@sirasu810
平家の滅亡がすぐそこに。十話です。
清盛の息子、重衡は源氏に捕らえられていました。「重衡を返して欲しければ、三種の神器を返すように」という要請・交渉がありましたが、平家は断り、重衡は鎌倉送りとなります。
頼朝の前で重衡は「これは我が身の因果応報なのだ」と言います。牡丹の花と評される通りの男だと、頼朝は感銘を受けます。しかし妻北条政子は「同じことになる」と指摘します。頼朝はかつて清盛によって生きることを許されました。そして今、後白河法皇の命により平家を討たんとしています。ここで頼朝が重衡を助けてしまえば、いつか重衡もしくは彼に連なる者が、源氏を討つことになるだろうと。そのため頼朝は南都からの要請に応じ、重衡を引き渡すことにしました。南都は興福寺・東大寺のことです。重衡はかつての戦で南都を焼いたので「こちらで処罰するゆえに身柄をよこせ」と、と南都から求められていました。
『平家物語』十一巻『重衡被斬』には、重衡の最後について書かれています。「願はくは逆縁を以て順縁とし只今最後の念仏によつて九品託生を遂ぐべし」と言って、念仏を十回唱え、斬首されました。重衡は己のことを「このままではあまりに罪が深い」と、最後の最後に祈りを唱えることを願いました。上記の台詞は、釈迦の従兄弟である提婆達多は大罪を犯したけれども、これが逆縁となって仏に会うことができ、悪行は悟りを開く元となった。仏法の世界には慈悲がある。逆縁と思われるものでも順縁となって、往生ができますように、といった意味の言葉です。逆縁とは、悪事をきっかけに仏教に入ること。順縁はその反対。九品浄土は極楽浄土のことです。
重衡を見捨てるしかなかった平家には重苦しい雰囲気が漂っています。維盛は自分の意思で一門から離れました。資盛は焦りのあまり徳子に相談します。法皇様に一門を助けるよう手紙を書いてくださいと。けれど徳子は「帝を守る」のだと言い切りました。資盛は平家の存続を願っていますが、徳子は帝(わが子)の存続を願っています。心もばらばらになりつつある平家。
一門を離れた維盛は、弟の清経と同じ決意をしていました。清盛の長男である小松殿(重盛)の長男、維盛は平家の嫡流を継ぐ人物で、光源氏にも例えられるほどの美男子だったのですが、出家し、髪を剃ります。清々しい山川の空気を吸いながら死に場所へ向かっていると、びわに再会します。
「父上と同じ目の色、美しいのう」
びわは九話で定めた決意、維盛たち平家のことを語り継ぐということを伝えます。維盛は「ならば、生きた甲斐もあるやも知れぬ」とほほ笑みました。そして念仏を唱え、最後まで震えながらも、入水します。
「維盛、最後まで怖がりであったのう……」
ところ変わって都では、義仲も平家もいなくなりご機嫌の後白河法皇。義経を招き、その態度についても良しとしました。後白河法皇の開いた宴会では、静たちが舞っています。桜吹雪の中の静の舞姿を、義経が見染めます。
片や宴などできるはずもない平家。寂れた庭では一人になった資盛がたんぽぽを摘みながら歌います。四話で後白河法皇・弟たちと歌っていた歌です。
遊びをせんとや 生まれけん
戯れせんとや 生まれけん
遊ぶ子供の声聞けば
わが身さへこそ ゆるがるれ
そしてびわに再会。びわが歌に混じりながら現れるシーンとてもいい……。驚く資盛。平家の状況を分かっているのかと声を上げますが、びわは「ここにいる」と資盛に答えます。
「見届けようと思うた。資盛の、平家の先を」
「驕り高ぶって滅んでゆく、俺たち一族の末を、か」
「語り継ぎたい」
安徳天皇も遊び相手がやって来て嬉しそうです。びわは徳子に「おかあに会った」ことを打ち明けました。しかし喜びも束の間、平家は追討軍に追われ、各地を転々とします。
「平知盛どのが、なかなかの武将にございまして」
「義経を、送る……?」
そして義経が進軍。海に逃げた平家。ここで那須与一もわずかですが出てきましたね!しかし海上に出たということは、壇ノ浦です。ついに最後の戦いが始まります。『平家物語』十一巻『壇浦合戦』に入りました。今話のびわの弾き語りのシーンは鳥肌ものです。
平家一千余艘、
源氏の船は三千余艘。
源平両御、陣を合わせて、鬨をつくる。
上は梵天までも聞こえ、
下は海竜神も
驚くらんとぞ覚えける。
歌の意味はそのままです。平家の船は一千余り、源氏は三千。両者はついに陣を合わせ、鬨の声を上げた。その声は大梵天王のいる天上界にまでも聞こえ、海中深くにいる竜神でさえ驚くだろうと思われた。
「戦は今日を限り!者ども、退く心を持つな!命を惜しむな!名を惜しめ!」
知盛が平家一門を鼓舞します。あっという間の十話でした。次回、最終回です!
——以下雑談——
流れるような十話だったのであまり解説することがなかった……。ということで鎌倉の頼朝について少し。
維盛の入水の話を聞いて、平家は驚き嘆きます。都に残っていた維盛の妻は、維盛の後世を弔うために尼になりました。これらの出来事を耳に入れた鎌倉の頼朝もまた驚きます。以下はアニメ原作・現代語訳の『平家物語』十の巻『藤戸』より。
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鎌倉の兵衛の佐頼朝は、人伝てにこの維盛卿の北の方の出家のことを聞かれて、言われる。
「悲しいことだ。もしも維盛卿が遠慮なさらずにこの頼朝を訪ねて来られ、身を寄せられていたならば、命だけはお助け申したであろうに。小松の内大臣重盛公のことは、今なお私は疎かに思い申してはいない。池の禅尼の使者として、頼朝を流罪に宥められたのは、まったく重盛公のご恩による。あの小松殿が奔走なさったことによるのだ。その恩義、どうして忘れられよう。ゆえにご遺子たちのことも粗略にはいたさぬ。ましてや維盛卿はご出家もなさった。そうしたおん身であれば、障りなどなかったものを」
ああ重盛公よ、維盛卿よ、平氏の嫡流家の男らよ、と兵衛の佐は思いを走らせられる。
源氏の棟梁は、そう思いやられる。鎌倉で。
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頼朝は同情的な姿勢ではありますが、出家すれば障りなし、とは情勢としては難しかったと思います。周囲も止めたことでしょう。
そして維盛の息子は嫡流の六代目というということで、幼名が六代といいます(維盛は五代だった)。アニメでも何度か登場しています。彼も殺されるところだったのですが、頼朝に挙兵を促したトンデモ怪僧・文覚上人(アニメ六話の僧侶)が嘆願して引き取ったこと、のちに出家したことから生き延びていたのですが、頼朝が亡くなったあと「平家の嫡流を残しておくわけにもいくまい」と、やはり殺されることになります。
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