド様が騎士団長で居られた期間は、たったの三年のことでした。
フェルディナンド様が領主候補生の地位を追われ神官の身に落とされたことで、我々側近も解散となりました。
ですが、「どうか捧げた名はお持ちください」と、名の返却を拒みました。何かあれば、何もなくとも、いつでも命じてくださいと。強がり、信を預けたまま、けれど我々は絶望していた。主の名誉を護れずに、何が側近だろうか。自分たちの無力を呪いながら、それでも個々に出来る努力を続けた。
エックハルトは騎士としての腕を磨き。
ラザファムはフェルディナンド様から預かった館を守り。
私はヴェローニカ派の罪の証拠を集め続けた。
しかし、それが何の意味を為すのか、心の何処かで判らずにいた。未来に希望の光が見つけられなかったからだ。ヴェローニカはこの世の春とばかりに権力を謳歌した。
しかし、希望とやらは春の嵐のように突如として舞い込んだ。
ジルヴェスターを新しいアウブとして認めてもらうための領主会議で、ツェントが全領地に命じたのだ。神殿を清め、正しく神に祈りを届ける場とし、アウブを神殿長とせよと。フェルディナンド様が神殿に入れられただけで我々はこの世の終わりとばかりに驚愕したのだ。今度は国土の全貴族が困惑しただろう。今までの常識をひっくり返すような王命だ。
だが、領主会議の最中にすべてのアウブは一度自領に慌てて戻り、そして再び貴族院に集うと、粛々とこの王命を受け入れたらしい。
ジルヴェスターも「王命だから仕方なく」という姿勢は見せず、慌てた様子で神殿を清めようとした。だが、何から始めて良いかも判らぬようで、頼ったのは当然先に神殿に入られていたフェルディナンド様だった。
この王命により、ジルヴェスターが最も頼る人間がフェルディナンド様となり、フェルディナンド様に貴族の地位が返されて、権力が与えられた。
当然ヴェローニカは荒れた。だがそんなこと知ったことか。フェルディナンド様が還俗した今、我々も側近として再び主に仕えることが出来るようになった。それだけでも嬉しかった。
だが、希望の光というものは我々が思うよりも激しく苛烈であったようだ。
夏の始めに季節外れの嵐が吹き荒れ、あろうことか雷がヴェローニカを貫いたのだ。ヴェローニカの寝室を巻き込む形で、天から地に届く裁きの柱が落ちた。自然現象のそれとは思えぬ不自然さに、貴族たちが恐る恐る不敬な噂を囁きあう。「神殿が清められたことで人々の祈りが神々に届くようになったのではないか」「エーレンフェストを苦しめる魔女を神々が裁いてくださったのではないか」と。長年苦しめられてきたライゼガングは、胸の漉く思いだったろう。
しかし、諸手を上げて喜ぶことも出来ない。
ただでさえ少ない領主一族で中領地を支えていたエーレンフェストはたちまち魔力不足に陥り困窮した。ヴェローニカが消えたことは礎への魔力供給の観点においては大きな痛手だったが、それだけでなく、ヴェローニカが消えた夜に同時に大勢の貴族たちが高みへ上ったのだ。
どうやらヴェローニカはあまりにも多くの貴族たちから名を奪っていたようだった。ギーベ・ダールドルフをはじめとして何人ものギーベまでもが高みへ上り、エーレンフェストは上へ下への大騒ぎとなった。
急ぎ新しいギーベを任命しようにも、要職に就いていた上層部の者たちが根こそぎ居なくなったため、ジルヴェスターは誰に何を頼めばいいか何もわからない状態だった。アウブの周辺はヴェローニカ派で固められており、そのヴェローニカ派の大半が名捧げの道ずれで高みに上ったのだ。
今でもあの時、フェルディナンド様がいらっしゃらなければエーレンンフェストはどうなっていたのかとゾッとする。
いや、この際あの時、エーレンフェストなどどうなってしまっても良かったかもしれない。
誰よりも優秀だった我らが主は、優秀すぎたために一人で激務を抱え込むことでなんとかしてしまわれたのだ。
貴族の頭数自体が足りなくなり、青色神官見習いや青色巫女見習いたちを還俗させ特別措置を申請し貴族院へ詰め込んで貴族とさせたが、元々魔力量の少ない者たちだ、質の悪い貴族が排出され、騎士団の統率が乱れるなどの問題も起こった。
それもフェルディナンド様が再び騎士団長に就任することで、これらの愚か者どもを締め上げ纏め黙らせてしまった。
礎への魔力供給が困窮する中、この期に及んでジルヴェスターが第二夫人を娶ることを嫌がり、あまつさえフロレンツィア様が第三子を身ごもったと聞いた時には耳を疑った。いや、ジルヴェスターの正気を疑った。
領主一族の魔力不足についてジルヴェスターが「カルステッドを領主候補生に戻せば良いではないか」と言い出したが、ヴェローニカの横暴で上級貴族に落とされたカルステッドは、またヴェローニカが招いた混乱のせいで身勝手に領主候補生に戻されることを忌避した。何より、ヴェローニカとライゼガンクの確執を考えれば、ここは無理にでもジルヴェスターにライゼガング系から第二夫人を娶らせるべきだと考えたために、自分が領主候補生に戻ることを拒んだように思われる。それしか領地を護る道がなくなれば、否応無く第二夫人を娶るだろうと。
しかし、ジルヴェスターに何を吹き込まれたのか、ジルヴェスターとカルステッドの間に軋轢が生まれかけると、フェルディナンド様が魔力供給に尽力することでこの問題をギリギリの線で解決してしまわれた。人一倍、回復薬を飲み続けることで。
現アウブ・エーレンフェストは今や誰よりもフェルディナンド様を信頼している。フェルディナンド様には正しく名誉と権力が与えられた。
だがしかし、騎士団長、領主候補生としての職務は昔のままに、神官長としての神殿の業務も追加され、フェルディナンド様は目に見えて忙殺された。ジルヴェスターもベーゼヴァンスも、恥知らずに自分たちの仕事を次々とフェルディナンド様の上に積み重ねる。何度この痴れ者共を斬り殺しそうになるエックハルトを止めた事だろう。私とてずっと我慢の限界だった。

「何故忙しそうな方と退屈そうな方が居るのですか?」

一石を投じたのは、あまりに無垢な子供の一言だった。
夏の終わりに神殿に入った青色神官見習い……レーベレヒトの末息子のハルトムートだ。

「奴らは無能で、仕事を任せても役に立たぬからだ」
「私も何も知らないうちは何もわかりませんでした。兄上や教師たちに教わって色々なことが出来るようになりました。成長の速度はあるかもしれませんが、使えないのなら使えるように教育すれば良いのでは?皆で分担した方がすぐに終わります。将来的には効率的になるのではないですか?」

木札の枚数と人数を使って、わり算の計算の例題のようにその子供は説明する。それがまるで「子供でも判ることですよ?」とでも言われているようで癇に障った。悪意があるのか無いのか判断が付かないとぼけた顔は、父親のレーベレヒトそっくりだ。だが、言われてみればその通りだ。

「まずは誰がどれだけ出来るのか試験して、現状の能力に応じて教育を行い、執務が出来るように育てて仕事を割り振りましょう。先日、計算の例題で同じ様な問題を解きました」

一々癇に障る物言いが、子供故の無垢なものなのか挑発なのかわからない。
面倒に思ったのかフェルディナンド様が「其方に任せる、其方の考えた通りにやってみろ」と今仕事を与えていない役立たずの青色神官を数名指名してハルトムートに丸投げした。
自分も入れて試験を行い、大人たちの中でハルトムートが最も優秀な点数を挙げた。そして数日して「私程度にはしておきました」と言って青色神官たちを返却してきた。簡単な計算が正確に出来るようになっていて、計算機として役立った。
結果としてフェルディナンド様の負担が多少だが軽くなり、ハイデマリーが奮起した。「わたくしだってそのくらい出来ます!」とハルトムートに対抗し、青色たちの教育に取りかかった。
そうして徐々にフェルディナンド様の負担が軽減していった。
ハルトムートは何を企んでいる?神殿に入ったことは、レーベレヒトの差し金ではないのか?フェルディナンド様に付け入り、信を得て、情報を抜く算段か?相手はあのレーベレヒトの息子だ。子供といえど油断は出来ない。

「フェルディナンド様はあちらのお部屋で何をなさっているのですか?」
「少し時間が出来たから、調合や研究をなさっておられるのだろう」
「見学させていただけませんか?兄上の調合をよく見せてもらっているのですが、人の調合を見るのは楽しいですし、少しならお手伝いも出来ます」

やはり神殿でフェルディナンド様を監視することが目的か?

「フェルディナンド様のお邪魔をさせるわけにはいかぬ。調合なら私がつきあってやろう、其方の腕を確認し、邪魔にならぬと判断できればフェルディナンド様に掛け合ってみよう」
「本当ですか!?ありがとうございます!!」

そもそも私が文官として情報収集の仕事に興味を持ったのは、同じ人物が時と場所によって異なる言動をすることを知ったからだ。この子供の表と裏を診てやろうではありませんか。

……随分と手際が良いな」
「そうですか?指導者が優秀だったのでしょうね」

上級貴族の、レーベレヒトの家ともなると、優秀な教師を雇えるのだろう。もしくはハルトムートに調合を見せていたという兄たちが優秀なのか。工房に入れて魔力を使わぬ作業を任せると、幼いながらに拙いまでも、行動の順序に無駄はなく感じられた。まだ貴族院に上がる前の子供にしては上出来だ。
しかし、時に褒めたり、指摘をしたり、揺さぶりをかけてみても、ハルトムートはまるで他人事のように自分の能力を評価して毒無く微笑み、なかなか粗や尻尾を出さなかった。レーベレヒトもヴェローニカの悪意がフェルディナンド様へ向くように仕向けておきながら涼しい顔で素知らぬ素振りを見せていたが。

「ユストクス様、これは何ですか?」
「それはクヴェルヴァイデの葉で、エーレンフェストでは採れぬ貴重な素材だ」
「ユストクス様、こちらは?」
「それはリュエルの実で、エーレンフェストでも採れる秋の素材だ」

これはレーベレヒトの教育の賜物か?それとも単なる子供の無邪気さか?私は今、しなくても良い警戒をしているのか?もしもそうなら拍子抜けだ。やがてそう思わせるほど、ハルトムートの態度は明け透けで、警戒心も薄い様子であらゆる物事に興味を示した。

「秋の素材ですか?では風の属性が強いのですか?そういえばもうすぐ収穫祭という神事が行われるのですよね?私も手伝わせていただけませんか?徴税官をしている叔父から話は聞いているのです。貴族街から出て他の地を見てみたいと思います。それに、綺麗な素材にも興味があります。収穫祭の間に少し足を延ばして、自然に成っている素材を見ることは出来ないでしょうか?」
「では私が徴税官として同行しましょう」

最後の警戒として、収穫祭の行程の中で四六時中見張っていれば子供であればいつか尻尾を出すかと思い目を光らせることにしてみたが……結果はやはり、拍子抜けだった。嬉しい誤算と、言えなくもないかもしれぬが。

「ユストクス様、今夜はシュツェーリアの夜で、月の色が変わるのでしょう?私はいつも早く寝かされるので、まだ見たことがないのです。こっそりと夜更かしをしても良いですか?」

あのレーベレヒトの息子とは思えぬ無害っぷりだ。演技だとしたらたいしたものだが、慣れないはずの長期間の移動の中でこの歳の子供がこれほどまでに演技を続けられるとは考えづらかった。ならば、これがそのまま本性か。

「先日見せたリュエルの実を見に行ってみるか?」
「良いのですか!?」

レーベレヒトの息子というだけあって、優秀であり知識や頭の回転はこの歳の子供の平均よりも高いのだろうが。キラキラした瞳はオティーリエにそっくりな橙色を輝かせる。一度「警戒は無用」と判断してみると、素材集めの観点や好奇心の有り様から非常に話が合う相手だった。エックハルトかラザファムに言ったら「精神年齢が近いのだろう」と言われそうだから言わないでおくが。
まだ騎獣を持たぬハルトムートを前に乗せて騎獣を飛ばし、リュエルの実を見に行ってみる。手を伸ばそうとするハルトムートに「まだ其方は魔力を流すな」と窘めた。私とて興味はあるが。
しばらくすると魔獣が集まってきたため、すぐさま騎獣の高度を上げて避難する。

「シュツェーリアの夜はこのようなことが起こるのか」
「普段は起こらないのですか?」
「少なくとも私が前に来た時はこうではなかった」
「特別な実なのでしょうね、大きくなって強くなったら取りに来てみたいです」
…………

毒気が抜ける会話を聞いて、早く館に戻らなくてはと思わされた。
私も珍しい実は手に入れてみたいのだが、このような幼い子供を同伴して敢行することでもないと思い留まる。
……ハルトムートの成長を待つのはさておき、フェルディナンド様とエックハルトには報告して、来年にでも採取に来よう。

そうして泊まるべき館に戻り、ハルトムートを側仕えに任せてこの日を終える。我々の担当する地は此処で最後だ。
明日には神殿へ戻ろうという最後の夜のことだった。

同日のシュツェーリアの夜に再び季節外れの雷が落ち、その雷(いかずち)がベーゼヴァンスの身を焼いたと聞いたのは、それから数日後の事だった。 




《ハルトムート》

相手から情報を引き出したい時、まずは信を得ること、油断されること、懐に入ること、これは上級文官として当然の準備だ。
信を得るには嘘を吐かないこと、油断されるには無害を装うこと、これは基本中の基本。懐に入るには相手に好かれようとすれば簡単だが、相手の『好み』を演じる以外に、『相手自身』を真似るという手法がある。
人間はどれだけ謙遜しようと、自己肯定感が低かろうと、自分と共通点が多い人間に安心感を覚えて気を許すという心理法則がある。
以上のことを踏まえ、『ユストクスの真似をすること』は色々な意味で都合が良かった。主から変人と評されようが、アレでも領主一族に仕える傍系一族の者だ、上級文官として見本に出来る部分は多かった。そして冷静さを欠く好奇心の塊のような振る舞いは、私が『好奇心旺盛な無邪気な子供』を装う上でも打ってつけの見本だった。必要な素材や情報を集めたい私にとって、『無害な子供』を装いながら目的を果たせるのだから都合が良い。そして最も警戒すべきフェルディナンド様の側に控える文官だ、これの警戒を解くことは同じ織地で私が動くためにはまず最初にクリアしなければいけない試験でもあったため。ユストクスのように振る舞いユストクスの警戒を解く……こんなに都合の良い話はない。

「指導者が優秀だったのでしょうね」

そう言った言葉に嘘はない。何度やり直しても中々勝てなかった貴方に、記憶を繰り越せない貴方の知り得ぬ知識を持って、貴方を賞賛し、貴方を出し抜けるとは、こんなに愉快なこともない。
最初の織地から幾度となく教えを受けてきましたが、貴方は実に素晴らしい師匠だと思っていますよ、ユストクス様。





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