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タイム・ブランチ(3)-2

全体公開 7 56 17029文字
2023-08-09 17:42:27

譲介タイムスリップ話の第三話後半。
※SDK44巻読了済み前提です。
いずれ譲テツになる片鱗がそろそろあるようなないような。

Posted by @alikiri

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 翌日の日曜日。神代は久しぶりに身に着けたマントの裾を翻しながら再び大垣診療所に赴いた。大学では目立たぬように過ごしているので、これを着るのは東京に来て初めてだ。というか、麓の高校に通っていた頃ももちろん着ていなかったので、この格好で村の外に出ること自体が初だ。
 当然、顔を合わせた大垣はマントを指差して戸惑った顔をしている。
「かっ……一人、おまえそれ……
「自分の一族に伝わるものです。こちらもこれを着ている方が、話が早いかと」
「そ、そうかぁ?」
「でも、そうしてると本当に似ているわ。顔や背丈もそうだけど……なにかしら、雰囲気みたいな……
 口をへの字に曲げた大垣の横で、佐知子は感心したように頷いた。
 そこに、入口のすりガラス扉の向こうで大きな影が揺らめいた。「来たか!」と大垣はドアハンドルに飛びつくと、大きく扉を開け放った。
「よう! KAZUYA!!」
「軍曹、なんですか会わせたいヤツというのは……――!」
 現れた西城KAZUYAは、大垣の頭越しに待合室内を一瞥し――当然、見慣れぬ青年に目を止めた。
「お前は……まさか、我が一族の者、か」
……! はい。……あまり驚かれないんですね」
「他にも遠い親戚の男に偶然会ったことがある。オレの祖父か、曾祖父か――それとも、もっと以前か。いつごろ分かたれた一族かはわからないが、いまは大陸に住む男だ」
「そうでしたか……
 神代も知らなかった遠戚の話に、目を見張る。そのような話は、父からも譲介からも聞いたことはない。この国に居ないということは、彼らも知らないのかもしれない。
 ひとまずは平和な様子に、よしよしと大垣は頷いた。
「一人のほうは、なんか込み入った話があるんだろ? KAZUYAも聞いてやってくれ」
「ありがとうございます、大垣先生」
「本当は奥を……と言いたいところなんだが今日は入院患者もいるんでな。休診日だしひとまずこの待合室を使ってくれや」
「そこのお茶、自由に飲んでくださいね」
 そう言い残して、大垣夫妻は診察室の奥へ引っ込んだ。
 神代はやや緊張した面持ちで、KAZUYAに向き直った。当代のドクターKやその父一堡については、父の一郎から話に聞いていた。そして神代自身、子供の頃テレビ中継に映るKAZUYAの姿を興奮しながら見た記憶も残っている。自分から探し求めて会いに来たとはいえ、そんな男と相対して平気でいられるほどまだ老成はしていない。
 KAZUYAのほうも、マント姿の青年を前に珍しく困惑していた。
 さきほども口にした通り、一族の人間であることは一目でわかる。数年前に会った劉もそうだった。だが、こうして大垣を通して自分の前に現れた目的が分からない。
 その大垣が呼んだ名前を繰り返す。
……カズト、か」
「はい。自分は神代一人。いまは帝大医学部の学生です」
「なるほど。我が一族の者であることをことさら疑う気はないが……どういった係累だ? オレに弟はおらんし――叔父にももう子はおらん」
 KAZUYAは以前ロシアに渡航し、祖父である一宗や叔父の一昭の半生を追ったことがある。その際、叔父の子はもう亡くなっていると聞いた。
 KAZUYAの問いに、神代は首を振る。
「私の一族は――かつて、何世代も前に分かたれてからずっと、あなたたち一族を見守ってきました。表の社会でその医術で人を生かすK一族に対する影の一族です」
……!」
「決して現代社会には関わらずただ技術を受け継ぎ……表の一族に万が一のことがあった場合のみこの血を継ぐため現れる。それが使命です」
「オレが――オレやオヤジたちの系譜が、表だと……?」
「? ええ……
 KAZUYAとしてはもちろん、自身が表にいるなどという認識はまったくなかった。確かに医学界の本流や時の権力者とは距離を置いているという意味では『裏』と言えるだろう。だが、N県の小さな山村に篭り、時代が下って医師免許が登場してもそれを取得することもなく、新たな技術を取り込むことはあっても自ら外に出ることはなかった神代家とは比べようもない。
「そんな使命の一族が、オレにいま接触するのはなぜだ」
 ――来た。
 当然の疑問に、神代は深呼吸をした。昨晩、村の診療所に電話を架け、今日KAZUYAと会えると伝えてある。大家宅で電話を借りていたこともあり、そう長電話は出来なかったが、譲介からは『自分のことはなんでも話してくれていい』と言われている。
 とはいえ、だ。
 誰が未来から来たなどと言われて「はいそうですか」と信じるだろうか。小説家や劇作家が相手ならともかく、相手は最先端の医学に通じる医者だ。昨年、神代の前に現れた譲介がどんな気持ちで切り出したのか、今更ながらよくわかった。
「端的に言えば……忠告です」
「忠告?」
「容易には信じていただけないでしょうが……KAZUYAさん、あなたは三年後、ガンの再発により命を落とします」
「何――!?」
「最初は肝転移。その後、摘出手術と抗がん剤治療に入るも、脊椎への遠隔転移を経て最後は肺に……聞いています・・・・・・・。私は――いや、私たちはそれを救いたい。だからあなたに会いに来ました」
 何を戯言たわごとを。そう切って捨てるのは簡単だ。だがしかし、目の前の青年の真剣さがKAZUYAにそれを躊躇わせた。
……まるで、見てきたように言う。いや――『聞いている』、と言ったか? 誰がお前にそれを吹き込んだ」
…………。私も、すぐに信じていただけるとは考えてません。実際に私もそうでしたから」
 神代は、昨年の夏にいまから三十三年先の未来から現れた男について手短に説明した。まだ高校生だった自分の弟子と名乗ったこと。ドクターTETSUに拾われ、クエイドの朝倉の伝手で留学していたと言っていること。そしてKの一族の今後について。
……TETSUが子供を?」
「なんでも、譲介が十五の頃だったとか。私はその男のことは知りませんが、KAZUYAさんとは親交があるとか?」
「親交か……まあ、そう言えなくもない……か?」
 なんとも不思議そうな顔をしたKAZUYAに、神代のほうもやや首を首を傾げつつ、続ける。
「それから――忠告はもうひとつ」
 KAZUYAの発病は、少なくとももう一、二年は先の話だ。進行が速かったことを考えると、現時点で各種検査を行ってもなんの病変も見つからない可能性が高い。
 なので神代と譲介は、同時に今年起きる大事件のことを伝えようと決めていた。
「今年の秋に改選があるアメリカ大統領選挙――その直前に、現職にあるハミルトン氏が何者かによって狙われ、新種の寄生虫を注射されます。KAZUYAさん。あなたはその犯人として国際指名手配されます」
……!?」
 突然、飛び出してきた話題にさすがのドクターKも絶句した。神代は淡々と、譲介から聞いたその後の展開をかいつまんで話す。
「つまり――オレに妹がいると? まさか……。にわかには信じられん」
「ええ、分かります。俺もそうでしたから」
…………
 苦笑を浮かべているものの、真剣さを崩さない青年を前にKAZUYAはしばし考え込んだ。
 三年後に自分が死ぬこと。それから、遅くとも半年以内に大事件に巻き込まれるが、それを引き起こしたのは存在も知らぬ妹であること。
 これらのことは証拠も無しに――あっても困るが――ただ信じろといわれても到底信じられるものではない。
 だが、いま神代から聞いた話のなかでひとつだけ、KAZUYAが無条件に信じられるものがあった。
 つまり、眼前のマント姿の男が己と同じ祖先をもつ血族であること。
 それはすなわち、人の命に関わることに関して常に真摯であり信頼がおけるということだ。
「身辺を整理……とまでは言わんが、もう少し身軽になる必要がありそうだな」
 これまでのオレのようにな。
 いま面倒を見ている学生たちの顔を脳裏に浮かべながら、KAZUYAは内心でそう呟いた。
 ――いや、関係ない。大学を出て医師免許を得てからずっとしてきた生活に戻るだけだ。
「いずれにせよ、少し考える時間をくれ」
……はい。ですが、出来れば一度、早いうちに精密検査を」
「ああ、分かった」
……お願いします」
 不安さを滲ませた念押しに、肩をすくめる。
 連絡先を交換したふたりは、この場では近いうちにまた会う約束だけに留め、具体的な日時の締結は避けた。
 診察室の奥へ声をかけると、奈緒子を抱えた大垣がすぐに出てきた。神代が再び場所を借りた礼と共に帰宅する旨を伝えると、残念そうに「なんだ、帰るのかよ?」と眉根を寄せる。
「KAZUYAも一人も、今日はウチでメシ食っていけばいいじゃねえか。佐知子が張り切って用意してるぜ」
 そう提案した大垣へ、KAZUYAが何か返す前に神代が答える。
「いえ……俺は、今日は遠慮しておきます。色々と、ありがとうございました」
 KAZUYAさんも、また。そう言って頭を下げた神代に、当代のドクターKは「ああ」と頷いた。
 マントの裾がガラス扉の向こうに消えてから数秒、大垣は隣に立つ後輩に小声で声をかける。
「おい、なんかまずかったか? 怪しいヤツじゃあなかっただろ?」
…………
 KAZUYAはいましがた聞いた話について何とも答えられず、口をつぐんだ。まさかあと三年もすると自分が病死すると忠告されました、とは言えない。
 KAZUYAが答えあぐねていると、困惑した大垣が昨日目撃した神代の手技を説明した。初動の早さも、準備を含めた助手の手際も、まだ医大生だとはとても信じられないものだった、と。
「なんなら明日からウチで働いて貰いたいくらいだ――まあ医者をもうひとり雇う余裕なんざウチにはねえが」
「ほう……
「あんなもん見せられたもんで、こりゃあ疑いようもなくお前の関係者だろうと思ったんだがな……
「関係者、ですか……いや、あってますよ。何代も前に分かれた家系ではあるようですが、同じ一族であることは間違いありません。――今日、一人の話を聞けてよかった」
 当代のドクターKは頷くと、娘を抱えたままの大垣に向き直った。
「軍曹。夕食の前にひとつ、頼みたいことがあるんですが――





 本家と分家の邂逅から半月ほどあとのこと。帝都大学医学部長室で、そういえば紹介したい学生がいると、退官を決めた柳川の前で切り出したのは大垣の方だった。何のことかすぐに察したKAZUYAは「軍曹」と困ったように眉根を寄せた。
「いいじゃねえか。KAZUYAも考えただろ? 今日ここに来た時点でな」
「まあ……否定はしませんが」
 大垣の人を見る目はKAZUYAも信頼している。その大垣が突然訪ねてきた一介の医大生を退官を決めた恩師にぜひ紹介しておこうと考えるほど一目置いているのだ。まだ学生の身分であろうと怪我人を前にすると素早く動いたという話も含めて、神代一人という人間についてはさほど胡乱には思っていない。
 ただ、忠告された内容が内容だけに、率直に言えば困っているだけだ。
 この時間なら学内にいるだろう、と、大垣は柳川の執務室を飛び出していった。大学病院内ならともかく、他学部生もうろつく学内で見つけるアテがあるのかどうなのか。
「おいおい、何の話かわしにも説明してくれ」
 ぽかんとした柳川を前に、KAZUYAは苦笑しつつ「実は――」と切り出した。


 柳川に神代を紹介したあと、KAZUYAに神代、大垣の三人は帝都大学第一外科教授の居室を辞した。まさか今年の新入生にKAZUYAくんの親類がいたとは――と、たいそう驚かれると共にあれこれと激励の言葉を貰ってしまい、神代も恐縮するばかりだった。
「ふたりとも、今日こそウチに寄ってメシを食っていけよ」
 大垣の誘いに、神代より先にKAZUYAが「いいですね」と応えた。
……よいのですか?」
「もちろん、遠慮すんなって。お前らふたりなら奈緒子も佐知子も歓迎だ! 今は入院患者も居ねぇんでな」
「では、先日の山田さんは……
「とっくに退院したよ。リハビリも順調だ」
「そうですか。それは良かった」
「KAZUYAには一応渡すものもあるしな」
「結果は――その様子だと特に所見なし、ってとこですか」
 大垣の口ぶりだけで、KAZUYAは先日依頼した血液検査の結果をすぐに察することができた。通常の検査だけではなく腫瘍マーカー検査をしてもらいたい、とKAZUYAが言い出した時には大垣も少し動揺を見せていたのだ。
「あ、ああ。そうだが……?」
 KAZUYAと神代が一瞬、意味ありげに視線を交わしたのに気づいて、大垣は眉根を寄せた。
「おいおい、何か気になることでもあんのか?」
「いや、ないですよ」
 自覚症状は、という言外の意味を覆い隠すように、肩をすくめる。
「オレも三十を超えてますからね。胃をやってからもしばらく経ちますし。近いうちに他にも検査しようかと思ってますが――まあ、念のためです」
「んなこといったら俺はもう四十だぜ……
「ちゃんと健康診断受けてます?」
「やってるぜ。たまにはバリウムを飲む患者の気持ちも味あわねぇとなァ」
 ふたりの医者の軽口の応酬を隣で聞いていた神代は、音には出さずにそっと笑った。


 それから一ヶ月も経たないうちに、KAZUYAは再び母校へ赴いた。
 だが今回は柳川に会うためといった、平和な用事ではない。帝都大附属病院のシステムが何者かにクラックされ、保存されている患者のカルテを書き換えられてしまっていた。
 校医をしている加奈高校から生徒三名と共に駆けつけたKAZUYAは、騒然とする病院内で生徒のひとり――加山の祖母の手術を引き受けた。
「だが――大学病院中がパニックになっているこの状況では助手もろくに確保できん。おまえたちはひとっ走り医学部棟まで行って、神代一人という学生を探して連れてこい」
「ふうん? 誰だいそれは」
 KAZUYAの言葉に、真っ先に反応したのは生徒たちではなく磨毛だった。
「オレの親戚だ。見れば分かる・・・・・・。見つけたら四階の診察棟に来いと伝れば通じるだろう」
「ほ、ほんとかよ!?」
「とりあえず探してくるけど……! どこに行けば?」
「途中まで案内してやろう。KAZUYA、ここは君に任せるよ。僕は自分の研究棟に戻る。この騒ぎの原因をさっさと調べないと」
「お、オレもそっちを手伝う! 絶対にこのふざけたヤローをつきとめてやるぜ!」
「先公……ばあちゃんを頼んだぜ!」
「ああ、任せておけ」
 力強く頷くと、KAZUYAは手術室に飛び込んだ。



――KAZUYAさん!」
「来たか一人! よし、そこに入れ」
「状況は?」
「穿孔性の胃潰瘍だ」
 手術室に駆けつけた神代は、その一言だけであとは呼び出した男の手元を見るだけでどういう状態か瞬時に把握した。もう胃の摘出が終わるのを見て、KAZUYAの向かいに立つ。そして摘出後すぐに食道と腸の縫合に入れるよう準備を進めた。
「け……血圧低下!! 数値が急激に下降中です!!」
「な……なに!?」
――!!」
 オペ看からのアラートに反応して、KAZUYAと神代の視線が術野と計器を素早く往復する。
「出血は最小限、不正出血はない――
「ですが、この色は」
「ああ。輸血だ! 濃厚赤血球を一〇〇〇CC緊急輸血するんだ!!」
 術前データが書き換えられたものだと見抜いたKAZUYAの指示により、すぐさま輸血が実行された。そうして血圧が正常値に戻ると、素早く縫合がすすめられていく。
 手術室内にいた麻酔医や看護師たちは、このふたりが並んでオペをするのはこれが初めてだと言われても、到底信じられないだろう。
 それほどまでに素晴らしく、確実で、そして早い手術だった。



 手術室を出て、患者の孫である加山に祖母の無事を伝えたところで、磨毛と前沢が犯人がわかったと駆けこんできた。そのまま磨毛が、前沢と共に犯人の居場所を突き止めた事実を手短に説明する。
「いまから警察に通報しても、こういった『新しい犯罪』となるとただ時間をくって後手に回るだけだ。僕が車を回してくるから、直接乗り込もう」
 磨毛の言葉に、KAZUYAは「よし、オレも一緒に向かう」――と頷いたところで、目の前の同期の男の姿に違和感を覚える。
「ん? 磨毛おまえ、白衣はどうした」
「そっちの彼に貸してるよ」
 磨毛の右手が、KAZUYAの横に立っていた神代をまっすぐに指差した。
「なに?」
「ここまで入ってくるのに必要でしたので」
 そう。解剖実習もまだの一年生にすぎない神代が、とっくに臨床実習中の五、六年生かのような顔をしてここまで潜り込んでくるのに必要だったのだ。
「着れたのか?」
「まあなんとか」
 涼しい顔で答えるが、実のところだいぶ苦しかった。日本人男性としては平均的な身長で、ヒョロリと痩せた磨毛の白衣は神代には当然小さい。だが突っ張った肩も着丈の不足も、この混乱した状況下では多少の違和感は見逃せるだろうという算段だった。そして目論見通り、あっさりと術着に着替えて手術室まで入りこみKAZUYAの助手を立派に勤め上げた。借りた白衣は、いまは着替えに使った前室に置いてある。
 そこで、先ほどまで使用していた手術室の周囲がにわかに騒がしくなった。漏れ聞こえてくる会話を聞くに、また別の患者の容体が急変したらしい。システムが頼りにならない状況で、病院内の混乱は続いていた。
「よし一人、お前は残って院内を手伝え」
「わかりました」
 そう言い残すと、KAZUYAは磨毛らと共に犯人と思われる人間の家へ急いだ。
 車中、ハンドルを握った磨毛は真剣な顔で助手席に座る男にちらりと視線を送る。
「君に弟がいるとは知らなかったな。しかも帝都に入学してたのか? ずいぶん水臭いじゃないか」
「親類ではあるが、弟ではない。というかたまには自分の館から出ろ。日頃から構内を歩いてればとっくにすれ違って気づいてただろ」
「ム……。まあたしかに、一度でも見てれば君の関係者だって分かっただろうね」
「確かに! 先公みたいにいいガタイしてたな」
「大学生ってことは、あれで俺らの何歳かしか離れてないんだろォ?」
「いや手術助手が出来る医学生ってことは結構上だろ」
 と、後部座席の生徒たちもワイワイと口を挟む。
 神代の学年についてことさら喧伝する気はないKAZUYAは当然、口を噤むしかなかった。
 大垣から話は聞いていたものの、KAZUYAが神代の手技を直接見たのは、さきほどの手術室が初めてだ。卒業生のほとんどが国家試験を受け医師になる医学部といえど、実際に生きた人間の体を触るのは十分に座学を学んでからだ。そこらの一年生が、あんな風に振舞えるはずもないのだ。明らかに、幼少のころから手術室に立ち、医術を叩き込まれてきたものの動きだった。――そう、KAZUYA自身と同じように。
 もちろん、そうだろうと確信していたからこそ、神代を呼び寄せて助手として立たせたのだ。そして神代は実際に期待以上の働きを見せたし、何より執刀医としてこれまでで一番というほど動きやすかった。ろくな術前データもなかったというのにだ。今回はほんの短時間だったし確証はないが、もしかしたら十九歳の頃のKAZUYAよりもいまの神代の方が経験値は上かもしれないとすら思える。
 育った場所や親は違えど、変わらぬ血族の教育の片鱗を感じて、思う所がないでもなかったが。
 そんなKAZUYAの内心をよそに、一行は犯人の住居と思しきアパートに到着した。そして乗り込んですぐ――その犯人の男の治療のため、帝都大にとんぼ返りすることとなった。


 帝都大附属病院のシステム侵入とデータ改竄事件は、犯人の男――佐々木の手術と入院によって終息した。
 佐々木の気胸の手術もKAZUYAが執刀し、助手には神代がついた。
 同じように手術室に入った磨毛だが、ふたりの手技に圧倒され息を飲んだ。もちろん、KAZUYAの神業のような手技はこれまでに何度も見ており、今更ことさらに驚くことはない。驚いたのは、それについていくどころか、加速さえさせるような神代の実力だ。
 帝大同期の中でも親しい付き合いがあると言っていい磨毛は、KAZUYAの手術の腕が医大入学前から鍛えられたものであることや、一族の事情とやらも多少は認識している。その磨毛の目からみて、この若者もKAZUYAと同じような育成環境であったことは疑いようもない。――弟じゃないというなら、他にもそういう親がいる、ということだ。いやはや、末恐ろしいね。
 磨毛の心情はともかく、手術は驚異的なスピードで無事に完了した。



 佐々木の病室を出たKAZUYAは、控えていた神代に「少し話せるか」と声をかけた。病棟の一角に移動すると「急に呼びつけて悪かったな。だが助かった」と切り出した。
「微力ながら。皆さんのおかげで事件もなんとかなって安心しました」
――あれから考えてみたんだが、オレも一度、その和久井譲介と会っておきたい」
 案内を頼めるか、と続けたKAZUYAに神代は一も二もなく頷いて――はたと気づく。それはつまり、あの診療所にドクターKを招くということだ。
「? どうした」
「その……あそこは自分の生家でもあるので。KAZUYAさんが来るとなると、緊張するなと」
 神代があんまり大真面目にそう言ったものだから、KAZUYAは思わず吹き出した。そして、自分よりもほんの少しだけ下にある頭をかき回す。
「っ……!? な、なんですか!?」
「何を言うかと思えば、まったく」
 本当に、つい先ほどまでどこかのベテラン医師のような顔と態度で手術室に立っていた男とは思えない。
 自分に妹がいるらしい、というのには、話を聞いただけではまだ実感がない。
 だが神代と共にいると、もしも弟がいたらこんな感じだったのだろうかと思えてくるから不思議なものだ。
 KAZUYAの手から逃れ、鳥の巣のようになった頭を撫でつけている神代の表情にまた笑う。
「今日はオレの方から巻き込んでおいてなんだが、一人はそろそろ試験の時期だろう。オレもいくらか整理をつけねばならんこともあるし、夏休みに入ったらまた連絡する」
「分かりました」
「それと――これまでほとんど没交渉だったが、西城家にも連絡して話をしようかと思う。お前がオレに話した情報を、どこまで彼らに明かすかはお前に任せたいが……一緒に来れるか?」
「行きます。KAZUYAさんが構わないのなら、ですが」
「もちろんだ」
 ――しかし、西城KAZUYAが米大統領暗殺未遂容疑で国際指名手配されたのは、それからほんの二週間後のことだった。



 ◇



 N県で行われた冬の五輪も終わり、半年も過ぎたころ。五輪の騒ぎとは無縁だった山奥で、譲介は変わらず村にひとりの医師として診療所にいた。
 譲介がこの時代に迷い込んでから、もう三年の月日が経過していた。
 ここは真夏でも比較的涼しい土地ではあるが、それでも正午を過ぎれば気温が上がる。朝の早い時間に往診に出て、昼過ぎは必要に応じて手術の予定。涼しくなってくる夕方ごろからは外来患者に備えて診療所に詰めているのが最近のスケジュールだった。村の人間もそれを分かっているので、午後まで待てない患者は早朝のうちに電話をかけてくるようになった。
 かつて譲介がこの村にいた時代に比べれば猛暑日はずっと少なく、熱中症――といっても患者には通じないのでいまは譲介も日射病と言っているが――の患者はほとんどいない。だが、林業や農作業に従事する村民も多い。何も診療所に行く時まで一番暑い時間帯に進んで外に出る必要はない。
 この日は特に手術の予定もなく、イシの作った昼食を腹いっぱいに食べたあと、譲介は診察室の椅子に座ってゆっくりとカルテの整理をしていた。
「譲介、いるか?」
 突然、ここで聞くはずのない声が聞こえてきて、持っていたカルテをひっくり返してしまった。
 驚いたまま振り返ると、診察室の前にマント姿の師が立っていた。
「一人先生!? どうしたんですか急に? 事前に連絡頂けたら誰かに駅まで迎えを頼んだのに」
「一応、東京を出る前に電話をしたんだが。往診だったか?」
「ああ、すみません。今朝は関本地区のほうまで行っていたから――、え」
 神代の背後からぬっと現れた大柄な人影に、息を飲む。
「かずな…………、いや……
 違う。いまの黒須一也が成人であるわけがない。
 それに――
 譲介が画面越しでなく生身の黒須一也と最後に会ったのは、メディカルスクールでの実習が本格化する――譲介の主観で――五年前。その譲介の記憶の中の一也と背丈こそ変わらないが、譲介の記憶にある彼よりもずっと頬はこけ、身体つきもずっと細かった。
「そんなに似ているか? 一也と」
 見るからに病身の男は、力強くも優しい視線を譲介に向けた。
……そうか、もうあいつと会ったんですね」
「先日、オレの入院していた西城総合病院に来た。外来の待合室から入院病棟まであちこち駆け回ってな、大騒ぎだった」
「ククッ、あいつもガキの頃はそういうところ、あったのか……
 譲介はニヤリと笑うと、頭を上げた。握手をするように手を差し出して、当代のドクターKの顔をまっすぐ見つめる。
「僕は和久井譲介です。はじめまして、西城KAZUYA」
「ああ。一人から話は聞いている。未来から来た医者で――それから、一也の友達だと」
――!」
 握られた手は、とても病人とは思えぬ力強さだった。



 診察室の机に三人が座ると、KAZUYAは一枚のカルテを取り出した。
「これは……
「オレのカルテだ。今後の治療計画もある」
……。拝見します」
 譲介は医者の顔になると、差し出されたそれを受け取った。いくつか質問もしながらじっくりと確認して――溜息を吐く。
「西城KAZUYA、あなたの前で嘘をついてもしょうがない。これ以上何か提案できる治療はありません」
 カルテに記載の内容と付記した最新の検査数値。それらを一通り見た譲介の言葉に、神代は沈痛な面持ちで溜息を吐き出した。いまから三十年ほど進んだ医学ではもしかしたら、と、ほとんどないと理解してはいても望みをかけずにはいられなかったのだ。
 だがKAZUYAの返事は「そうか」の一言で、あっさりとしたものだった。
 かつて譲介は、一也がKEIから譲り受けた先代ドクターKのカルテを見せてもらったことがあった。その中には、KAZUYA本人のカルテも存在していた。
 晩年、一時退院中に破傷風に罹り一気に進行した件はそこで知っていたので、そのことは神代にも伝えてあった。なので本人も気をつけて罹患はしていないようだ。しかし――
「脊椎転移が見つかったのは先週ですか。痛みは?」
「まだない、が……時間の問題だろう」
「患者本人の自覚症状もないのに、よくCTを取れましたね。主治医はKEI先生でしょう? KEIさんには何も僕のことを話していないのでは……
 神代から時折電話を貰っていた譲介は、ガンが再発してからのKAZUYAの状況についても多少は聞き及んでいた。KAZUYAの親類ということで見舞いと称して病室に出入り――していたのは最初の数日だけで、KEIや西城頼介は神代の素性を知っているためすぐにカンファレンスにも顔を出せるようになったと。
「そこは上手くやった。模範的な患者なので信用されている」
「結果的に病巣が見つかったので棚上げされただけです」
……。先生も大変そうですね」
「わかるか」
「はい。……それで、脊椎の摘出手術は受けるんですよね?」
「ああ。そのつもりだ」
「では、今日はどうしてここに? 僕が診たところで、何か出来ることが増えるわけではないのはおふたりとも十分に分かっていたのでは……
 未来の医学知識があるといっても、抗がん剤や医薬品までついて来ているわけではない。
 医療の世界は日進月歩だが、それは医者個人の技術だけではなく診断や治療に使う機器や医薬品も含めてのことだ。
 この時代に来て以降、T村で診療を続けていた譲介は、そのことをつくづく実感していた。
「オレがここに来たのは、一人の育ったこの村を見ておきたかったということもあるが……譲介、お前にも一度、会っておきたかったからだ。そしてもうひとつ――謝罪を」
「え……
「一人がオレの前に現れたのは、もう二年も前になるか。その時の忠告を、生かせなかった。すまない」
 そう言うと、KAZUYAは長机を挟んで向かいに座る譲介と神代に頭を下げた。
「や、やめてください! 僕は――!」
「助けられぬ者を見た時の気持ちはよくわかる。お前たちからすれば、オレは助けられる患者だったはずだというのにな。……医者として、悔しい思いをさせてしまった」
……!」
 ――ああ、なるほど。
 西城KAZUYA。伝説のドクターKと呼ばれた男。
 なぜみなこの男に惹かれ、頼り、奮い立つのか。あまつさえ、クローンを作ろうとする人間まで出てくるのか。譲介はその魅力の片鱗に触れ、納得した。
……ここまでのスピードでの転移は、あなたの推測通り以前受けた放射線被曝の影響による放射線障害と見ていいでしょう。もっと早くあなたに会えたところで、僕の持っている知識だけで対処できたかはわかりません」
 そういう意味では、無駄に不安だけ与えてしまったのではないか――。譲介は声が震えそうになるのを抑えながら、そう心情を吐露する。
 だがKAZUYAの答えはあっけからんとしたものだった。
「そんなことはない。発見は早まっただろうし、覚悟をするだけの時間は十分にあった。」
 ふたりのやりとりを黙って聞いていた神代は、膝の上でぐっと拳を握った。
 海外に飛んだKAZUYAについて行くことまでは出来ずとも、もっと他に出来ることはあったのではないか――
 もちろん、一介の医大生の身分では出来ることなどたかが知れている。そのことは重々承知していたが、何かもっと他にと考えてしまう。
 譲介の隣で神代は沈黙を守っていたものの、その表情から考えてることが手に取るようにわかって、KAZUYAは苦笑した。
「一人。行きしなも言ったことだが、お前が気に病むことは何もない」
……はい」
「しかし、十七、八年前か……。当時の被曝線量の記録はありますか? 線量計は身に着けていなかった?」
「いや、そういったものはなかった」
「そうですか……。いえ、分かっていたところで、あなたの治療には繋がりませんから、いまさらだな」
 医師としては悔しいところだが、いまさら原因を探ったところでどうにもならない。それに、急性被曝を起こしているのならばともかく、晩発障害となると年齢や環境など個人差によるところも大きい。その情報が手に入ったところで、統計データのひとつでしかない。
 譲介は抑えきれなかった溜息をひとつ吐き出すと、カルテを返した。
「こんな時に申し訳ありませんが……西城KAZUYA。あなたに会えたら、ひとつ確認したかったことがあります」
「ああ、なんだ?」
 譲介は「聞いているかもしれませんが……」と、自身の前半生をかいつまんで話した。TETSUに拾われたこと、両親を見つけてもらったこと。
「そして彼も……ドクターTETSUも、これから数年後にガンを発症します。スキルス性の胃ガンで――僕が拾われた時には既にステージⅣまで進行していたわりに、その後は十年以上生存出来てはいますが……
「早期発見できれば、完治も目指せるか」
「はい、そうです。僕に返しきれないくらいの恩をくれた人間は何人かいますが、あの人もそのひとりです。その彼が現在どこに居るのか知りませんか?」
「すまんが、現在の居場所は知らん。譲介も――よく知っているのだろうが、あの通りの風来坊だからな。オレもあいつとは昨年のはじめにヨーロッパで別れて以来だ」
……そうですか。いえ、そうだとは思ってましたけど」
 ドクターTETSUから聞かされた西城KAZUYAの物語に、晩年のものはなかった。
「だが――一人からお前の話は聞いていたからな。居場所は不明だが、連絡先は手に入れてある。最近はこれで客を集めているらしい」
――!」
 そう言って渡された紙切れには、英数字の羅列――メールアドレスが書かれていた。見覚えのある筆跡を、つい指先でなぞる。
「『なんでんなもん欲しがるんだ』と不審がってはいたがな」
「でしょうね……。でも、ありがとうございます。有難くいただきます」
 譲介は深々と頭を下げて、礼を言う。
「といっても、突然連絡を入れて返事がくるかはわかりませんけど……
「俺は結局、そのドクターTETSUとは面識がないままだが、KAZUYAさんの現状を伝えれば反応があるのではないか?」
 神代の言葉に、譲介もKAZUYAも揃って首を振った。
「TETSUのことだ、オレの病状など、とっくにどこからか掴んでるだろう。だが現れないということは――
「でしょうね。僕もそう思います」
 そんな連絡を受けても、喜ばないだろう。かつて譲介が嫌というほどドクターTETSUに聞かされたドクターKの物語は、綺麗なままの思い出だった。
「それにしても、来週には摘出手術を控えた状態でよくここまでの遠出が許されましたね。なんと言って妹さんを説得したんですか?」
……していない」
「は?」
「少し所用があると出てきただけだ。今日中に必ず東京まで戻る必要がある」
「ちょっ……先生!? それ知ってたんですか!?」
…………
「KEIには一人も一緒だから大丈夫だと言ってある。共犯だな」
 口の端を上げた男の横で、神代はぷいと顔を逸らした。
「はぁ……。どうせ日帰りなら、僕が東京まで出たのに……。一日くらいなら診療所ここも空けられますから」
「言っただろう? オレがこの村に来てみたかったんだと。さあ、良ければ診療所の中を見せてくれ」
 西城KAZUYAはそう言うと、どこか楽しそうに椅子から立ち上がった。



 神代の生家であり職場であり、いまは譲介が守る診療所を一通り案内しながら、医学の話題にあれこれと花を咲かせたあと。東京へ帰る前に、墓参りをしたいと言い出したのはKAZUYAのほうだった。神代が自身の一族の使命と守ってきたものについて彼に話した以上、この村の事情も少なからず打ち明けているだろうとは予想していたが、授け手たちの丘についても話していたことに譲介は少なからず驚いた。
 玄関扉の外に一時留守にする札をかけ、三人は揃って名もなき墓標の並ぶ丘へ向かった。
 病身とは思えぬ足取りで丘を登っていく背中に、譲介はつい自分の養い親を連想してしまった。ドクターTETSUは譲介を引き取ってから一年ほどで杖をつき出すようになったし、調子の悪い日は足を引きずるようなこともあったが、おおむね病人とは思えぬ活気に満ちた男だった。
 それで言えば、いまの西城KAZUYAはまだ壮年期にいる。見た目も、そして実際に体の中も病に侵されてはいるが、まだ生命力の欠片が腹の奥底で燃えているように思えた。
 墓たちの前でしばし黙祷したKAZUYAは、ふと顔を上げると神代に問いかけた。
「そういえば一人、お前いま何年生だ?」
「三年です」
「なんだ、まだそんなものか」
 西城家の面々にはすっかり一人前の扱いをされていることもあり、大学の合間に入り浸っている西城総合病院で会う医師や看護師たちにはすっかり研修医だと見られているのは神代も自覚している。都合がいいので放っておいてはいるが、しれっと参加しているカンファレンスや大垣と磨毛以外のKAZUYAの関係者がいる場では一応、発言は控えめにしている。
「卒業したらどうするつもりだ? この村に戻るのか」
「ええ、そのつもりです。譲介がよければ、最初の二、三年は大学医局に残るか、西城総合病院に世話になるかも知れませんが」
「僕はかまいませんが……西城病院?」
「ああ。頼介氏に声をかけられてな。まあ、ここ半年近くかなり出入りしているからな」
「なるほど」
 西城頼介はもともと、影の一族である神代家のことを知っていた。西城家の先代から存在を聞かされていたそうだが、それは江戸期から続く日本医学会の名家であるゆえ認知していたのか、それとも先代の娘である京子がKの一族である一堡と結婚したことで神代家のほうから接触したのか、今となっては分からない。いずれにせよ、自身の妻が代理母となり出産したKEIをKの血族として扱い定期的にこの村まで連れてきていたのは頼介氏であり、神代の父である一郎もまたそれを一族の使命のひとつとして受け入れていたことは確かだ。
――一人。よい機会だから、いまここで話しておく。オレの持っているものは、KEIとお前にすべて渡したい。父と母から、家族として受け継いだものはKEIに。だが一族として継いだKの名は一人、お前に」
……!」
「未来のお前がそう名乗っていたと聞いたからではない。この二年で何度か同じ手術室に立ち、言葉を交わした一人、お前自身を見てそう言っている」
「KAZUYAさん……
 神代はしばし呆然としていたようだったが、やがて覚悟を決めるように一度目を閉じる。
 再び目を開けたとき、その瞳には逡巡や迷いはひとかけらもなかった。
――わかりました。我々の係累や先祖たち、そしてなにより――あなたに恥じない医者になります」
 その様子を、数歩引いたところから眺めていた譲介は知らず止めていた息をゆっくりと吐き出した。Kの継承にふいに立ち会うことになり、心が震える。
 Kの、医術を極め人を助ける志は受け継がれ、続いていく。これまでも、これからも。譲介がいた未来に向けて。
 マントをなびかせて立つ男たちを、譲介は黙ったままじっと見つめていた。



 丘を下ると、Kのふたりは東京へ帰るべく野上北のバス停へ向かった。ちょうど週末なのだからお前は村に一泊していけばよい、オレはひとりで東京に戻る、と言うKAZUYAの言葉に神代は首を振った。主治医に委細を説明せず連れ出した以上、病室まで送り届ける義務がある。
 せめてバス停まではと見送りについてきた譲介が途中、ポケットにしまったままだったメモ用紙をつい引っ張り出して眺めていると、神代にぽんと肩を叩かれた。
「良かったじゃないか。ずっと行方を気にしていただろう」
 お前の恩人なんだろう、と続けた神代の優し気な口ぶりがなんとも気まずい。譲介の知る『K先生』はドクターTETSUにいつでも厳しい態度を取っていたが、直接の面識はなく譲介とKAZUYAからの話しか知らないいまの神代は特に悪印象はないらしい。――僕の説明、なんか間違ってたのかな。この時代では現在進行形の暴れ事を含めて、客観的に話したつもりなんだけど。
「いやその……まずは、連絡がつくかどうかですよ」
 根っからの風来坊なんですから、あの人――と呟いた譲介の心情は、呆れよりも諦めに近かった。横で聞いていたKAZUYAも同意するように苦笑している。
「オレは結局……こういうことになったが。アイツはなんとかしてやってくれ」
……もちろんです」
 言われなくとも、と、どこか反発するような気持ちを込めて頷いた。だが「しかし、TETSUが子供を引き取ってこうして立派に育てることがあるとはなあ」としみじみした口調で続けられてしまって慌てる。
「べ、別に育てられた覚えはありませんよ。一緒にいたのもたかが三年ちょっとですし……この村で先生に面倒を見てもらった期間のほうがずっと長いです」
「ほう」
「KAZUYA、さんと違って……あの人の正確な発症時期は僕も知りませんけど、最初の手術まででもあと十年ありますから、気長にやります。それに、約束したでしょ? 先生が帰ってくるまで、僕が村を守ります」
……ああ、すまない。頼む」
「謝るのはナシです。でもまあ、とりあえず……パソコン買って、診療所にネット回線引いてもいいですか?」
 譲介のお伺いに、市街まで車で四十分の山林に診療所を構える男と、そこと同じような山の中に山荘を持つ男は顔を見合わせた。
「引けるのか? この山奥に?」
「無理だろう」
「えっ?」
 ――結局、二十世紀末のいまはまだ、N県の山奥は譲介のイメージするインターネット回線の提供エリア外だった。
 もうISDNだなんだってテレビで元気にコマーシャル打ってるじゃないか、とブツブツいいながら、コンピュータと機材一式を購入しモデムを繋げた譲介がダイヤルアップ接続でインターネットに接続できたのはなんと三週間後のことだった。



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