志々雄事変直後の明治11年の京都にタイムスリップした巴さんと、何も知らずに出会った薫ちゃんのお話。連載中。
剣薫、清巴前提の、巴さんと薫ちゃんの交流をメインにしてますー!
@tachik_k
花に願ふ 1〜9話↓
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花に願ふ 10〜19話↓
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◆20話◆
目が覚めると、いつか見たことのある板張りの天井が見えた。
巴はゆっくりと目を瞬かせた。
何度か繰り返し、ようやく気づく。
そうだ、ここは奥野診療所の入院患者用の部屋だ。この時代で目覚めたばかりの頃、巴はこの部屋に寝かされていた。
今は別の部屋を与えられているので、この天井を目にしたのはずいぶん久し振りだ。
自分は、いったいどうしたのだろう。直前の記憶がはっきりしない。
薫と一緒に黒装束たちにさらわれて……そう、その薫が自分を助けてくれたのは覚えている。
そして、それから……――――
「目が覚めたかね」
いつかも聞いたせりふだった。
だが、声が違う。あの時は壮年の男性だったが、今の声はそれよりもさらに年上の――老人のものだ。
声のした方へ強張った首筋をそろりと動かす。
巴が横になっている高床の寝台の隣。そこには丸いいすに腰掛けた老人――翁が、人のよさそうな顔で微笑んでいた。
親しいわけではないが、見知った顔があったことに身体から力が抜ける。
「あの、私……いったいどうしてここに……それに、薫さんは……」
「何があったかは覚えておるかね?」
首を縦に振ると、翁は「そうか」と言って髭を撫でた。
「ワシらが着いた時、君は気を失っておってのう。その間にこちらに運ばせて貰ったんじゃ。狼藉者は全員警察に突き出したから、もう心配することはないぞ。薫君も無事じゃ。すでに白べこへ戻っておる」
「そう、ですか……」
巴はほっと息をついた。
薫が無事だったことに、胸を撫で下ろす。
気を失う直前の記憶――自分に抱き着いて泣いていた薫を思い出した。もう涙は止まっただろうか。いつものように笑ってくれているといいけれど。
寝台に半身を起こし、巴は翁に向かって頭を下げた。
「すみません、色々ご迷惑を……」
「いやいや。元はと言えば巻き込んだのはワシ等の方じゃ。謝るのはこちらじゃろう。
それより、どこか調子は悪くないかね。今は奥野君が出ておってのう。調子が悪いのなら、すぐに呼んでくるようにするが……」
「いえ、体は特に……」
痛いところも、違和感のあるところもない。
多少頭は重いが、これはきっと目覚めた直後だからだろう。
それにしても――なんだろう、この居心地の悪さは。
翁とは以前一度、薫の紹介で顔を合わせたことはあるが、それだけだ。見慣れないから、こんなに落ち着かないのだろうか。
「君は」
おもむろに翁が口を開く。
そうして続いた言葉に、巴は動きを止めた。
「雪代――巴君だね」
「え……」
惚けた声が漏れた。
思考が凍り付く。
何を言われたか、一瞬理解できなかった。
彼は今、いったい何を――――確か『雪代巴』と……――――
無意識に息を飲み込もうとして、喉がカラカラに乾いていることに気がついた。
雪代巴。
どうしてその名前を、この老人が知っているのだろう。
こちらで目ざめてから、自分はただの一度も雪代の名前を名乗っていない。それなのに。
そもそも、もしその名前を知っていたとしても、今の自分と結びつけることができるとはとても思えなかった。何しろ、今ここにいるのは、今から十数年前の自分だ。今の自分は、きっと容姿だって変っているだろう。
絶句する巴の様子をどう思ったのか、翁は深く息を吐き出した。
「……やはりそうであったか。まさかとは思っておったが……」
一人言のように呟いて、再び息をつく。
「あの……」
乾ききって張り付いた唇はうまく言葉を紡いでくれない。
まるで皮を引きはがすように、巴は口を開いた。
「……どうして、その名前を……」
「闇乃武と言う者たちを知っておるかね」
「……っ」
すっと身体が冷えた。
身体が強張って、瞬きひとつできない。
闇乃武――それは、巴に抜刀斎の監視を命じた組織の名前だ。ではこの翁もその一員なのだろうか。
まさかまた、自分に抜刀斎を監視しろとでも……――――
一瞬で顔を青ざめさせた巴に、翁は穏やかに語りかけた。
「心配せんでもかまわん。闇乃武はすでに解体されておる。それにもう、幕府はない。――今更じゃよ」
本当に、今更じゃ。
遠い過去を懐かしむような翁の声。
そこには懐古以外の感情は見えず、巴は少しだけ体から力を抜く。
「では……ではどうして、私のことを……」
「ワシはのう、君を一度見たことがあるんじゃ」
再び息を飲む巴に、翁は告げた。
元治元年の春の終わり――所用で京に来ていた彼は、闇乃武の長でもあった辰巳が巴を連れているのを見たと。
隠密とは明らかに違うその出で立ちがひどく印象に残っていたのだと、翁は言った。
翁が口にした時期は、巴にも覚えがある。それはちょうど、巴が闇乃武と――辰巳と引き合わされた頃だ。
「では、私がなぜ闇乃武と一緒にいたのかも……」
「知っておるよ。辰巳から直接聞いたからの」
「そう……です、か……」
それ以上は言葉にならなかった。
10数年前、辰巳が『抜刀斎暗殺』について口にするほどだった相手が、なぜ今、かつて抜刀斎と呼ばれた彼の近くにいるのかは分からないが、先ほど翁が言った『今更』と言う言葉がすべてを物語っている気がした。
今はもう――新しい時代なのだと。
「さて……ワシも聞かせてもらおう。君はなぜ以前のままの姿でここにおるんじゃ」
そんなことを聞かれても、巴にも分からない。
答えられるのは、何かの弾みで10数年の時を超えたと言うことだけ。
だがそれを信じてもらえるとは思えなかった。それでも、巴にはそれしか話すことができない。
これまでのことを迷いながらも正直に伝えた巴を、しかし翁は否定をしなかった。
「……時を超える、か」
「……信じてくださるんですか」
自分で言っておきながらまさか信じてもらえるとは思わず驚いて問いかけると、翁は難しい顔で髭を撫でた。
「信じないわけにはいくまい。何しろ、君がここにおるんじゃから」
巴は何も言えずに口を噤んだ。
確かにその通りだった。自分と言う証拠がここにいる。
どんなに信じられなくても、どんなに非現実的あろうとも、それが現実だ。
「最初はさすがのワシも信じられなかったがのう」
ありえるはずのないことが起こっている。
それでも何かのきっかけで、翁は巴が『雪代巴』だと確信したのだろう。
それはつまり……――――
思い当たった事実に、巴は握りしめた自分の手に視線を落とした。
「私は……監視されていたんですね」
「そうとってもらってかまわんよ」
翁はあっさりと頷いた。
やはり、と思う。目ざめた時から自分は見張られていたのだ。
衝撃はなかった。
彼が巴のことを知っていたのであれば、それも無理からぬことだ。
おとなしくしているのならそれでよし。ただ、この時代の『彼』に何かするつもりであれば、その時は排除も厭わなかったのではないかと、巴は思う。
では――薫も、このことを知って……
その時、初めて胸に痛みが走った。
薫の明るい花のような笑顔が浮かぶ。
何が起こっているか分からず、戸惑うばかりだった巴を気にかけて、笑いかけてくれた。
自分に向けられたあの笑顔も作り物だったのだろうか。
「一応、言っておくが」
痛む胸をぎゅっと押さえた時、まるで考えを読んだように翁が口を開いた。
「このことを知っているのはワシだけじゃ」
「え……」
思わず翁を振り仰ぐ。
翁はなんとも難しい顔で眉を寄せ、
「あたりまえじゃろう。そもそも巴君、君が十数年前の姿のままここにいることを、どうやって説明するつもりじゃ」
誰も信じてくれんよ、と翁は笑った。
「ワシはまだボケ老人扱いはされとうないからの。……それにのう」
翁はおどけるように肩を竦めた。
「特に薫君は……あの薫君が隠し事などできると思うかね」
「……」
言われて、薫の顔を思い出す。
感情がそのまま現れるような素直な人。
自分とは対極にいる少女。
笑い、泣き、怒って、落ち込む。そして、また笑う。
彼女と出会ってひと月足らず。なのに、様々な薫の表情を思い浮かべることができる。
巴は自分でも気が付かない程わずかに口元をほころばせた。
「……無理、な気がします……」
翁が声をたてて、満足そうに笑った。
→21話
※翁は知っててもおかしくないなぁ、と。
実はこのシーンのためにほぼ最初から翁を出してました。
◆21話◆
ふと、翁が真面目な顔つきになって巴を見つめた。
「……帰りたいと思うかね」
思いもかけない問いかけに、巴は知らず息を飲む。
自分が暮らしていた本来の時代に――記憶の最後にある、抜刀斎と暮らしていたあの村に帰りたいか。
両手が布団をきつく握りしめる。
「……わかりません」
正直な気持ちだった。
この時代で暮らすようになってから、常につきまとう違和感。
それはきっと、自分がこの時代に本来いるべき存在ではないからだろう。
だがあの時代に帰りたいかと言われたら、それもまた分からない。
だってあそこにはもう、巴が愛した人は生きていない。
「……どうせ時を超えるなら、明良さまに逢いたかった……」
もう一度明良に会うことができれば、明良の求婚に自分もずっと好きだったのだと、躊躇わずに伝えるのに。
京に旅立とうとする明良を、何がなんでも止めるのに。
そうすれば明良は殺されることはなく、自分は人斬り抜刀斎と出会うこともなく、終わらない後悔に苛まれることはなかった。
でも――――
泣き笑いのように巴の顔が歪む。
「でも、おかしいですね。今、あの人と暮らした村での生活がとても懐かしいんです」
愛する人の仇である相手との、何でもない――本当になんでもない日々の暮らし。
それを、こんなにも懐かしく思う日がくるなんて。
「……緋村君に逢いたいかね」
問われて、巴は首を横に振った。
「それも、わかりません」
彼が生きていると言うことは、どういう事情であれ、自分は抜刀斎を殺せなかったと言う事だ。きっと巴が裏切り者だと彼は知っているだろう。
その相手に、いったいどんな顔で会おうと言うのか。
何よりずっと騙していた自分に、誰が会いたいなどと思うだろうか。
それに――彼は『緋村剣心』だ。
『緋村抜刀斎』ではない。
――だからきっと、これでいいのだ。
――緋村剣心には会わないと首を横に振った巴に、翁は内心でため息をついた。
実のところ、たとえ巴が剣心に会いたいと言っても、二人を会わせるつもりはなかった。
目の前にいるこの娘が『雪代巴』本人であると言うのなら、なおさら。
巴と剣心――抜刀斎がどんな思惑の元に出会ったのか、翁は知っていた。そうして、その結末も。当時、情報などいくらでも手に入れることができた。……それが隠密だ。
かつて、辰巳から巴のことを聞いた時のことを思い出した。
――抜刀斎の弱点に仕立て上げるのだと、感情の伴わない声で言っていた闇乃武の実力者。
ずいぶん酷なことをすると思ったのは確かだ。しかし自分が同じ立場であれば、同じことをしなかったと言う保証はない。
目的のためには人の命も心も、なんの重みもない時代だった。
「これからどうするつもりかね」
自分で口にしておきながら、小さく苦笑が漏れた。
帰りたいかどうかすら分からない――それどころか、帰る術を持たない彼女に「これから」のことを尋ねるなど。
案の定、巴は首を横に振った。
「わかりません。でも――いつまでもご厄介になるわけには……」
「まあ、ゆっくり考えなさい。どのような答えであっても、この柏崎念至が手を尽くそう。
ただし――緋村君に会うと言う以外じゃが」
「……ありがとうございます」
「礼はいらんよ。ああ――薫君がずいぶんと心配しておった。明日にでも顔を出したいと言っておったが……かまわんかね」
問いかける翁の声は柔らかい。
気を使ってくれているのだろう。薫が巴を気にかけてくれているとはいえ、薫は彼の近くにいる人間だ。
会って大丈夫かと、そして、自分と抜刀斎のことを悟らせるようなことはしないでほしいと――そう言っているのだ。
分っている。できるなら、これ以上関わらない方がいいに決まっている。
だが、いきなり会うのを止めるのも怪しまれるだろう。だからせめて、あと少しだけ。
それに……――――
薫との時間の終わりを感じて、巴はそっと目を伏せた。
それに、確かめたいことも、ある。
深く息を吸い、静かに首を縦に振る。
「……はい」
「そうか。では、薫君にもそう伝えておこう」
「――翁さま」
呼びかけた声は、思ったよりもはっきりとしていた。
「どうかしたかの」
「いえ――ただ……」
逡巡するように言葉を切り、巴は組んだ自分の両手を見つめた。
確証があるわけではない。
けれど。
「私、忘れていることがあるような気がするんです」
翁が眉を寄せる。
最近気がついたことだった。
覚えている記憶とは別に、時々既視感のように頭を過ぎ去る『記憶』。
知らないはずのその記憶を、自分は確実に知っていた。
それを思い出せば、なぜ自分がこの時代に来たのかが分かるような――そんな気がした。
薫が巴のところを訪れたのは、翁が言った通り翌日のことだった。
いつも来ていた時間よりも早く、黄昏時にはまだ時間がある。
診療所を訪れてすぐ、体調はどうか、怪我はないかと矢継ぎ早に問いかけてくる薫を、少し歩かないかと誘ったのは巴だった。
「でも巴さん、体調は……」
「私は大丈夫です。薫さんこそ、無理はされていませんか」
巴に言わせれば、心配なのは薫の方だ。黒装束相手に大立ち回りを演じたのは薫の方なのだから。
「私はぜんぜん平気です! 怪我もないですし!」
「なら――少しだけ」
薫はぱちぱちと瞬いた。小さく吹き出す。
「なんだか――今日は強引ですね、巴さん」
「……そうでしょうか」
ほんのりと巴は頬を染めた。
奥野診療所からほど近い川の土手を訪れた二人は、夏の日差しから逃れるように橋の下の影に入った。
涼やかな川の音が、夏の容赦のない暑さを少し和らげてくれる気がする。
目の前にある光景に、薫は目を細めた。
さらさらと流れる川。夏草の揺れる土手。
ここは一月近く前、倒れていた巴を見つけた場所だった。
――川の中に半ばほど身体を浸して倒れていた巴。
色を失くして真っ白になった頬を、今もはっきりと思い出せる。
「……巴さん、改めて謝らせてください」
薫は神妙な顔で頭をさげた。
「今回のこと、巴さんにはまったく関係がないのに巻き込んでしまって……本当にごめんなさい」
「薫さん……顔をあげてください。私は、薫さんの責任だとは思っていません。それに二人とも怪我もありませんでしたし……」
昨日、翁にも同じことを言われたが、巴自身はまったくそう考えていなかった。巻き込まれたと言えば確かにそうかもしれないが、それは翁のせいでも、ましてや、薫のせいでもないと思っている。
あえて言うなら、それは。
「薫さん」
迷った末に大きく息を吸うと、巴は薫に問いかけた。
「……緋村抜刀斎と言う人斬りを、あなたはご存じですか」
「……っ」
刹那、はじかれたように薫が顔をあげる。
その顔に広がる驚愕に、巴は確信した。
やはり――薫は『抜刀斎』を知っているのだと。
→22話
これ以降、書きたかったシーンのオンパレードです!!きゃっほう!!!
◆22話◆
沈黙が落ちる。
聞こえるのは川のせせらぎと、風に揺れる葉ずれの音だけ。
「……どうして、その名前を……」
「……黒装束の男たちが口にしたのを何度か聞きましたので……」
やがて聞こえた小さな問いかけに、巴は抑揚のない声で答えた。
はっきりと覚えている。
黒装束たちは何度も『抜刀斎』と名前を口にしていた。それに対して薫は、一度も不思議そうな顔をしなかった。その名前を当たり前に受け入れているようだった。
それはつまり――薫に心当たりがあると言うこと。引いては、抜刀斎が誰なのか知っていると言うことではないだろうか。
――昨日、少しだけ翁から抜刀斎について聞いた。
翁は言っていた。
人斬り抜刀斎は明治維新の英雄と崇められる一方、世間では殺しすぎた人斬りとして未だに恐れられる存在なのだと。
巴は何も言えなかった。
数日前に見た、薫と彼が市中を並んで歩いている姿を思い出した。
かつて抜刀斎と呼ばれた男に楽しそうに笑いかける薫。
その時自分は、薫は彼が誰なのか知らないのだろうと思った。知らないから、あんなにも幸せそうに笑えるのだと。
けれど今思えば、自分がそう思いたかっただけかもしれない。
「……倒幕に参加した維新志士と……残虐非道の人斬りと聞いています」
うつむいた薫の肩がぴくりと揺れた。
「薫さんが襲われたのは、その人のせいなんでしょう? それなのにどうして……」
――剣心と、御堂に囚われていた時に聞こえた薫の声が脳裏をよぎる。
非難するでもなく、助けを求めるでもなく――その声は、ただひたすらに相手を案じていた。
どうして、あなたは。
着物の袂を無意識に握りしめる。
あのような目にあっても、変わらずに笑っていることができるのですか。
そして――――
明良のことを思い出す。『人斬り抜刀斎』に殺された、巴の大切な人。
そして、なぜ……――――
多くの人を斬り殺した人斬りだと知りながら、屈託なく笑いかけることができるのですか。
「剣心は!」
突然、薫が叫んだ。
哀しさに満ちた――悲痛とも言える叫び。
直後、自分の声の大きさに驚いたのか、思わずと言った様子で口を押さえる。
彼女は少しだけ躊躇う仕草をしたあと、大きく息を吐き出した。
きゅっと唇を引き締め、やるせなく眉を寄せる。巴を見つめる瞳が哀しそうに揺れていた。
「……彼は、確かにそう呼ばれていました。それを私は知っています。でも」
「すみません。すぎたことを……」
傷ついた薫の視線に耐えきれず、目をそらす。
きっと自分が踏み入っていい領域ではなかった。それなのに。
再び訪れた沈黙に、巴は身じろいだ。ひどく居心地が悪い。
川のせせらぎの音。
風の過ぎる音。
遠く、子供たちの声が聞こえた。
そして、近くを通る物売りの声。
――ここだけが静かだ。まるで、日常から切り離されたかのように。
「あの……巴さん」
気まずい沈黙を破ったのは薫だった。
顔をあげた巴の視線の先で、多少ぎこちなさを残しつつ、薫が小さく微笑んだ。
「少し、座りませんか」
戸惑いにかすかに瞳を揺らせた巴は、やがてわずかに首を縦に振った。
「私、東京で剣術道場してるんです。父が明治になって起こした小さな流派なんですけど……神谷活心流って言うんです」
「……」
橋桁の下、柔らかい草むらに腰を下ろした薫は、おもむろに口を開いた。
脈絡のない内容に巴は少しだけ驚く。
薫が何を言いたいのか分からない。けれど、聞かなければいけない気がした。
「父が亡くなって、それでも一人でがんばってたんですけど……土地屋敷を狙われて、どうにもならなくなって――その時に助けてくれたのが剣心でした」
「あの……お父様は、どうして……」
「父は――」
薫の瞳に一瞬、暗い影が落ちる。
彼女は何かを飲み込むように息を吸った。
「父は、殺されました」
「え……」
思いがけない言葉に絶句する。
想像もしていなかった。出逢ってから今まで、薫はいつも笑顔で、元気で――影など少しも見当たらなかったから、きっと何ひとつかけることなく幸せなのだと、疑いもしなかった。
「幼い頃母が亡くなって、父は男手ひとつで私を育ててくれました。でも、昨年あった西南の役に警視庁抜刀隊として従軍して……戦争に行くのはそう言うこともあるんだと覚悟はしていたつもりだったけど……悲しくて悔しくて。父を送り出さなければよかったと後悔しました。戦争や政府や……父を殺した誰とも分からない相手が憎くて」
淡々と紡がれる薫の言葉。
感情の籠らない声が、返ってその時の薫の悲しみの深さを伝えてくる。
巴はきつく唇を引き結び、喘ぎそうになる呼吸を無理やり押さえつけた。
その激しい負の感情は、自分にも覚えがあるものだ。
明良が死んだと――京で殺されたと知った時。
悲しくて悔しくて――明良を送り出さなければよかったと何度悔いただろう。そうして、明良を殺した相手をどんなに憎んだだろう。
「……父が亡くなったと知らされた時のこと、よく覚えてます。ひとりっきりの道場で泣いて泣いて、泣き疲れて眠ってしまって。起きた時に道場に朝日が射し込んでいて――とてもきれいでした」
懐かしむように、薫は目を細めた。
その脳裏にはきっと、その時の光景が浮かんでいるのだろう。
「その時、父との約束を思い出したんです。帰ってくるまで道場を頼むって。……守らなきゃと思いました。父はもう帰ってこないけれど、父に託されたものを、私が」
――僕が帰ってくるまで、雪代の義父上と縁を頼むよ。
薫の声に懐かしい明良の声が重なった。
あれは京に出立する日、明良が出立の挨拶に訪れた時のこと。
――僕が言うことでもないかもしれないけれど。
そう言って、照れたように笑っていた明良。
あの時自分は、明良にどう答えただろう。
必ず守ると――だから父と縁、そして自分のことは心配しないでほしいと、そう答えたのではなかったか。
「……」
『思い出した』と言う事実に愕然とする。
――今まで思い出せなかった。
それどころか、約束をしたことすら忘れていた。
唇が小刻みに震える。
巴は両手を胸の前で握りしめた。
だが震えは止まらない。それどころか全身に広がっていく。
巴ができることは、せめて薫に気づかれないように震えを隠すことだけだ。
「でも結局うまく行かなくて、剣心に助けてもらったんですけど……って、ごめんなさい、巴さん! 私、自分の話ばっかりして……!」
我に帰って恥ずかしそうに頬を染める薫に、巴は首を振った。
「いいえ。いいえ、薫さん。いいんです、続けてください」
「でも……」
「大丈夫です、私が聞きたいんです……」
聞きたい。
それは紛れもない本心だった。
今『緋村剣心』として生きる男の傍にいる、彼女の話を聞きたい。
薫は何を思って彼の隣にいるのか。
そうすれば、少し分かるような気がした。
――自分が、いったいどうしたいのか。
薫は少しだけ意外そうな顔をしたが、すぐに照れたように笑った。
その視線が夏草の揺れる川岸へと向けられる。
とても懐かしそうに細められる薫の瞳。その瞳に映っているのが何なのか、分かる気がした。
「人斬り抜刀斎って呼ばれていた頃の剣心は話でしか知らないけど……今の剣心って、すごく優しく笑うんですよ。特に親子連れとか、楽しそうに笑っている人を見てる目が、すごく優しいんです」
知っている。
村で暮らす彼の、子供たちに向ける視線はとても優しかった。
「……そう言えば、父も同じような顔をしてたなって思い出して――それで、思ったんです。父が戦争に行った理由も、剣心が維新志士になった理由も、同じなのかもしれないって。
……剣心は確かに、たくさん人を殺したんだと思います。『人斬り抜刀斎』って今でも恐れられる程。それは――たぶん、そういう時代だったから、なんて理由だけでは片付けられなくて……もしかしたら、今でも剣心を恨んでる人もいるかもしれない。
でも、剣心が最初に願ったことはすごく単純で純粋で、きっとそれは今も変わらないんだろうなって」
――よく似たことを、彼本人から聞いた気がする。
『幸せを望む人々のために新しい時代を』
そう言って、夕暮れの赤い空の下で照れたように笑っていた。
今も、そうなのだろうか。
だとしたら、本当に変わらない――本当に。
「……不器用、ですね」
思わず呟くと、薫は「本当にそうですよね」と言って笑った。
でもきっとその不器用さこそが、彼が彼たる所以なのだろう。
「巴さん、私」
薫がはにかむように微笑む。
「剣心の笑顔が好きです。今まで、ずっと苦しんできたんだって分かるから。そして今も誰かのために闘ってる人だから――せめて今からは少しでもたくさん笑って欲しいって思うんです」
そう言った薫の表情は、彼が優しそうだと語った彼の笑顔にとてもよく似ていた。
――人斬り抜刀斎のことを知った時。
血も涙もない、残虐で冷酷な人間――鬼なのだろうと思った。
そうでなければ、人斬りなどできるはずがないと。
だが実際の『人斬り抜刀斎』は自分より年下の子供で、人の命を奪う事にひどく苦しんでいた。その事実を知って、巴は少なからず衝撃を受けた。
やがて、村で共に暮らし始めて見せてくれるようになった年相応の笑顔に戸惑った。
何より、その笑顔を心のどこかで嬉しく思っている自分に。
けれど。
――明良さま。
「薫さん」
鋭い刃で貫かれるような胸の痛みを感じながら、彼女の名前を紡ぐ。
首を傾げた薫は、大きな瞳を不思議そうに瞬かせた。
巴はわずかにまぶたを伏せる。
「……私の話も、聞いていただけますか」
→23話
※越パパの生存が判明?しましたが、薫ちゃんが感じたことはなかったことにはならないんだよなーと。
◆23話◆
「私」
ここではないどこかに視線を向けて、巴はそっと言葉を紡いだ。
心の奥底に沈めたものを取り出すように。
「許嫁がいたんです。少し年上の、幼い頃から一緒にいた幼なじみでした。とても優しい人で……そうですね、先ほど薫さんが仰ったように、楽しそうに遊ぶ子供たちを見て笑っているような、そんな人でした」
その笑顔を見るのが大好きだった。
巴のわずかに綻んだ口元を見て、薫は小さく目を見開いた。
いつも表情をほとんど動かすことのない巴。笑うのが苦手なのだろうとは気づいていた。
その彼女が、こんなに柔らかな表情をするのを初めて見た。
それだけで、その『許婚』が巴にとってどれほど大切な存在なのかが分かる。
「でも」
巴の顔から微笑みが消えた。
瞳に暗い色がよぎる。
紡がれた声は、いっそ恐ろしいほどに平坦だった。
「……殺されました。武功をたてるためにと向かった遠い場所で。私の知らない場所で。私が知らない内に――殺されたんです」
――人斬り抜刀斎に。
「巴さ……」
驕りにかかったように身体が震える。
今まで我慢していたものが一気に噴き出したように震えが止まらない。
息が苦しい。
こみ上げる何かに喉が引きつった音を立てた。
「……苦しくて悲しくて悔しくて……あの人を殺した相手が心底憎かった。
それで――いてもたってもいられずに家を出ました。なぜあの人が死ななくてはならなかったのか――それが知りたくて。
だけど」
刹那、冬の夜空を思わせる漆黒の瞳が激しく揺れた。
そして――決壊するようにあふれ出す涙。
薫の言葉で思い出した。
頼むよと、そう言って優しく笑った明良の笑顔。
なぜ、忘れていたのだろう。
忘れてしまったのだろう。
大切な、大切な――――
「わたし、あの人との約束、守れませんでした。父と弟を頼むと、言われていたのに。私、約束、を……破って。それどころか、思い出すこともしないで。あの人との、最後の」
大切な。
約束だったのに。
「巴さんっっ」
しゃくりあげながら、たどたどしく必死に言葉を紡いでいた巴は、急に抱きしめられて言葉を飲み込んだ。
「違う、から……っ!」
薫の声が濡れていた。
悲痛な声が叫ぶ。
「絶対、ぜったい、巴さんのせいじゃないからっ」
だからどうか、そんなに自分を責めないで。
薫の涙が巴の着物に吸い込まれていく。
自分のものではない嗚咽を耳元で聞きながら、なぜ薫は泣いているのだろうと、ふと不思議に思った。
薫が泣く理由など、どこにあるだろう。
けれどすぐに、薫が泣く理由などどうでもよくなった。
どんな理由でも、一緒に泣いてくれる人がいる――それだけで。
巴は薫の肩越しに広がる景色を見つめ、そうして、涙に濡れた瞳を閉じた。
――薫は残酷だ。
こんなにも残酷な人間を、巴は知らない。
巴の弱さを、ずるさを、容赦なく突きつけてくる。
それなのに、その弱さごと巴を抱き締め、一緒に泣いてくれる。
残酷で――そして、怖いくらいに優しい人。
薫の背中に手を回して縋り付く。
それはまるで、溺れる者が必死で助けを求めるように。
こみ上げる既視感。
――いつかどこか、誰かに同じように泣いてすがったことがあるような気がした。
そして、抱きしめられたことが。
あの時も私は、ただ泣くことしかできなくて。
「……ねぇ薫さん」
涙に濡れた声で名前を呼ばれ、薫はぐすりと鼻をすすりあげた。
「私、思うんです」
嗚咽混じりに紡がれる言葉はとても寂しそうで――けれど、ひどく優しく、いとおしそうだった。
一言も聞き漏らさないよう、薫は耳をそばだてる。
「もしかしたら、薫さんのお父様やその――剣心さんと同じように、あの人も、守りたかったのかもしれません」
京の争乱を口にする明良は、とても苦しそうだった。
そして、巴や子供たちを見つめる瞳は、とても優しかった。
武功を立てると言うのも、確かに理由ではあっただろう。けれどそれと同じくらい、明良は巴たちを守りたいと思ってくれたのかもしれない。
「でも……」
縋り付く腕に力が籠る。
着物に刻まれた皺がさらに深くなる。
「でも私は」
堪えきれない哀しみに、肩が震えた。
巴の背中に回された薫の腕の力が強くなる。
「私は……あの人に、生きていてほしかった」
「……巴さん」
「離れてなんてほしくなかった。生きて、私の所に帰ってきて――傍でずっとずっと、笑っていてほしかった……っ」
「うん……」
頷く薫の身体も震えていた。
「うん、巴さん、私も……私も、父さんに生きていてほしかった」
応える薫の声が、子供のようにも大人びても聞こえた。
「……ふ……」
嗚咽が止まらない。
胸が痛い。
大切な人に生きていてほしい。笑っていてほしい。
その人の傍で、自分も笑っていたい。
ささやかな――本当にささやかな願い。
今はもう、けっして叶うことのない――――
遠く、夕闇の迫りはじめた川岸に、二人の小さな嗚咽が響く。
それは空が赤く染まるまで途切れることはなかった。
巴が奥野診療所に戻ってきたのは、陽が沈んだ後のことだった。
結局、ほぼ半日近く診療所を留守にしていたことになる。遅くなるかもしれないと断ってはいたものの、もっと早く帰って来るつもりだった巴は少し焦った。
外から確かめると、診療室に灯りが灯っているのが見えた。もう診療時間は終わっているはずだが、まだ患者がいるのだろうか。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい」
返ってきた声は奥野のものではなかった。
不思議に思いつつ診察室へと入ると、いつも奥野がいる椅子に腰かけていたのは、何度か薫と一緒にいるのを見たことのある女医だった。
名前は確か……――――
「高荷先生、どうしてこちらに……」
長い黒髪を揺らせて振り返った恵は、唇を引き上げるようにして微笑んだ。
「奥野先生が所用で出かけられているから、帰っていらっしゃるまでの代わりよ。それから巴さん。あなたの診察」
「え……」
「女同士じゃないとわからないこともあるでしょう? それにしても……」
と、恵は何とも言えない顔で眉を寄せた。
「ひどい顔になってますよ、巴さん」
「あ」と、巴は口を押えた。
薫と二人、号泣と言っても差し支えないくらい泣き続けていたので、相当ひどい顔になっているだろうと言う自覚はあった。
まぶたは赤く腫れているだろうし、指先に感じる頬は涙が乾いてカサカサしている。
「……これは……」
巴は顔を俯けた。さすがにこれは恥ずかしい。
「少しお待ちになってください」
と言いおいて診察室から出ていった恵は、すぐに水で濡らした手ぬぐいを持って戻ってきた。
「どうぞ。少しは違うでしょうから」
「……ありがとうございます」
ありがたく受け取って、腫れた目元に手ぬぐいを当てる。
井戸の水でぬらされた手ぬぐいは、ひんやりと気持ちよかった。
先ほど別れた薫の顔もずいぶんひどいことになっていたから、もしかしたら、今頃は彼女も同じように顔に手ぬぐいを当てているかもしれない。
そう思うと、少しだけおかしかった。
「高荷先生」
「何かしら」
「……薫さんはまるで、花のような方ですね」
花園に咲く花ではなく、ふと見下ろした道端に力強く咲く野の花。
けっして華美ではないけれど、旅人を和ませてくれる――そんな小さな花。
唐突な巴の言葉に何とも形容しがたい顔をした恵は、大きなため息をひとつついた。
視線を明後日の方向へと向け、心底あきれた口調で呟く。
「あの子も本っっ当に、タラシよねぇ……」
→24話
※この二人、実はすごく境遇が似てると思ってます。
◆24話◆
巴が奥野の使いで患者の家へ薬を届けに行った、その帰路でのことだった。
洛中の外れに近い、古く静かな寺に面した広い通り。店の立ち並ぶ通りからは遠く、さらに長屋などがある一角からも離れているせいか、人通りはほとんどない。
先ほど、ずいぶん大柄な男にはうまい酒の店はどこかと尋ねられたが、すれ違った相手と言えばそのくらいだ。あいにく、このあたりは詳しくないことを告げると、「それは残念だ」と肩を竦めた男は巴とは逆の方向へと立ち去っていった。
珍しい形の外套が翻りながら曲がり角に消えていくのをなんとなく見送り、そろそろ自分も帰らなくてはと踵を返そうとした、まさにその時。
「……っ」
少し先にある寺の門から出てきた人影に、ひゅっと喉が鳴った。
遠目からでも分かる、緋色の髪。
頬に刻まれた十字傷。
緋村抜刀斎――いや、緋村剣心。
どうするべきか頭が答えを出すよりも先に、身体が動いていた。
出ようとしたばかりの曲がり角の死角にとっさに身を隠す。
見られてしまっただろうか。それよりも、もしこちらにやって来たら……――――
どくどくと心臓が煩い。
喉がカラカラに乾く。
呼吸の音すら聞こえてしまいそうで、巴は両手で口を押えて息を詰めた。
――君の自由を奪うつもりはないんじゃ。
緋村君たちはもうすぐ東京へと帰るじゃろう。だからそれまでは、白べこにはけっして近づかず、避けてほしい。
一週間ほど前、翁に言われたことを思い出す。
あの日――薫と号泣して以降、心が凪いだ日々が続いていた。わだかまりがないわけではない。しかし翁に言われるまでもなく、この時代の彼に会うつもりはない。
何より、翁に言ったとおり、自分には忘れている記憶がある。
自分と彼の間に何があったのかはっきりと分からない以上、直接会う勇気は巴にはなかった。
だがまさか、歩いて半刻ほどもかかる場所で見かけることになるなんて……――――
寺の外壁に縮こまるように背を預けて物陰に隠れ、息をひそめる時間がどれくらい過ぎただろう。
恐る恐る顔を出した巴が通りを確認すると、彼の姿はすでに通りからは消えていた。気づかれなかったことに、ほっと胸をなで下ろす。
巴は周囲を気にしながら通りに出ると、彼が出てきたであろう寺の門を見上げた。
簡素だが、それなりに立派な造りの門。
門の奥にはいくつもの墓が並んでいるのが見えた。
灰色の墓石が夏の日差しに揺らめいている。
……そう言えば、彼の手には柄杓の入った手桶が下げられていた。誰かの墓参りに来たのだろうか。
「……」
再び痛いほどに鼓動を刻み始めた心臓を押さえる。
彼は、いったい誰の墓に参ったのだろう。
おそらく――いや、確実に病み上がりだろう彼が、たった一人で訪れた場所。
知らず、喉が鳴る。
巴は再度寺の門を見上げると、わずかな逡巡の末に門の中へと足を踏み入れた。
これだけの墓石の数の中から目的のものを見つけるのは骨が折れるだろうと思っていたが、それは見事に裏切られた。
まだ盆前だったせいもあるかもしれない。たくさんある墓石の中で、線香の煙がたなびいている場所はひとつだけしかなかった。
彼が寺から出てきた時間を考えると、おそらく間違いないだろう。
時間をかけずに見つけられたことに少しだけほっとしながら、立ち並ぶ墓石の間を縫うように進む。
ほどなくして巴がたどり着いたその墓は、ずいぶん小さく、簡素なものだった。墓碑銘すら刻まれていない。煙がたなびいていなければ、あることすら見落としていただろう。
しかし墓石の前に丁寧に活けられた花は、参った相手にとってこの墓が特別なものであることを物語っているかのようだった。
――なんだろう。
巴は未だ収まらない胸の鼓動に眉を寄せた。
胸のざわめきは収まるどころか、どんどんひどくなっている。
「こ、れは……」
「どうかされましたか」
墓石に触れようと手を伸ばした刹那、背後から聞こえてきた声に巴は慌てて振り向いた。
「あ……」
少し離れた場所から、まだ年若い僧侶が柔和な顔で微笑んでいる。
「何かお探しですか」
穏やかに尋ねられて、巴は瞳を彷徨わせた。
探していると言えば探している。
だが、その答えを――この墓がいったい誰のものか尋ねてもいいのだろうか。
先ほど見た、去っていく彼の背中を思い出した。
巴の知る、十五歳ではない彼の背中。
知るべきではないと、恐れる気持ちは確かにある。
知ってしまえば、もう後戻りはできない――そんな気がする。
だが――――
たとえ後で悔やむことになったとしても、きっと自分は知っておくべきなのだ。
何よりも、自分自身が知りたいと思う。
彼が――わざわざこの墓を訪れた理由を。
巴は深く息を吸い、覚悟を決めた。
「……あの、お伺いしたいのですが」
「はい?」
「この墓石には名前がありませんが――これはどなたのお墓でしょうか」
若い僧侶は少しだけ怪訝そうな顔をしたが、すぐに「確認しますので、少しお待ちください」と微笑んだ。
本堂の方へと歩いていく僧侶を見送って、小さく息をつく。
――これでいいのだと、自分に言い聞かせた。
ゆらゆらと立ち昇る線香の煙が、まるで自分の心のようだ。
「お待たせしました」
それほどかからずに戻ってきた僧侶に、巴は丁寧に頭を下げた。
「お手数をおかけします」
「かまいませんよ。たまにあることですから――ああ、これですね」
過去帳をめくる手が中ほどで止まる。彼はいくつも並ぶ名前のひとつを指さしながら言った。
「こちらは15年程前に亡くなられた方のようですね。仏様の生前のお名前は……えーと、雪代巴さまと仰います」
「……っ」
その、告げられた名前。
巴は大きく息を飲み、思考を止めた。
僧侶が去り、一人になった巴はぼんやりとその小さな墓石を見下ろした。
この墓に眠っている人物の名前は『雪代巴』――自分だ。
つまりこの墓は、自分の墓だと言うことになる。
うるさいはずの蝉の声がやけに遠い。まるで自分だけが別の世界にいるようだ。
――この時代で、自分はすでに死んでいた。
衝撃を受けて混乱する一方、その事実を冷静に受け止める自分がいた。
なんとなく、そんな予感はしていた。
この明治と言う新しい時代に、きっともう、自分は生きていないのだと。
翁が自分と彼を会わせるつもりはないと言っていたのは、これも理由のひとつだろう。死んだ人間は生者に会うことはできない。
では――彼は、巴の墓参りに来ていたのか。
裏切り者である彼女の墓に。
それも、15年も前に死んだ人間の墓に。
そっと墓石を撫でる。
丁寧に活けられた菊の花は美しく、瑞々しい。
いったい彼は何を思って、この墓に手を合わせたのだろう。
そして自分は――どうして死んだのだろう。
「……っ!」
突如背中を駆け抜けた激しい痛みに、巴はびくりと身体を震わせた。
「……っ、あ……っ」
あまりの痛みに悲鳴も出ない。ずくりずくりと、心臓の鼓動に乗って鋭い痛みが全身を巡っていく。
まるで背中を――体を、斬り裂かれたかのようだ。
立っていることもできずに、その場に膝をつく。
冷たい汗が顎を伝ってぽたぽたと地面に落ちた。
痛みを堪えるように、ギリギリと硬い地面に爪を立てる。指の形に抉れていく白く乾いた土。
――その地面が、大きくぐにゃりと歪んだ。
――何でだよ、姉ちゃん!
記憶の中、懐かしい顔が目を吊り上げて叫んでいる。
縁だ。歳の離れた、大切な巴の弟。
その縁が、怒りと悲しみを巴にぶつけている。
――帰りなさい、縁。
顔をそらしたまま告げた巴に、縁が愕然と表情を強張らせたのがわかった。
――暗転。
――俺が君の幸せを守る。
囲炉裏に照らされた瞳が、まっすぐに巴を捉えて告げた。
その言葉がなんだかとてもくすぐったくて。
まっすぐな瞳が嬉しくて。
約束は果たされないと知りながら、私は。
――暗転。
朝の薄い光の中に、まだ幼さの目立つ彼の寝顔が照らし出される。
その頬には一筋の刀傷。
そこに込められた願いに想いを馳せた。
きっと――彼はこれから先、大勢の人を守るだろう。彼を死なせてはならない。
だから。
「さようなら。私が愛した二人目のあなた」
そして私は――――――
――遠くから、大丈夫ですかと走り寄ってくる先ほどの僧侶の声が聞こえた。
→25話
※冒頭に出て来たのは、当然アノ人です。
◆25話◆
「巴さん!」
夏の盛りとは言え、午前中であればまだそれほど日差しもきつくない。
最近よく訪れるようになった川岸でたたずんでいた巴は、すっかり聞き慣れた声に名を呼ばれて顔を上げた。
案の定、橋の上から薫が満面の笑顔で手を振っている。
「薫さん」
「少し待ってくださいね、今、そっちに行きますから!」
言うが早いか、こちらに向かって駆け出す薫。相変わらず元気だ。
その姿に、巴はほんの少しだけ目を細めて微笑んだ。
「え……っ!?」
ただでさえ大きな薫の瞳が、さらに大きく見開かれた。
近くの木にセミがいるのか、これが最後とばかりに大きく声を張り上げて鳴いている。
薫は目を見開いたまま、身を乗り出した。
「やめちゃうんですか、診療所!」
「はい。体調も戻りましたし……それに――帰らなければいけませんから」
元の時代に。
「いつ出発するんですか」
「今日中には発つ予定にしています」
そんな、と薫が肩を落とす。
突然であることは分かっていた。だが、出発を遅らせるつもりはない。
自分自身に向き合うための覚悟は、もう決まっている。
先日、自分の墓の前に立ってようやく、やらなければいけないこと――行かなければいけない所があることを思い出した。
あの時代に生きた自分が、おそらく最後に向かった場所。
闇乃武が潜伏していた森。
そこでいったい何があったのか、自分が何を選んだのか、自分は思い出さなければならない。
奥野や翁には、昨日の内にすでに告げている。
ひどく複雑そうな顔で元の時代に戻るのかと尋ねた翁に、巴は「はい」と頷いた。それは確信近かった。きっと自分はもう、ここには戻らない。
その時、翁に薫への伝言を頼んだのだ。
今日、この河原で待っているから、と。
「薫さんにはとてもお世話になったので、きちんとお礼が言いたくて」
「そんな! 私こそ巴さんにはお世話になりっぱなしだったのに!」
慌てて首を振った薫は、しかしすぐに微笑んだ。
「でも、よかったです。巴さんが帰ることができて。
実は私たちも――もうすぐ東京に帰るんです。剣心の体力もずいぶん戻ったし」
「そうなんですか……よかったですね、薫さん」
「はい! 剣心に巴さんを会わせられないのがちょっと残念だけど」
巴は曖昧に微笑んだ。応えることのできない巴は、誤魔化すしかない。
その時、橋の上をわたる子供たちの歓声が聞こえて、二人はつられるように声の方を振り向いた。
数人の幼子が、満面の笑顔で橋の上をかけていく。
こちらまで楽しくなってくる笑顔に、知らず顔が綻んだ。
「巴さん」
なぜか嬉しそうに名前を呼ばれて、巴は首を傾げた。
薫の目元が柔らかく綻ぶ。大人びたその表情に、少しだけ戸惑った。
「最近、よく笑ってますね」
「……そうでしょうか」
虚を突かれて目を丸くする巴に、薫は「はい」と大きく頷いた。
「よかったです。巴さんが笑うようになって。ずっと哀しそうだったから……巴さんの笑顔が見ることができて嬉しいです」
「……」
そうなのだろうか。自分ではよく分からない。
だが、この河原で薫と二人で号泣して以降、心にわだかまっていたものが少し晴れたのは事実だ。
けれどそれは、きっと薫と、それから……――――
この時代に来ておおよそひと月。
けっして多くはなかったけれど、この時代の京に暮らす人たちを目にした。
巴の知っている京はもっと殺伐としていて、今にも切れてしまいそうな緊張感に満ちていた。
今では、人々の顔に怯えはなく――子供たちが元気に走り回っている。
平和な時代になったのだ。いつか『人斬り抜刀斎』と呼ばれた彼が望んだように。
己の剣で平和な時代を作りたいと言う願いを、彼は叶えたのだ。
そして今も、そこに暮らす人々を守ろうとしている。
新しい時代が幸せであるように――そうして、少しでも哀しみが生まれないように。
それはいつか、巴自身が願ったことでもあった。
身勝手だと思う。
一方的に恨んで貶めたくせに、まだ自分より幼かった彼に望みを託した。
けれど新しい時代になった今、あの人の笑顔を心から望んでいる人がいることが、とても嬉しい。
「薫さん」
そっと、巴は薫の手を取った。
剣術をすると言う彼女の手は、皮膚が少し固く、剣胼胝があった。
彼と似ていると思った。
二人は容姿も性格もまったく似ていないはずなのに、巴の知る緋村抜刀斎――いや、緋村剣心と神谷薫と言う少女は、とてもよく似ている気がした。
薫の瞳をまっすぐに見つめる。
その瞳に映る自分は、確かに微笑んでいた。
――今なら分かる。
きっと自分は、薫に逢うために時を超えたのだ。
「私、あなたに会えてよかった」
薫の頬がふわりと染まる。
「私もです。巴さんに会えてよかった」
薫は巴の手をしっかりと握り返し、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「いつかまた、必ず会いましょうね、巴さん」
「はい」
迷うことなく、巴はうなずいた。
たわいもない約束。
でも、それは嘘になってしまう約束なのだと知っていた。
明治11年の今を生きる薫と江戸と言う過去を生きていた巴が、これから先、出会うことは二度とないだろう。
けれど、会いたいと願う心は本当だから。
――その心だけは、本当だと知っていてほしい。
そう願いながら、巴は穏やかに微笑んだ。
京都から徒歩でおおよそ一日の場所にある、小さな村。
かつて彼とともに暮らした村は、今も変わらない風景が広がっていた。
広がる田園と農作業に精を出す夫婦者。そして、元気に走り回る子供たち。新しい時代とともに明らかな変化が訪れた京とは違い、こちらは時間の流れが緩やかである分、変化も緩やかなのかもしれない。
それでもいつか、この村にも変化は訪れるのだろう。
懐かしい景色を遠目に、巴の足は目的の場所へと――記憶にある森へと向かう。
当時暮らしていた家がどうなったか気にはなったが、あえて足は向けなかった。行ってしまったら、きっと動けなくなる。
――村からおおよそ一刻。足を踏み入れた森は、覚えているものとはまるで違っていた。
白と灰色の墨で描かれたような冬枯れだったはずの世界は、夏の盛りの今、緑が生い茂り、鳥たちのさえずりが聞こえる豊かな森になっていた。まるで別の場所のようだ。
それでも、ここがあの森だと分かる。
あの雪の日。
闇乃武と対峙するために――彼を守りたくて踏み込んだ森。
迷いの森と呼ばれるほど深い森にも関わらず、巴の足取りに迷いはない。
あの場所を体が覚えている。まるで何かに導かれているようだと思った。抗えない何かが、巴をその場所へ手を引いて誘っているような感覚。
気持ちが急ぐ。早くたどり着かなければと思う。
けれどそれとは反対に、たどり着きたくないと思う。
相反する感情に、巴は胸を押さえた。
それでも、歩みは止まらない。
止めることができなかった。
森に入ってどのくらい歩いたか――急に目の前が開けた。
ぽかりと開けた森の中、視界に飛び込んで来たのは、今にも朽ちてしまいそうな山小屋だった。
「……ここは」
小さな声が漏れた。この場所には見覚えがある。
すっかり印象が変わってしまっていたが、間違いない。
ここは巴の記憶の最後の場所――闇乃武が潜伏していた小屋。
あれから15年もの月日が流れているのだから当然なのかもしれないが、小屋は至る所から草が生え、すっかり緑色の苔に覆われてしまっている。今にも傾いて倒れてしまいそうだ。きっともう何年も人の手が入っていないのだろう。
おそるおそる小屋に近づいた巴は、そろりと入り口に手をかけた。
入り口に戸はなく、残骸らしきものが足下に転がっている。
つま先で踏みつけると、乾いた木材がぱきん、と乾いた音を立てた。そんなたわいもない音にすら、びくりと肩が跳ねる。
「……」
覗き込んだ小屋の中は予想以上にがらんとしていた。
むき出しの床板の上に転がる様々な道具らしきもの。それから、すっかり水分を失った木の棒や板。
格子窓から差し込んだ陽の光が、それらを何も隠すものなどないとでも言いたげに照らし出している。
事実その通り、目を引く物は何も見当たらない。
だが――――――
幾度か深呼吸を繰り返した巴は、ゆっくりと小屋の中を見回した。
巴の記憶は、あの朝、彼と暮らした家を出て、ここにたどり着いた時点で途切れている。
ここで何かがあったのは間違いない。
きっと――自分の『死』に関わる何かが、ここで。
恐くないと言えば嘘になる。
けれど今思えば、明良が死んだと知った時点で、自分の心は死んでいたのだ。
それを『彼』と『彼女』から心をもらって生きながらえていただけ。
大丈夫。どんなものでも受け入れる覚悟は決まっている。
そのために――ここに来たのだから。
→26話
※そろそろラストスパートです!
◆26話◆
刹那――小屋の外から金属同士がぶつかり合うような音が聞こえた気がして、巴は反射的に小屋の戸口を振り返った。
その瞳が大きく見開かれる。
「……っ」
振り向いた先には夏の森はなかった。
小屋の外に広がっていたのは、雪に白く染まった冬枯れの森。
それがまるで、壁にかかった掛け軸のように戸口の形に切り取られていた。
その中に浮かび上がる、黒と黒。
そして――血の赤。
突然耳に飛び込んできたがたんっと言う音に、はっと我に返る。
足元にボロボロの角材が転がっていた。どうやらこれにつま先をぶつけたらしい。
再度外を見ると、確かにあったはずの冬の景色はきれいに消えていた。
そこにはただ、何の変哲もない緑の生い茂る夏の森が広がっているばかりだ。
「今のは……」
おぼつかない足取りで、巴はふらふらと小屋の外に足を踏み出した。
何か――何かが思い出せそうな気がする。
頭にかかった最後の霞が晴れていきそうな――――
黒い幻が見えた位置で、半ば呆然と足を止める。
幻――闇乃武である辰巳と、まだ抜刀斎であった彼が対峙していた場所。
そう。二人はこの場所で闘っていた。
私はそれを小屋の中から見ていて――それから……――――
あの時――あの時、私は。
「……っ、あっ!?」
突如背中をおそった激痛に、巴はなすすべもなく膝をついた。
どくどくと心臓がものすごい速さで胸を打つ。
身体が斬り裂かれるような痛みに、息もできない。
――これは、あの寺で自分はもうこの世にいないのだと知った時に似ている。
だが、背中の痛みはあの時の比ではなかった。すでに痛い、などという次元ではない。まるで焼けた鉄を右肩から背中にかけておしつけられているようだ。
痛い。苦しい。痛い。
どうして、こんな……――――
「……っ」
絶え間なく襲ってくる痛みの中、唐突に奥野の言葉が脳裏に閃いた。
この時代で目覚めた時、奥野はどう言っていただろう。
確か――確か、そう。
――右肩から背中にかけて、赤く筋のような痣がある、と。
その意味が、今、分かった。
刹那、頭の中に奔流のように流れ込んでくる記憶。
――ああ、そうだった。
あの時、私は……――――
ぐらりと体が傾くのが分かった。
倒れる――そう思っても、もう自分の体を支えることもできない。
視界が急速に暗くなる。
意識が沈む。
深く、深く沈んでいく。
――そして。
湿った土の感触を全身に感じる前に、巴の意識はぷつりと途切れた。
ざ、と木々が風に揺れて音を立てる。
朽ちた小屋の前――――誰もいなくなったその場所を、夏の湿った風が撫でるように通りすぎていった。
――何度も何度も巴を呼ぶ声が聞こえる。
幼い迷子のような声を追いかけて、意識がゆっくりと浮き上がる。
やけに瞼が重い。
目を開けるのは、こんなに億劫な作業だっただろうか。
それでもどうにか目を開けると、そこにあったのは先ほどまでの緑に溢れる夏の森ではなかった。
雪に白く染まった、冬枯れの森。
空を厚く覆う雲から、はらはらと舞い落ちる白い雪。
そして――――見慣れた彼の、見たことのない泣き顔。
――帰ってきたのだと、瞬時に悟った。
明治11年の夏から、元治元年の冬へ。
巴は帰ってきたのだ。
「巴、なんで……どうして……」
彼の――まだ15歳の少年でしかない彼の瞳から溢れた涙が頬を伝って、その腕に抱き抱えられた巴の上に落ちてくる。
先ほどまで巴を苛んでいた激しい痛みは、もう感じなかった。
痛みも熱さも――そして、舞い落ちてくる雪の冷たさも感じない。
ただ、頬に滴る涙の感触だけがやけに鮮明だった。
はじめて見る、彼の涙。
改めて気づく。彼は――こんなにも幼かったのだ。
まだ少年の幼さを残す頬を、幾筋もの滴が滑り落ちていく。
その頬に十字になった傷を認めて、巴は震える指をそろりと伸ばした。
頬を縦に走る傷に交差する今できたばかりの傷から流れる赤い血。
――15年後の彼の傷は、十字になっていた。
ああ――と、小さく息をつく。
夢ではなかったのだ。
目覚める瞬間まで巴が体験していたことは、夢ではなかった。
巴は間違いなく明治11年の京で新しい時代を生きる彼の姿を目にし――薫に出逢った。
洛中で見た彼の頬に刻まれた十字傷のひとつは、巴がつけた傷だったのだ。
あなた、と声にはならない声で呼びかけた。
十字になった傷をそっと拭う。
私、新しい時代に生きるあなたを見て来ました。
あなたが切り開いた新しい時代は、たくさんの人が幸せそうに笑っていました。
そして、あなたも笑っていました。
私、とても嬉しかった。
あなた。
どうか哀しまないでください。私は私の責を果たしただけなのですから。
だから、あなたはあなたが望むように。
そして――あなたの望んだ新しい時代で、どうか幸せになってください。
誰よりも何よりも、あなたの笑顔を望んでいる人が待っていることを、私は知っています。
あなたに笑っていて欲しいのだと、花のように笑っていた彼の人のことを。
あなた。
「……これでいいんです。だから、泣かないで下さい……」
心から満たされて、巴は目を閉じた。
そう遠くない未来に、誰もが笑って暮らせる新しい世が始まるのだと――そう、信じて。
――――――けれど。
私はこの時、きっと考えもしていなかった。
15年と言う時間の――――気の遠くなるような孤独に。
――それはまるで、様々な絵物語を一度に見せられているような感覚だった。
死者である――おそらくは魂だけの存在である自分に『感覚』などというのはおかしいかもしれないが、そうとしか言えなかった。
巴の眼前で繰り広げられる、絵物語。
それは、雪代巴と言う人間が肉体を失ってからの出来事。
巴が関わった人々が歩んだ、その先の物語。
――たとえば。
大切な姉を目の前で失い、復讐のために罪を重ね、手を人の血で染めていく大切な弟。
――たとえば。
妻を娘を、息子を失い、自分のせいだと己を責め続ける愛する父親。
そして――――
新しい時代へと続く戦乱の中で、あたたかな笑顔を孤独の中に凍り付かせてしまった、優しい人。
――どうして。
望んでいたものとのあまりの落差に、巴は声にならない声で叫んだ。
自分の死とともに復讐は終わり、大切な人たちはきっと幸せになるのだと信じていたのに。
何ひとつ、終わってなどいなかった。
それどころか、次の復讐へと続く引き金を、私自身が引いてしまった。
確かに時代は変わった。
市井にはたくさんの笑顔が溢れるようになった。
けれど、巴の大切な人たちはいつまでたっても幸せそうに笑ってくれない。
弟はさらに罪を重ね。
父はすべてを失い。
彼は――孤独なまま。
そして、明治11年。
夏の盛り。
東京。
――薫。
そう、ただ一言。
彼と弟の最悪の再会の果てに零れ落ちた名前が、巴の心を抉った。
気がつくと、目の前に見覚えのある景色が広がっていた。
冷たい雪に閉ざされた、冬枯れの森。色のない世界。
自分が――雪代巴がその生を終えた場所。
その白と灰ばかりの色彩の中、粗末な小屋の壁に背中を預けて座り込む彼の姿が見えた。
巴の胸がずきりと痛む。
これは、彼の孤独の風景なのだ。
自分の意思ではないにしても巴を手にかけ、そして再び、守りたいと思った人を守れなかった彼の傷が作りだした世界。
こんな――冷たい凍える森の中に、たった独り。
この世界に彼を閉じ込めた原因のひとつは、間違いなく巴だった。
巴が、彼を独りにした。
――もう、終わらせなければ。
こんな哀しみの円環を、今度こそ。
大切な弟が、これ以上罪を重ねないように。
愛しい父が、これ以上自分を責めないように。
優しい彼が、今度こそ迷いなく歩いていけるように――――
肉体を失った自分にも、できることがあるはずだと信じて。
踏み出した足の下で、降り積もった雪がさく、と音を立てる。
あの頃よりも逞しくなった肩に、巴はそっと声をかけた。
「……まだ……疲れて立てませんか」
→27話
※追憶の始まりが清里さんの死なら、巴さんの死が人誅の始まりだと思います。
◆27話◆
わずかに雪が積もった肩が、ぴくりと揺れた。
うつむいていた頭がそろりとあげられ、色素の薄い瞳が巴を捉える。
その頬にあるのは十字の刀傷。
腕に抱く刀は斬れない刀――逆刃刀なのだと、巴はすでに知っていた。
巴が肉体を失ってから何があったのか、ずっと見て来たから。
「まさか……」
と、彼は雪に溶けるようにかそけく微笑んだ。
少しも驚かない彼の様子は、巴がここに現れることを予想していたからかもしれない。
「ただ少し休んでいるだけ」
どこか寂しそうな笑顔。
それは村で共に暮らしていた時の幼い笑顔でも、時を超えた先で見た穏やかな笑顔でもなく――強いて言うなら、流浪人として独りでさ迷っていた時によく見せていた笑顔に似ていた。
巴の胸にやるせない想いが満ちる。
彼から笑顔を奪ったのは、他の誰でもない自分だ。
一度目は、15年前の雪の日。
二度目は、そこから続く憎悪の果てに。
まぶたをわずかに伏せ、彼は自分の手を見下ろした。
刀を握り続けてきた、自分の手を。
「あの日から15年間……ずっと剣を振るい続けてきたよ」
「……知っています」
「……これからも多分、剣を振るい続けていくよ」
それしかできないのだとでも言うように。
――目に映る人々の幸せを守る――
いつかの夜に語ってくれた決意を、彼が今も持ち続けていることが嬉しくて、巴は小さく口元を綻ばせた。
彼が言う。
「……やっと微笑ってくれた」
「……」
その言葉が、巴の胸を突いた。
新しい時代のために――人々を守るために刀を振るう。
そうであることを、彼は望んでいた。
そして巴も、彼にそうであるようにと望んだ。
だが――すべてを見て来た今だからこそ思う。
確かに彼はその信念故に立ち上がったかもしれない。きっとこれからもそうなのだろう。
けれどその望みは、彼自身を孤独から掬い上げてはくれなかった。
誰もいないこの寒々しい雪景色が、その証のような気がした。
自分が本当に望んだのは、そうではなかった。
15年後の京都で見た、薫と並んで歩いていた彼の姿が胸によぎる。
穏やかに、優しく笑っていた彼。
そこに孤独の色はなかった。
――自分の本当の望みは、大切な人たちが幸せに笑っていること。
「あなたが微笑えば、あなたの中の私はいつでも一緒に微笑います」
驚いたように彼は目を丸くした。
巴は笑みを深める。
だって、そうでしょう。
大切な人が笑っていれば、それは嬉しいものでしょう。
彼はひどく泣きそうな顔をして、そして笑った。
「……そうか……」
確かに、哀しみと憎しみから始まった関係だった。
けれど、けっしてそれだけではなかった。
それだけではなかったと、知っていてほしかった。
あなたの優しさと強さに、間違いなく私は救われたのだから。
「そうですよ。それなのに、あなたときたら、ずっと――――……」
本当に、どこまでも不器用な人。
でもきっと、それがあなたなのでしょう。
「……縁のコト、よろしく頼みますね」
心を閉ざしてしまった弟を思う。
……思い出はとても美しいもので、確かに遺された人々を慰め、癒してくれるかもしれない。
けれど、生きている者を救うのは、同じ時を生きている者なのだろう。
私が――あなたに救われたように。
あなたが――彼女に救われたように。
あなたに頼むのはおこがましいかもしれない。でも、縁にもまた笑ってほしいと思うから。
巴の、たったひとりの大切な弟。
そして、あなたに託すことがもうひとつ……――――
「それから……――――」
見上げる彼の瞳が不思議そうに瞬いた。
巴の胸の中に、あたたかな春色の笑顔がよぎる。
彼に笑っていてほしいのだと、一途に願っていた少女。
――そうですね、薫さん。
私も、この人に笑っていてほしい。
彼自身が切り開いた新しい時代で、大切な人と――あなたと一緒に。
降り続く雪の中、巴は鮮やかに微笑んだ。
続く言葉に、彼が大きく目を見開く。
「それから、あなたの笑顔を一番望んでいる人が今もあなたを待っています。早く起きて迎えに行ってあげてください」
――だから私は、鮮やかに咲き誇る花のような彼女の笑顔に願おう。
私の大切な人たちが、どうか笑顔であるように。
雪が勢いを増す。
彼の姿が雪の中に消えていく。
胸を満たすあたたかな気持ちを閉じ込めるように、巴はまぶたを伏せた。
――今度こそ、本当にお別れです。
私が愛した、二人目のあなた……――――
そして――――――すべてが白に包まれた。
遠く――何かに呼ばれた気がして、巴は閉じていたまぶたを開いた。
そして、いつの間にかがらりと変わっていた景色に、小さく息を飲む。
目の前には雪に閉ざされた冬枯れの森も、朽ちかけた小さな小屋も――そして当然、彼の姿もどこにもなく。
代わりに空を見事に染める真っ赤な夕日と、赤く染まるすすき野原が広がっていた。
その真逆とも言える景色に一瞬目を見開いた巴だったが、すぐに懐かしそうに目を細めた。
ここによく似た景色を見たことがある。
あれはまだ、縁も生まれていなかったくらい幼かった頃、迷子になったすすき野原で、明良に手を引かれて帰ったことがあった。
幼い自分にはすすきは背が高すぎて、自分がどこにいるかもわからなくて。
ただ、隣を歩く明良が握ってくれた手のぬくもりだけを頼りに、夕日に赤く染まるすすきの中を歩いた。
――だいじょうぶだよ、巴ちゃん。ぼくがいっしょにいるからね。
そう言ってにこりと笑った明良の優しい声と暖かな手の感触を、今もはっきりと思い出せる。
そっと巴は微笑んだ。
恐らく最後に見るだろう景色が、明良との思い出であるこの景色だなんて。
懐かしさと、言葉にできない何かに胸が詰まる。
――私は、ずっとどこかへ帰りたかった。
でも、それがどこか分からなくて……――――なんだか幼い頃と同じように迷子になった気分だ。
さわさわとすすきが揺れる。
巴の心も頼りなく揺れる。
――死んだ人間の――魂の帰る場所があると言うのなら、私が帰りたい場所は……――――
がさりと、背後ですすきが揺れる音がした。
風の音ではない。
どくりと、あるはずのない心臓が音を立てた気がした。
……自分ではない、人の気配。
まさか。
「……また、迷子になったのかい、巴」
振り向くより早く、声が聞こえた。懐かしい声が。
おそるおそる――まるで声の主が消えることを恐れるように、長い時間をかけて振り向いた先。
夕日に染まる風景の中にたたずむ人影を認めて、巴の唇から呆然とその名が零れ落ちた。
「……明良さま……」
→28話
※思い出はいつもきれいたけど♪
ようやくこの物語の「はじまり」にたどり着きましたー!
◆28話◆
「……明良さま……」
懐かしい人が最後に見た時の姿のままで笑っていた。
空を染める真っ赤な夕日に、その人も淡い夕陽色に染まっている。
――清里明良。
大切な、巴の幼なじみ。
そして――誰よりも愛しい、たったひとりの彼女の許婚。
これは現実だろうか。
死んでしまったはずの明良が――もう会えないはずの明良が、目の前にいる。
ああ――でも、死者と言う点では自分も変わらない。
それならこれは、死者が最後に見る夢なのだろう。
「この景色、なつかしいな」
戸惑う巴からすすき野原へと視線を移した明良が、柔らかく目を細めた。
「小さい頃、君と僕が迷子になった場所だ」
「……」
どう答えたらいいのだろう。
「そうですね」と答えればいいのか、それとももっと他に相応しい言葉があるのだろうか。
いつもそうだった。私はうまく話すことが苦手で、いつも明良が話しているのを聞いているばかりだった。
求婚をされた時ですら何も言えなくて――そのことをずっと後悔していた。
それをまた繰り返すのだろうか。
沈んでいく巴の思考とは裏腹に、明良は巴の返答がないことを特に気にした様子もなく、先を続けた。
「最後は結局君のお父さんが探しに来てくれたけど……すすき野原の中で小さく蹲っている君を見つけた時は、すごく嬉しかったよ」
覚えてる? と問われて、小さくうなずく。
周囲をぐるりとすすきに囲まれて、どこにいるかも分からないすすき野原でたった一人、寂しくて怖くて、すすり泣くことしかできなかった自分。
そんな自分を見つけてくれたのは、他の誰でもない、明良だった。
明良がだけ、巴を見つけてくれた。
「巴」
名前を呼ばれて顔を上げる。
あの頃と変わらない穏やかな笑顔がそこにはあった。
「ようやく、君を迎えに来ることができた」
「……っ」
巴の切れ長の瞳が零れ落ちそうな程見開かれる。
それは間違いなく、彼女がずっと待ち続けていた言葉だった。
――必ず君を迎えにいく。
京へ旅立つ明良がしてくれた約束。
ずっとずっと待っていた。
約束が果たされる日を、ずっと……――――
肉体を失い、魂だけの存在になった今も、それは変わらない。
自分の都合のよい夢だろうがなんだろうが、明良の言葉を嬉しいと思っている自分がいる。
できることなら、今すぐにその胸に飛び込みたいと思う。
けれどその衝動を、巴は必死に押さえ込んだ。
「明良さま」
震える声で彼の名を紡ぐ。
「……私は、あなたに迎えに来ていただく資格はありません。もう、ないんです」
明良は何も言わなかった。
ただ、巴を静かに見つめている。
それがひどくいたたまれないのは、きっと自分の罪悪感の所為。
沈黙の合間を縫うように、風に揺れるすすきがこすれ合って音を立てた。
幼い頃、このすすき野原を二人でさ迷った時――思い出せば、あの頃の明良の背丈はすすきよりも低かった。
自分より背の高いすすきをかき分けながら、ずっと巴の手を握っていてくれた明良。
きっと彼も恐かったはずだ。まだほんの子供だったのだから。
なのに、巴の手を引いて。
大丈夫だからと笑って。
剣術の腕はからっきしだったけれど、強くて優しい、大好きな巴の幼なじみ。
それなのに私は……
くしゃりと、巴の顔が歪んだ。
「私は、あなたとの約束を破ってしまいました」
父を、弟を頼むと言われていたのに。
自分の哀しみと憎しみに捕らわれて、約束を破ってしまった。
約束を、家族を、顧みることすらしなかった。
それどころかあなたの死に向き合うこともせずに、逃げ出してしまった。
あなたの無念をはらすのだと、都合のいい理由を付けて。
そして結局、差し出された優しさにすがりついた――――
自分でもあきれる。
なんて――なんて弱い女だろう。
「……ごめんなさい、明良さま」
こらえきれない涙がとうとう頬を伝った。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――――
「巴」
溢れた涙をどうしようもできずに顔を覆う巴の耳に、明良の静かな声が聞こえた。
「僕も君に謝らなくてはいけない。必ず君を幸せにすると約束したのに」
――約束を破ってしまった。
その声は穏やかではあったが、押さえきれない哀しみが滲んでいた。
「……きっと僕には、君を迎えにくる資格なんてない」
「……っ」
予想もしていなかった言葉に、巴は息を飲んだ。
衝撃を受けていると言う事実に気づいた瞬間、胸の中に自分自身への嫌悪がこみあげる。
自分は明良を遠ざけるようなことを言っておきながら、明良が同じようなことを口にすれば、衝撃を受けている自分の浅ましさ。
咄嗟に下を向く。
嫌悪に醜く歪んだ顔を、明良に見られたくなかった。
その頬を――明良の指が優しく拭っていく。
指先の優しさに促されて、巴はおずおずと顔をあげた。
視線が合うと同時、明良の表情がふにゃりと崩れる。
「でもね、巴。それでも、君を迎えに行きたかった。君を迎えに行くのは、僕でありたかったんだ」
「……っ、あき……っ」
その名を、口にするよりも早く。
――ふわりと、まるで包み込むように抱きしめられた。
紡がれなかった言葉が、夕陽色の風に霧散していく。
驚きのあまり抗うこともできず、巴はそのまま胸の中に抱き込まれた。
全身に感じる、自分ではない体温。
きつく抱きしめられているわけでもないのに、胸が詰まって息ができなくなる。
思考が真っ白に染まる。
そして。
「――おかえり、巴」
耳元でささやかれた言葉。
その優しい響きが空っぽの頭の中に染み込んでくる。
言葉の意味をゆっくりと理解していくと同時、驚きで止まっていた涙が再び頬を伝った。
胸が痛いほどに震える。
喘ぐような吐息が零れ落ちる。
――もう、自分を抑えることなどできなかった。
震える腕をのばして、これ以上はない程、明良の背中にきつくしがみついた。懐かしく暖かな胸に頬を押し付ける。
哀しみではない嗚咽に喉を振るわせながら、巴は必死で言葉を紡いだ。
「……はい……はいっ、ただいま帰りました、明良さま……っ」
それに応えるように、巴の背中に回った明良の腕に力が込められる。
抱きしめてくれる明良のぬくもりが愛しい。
ずっと――ずっと私は、この腕の中に帰ってきたかった。
ずっとこのぬくもりに帰りたかった。
ようやく帰ってこれたのだ。
この、懐かしい腕の中に。
「……すみません、子どもみたいな真似をしてしまって……」
「気にすることはないよ。僕は嬉しい」
涙が止まり、さすがに恥ずかしくなった巴は明良の胸から少しだけ離れた。
あれだけ泣いたと言うのに、顔をあげればすぐ目の前にある明良の笑顔に、また泣きたくなってしまう。
ふと、明良が視線を遠くへと投げた。
「ああ――もう、陽が沈むな」
消えていく太陽を惜しむようなつぶやきに、明良の視線を追って、巴も同じように目を細めた。
遙か彼方の稜線に――此岸と彼岸のあわいに太陽が沈んでいく。
巴を、明良を――見渡す限りの景色を赤く染めながら。
赤い赤い――逢魔が刻の終わり。
「明良さま」
「ん?」
名前を呼ぶと、声が返って来る幸せ。
それを噛みしめながら、巴は夕陽の色だけではない色に淡く頬を染めた。
「私も、言っていいですか」
本当は、明良が帰って来ると約束した桜の季節に言うはずだった言葉。
あの時は口にすることが叶わなかった言葉を、今。
「――おかえりなさい、明良さま」
「……うん。ただいま、巴」
はにかむように明良が微笑んだ。
ずっと見たかった、大好きな優しい笑顔。
わき上がる愛しさに、巴の胸があたたかくなる。
大切な人に笑っていてほしい。
その願いが――今、叶っている。
「巴」
そっと巴の目の前に差し出される、明良の大きな手のひら。
「そろそろ行こうか」
――どこへ、とは言われなくても知っていた。
「……はい、明良さま」
差し出された手に静かに自分の手を重ねる。握り締める。
二度と、離れないように。
そうして――――
大切な人の笑顔に、咲き零れる花のように巴は微笑んだ。
→エピローグ
◆エピローグ◆
「薫殿と同じでござるよ」
怪我を押して京都にある巴の墓に剣心が薫と共に訪れたのは、巴の弟である縁が起こした人誅事件が終わった、その1週間後のこと。
以前この墓を訪れた時はひとりだった。蝉の声ばかりが響いていたことを覚えている。
それから、一月と少し。
夏の盛りはすぎて蝉の声が少し遠くなり、少しずつ季節の移り変わりを感じる時期になっていた。
巴に何を告げたのかと問う薫に、剣心は淡く微笑んだ。
「『ありがとう』、それと『済まない』と……『さようなら』……」
「……」
思いもしない言葉だったのか、剣心を見つめる薫の瞳が丸くなる。
剣心はそれ以上何も言わなかった。
何も言わないまま驚く薫に向かって笑みを深くした剣心は、自由な――けれど、まだ包帯が巻かれたままの手を差し出した。
「……そろそろ行こうか」
そこにはためらいも迷いも一切ない。
極々当たり前のように差し出された剣心の手と、向けられた表情の柔らかさに、薫は瞳を瞬かせた。
けれどそれも一瞬のこと。
朝露の中で花弁が光を反射しながら開いていくように、薫の表情が鮮やかに綻ぶ。
「――うん」
差し出された手に重ねられる、一回り小さな手。
ぬくもりとぬくもりが重なる。
互いのぬくもりを閉じ込めるように、二人はつないだ手に力を込めた。
――それはまるで、未来へと続く誓いのように。
おわり
※ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます!!
後程、あとがきをUPしたいと思いますー!