@alikiri
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――うわ……そうだった。今日、結果の日か。
来月には廃校が決まっているT村の中学校からの帰り道。その学校に入学したばかりの黒須一也は、診療所の前に停まっている黒くてゴツい車に眉をしかめた。
どんなに嫌がったところで、いまの一也の家はここだ。溜息をつきたくなるのをこらえつつ、古びた洋館の重たい扉に手をかけた。
「ただいま帰りました~~……」
「一也くん、おかえり!」
「クク……分かりやすい顔しやがって。嫌われたもんだぜ」
「自業自得だ」
普段の帰宅時よりも数段低いテンションで診察室に入ると、予想通り三人の医者に出迎えられた。
ひとりは富永研太。ひとりっこの一也にとってはまるで兄のような人で、勉強や色んな遊びを教えてもらっている。その振舞いや人懐こさ、それでいて絶妙な距離感の取り方に助けられることも多々あった。
もうひとりは神代一人。この診療所の主であり、帝都大学医学部を主席卒業した凄腕の医者――当代のドクターKだ。遠縁ということもあり見た目だけなら富永よりも神代の方が一也の兄のようだし、確かにこの村で生活している間は頼れる保護者でもあるのだが、一也にとっては何より尊敬する師匠である。
そして――最後のひとり、ドクターTETSU。黒い前髪を片側だけ長く伸ばした男で、この中では最年長の医者……らしい。
東京に住む母や叔母とも顔見知りで、神代とも四、五年ほど前から交流がある。そして父だと思っていた男――西城KAZUYAとも親しかったそうだ。ここは話す人によって表現が異なるので実際の所はよく分からないが。
一也がこの男と初めて顔を合わせたのは二年前。この診療所で世話になりはじめて一年ほど過ぎたころ。一也が自身の出生の秘密を知ってしばらくしてのことだった。
突然現れたこの男は、聞けばこれまでも二、三ヶ月から長くても半年に一度は、神代の検診を受けていたのだという。
それまでは、神代がわざわざ東京にある西城医院まで出向いていたというのに、なぜ突然それを止めてこの診療所を使うようになったのか。誰も一也にはハッキリとは言わなかったが、その理由は明白だ。つまり、一也が西城KAZUYAのクローンだと知らなかった間は、一也と顔をあわせないようにしていたのだろう。
初対面の日はまだ、ドクターTETSUがわざと露悪的な喋り方をする男だということは分かっていなかった。そんな状態で神代や富永に対する言動の数々を見てしまったために、ただでさえ良いとは言えなかった第一印象は地に落ちた。
それ以来、一也はTETSUにほんのりとした警戒心を抱いたまま――のだが。
「あの……何かありましたか?」
大人たちの雰囲気が妙なことに気づき、おずおずと問いかける。
ドクターTETSUの『定期健診』で何をやっているかは分かっている。腫瘍マーカー検査を含む血液検査に、いわゆる胃カメラ検診。それも目視だけでなく生検まで。検査結果は建て直した薬品庫にあるラボ設備で村井が数日で出してくれる。なので日を置いてまた診療所に来て――怖いもの知らずな富永が一度、診療所に滞在してはどうかと勧めたが闇医者は絶対に山を下りている――結果を聞いて帰る、までがルーチンだ。
一也の練習を兼ねさせることに神代もTETSUもまったく抵抗がなく、内視鏡も採血も何度も手伝っている。直近の検査は三日前。いつものTETSUは一応掲げている診療所の診察時間を丸無視して夕方から夜にやってくるが、今回は仕事の兼ね合いなのか珍しく、一也が学校に行っている日中に来たので担当していないが。
だが一也が現在持つ知識では、こんな頻度で検査をする理由がわからない。研究目的にしては不自然な点も多い。年長のふたりは当然の顔をしているし、富永も聞かないのでことさら問うたりはしないが、まるでいずれ胃を患うと知っているかのような――。
TETSUの目配せで、神代は黙って手にしていた用紙を一也に手渡した。生検結果、腫瘍マーカーの数値、内視鏡検査での所感。胃がん、組織型は未分化型。粘膜層までの浸食で他臓器への転移はみられない。ステージⅠと診断――。
「えっ」
「自覚症状なし。」
「ねぇよ。三ヶ月前には影も形もなかったんだろうが。進行速度にもよるだろうが……それこそ、穴が空くまでなかっただろうよ。――これでお前もオレに構わんで済むようになる。もうちょっと喜べや」
「笑えん冗談だな。お前は一体、譲介がどういう気持ちで――!」
「ッ……!」
「ちょっと、K、落ち着いて……」
いまにも掴みかからんばかりの神代に、富永が止めに入る。普段、患者に対してここまで神代が声を荒げることはほとんどない。はらはらと見ている事しか出来なかった一也は、飛び出してきた名前に息を飲んだ。
――『譲介さん』。
ときどき、神代と富永の口から聞く名前だ。あまり一也の前ではしないようにしているらしく、ふいに話題に上がってもそのまま話題が逸らされてしまうことが多い。だから、同じように村の人がときどき名前を零す『和久井先生』と『譲介さん』が一也の中でイコールに繋がったのはごく最近のことだ。
「……ったく、わーってるよ」
ドクターTETSUが頭をかいた。その名前を出されては、とでも言わんばかりに首を振る。
「そうはいっても、いますぐ入院っつーわけにもいかねぇのはてめぇも分かるだろ。今日は帰るぜ」
「いつ戻る」
「来月の、」
「遅い」
「……来週の火曜」
「よし。準備しておく」
――こんな口論をするのに、ドクターTETSUはK先生に手術を任せることは当然と思っているみたいだし、それはK先生のほうも同じみたいだ。
そのやりとりを不思議に思うが、とても聞ける雰囲気ではなく心に留めておく。そうこうしているうちに治療方針を決めるカンファレンスがはじまってしまった。
「見ての通り、スキルス性胃がんに多い未分化型だ。ごく早期の見立てではあるが内視鏡での切除は不可能」
「となると開腹か、腹腔鏡ですね。患部をどれだけ残せるかにもよりますが……」
「腹腔鏡下でいいだろ、さほど広がっているようには見えねえ。退院も早い」
「そうだな……幽門部のみの切除で済むだろう」
当然のような顔をして患者本人も参加していたが、誰も疑問を挟まなかった。
翌週、約束通りの日付にT村へ現れたドクターTETSUは、腹腔鏡下による胃切除手術を受けた。執刀は神代。第一助手に富永、麻酔担当は村井。一也も助手に入った。
どうせもう仕込んでるんだろう、一也に執刀をやらせろ――という患者の希望は、神代が却下した。医学に向き合う姿勢はともかく、仕事のスタンスは合わないし、気も合わない男だが、この男の治療を託されたのは神代だ。ドクターKという肩書とは別に、自分が担当する責任がある。
手術は無事に終わり、一週間入院の予定だったところを四日で退院して自分で運転して帰っていった。
退院時の支払いにあたり、保険証未提示のまま高額な治療費を置いていこうとする患者と主治医の間でまたひと悶着があったのだが、「こんだけあればアレ買えますねえ……」「私は新しい遠心分離機が……いやその前にPCR検査機器が……」という富永と村井の呟きに圧されて、結局は神代が折れた。
それから数週間の時間をおいて、何度か経過観察のために診療所まで訪れたが、どれも平日の日中帯だったために一也は彼と会うことはなかった。
***
一也が次にドクターTETSUの顔を見たのは手術から半年が経過してからだった。
「海外で長期の仕事がある。年明けまでコイツをここに預けていく」
突然、線の細い少年を連れてT村診療所に現れたドクターTETSUは、そう一方的に宣言するとひとり踵を返した。
「待て!」
少年を見た瞬間に顔色を変えた神代は、すぐさまTETSUを追う。
一也と富永はというと、神代から立ち上る鬼気迫るオーラに声をかけることすらできず、見知らぬ少年と三人で診療所内に取り残された。
戸惑ったように顔を見合わせたあと、口火を切ったのは富永だった。
「ええと、とりあえず……オレは富永。ここで医者をやってます」
「和久井譲介、です」
少年が名乗った瞬間、一也の隣から小さくひゅっと息を飲む音がした。だが反応に驚いて、もうほとんど同じ高さにある富永の顔を確認した時には、普段の通りの笑顔が貼り付いていた。
「一応聞くんだけど、誘拐とかじゃないよね?」
「いや、あの人は僕の保護者……です。一応」
「ああ、気を悪くしたならごめんね。ほら、あのひと強面だから……。君を預かるにしても、ここの所長はさっきの、もうひとりの先生なんだよね。ちょっとオレも事情を聞いてくるよ」
いつもの温和な顔つきと声色は崩れていないものの、有無を言わさぬ勢いでそう言うと、富永まで診療所の外に出ていってしまった。
一也も同じようにその名前には引っかかりを覚えたが、一也の想像では『譲介さん』は大人の医者だ。目の前の子どもとは繋がらない。
「えっと……僕は黒須一也。中学一年だけど、君は?」
「……知ってるよ。僕もそうだ」
「え? 知ってる、って……」
中学一年生の和久井譲介は、同級生どころか既に学内で一番体格のいい一也を見上げるように腕を組む。そして、値踏みするようにじろじろと眺めた。つま先から、頭のてっぺんまで。
「ドクターTETSUからたっぷり聞かされたよ、君のことはね」
「――!」
胃が半分なくなったTETSUだが、その後の体調は良好で順調に回復していた。体力的な問題も出ておらず、歩行の補助も必要なかった。診療所前に停めたハマーの前まで足早に戻り、さっさと乗り込もうとしていた男に追いついた神代は衝動に任せて男の肩を掴んだ。
「貴様、一体いつから――!?」
「あいつを引き取ったのか、か? 今年の春だ」
「春……!?」
今年の春というと、ちょうどこの男の手術をしたころだ。「まさかあの時には既に引き取っていたのか!?」という神代の問いは無視して「だもんで、まだたいして仕込んでねえ」と続ける。
「ココでどこまでやらせるかはおめぇに任せるぜ、『先生』」
「何を勝手な……!」
「器具の準備なんかは出来る。ルート取りはまだだ」
「Kぇ! ドクターTETSU……!!」
そこに、遅れて飛び出してきた富永が割って入った。
「あっ……あの子、なんなんですか……!? 和久井譲介って名乗りましたけど……!?」
「富永……」
「譲介先生の面影もあるし……、まさか、あの子も一也くんと同じクローンの……!?」
「は?」
「はぁ?」
しーん。
「…………え? 違います?」
「…………。すまん、違う」
目を丸くした富永に、神代は気まずく返事をするしかなかった。
その様子に、TETSUはクククと人の悪い笑みを零す。
「やっぱり何も話してなかったか。まあ、説明のしようもねぇわな」
神代たちの前から突如消えてしまった譲介の素性について、結局、富永には何も説明できていなかった。譲介が消えたのとちょうど入れ違いに一也を村に引き取って、クローン組織の襲撃や一也の秘密とそれどころではない事態が続いたのを言い訳にしていたところもある。もちろん、未来から来ただけでも眉唾なところさらに目の前で消えたと説明したところで、信じるどころか妄想か薬物かと思われるだけだと恐れていたのも否定できない。
「だがお前がそんなだから、オレもあいつを探し出すのにはかなり苦労した。それなりに金も時間も使わされたぜ」
TETSUは先ほどまでの笑いを引っ込めると、神代を苦々し気に睨みつけた。
「あいつ自身、オレに対しては妙なところで過去をはぐらしてやがったのもあるが――なにより、一番あいつの身の上話を聞いていたはずのてめぇが、引き取ってやるどころか様子を探ることすらしやがらねえで、何年も放ったらかしだ……!」
まるで吠えるような詰りに耐えるように、神代は拳を握った。
「それが、あいつの……譲介の望みだった」
「だからなんだ? さんざん他人の未来に介入しておいて、自分は放っておけなんて身勝手な話に従う必要がどこにある。オレのも、てめぇのもどんだけ変わったと思ってやがる。なんだったか、帝大首席だったか?」
未来からの弟子が現れなかった世界では、神代はこんなにも早く村の外に出ることはなかった。KAZUYAと出会うことも。
「それにどんだけ価値があるかはともかく……てめぇにその席を取られた人間が、確実にひとりは居るわけだ」
「そんな煽り方をしても無駄だ。俺の行動の結果と責任については散々考えてきたし、とうに覚悟もできている」
「ハッ、口は御立派だがなぁ……!」
「ちょっ、ちょっとまって、落ち着いて! 暴力反対! あんたたち一応、病み上がりの患者と担当医ですからね!? というか、さっぱり話について行けないんですけど!?」
この期に及んで説明ナシは酷くないですか、と富永に詰め寄られては神代も弱い。
「すまない。だが一言ではとても説明しきれん。今夜必ず説明するから……ひとまず、村井さんのところに連絡してきてくれないか」
「連絡?」
「村の人間に箝口令を。もともと皆に一也の前では譲介の話をしないように頼んでいたが――あの子の前でもだ」
「あー……それは頼むぜ」
TETSUまでそういうので、富永はぐぬぬ、と唸るしかなかった。
「わかり、ました……けど。絶対ですよ! 絶対説明してくださいよ!!」
半ばそう叫びながら、薬品庫の方向へ駆けていく富永の背中に嘆息する。
「ゴマンといる医者の息子のお坊ちゃんかと思えば、なかなか骨のある野郎だ。おめぇが気に入るのも分かる」
「……意外だな、お前が富永についてそんな評価をしていたとは」
「だが、どうあがいても表の人間でもある。我儘はいい加減にしておけよ、ドクターK」
「それも……分かっている。富永はいずれここを出ていく人間だ。だが――……いやまて。お前に言われる筋合いは無い! なんだ急に来て預かれとは!!」
「チ……。言葉通りだよ。昔の馴染みからどうしても断れねぇ仕事が入ったんだよ。ガキを連れていけるような国でもねえ」
「期間は」
「三週間。あいつも東京で学校がある、それまでには戻る」
「お前のところもたいがいだろうが……ここも、子どもに良い環境とは言えんぞ」
詭弁だと分かっていても、ついそんな言葉が口をついて出た。既にひとり預かってるお前が言うな――だとか言われるかと思ったが、予想に反してTETSUは黙って神代を見つめているだけだった。
そうだ、神代とて分かっていた。いずれは、自分と同じ時代を生きる和久井譲介と会うことは。
ただ、あの年長の男が向けてきた無条件の信頼と尊敬を、うまく受け止められなかった十八歳の自分がいつまでも尻込みしているのだ。
ふう、と嘆息すると神代は覚悟を決めるように頷いた。
「分かった、三週間だな。ここで預かろう。ただし――一也と同じ扱いを期待しているなら……」
「それこそ分かってるよ。おめぇこそ覚悟しとけよ、一也みてえな物分かりの良いイイ子ちゃんではねえからな」
まあ本人が言っていたほどどうしようもないガキでもねえが――と言い残して、TETSUは今度こそ村を出ていった。
さて、まずは何と声をかけようか……と半ば頭を抱えながら神代が屋内に戻ってみると、診察室に残っていた子どもふたりはなんと――取っ組み合いの喧嘩をしていた。
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