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アニメ『平家物語』第二話「娑婆の栄華は夢のゆめ」びわが歌っている言葉、原作を交えた解説・感想的なものなど。

全体公開 1 3517文字
2021-12-12 17:59:29
Posted by @sirasu810

 
小松殿こまつどの重盛しげもり)の息子、次男:資盛すけもり殿下乗合てんがののりあい事件の罰として、伊勢にて謹慎を命じられました。この処分を下した小松殿を「おもしろくない」と言う清盛でしたが、びわが衝動に任せて吠えたことには「おもしろいの、そなた」と興味を持つのでした。

徳子とくこと親しくなっていくびわ。二人が過ごす何気ない日常が丁寧に表現されているところ、とても好きです。

「父上は私たちを自分の駒としか思っていないのよ。私たちだけではないけれど……

徳子とびわが話している間に、白拍子しらびょうしが清盛の前で舞っているシーンが入ります。この舞手まいての名は仏御前ほとけごぜんです。しかし第一話の平家の宴会では、別の舞手が映っていました。桃色の髪の人です。第一話に出てきた舞手は祇王ぎおうといいます。

「前はね、父上のお気に入りは祇王どのだったのだけど、仏御前という白拍子を贔屓にし始めて、祇王どのを追い出したの。なのに仏御前は話し相手がいなくて寂しがるからって、また屋敷に呼ばれるようになったのよ」

祇王は妹の祇女ぎにょと共に、名手と知れ渡った白拍子です。白拍子とは、女性が男装束を着て行う芸能のこと。男舞おとこまいともいわれます。ニラ湯を飲んでいた後白河法皇が話していた今様いまよう(歌謡のこと)や、和歌を歌ったり、舞ったりする遊女あそびめです。源義経みなもとのよしつねに愛されたことで有名な静御前しずかごぜんもまた白拍子です。

清盛の寵愛を受けていたことで、祇王は妹や母とともにとても裕福に暮らしていました。こうしたことにあやかろうと、都の白拍子たちの中には名乗りに〈祇〉をつける者があらわれたほどだ、といわれています。

『平家物語』一巻に載っている『祇王』の物語は、徳子が一話で呟いていた「女なんて……」の意図がしみじみ伝わってくる内容になっています。アニメ二話の終盤でびわが歌うのは『祇王』からの引用です。

 娑婆しゃばの栄華は夢のゆめ、
 楽しみさかへて何かせん。
 斯様かようにさまを変えて参りたれば、
 日頃のとがをば許したまえ。
 許しましょう、と仰せられば、
 もろともに念仏しけれ、
 一つはちすの身とならん。

はすの実は蜂の巣状になっているので、ハスの別名がハチスです。極楽浄土にあるとされる花です。

内容を原作を含めて補足解説すると、当初は祇王が清盛に可愛がられていた、要は囲われていたのです。そして仏御前は祇王よりも若く、新参の白拍子でしたが、腕前がとても評判でした。そのため自分から今を時めく清盛公のところに行って、舞などを披露しようと考えます。そうすると裕福に暮らしている祇王のように、仕事やご褒美がもらえるかも知れません。

仏御前を知らない清盛は「呼ばれもしないのに来るとは何事か」と仏御前を追い返します。これを「冷たくあしらっては気の毒です。対面くらいなさっては」と促したのは祇王。祇王の温情により、仏御前は清盛と会うことができました。そして仏御前の手並みに感心し、清盛は心変わりします。祇王に出て行けといい、仏御前は手元で囲う。女性二人の立場は逆転しました。仏御前はそこまでのことを望んでいなかったのに、清盛は開放してくれません。対して祇王は屋敷から追い出され、後ろ盾をなくし生活が一変。清盛にいとわれた虚しさもあって、引きこもって泣き暮らすことに。

それなのに屋敷に留められていた仏御前が、あまりに所在なく寂しそうにしているからと、清盛は祇王を呼び立てます。「いま自分が可愛がっている仏御前の話し相手のために来い」と。清盛の身勝手さに振り回される女性たち。当時は俗世の苦しみから逃れるには出家するしかないので、祇王は妹や母と共に出家しました。

そしてある日、出家して慎ましく暮らしていた祇王たちのところにやってきたのは、髪を落とした仏御前でした。清盛の屋敷から抜け出し、尼になっていたのです。

仏御前「あなたを追い出すことになり、私がおし留められたことは、今でも恥ずかしくいたたまれないことでございます。いつかまた私も、追い出されたあなたと同じ身の上になるだろうと、清盛様の寵愛を全く嬉しく思えませんでした。日頃のあなたへの罪をお許しください。許してくださるのならば、共に念仏して、極楽では同じ一つの蓮の上に生まれましょう」

祇王「貴方がそれほど思い詰めていたとは、夢にも知らなかった。我が身ばかりがつらく、ともすれば貴方のことまでが恨めしく、今生きているこの世も来世も、うまくいかなくなった気がしていたが、貴方が出家してここにいらっしゃったからには、日頃の罪など露や塵ほども残りません。さあ、一緒に極楽往生を願いましょう」

出家し俗世を離れたことで、祇王たちは男女の仲(清盛との仲)や、女であるがゆえの嫉妬・恨みなどに煩わされることなく、往生を祈って暮らすことができるようになりました、よかったね——という風に描かれるのは、平家物語が仏教思想の濃い物語だからです。

仏教社会である当時の考え方に〈恨みのある人間は極楽浄土には行けない〉があります。恨みには色々なものがありますが、悪行とも言い換えられます。人を妬む、羨む、驕り高ぶる、恩を無下にする、などなどの悪行を抱えたままだと、成仏ができないとされていました。しかしそれだけではなく〈念仏を唱えれば、悪行を持つ人間でも成仏ができる〉という考え方もありました。この二つの考え方は『平家物語』作中において重要な要素なので、頭の片隅に入れておくと、より深く物語・キャラクターの行動などが読み解けると思います。

平家物語の作中においては当時のことが何度も「末法まっぽう」「世も末」「濁世だくせ」であると語られます。仏の教えがすたれるような世の末だから、こんなこと(物語にある数々の出来事)が起こるのでしょうか、ああ、なんと哀れな、という描き方で、平安末期から鎌倉時代にかけての物語の多くは、こうしたスタンスが前提となっていることが多いです。

アニメ平家物語は『平家物語』のことを「800年の時を超える祈りの物語」と表現しています。哀れとされた世の中において、誰が祈るのか、祈らないのか、祈るなら誰が誰のために、何を祈るのか。こうした部分にもぜひ注目してください。

次回は小松殿の名場面があります。おのおの方、必ずご視聴くださいますよう!



——以下雑談——

平家物語でも繰り返される通り、日本の古典作品の多くがゴリ推ししているのは〈もののあはれ〉観です。その筆頭、代表作といえばご存知『源氏物語』(平安中期)で、こちらは男女の仲・恋愛の要素がどっぷり強めです。色恋のあでやかさと虚しさを含む「あわれ」の意味は少しずつ変化し、『平家物語』(鎌倉前期)では物悲しさとしての「あわれ」と、仏教要素がさらに強まり〈諸行無常・盛者必衰〉が全編を通して強調されます。
それだけではなく「儒教まじ尊い」「いや仏教一択でしょ。仏様だけが救い」「戦とは」「男は男と死ぬ。女とではない」「姉様が死ぬならわたしも死にます」など要素が過多。だから人気作品。誰しもに刺さるポイントを持っている、それが平家物語……

清盛も出家しています。これは病を治すため。生き延びるために出家して剃髪ていはつしました。在俗のまま仏門に入ったので「入道」と呼ばれます。清盛入道、入道相国にゅうどうしょうこくなどとも。相国とは太政大臣のことです。アニメ一話の宴会で、清盛は時子(妻)と「あらあら」といちゃついていますが、あの席には祇王(愛人)もいたわけで。上記の『祇王』の内容をふまえて一話OP後の清盛・時子・祇王の視線を追ってみてください。あらあら……

徳子とびわの二人の描かれ方が私はたまらなく好きです。声をかけられて「徳子!」と飛び跳ねるびわがかわいい。徳子の入内が決まり「行くな!」と泣き叫ぶびわ「わたしは大丈夫」と笑う徳子。そしてびわの目に映る未来の壇ノ浦の光景。ウワーッてなりますよね⁉︎ だって徳子は、建礼門院けんれいもんいん……



◀︎一話の感想・解説はこちら
https://privatter.net/p/8264238

三話の感想・解説はこちら▶︎
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