@niziirononanika
創世的融和教団保有資料より抜粋。

氏名:路鹿イミュ rojika immu
年齢:3歳
性別:男
経歴:
20■■/5/28 ■■県■■■市■■■町にて誕生。『創世的融和教団』入信。
20■■/■/■ 哲学人【哲学的ゾンビ】と判明。
概要:教団の現代表者路鹿氏の第二子です。生来の哲学人であり、憑依や転生例を除き、教団内で人為的に哲学人を出産した最初期の実例です。
1つ年上の第一子との比較では髪質や体格の相違が見られますが、父母どちらかに偏ってはおらず、一般的な兄弟の範疇に収まります。(詳細は研究記録R-0115「R-0114との比較」を参照)
精神年齢、肉体年齢ともに人間の生育と合致しています。
哲学人、哲学【哲学的ゾンビ】の概念は生得していません。
内向的な様子があり、第一子の後ろに隠れる傾向があります。これは数回の対話により緩和されます。
将来の幹部候補です。専用の教育課程が組まれており、一般信者以上の地位を保有していることに留意してください。
評価:素敵な実例だ。我が子として歓迎しているよ。
実践される誘智教団保有資料より抜粋。

氏名:路鹿イミュ rojika immu
年齢:8歳
性別:男
経歴:
20■■/5/28 ■■県■■■市■■■町にて誕生。『創世的融和教団』入信。
20■■/■/■ 哲学人【■■■■■■】と判明。
20■■/■/■ 路鹿氏の研究補助に就任。
20■■/■/■ 教団儀式■■■■■の執行人に就任。
20■■/3/4 【創世的融和教団】幹部一斉検挙が発生。代表者の実子として、信者の逃走補助、教団再結成のための要となる。
20■/■/■■ 宗教団体【実践される誘智教団】入信。
20■■/■/■ 路鹿氏の研究助手に就任。
20■■/■/■ 教団儀式■■■の執行人に就任。
概要:信者である路鹿氏の第二子であり、現教団の体制を整える要となった哲学人です。現在はその年齢から幹部候補の地位となっていますが、専用の教育課程が組まれており、一般信者以上の地位を保有していることに留意してください。
その他役割、旧体制時代の研究とその記録は引き継がれています。
再結成に伴い、外向的な様子を表すようになりました。この件に対し、イミュ氏は「教団の偉い人になるんだから、自信を持とうと思った」と発言しています。
評価:私が不実の罪で捕らえられた後も救いに来てくれた素敵な子だ。
この子の大切な宝物は、私たちの手中にある。教団が滅びると共に宝物が滅びると知ったのだから、それを守るために、この子は私たちを懸命に守ってくれるだろう。
哲学人犯罪取締課保有資料より抜粋。
氏名:路鹿イミュ rojika immu
年齢:16
血液型:O
身長:166cm
所属:実践される誘智教団(運営雑務手伝い )
備考:彼は自称哲学人【哲学的ゾンビ】です。しかし当哲学人を証明・否定する方法がないため、この件は保留となっています。
八年前の『創世的融和教団』での哲学人虐待に関する捜査と情報提供に協力した、教団信者の一人です。
当時八歳の彼は児童虐待の容疑から保護の対象でしたが、証拠不十分であることと本人の強い希望により、現在まで路鹿氏の庇護下にあります。20■■/■/■■に■■警察へ路鹿夫妻による様々な虐待の証拠を提出後から消息不明。家宅捜査を行ったが、彼は発見されなかった。この件より、■■警察では路鹿夫妻を児童虐待の容疑で逮捕後、彼の行方に関わっている可能性が高いとして彼らから取り調べを行っている。
取締課の活動には協力的で、現在は『実践される誘智教団』の動向についての有力な情報提供者の一人です。
しかし彼は取締課の人間ではなく、また、完全に教団を見限っているわけでもありません。彼からもたらされる情報は有益ではありますが、教団内に潜伏していると見られる脱獄犯に関してや、その他彼らが関わっていると思われる犯罪の証拠となりうるものは殆ど無いと見て間違いありません。彼は意図的に、我々に与える情報を選んでいるようです。その真意は不明です。

真相
「家出しよっか」
「はい」
夜中、時計の針が全て頂点を向いている頃合いだった。二人の少年が呟いた。
八階建てのビルの最上階にある、白く簡素な寝室でのことだ。提案した少年は弟の路鹿イミュで、何の疑いもなく答えたのは兄の路鹿セオである。その言葉は内容とは裏腹に重みがなく、まるで休日の散歩にでも向かうかのように、軽く無感情なものだった。
当然のように堂々と部屋の扉を開け、廊下に出て歩く。廊下は明るかった。すぐに見付けた扉の奥は彼らにとって大切な大部屋で、人の気配がぎっしり詰まった煩いその場所を見ないようにして通り過ぎる。扉越しの怒号と喧騒を無視して、すぐ先のエレベーターも通り過ぎる。
「階段で行こう。そっちは人が通らないでいてくれるから」
「はい」
従順なセオは先程と全く同じ調子で返事をする。イミュはそれに苦笑いをしながら、まるで感情のないロボットのように兄がついてくるのを確認して、外階段のドアを開けた。途端にびゅうと強い風が吹き、二人は目を細める。空気は肌を刺すほどに冷たかった。イミュはセオの手を取り、冷えないようにと握りしめた。
「寒い?」
「……はい」
「ん、じゃあ僕の手握っててね」
身震いしながら風に耐え、体が慣れてようやくしっかり目を開けることができた。セオはずれた眼鏡を押し上げ、外界を見る。外は暗闇とは程遠かった。眼下では何台ものパトカーが止まっていて、そこから溢れだす人々が行き交い地面とビルを照らしている。深夜だというのに、騒ぎを聞きつけて駆け付けた野次馬の姿まで見えた。
「わお、思ったより派手にやってくれてる」
「イミュが、呼んだのですか。警察を」
「まさか」
笑いながら、イミュは階段を一歩降りる。吹き曝しの中にある金属の階段が甲高い足音を立てる。
見つかったらどうしようと、セオは不安を胸に募らせた。
ここは『実践される誘智教団』の活動拠点の一つであって、彼らは生まれた時から教団のために死ぬことが決められていた。
「ねえセオ、君の神様ってどんな人?」
「ソフィアさんですか? 聡明な方です」
状況にそぐわないほどゆったりと階段を降りながら、イミュが口を開いた。セオは半ば反射的に応答した。答えた後に、今すべき会話では無いだろうと考えたが、イミュにとってはそうではないようだった。
セオの神様。そう呼ばれて、セオが納得する相手はただ一人だ。ソフィア・アシュワガンダである。現在セオが働く職場での直属の上司であり、過剰に従順なセオを道具として扱わない人物だ。そして何より、彼らの信仰するものの中で重要な役割を持っている人物でもある。
彼は『実践される誘智教団』よりもっと遡った先の、始祖の実子である。
セオは、教団を離れて独立し、研究者として相対することとなった彼の監視役として就職した。つまりは、密偵だった。
「学者さんなんだから賢いのは当然じゃん。良い人?」
「ええ、そう思います」
信仰心と、個人的な尊敬と、共に働く上で自然発生したいくつかの感情とが、今のセオとソフィアの間に存在している。それらは全てが良いものではなく、我儘や無茶、危険行為を結構な頻度で行う他人と付き合う上で、当然芽生える悪感情も混ざっていた。彼は怖いもの知らずで有名なのだ。出会った初期の信仰心は、彼の危険行為を止めるため殴り飛ばして気絶させたあの日に失望となって一度折れてしまった。けれど、それを含めて彼を好意的に見れる程の何かがあった。
これを、信仰の強化と取るのか、人間的な付き合いの結果と取るのかは、セオにはわからない。どちらも正解なのだろうと、漠然と考えている。セオにとってこれは、答えを出さなければならないような話ではない。
「良かった。あの人はセオの先人だからさ、色々人生を教えてもらうといいよ」
「そのつもりです」
イミュは満足気に言って、セオも静かに答えた。
階段を降りる。
「ねえ、セオ。中学校楽しかった?」
突然の話題に、セオは暫し思案した。その後に、はっきりと答える。
「わかりません」
ほんの二、三年前の出来事だったが、セオには学校生活と言うものを形容することができなかった。殆ど記憶に残っていなかったからだ。セオの生活はそのときから既に仕事に偏っていて、この国では義務教育であるから最低限の学を修めに行っていただけなのだ。
友人を作るよう命じられなかったから、作らなかった。行事に参加するよう命じられなかったから、しなかった。ただ席に座り、試験で合格し、中学生であるという義務を果たしただけである。
「学校生活が楽しいものか、貴方の方がよく知っているのでは?」
「まさか」
「同じ学校でしょう」
「楽しいなんて僕にあるわけないじゃん」
当然のように言われた言葉に、セオは目を瞬かせた。
「貴方は友人も多かったですし、よく笑っていたから」
「あはは、セオは優しいね。よく見ていてくれる。楽しくない理由言ってあげよっか? 僕はクオリアがない。楽しいなんて思う内面がない。クオリアは知ってるよね?」
イミュは変わらない速度で階段を降り続ける。セオは少しだけ躓いて、彼に引っ張られる。
「僕は反射で動く人形と同じ。だからさぁ、兄弟が陰口を言われてても、友達に性的に搾取されても、穴呼ばわりされてるの知っても、親から殴られてても信者の物扱いされてたとしても楽しめるわけないんだよなぁ!」
あはは! とイミュは笑った。どう聞いても空元気の、怒りを投げ捨てるような力の篭った笑い方だった。
「当たり前だろ?」
振り返った顔も、楽しそうだった。どう答えるべきかわからず困惑するうち、セオはふらつく体で落ちるように階段を降りる。
踊り場に辿り着いて、倒れそうな体をイミュが支えた。
支えるために腕に触れ、手を上げて頬に触れ、倒れた拍子にずれた眼鏡の弦に触れて押し上げる。
「中学上がってすぐだったよね、寝室に僕も呼ばれるようになったの」
肩に腕を回した。後頭部に手を回した。頬と頬を触れあわせて、擦り寄ってすぐに離れる。
イミュは初めのように手をとった。
「心が無いからさ、そういうのも、嫌なんて思えないんだ。ごめんね?」
表情を変えずに言って、イミュは再び階段を降りる。セオも引っ張られて続く。
風が強かった。それが冷たくて、セオは暖かい手を強く握り直した。
もう半分は降りただろうか。地上の声が二人にも聞き取れるほどになっていた。外階段の傍にある磨りガラスの窓の向こうでは、ビル内に居た人々が怒鳴るような声もしていた。警官と言い争っているようだ。
「ねえ、セオ。僕が昔言ったこと覚えてる?」
「どれですか?」
「八年前。あの時も警察が来た」
イミュが家出をしようと決めたのは、突発的なものではない。記憶にある限りでは八年前に、とても惜しいところまで成功したことがある。その時は確か、正義感の強い男が彼らの所属する組織の悪事を暴こうとしたのだ。当時のイミュはそれに助力し、その結果セオ共々警察に保護される予定であった。幼い子供が描いた『二人での幸せ』を拒んだのは、セオ本人に他ならない。
組織内の情報を渡すくらいなら、組織から裏切り者を出すくらいなら、命なんて投げ捨てる。結束と盲信が絡まり合い互いに足を引っかけるのが、彼らの両親が作り上げた構造だとイミュは語ったことがある。生まれたときからそこに属していた兄弟は、その思考が根付いていた。特に、兄は従順で、反抗する意思をすべて折られている。
その上で、警察に追い詰められた時、『誇りを汚される前に死になさい』と両親に言われたのだ。そして命令一つで自らの死を選んだセオを見て、イミュは組織からの逸脱を見送った。そして自ら崩壊直前まで追い込んだ居場所を、兄の為に復興するよう尽力を注がなければならなくなった。
「何かありましたか?」
セオにとっては、衝撃でもなんでもない出来事だったようだが。八年前と聞いて、咄嗟に記憶が結び付かない程度に。
「僕の魂以外の全てを、君に捧げるって言ったんだ」
「はい、その言葉は記憶しています。あれは八年前でしたか。何故、そんな話になったんでしたっけ」
「さあ、僕も忘れちゃった。何かあったんだろうね」
すぐ壁向こうでは、八年前の再現が繰り広げられている。その声を聞きながら、更に降りていく。
「ねえ、セオ。生きててくれてありがとう」
「急に何ですか」
「小学校に入りたてくらいだったかな。事故でさ、旅行の帰り。僕ら皆怪我したじゃん」
「よく覚えていますね」
「覚えてるよ。セオは気絶してたけど、僕は起きてたから。よく覚えてる」
カンカンと一定のリズムで響く足音が、喧騒に溶け始める。
ふと、セオは気がついた。自分はあまり、ここから先の記憶は残っていない。記憶力が悪い方でも、何かしらの障害を負ったわけでもない。というのに、自身の記憶は研究所に勤め始めた一年前からが鮮明で、それ以下は全て霞がかったように朧気で遠いものに感じている。まるで他人事のように。幼少期のことなんて特に、消え去ってしまっている。
けれどイミュはそうではないらしい。
「死なないでほしいって思ったんだ。セオ、動かなかったから。検査したら、何ともなかったんだけどさ。それでも、その時から……」
イミュの言葉は喧騒に紛れて消えた。彼自身もそれに気が付いて、改めて言葉にし直す。
「生きてほしいんだ、セオ」
はっきりとした言葉は、周りの音に負けなかった。
言われなくても、死を選ぶ気はなかった。今、生きる為に歩いているのだから。
セオは繋いだ手を引いて、肩を触れあわせる。小柄な自分よりは背の高い弟と肩を並べるのは初めての出来事であるように思えた。
パトカーのライトがすぐ近くに迫っていた。
「……ねぇ、産まれた時は幸せだったなんて、思える?」
「……わかりません」
「僕もわかんない。僕ら、そんな環境に居たんだ。そんな場所なんだ。だからさ、生きてる人はあんな場所にいちゃ駄目なんだよ。あんな場所のものは、全部捨てちゃおう」
足音が変わった。金属の甲高い悲鳴から、コンクリートの安定した音に。
「短かったね」
イミュは繋いだ手を離し、セオの背を押し、背後から言った。二人の前へ、逆光で顔の見えないシルエットが二人分駆けてきていた。それらはイミュが事前に頼んでいた、逃走後の保護者達だ。この後どこに連れられていくとしても、悪いようにはならないだろうと確信できるような人物達だ。
セオは振り向いて、離された手を伸ばした。もう一度繋ぐためだ。
しかしイミュは答えなかった。繋ぐ筈の手をポケットに入れ、出す。握ったのは、細工のされた細い注射器だった。彼らが組織内での屠殺作業に使っている、見に覚えのありすぎるものだった。
セオは恐怖で目を見開く。イミュは二人きりで居るときによくしていた、気の抜けた笑みを浮かべる。
「それは」
「さよなら、兄さん」
短い針がイミュの首に埋まる。中の薬液が押し込まれる直前、声が響いた。
「させるかぁ!」
何かがぶつかる強い衝撃で針が抜ける。イミュは注射器を地面に取り落とした。
それを見たセオが我に返り、イミュに飛び付き地面に伏せさせる。手慣れた動きで押さえ込まれ、イミュは動きを封じられた。
すぐそばに落ちている注射器に手を伸ばそうとして、目の前で踏み割られる。その靴が見知らないもので、イミュは視線を上げた。
白衣とキャップ帽の、褐色肌の男がそこに居た。
「……は?」
イミュは彼を見て、理解が追い付かないといった顔をする。男はわくわくとした、好奇心を隠さない子供のような表情で彼らに話しかける。
「ねえ君、『哲学的ゾンビ』だろ? 聡盟大学附置哲学人研究所と哲学人犯罪取締課の権限で、君を確保・管理させてもらう!」
「はぁ!?」
イミュは抗議の声をあげる。声を聞きながら、その男、ソフィア・アシュワガンダ――セオの神様――は、愉快そうに笑った。