ふれれらのオリジナル童話小説です
@fu_re_re_ra

「おかあさん、カミナリこわいよう。えほん読んで」
「じゃあ今夜は、コロポックルの昔話にしましょうか」
「『ころぽっくる』ってなぁに?」
「大きなフキの葉っぱの下にいる、小さな精霊のことよ。さ、いい子。目をつぶりましょうね。むかしむかーし、北の国にはコロポックルたちの楽園がありました。清らかな川、木の実あふれる豊かな森で、コロポックルたちは生まれてきます。リンゴにはリンゴのコロポックルが、ブトウにはブトウのコロポックルが、野いちごには野いちごのコロポックルが、人に森の恵みを分けてくれるのです。ですが、ニンゲンが森を荒らしてしまったので、いつしか森の奥へ隠れてしまいました。だからコロポックルたちは、北の国のどこかで、ひっそりと生まれているのです。ほら、きっと今も―――」
落雷が空を裂く。山の乾いた空気に引火した火花が、枯れ葉にあっという間に燃え広がった。その日、夜空は煌々と燃え上がって、焼けた草木が弾けて、数多く飛ばされていった。
大きな嵐は、弾けた種を大きく空に散らして
やがて、大雨が山火事を治める頃、小さな種がひとつ、渓谷の野っ原にたどり着いた。
雨の中でぽつん、と出た小さな芽は、一晩であっという間に真っ白な花を咲かせた。
花が朝露に濡れる頃、朝焼けが白い花を橙にゆっくりと染め上げて
花から一雫、虹色の朝露が地面に落ちた瞬間
一輪の花から、ぶわり、と
野原の全てに真っ白な花畑が広がった。
朝焼けに照らされた、花畑の真ん中で。
真っ白な野いちごの花にうずもれて
愛らしい頬をいちご色に染めた小さな子どもが、すうすうと穏やかに眠っていた。
これは、雨上がりの朝に生まれた、小さなコロポックルのお話。

◇ ◇ ◇
噂好きの小鳥たちがざわめいた。
新しいコロポックルが生まれた。生まれた。
野いちごのコロポックルが生まれた。
めでたい。めでたい。
野いちご。舌に甘く、傷の癒える山の恵み。
祝福にいこう。
そうだそれがいい。
どこに? どこに?
それが、「猛毒の森」らしい
猛毒の森だって?
その朝、まだ山火事の騒めきも消えぬ頃。
真っ白な花畑に埋もれて
小さく丸くなった子どもが
ゆっくり、まぶたを開いて
あどけなく、いちご色のあめ玉みたいな目で
朝露に濡れた、輝く世界を見た。
◇ ◇ ◇
朝露が葉を伝って、ピチャン、と地面に滑り落ちる。
誰もいない未明の白樺の森。鳥も目覚めていないような早朝に、ガサガサと笹を派手に踏みしめる音が響いた。深いため息が響く。藪をかき分けて、現れた少年がごちた。
「昨日までここは、ただのフキだらけの野っ原だったはずなんだがな」
視界が拓ける。ラワンブキ畑に、一晩で広がった野いちごの白い花。
背の高いフキの根元に、白い花が咲き乱れている。朝の涼しい風が、ざあっと小さな花を揺らしていた。
「参ったな、オレが見回りのときに限って」
少年の服から、ピチョン、と水が落ちる。
少年は傘を片手に、ガシガシと頭を掻いた。
紫と水色の入り混じった美しいレインコートを纏って、紫陽花色の傘を片手に
吸い込まれるようなみずみずしさを纏って、少年は雨上がりの朝の中にいた。
「すっげー野いちご。一晩でこれかよ。匂いが甘ったりぃ」
真っ白な花畑。ところどころ突出して、少年の身長を超える大きなラワンブキが、群生していた。風に砂糖を溶かしたような甘い香り。花が朝露に濡れている。
少年はザザッとフキの葉を大きくかき分けながら、花畑を歩いた。
「昨日の山火事で種が飛んだのか。ったく、どうしてこうコロポックルってやつは、どいつもこいつもフキの下が好きなんだか」
くんっ、と少年は鼻を鳴らした。
むせかえるような花の匂いの真ん中に
みずみずしい、弾けたばかりの野いちごの香りがする。
少年は、同胞の匂いを嗅ぎ取った。
「ここだな」
花畑の真ん中に、フキが密集してカーテンになっていた。
少年は迷わず手を入れて、フキを大きく押しのけた。
フキのカーテンの中で
真っ白な花にうずもれた子どもが
空を見上げていた。
「おい、そこの野いちご。なんとか言え」
フキの下の子どもが、ゆっくり振り返った。
白い白い、周囲の花より白い肌をした小さな子どもが
ぷっくりと柔らかそうなほっぺたを赤く染めて
いちご色の瞳をまんまるにして
びっくりしたように、少年を見上げた。
「だ…ぁ、れ?」
◇ ◇ ◇
子どもはきょとんと首をかしげた。
「お前だよお前。野いちごのコロポックルなんざ、他にどこにいるってんだ。見ろこの花。咲かせすぎだ。いくらニンゲンがいないったって、限度とかルールってもんが」
「ころぽっくる、って、なあに?」
あめ玉を転がすような、舌ったらずな声で、子どもは首をかしげた。
ブツブツと文句を言っていた少年はギョッとした。傘を取り落としかけて、慌てて持ち直す。
「うっそだろオイ、お前、自分のこと分かんねえの?」
「うー?」
「うっわ、生まれたてか。参ったな、こりゃオレの手には負えねえ」
フキの根元にガバリと座り込んで、紫陽花色の傘の下で少年は頭を抱えた。
「追い出そうにもこの状態じゃさすがに…毒桜のジジイんとこ連れてくしかねえか…仕方ねえ、来い、野いちご」
少年は子どもに、手を差し伸べた。
白い花にうずもれたまま、子どもは眩しそうに少年を見上げて、不思議そうに首をかしげた。
「だ…ぁ、れ?」
「あ? オレか? 紫陽(しよう)。紫陽花(アジサイ)の紫陽。お前と同じコロポックルだよ」
「しー…ぉー?」
◇ ◇ ◇
トコトコ、トコトコ、と、ひよこのように後ろをついてくる子ども。
「コロポックルってぇのは、植物の精だ。だから、無意識に出しちまう。つまり」
ため息混じりに少年がそうごちて、振り返る。
子どもが一歩あるくたび、足跡にパッと白い花が芽吹いた。
「……?」
「こうなっちまうんだよなぁ」
歩いた道筋が、転々と白い花で道になる。
前を歩く、紫陽と名乗った少年は、嘆息した。
「おい、野いちご」
子どもは呼びかけられて、きょとん、と瞬いた。
「…のい、ち…?」
「それ、もうちょいセーブできねえのか」
「せぇ、ぶ?」
子どもは首をかしげた。立ち止まった足元に、またみるみるうちに、ぱっと白い花が咲き乱れる。
「ダメだなこりゃ。ジジイのとこ着く前に花だらけにされちゃかなわねえ」
少年は頭を抱えた。
「こうなりゃ子守はラウラウのヤツに押し付けて…いやスルクに見つかると後が面倒だしな…とにかく先にジジイに報告入れねえと…」
「紫陽のアニキィ〜!」
「ゲッ、いちばん面倒なヤツに見つかっちまった」
ブツブツ独り言を言っていた少年がぱっと顔を上げた。
子どもがつられて、きょとんと顔を上げる。そこには、背の高い木から逆さにぶらさがった、もじゃもじゃ頭の少年がいた。
「ひどいっすよぉ! オレだけ見回り置いてって! オレも一緒に行くって言ったじゃないッスかあ! せっかく抜け出してきたんすよ!」
「おいヤマブー、てめえは半人前だから見回りは禁止だろうが」
「そんなそんな〜、固いこと言わな……あっれぇ!? なにこの子! どーしたんすか!」
「どーもこーもねえよ。昨日の山火事で種が飛んだらしくてな。生まれたてだ」
「うっわー! オレ、初めて見たっすよ!」
シュタン、と木の上から逆さに降ってきて、身軽に着地したもじゃもじゃ頭の少年が、パッと子どもに笑いかけた。
「よろしくっす!オレさまのことはスーパーウルトラワイルドグレープと呼んで…」
「おいヤマブー、散れ。しっし」
「もー! 最後まで言わせてくださいっすよアニキぃ!」
子どもは、目をぱしぱしと瞬かせたが、ヤマブーと呼ばれたもじゃもじゃ頭の少年がパッと笑いかけると、つられたように、ふわっと笑った。
「ふへ」
「うわー! かーわーいーい! なにこの子超可愛いんですけど!」
くねくねと身悶えた少年は、ぱっと指先を開いた。
ポンポンポン、と手品のように子どもの前に、大粒の山葡萄が現れた。
「…?」
「お近づきの印に!」
「あっ、おいヤマブー、この馬鹿…!」
差し出されたぶどうの粒を、子どもは差し出されるままに口に放り込んだ。
途端、子どもは顔をしかめて涙目になった。
「うーー!」
「あっれえ!? 今日は上手くいくと思ったんだけどなあ!?」
「こぉら半人前! てめえのヤマブドウは渋くて食えたもんじゃねえだろうが!」
紫陽と呼ばれた少年が、子どもをぐいっと引き離す。もじゃもじゃ頭の少年から身を隠すように、子どもは紫陽の後ろにぱっと隠れてしまった。
「うぅ…」
「あっちゃあ、もしかしてオレ嫌われちまった?」
「自業自得だボケ」
「ぴ、ぇぇ」
じわ、とみるみるうちに子どもの目に涙があふれて、本格的に泣き出した。
ヤマブーと呼ばれた少年は慌てて右往左往、反復横跳びで無意味に行ったり来たりしている。
「ああああごめん!ごめんっすよぉ!泣かないで!」
「ヤマブーてめえはホント余計なコトしかしねえな。ああもう!どいてろ」
無意味にぽんぽん跳ねるもじゃもじゃ頭を押しのけて、少年が子どもの前に指を突き出した。
ついで、ポンっと目の前に、丸い紫陽花が現れた。
子どもは一瞬、涙目で目を丸くする。
ポン、ポン、ポポポン。少年が指を鳴らすたびに、次々手品のように生まれる、紫陽花の花。
子どもの腕の中はあっというまに紫陽花だらけになって、柔らかで優しい香りが子どもを包んだ。
ぽふぽふ、と紫陽花の花玉に遊ばれて、子どもは、ふへ、と顔をうずめて笑った。
「ふへ、ふへへ」
「笑った! さっすがアニキ…」
「はぁ…こうなったらお前でもいい。ヤマブー、てめえ、こいつ見張っとけ。俺はジジイのところ、に…?」
紫陽、と呼ばれた少年が、紫陽花色の傘をくるりと持ち直して踵を返した。
そのとき、くんっ、と紫陽のレインコートの裾が引かれ、紫陽は後ろにつんのめった。
振り返ると、子どもが紫陽の裾をしっかと掴んでいた。
目が合う。子どもがふわっと笑って、舌ったらずに「し…ぉー」と擦り付いた。
「あ〜ら〜。紫陽のアニキ、すっかり懐かれちゃって」
「………参ったな」
やんわり振り払うと、じわっと目に涙をためて、再びひしっとしがみつかれる。
三度振りほどいて、けれど四度しがみつかれて、紫陽はほとほと困った顔をした。
反して、ヤマブーと呼ばれたもじゃもじゃ頭は、途端に満面の笑みになった。
「あー…」
「こりゃ離れませんね! 見回りは無理っスね! つまりオレの出番っすね!」
「ゲッ、おいヤマブー、てめえは大人しくジジイに報告に、」
「嫌ッス!可哀想じゃないっすか! 安心してくだせえ紫陽のアニキ! この不肖スーパーウルトラワイルドグレープが代わりに見回りいってきまーす!」
「おいこら戻れ! ヤマブー!」
声だけがエコーして、あっという間に消える。
紫陽は中途半端に手だけ伸ばしたまま、顔を覆った。
「せめてジジイに代わりに報告に行ってくれ……」
呟きが森に吸い込まれて虚しく消える。
ぐったりと落ち込んだ紫陽の頬に、ぺと、と紅葉のような小さな手が触れる。
子どもはきょとんと首だけ覗かせて、覚えたての言葉で「し、ぉー」と舌足らずに笑った。
子どもは嬉しそうに、紫陽花のくす玉に頬をうずめて、モフモフしている。
「ふへへ」
「…………あーあ。弱ぇんだよなあ」
無邪気で、あどけない、小さな手。ぬくくて、柔らかい、脆い手。
可哀想じゃないっすか。
お騒がせ山葡萄の言葉が妙に耳に残って、紫陽は片眉を下げて苦笑した。
「しかたねえなあ。今だけだぞ。俺んとこ来るか? 野いちご」
子どもはパァッと笑顔をあふれさせた。
◇ ◇ ◇
「ほら、こっちだ」
「わぁぁ」
子どもは感嘆の声を上げた。
青、紫、青、紫。
一面の紫陽花が、一斉に咲き誇る湖のほとり。
みずみずしく光を弾いて、木漏れ日にぬれて輝いている。
「き、れい」
子どもが舌足らずに呟いた。
目をビー玉みたいにキラキラさせて、紫陽の裾を引いて「きれい、きれい!」と何度も興奮して訴える。
紫陽は驚いたように目を見開いて、ふっと表情を緩めた。
「おかしなガキだな。ニンゲンみたいなこと言うのな」
紫陽が笑うので、子どももつられて、にぱっと嬉しそうに笑った。
子どもは、目を奪われたようにダッと紫陽花の近くへ駆け出して、けれどパッと立ち止って、首を傾げた。
そして、考え込むように目をパチパチさせたかと思うと、突然パッと振り返って、紫陽花を指をさした。
「し、ぉー?」
紫陽花を指差して、紫陽、と確かに言った。ホッと肩を落とす。
「どうやら同族はちゃんと分かるらしいな。ああ、そうだ。ここら一帯ぜんぶ俺の花だ」
「し、ぉー!」
子どもはパァっと表情を明るくさせて、嬉しそうに跳び跳ねた。
こぼれるように白い花がみるみる咲いて、ひょこひょこ揺れる。
「いいか、野いちご」
紫陽は、しゃがんで指を立てた。
レインコートの裾から出た黒手袋が、きょとんとした子どもの前でピシッと立てられる。
「俺はお前を、ジジイの所に連れて行かなきゃならねえ」
「ジジ、イ? だぁれ?」
「あー、この森でいちばん偉いヤツだ。けどな、ジジイの所にソイツがポンポン咲くと困るんだよ」
「し、ぉー、こまる?」
子どもの足元に、ぽん、とまた白い花が咲く。
初めて気づいたように、花を見下ろす。
途端に泣き出しそうに眉を落とした子どもに、紫陽はたじろいた。
「ふ、え」
「あー、あー……、だからだな、ここ一帯はぜんぶ俺の花だから、俺は困らねえ」
なだめるように、思わず両手を出して子どもの肩を持とうとする。
けれど直前で、紫陽はビクッと手を止めた。レインコートの裾から出た黒手袋が、子どもの目の前で固まる。
「……?」
子どもは突然止まった黒手袋を不思議そうに見て、首を傾げた。
紫陽はゆっくりと、慎重に手を引っ込めて、またレインコートのポケットの中に両手を仕舞った。
「……だから、ここで練習すりゃあいい。ここなら誰も困らねえから」
「しぉー、こまらない?」
「ああ」
子どもは何度も足元の花と紫陽の顔を見比べて、やがておずおず、と上目遣いに見上げた。
「きらい、にならない?」
「? そんなこと言ってねえだろ」
突拍子のない質問に思えて、紫陽はそう答えた。
途端にぱぁっと表情を明るくした子どもは、嬉しそうに跳ねた。
「しぉー、すき! がんばる、ね!」
紫陽は目を見開いた。
子どもはウサギのようにぴょんぴょん跳びはねて、ぽんぽん花を咲かせていた。
紫陽は驚きから何度も何度も目をしばたかせて、やがて肩の力を抜いてじんわり苦笑した。
「なんでこんな懐かれちまったかな。……まあ、先は長そうだ」
次々生まれる白い花が、青一色の紫陽花の下で嬉しげに揺れていた。
◇ ◇ ◇
「コロポックルの成長は早いから、たぶん一日二日でまともに喋れるようになるはずなんだが……たぶん中身がしっかりしてくりゃあ力のセーブも自然と」
「しぉー、みてみて! あのね、いちご!」
「もう実がなったか。あー、でもな、俺は確かに『花を咲かせんな』とは言ったが、『実ならオッケー』って言ってるわけじゃ、」
「しぉー、しぉー、すき! あげる! おいしいよ!」
「……ありがとよ」
「しぉー! おはよう! あのね、きいて! できるようになったんだよ、ちょっとだけ!」
「俺の目には相変わらずポンポン咲いてるようにしか見えねんだがな……」
「さっきはできたもん! ほんとだもん! しぉーがね、きてうれしいなっておもったら、さいちゃうんだもん」
「……そうかよ」
「しぉー、出来た! ほら!」
「おー、だいぶ減ったな。まあ、もうそこら中が花だらけで分かんねえけど」
「うぅ、まだちょっと失敗しちゃうけど、ホントだもん。しぉーのイジワル」
「口もずいぶん達者になったか。あとな、言おう言おうと思ってたが、俺『しおう』じゃねえから。し・よ・う。紫の陽の色で、紫陽な」
「しよう? しー、しよー、しよー、しよ、イタッ、舌かんだ」
「どんくせえなぁ」
「言いにくいよう! うーん、ええっと、しよ、しー、しーくん?」
「あ? なんだ、その無駄にファンシーなアダ名」
「しーくん、しーちゃん、しーたん?……うん、シーくん! シーくん! ふへへ」
「おい、あのなぁ、俺はれっきとした紫陽って名が」
「シーくんだぁいすき!」
「…………まあ、なんだっていいけどよ……」
◇ ◇ ◇
二週間もする頃には、すっかり口も達者になって、当初の意思疎通の困難さはすっかり消え失せていた。
最初に三歳児レベルだった言葉は、みるみるうちに外見に追いついた。子どもは少し背が伸びて、ニンゲンでいう十歳かそこらで伸びが止まった。
ここからは緩やかに伸びていくだろう。一般的なコロポックルの生態に沿った成長だ。紫陽とて、外見こそそう変わらないが、名前を得てからそろそろ百年になる。
「アニキ〜! ここに居たっすかあ! 探したんスよ!」
「出たなトラブルメーカーめ、帰れ」
「うわー! 白い! 青い! 踏みそう」
紫陽と子どもは、花畑にあぐらをかいて練習の真っ最中だった。
花を出したり引っ込めたり、「消す」練習はまだ上手くいかない。子どもは小首を傾げて、闖入者にパチパチと瞬きをした。
「あ、あのときの。こんにちは」
ぺこん、と子どもはあどけなく頭を下げて、手をお椀の形に広げた。
ふわっと光った手の中に、赤い木の実があふれる。
「こないだは、泣いちゃってごめんなさい。仲直り、してくれる?」
「わ、スッゲー美味そうな野いちご。えっ、オレにくれんの?」
こくこく、と子どもは頷いた。
「うっま! ナニコレ!うっわー、こんなに出来るようになったんすか!? まだひと月も経ってねえのに!? オレなんか、ちゃんとセーブするだけで半年も掛かったのに!」
「お前はちっともセーブしねえで遊び呆けて、いったい何度俺に殴られたっけな……」
「いやー、そのー、あっはっは!」
「お前は根本的な真面目さが足りねえ」
「その節はお世話に!」
「お世話してんのは今もだ阿呆」
誤魔化すようにモジャモジャ頭をかき回して、ヤマブーと呼ばれた少年がニカっと笑った。
「野いちごちゃん、お名前なんてゆーんスか!」
「ちゃんじゃないもん。『ノイ』はね、男の子だもん」
紫陽は目をパチクリさせた。
「あ?」
「あれっ、スッゲー可愛いからてっきり女の子だと思ったっス! 性別ハッキリ自覚してるコロポックルって珍しいッスね! ごめんごめん、『ノイ』って言うんすかー! 誰につけてもらったんすか?」
「おい野いちご、お前、名前あったのか」
「あのね、シーくん! シーくんがね、呼んでくれたの!」
「は?」
「ノイがね、生まれたとき、シーくんが『ノイ』って呼んでくれたの! ノイ、野いちご、って!だからノイはね、ノイだよ!」
『おい、野いちご』
『の、い…?』
『紫陽だ』
『し、ぉー?』
「そうか、お前、あのとき生まれたてで―――」
紫陽は、はたと気付く。
「耳がまだ、まともに効いてなかったのか」
言われてみれば、言葉の出の遅さの割に、呑み込みは早かったように思う。
耳が良く効いていなかったなら、言葉が拙いのは当たり前だ。
教師面していたにも関わらず、根本的な所を読み違っていたらしい。
生まれたてのコイツにとっては、紫陽の呼びかけが、生まれて初めて耳にする言葉だったのだ。
「おい、……あー、そうか、口癖になってやがんな」
呼びかけかけて、紫陽は自分の口癖を自覚する。子どもはあどけなく小首を傾げて紫陽を見上げた。
「なあ、今さらだが、別の……好きな名前を名乗ったってかまわないんだぞ」
おい、野いちご。などという、無骨で何の変哲もない呼びかけ。
耳も充分に聞こえず、不明瞭なそんな一言を。
後生大事に憶えていた。
どうにもむずがゆく困ってしまって、紫陽はそう子どもに声をかけたのだけど、子どもはそんなこと思いもつかないように、ふわっと笑った。
「ノイはノイだよ。シーくんがくれたノイがいい」
◇ ◇ ◇
◼︎野苺のノイ(エゾヘビイチゴ) 主人公
小人の男の子。振る舞いは幼く、無邪気。
手をパッと開くと、小さな甘い野いちごが出てくる。
エゾヘビイチゴには熱を下げたり痛みを取ったりする作用がある。傷付いた小鳥や、迷い込んだ動物に、主人公が野苺を振舞って話を聞くところから物語は回る。
元は野っ原に群生していたが、嵐の日に雷が落ちて焼けた。家族は皆その時に焼け、種のまま「猛毒ザクラの森」に飛んで今に至る。雷が怖い。
コロポックル(ふきの下の小人)の仲間であり、人家に住むと座敷わらしと言われることもある。
◼︎紫陽花のシーくん(ツルアジサイ) 親友
ノイの親友。生意気でオレさまな振る舞いだが、兄のようにノイを庇護する。
火事に焼け出されたノイが森に辿り着いたとき、発見したのがこのツルアジサイで、以来、ノイは「シーくん、シーくん」と慕っている。本当は「紫陽(シヨウ)」という名前。
この「猛毒ザクラの森」の主、大桜の根元に一株だけ咲く紫陽花。
本来、桜の根元にはあらゆる植物が生えないが、なぜか無事に咲いたこのツルアジサイを、森の長が孫として扱った。この森では「有力者の孫」扱いである。
紫陽花には毒のある個体と無い個体があり、理由は現在に至るまで不明である。桜の根元に咲く紫陽(シヨウ)は毒持ちの個体で周囲は寄り付かないが、屈託のないノイに救われている。狂い桜の「ジジイ」に恩返しすることが目標。
◼︎山葡萄のヤマブー
自分を「スーパーグレートワイルドグレープ」と自称するお調子者だが、紫陽(シヨウ)には「おいヤマブー!」と一喝されるパシリポジションである。
山葡萄には解毒作用があり、よくノイが「ラウラウ」に当たると紫陽(シヨウ)に召喚される。解毒薬の塊なので、紫陽(シヨウ)に近付くことをためらわない。
ついつい天狗になりがちで、周囲に信頼されていなかったが、ノイが「傷付いた動物に薬として野苺を振る舞う」場面を見て以降、ノイに憧れがあるようで
子供っぽい振る舞いのノイを「ノイ兄!」と言ってくっついて回るギャップに愛嬌がある。
やがて立派な山の薬師に成長するが、こいつが一番悲壮な過去を持ってる。
◼︎ラウラウのお兄さん(エゾテンナンショウ)
気の良い優しいサトイモ科のお兄さん。球茎が非常に美味しいが、真ん中部分は痺れ毒なので、くり抜かないと当たって口が痺れる。ノイを可愛がっている良いお兄さんなのだが、うっかり者でよく毒をくり抜くのを失敗するので、ノイはしょっちゅう毒に当たっては「お口が痺れるよぅシーくん…」と涙目になっては、紫陽(シヨウ)が慌てて「ヤマブー!」と騒ぐまでが日常である。
◼︎「猛毒ザクラの森」
北の大地のどこかにひっそりと存在する。
昔は「カムイ」の言葉を解した人間がいたが、交流も絶えて久しい。
◇ ◇ ◇
火事で焼け出された野苺ノイを見つけたのは、毒桜の森の紫陽花「紫陽(シヨウ)」だった。
産まれたての赤子同然のノイを仕方なさそうに面倒を見てやっていた紫陽は、「シーくん、シーくん」と慕い、水を吸うように無邪気さを開花させていくノイに、徐々に心を開いていった。
独り立ちの準備が整いつつあった大雨上がりのある日、森の外れまでノイの手を引き、連れてきた紫陽は、けれど森の外の鳥たちが、紫陽の事を「猛毒の森の毒紫陽花」と噂するのをノイに聞かれーーー
そんなとき、紫陽と繋いでいたノイの手のひらは、見ればまるでかぶれたように紫に変色していて…
一転して表情を厳しくさせ、手を叩き払い、突き放した態度を取るようになった紫陽に、ノイは戸惑って「シーくん、どうして?」と後ろを付いてまわる。
「てめえの面倒みるのがウザくなったんだよ」と、ノイを森から追い出そうとする紫陽だが、ノイは泣いて「やだ、ここにいたいよう…!」と泣き縋る。
ノイを冷たく突き飛ばして去ろうとする紫陽だったが、追いかけようとしたノイの足下が、大雨の名残で崩れてーーー
(しまった!)
咄嗟に紫陽は手を伸ばし
「ッ! ノイ!」
と叫ぶが、手が触れそうになった瞬間、紫陽は躊躇し、手を引っ込めて、そして二人まとめて木の根のウロに落下した。
ノイを庇い下敷きになった紫陽は、涙目のノイが呼ぶ声で目が醒める。
光が頭上から漏れ、木の根と木の根の間のウロに落ちた事に気付いた紫陽は、けれど足をくじいて登れないことに気付いた。
一方、ノイは泣きながら紫陽を心配し、そばを離れようとしない。
ノイ一人なら木の根を伝って登れることに気付いた紫陽は、ノイに再三「この森を出ていけ」というが、ノイは頑なに紫陽のそばを離れようとせずーーー
◇ ◇ ◇
「ノイ。手ぇ出せ」
泣きぬれた瞳をきょとんと見開いたノイは、疑いを持たぬ証拠に無防備に両手を差し出した。
紫陽は眉を辛く寄せた。無垢なノイはいつもそうだった。
椀の形にしたノイの手の上で、紫陽は深く息を吐いて、自分の手をぐっと握って掲げた。
ポンっと開いた手の中で、手品のようにあじさいの花がいくつも浮かんだ。
「わあ」
「黙って見てろ」
紫陽は怖いぐらいに声を低くした。ノイが口をつぐむのを見てから、出した紫陽花の花を無造作にちぎって散らして、葉だけむしった。
ピチャン。ピチャン。
木の根を伝って落ちてくる水滴に、紫陽は葉を持った手を掲げた。
水滴が手の中に入り込む。
落ちてくる雨水を、葉ごと、ぐっと握った。
紫陽の手から、ゆっくりと。
搾り取られるように、薄緑色の水滴が、ノイの手の中に落ちてくる。
小さなウロの中いっぱいに、甘やかな茶の香りが、ふわりと広がった。
ほわっと、ノイは表情を和らげて、ほっとした顔をした。
「いい匂い…」
「甘いぜ。毒入りだがな」
パッと顔を上げたノイを、凍ったような目で紫陽は見下ろした。
「アイツらの言ってたことは本当さ。紫陽花には毒を持ったやつがいる。毒桜のジジイの根元に咲いた俺は、とびきり毒が濃い」
目を見開いたノイを見下ろして、淡々と紫陽は声にした。
「俺もてめーと同じさ。ガキん頃に種のままこの森にやってきた。普通なら枯れちまう所を、運良く生き残ったってんで毒桜のジジイが育ててくれた。けど、毒桜のジジイの葉露で育ったからかね、気付けばすっかり毒持ちさ」
木の根の間から漏れる遠くの光を、紫陽は見上げた。
「この森はおかしな森だ。毒持ちしか生きられねえ。そのうち死んじまうか、いつのまにか毒持ちになってるかの二つに一つだ」
ノイの手の中には、猛毒が黄緑色に揺れている。
一瞥して、紫陽は口角を吊り上げた。
「てめえが持ってんのは猛毒だぜ。怖いだろ?」
「こわくない」
「どーだかな。それとも、飲んでみるか? 優しい優しい甘ぁい味がするぜ。飲めば天国、ってな」
クツッ、と喉で笑って、捨て鉢な声を出した。ノイは静かに黙っていた。
「分かっただろ。てめーの居場所はここには無ぇ。死にたくなきゃ出て、」
「知ってたよ」
水を打ったように、世界が静まり返ったのを知った。
知ってたよ、と。ノイは繰り返して、柔らかく笑って一歩足を引いた。
「やーくんがね、早く出ていかないと、毒持ちになっちまうぞって」
一歩、また一歩と。紫陽から距離を取って、背後に下がったノイに。
紫陽の背中を、冷たい予感が滑り落ちる。
「おい……?」
「だから言ったんだ。いいよって」
「待て、まさか…!」
とうとう容易に手を伸ばせない位置まで下がると、手の中の猛毒を口許に持ってきて、ノイは微笑んだ。紫陽は目を見開いた。
「やめろ、おい!!」
くいっ、と、紫陽花の花ごと呑み干した。
「!!」
顔色を変えて、血相を変えて体を引きずって、無理やり這った。
「おい!!」
ノイを引きずり倒して、真っ青になって襟首を揺さぶった。
倒れたノイの手から、わずかだけ残った毒茶がこぼれた。
「吐き出せ!おい!」
ひっ摑んでどれだけ揺さぶっても、ノイは口を両手で固く抑えて、膨らんだ頬で、いやいやをする。
ごくん、と飲み干す音がして、紫陽の顔色は紙より白くなった。
「!!!」
ノイは、目を見開いた。
ふわっ、と表情を和らげて
「優しい味がする…」
そういって、ふんわり微笑んだ。真っ青な紫陽を見上げたまま。
「なにやってんだ、死にてえのか!!」
「だって」
ノイが土で汚れた頬で優しく笑う。
ふわっ、と柔らかさと温かみが紫陽を満たした。
紫陽は瞠目して固まった。
「毒持ち(おんなじ)になったら、一緒でいられるから」
動けない紫陽の頭を、ノイが抱いていた。
おいていかないで、と。耳元で震えるような細く頼りない声がする。
「シーくんもね、さびしそうだったから。だから、ノイね、ずっと一緒、に……」
紫陽を抱きしめたまま、ずるりと地面に伏したノイを、スローモーションのように、紫陽は、膝をついたまま動けずに見ていた。
「ノ、イ……?」
目を閉じて、倒れたままノイは応えなかった。
◇ ◇ ◇
直後、はぁ、と熱い息を吐き出したノイは
火照った顔で、くらっと目眩を起こして、瞠目して固まった紫陽の目の前で昏倒する。
動けない紫陽の前で、引きつけを起こし、
「う、えっ」
ビクッ、ビクビクッ、と体を痙攣させて、紫陽の毒に苦しむ。
紫陽は蒼白になり、穴の中から叫んで助けを求め、森のメンツに引き上げられるが、紫陽の毒は強く、ノイの生命は危ぶまれる。
根から少しずつ水と毒を吸って毒持ちになった紫陽と違い、一気に致死量を呑んだノイは、毒持ちに変化するどころか死にかけていた。
「なれるわけねえだろ!!」
ガタガタ震える紫陽が叫ぶ。
「ほんとに飲むなんて思わなかったんだ、どうせ逃げ出すって…いつか怖くなって逃げ出すって。だから、いつか居なくなるならこんな友情いま壊しちまおうって、けど…!」
顔を手で覆って、紫陽は叫んだ。
「あいつを壊したかったわけじゃなかった! 俺は、ただ…!」
紫陽はヤマブーに取りすがるが、紫陽の毒は強すぎて、ヤマブーの毒消しでは歯が立たない。
万策尽きて絶望感が漂ったとき、毒桜が自分の「衣」を剥いで飲ませなさい、と言う。
衣、つまり木の皮は、剥ぐと元に戻らず、そこから腐って病気になることも多く、葉と違って慎重なものだ。
毒桜の木の皮。これを飲ませたら本当にノイを殺してしまうかもしれないと怯えながら、紫陽は、けれど、毒桜の言うとおりにした。
やがて、ノイの容態が戻ったことに、紫陽は安堵で崩れ落ちる。
桜の根には毒がある。しかし、樹皮は煎じると毒消しになることは知られていなかったのだった。
猛毒で有名な毒桜。
けれど衣は毒消しで。
この森の長は、毒と薬の両方を持つ存在だった。
目が覚めたノイに、森の長の毒桜は諭す。
毒にも薬にもならない存在はなんの役にも立たないが、毒は薬になりうる。
これから毎日少しずつ桜根の毒に慣らせば、ノイも毒を持てるだろう。
逆に、毎日桜の薬を煎じて飲めば、毒と相容れぬ薬として存在できる。野苺は正しく使えば解熱薬や痛み止めになるのだ。
「毒」になれば、紫陽と手を繋いでいられる。
紫陽と触れ合える同じ存在か、安全で毒に影響されない薬になるか。
森の長はノイに選択を与えた。
けれど、ノイは紫陽の涙を思い出して、首を振って「薬」を選んだ。
「『毒』になったら、シーくん、自分を責めると思う。シーくんは、優しいから」
庇って落ちた紫陽の怪我を治してあげたいと思ったノイは
「薬」として存在することを選んだ。
数日後、怪我から微熱を出して塞ぎ込んだまま、ずっと表に出てこなかった紫陽を、迎えに行ったノイは
頭上にたくさんの野いちごを降らせて紫陽を驚かせ、笑いかけたのだった。
(野苺ノイの過去編おしまい)

【スルクとカズラ編】
「ヤマブドウのじっちゃんが言ってた。ダチと呑む酒ほど旨いモン無ぇってさ」
そう笑った親友はもういない。
約束だけ置き去りに、もう会えないところに逝ってしまった。
「だから、スルク、呑もうぜ。最っ高に旨い酒、いつか作ってやっからさ」
親友がパッと指先を開いた。
手品のように、宙にポンポンッと、みずみずしいブドウの粒が、次々生まれた。
「オレもじっちゃんと同じ、ヤマブドウの精霊(コロポックル)だから」
【タイトル:スルクとカズラ】
スルクが生まれたのは、もう200年も前のことだ。
スルクは、矢毒を構えた。ヒュン、と風を切って、崖に突き刺さる。
崖を登ろうとしたイノシシが、悲鳴を上げて逃げていった。
「おー、スルク。今日も見回りかぁ。おつおつー、イエイ!」
「うわっ」
呑気に肩を叩いてきた親友。そのせいで、うっかり自分まで崖から転がり落ちそうになった。
「何すんだカズラ!」
「あはは! わっりーわっりー!」
豪快に笑った親友に、スルクは不満を込めて口を尖らせ、結局、呆れてくしゃりと笑い返した。
スルクとは、「トリカブトの矢毒」という意味だ。
この森は山の中腹にあって、崖先が天然のネズミ返しになっている。
食料を狙って、こうして時々、よその奴らが森を荒らしに登って来る。
それを追い返すのが、スルクの役目だった。
「さぁすが最強のトリカブト様。見たかよ、あいつら一撃で逃げてったぜ」
呑気な親友が、バシバシと元気に背中を叩いてくる。
スルクはため息をついた。
「知ってるだろ、俺(トリカブト)の毒が見かけ倒しなの」
「知ってんぜ? お前が優しいヤツだってのは」
親友が、ニカッと人懐っこく笑いかけてきた。
「毒が強くならねえように、抑えてんだろ。ヤマブドウのじっちゃんが言ってた。トリカブトは、一瞬でどんな獲物も殺せるけど、うまく抑えりゃ瀕死のヤツの薬にもなるってさ」
「あの酔っ払いジジイ、喋りやがったな……チクショウ」
顔を片手で覆った。耳が熱い。
何もかもお見通しとばかりに、親友はケタケタ笑った。
「照れんなってスルクちゃん。うちのじっちゃんに弟子入りすんだって?」
「まぁ、この森には、テメエのジジイ以上の薬師いねえし…条件付きだけどな」
「オメーが自力で薬を作れるようになったらっつーアレ?」
「筒抜けじゃねえか。もうバレてんならいい……俺の毒、あとどんくらいで固定すんだろうな」
「お前『赤毒』だからなあ。あと十年ぐらいじゃねえの。オレもそんぐらいで伸びなくなったし」
「お前の解毒薬、使いモンにならねえもんな」
「うっせ」
ゴロン、と寝転がって、親友は、指先をパッと開いた。
空中に、手品のように、ポンポンポン、とブドウの粒が落ちてくる。
スルクは、横からパッと一粒掠め取って、口に放り込んだ。相変わらず渋い。
「あーあ、俺もじっちゃんくれぇ美味ぇブドウ出せたらなー。同じヤマブドウの精霊(コロポックル)だってのに、なぁにが違うんだ」
「俺は嫌いじゃねえけど。渋くて眠気覚ましにちょうど良い」
「そーじゃねえんだよそーじゃ! オレが求めてるリアクションはよー!」
うがぁ、と親友は頭をかきむしって、ビシッと指をさした。
「今に見てろよ!『カズラ様カズラ様、こんな美味い物は初めて食いました』って言わせてやるからなぁ!」
「はいはい」
「ムキー! 吠え面かかせてやっからな! 後で後悔しても遅えぞ!」
「はいはいはい」
「だからテメエは……おっと! 忘れてた、そんなことしてる場合じゃねえわ。テメエにコレ飲ませるために探してたんだったわ」
腰からひょうたんを取り外して、ポイっと放ってくる。
パシッと受け取ると、カズラが「ふふん」と胸を張った。
ヤマブドウの葉と蔓で閉じられた蓋。見慣れたコイツの薬瓶である。
一見、すり潰したブドウのジュースに見える。
問題は、この親友が、自分のブドウと、わけのわからない色んなものを混ぜる「悪癖」があるということだ。
「新作!」
「何だこれ。カズラ、お前またおかしなモン作りやがったのか」
「今回は自信作だぜ」
口を付けてみる。だいぶ癖があるが、意外とほんのり甘い。
「お…今回は意外と普通…」
「マムシの毒と白樺の樹液を混ぜてみたんだが」
「ブーッ!!」
さらっと告げられたとんでもない新事実に、スルクは口の中身を吹き出した。
「なに飲ませてんだテメエ!!俺じゃなきゃ死んでるぞ!!」
「最強のトリカブト様がこのぐらいで死ぬかよー。ふむふむ、オレのスルクご機嫌スコアによると、今回は悪くねえな。40点ってとこか?」
「何だそのアホな審査基準…カズラ、自分で味見できねえモン俺に味見させて確かめんのマジでやめろよな」
「カッタイこと言うなよー」
ふふん。と親友は広角を上げた。
「今に見てろよ、じっちゃんより凄え解毒薬作って、このカズラ様の名前を森中に響かせてやっからな」
「期待しねえで待っててやるよ」
「うっわ腹立つ! 本気にしてねえな。万能薬ができりゃあ、テメエの毒なんてあっという間に、」
―――トリカブトだ、トリカブトが居るぞ
―――猛毒だ、何でも殺す猛毒
ピク、とスルクは眉根を寄せた。
見上げると、樹木の枝の陰から、小鳥たちが遠巻きに囁いていた。
―――触れただけで仲間が死んだらしい
―――恐ろしい、恐ろしい
―――だが、隣にヤマブドウがいるぞ
―――アレも毒だ、おかしなものを集める変人ブドウ
耳にするや、親友が横で青筋を立てた。
「あんのお喋りスズメが。舌の根引っこ抜いてやろうか」
「……行くぞ」
「あ、おいスルク、待てよ、おい!」
慌てたようについてくる親友を、振り切るように早足で歩く。カズラは、とりなすように、ちょこまかと周りを跳ねた。
「あんなん気にすんな、テメエを知らねえヤツが好き勝手言ってるだけだ、な?」
「気にしてない」
「いやどう見ても気にしてんだろ。あんなデタラメ、お前もっとキレて良いんだぜ」
「お前がキレろよ!!!!」
カズラは目を丸くした。
「カズラは毒草じゃないだろ!! カズラもジジイも森のために働いてる!! 何で言わせっぱなしにしとくんだ!!」
「え、なに、お前ってば、オレが悪口言われたから怒っちゃってんの?」
ハッとする。
しまった、口が滑ったと思ったが、時すでに遅し。カズラはニンマリ口元を押さえて、だらしなくニヤついた。
「いや、おかしなモン集めてんの事実だし、オレもじっちゃんも変人扱いは慣れっこだが、でも、そーかそーか、スルクちゃんは嫌か、そぉかぁ、ふふーん」
カズラはすっかりニマニマして、機嫌良さげにガッツポーズした。
「うわー、オレってば愛されてるぅ〜!」
「さわんな、崖から突き落とすぞ」
「スルクちゃんってば照れちゃってまぁ、……ちょ、待て待て待て、目がマジだやめろやめろやめろってオイ、ぎゃー!!!」
幸せだった。
あの頃は、親友と、自分と、師がいて
それだけで良かった。他に何もいらなかった。周りが何と言おうと構わなかった。
このまま、生きていけると思っていた。
◇ ◇ ◇
スルクは猛毒で嫌われ者だったが、カズラだけは違った。
弱い解毒の作用のある山葡萄、エビカズラの「カズラ」は
気さくで屈託なく、誰も触ろうとしないスルクに気軽に触れた。
スルクの理解者で、たった一人の親友だった。
幼い頃から一緒に過ごし、一緒に笑い、一緒に生きていた。
スルクは、カズラがいたから、一人ではなかった。
酒飲みの山葡萄のじいさまの口癖を繰り返して
「ヤマブドウのじっちゃんが言ってた」というのがカズラの口癖で
物知りで、顔が広くて、どこにでも顔を出す。そんなヤツだった。
カズラは奔放で、いたずら好きだった。
一人でこもりがちのスルクを連れ出しては、
美味しいものからとんでもない味のものまで、いろんなものを食べさせられた。
特にひどい味だったのが、カズラが自分の山葡萄で作った、
自称「ワイン」の謎の腐った物体で
何度も失敗して失敗して失敗してその被害にあうのがスルクだった。
「次こそ、あっと言わせるようなうまい酒を作ってやるからな!吠え面かくなよ!」
これがカズラの口癖だった。
スルクは内心、カズラのそんな奔放さに憧れていたし、何より大切な存在だった。
いつか、誰も味わったことのないような
旨い酒で一緒に酔って笑うのを。
カズラが言ったその夢を、本当に楽しみにしていた。
ちゃんとした酒は、酔って陽気になって口が軽くなるというから
その時は、今までどうしても素直になれなくて
ちゃんと言えなかった感謝や友情や尊敬を、言葉にできると思った。
笑って喧嘩して許しあって。
こうしてずっと、一緒に生きていくんだと思っていた。
ヤツらが襲ってくるあの日まで。
ヤツらは森に侵入して、周囲を食い漁った。
牙や爪でズタズタにされた、カズラの母体だった山葡萄の木には亀裂が入り
カズラは瀕死になって、しかも、
最後はスルクを庇って、そのまま食い殺される。
スルクはその絶望と怒りで暴走して
目が真っ黒に変質して
毒の性状が強烈に変質して
人喰い熊と人喰いオオカミを追い払えるほどの、最強の毒性を手にする。
けれど、時すでに遅く、カズラはスルクの手の中で息をひきとる。
スルクは絶望したが、カズラの山葡萄の木は、枯れ木から小さな芽が出た。
スルクはそれに縋り付いた。
コロポックルは生まれ変わる。母体さえ生きていれば。
そこから100年近く、たった一人でその芽が木に育つのを、ひたすら守り続けた。
たった一人で矢を振るい、孤独に人喰い熊たちと戦いながら、守り続けた。
そして、とうとう、九十九年たったその日
そこから、カズラそのままのコロポックルが生まれ直すのを見た。
「カズラ…!」
けれど目を覚ました小さなコロポックルは
「だれ」
とスルクを怪訝に見上げるのだった。
コロポックルは死んでも生まれ変わる。母体の株さえ生きていれば。
けれど、一度死んで生まれ変わると、それまでのことは忘れてしまう。
姿かたちはそっくりなのに、性格も心根も変わらないのに、まるで別人として生まれ変わる。
それが、コロポックルの生まれ変わり。
スルクは、「カズラ」はもうどこにもいないのだと知って、絶望する。
お前の持ってくるマズイ飯が好きだった。
お前が持ってくる失敗談が好きだった。
お前が持ってくる、あのとんでもない酒の出来損ないと
未来の約束が大切だった。
お前と一緒に、酒を飲む日を楽しみにしていた。
いつかお前に、うまい、って。
本当はずっと、お前と飲むなら何でもうまかったんだって
言える日を心待ちにしていた。
けれど、あの日笑ったお前には
もう二度と会えないんだと
そう思い知った瞬間から、スルクは泣き、泣き、泣き、
心を頑なに閉ざしてしまった。
その日生まれたコロポックルは
スルクの願いを聞き届けた毒桜の森長によって
森の最奥で生活するようになり、紫陽に「ヤマブー」と呼ばれるようになる
一方スルクは、カズラのそばを離れて
森の外れ、カズラの母体の木の近く
そこを中心に、決してカズラの近くには寄りつかず
森の外れで、ただひたすら人喰い熊たちを追い払うために全てを費やすようになる。
自分を忘れた親友のそばにいるのが辛く
自分が近くにいたら、また同じことがあるかもしれない恐怖に怯え
ひたすらカズラの母体の木を守りながら
カズラが住む最奥に、決して魔の手が及ばないように
ただそれだけのためだけに、心を氷のように尖らせて
見張り、見回り、森を守る遊撃手として生きていくようになる。
それが現在のスルク。
極端に「よそ者」を憎み
森を「食い荒らされる」のを絶対に許さない
現在のスルクと、元はよそ者のノイは
衝突することになる。
◇ ◇ ◇
北の大地、山奥のどこか。
「コロポックルの森」は、崖の上、山の中腹にある。
余所はニンゲンに荒らされて飢饉。だが、この森は、崖が天然のねずみ返しになっている。この天然構造のおかげで、豊かな食料に恵まれていた。
トリカブトの『スルク』は、長年、矢毒でよそ者を追い払う役目をしていた。
崖を登って侵入しようとするイノシシを追い払ったスルク。そこへ、親友、エビカズラ(山葡萄)の『カズラ』が声をかける。
仏頂面のスルクは、親友の前でだけ柔らかい表情を見せる。
【承1】
猛毒のスルクは、毒性が強すぎて、周囲から浮いていた。
けれど、親友『カズラ』と
カズラの祖父、変わり者の薬師の『じいちゃん』だけは違った。
『じいちゃん』は山葡萄の老木、森の薬師。
自分のブドウをワインにして四六時中飲んでいる、「酒は百薬の長」が口癖の呑んべい。
薬を扱える者は少なく、駆け込み寺として、森の動物たちに頼られていた。
スルクは幼い頃、毒が強すぎる自分に悩んでいたが
『じいちゃん』に「毒にも薬にもならないものは役に立たない。最強の毒は最強の薬になる」と肯定される。
『カズラ』も祖父の気性を受け継ぎ、隔てなく気さくで優しかった。
カズラは祖父に比べて調合や酒造りが下手で
いつか自分のブドウでとてつもなく美味い酒を作って、じいちゃんとお前に飲ませて見返してやる
というのが親友の口癖だった。
スルクは、親友と師がいれば、それだけで良かった。ずっとこのままだと思っていた。
【承2】
トリカブトの毒は、根を切り落とした時の色の違いで、『赤毒(未熟)』と『黒毒(成熟)』に分類される。
赤いままなら遅効性の弱い毒、これが薬になる。
一方、感情的になると毒が濃くなり、『黒毒』となり、即効性で致死の猛毒になる。
スルクは、感情的にならないよう気をつけながら、『黒毒』に成熟すべきところを『赤毒』のままで生活していた。
カズラの祖父の跡を継ぐためだった。
あと数年もすれば、トリカブトの成長期は終わる。
『赤毒』で毒性が固定化すれば、薬が作れるようになる。そうカズラの祖父に教わったスルクは
自分の毒で、薬を作れるようになって、カズラの祖父の跡を継いで薬師になることを目標にしていた。
だが、『赤毒(未熟)』のままのスルクは
見回り役としては中途半端で、それが森の中でのスルクの立場を一層悪くしていた。
【転1】
しかし、『じいちゃん』が病気で枯れ、擁護者がいなくなり、スルクの立場が一層、悪くなる。
スルクは、祖父を失った親友を案じる。
カズラは気丈に振る舞い、それがかえって心配を増す要因だった。
「オレがしっかりしねえと。それに、いつか、じいちゃんとまた会うかもしれないだろ。
コロポックルは、百年経つとまた生まれるって、じいちゃんも言ってたからさ」
そんなとき、森の中でのゴタゴタや、落ち込むカズラに気を取られて、
スルクは見回り役に穴を開けてしまい、飢餓で暴走した冬眠前の熊に、侵入されてしまう。
【転2】
スルクは暴走熊を追い払おうと奮闘するが、
スルクの遅効性の弱い矢毒では歯が立たず、応戦するだけで精一杯だった。
そんなとき、スルクを庇って、親友のカズラは
暴走した熊の爪の一撃を受けて瀕死になってしまう。
そのショックと憎しみで、スルクの目の色は赤から『黒』に変化して
致死毒で、熊を仕留め、追い払うことに成功する。
しかし、カズラはスルクの腕の中で消えてしまい、本体の樹木にも大きな亀裂が入ってしまう。
スルクは嘆き悲しむが、カズラの本体の樹木の亀裂に、小さな芽を見つける。
【ハイライト】
コロポックルは、長い年月をかけて生まれ変わると聞いたのを思い出したスルクは
そこから100年間。
ひたすら、孤独に、小さな芽が樹木に成長するまで見守る。
そして、99年目の朝、待ちに待った日が来る。
朝、目を覚ましたスルクは、樹の前に、100年ぶりに、親友が眠っているのを見つける。
久しぶりに親友の姿を見て、スルクは泣き崩れるが
目を覚ました親友は、開口一番「誰だよお前」とスルクに警戒心をあらわにする。
それを聞いて、スルクは絶望する。
【結】
コロポックルとは、樹木や草花の精霊で
一度死んでも、花が絶えない限りは何度でも生まれ変わる。
けれど、一度死んでしまえば、生まれ変わるのは「別のコロポックル」で
スルクの親友はもう居ない。
それを知り、スルクは打ちのめされて、ただひたすら涙を流す。
落とした涙は猛毒で、カズラの生まれ変わりのコロポックルは、「イテェ!」と悲鳴を上げる。
親友の姿そのままのコロポックル。触ることもできない猛毒になった自分。
もう、当時の夢、薬を作ってカズラの祖父の跡を継ぐことも、親友と酒を飲むこともできないと悟ったスルクは
生まれ変わったばかりのカズラを、森長の毒桜の元に預け
自分は、不眠不休で森の周囲を見回る生活に戻る。
親友の本体の樹木が眠る森に、二度と悲劇が起きないようにと、その念だけで。
【続】
カズラの生まれ変わりは、森長の毒桜の元で
紫陽に「ヤマブドウだから、てめえは今日からヤマブー」と名付けられて現在にいたる。
これが現在のスルクであり
そして現在の「ヤマブー」の知らない物語。
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