@KouSyuuka
《ローゼマイン》
私だって馬鹿じゃない。
『私が何をしてもハルトムートは裏切らない』
なんて、呑気なことは思っていない。
私が『ハルトムートの思う私』でなくなれば、その時は失望もされるだろう。そうなればハルトムートだって私から離れるはずだ。
もし何もかもに疲れたら、ハルトムートに始末してもらおうか。
……なんて、失望された後でまでハルトムートを頼ろうなんて、私はすっかりハルトムートに甘えてしまっている。
「ハルトムート、もう疲れました。フェルディナンド様のことは諦めます。全てを終わらせて、わたくしたちだけで幸せになりましょうか」
「ローゼマイン様……」
何回目の失敗をした時だろうか。私がそう呟くと、ハルトムートは痛ましげな声で私の名を呼び、眉尻を落として私に静かに近付いた。
「悲しいです、ローゼマイン様」
そう言ってハルトムートは私の首に指先を伸ばした……けど、それは私の肌に触れる前にピタリと止まった。
「私の忠誠を試すのですか?そんなこと、思ってもいないでしょうに」
『悲しいです』と言っておきながら、茶目っ気を滲ませる表情でハルトムートは私の顔を覗き込む。『悲しいです』と言ったのは、私が全てを諦めると言ったことではなく、私が思ってもないことを言ってハルトムートを試したことに対してだと。
「やっぱりハルトムートにはお見通しですね」
私もハルトムートにつられてクスリと苦笑する。
諦められたらどんなに楽だろう。でも、どうしてだろう、どうやったって私には全てを諦めることは出来ない。
私が『ハルトムートの思う私』でなくなれば、その時は失望もされるだろう。
問題は、『ハルトムートの思う私』は、私以上に私を理解した私の姿だということだ。
「大人しくしているんだ、あとで様子を見に来る」
「はぁい」
ようやく七歳の夏になり、洗礼式を行うために神殿に来た。一度目の時のように、式の最中に具合が悪くなったフリをして、神殿内の一室に運ばれた。神官が部屋を出て行き、パタンと扉が閉まると、すぅっと青の衣を纏ったハルトムートが姿を現す。最初から部屋に居たのか、姿を消した状態で私たちと一緒に部屋に入り込んだのか。
「ローゼマイン様」
私はハルトムートが跪く前に、掛け布団から片手を出して掌を上に向ける。ハルトムートは私の意を察して、私の掌に盗聴防止の魔術具の片方を乗せた。私はそれをぎゅっと握りしめて、掛け布団の中に手をしまう。
「報告を。神殿の中はどうですか?フェルディナンド様は?」
「王命により清められ、アウブを神殿長、フェルディナンド様を神官長として、正しく神に祈りを捧げる場として機能しております。フェルディナンド様の負荷も軽減されつつあり、祈念式や収穫祭の折に素材を集めては、空いた時間に調合を楽しんでおられます」
「そうですか」
ふぅと胸が軽くなり、自然と頬が緩む。
けれどその直後、徐々に頭が重くなっていくような気がした。
「……ハルトムート」
「はい」
「わたくしはこのまま帰ろうと思います」
「……ローゼマイン様?」
本当はこの後の計画では、私が身食いであることを打ち明け、一回目の時のように青色巫女見習いとなり、神殿に入り込むことになっていた。でも、フェルディナンド様がようやく幸せになれたのなら、それももう要らないような気がしてきた。
ずっとずっと長い時間を戦ってきた。きっと此処が、やっと辿り着けたゴールだ。
「トラオクヴァールはよくやってくれました。シュタープの取得学年も変更され、祠巡りも周知されました。アーレンスバッハはダンケルフェルガーとドレヴァンヒェルが抑えてくれるでしょう。あとは、『本当にもう大丈夫』と思えた段階で、ハルトムートから王族にグルトリスハイトの取得方法のすべてを伝えてもらえれば、この織地で本当に最後になります。……フェルディナンド様が、この先もずっとゲドゥルリーヒであるエーレンフェストで、大好きなお兄様のそばで、家族に適度に必要とされながら、趣味も楽しむ時間がもてるなら……もう、わたくしは必要ありませんね」
「ローゼマイン様、」
「わたくしが関わればまたフェルディナンド様に負荷をかけます。フェルディナンド様が幸せになったのなら、わたくしはこのまま消えた方が良いのです」
私は何を言っているんだろう。こんなことを言われて、ハルトムートが「そうですね」なんて言うわけがない。それでも、思ったことを口にすることを止められなかった。
何度もループを繰り返す中で、フェルディナンド様に始末されたことも何度かある。私はエーレンフェストに不穏の種を撒くと。一回目なんてまさにフェルディナンド様の言う通りだった。私のせいでフェルディナンド様は殺されたようなものだ。一回目だけじゃない、何度フェルディナンド様が私のせいで命を落としたんだろう。
そうじゃなくたって、こんな問題児はフェルディナンド様に関わらない方が良いに決まってる。私はこのままそっと居なくなる方が、フェルディナンド様のためなんだ。そう思うことをどうしても私は否定出来ない。私は私自身を肯定できない。
「……ローゼマイン様」
ハルトムートは布団の上から私の腕の上に手を乗せた。直接肌が触れ合うことはないけど、今はまだ軽くて小さいその掌からぐっと力強い思いが伝わった。そして、いつもと違う、あまりに柔らかくて優しい声が耳に響いた。
「大領地も神々も敵に回してもフェルディナンド様を護って幸せにするのだと仰いましたね?では、その誓いを護らなければなりません。己の運命さえも敵に回して、フェルディナンド様の幸せを最後まで見届けなくては。私の敬愛する女神の化身ローゼマイン様は、そのくらいのことが出来るはずです」
「ハルトムート……?」
大領地も、王族も、神々も、誰を敵に回してもフェルディナンド様を助けると確かに言った。でも、『自分の運命さえも敵に回して』……?
「タウの実や屑魔石での延命はそろそろ限界です。神殿に入らなければ、ローゼマイン様は近い将来高みへ登ることとなるでしょう。しかし、この先本当に何もないとは限りません。もしもローゼマイン様が明晩にも高みへ上り、その後にフェルディナンド様に何かあれば、誰がフェルディナンド様を護るのです?恐れながら、私だけの力では限界があります。元より、ローゼマイン様に名を捧げている私はローゼマイン様と共に高みへ登ることになるでしょう。誰もフェルディナンド様の危機をお救い出来る者が居なくなれば、我々がこれまで誓ってきたすべてが無意味なものとなります。フェルディナンド様の『最後まで』、その幸せを見届け、守り続けることが、ローゼマイン様がした誓いであるはずです」
「…………ハルトムート……」
「これからも私はローゼマイン様の手足となり、持てるすべてを捧げて助力いたします。どうか、あと少し頑張りましょう」
疲れたのだ。私はもう本当に、疲れてしまった。
フェルディナンド様が幸せそうに調合を楽しむ姿を想像して、安堵と共にあらゆる力が抜けてしまった。
でも、まだここはゴールじゃないとハルトムートは言う。先の見通しがよくて、私の望みを理解しているハルトムートがそう言うなら、確かにそれも正しいのだろう。
「………今日は、このまま帰ります……以降、ベンノと共に寄付金を持って神殿に来ますから、渡りをお願いいたします。当初の予定通り、わたくしの監視員はハルトムートとし、わたくしが起こす負担はフェルディナンド様ではなくハルトムートに行くように」
「心得ております、ローゼマイン様」
私は壁側の腕を気怠く頭の上に乗せて、呟くように指示を出す。ハルトムートの方を見ることなく雑にもう片方側の腕を出して魔術具を返せば、ハルトムートはいつものような声色に戻り、上級貴族然とした恭しい声で恭順の意を示した。
《ユストクス》
冬の始まりの宴で、今年も十歳となる子供たちにマントとブローチが授与される。その中に並ぶ夜色の髪の少女を見つめ、何とも不思議な気分になった。
彼女と初めて出会ったのは四年前の夏だった。ハルトムートが「会ってほしい商会がある」と我々に話したのが始まりだった。『我々』と言っても、正確には神殿長であるアウブ・エーレンフェストと、神官長であるフェルディナンド様にだ。私は側近としてフェルディナンド様の後ろに控え、それを聞いていたに過ぎない。
「順を追ってお話ししましょうか?」
正規の手続きを踏み、面会の予約を入れ、ハルトムートは神殿長と神官長をもてなし、毒見を済ませるとツラツラと話し始めた。神殿を清めることは王命だったとしても、今までの慣習では『神官』は下級貴族以下を指すこと、自分は上級貴族の立場のまま神官となったこと、前例が遠い過去である以上どのような格の調度品で部屋を整えれば良いかわからず、それならばいっそ名声も汚名もない商会を取り立てて共に手探りで色々と試してみようとしたことを。
「ちょうど『課題』も出ておりましたし」
情報の裏取りや噂の広め方の手段の一つとして下働きの者や商会を使うこともあるとは以前話したが、貴族は基本的に平民の言葉を信用しない。あまり一般的ではない手段だとも伝えたはずだが。それともレーベレヒトたちから、商会の選び方や扱い方を課されたのだろうか。まだ貴族院に入る前の子供にも、容赦のないことだ。
「その商会が、目新しく面白い商品と、それと面白い少女を抱え込んでいるようでして」
ハルトムートが使うことにした商会は『ギルベルタ商会』といい、女性向けの服飾を主に扱うものの、最近では紙やインクといった系統の違う品も取り扱うようになったらしい。
「ギルベルタ商会の取り扱う『紙』は今までの羊皮紙と異なります。作り方、使い方次第では新しい魔紙も作れるのではと……」
チラリ、とハルトムートはフェルディナンド様に視線を向け、同時にフェルディナンド様の指がピクリと動いた。研究してみたいのですね、興味をそそられましたか?一方でアウブも『今までにない新しい物』に興味津々のご様子だ。
「それと、先日の平民の洗礼式で途中で倒れた少女がいましたでしょう?彼女はギルベルタ商会の関係者で、そして倒れた原因は身食いだからです」
「何?身食い?」
「えぇ、ギルベルタ商会は、彼女の魔力を神殿に奉納する代わりに神殿で庇護してもらえないかと考えておりましたよ。本来なら従属契約を交わして一方的に魔力を搾取すれば良い話ですが、先程の『新しい紙』と話が絡んできます。作る工程も羊皮紙を作るのとはまるで異なるため、量産するためには新しい工房と、それと単純に作業員が必要になります。孤児院ならば広さもちょうど良いそうですし、孤児たちに作業をさせれば原価も抑えられます。神殿の管轄で生産されるものならば売り上げの一部も当然神殿に上納すると。それならば彼女と単なる『従属契約』を交わし奴隷とするより、神殿で抱え込んだ上で工房を理由に孤児院の管理も全て任せて利益を頂いた方がこちらに利があるかと。言わば、これは『投資』です」
「ふむ……投資というからには、現物を見ないことにはな」
「えぇ、ですからその『新しい紙』と『身食いの少女』の価値を確認していただくべく、面会の時間を頂きたいのです。あぁ、ギルベルタ商会についてはこちらで調べた情報と、家族が使っている他の商会や下働きの者たちから聞き取った客観的な評判などをこちらの木札に纏めておきました」
……面会に予約が必要な理由は、当日までに相手の情報を調べる必要があるからだ。だが、その情報は既に調べてあると言う。
「では明日にでも……」
「三日後だ。ユストクスに念のため裏を取らせる」
前のめりになるアウブを制し、フェルディナンド様が口を挟む。
……結果を申し上げれば、ハルトムートの情報に過不足は無く、情報収集の手腕が既に私と同等であるという事実を突きつけられた。
そして迎えた当日、生粋の商人相手に、神官長であるフェルディナンド様や神殿長であるアウブ・エーレンフェストが商談に慣れていなかったこと、アウブ・エーレンフェストが孤児院工房の件を面白がって許可したことで、ベンノたちが持ち出した交渉はほぼそのまま承認された。
「投資を進言したからには、この件の失敗や面倒はわたしが当然負担しましょう」
そして孤児院に工房が入ると、元より好奇心旺盛だったハルトムートは年頃の近い子供たちも多いことから孤児院に足繁く通うようになり、貴族と平民の発想が合わさることで様々な商品が生まれた。……と、我々は思わされていたのだが、それを知るのは随分と先のことになる。何にせよ、ハルトムートがマインの管理をそつなくこなしていったこと、孤児院工房の収支報告などの報告書はわかりやすく纏まって提出されていたことで、マインの存在を我々は問題視しなくなっていた。そして同時に奉納式と祈念式、トロンべ討伐後の癒しの儀式でマインはかなりの魔力量を見せつけた。
「このまま身体も成長すれば今より魔力も増えるでしょう。正しい魔力の使い方を学ばせること、それにはシュタープが必要になるかと愚考いたします。シュタープを取得するには貴族としてのメダル登録をしておいたほうがよろしいでしょう。マインは身食いのため体格も小柄ですし、次の夏にもう一度貴族として洗礼式を行ってもよいかと。エーレンフェストは他領に比べて人数が少ないのです。貴族院で探りを入れられるより、子供は一人でも多い方が良いのでは?」
「ぐっ」
短く言葉に詰まるアウブの声はほぼ同意を意味するものだった。
そうして我々は彼女の二度目の洗礼式を見届け、それから更に数年、ついに彼女が貴族院へ赴く日がやって来た。
……だがまさか、四年前の夏のあの日には、このようなことになろうとは考えもしなかったものだがな……
◆次の段階へ
◆目次に戻る