@acbh_dmc4
真っ白な空間で俺と同じエツィオ・アウディトーレと名乗る二人の男達と冒険劇を繰り広げ、信頼していた導師の裏切りで気難しくて優しい男と一つとなってから、俺はずっと微睡の中にいる。
今の俺は体の感覚はなく、上下の区別もない。
死して体という楔から解き放たれた感覚は、このようなものかとぼんやり考える。
なのに不思議と絶望だとか恐怖心は感じなかった。
ここは真っ暗なのにまるで母の腕の中に抱かれているような、暖かで広い父の背に揺られているような心安らげる場所だった。
また取り込まれた後も自分の心が残っていることが少々意外だった。
俺の感覚は完全に切り離されたものでもないらしく、時折男が感じているのだろう、苛立ちや喜びを感じ、それ以外は非常に凪いだ心のままだった。
どれくらいの時をこうしているのかはわからない。
でも寂しいとは思わなかった。
俺と一つとなった男の感情の起伏を感じ、今何をしているのかはわからないが退屈しなかった。
時おり感情と共に感じる浮遊感だとか、どことなく舌先に感じる至福の味が、今の男の生活を想像させてそれはそれで楽しいのだ。
暫くはそうした穏やかな毎日を送っていたが、ある日、まるでこの世の苦痛を全て煮詰めたような気の遠くなる苦しみが襲った。
外の男がまた導師に苦しめられているのだろうか?それとも、男も導師に取り込まれて、もっと酷いことが起こったのだろうか?
何もわからぬままその苦痛が和らぐと、また暫くは穏やかな心が俺を包み込んでいた。
しかし体が癒えた後、また何か使命に駆り建てられるが如く、忙しなく男の心が揺れ動いていた。
この男の変化に、俺は彼の行動を知ることが出来ず歯噛みした。
もしも窮地に立たされているのなら、彼の助けになりたいのに。
俺は闇の中で彼の心の断片をうっすらと知ることしかできないのだ。
***
「………目を…どちらだ?エツィオ!お前は」
急に俺の魂が鉛のような重さを感じ取った。
久々に感じる光に目が眩んでいるのかと思ったが、そうではなく、まるで酒に酷く酔った翌日の朝のような頭痛と目眩に気が遠くなる。
目の前にいるらしい何者かに腕を強引に取られ、引きずられるようにして歩かされる。
暫く縁遠かった体を、五感を働かせると言う行為に慣れるのに少々時間がかかってしまう。
引き立てられるままなんとか意思と体を馴染ませるように足を動かし、そして前を見据えて状況を把握しようと勤める。
俺の手を引き先導する大きな男は、焦ったように歩き、そして身を潜ませて、かつて冒険した白い空間のような無機質な建物を先へ先へと進んでいった。
「……チッ…これ以上は進めそうにないな…どうすれば…」
『お、おい…貴方はだれだ?』
男が今はじめて俺の存在を知ったと言うように、ギョッとしたような顔で俺を見つめた。
何故だか俺は男の話している言葉が理解できるが、俺が小声で男に状況説明を求めると、男は暫し狼狽えるのみであった。
「なんてことだ…それはイタリア語か?英語は話せないのか?」
狼狽する男は、俺の言語が母語であるから理解することができないのだと理解し、暫し考えてからもう一度言葉を選んで話しかけてみた。
「ええと、言葉はこれで通じるか?」
「ああ、エツィオ!英語を話せるならはじめからそうしてくれ!」
「すまない。なんせ久々の体だったから…」
「それで思わず生まれ故郷の言葉が出てしまったのか。エツィオ、今は非常に不味い状況だ。思ったより奴等の行動が早かった…このまま二人でいれば貴方をこの施設から逃がすことができない。これから一人で動けるか?」
真剣な顔で男が俺に確認を取る。
しかし、ここは見慣れた部屋の作りではない、あまりに殺風景で無機質な室内に一人放り出されて俺に何が出来ると言うのか。
慌てて男の言葉に否と言おうと口を開きかけると、一瞬の立ち眩みとともに視界の端に何かがチラついた。
思わずその方向に視界を走らせれば、俺を裏切った導師が男の真後ろにたたずんでおり、俺の目をしっかり見据えてから天井の一角を指差した。
導師の指先に視線を走らせると、そこには白い天井の程近くに、銀色の通気孔のようなものが添えつけられていた。
目の前の男が俺の視線を追い、同じくその通気孔を見ると、一つ頷いて壁の銀の蓋を取り外した。
「今の貴方のその姿なら確かにあそこを通って外に出られる。音を立てないよう気を付けてくれ」
そう気遣う言葉をかけられ、彼の両腕に抱き上げられて通気孔へと押し込まれた。
俺が入ってすぐにその通気孔は銀色の蓋で再度閉められ、男はその部屋から出ていってしまった。
一体何がどうなっているのかまるでわからない俺は、呆然とその閉められてしまった銀色の蓋を見つめた。
銀色の蓋の隙間から先程の部屋が伺い見れるため、先程まで導師がいた空間に視線を走らせた。
導師は音もなく、俺をここに担ぎ上げた男にもその存在を知らせることなく忽然と姿を消していた。
導師は俺を裏切った男だ。その者が指し示したこの通路を、信用して進んでもいいものか。
そもそもここはなんなのか。そして唐突に今の俺の状態について思い至った。
何もかもが突然すぎて今になって気づいたことだが、自分の体を確認するように見下ろせば、まるで幼い子供のように全てが縮んでいた。
俺は20を迎えた青年の頃の記憶が俺としての最後の記憶だった。
そしてその未来と言う俺を取り込んだ男も40を過ぎるかと言う齢の筈だ。
それがようやく目が覚めたと思ったら体が縮んでいるなど、理解の範疇を越えている。
思わず途方に暮れて両手で頭を抱えて踞ってしまった。何がどうなっている。
あの男は?導師はどうなったのだ?俺は取り込まれて消える運命のはずじゃなかったのか?!
理解のできないことの連続で叫びだしたい衝動に刈られたが、その瞬間に先程までいた部屋に誰かが慌ただしく入ってきた。
大勢の揃いのシンプルな服と変わった帽子を被った男達が語気も荒く叫びながら部屋を通過する。
その殺気立つ様をみて、ただ事ではないと感じる。
被倹体がどうとかアニムスの不正使用だとか叫ばれるなか、アサシンが逃亡したと言う単語を拾い、ここがテンプル騎士団との関わりのある施設かもしれないと思い至った。
あの真っ白い空間でまるで魔法のようなあり得ない事象がいくらでも起こっていたことを思い出して、俺は何でも起こりうることだと思い直し、あの男が言うようにここから逃げようと気持ちを切り替えた。
部屋を通過する男達がいなくなったのを確認して、四つん這いになり慎重に狭い通路を進む。
体が子供のように小さくなっていて幸いした。
テンプル騎士団に気取られることなく、難なく進むことが出来る。
暫く道なりに進んでいくと、通路が二股に別れていた。
どちらに行けば良いかと迷い、立ち止まっていると、一瞬の眩暈の後、目の前に道を指し示すような印が浮かび上がった。
俺はその印に少々警戒したが、他にとる選択肢もないと導かれるままに進んだ。
いくつもの導きに従い進んだが、やがて行き止まりになってしまった。
これは罠だったかと自分の浅はかさを呪いそうになったが、袋小路の壁にまた印が浮かび上がった。
恐る恐るその印に触れると、壁が開いた。
「エツィオ、よかった!導師の指示通りだ。さあこちらに!」
先程とは違う男が通気孔に手を伸ばし、俺の体を持ち上げて部屋へと下ろしてくれた。
部屋にはいくつもの通気孔や、銀色の大きな筒上の物や、円形のメモリやハンドルが壁に取り付けられ、なにやらの機構のようだった。
しげしげとそんな部屋を眺めて、レオナルドならばここが何を扱う場所なのかわかるだろうかと考える。
そうして忙しなく辺りを観察していれば、先程の男が俺の前に跪き目線を合わせて語りかけた。
「これを。導師が直接貴方と話をしたいそうです」
「導師?」
男が俺に真剣な顔をし、頷いて俺の耳に小さなものを取り付けた。
怪訝にその片耳を覆うものに触れれば、不意に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
『エツィオ、久しぶりだな。説明する暇もなく放り出してしまってすまない。今すぐそこから離れるのだ。暫くはそこの男の指示に従い進め。状況は道すがら説明しよう』
「ど、う…し?」
片耳から聞こえる話し方からあの白い世界に居た初老の男が俺に話しているのだろうと判断して、思わず身構えた。
俺はあの優しい男に取り込まれたはずで、そして彼も、もしかしたら導師に取り込まれたかもしれないのだ。
それに、この男は俺達の意思など構わずに攻撃した。
何か事情があったにせよ、また利用されるなど真っ平だ!
そして導師に最後まで抵抗し、虐げられていたあの男の事も気にかかった。
あの酷く苦しみもがいていた彼の心を思い出して、導師が彼にもっと酷い事をしたのではないかと思い至る。
「あ、あの人はどうなったんだ!まさか、痛めつけたりしていないだろうな!」
『俺もいる。導師については今は信用ならんだろうが、先ずは逃げるのが先決だ』
「さあ、エツィオ、此方です。導師、ご指示を」
『2ブロック先にある機関室へ行け。エツィオは通気口で安全に出られる。その後は私が案内をするからお前はその場から逃げるのだ。その後は私がお前の脱出をナビしよう。エツィオ、お前の案内には私ではなく、エツィオを着ける。その方がお前も気安いだろう』
『聞きたいことが沢山あるだろうが、今はそこから逃げるのを最優先してくれ。エツィオ、気を着けるんだぞ』
片耳から聞こえる俺を案じる彼の言葉に、胸が熱くなる。
きっとここから抜け出ることが出来れば、ちゃんと説明してもらえる筈だ。今は、男の言葉を信じて混乱する心を落ち着けよう。
『通路を開ける』
俺の手を引いていた男が、徐に俺を抱き上げて透明な壁の前に立つと自動で壁が横にスライドした。
そこを足早に通って幾つもの動く壁を通り過ぎると、先ほど出て来たような部屋へと入り込んだ。
天井近くにある配管の格子を外すと、男がもう一度俺を抱え上げてその小さな入口へと俺を押し上げた。
「エツィオ、これからはそのヘッドセットから聞こえる声に従うんだ。外に出たら通信は切れてしまうと思うが…これを。これを持っていれば君の居場所が分かるから。アサシン教団が君を保護する」
「わ、分かった…」
「気をつけて。きっと君を見つけるよ」
男が俺を励ます様に微笑むと、俺が入った通気口の入り口に蓋をした。
彼が部屋を出ていくのを見送ってから、俺も目の前の狭い通路を這い進んだ。
「なぁ、無事だったんだな。俺、体が無くなったと思った後も、ちょっとだけ意識があったんだけど、一度、凄く苦しくなった後、暫く辛い状態が続いたんだ。もしかして導師に何かされたのか?」
『ん?いいや。あれは導師じゃない。ジュノーと言う、俺たちよりも遥かに強力な亡霊のようなものに干渉されたんだ。まぁ、導師を庇ったせいだから、導師のせいと言えばそうかな』
導師を庇った?
うっすらとした意識しかなかった俺は、一番記憶に残っているその苦しみの前までの彼の心を思い出す。
苛立ちが徐々に薄くなり、楽しかったり悔しかったり、腹を立てたりしてもそこまで不快な感情ではなかったような気がする。
どの位の時が経っているのかは分からなかったが、俺がこうして意識を取り戻すまでの間、二人は和解したのだろうか。
『お前との別れの際の導師は酷かった。あれでは俺すらもあの男を信じられなくなる所だった』
男が遠い記憶を思い出す様に穏やかな声色でしみじみとその直後の心を俺に語って聞かせた。
彼の姿は見えないが、まるで目の前に居る様に彼が困ったように少しだけ眉根を寄せて、口元に薄い微笑みを湛える様が思い浮かぶ。
白い空間で常に緊張を強いられ、強張った顔しか知らない男のそんな姿を容易に想像できて、俺は無性に彼に逢いたくなった。
そして唐突に気付く。何故また別れてしまったのだろうと。
俺を取り込み、記憶を取り戻して、あの不思議なエデンの欠片と呼ばれる秘宝の力で元の世界に戻ろうとしていたのではないのだろうか。
「…なぁ、良く…分からないんだが、俺と貴方は“同じ人間”なのか?導師も、貴方も俺も、皆エツィオ・アウディトーレと言ったろ?貴方は俺の未来だって、初めて会った時にそう言ったよな」
『……ああ』
「でも、俺は偽物で…取り込まれて。でもこうしてまた俺が目を覚ましたら、周りはあの白い世界みたいに見慣れない世界だ。貴方たち以外の人間もいたけど…貴方は元の世界には帰れなかったのか?何故声は聞こえるのに姿が見えないんだ?」
話し始めて徐々に心細さが募っていく。
世界だけじゃない。狭い通路を這い進む、俺の目に映る己の手はほんの小さな子供のものだ。
己の今の姿を確認する事も出来ていないから、どんな状態になっているのかは分からないが、常識では考えられないことが起こっているのだけは分かる。
そう意識してしまっては、途端に体が震え、足がすくんで動けなくなってしまった。
心が恐ろしさにパニックを起こし、子供の様に母の名を叫んで泣き喚いてしまいたくなる。
『エツィオ』
片耳から落ち着いた声が聞こえる。
それと同時にじわじわと目の端に涙が溜まっていった。
『エツィオ、俺の声が聞こえるか?』
心を吹き荒れる恐怖心と戦っていると、男が気遣わし気に俺を宥める様に話しかけて来た。
しかし、俺は誰でも良いから助けを乞うて縋りたいのに、それも出来ずにただ蹲って動けなくなってしまった。
そんな俺の様子を察したのか、男が気遣わし気に声をかけた。
『お前の傍に居られずに済まない』
「なら、いますぐっここに、きて、きてくれよ!!」
『エツィオ、それは出来ない。出来ないんだよ』
「なんで!」
『お前だけが外の世界に、元の世界に生まれることが出来たからだ。俺は、俺と導師はあの、白い世界のような場所に残っている。そちらに出ることが出来なかった』
ここが“元の世界”?
俺は知らない。こんな無機質な温かみのない世界など。
さっき俺を抱き上げてくれた人間は温かみがあったが、見慣れぬ衣服に身を包んでいた。そして元の世界ではありえない高度な機械がひしめく部屋等、見た事も聞いたこともない。
幾つもの部屋を通過したが、装飾のない真っ白で平らな壁は、悪夢の続きを見せられているようで気味が悪いのだ。
『落ち着くんだエツィオ。泣くんじゃない。泣けば、壊れてしまう。テンプル騎士団に気付かれればそれまでだ。奴らに捕まればどんなことに利用されるか分からない』
厳しく窘めるような男の声に、少しだけ怒りと、冷静さを取り戻せた。
零れ落ちそうになっていた涙をグッと堪えて、腕で目を擦る。
男に深呼吸をしろと言われ、何度か大きく息を吸い、吐き出して心を落ち着けた。
『今の体はほんの小さな子供だから、精神もそれにつられているのだろう。なるべくパニックを起こすな』
「なら、ずっと話しかけてくれよ。なんで姿が見えないのに声だけ聞こえるかは知らないけど、ここから出たら全部説明してくれるんだろ?」
『…そうだな』
寂しそうに答える男に不安が募る。
ここは敵地だ。比較的安全に移動が出来るとしても、何があるか分からない。
そんな中で不確定な約束をすることは出来ないとわかっていても、彼に必ず会って説明すると言ってほしかった。
俺がそう伝えようとすると、男が誰かに応える様に大丈夫だ、問題ないと独り言ちた。
不思議に思って尋ねれば、隣にいる導師に弁解したのだと答えられて少しだけムッとする。
『俺も導師もお前の事が心配なんだ。お前をテンプル騎士団に好きにさせる訳にはいかない。さっきの言い合いで少々お前の声が大きかったので、周りに気取られていないかと注意を受けたのだ。
お前が今居る場所は分厚いコンクリートに囲まれた誰も滞在しない場所だ。だからあの程度ならば平気だ』
俺と導師の二人に説明しているのだろう。
最期の方は俺以外の誰かを宥める様な調子だった。
「なんかまるで俺のことを天から見ているような口ぶりだな。俺たちの会話も導師も聞いているのか?」
『ああ、天からではないが、俺も導師もお前の位置は把握している。エツィオ、そこを左に曲がれ』
「なんで分かるんだ?」
『人の位置を特定することが出来る装置がある。お前がさっきアサシンに渡されたものがあるだろう?あれで位置を特定している。原理は聞くなよ?答えても良いが、レオナルドの頭の中の様に難解だ』
「…じゃあこれを無くしてしまうと俺がどこにいるのか分からなくなるのか?」
『そういう事だ。特定する術がないとは言わないが、それは大切に持っておけ』
ぎゅっと手の中にある小さなものを握りこむ。
心細さは変わらないが、これが彼との唯一の繋がりなのだという事は理解する。
指示通りに左に狭い通路を曲がってまっすぐ進む。
時折建物内に開いている穴からの光で真っ暗ではないが、薄暗い圧迫感のある通路は気が滅入る。
そして何度かの男の指示で、次の角を曲がると、目の前の通路は絵具で塗りつぶされたような真っ暗闇が続いていた。
思わず歩みが止まる。その事に気付いたらしい男が、「どうした?」と俺に問いかけた。
「通路が真っ暗で…」
『ああ、俺の声が聞こえる耳に着けた装置があるだろう?それの耳の後ろの方にライトのスイッチがある筈だ。小さな丸い突起だ。それを押してみろ』
男の指示に従い、耳に着けられた良く分からない物の輪郭をなぞる。
つるりとした丸いフォルムの後ろ側に、小さな突起があるのに気付いた。
それに力を込めると、カチリと小さな音と共に、目の前の闇が明るく照らされた。
「あっ!明かりが…ついた…?!」
『それで進みやすいだろう』
松明やランプなどよりも強い光に驚きはしたが、意を決して耳元から発される光を頼りに狭い道を進む。
時折、音が響く部屋の近くを通るときは、中に誰かいないか耳を聳てて慎重に通過した。
今いる場所はどうやら地下のようで、地上に上がるためにはもう一度通気口から出て、人目を避けて上を目指さねばいけないらしい。
男の指示したタイミングで通気口の出口の格子に手を掛ける。
つるりとした金属の格子を掴み損ね、通気口の蓋を取り落として酷く大きな音を響かせてしまって蒼褪める。
耳元で男が大丈夫だと俺を宥めて、外へ出るため通気口から顔を覗かせた。
子供の身では床まで随分と高さがあるが、丁度良い所にソファがあったので、そこ目掛けて飛び降りる。
ボフリと柔らかい感触に受け止められて、怪我もなく降りられた。
『エツィオ、今降りたソファのクッションの下に子供服がある筈だ。余計な2着はこの部屋を出て通りを真っ直ぐ言ったところに男子トイレがあるからそのダストボックスへ捨てろ。それから暫くそのトイレで待つんだ。協力者が靴を差し入れてくれる』
男の指示通り、ソファの下から白い柔らかいシャツに青のチェックのシャツ、グレーの半ズボンが出てきた。自分に合ったサイズの服を身に着けてから、余った2人分の衣服を抱えて、男の指示でその部屋を出た。
その廊下は先ほど通って来た部屋とは違い、グレーの床にところどころに観葉植物の鉢が置かれ、どことなく人の気配が漂う空間だった。
それでも俺の知るイタリアのどの建物にも似ていない、やはり見知らぬ世界だ。
恐々と男がしていた男子トイレに入り、奥から2番目の個室へ入って鍵をかけ便座に腰掛けた。その直後に、外が何人もの人が通る気配がした。
重々しい口調が漏れ聞こえてくる。恐ろしくなり、思わず身を縮めていると、トイレに何者かが入ってくる気配を感じた。
男の言う協力者だろうか。しかし、先ほど通って行った者たちの誰かかもしれない。声がかかるまでは黙っているべきだと思い、耳を聳て息を殺した。
個室の外で、入って来た男が何かを拾い、暫しその取得物について調べるような沈黙が続いた。
うっすらとだが、小さく女性の声が誰かを罵倒するような声が聞こえる。
その声が途切れると、トイレに入って来た男が苛々した舌打ちをし、次いで溜息をつくとここから立ち去って行った。
男が去ってまたいくらもしない内に、誰かが入ってくると、俺の個室の前にその何者かが真っ直ぐ歩みを進めてきた。
早鐘を打つ心臓を落ち着けるように、ギュッと体を抱くと同時に、小声でその男が俺に声をかけてきた。
「真実はなく、許されぬことなどない」
言語は違っても聞き覚えのあるフレーズに俺は顔を上げ、便座から飛び降りた。
鍵を開けて少しだけ扉を開けると、先ほど俺を逃がすために協力してくれた2人目の男がホッとした顔で俺を見下ろした。
「エツィオ、シャツの前は少し開けていた方が自然ですよ。あと、靴下と靴も履きましょう。帽子も持ってきましたから、少しはカモフラージュになるでしょう」
協力者がもう一度俺を便座に座らせ、恭しく俺の服装を整える。
靴も履かせてもらってから、協力者に手を引かれてトイレを出た。
「エツィオ。ここからまた上に向かい、近くの通気口に押し込みます。今は出入口は封鎖されていて、出入りの者は取り調べを受けているので、計画通り裏の搬入口の近くから逃走する方が安全です」
「ありがとう…外に出たら迎えに来てくれるのか?」
「私は迎えに行けません。が、教団の者が必ず貴方を迎えに来ます。エツィオ、もう少しです」
ギュッと手を握って俺を励ましてくれる。
筒状の部屋へと入り、何個も並ぶボタンを押すと、部屋が上へと昇っていった。
ズシリと体に重く圧し掛かる力にビックリして、思わず協力者の手を両手で掴みしがみ付く。協力者は微笑ましく俺を見下ろした後、その部屋が目的地へと着いたのを確認し、そっと部屋を出て、人気のない一室へと入り込み、また通気口の蓋を開けて俺を抱き上げた。
「今度会うときは教団の本部で…エツィオ、絶対に逃げ切ってください。幸運を」
協力者は優しい顔で俺にそれだけ言うと、また通気口の蓋を閉めて部屋から出て行った。
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