@acbh_dmc4
あの医者の言う通り、きっかり3日で退院すると、俺を迎えに来たのはやはり見知らぬ壮年の男だった。
恭しく俺に接し、病院に来るまでにも乗った事のある車という乗り物に乗せられ、随分と長い道のりを走った。
街からは随分と離れ、自然豊かな森を走ると、やがて白を基調とした大きな屋敷が現れた。
人もいないのにひとりでに開かれる大きな門をまじまじと見つめ、屋敷の前に車が止まると恭しく下ろされた。
屋敷の扉の前に立てば、ピーンと甲高い電子音が耳につき、思わず両手で耳を覆う。
恐らくセキュリティの作動する音だろうと、知らない筈の知識が頭に浮かんだ。
扉は鍵がかかっているのだろうか?どうやって入ればいいのかと考えたら、また少しの立ち眩みと共に目の前が暗く靄がかかり、目の前に亡霊のような年上のエツィオが現れた。
俺の顔をひたと見据え、そして扉脇にあるタッチパネルを見、そこに指をつけた。
同時に扉が開く幻影が見え、そこで流入現象は終わった。
あのエツィオの示した通り、指紋認証で扉のロックを解除すると、建物内に入る。
エントランスはまるでヴィラ・アウディトーレのエントランスのような作りになっていた。
エントランスだけじゃなく、部屋の配置やら内装まで、まるでモンテリジョーニからそのまま屋敷を持ってきたようだ。
入り口左手にあるヴィラでは武器倉庫となっていた1階の部屋は、使用人専用の部屋や倉庫となっていた。
それからエントランスセンターにある大きな階段を上がると、絵画や美術品を展示していた広いスペースにはモダンアートのデジタルチックなパネルや、良く分からないオブジェに風景写真などが飾られている。
電灯なども人の良く集まる部屋などは豪華で古典的なシャンデリアだが、廊下や客室などはモダンなものだ。
車を車庫に収納してきたと思われる男が、俺を探してエントランスで呼び掛けているのに気付き、階下に顔を出した。
俺に気付いた男が部屋に案内をすると言うので黙って後に続くと、そこはヴィラでも俺の部屋として割り当てられた最上階の部屋へと通された。
しかし梯子で出入りしていた入り口はなだらかな階段が取り付けられ、真っ白な扉を開ければ、子供部屋らしく、青い壁紙にパステル調の背の低い家具がそれぞれ2つずつ揃いで置かれていた。
どうやら二人部屋のようだ。
男はチラリと俺を見てから少しだけ気まずそうな顔をした。
「坊ちゃま、この度は本当に大変な思いをされましたね……部屋の家具は、直ぐに運び出しましょう」
「……うん。あの、着替えたいんだけど。あとお風呂も入りたい」
「承知しました。お着換えを出しましょう。シャワーで良ければ部屋に備え付けがありますので、そちらをお使いください」
男は愛想よく頷くと、俺の服を身繕い、浴室へと案内してくれてから用があれば声をかけるように言い、階下へと引っ込んだ。
脱衣所で服を脱ぎ、浴室に入りカーテンを引いてからシャワーの取っ手を上げた。
浴室内にあるシャンプーを手に取り、頭を洗う。我ながら当然の様に未来の用具を使いこなせることに違和感を覚える。
フィレンツェやモンテリジョーニのヴィラで使っていた石鹸よりも上等で、泡立ちの良いこういった物に感動を覚えつつも、何処か当然の事だと考える。
以前にも使って感動したことがあるような既視感を覚えつつ、身を清め終わって浴室を出た。
新品のタオルが用意されていたので体を拭い、新しい衣服に袖を通す。
普段着ている洋服よりもかなりシンプルだが、悪くない。
手触りの良い絹とは違うが、糊のきいた白いシャツにサスペンダーで灰色の半ズボンを吊っている。ボタンで止めるタイプの深い赤と黄色のストライプに獅子の刺繍されたネクタイをつけてみる。
ひざ下丈の白い靴下を履いて赤茶色の革靴を履けば、とても身なりの良い子息のようだ。
部屋にあった姿見で全身をチェックして満足すると、屋敷のベルが鳴り響いた。
屋敷のエントランスへと顔を出すと、俺をここに連れて来た男が、数人の使用人らしき者達と話をしていた。
俺が見ている事に気がつくと、男は使用人たちを並ばせて、今日から住み込みで俺の世話をする旨を説明してくれた。
俺はそれについて了承を示してから自室へと戻ると、また流入現象が現れた。
今度は亡霊のような導師が机の前に立ち、手元の薄い板を開き、なにやらスイッチを押している。
俺は机に近寄り、置いてあったノートPCの電源をつけると、パスワードを求められた。
流入現象の導師が俺の手元のキーボードをゆっくりと指でなぞり、それに合わせてパスワードを入力すると消えてしまった。
デスクトップにポツンと一つ置いてあるファイルを開く。
すると何かがインストールされ、いくつものウィンドウが立ち上がっては消えを繰り返し、やがて画面の中に導師の姿が現れた。
『私は凡庸なAI。アブスターゴ社のヘリックスサーバーに居るエツィオ・アウディトーレとは異なるシステムです』
淡々と画面の導師が己の存在を語る。
どうやら本体である導師はアブスターゴの施設よりまだ脱出できていないようだ。
『これから貴方のここでの身分を説明します。電子のエツィオ・アウディトーレがアサシンを通じて外とのコンタクトを取り、ジョバンニ・デ・カストロノヴォとして一財産を築きました。貴方たちはそのジョバンニの息子として、ここの別荘で暮らす子息です。長子をマルチェッロ、次男をエツィオとします。確認をしてください』
「…長子と、次男?ここには俺しかいないけど…」
画面にポップアップが現れ、そこに自分の姿が映る。
顔を認識する印が現れて読み込みがされてから、導師がまた話し始めた。
『生き残りは一人。再調整します。現時点で書類上の問題はありません。マルチェッロとエツィオどちらの名を名乗りますか?』
「…エ、エツィオ」
『承知しました。これより貴方の名はエツィオ・デ・カストロノヴォとなります』
「あ、あの…俺はこれからどうすれば?」
『その問いに対する明確な指示はありません。お好きなようにお過ごしください』
定型文しか発する事のない導師から、呼び方やここでの生活での俺の設定などをあらかたレクチャーされていると、背後からノックの音が聞こえた。
PCの動画を止めてから扉に向かい開けてやると、メイドがトレーにお菓子やフルーツジュースの入ったデキャンタとグラスを乗せて持ってきてくれた。
「坊ちゃま、おやつをお持ちしました」
「有難う。そこの机に置いといて」
メイドは愛想よく頷き、俺の注文通りに一人掛けのソファの近くのテーブルに、おやつとジュースを注いだグラスを置き、デキャンタをその近くへ置いてから退出した。
もう一度PCに向き直り、その画面を眺める。
何か任務を言い渡されるでもなく、ただ好きに生きろ、だと?
恐らく俺の知っている人物は誰も居ない、俺を知るものは誰一人としていない世界で、孤独に生きろと突き放された。
そしてそれを強要したのはきっとあの導師だ。
にこやかで面倒見がいい人柄だと思っていたのに、平気で人を裏切るし振り回す。あの世界で他に頼る者が居なかったとは言え、よくもまぁ懐いていたものだ、と自分自身にも腹が立つ。
そう内心で毒づくと、頭の中の導師が苦笑を零したような気がした。
「だって、仕方がないじゃないか。アンタは俺に、あの不機嫌なエツィオのために死ねって言ったんだ!」
言い訳するように一人ごちても、画面に居座る導師は知らん顔で俺を見つめていた。
眉間に皴を寄せ、ため息を吐いてからパソコンを抱えてソファに飛び乗る。
テーブルに置かれたビスコッティを手に取り、苛立ち紛れに口に放り込んだ。
こんな訳の分からない世界でも、何でもない菓子一つがこんなにも美味だ。俺の記憶にあるフィレンツェやモンテリジョーニでの生活様式などがらりと変わって、まるで魔法のような家電に囲まれている。
きっとレオナルドがこの世界を見たら、目を輝かせてあれこれ構造を学ぼうとするのだろう、そう思った時、俺の心はまたも決壊してしまった。
酷い孤独感の中、本当の子供に戻ってしまったように悲しみが心を支配して、焦燥感と共に熱い雫が後から後から目から溢れ出した。
大粒の涙が頬を伝い、まるで絶叫するかのように声を上げて泣き喚いた。
部屋に誰かが入ってきた気がする。でも最早すべてがどうでも良いと思った。
俺は独りだ。
家族もなく、友もない。世界でたったのひとりぼっち。
俺はもう何も分からず、ただただ涙が枯れるまで泣き続けた。
どの位の時が経ったのか、俺はいつの間にか眠ってしまっていたようで、冷たい何かが瞼に当てられる感覚にボンヤリと目を覚ました。
もっと眠っていたくてむずかると、どこか安堵したような吐息が顔に掛かった。
「母上…?」
目を擦り、優しく触れる掌にすり寄ると、昼間おやつを持ってきてくれたメイドがすまなそうに顔を覗いていた。
「申し訳ありません。起こしてしまいましたね……お腹、空いてませんか?」
「お腹……減った気がする」
「では、直ぐにご用意しますね。目は、大丈夫ですか?」
腫れぼったく熱を持った両瞼を冷やす為だろう、メイドが俺にタオルに包んだ氷袋を渡してきた。
それを目に当て、クッションに埋もれる様に寄りかかる。
先程からメイドがしきりに心配そうに俺を見るに、導師の用意したシナリオで俺は兄弟と共に誘拐されて恐ろしい思いをした可哀想な子供と思われているのだろう。
母親も早くから亡くし、仕事人間の父は子供に構うことなく帰っても来ないという設定だ。
本当の父親の名前を借りるなら、何故そんな冷たい人物にするのか。これでは家族を冒涜していると内心で腹を立てていた。
抱え起こされ、背に沢山クッションを敷いてから俺の目の前に簡易テーブルを置いて食事をセットしてもらった。
野菜スープにパスティーナ、それにジェラートだ。
いくらも食べない内にお腹いっぱいになってしまった。
眠る前に食べたビスコッティがまだお腹に残っているのかもしれない。
だが、大量に残された食事のトレーを見て、メイドがまた心配そうな顔をした。
過剰に心配されるとかえって居心地が悪いと思いながらも、恐らくこのメイドが先ほど泣き喚いていた俺を必死で宥めていたのだろう。
随分面倒見の良いメイドだと思いつつ、暫くは設定どおりに動くしかないとため息を吐いた。
翌日、俺は執事に明日、医者が経過観察に来ると伝えられた。
退院したのはつい先日なのにいやに早いな、と思ったらどうやら心の方を見てもらうとの事だった。
あからさまに嫌そうな顔をしてしまったのか、宥める様に優しい言葉で諭された。
俺の情緒が不安定なのは犯罪に巻き込まれたからではないのだが、それをここの人間に言った所で理解される事はないだろう。
これから宛がわれる医者に適当に合わせて、さっさと切り上げてもらうしかないか、と諦めの境地で納得したふりをした。
だが、幸いなことに、俺の様子を見に来た医師は、最初に俺を助けてくれた者だった。
おそらく俺の親だと名乗っている導師からうまい事言われているだろうし、ある程度は話も合わせてくれそうだ。
とにかく、今の俺には放っておいてくれることが一番の薬なのだと伝えよう。
医者は執事に軽く挨拶をしてから、応接室に入り、二人きりとなった。
最初に簡単な触診を受け、健康上の質問を幾つかしてから本題に入った。
「身体は問題ないね。最初の頃よロは血色が良い。子供にしては表情は硬いがね。君の家の執事が言うにはPTSDのようだと聞いたが……」
「うーん、まぁ……今はそこまで酷くないよ」
「君自身はどの位記憶があるのかな。アブスターゴに狙われていると聞いたけど」
医師を注意深く見上げる。
この医者はとても人が良く、俺の事も本気で心配しているようだ。
俺と関りを持つことになる人間のリストと資料を確認したが、人の好さのせいで自分の医院を潰しそうになった所を“ジョバンニ・デ・カストロノヴォ”という人物が支援し、助けてやったのだという。
そのジョバンニというのは導師の事なのだろうが、あの施設からどう外に繋ぎを作ったのか。
「貴方は、どの程度この件に関わる覚悟があるの?どちら側?こう聞いて答えられる?」
「……愚問だったね。正直、アブスターゴなんてモンスター企業と事を構える事はしたくない。私の医院を守れただけで十分だ。だが、君の周囲の者に怪しまれるのは良くないらしくてね。私の息子なんだが……君のカウンセラーとして暫くは通わせてもらう。口の堅く、しっかりした者だから安心してくれ。ジョバンニにも許可は得ている」
その提案に頷いて医者に自分の要望を話すと、その日の診察は終わった。
医師は執事を呼ぶと、俺の見立てを上手くでっち上げて話し、なるべく普通に接するよう進言した。
次の診療は1週間後、医師の息子が再び訪問するとの事だ。
恐らくこの医師の事だから上手く言ってくれるだろう。相当世話になった為、見送りに玄関先までついて行く。
普通の子供にするように、親しみやすく肩を叩かれ、何かあれば連絡してくれと言い、医師は帰っていった。
「さて、坊ちゃま。坊ちゃまの好きなアニメのDVDがありますよ。それともゲームをして遊ばれますか?」
執事が明るい声で今日の予定を確認する。
この屋敷に来てから自分のここでの設定などを確認する為、部屋に閉じこもっていた。
心配そうにメイドや執事が部屋の外から声をかけても「大丈夫」と言って一人にしてもらっていた。
それももう必要なくなったので、今度はこの世界の事や、屋敷の事について確認しても良いかもしれない。
そうと決まれば屋敷の中は初日に一通り見て周ったから、その周辺だ。窓から外を見る限り、見渡す限り青々とした木々が屋敷を隠す様に生い茂っている。
森の中の屋敷は、どれくらいの土地を有しているのか気になる。
「庭の散歩をしたい。案内を頼めるか?」
「勿論ですとも!では、ピクニックでもしましょうか。坊ちゃまも支度をしましょう」
俺が外に出ると言うと、執事やメイドたちはとても喜んだ。
塞ぎこんでいる子供が前向きな姿勢を見せると、大人は安堵するのだろう。
俺は動きやすい外着に着替えさせてもらい、執事とメイドを二人連れて屋敷の敷地内探索を開始した。
屋敷の敷地はかなり広大だった。
辺り一帯は森になっていて、開けた芝地に川まで流れていた。
そしてここは別荘という事になっているというから、一体どんな事をして導師はここまでの財を成したというのだろう。
モンテリジョーニと同じくらいの敷地面積があるのではないかという森を、少し探索した程度なのに、俺は早くも消耗してへたり込んでしまった。
気持ちの良いそよ風が芝生と俺の頬を撫でる。
芝生に大の字に寝ころび、上を見上げれば、雲一つない真っ青な空が広がった。
俺の横でメイドと執事が急いで敷布を広げて、ピクニックの準備をしている。
優しく手招きされて、用意されたクッションの上にもう一度寝ころぶ。
調度お昼時になったので、籠から出されたサンドウィッチを手に頬張る。
この時代に蘇って良かった事は美味しい食事に、生活を送る上でとても快適と言った所だろうか。
これに慣れ切ってしまったら、もし今、俺の生きてきた世界に戻されたら逆に辛い思いをしそうだ。
そう考えて、頭を振った。
また友人たちの事を考えて、泣き喚くわけにはいかない。
食事を終えて、清涼とした空気を味わうように息を吸い、両手足を伸ばして辺りを見渡した。
快適に整えられた広場や、遠くに見える美しい花壇。そして登りやすそうな大きな木々の生える森を見て、俺は童心に返ったように心躍った。
「ここは良い所だな。遊ぶところもいっぱいありそう。かなり体力が落ちてるから、ちょっと体を鍛えないと」
「そうですね。外遊び用の遊具もありますよ。ボール投げで遊びましょうか?」
「うん」
子供の体は持久力はないとはいえ、軽くて動きやすい。
駆け回るのが純粋に楽しく、この日は日が暮れるまで広場で体を動かした。
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