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⑫ μ枚目の織地 - 3

全体公開 1 11936文字
2026-06-07 21:57:48

最後の織地/貴族院

Posted by @KouSyuuka

《ローゼマイン》

貴族院に入学し、やっとこの場に戻って来れた。特段「行きたい」と思っていたわけでもないけど。
何回ループを繰り返しても、貴族院に行くには準備を整えるのが大変だから、毎回準備期間の長さに関わらず、疲労の意味で「やっと」という気持ちにはなる。
今回は私たちが生まれる前まで織地を解かれてたわけだから、他の貴族の子たちと同様、ここに来るまでに十年が掛かってる。今まで以上に「やっと来れた」という疲弊の感想が出ても致し方ないことだと思う。

ブローチを貰い、転移して、歓待を受け、進級式と親睦会を終え、いくつかの講義を合格していく。ここまでならいつも通り。もう何十回と経験してる私には飽き飽きなルーチンだ。
問題はここから。
早速他領の領主候補生からお茶会のお誘いが届いた。相手はドレヴァンヒェルのアドルフィーネと、ダンケルフェルガーのレスティラウト。うん、このへんは想定していたから、身構えなくても良いか。

準備を整え、いざその日を迎える。
しばらく当たり障りのない会話をしてから、アドルフィーネが範囲指定型の盗聴防止の魔術具を取り出した。

「本日はこちらを使用させていただきたいのですけど、信用出来る側近を一人ずつ残して、あとは範囲の外に出し、背を向かせていただいても構いませんか?」

下位の私たちに拒否権はない。
しばらくして、ダンケルフェルガー側はレスティラウトとクラリッサが残り、ドレヴァンヒェル側はアドルフィーネと彼女に名捧げしていた側仕えが一人、エーレンフェストはもちろん私とハルトムートだ。
この六人だけが範囲の中に残って、他の全員が壁の方を向いたのを確認してから、私が盗聴防止の魔術具を起動させた。
その途端、ぎゅっとレスティラウトの眉間に皺が寄る。

「『領主候補生のハルトムートと中級文官見習いのローゼマイン』だと?其方たち、何をふざけている」

ハルトムートが立ち上がり椅子を引いて私に席を勧めるのと、レスティラウトがそう言い終わるのはほぼ同時だった。

「私とて敬愛する主を後ろに立たせる苦しさで、毎日心が張り裂けそうです」

ハルトムートはその気になれば感情を隠し取り繕うことが出来るくせに、わざとらしく大仰にヨヨヨと嘆く表情を浮かべる。
領主候補生を立たせて、側近の中級貴族の私が椅子に座ってたら、壁を向いてる誰かがちょっとでも見たら驚くだろうな。
でもずっと立ってるのも疲れるし、ハルトムートの気遣いに甘えて椅子に座らせてもらうことにする。今、範囲の中にいるのは、全員『前回』の記憶がある人だけ……つまり、私が元々は領主候補生だったことを知っている人だけだから、別に良いだろう。

「世界平和のために必要な処置ですわ。聞かなくても問題ありませんが、理由の説明が必要でしょうか?」
……一応話せ」
「『前回』もわたくしは、アウブの養女となることで領主候補生となっていました。そこまではご存じですよね?」
「あぁ」
「養子縁組で領主一族に加えられるからには、実子以上に、それに見合う功績を示す必要があります。ですが、わたくしの知識と魔力量でそんな努力をいたしましては、貴族院で毎回問題になるのです。特に今回は政変による繰り上がりもなく、エーレンフェストは下位のままですから。わたくしが起こすトラブルに、エーレンフェストは対処出来ませんわ。けれど、真の実力を推し量れなくても『努力をしているか否か』はわかるものです。『手を抜いている』ことは判ってしまいますから、そうなれば今度はそれを咎められる……となると、わたくしは『領主の養女の立場にならない方が良い』という結論になるのです」
「だが、アウブと養子縁組をしないにしても、元々の其方は上級貴族ではなかったか?」
「嫌ですわレスティラウト様、今回はわたくしの洗礼式前まで織地を解かれたのですよ?貴族は血の繋がりよりも洗礼式を誰の子として受けるかで親子関係が決まるのではないですか。元々わたくしは神殿育ちでしたから、誰の元で洗礼式を行うか選べばいいだけですわ」
「『だけ』ということもないだろうが……まぁいい、理由は判った」

レスティラウトは何かを諦めたように、パタパタと手を振って話題を終わらせた。
本当は世界平和のため(それ)だけが理由じゃないけど、まぁ嘘じゃないし、二人に説明する分にはこの言い分で良い。
他には、私が領主候補生になったらその後見人はそれ以上の地位が必要になるから、どうしてもフェルディナンド様に迷惑が掛かるから、とか。
私のトラブルはハルトムートだけで対処可能にするためには、私が上級貴族以下の身分でいなきゃいけなかった、とか。
私が目立ったり矢面に立ったりするのはもううんざりだ、とか。
これで念願の「目立たず埋没して図書館に引きこもる」という夢が叶う、とか。
領主候補生のハルトムートが、側近文官見習いである私に命じてくれることで、堂々と怪しまれることなく自然に図書館に通える、とか。
そういう理由もあったけど、言わなくてもいいよね。うん。

「ハルトムート様が領主候補生になられているのは?」

去年まで上級貴族だったハルトムートが今年から領主候補生になっていて、同学年のアドルフィーネが水を向ける。でも今は椅子に座っている私が主だから、私が答えるべきだろう。

「ハルトムートの肩書きは、護衛騎士が盾を構えるのと同じ意義があるのですよ」

背が高い人が傘をさせば、その下の人は雨水を避けられる。ハルトムートの方が上位になることで、余計な火の粉をそこでくい止めてもらえる。

「そう……ところでわたくし、この織地ではアウブ・ドレヴァンヒェルを目指しているのですが、そのためには領主候補生の夫が必要なのです」
「だそうですよ、レスティラウト様」
「其方たち、わかって言っているだろう……

レスティラウトがげんなりした様子で呟いた。まだ本題にも入ってないのに、今からそんなに疲れてて大丈夫かな?相対的に真面目な人ほど苦労するよね。アドルフィーネも冗談だっただろうし、それをわかった上で即座にダイレクトパスするハルトムートもどうかと思うけど。

「ハルトムートは役目を終えたら上級に戻りますよ。ヴィルフリートのフォローのためという名目なので約束は二年です。エーレンフェストはアウブのワガママで領主一族の人数不足と魔力不足が深刻ですから、魔力供給のためになぁなぁで契約延期になりそうですが。どの道、わたくしに名を捧げているハルトムートを、アドルフィーネ様に差し上げることは出来ません。毎回名を縛るのも面倒で神々に糸の単位で名捧げ状態にしてもらったので、もう解除も出来ないのですよ」
「そうですか、残念ですわ」

まったく思ってなさそうだ。アドルフィーネは涼しい顔でお茶を飲んだ。そもそもハルトムートはアドルフィーネの好みじゃなさそうなんだよね。アドルフィーネの好みのタイプとか知らないけど。何となく二人を並べると、同族嫌悪しそうな空気を感じる気がする。広げても面白くなさそうなジョークだし、この話は終わらせて良いかな?

「それで、情報はハルトムートから聞いていますが」

私もお茶を一口飲んで、話題を本題へ移そうと言った。
王族の現状、ラオブルートとランツェナーヴェのこと、ゲオルギーネのことは既に聞いている。
王族は第一王子が第二王子暗殺(未遂)の現行犯で捕まる以外に、荒事は起きていない。第三王子、第四王子も存命で、各王子たちの子がそれぞれ貴族院に滞在していた。エグランティーヌも『第三王子の娘』として、領主候補生の親睦会では王族として前の席に座っていた。
少し意外だったのが、アナスタージウス王子が生まれていないということ。ハルトムートに「『前回』でトラオクヴァールと同調して作戦会議をしていた時に何か吹き込みましたか?」と聞いてみたけど、「私から命じてはおりませんが、王子たちの愚かさに随分と疲弊し心が折れきっていたようではありました」とだけ言われた。まぁ、それはいいか。
むしろハルトムートがアレコレ指示をしていたのは、ラオブルートの消し方と、ランツェナーヴェの対応についてだった。王族産のマニュアル版グルトリスハイトだとしても、第二王子は国の運営が出来るレベルのグルトリスハイトを受け継いでいる。いつでも国境門を閉じられる。トルークがヴァッシェンで落とせることも使って敢えてラオブルートを泳がせて証拠を集めて、有利な立場で交渉の席に着き、ランツェナーヴェの思惑をあぶり出した。ダンケルフェルガーがランツェナーヴェ相手にディッターがしたいって騒いでたみたいだけど、そのへんは閑話休題、割愛しよう。
ゲオルギーネはアーレンスバッハの第一夫人の命を脅かしていた段階でドレヴァンヒェルから手を出してもらって処刑まで追いつめてもらった。具体的には『前回』で作り方を教えていた魔術具を使って、ほぼ裏技的に証拠を集めさせたけど。因みに第一王子を現行犯逮捕できたのも、ラオブルートの足取りを追ったのも、ほぼ同じ手法だ。
ゲオルギーネが処刑された時、グラオザムたちも高みに登って、ただでさえヴェローニカの名捧げ貴族たちが道ずれになった件で貴族の数が減ってたエーレンフェストは一時期阿鼻叫喚になってたけど。……うん、あの時は大変そうだったなぁ、領主一族が。揃いも揃ってギーベが居なくなるんだもん。でも、もう過ぎた話だよね。
これらの話が既に終わっている今、特に他に話すことは無いと思うんだけど。

「話し合わなければならないことでもありましたか?」
「何もしないというわけにもいくまい」
「折角なのでお顔を見てお話がしたかっただけですわ。お元気そうで安心しました」

なんだ、特に問題が起こってるわけでもないのか。
じゃあ今度こそ外交じゃなく、私の知る意味で純粋なお茶会が出来るのかな?

「トラオクヴァール様と、お二人の尽力あってのことですわ。『今回』はわたくしたちは特に何もしていません。エーレンフェストの中の事にだけ注力出来て、とても助かりました」

そう言ってカチャリとカップを置く。流れでスルスルと出た言葉だけど、言ってみて確かにその通りだと自分でも思った。ご褒美というと上から目線だけど、二人に何かお礼とか利を配るべきだよね?

「改めて何かお礼が出来れば良いのですが……そうだ、髪飾りや印刷の製法を売りましょうか?」

ゆったりした空気に油断してたのか、お茶を飲みかけていたレスティラウトが吹き出してカップを取り落としかけていた。すかさずクラリッサがフォローに回り、レスティラウトに断ってからヴァッシェンをかける。レスティラウトのためというより、私が居る前でお目汚しを、という気遣いが見える視線を受けた。うーん、気にしない素振りを見せるのが優しさかな?ハルトムートはマイペースにカップとお茶を片づけてこっちはこっちでヴァッシェンをしてからお茶を淹れ直してくれる。

「その、そんなに簡単に譲渡して良いのですか?ローゼマイン様。髪飾りと印刷といったら、その価値は……

アドルフィーネも驚いてはいるようだ。あの貪欲なドレヴァンヒェルの人間までもがこんな風に気を使うなんて。リンシャンだけでも正確な製法に辿り付けていなかっただけに、ドレヴァンヒェルにこそ衝撃は相当のものだったろう。髪飾りはまだしも、印刷業は確かに歴史を変えるほどの発明だ。一回目の私だったら簡単に譲渡なんてしなかった。私と職人の功績を護るために。でも、今はもうそれも必要ない。
髪飾りや印刷を発案して私が目立った結果、フェルディナンド様は奪われた。だったらそんな威光は要らない。護る力が必要になるほどの功績と名声を、そもそも上げなければいい。それが今の私の望む平和だ。
考えてみれば簡単な話だ。私は本が欲しかった。欲しいものを買うためには代金が必要になる。だから私は代償を払うために大切な人を奪われた。奪われたくないのなら、最初から欲しがらなければいいという話。

「目立つことが嫌なので、この織地ではエーレンフェストでも髪飾りと印刷は情報を出していないのです。秘密にこっそりわたくしがお二人にお話しして、お二人が発案者ということでそちらの領地で好きに扱って下さって結構ですわ」
……そのような……
「ただし、これは条件でも何でもなくただの助言なのですが、職人は大切に育てた方が良いですよ。髪飾りを例に挙げればわかりますでしょう?糸を解いてみれば編み方はわかったはずです。それでもアレほどまでに美しい髪飾りを作れたのは、偏に職人の腕に依るものです。簡単に処分せずに、根気強く職人を育てることが、この事業の成功の鍵になります。印刷も簡単な原理は教えますが、精密な部分は職人の成長に期待してくださいませ」

最初の頃の私なら、ここでもっと「平民を大事に!」とコココンッと釘を刺しただろうけど、なんかもう面倒くさい。見えないところの命まで護ろうとするのは大変だ。最初の、孤児院を救おうとした時も、ハッセを救おうとした時にも、それは痛感した。ドレヴァンヒェルとダンケルフェルガーの職人がどんな目に遭おうと、そこまで口を出していられない。
私はハルトムートが淹れなおしてくれたお茶を飲んで、コトリとカップを置いて顔を上げた。殊更ニコリと深く微笑むことを心掛けて。

「それで?どちらがどちらを得られますか?レスティラウト様は髪飾り、アドルフィーネ様は印刷業?」

普通は男女や順位や商品の価値からしても逆だろうけど。
二人はそわっと喜色ばんだ顔で反応してから気まずそうに目を合わせた。
レスティラウトは髪飾りに、アドルフィーネは印刷に興味がありますよね?ふふふ




《レスティラウト》

恐ろしいと思わないか?
政変が起こらなかったため、エーレンフェストの順位は繰り上がることがなかった。此処に居るほとんどの者が、エーレンフェストを『見るところの無い片田舎の中領地』としか思っていない。前アウブの早逝により、現アウブはあまりに年若く頼りなく力無い。
そのアウブのたかだか養子の領主候補生…………その後ろに控える側近の、背の低い地味な中級文官見習い……
奴こそがこの国の命運を握っているなどと、誰が思う?
前の織地と呼ぶその世界で、あの女は誰よりも恐ろしく強かだった。なのに、今は誰もあの者を特に注視していない。
奴の思惑一つで、一拍後にもこの国を滅ぼすことが出来るなどと、誰が想像出来ようか。
あまりにも質が悪い冗談だ。考えるとゾッとする。

国を滅ぼすことが出来る力を秘めながら、うっそりと控えめに微笑む。
国を救う力を秘めながら、実力をひた隠す。

光の女神の冠に彼女が願った『平穏』は、『余計な手を出すな、干渉するな、関わるな』という誓いだった。
それほどまでに権力を恐れ、他者を警戒させた過去を秘める。
大きすぎる運命を小さな身体に押し込んで。
救える手を伸ばすことを恐れている。
あの小さな頭にどれほどの記憶と功績、本来栄光を浴びるはずの知識が詰まっているというのか。
美しい彩りの糸の花が揺れていたはずの小さな後ろ姿を見つめる度、己の無力さを思い知らされる。

最低限の行動しか、我々は彼女から求められてはいないのだ。
それしか出来ない我々に、『行動には正当な利を配る』と宣い、大きすぎる施しをポイと捨てるように寄越してみせる。
大領地、上位領地、次期アウブ、ツェントの剣……大仰な呼び名のそれらがなんだというのだ。
そう思わせる小さな少女を、私は聖女とも魔女とも呼べずにいる。
あまりにも悪辣だ。




《ハルトムート》

記憶を少し遡る。
これはローゼマイン様が貴族院へ上がられる冬の少し前のことだ。
この織地では政変が起こらなかったため、エーレンフェストの順位は下位のままだ。
そのような状態で、無策のままローゼマイン様を貴族院へ行かせるわけにはいかない。ローゼマイン様を護るための策はいくらあっても足りないくらいだ。そのためには、アウブへの進言が必要だった。

「エーレンフェストは下位領地です。新しい流行で注目を集めれば、上位領地から、搾取せんとばかりの圧力を掛けられる場面もあるでしょう。ヴィルフリート様がたったお一人の領主候補生として対応するのは負荷が大きくなるのではないかと愚考いたします」

神殿改革は実に都合の良い状況を作ってくれた。
本来であれば領主一族でもなく領主候補生の側近でもなく成人もしていない私は、城であればアウブの執務室に入れることもなかっただろう。だが神殿でなら、アウブへの面会も通りやすい。神殿改革の王命が下った直後に神殿に入り、改革に関わって信を得ていたという点も大きい。
ローゼマイン様が考案した流行品はこの神殿から生み出されている。流行の発明に関わっているという事にしている私が、神殿で、流行品の扱いについてアウブに進言するということは、何も無理のある話ではない。

「そこで、どうでしょう、ヴィルフリート様と共に在学する二年間だけ、私を領主候補生とさせていただけませんか?」

ヴィルフリートのためなどではなく、ローゼマイン様のためであり、ローゼマイン様のご命令だからだが。ヴィルフリートとローゼマイン様が同学年になることは、面倒もあるが、この際利用させてもらおう。そちらがローゼマイン様の発案した流行をヴィルフリートの功績として流すというなら、こちらも愚かな領主一族を利用させてもらうまで。

「新しい流行はほとんど神殿からの発祥で、私は詳しく存じ上げております。領主候補生が二人となれば負荷を分散できますし、煩わしく面倒な対応はこちらに振っていただければエーレンフェストに良い結果となるように話をまとめてみせましょう。もちろん、私が貴族院を卒業したら養子縁組を解いていただいて構いません」

ふむ、とアウブは顎を擦る。
ヴィルフリートの件だけでなく、魔力量の多い養子を領主一族に迎えることは、礎への魔力供給の観点からも利があるはずだ。ヴェローニカが【天罰】により居なくなったことで、エーレンフェストは魔力供給に困窮している。神殿で神具へ魔力を供給する上で私の魔力量は把握されている。神具への供給は小魔石が光るためにわかりやすい。私の魔力量が多いのはローゼマイン式魔力圧縮法のお陰ですが。
また、私がライゼガンク系でありフロレンツィアの側近の息子である点もアウブにとっては都合が良いはずだ。
だが、面倒なことにアウブは素朴な疑問を口にする。

「ヴィルフリートの負荷を軽減させたいというのであれば、其方がヴィルフリートの側近となって力を貸せば良いではないか」

単純な話ならその通りだ。だが、魔力や派閥の観点での利に触れず、さも不思議そうにそう尋ねる様子からは、「自領の領民ならば息子に忠誠を誓って当然だ」という考えが透けて見えるようで吐き気がした。
当然、そのような感情はおくびにも出さず、用意していた回答を口にする。

「残念ですが、私はヴィルフリート様の側近になることは出来ません」

誤解を招きそうな言葉に対し、叛意がないと感じさせなければならない笑みを浅はかに浮かべて。

「私は婚約者と、共に(ローゼマイン様に)名を捧げる約束をしておりますので。領主候補生の側近が、主以外に名を捧げているなど、許されることではないでしょう?」

そう言ってみせて目を伏せて微笑む。
いくら作戦といえ、いくら嘘の忠誠といえ、私がローゼマイン様以外の、ましてやヴィルフリートの側近になるなど、断固として拒否したい。
私がクラリッサと恋仲であることは、ダンケルフェルガーの情報を得ていることからも既に周知されている。双方の親の同意を得て婚約を結ぶことも去年の領地対抗戦で叶っている。こうした言い方をしておけば、『夫婦で名を捧げあう』つもりだと勝手に勘違いされるだろう。
しかしいくらそれだけの情報が揃っていても、そのような馬鹿な理由で領主候補生の側近になることを断るなど、通常ではありえない。相手がこのアウブでなければ、私とてこんな手段は選ばなかった。だが、相手はこのアウブだ。勝算はあった。

「はははははは!!其方、意外とロマンチストだったのだな!!よしわかった、面白いから許可してやる」

そらみろ。まさに下位の田舎領地のアウブの浅慮な思考力だ。

「ジルヴェスター、許可するにしてももっと他にそれらしい建前を理由にしろ。領主候補生コースの講義では、領主一族のみが知ることを許される魔術についても教えられる。易々と権利を与えるべきではない。それに、『領主候補生』はその名の通りに、領主と成り得る立場を与えるということだ。其方の子達が蹴落とされたらどうする」
「私が婚約者と名を捧げあう約束をしている話は、恋物語の噂として流していただいて構いませんよ。女性貴族の間で瞬く間に広まるでしょう。他者に名を捧げている者がアウブとなることを、許す者はいませんよ」

フェルディナンド様は頭を押さえて溜息を吐いた。「私が領主候補生となってヴィルフリートを補佐した方がよい」という話は、既にフェルディナンド様には話を通してあり、根回し済みだ。もしもアウブが判断を渋った場合に援護してもらうことになっていたが、その予定もなくなったな。
後は、敢えて後々懸念されるであろう問題点を今のうちに指摘してもらい、私がその点についても問題ないことを今のうちに述べておけば、私が今後危険視されることも、軋轢が生じる可能性も減る。

「名を捧げることは本来他人に教えることでも、ましてや周知して広めることでもない。其方を恨む者が其方の婚約者を狙い、名捧げの道連れで高みに登ることを画策したらどうする?」
「私よりも婚約者(クラリッサ)の方が強いので問題ありませんね」
…………

一瞬だけフェルディナンド様は呆れるような憐れむような視線を私に向けるが、改めて目を細めると、私の瞳をじっと見据えた。

「五年生から領主候補生コースの講義を修めて卒業できるのか?」

本来なら三年生から四年間学んで修了する内容だ。それを二年間で修めるなど……

「自惚れではない自己評価として、私は『出来る』と考えておりますよ。季節外の申請も要りません。文官コースと併せて、卒業までに間に合わせます」

そう言ってニコリと笑う。ローゼマイン様の側近たるもの、その程度のことが出来なくてどうします?

「宣言したからと言って出来るわけでもなかろう」
「えぇその通りですね。やってみせることでしか証明は出来ません。……ですが、……護りたいものがあるなら、出来ないはずのことも失敗せずにやりぬくしかないことを、理解しているつもりです」

つい口に付いた信念を、フェルディナンド様はどう捉えたか。かつての自分を重ねたか、それとも私の腹の奥を探ろうとお思いか。

……其方の護りたいものとは?」

そう問われて、私は殊の外ニコリと笑う。

「『エーレンフェストの安寧』以外にございますか?」

自領と領主一族に忠誠を誓う領民のそれに見えたなら結構ですが。正直私は、こんな領地、こんな国は滅んでしまって一向に構わない。
私が望むのは主の望みのみ。我が主の願いが『平和なエーレンフェストでフェルディナンド様が幸せに過ごされること』だと言うのなら、私はその最低条件を満たすために、自他の何をも利用するに過ぎません。 




《レーベレヒト》

情報収集の早さは認めよう。
今日の日のうちに神殿でハルトムートがアウブの許可を取った話を聞きつけ、ハルトムートを問いただすまでは、まぁ良い。

「聞いていないぞ!!」

だが、取り乱したその態度は上級貴族としていかがなものか。

「婚約者に名を捧げるだと!?兄上は聞いていないぞ!?」

いつまで弟相手に自分を『兄上』と言って話す気か。ハルトムートも次の冬で五年になるというのに。見ろ、肝心の可愛い弟から、何とも胡乱な目で見られているではないか。

「オリスワルト兄上、私ももう婚約者の居る歳です。いつまでも子供扱いはおやめください」
「昔はあんなに可愛く『兄上』『兄上』と私の後ろを付いて回っていたではないか!!」
「昔の話です」
「私の癒しはどうなる!?」
「第一夫人によろしくお伝えください」

はぁぁ……どうしてこうなった……
これが私の跡取りかと、頭の痛い思いがした。




《アドルフィーネ》

この男とゲヴィンネンがしてみたかった。本当にただ単に、それだけでした。
ローゼマイン様の後ろで常にニコニコ微笑んでいる男の、腹の底を覗いてみたいという気持ちはありました。ゲヴィンネンは男性同士の社交で多用されるものですが、女性が嗜んではならないという決まりもありません。盤を挟んで戦略を練る行為は、ある程度相手の思考を読み解きなぞる真似が必要となります。駒の進め方を見ることで、この男の思考回路を読み解きたいと思ったことは事実です。
それに加え、いくらやりなおしの記憶があるにしても、何度も文官コースの最優秀を他領の男に奪われるのは、『知の領地』と呼ばれることを望むドレヴァンヒェルのわたくしには少々悔しいということもありましたから……
ゲヴィンネンの勝負ならば、記憶や知識の量に左右されず、頭脳の優劣を測れると思ったのです。
ハルトムートが領主候補生となってくれたおかげで、また同じ部屋で講義を受けることが出来るようになりましたから。機会を見て「回復薬を飲みます」と断りを入れて教室の後ろに下がり、ハルトムートと盗聴防止の魔術具を用いて社交の予定を合わせます。単なるゲヴィンネンの手合わせであり、ローゼマイン様や織地のことには関係が無いことを伝えて。
当日は互いの外聞に配慮しつつ、念のために範囲指定の盗聴防止の魔術具を展開して、ゲヴィンネンの盤を挟んで必要最低限の言葉を交わす。戦略次第でこの男の思考回路が少しは読めるかと思いましたが……まるで濃霧の立ち込める森を歩かされているようで、狙いが読めない。

「ディッターは勝てそうかしら?」

少々焦れて、わたくしはプレーヤー本人に揺さぶりをかけてみることにいたしました。そもそもゲヴィンネンが男性同士の社交で多用されるのは、盤上の戦略に意識を集中するあまりにプレーヤーの口が軽くなるためです。ドレヴァンヒェルの文官もまた、情報戦に多用する手の一つです。……けれど、相手も元上級文官、ゲヴィンネンに気を取られて口にする言葉に意識が向かなくなることなどないでしょう。

「はて、何の事ですか?終わりの鐘が鳴ることのない戦いはディッターとは呼べますまい。かの生涯を護り抜くと誓う忠誠を、宝と呼ぶのは少々無粋かと」
「そう……『宝』という言葉では足りないようね。では正しい喩え方から聞くべきかしら。彼女が貴方のゲドゥルリーヒなら、貴方はエーヴィリーベ?フリュートレーネ?シュツェーリアなら、貴方の盾はエーヴィリーベに敵うのかしら?」
「私ごときを大神に喩えるなど恐れ多い。彼の君がゲドゥルリーヒならば、私はしがない土の女神の眷属に過ぎません」

微笑みながらハルトムートはそう答えを返し、同時にコトリと駒を進める。
その一手で盤上の濃霧が晴れ、思いがけない局面に立たされていることに気付かされました。

「ただし、我が主がエーヴィリーベの腕を望むなら秋にシュツェーリアの背中も刺しましょうし、主がフリュートレーネの手を望むなら命の神にも逆らいましょう」

単なる神話になぞった喩え話か、それとも暗喩か。深読みをすれば、エーレンフェストは風の領地、そして命の神の国境門を抱くのは中央……王族。実際にこの男は、ローゼマイン様のためなら故郷が滅ぶことも厭わないだろうし、中央や王族に憚る姿勢は前の織地でもついぞ見せてはいなかった。そして単なる神話になぞらえた喩え話だとしても、生と死を繰り返している以上、命の摂理に反していることもまた事実……そして恐らくは、言葉通りに神に逆らうことすら恐れてはいないのだろう。

「ですが面白いのは……

そう言ってハルトムートはテーブルの上に肘を乗せ、両手の指を絡めるようにしてその上に顎を乗せてこちらに微笑みを向けています。まるで『次の手は必要ない』とでも言うかのように……事実、幾手をも頭の中で展開しても、こちらの勝てる道筋が見えません。

「我が主たるゲドゥルリーヒは、ただ護られるだけでも逃げ仰せるわけでもなく、自らが立ちはだかりエーヴィリーベを護り抜こうとするのですから、素晴らしいとは思いませんか?」

覆せない盤上が、『反論は認めない』と声なき言葉を主張するかのようでした。
『私の主こそ、誰よりも何よりも尊いのです』、と。





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