@KouSyuuka
《ハルトムート》
『始まりの庭』に辿りつく。
私の他にも、木の根元で『神の意志』を見つける者たちが何人も居る。
今の治世でこそ、全属性のシュタープを取得することは珍しいことではなくなったが。何度も織り直しを経験した中で、私が全属性のシュタープを得られるのは初めてのことで、何とも感慨深い思いが込み上げる。
だが、私が今日ここに来た真の目的は他にある。
私は一度、根元にある私の『神の意志』を無視し、その白い巨木に手を当てて魔力を流しながら語りかけた。こうすることで意思が伝わると、ローゼマイン様は仰られていた。ローゼマイン様と違い、特別でも何でもない私が願っても、神々に声が届くかわからぬが……
〔エアヴェルミーン、すべての神々、もしも、もしも……………………としても…………さもなくば…………〕
……願わくば、私のこの裏切りを、ローゼマイン様がお許しになることを切に祈って……
《ローゼマイン》
……気持ちが悪い同調薬を飲み込んで、ゆっくりと横になる。味覚の問題もあるだろうけど、それ以上に精神的な意味での気持ち悪さで吐き気を催す。それでもこちらに拒否権はないし、これで相手の気が済むならと億劫な気持ちで目を伏せる。
やがてふわふわと宙に浮かぶ感覚がして、ジギスヴァルトの得意気な声が聞こえた。
「さぁローゼマイン、貴方のすべてを見せてください」
「…………」
精神を同調しているからお互いの顔は見えないけど、見えていたら私はきっと顔を顰めて胡乱な視線を投げかけていただろう。それすらも不敬に換算されたらキリがない。面倒だし、とっとと終わらせてしまおうと私は自分自身の記憶を紐解いた。すべてを見せよと命じられたからには、とっととすべてを見せて終わらせよう。私は調合で魔石を染める時のように、えいっとあらゆる記憶をこの空間に叩きつけた。
裏切られた記憶、失望する記憶、絶望する記憶、怒鳴られる記憶、独りになる記憶、怖かった記憶、悲しかった記憶、毒で死ぬ記憶、刺し殺される記憶、斬り殺される記憶、今までの何回ものループの記憶、何年もの記憶、何十年もの記憶、
「、」
プツリと唐突に糸が切れるように意識が浮上して目を覚ました。なんだか周囲が騒がしい。
「兄上!?兄上!!」
あぁ、アナスタージウスがジギスヴァルトに声かけているのか。護衛騎士たちも動揺した声でジギスヴァルトの名を叫んでいる。当のジギスヴァルトは、焦点の合わない目を宙に彷徨わせて、唾液を溢す唇から譫言のような声を漏らしていた。
とにかく、この様子だともうこれ以上記憶の確認が続行されることはないだろう。私はゆっくりと身体を起こした。仰向けに寝る時に髪を解いていたから、簪でクルクルと簡単に髪をハーフアップにまとめ直して雑に止める。腰にかけていた回復薬……を飲むと見せかけて、液状化させていた私の魔力を飲んで、元の色に戻る。ジギスヴァルトの色に寄せたままだと、何かと不都合が起きそうだからね。
「其方っ、兄上に何をした!!」
「すべてを見せよと仰るので、命令に従ってすべてをお見せしただけですわ」
言われた通りにしただけなのに、なんでそんな賊軍を見るような目で睨まれなければならないのかわからない。本当に王族は自分勝手で理不尽だ。
「では何故兄上はこうなった!?」
「精神が壊れるほどの記憶だったというだけでしょう?」
記憶を見て精神が壊れたというなら、精神が壊れるほどの記憶だったというだけだ。そんなこともわからないの?私は眉を顰めて、視線でそう訊ねてしまう。それくらい自分で考えてほしいし、なんでもかんでも私に押しつけないでほしい。
「記憶の確認をする際には、確認者の精神が壊れることもあると聞いたことがありますよ?珍しい話ではないのではないですか?」
そういったリスクがあると言って護衛騎士たちは確かにジギスヴァルトを止めていた。知らなかったとは言わせない。何を考えていたのか、私を染めるという条件に唆されて勝手に「自分で確認する」と言い張ったのはジギスヴァルトだ。
私が暗に視線と声色で不満を訴えてアナスタージウスに答えると、何故かアナスタージウスはぐっと顎を引いて警戒する顔色で私を睨み付けて言った。
「っ……それは、記憶を覗かれる者が下手な抵抗をした場合で、その場合は覗かれる方も確認者も双方の精神が崩壊する」
あら、そうだったのですね。
「っ、何故其方は平気なのだ」
……振り返っただけのつもりだったけど、どうやら私はさっきよりも頭が冷えて、アナスタージウスを睨みつけていたようだ。軽い威圧になっていたようで、アナスタージウスの喉の奥からぐっと息が詰まる音が聞こえた気がした。目が逸らされなかったのはアナスタージウスの意思によるものか、それとも単に目をそらすことも出来なかったのか、それはどうかわからない。でも、アナスタージウスの瞳に映る私の目が、虹色に一瞬揺らめいたのが、確かに見えた。
「……平気なように見えますか?」
イラっとしながら無意識に返したその言葉に、私自身がその時初めて気がついた。あぁ、私はもうとっくに、平気なんかじゃなかったんだと。
「…………」
「あら、ローゼマイン様、お目覚めですか?」
「……えぇ、寝坊してしまったかしら?」
目を覚ますと貴族院の寝台の天蓋が見えた。今の私は中級貴族だから共同部屋を使っていて、同学年のカティンカが声を掛けてくれた。
「今日は土の日ですし、鐘はまだ鳴っておりませんので大丈夫かと思いますよ。あ、でもローゼマイン様は本日から奉納式のために神殿に戻られるのでしたね」
「えぇ」
私がゆっくりと身を起こすと、カティンカは「今日は婚約者と素材採集に行く約束をしているのです!」と嬉しそうに出て行った。それを見送って、私はふぅと溜息を吐く。
なんだろう、懐かしい嫌な夢を見た気がする。アレは何回目のことだったっけ?
グルトリスハイトに近づく素振りを見せたとかで、王族に「記憶を見せよ」と押し切られた時のことだ。あの後は結局どうなったんだっけ?あの時点で織地が終わったわけではなくて、まだ少し機織りが続いていたことは確かだ。寮に戻るとハルトムートが「気持ち悪かった」としきりに訴えていたことだけは覚えている。離れた場所にいてもハルトムートは私の魔力に縛られてるから、私の魔力の変化に敏感だ。私がジギスヴァルトに染められかけたことも寮で感じ取っていたらしい。確かに私も気持ち悪いと感じてたけど、私以上にハルトムートがあけすけに文句を言うから、なんだか呆れてどうでもよくなったりもしたものだ。
それにしても、織地によってはマティアスやクラリッサの名もその時々で受け取ってたけど、名を捧げてるくらいで私の魔力の変化をそこまで把握出来るのはハルトムートくらいのものだと思う。フェルディナンド様とは別の意味で、ハルトムートにも隠し事が出来る気がしない。まぁ隠す必要もないし、勝手に私の意思を読みとって動いてくれるからこそ、頼りにしているところもあるんだけど。
「ローゼマイン様、そろそろ準備をいたしませんと」
「えぇ、そうですね」
私は貴族院に同行してくれている側仕えの声に応えて立ち上がった。
『何かあった時のためにシュタープやグルトリスハイトは得ていた方が良い』とハルトムートが言うから貴族になって貴族院に通ってきたけど、それも今年で最後だ。記憶を持たせているレスティラウト、アドルフィーネ、トラオクヴァールとは何度か視線を交わし話もしたけど、大きな問題は起こっていない。アーレンスバッハ、主にゲオルギーネのことはラオブルートの件と合わせてこの三人が片付けてくれた。このまま何事も起こらないまま卒業してしまいたい。
そんなことを考えながら、一時帰領するための準備を進める。
……卒業すれば私も大人の仲間入りだ。何度もループを繰り返したけど、大人になれた記憶はほとんどない。成人すれば、ようやく私は青色巫女見習いではなく、青色巫女となる。そして貴族院になんて来ることもなくなって、神殿でフェルディナンド様を見守りながら一生を過ごせる。
あと少しだ、あと少し……何もなければ……そう祈りながら、私はそっと目を閉じた。
最後の最後に、ハルトムートは私のことを裏切った。
貴族院最終学年の冬、私は奉納式のために一時帰領して神殿に戻ってきた。
神殿に戻ると、何故かフェルディナンド様から「すぐに」という面会依頼が届いたので、孤児院長室で対応することになった。何かマズいことがあっただろうか?
とりあえず、急なことに驚いたけど、すぐにフェルディナンド様のお好きなお茶の葉のクッキーや、フェルディナンド様のお好きな茶葉のお茶を準備させる。私の側仕えはどんな織地でも完璧だ。
やがてフェルディナンド様がやってきて、孤児院長室の二階に案内して毒見を済ませてお茶を勧める。
フェルディナンド様はそれを一口飲んでから、
「エスコートの相手は決まっているのか?」
と切り出してきた。これは本題?本題の前の雑談?
確かに私ももう最終学年で、卒業式までもう間もない。今の時点で決まっていないのは、貴族の淑女としては問題だ。普通の貴族の淑女であれば、だけど。でも、私にとってはそんなことはどうでもいい。
「さぁ?ハルトムート様にお願いしてみましょうか」
「……君は何でもハルトムートに頼むのだな」
正直、ハルトムートに頼むと良きに計らってくれるから便利なことは確かだけど。
「私の庇護者で後見人ですから」
表向きの理由はコレだ。
私がやらかす全ての負担が、ハルトムートに行くように、私はハルトムートより前に出すぎないように、ハルトムートより下の階級を得て、目立ち過ぎないように大人しく生きてきた。
あくまで魔力や発想についてではなく、『流行を扱う文官として、私に貴族の肩書があった方が周囲が楽だ』という話にして、製紙業誘致の話と引き換えにギーベ・イルクナーから私は中級貴族の肩書を得た。……もちろんそうなるように、ハルトムートが根回ししてくれたんだけど。だから今の私は洗礼上はブリギッテの姪だけど、カンフェル達みたいな神殿暮らしの青色見習いとして過ごしてる。神殿への寄付金もイルクナーからではなくプランタン商会の利益から出しているし、私に関する責任者はハルトムートのままだから、イルクナーにも迷惑はかけていない。
流行の品も、不必要に出し過ぎないようにした。スプリングや美味しい料理はフェルディナンド様に必要だから提案したけど、活字印刷はアドルフィーネに権利を譲った。魔紙の研究はフェルディナンド様も面白がりそうだから製紙業は提案したけど。私から発案されるものは、フェルディナンド様に必要なもので、ハルトムートの手に負える範囲のものだけだ。
ハルトムートにばかりあれもこれも頼るのは確かに時々悪い気もするけど、「ご褒美は何が良いか」と聞いたらかつて「頼ってください」と答えたのはハルトムートだ。頼ること自体が、頼っていることに対する報酬になっている。
「だが、君とハルトムートでは歳が近いため、親族枠のエスコートとは思われぬだろう。ハルトムートの第二夫人になるつもりか?」
「それも良いかもしれませんね」
何度かループをする中でハルトムートと恋人のフリをしたり、婚約者になってみたりしたこともあるけど、正直なところ動きやすいところはあった。派閥だなんだと面倒なことも無かったわけじゃないけど。
「第一夫人であるクラリッサ様とも、仲良く付き合っていけると思います」
「…………」
私はすっかり慣れた淑女の笑みで穏やかに微笑んでみせる。上手くやります、問題は起こしません、だから心配しないでください、という気持ちで。
なのに、何故かフェルディナンド様は眉間に皺を寄せて苦い顔をする。私は「どうしたのですか?」と首を傾げて、フェルディナンド様の言葉を待った。
フェルディナンド様はこめかみをトントンと叩きながら、頭の中で言葉を整理しているようだ。まるで、どう言えば私に伝わるのかと、私用の言葉を作り上げているような苦慮しているような表情で……久しく見ていなかったはずのその表情に、嫌な予感がこみあげる。
「私が君のエスコートをしたい、と言ったら、君はどうする?」
「ほぇ?」
言葉が纏まったらしいフェルディナンド様の直接的で突拍子もない発言に、思わず淑女らしからぬ間抜けな声が漏れた。思わず口を両手で塞いだけど、既に遅く、これは減点だろう。だけど、フェルディナンド様はそれを咎めることなく、言葉を続けた。
「『家族同然』として私を親族枠だと言ってくれても良い。星を結んで本当の家族になってくれるなら、」
「まっ、待ってくださいっ、どういうことですか!?」
『家族同然』!?思わず私は机に手を突きガタンッと席から立ち上がった。完全に淑女として減点な態度だ。でもそんなことはもうどうでもいい。私は確かにフェルディナンド様を大事な家族同然だと思っている。でも、そんなことをこの織地でフェルディナンド様に言ったことはない。
私はフェルディナンド様が健康的に幸せに暮らせているか見守るだけで、それ以上深くは関わらないようにしてきた。
フェルディナンド様は焦る私の態度を冷静な眼差しで見つめて、短く
「ハルトムートの記憶を見た」
と、そう告げた。
刹那、ヒュッと私は思わず息を飲んだ。
「っ……ハルトムート様は……どのような罪を犯したのです……」
なんで?どうしてハルトムートの記憶を?ハルトムートが何か下手を打ったの?
カタカタと指が震え、それをギュッと握りしめる。
「ハルトムートの方から、自分の記憶を見てほしいと私に言ってきたのだ」
なんで?ハルトムートがそんなことをするわけない。何か考えがあって?
「…………どのような記憶を……」
落ち着け、まだ決定打は打たれてない。ハルトムートは何か懸念があり、敵の情報を渡そうとしたのかもしれない。ハルトムートは先を見通す力に長けた優秀な側近だ。私たちの目的のために、必要な手段だったのかもしれない。
ハルトムートは今まで一緒にやり直しをしてきた中で精神力も鍛えられてる。記憶を覗かれても、特定の記憶を隠して、意図的に相手に見せる記憶を選べるはずだ。都合が悪い記憶は見せていないはずだ。そう信じてる。
私はハルトムートに、フェルディナンド様に私たちがしてきたことを知らせないと言ってあるもの。フェルディナンド様は何も気負う必要はない、と。そう願って、望んで、命じてある。ハルトムートは私の命令に従い、私の望みを叶えるために動いてくれる。
そのはずだった。
だけどフェルディナンド様の答えは、私の一縷の希望を打ち砕いた。
「……君が、私の幸せを願い、何年も何度でも、戦ってきた記憶だ」
思わず腕を振り払う。テーブルクロスに指先が触れ、カップが床に落ちて大きな音を立てて割れた。灰色たちが大きな音に驚いて「ローゼマイン様!?」と声を上げて駆け上がって来ようとする声が聞こえたけど、ユストクスやエックハルトたちに止められているのだろう、いつまでもその姿は階段の向こうから見えてこない。二階には私とフェルディナンド様の二人きりのままだ。だけど、割れたカップのことも、灰色たちのことも、気に掛けている余裕は今の私にはない。
「そんなわけありません!!ハルトムートがわたくしの命令に背くはずありません!!」
私は思わず大声で怒鳴っていた。頭に血が上っている。
フェルディナンド様は金色の瞳を冷たく細め、背もたれによりかかるように座り直して私を見据えているだけだ。
「『ハルトムート』が君の『命令』に背くわけない……か。君が上位者なのだな」
「っ!!」
しまった。あぁもう何もかもバレたのか、ならばもう取り繕うだけ面倒だ。
私は腰に掛けた魔石入れに手を掛けて怒鳴った。命令に背いて裏切った忠臣を罵る声と、助けを呼ぶような悲痛な声色が混ざり合う。
「ハルトムート!今すぐ来て説明なさい!!」
「やめなさい、ハルトムートは来ない。苦しめるだけだ」
ようやくフェルディナンド様は立ち上がり、私の肩を掴んで動きを押さえ込もうとしながら、大きな掌で魔石入れに掛ける私の手を上から覆った。
「ハルトムートに何をしたのですか!?」
『ハルトムートは来ない』って、やっぱり動きを封じて無理に尋問でもしたのですか!?
「何もしていない。ハルトムートは君の命令に背いてでも君が幸せになることを望んだ。私に、君を幸せにするよう頼んだのだ。私はそれを承諾し、今日この場で君にエスコートを申し出ると言ってある。だから、君の命令に背いてでも君の幸せを願ったハルトムートは、今この場に割り込んで入って来ることはないだろうということだ」
どういうこと?意味がわからない。グルグルと魔力が渦巻く。目が回る。
混乱する私に、フェルディナンド様は言い募る。グッと重ねられた手に力がこもる。
「命令を取り消しなさい。名捧げの命令に背くことは、死と同等の苦しみを伴う」
……私が力を抜き、石に命じていた思いを取り払うと、フェルディナンド様は私の掌に代わりに空の魔石を握らせた。魔力が吸われ、スゥッと頭が冷える思いがする。でも、焦るような気持ちは変わらない。
今まで私たちがしてきた苦労を、フェルディナンド様に知られたらお終いだ。フェルディナンド様は優しくて責任感が強い。私たちが勝手に苦しんできたことなのに、フェルディナンド様がそれを知ったらきっと気にしてしまう。幸せな平穏に重い陰をかけてしまう。
「どうして……」
いっそ絶望にも近い気持ちで呟く声は、自分で思うより弱々しいものだった。
ハルトムートは絶対に私を裏切らない。そう信じられたから頼ってきたのに……ハルトムートが私を裏切るなんて……もう何を信じたらいいんだろう。宇宙にひとりぼっちになってしまったような、そんな心細さがこみあげてくる。涙が零れそうになったその時、不意に温かくて力強い感触に包まれた。何が起こったのか、一瞬わからなくなったけど、
「君はよくやった、ローゼマイン」
耳のすぐ横で聞こえた声に、あぁフェルディナンド様に抱きしめられているのかと気が付いた。いつ以来のぎゅーだろう。何年ぶりのぎゅーだろう。わけもわからないまま、愛おしいその温もりに涙が止めどなく溢れ出す。
『平気なように見えますか?』
いつだったか私はアナスタージウスにそう問いかけた。
私はもうとっくに、平気なんかじゃなかった。
だって、もうずっとずっと、フェルディナンド様にぎゅーをしてもらってなかった。
「君は今まで、よく頑張った」
フェルディナンド様に褒められるのは、いつぶりだろう。
それ以前に、誰かに頑張ったことを褒められること自体が、もう思い出せないほど遠い記憶だ。喉の奥から熱い思いがこみ上げてくる。抱きしめられる腕の強さと温かさで、今まで私を捕らえていた冷たい氷が溶かされていくような気がした。
フェルディナンド様、わたくし頑張りましたか?たくさんの人たちに非道いこともしてきましたが、それでもわたくしを褒めてくださいますか?
「確かに君は非道いことをした。ユルゲンシュミットの在り方を正すだけなら、もっと早く楽になれたものを……君はユルゲンシュミットの安寧よりも、私の幸せを優先した。君は私のためにと、言葉通りに何度も何度も死ぬ思いをしながらも、それでも私を想い、私を諦めないでいてくれた。それを知った時、眩い想いがした。……なのに君は、その想いを胸の奥にしまい込んで、私にくれないつもりでいたのか?非道い話だ」
「でも……だって、わたくしが、フェルディナンド様を……」
「ローゼマイン、マイン、君は私を家族同然と言ったが、ジルヴェスターからも父上からもそのような強い思いを向けられたことはない。私は君が抱えるその眩い想いが欲しい」
フェルディナンド様は一度私を抱きしめる腕を緩めて、私を正面から見つめ直し、涙を指で拭ってくれた。
「私の幸せを真に願うと言うのなら、それを私に与えてほしい」
フェルディナンド様は、至極真面目な表情でそう告げたかと思うと、次の瞬間にフッとイタズラっ子のような笑みを一瞬だけ浮かべた。
「まだ混乱しているか?……ぎゅーをすれば落ち着くのだったな?」
そしてそう言って、フェルディナンド様は再び私を力強く抱きしめた。私は違和感にハッとする。『ぎゅーをすると落ち着く』と話したのは、私がフェルディナンド様と二人きりになった時だけだ。いくらハルトムートの記憶を見たからって、それをハルトムートが知っているはずはない。私が『ぎゅーをすると落ち着く』と話したのは、フェルディナンド様にだけだ。
じゃあ……ここに居るのは、私が知ってるあの頃のフェルディナンド様で……私がずっと会いたかった、フェルディナンド様で……
「うっ……うわぁぁぁぁぁぁぁん」
色々言われて、感情がグルグルで、ぎゅーされたからって落ち着くわけない。それでも抱きしめられた腕の力強さも温かさも、ずっとずっと欲しかったもので、もう手放す事なんて出来なかった。私はグルグルする思いの中、フェルディナンド様の肩にしがみついて、子供のように大声をあげて泣いてしまった。
「うっ……うわぁぁぁぁぁぁぁんっっハルトムートのバカァァァァァ!!!!!」
泣きじゃくりながら、思わず喚く。
だってムカつくし嬉しいしもうわけがわからない。
……一番の幸せを諦めようとする私の命令に背く形で、
私の一番の幸せを望んだ忠臣は、最後の最後に私のことを裏切った。
《ハルトムート》
名を縛られた命令を解かれ、「っはぁ、」と詰めていた息を吐きだした。安堵から力が抜けて、そのまま床の上に仰向けに倒れて横たわる。側仕えは部屋から追い出しているし、汚れは後でヴァッシェンをすればいいだろう。
天井を見上げながら、先程まで酷く痛んだ胸を押える。このまま殺されるのでは、とも覚悟したが。勝手なことをしたのだからこのくらいのお叱りは当然だろう。なんならこの後さらに罰を受けることになるかもしれない。
しかし、ローゼマイン様、本当にフェルディナンド様の幸せを願うなら、その想いをフェルディナンド様に与えるべきです。それこそフェルディナンド様の一番の幸せと愚考いたしますれば、それこそがローゼマイン様の真の願いのはずなのですから。
そして貴女の忠臣として、私もまたローゼマイン様の一番の幸せを願うならば、どうかフェルディナンド様からその愛情を返される未来を。
……もちろん、レスティラウトやトラオクヴァールを染めたこと、この織地でヴェローニカたちを暗殺したこと、私が幼いローゼマイン様を背に負って歩いたことなどは、絶対に見せないように気を付けました。記憶を同調させた際にはそのあたりには細心の注意を払いましたのでご心配なく。特に私とローゼマイン様の接触をあまり見せると私が高みに登らされるでしょうから。主からの叱責として高みに上げられるならまだしも、フェルディナンド様の悋気で殺されるのはご遠慮させていただきたい。
それと、完璧主義のフェルディナンド様が始まりの庭へ記憶を寄越せと押しかけても、絶対に一回目以外の記憶を渡さぬようにと、シュタープを取りに行った際に神々を脅迫しておいたのでそのあたりのことも大丈夫かと。あのフェルディナンド様が「駄目」の一点張りで引くとは思えぬので、一回目だけの記憶は与えて追い返すよう頼んでおきましたが。概ね、何とかなったでしょう。
……さて、この織地では一応私がローゼマイン様の後見人ですからね。話が纏まったのなら、お二人の卒業式のエスコートを、見に行っても良いでしょうか?罰として私を殺すにしても、どうかその後でお願いいたします、ローゼマイン様。
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